ただまぁ、ゲームの方も焦ってB2Cに飛び込んだのが間違いの始まりではあったな。
]]>残りのうちのほとんどがAIで加工された動画
昔の日本の様子について調べるとフェイク動画、偽情報にあふれていて
どれが本物か見分けがつかない
ネットの有志で本物か偽物かラベリングしていく作業が行われているが
日々生成されるフェイク動画が多すぎて進んでいない
東京の平成館という場所にはフェイクを完全排除した昔の映像コンテンツがあるらしいが
サブカルチャーについては詳しくないので結局ネット頼りである
最近の若者はAI汚染が進んでいて、平成世代の昔の話すら「嘘だ」と決めつけている
ファンタジー平成、ファンタジー昭和が彼らにとっては真実なのだ
本物の映像より偽物の映像のほうが説得力はあるのだが、そういうのは逆に怪しいと気づいて欲しい
あと教科書には映像の一般化は昭和だったと書かれているのに、この前なんかは江戸時代の映像が本物かどうかで荒れていた
昔はこんなことなかった、こうやって歴史がAIにかき消されていくのを目の当たりにするとは思わなかった
最近恐ろしいのが、たった10年前の出来事でさえ真実を調べにくくなっていることだ
いずれすべてが信じられなくなる
]]>今どきほとんどの映像コンテンツは、ネット配信で見れるけど、なんか不祥事やら炎上やらあって、もう絶対に配信では出されないようなTV番組の録画とかは、BDに焼いて保存しちゃうんだよなーww
で、手書きでは文字が汚くて恥ずかしいから、プリンタで印刷必須なのw
]]>滋賀県を放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。滋賀県が筆頭株主の第3セクターである。
イギリスのBBCは公平中立の精神に基づいて、イギリスの政府からも独立し、エンターテインメントやドキュメンタリーなど様々な映像コンテンツの制作や、テレビ、ラジオ、デジタル媒体を通したニュース報道をおこなっているが、滋賀県のBBCもどの系列にも属さない独立系放送局として、自社制作番組の編成を優先して放映をおこなっている。
前述の通り、略称には「Biwako Broadcasting Co., Ltd.」より採った「BBC」を使用している[4]。この略称はイギリスの英国放送協会(The British Broadcasting Corporation)と同じもので[4][5]、滋賀県民を中心に両者を混同したりそのことをギャグのネタにしたりすることがあり(“日本のBBC”と称されることもある)、びわ湖放送自身も自社制作番組『藤井組TV』でネタにするほどである[6][* 3]。混同を防ぐため、県外ではBBCびわ湖放送と社名併記が多い。
2009年10月1日には、「アミンチュてれびBBC」というステーションコピーを制定した。「アミンチュ」とは「淡海人」を沖縄語的に読んだもので、滋賀県民を指す造語である[4][* 4]。
日本の独立テレビ単営局で唯一、社名に「テレビ(ジョン)」がつかない[* 5]。
]]>んで、ふと気になったのが、表題の「本の小説は読まないがノベルゲームは楽しむ、あるいはその逆の人っている?」っていう事。もしいた場合、どういう違いでもって片方だけ楽しむようになったのかな?
]]>だからそこにFANZA GAMESがあるわけ
インタラクティブなゲームで能動的に攻略していって溜めた石で念願のあの子の寝室に到達するから良いって寸法
そこにおいて次元の差なんてのは些末な問題なわけよ
]]>1人勝ちのシーンと戦国時代のシーンがあって面白いよね
例えば映像コンテンツは一時期テレビが一強だったのに
今は相当な戦国時代
考えてみたら国とかもそうだよね
1つしかないメリットもあるし、細分化されるメリットもあるから
それがコロコロ変わるんだ
面白い
]]>そのペースだと週刊連載にも月刊連載にも間に合わないじゃないか。
もし最初だけそうだというならなんで最初だけそんな時間かかるの??意味不明。いきなり最後の方までネーム作りだめしておくってこと?なんで?
あと編集は何かといちゃもんつけてくるらしいけど、編集の言うこと聞いて売れる保証ないのにそのネームで連載する決定権握ってるのが編集にあるのっておかしくね?
編集の言葉はあくまでアドバイスするに留まり決定権はプレイヤーにあるという信長の野望の軍師方式でいいだろ。
こんな調子じゃ映像コンテンツの主戦場が放送局からネット配信に移りつつあるように漫画も古臭い商業雑誌からキンドルパブリッシュに移行しても仕方ないよね
]]>個人的には、近いのが「近所で評判のラーメン屋のラーメンを食いまくり、"味を盗んで"インスタントラーメンを売り出す」みたいなシチュエーションだと思っている。
学習は言い訳か?機械に分析させるのは違法か?どちらも否である。そんな法律はないからだ。
でも「○○屋の味を再現したラーメン」と言うのはよろしくない。他人の商標を勝手に使うのは違法だ。
同様に「声優の○○の声と演技を再現した」と言って出してくるのは絶対にご法度だ。もちろん公式や本人がタイアップした時に名前を出すのは問題ない。
だから人の技術を真似て商売するものを非難したいのか、人の看板を使って商売したいのかを分けて考える必要がある。後者は無条件に死んでいい。
次に誰にどんなダメージが行くか考えよう。
ひとつは声優本人。本人の声と演技が安価で使えるのだから本人には大ダメージである。
ふたつめは後進。プロの価値が安価で手に入るならばその道を志す後進は減るし、引いてはその分野そのものが衰退する。
話をずらす。
嘘か本当かは知らないが、かつてトーキーフィルムといって映像に声や音楽までついた作品が普及すると活動弁士たちは廃業に迫られたらしい。
活動弁士とは無声映像の横でアテレコしたり状況説明をする仕事だ。
「あんな魂のこもっていないもので満足する愚か者たち」が多いので、魂のこもった活動弁士たちは追いやられたのだ。
1932年、活動弁士たちはトーキー映画に対して反対運動を起こしたが無声映画に声で迫力を付与するという仕事や文化は映像に声や音を乗せるという技術の前に衰退した。
声優の話に戻す。
数ヵ月前まで真似できなかった特殊技術が特殊技術でなくなり、本人と後進の道を閉ざそうとしている。
「個人的に応援したい人、文化」への贔屓目や応援したい気持ちはわかる。
しかしこれはどこまでいっても「技術が進んで特殊技術が特殊技術でなくなった」という、これまでもよくあったし、今後もよくある話のひとつだ。
法的に規制をしても意味がない。そもそもできない。
人が怠惰な幸福を追求するかぎり、ラッダイト運動は絶対に失敗に終わる。
自分が何を守りたいのか、それを明確にすれば取る行動は変わるだろう。
例えば勝手に学習されるのが嫌ならば著作権や特許の制定に乗り出すべきだし、声優個人の生活を守りたいなら応援基金でも立ち上げるべきだ。
新しい時代が来るのが嫌というならば今の作品をもう一度見直せばいい、見てない作品だけ見たとしてもすでに一生をかけても費やせないほどの映像コンテンツが存在しているのだから。
声優は活動弁士のようにいらない存在になるだろうか?
もし技術が仕事や文化を吹き消すのが悪だというならば、声優は活動弁士たちにどのような言い分をいってのけるのだろうか。
]]>部屋も大きくないから存在感がはんぱない。
たいていの人は32インチとか27インチとかで十分そうだけど、やっぱしょぼくみえるのかね。
]]>一作目もみた
・グラスオニオン、面白すぎ
1月上旬からこんなに面白い映像コンテンツみさせてもらって
面白さの基準がインフレしてしまう
・ワンダビジョンのアガサ役の女優さん、好き
他の俳優さんもすごく素敵だった
・ザ・メニューといい「この社会状況、どうしようもねぇ、燃やすぞ!!!」が
トレンドなんです?
・ブランさんの同居人設定がさらっと明かされて
「現代の映画〜」ってなった
・刃の館も面白かったけどナースのお姉さんが
聖人すぎてちょっと入り込みきれなかった
・いつかコナンの作者様が名探偵図鑑に
ブランさんを書いてくださる日が来ると信じてる
]]>実写では一流アニメーターの神作画みたいなビビッドな動きづくりは難しいし、逆に実写みたいな情報量をアニメで実現するのも難しいだろ
それぞれの表現手法ごとに向き不向きがあるのに、その違いを無視したまま「区別して消費・評論するのは意味がない」みたいな結論に持っていくのはおかしくないか?
書道家に「同じ紙に描く芸術なんだから油絵も描け」と言ってるのと同じようなものだ
]]>どぎついエロ広告が調子に乗り出した
]]>映像コンテンツもそれに合わせてYouTubeのトミカプラレールの動画とか
消防庁の動画とか、パウパトロールとかそのあたりが主だった。
他にも日本昔ばなし系とか、ジブリとかも消化したりはするけど
戦隊モノや仮面ライダー等には見向きもしない。
アンパンマンもキャラクターとして好きというか親しみを持ってた時期はあったけど
物語には興味なし。きっとバイキンマンがパンチを受けたり、
ドキンちゃんが食パンを好きなことも知らない。
ドラえもんも似た感じ。
まあまだ4歳だしというのもあるけど、同世代が受容するコンテンツを消化してないので
将来的についていけない会話とかネタとか出てこないのかなと少し心配をする
]]>豪邸の超広い部屋とかじゃなくて普通の部屋。
テレビとか映像コンテンツとかそんな熱心に見る趣味とかないと思う。
老人とか、他に金使うことがないし、とりあえず一番でかいテレビ買うかってことになるのかな。
]]>無能な妻に腹が立ってしょうがないからスカッとしたい。
]]>そんなこと初めて聞いたのに皆同意しててびっくりしちゃった
参考文献とかあったら教えて
ちなみに増田は動画コンテンツはストーリーとか脚本が一番大事でそれを絵付きで楽しむコンテンツだと思っているよ
番組って商業的都合で30分1時間みたいな枠に嵌め込むために間延びしたり駆け足になったりしがちだし
倍速はしないけど酒飲んだりベッドでゴロゴロしながら見てるし雑にスキップとかするから誉められた視聴態度じゃないし
でも、そもそも本当に”正しく理解”するんだったら1周だけじゃなく何度も何度も繰り返し見たり
特定のシーンを止めたり行ったり来たりしたり
監督や脚本家の過去作からの文脈の情報を調べ尽くしたりとか
そういうことをする必要があるんじゃないかなあと思ってるよ
理解を高めるために遅くして見てる人は勿論、速くして見てる人もそれ自体は自由だとは思うけど、作っている側は等倍速を前提で作っているわけで「それでわかった気になって批評するのはやめてね」とは思うと思う。
こういうコメントが例の記事のトップコメだったけど、等速だろうと所詮はただの一視聴者なんだから「それでわかった気になって批評するのはやめてね」とは思うと思う。
]]>閃光のハサウェイに引き続きこれが既定路線になりそうだ。
「最も金払いのいい客が最上位のもてなしを受ける」という、一般的なビジネスでは当たり前の商習慣を
やっとアニメ業界で恒常的に実施するところが出てきたことに感動を禁じ得ない。
今までのアニメ業界は「一番金払いのいい客が最も待たされる」というクソみたいな商習慣が横行していた。
TVなり配信サイトなりでコンテンツにハマったとしても、上質な映像コンテンツを買えるのはずっと後回しにされ続けてきた。
これで「金払いのいい客を最後に回す」というクソみたいなアニメ業界の習慣がとっとと廃れてほしい。
客がコンテンツにハマった時に熱が冷める前にきちんと稼いでほしい。
]]>喫茶店にいったり公園にいったりも何度もしてるが毎回ページ開けないで本置いたまんまスマホ触り続けてる
完全にただの置物と化してる
フィクションじゃない他の本でもこれは同じ
映画とか映像コンテンツもよしこれ見るかと思ってもそこから手が止まってなぜか再生できない
新しいものじゃなくて昔好きだったドラマとか映画とか久しぶりに見るかーとか思ってもそれもやっぱり再生できない
ついこの前一本だけなんとか見れたけども
漫画はもともと読んだことあるやつの続きなら読める
昔からとんでもない面倒くさがりでこういう傾向はあったんだけど最近特に悪化していると感じる
本当は困ってないんだろというようなコメもあったけど、うまく説明できないが現実逃避のためにフィクションに触れたいのにそれすらうまくできないから困ってるという感じ
現実が何も面白くないしめんどくさくてたまらないからせめて架空の世界を楽しみたいのにそれすら億劫ってもうどうしようもない
動物園水族館美術館もいってるし楽しいは楽しいけど毎回集中しきれないし周りの人間の些細な動きですぐに気が散るし帰る頃になるとどんよりした気分になる
]]>絵本の挿絵や小説の表紙もアニメ絵になって売られてる
キズナアイはテレビのゲストで呼ばれたり、代アニのインタビューも受けた
鬼滅の刃に呪術廻戦etcと映像コンテンツはかなり前からアニメ主導
アニメ絵は日本の文化としてとっくに浸透しきってる
受け入れられないのは頭の固い証拠で周りが見えてない視野狭窄にも陥ってる
そんな古臭い考え方なんだから「女は家で家事育児してれば良いんだ」とか「年上は敬え」とか言ってるのかと思いきや
「男尊女卑は時代の流れに逆行」とか「社内の無能おっさんを切り捨てろ」とか言い出すから
「頭の固い自分勝手」としか思われてないんだよね
まあ、目的が議論じゃなくて主張だからそれで良いんだろうけどさw
]]>はてな匿名ダイアリーで
架空の対立を作り出し
それを5ちゃんねるに転載して
さらにワードプレスだまとめブログを作るという作業を1年続けてみた。
最初は政治の話をしていたのだが儲からなかったのでフェミの話にしてみたらこれがドンピシャだった。
みんなフェミ叩きの話が大好きで
フェミニストにこの作品が燃やされてるという話をするとどんどん人が来る。
アドセンスは剥がされたが40万PVほどあるためアフィリエイトだけでも十分食っていけるレベルになりつつある。
最初はオタク向けのアニメやマンガ商品をアフィしてたのだが、アソシエイトの売上を見て、ネトウヨや反ワク向けの商品を売るようにしたらこちらのほうが儲かるようになった
それから意外なことに投資関連の本がよく売れているし、オタキングの映像コンテンツなども売れる。とくにオタキングは単価も高く利用率もいいのでとても助かっている。
最近は自分でウソのフェミたたきを作らなくても勝手におれに都合のいいフェミたたきの記事がザクザク投稿されるのでとても楽だ。
君たちのおかげで今日もご飯がうまい。
ありがとうありがとう
]]>テレビはチャンネルは選べるが、時間帯や、CMを選べず、コンテンツ自由度が低い。リテラシーが低かったり、考えることが面倒な人は逆にその不自由さが最適だったりもする。
NetflixやYouTubeはというと、ある意味では選び放題、見放題、常に追加され続ける選択肢、時間は自由、金払えば不要なCMが入らない、メジャーではない情報も多く含まれる。「見ない」アピールをするにしても、テレビを見ないとは全く違う価値観が持ち込まれるだろう。「映像コンテンツなんて非効率的」とか?
]]>B. 映像コンテンツなのだから可能なかぎり映像で説明すべきである
C. 長々と説明が続くのはつまらないので避けるべきである
考えられるのはこのあたりか。
Aについては「不自然な演技は悪いのか?」という問題に派生する。
Bはその人の信念にすぎず、他人に押し付けるべきではない。
Cはどちらかと言えば「長台詞」の問題である。説明台詞は「長々と説明する台詞」のことではない。
Aについてさらに言うと、これは「リアリティ・ライン」と同じようなものだと思われる。
その作品が不自然な「説明台詞」を許容するような造りであればまったく問題ない。
しかし作品全体が「自然さ」を目指すような造りなのであれば、「不自然な台詞」には問題がある。
]]>紙でエッセイ読んでた層が今ネットで読んでるのもまたエッセイ的な何かだろ
エッセイと銘打ってないだけで
テレビがオワコンなってYouTubeに移行しても映像コンテンツの終焉でないように
エッセイってジャンルがオワコンってわけでないやろがい
むしろプロセミプロからパンピーまで全人類がエッセイ発信してるような時代では
話違うけど前増田で遠藤周作のエッセイ面白いってあったから読んだけど面白かった
色んな意味で便所に置く一冊にピッタリだったさんくす
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