はてなキーワード: 弁当とは
※下に述べるものはあくまでも個人の考えであって一般論を語るつもりはないということを最初に断っておく。
突然だが、私はできれば子供が欲しくないと考えている。
自分の中で、「親になるということ」に対するハードルがとてつもなく高いと感じられるのである。
・女、26歳
・兄と姉が一人ずつ
(兄は独身、姉は既婚で2児の母)
・根本的に自分という人間が嫌いで、自信がない。そのため、できれば自分の遺伝子を残したくないと考えている。
私は三人兄妹の末っ子で、どちらかといえば甘やかされて生きてきた方だと思う。
子供の頃の私は、いわゆるいじられキャラというやつで、同級生や友人によくからかわれたりしていた。その延長か、純粋に嫌われていたのかはわからないが、今で言ういじめのようなもの(程度は軽め)を小学校高学年~中学生くらいまで受けていた。
高校や大学は比較的平和だったが、就活でつまずきフリーターとして過ごした時期があり、やっと決まった正社員としての仕事でも、お局から嫌われモラハラに近い扱いを受けている。
ここまでくると、自分の人格には、他人に嫌われやすい、また下に見られて虐げられやすい要素があるということが嫌でもわかってしまう。
子供は一人で産めるものではないし、どんな人間になるかは結婚相手(子供の父親)にもよるだろうが、私から産まれてくる子供(今のところ予定は全くないが)には、生きづらい思いをさせてしまうのではないだろうかと思わずにはいられない。何せ母親が生きづらいと感じながら生きているのだから。
また、フリーター期間は将来に対して全くと言っていいほど希望がもてず、生きるのか辛くて仕方がなかった(今もたいがい生きづらいが)。自分の弱い部分や悪い部分を責めに責めたのだが、そんな時に私は、禁断の考えに至ってしまった。
「なぜ両親は私を産んだのだろう」
「両親の子供には既に兄と姉がいて、兄は大企業勤めで、姉は素敵な人と家庭をもち可愛い孫もいる。それで十分じゃない」
「私を産む必要はあったんだろうか。そうでないなら、産まれてこなければよかった。彼らが私を産まなければ、こんな思いをすることはなかった」
…ひどいことを考えている自覚はもちろんあるし、思っても両親に伝えたことは一度としてない。しかし、私はそう思ってしまった。両親がたくさんの愛情やお金や手間をかけて育ててくれたにもかかわらず。
こんな自分が子供を産んで育てたところで、その子が「この世に産まれてきてよかった」と思える気が全くもってしないのである。
・経済的にも、人一人を赤子から一人前に育てあげられる気がしない。
子供一人を育てるのには、最低でも1,000万、進学パターンによっては2,400~3,000万程度かかると言われている。
これも結婚相手の職業や年収によるが、よほど高収入の方でない限り専業主婦にはなれないと考えている。むしろある程度稼ぎのいい方と結婚できたとしても、仕事は続けていって何かあった時のために少しでもお金を貯めておきたい。ということで共働きということになる。
ここからは単純にお金がないという問題ではなくなるが、私自身仕事・家事・育児を毎日こなしていける自信が全くといっていいほどない。
昔から要領が悪く、料理などは時間がかかり、掃除なども手がつけられず気がつけば部屋が散らかっていることが多い。そんな人間に、働きながらの食事の支度(朝晩、お昼のお弁当)、後片付け、洗濯、片付け、掃除、その他もろもろが務まるだろうか。それだけでも不安なのに、その上子供の世話があると思うと…世の中の母親たちは本当に魔法使いか何かなんじゃないかと思ってしまう。それくらい大変なことを、彼女たちは毎日のようにこなしているのだから、尊敬せずにはいられない。
もちろん結婚相手にも家事育児に協力してほしいところだが、よほど相手に理解が無い限りは、女性である自分が、妻として母として家事育児を多めに、場合によってはほとんどを負担することを覚悟しておかなければならないだろう。「家事や育児は女がするもの」という、日本の一昔前の価値観をもっている人は、若い世代(特に男性)にも意外と多い。
また育児休暇や時短勤務といった子供がいる職員のための制度は、女性に対してはある程度認められる企業も増えてきたが、必ずしもきちんと機能しているとは限らない。また、男性に対して認められる企業はまだまだ少ない(制度上はOKでも前例が極めて少なく、定着しているとは言い難い)。
そして、子供ができると、保育園探し、節目節目の行事ごとの準備、習い事、進学の準備…と、とにかく子供関連でやるべき事が次から次へと降ってくる。それに関しては決して面倒だと思うわけではなく子供をもった以上は必要不可避だと認識しているが、それらすべてをこなしていけるとは現時点では到底思えない。きっと、完全なる自分だけの時間はなくなってしまうと思っておいた方がいいだろう。
長くなってしまったが、経済的余裕の無さや自分に分不相応の多量のタスクは精神的余裕が失われる原因になり、子育てにも悪影響を及ぼす(怒りっぽくなる、子供の話をしっかり聞くだけの余裕がなくなる、など)のではないかと考えている。我が子を育てあげるつもりでいるのが、我が子をないがしろにしてしまっては元も子もない。
最後になるが、私は「親」として生きる人々のことを心から尊敬している。
私は親になったことはないが、それらが決して容易なことではないということくらいはわかる(周囲の「親」として生きる人々に対しては、できるだけ力になりたいと思っている)。
そして、そう思うからこそ、自分が子供を産み育てる覚悟ができそうにない。
親戚などに、結婚は、子供は、と聞かれる機会が多いこの時期に、心の中で引っかかっていたことを言語化してみた次第である。
ここまで読んでくださった方には、こんなことを考えている人間もいるのだということを、心の隅に置いておいていただければ幸いである。
新人ちゃんと二時間仕事×2日、というのだけで疲労困憊となる。新人ちゃんのせいというより、おそらく相棒のせいだと思う。
相棒は、今まで一緒に楽しく過ごしていた人が目の前にいなくなった途端に、その人の悪口を言う癖があって、私の前では店の従業員全員を悪く言うから、きっと新人ちゃんにも私の悪口しか言って無いのだろう。
仕事の相方として、ほどよく接する程には大人でコミュ強な新人ちゃんだが、言葉の端端にちょっと棘を隠し切れてない。グサグサ来るけどこっちの方がずっと歳上なので、気を使わなければならず、ヘトヘトになる。
昨日は二日ほどは暇ではなかったけど暇だったので、また掃除にのめっていたが、無能の働き者としか評価されないのだろうなぁと思って憂鬱な気分でやっていた。
『ラブライブ』の一番くじが物凄く売れていない。これは去年の『モンハン』や『プーさん』並みに長期居残りの予感。アニメ系はゲーム系とかよりは強いのかと思ったけど、そうでもないのかなぁ。
当店の常連客の中に、一人だけラブライブにかなり課金している若い男性なお客様がいるのだけれど、その人は最近とんと見かけない。年末年始は実家に帰省中なのだろうか。
イケメン正社員氏のことを大好き過ぎる常連のお客様が、一番くじを引くのを趣味にしているのだけれど、今回のくじが売れないのは景品にフィギュアが入ってないからじゃないかと分析していた。
そのお客様は、ワンピースとドラゴンボールの一番くじを引いて、ゲットしたフィギュアのうちのダブりをホビーショップに売ったら、一体四万円で売れたと仰っていた。
この二作は年齢性別人種国籍関係なく人気があるので、あっという間にくじが捌けた。
新人ちゃんが帰ってからは店長と四時間仕事だったけれど、店長は事務所にお篭りしてしまうので、私は解放された気分で労働に励む。
二日の日も19時以降は普通の日と変わらなかったけど、昨日もそうで、すごく暇という事はなかった。
けど、これでやっとお菓子のゴンドラ一列と、パンと弁当の辺りが綺麗になったので、自己満足感いっぱいでいい気分になる。
私が労働に励んでいたら、いつの間にか店長が出てきて、お菓子のゴンドラの前で立ち尽くしていた。店長だけでなく、プロアルバイター氏とかイケメン正社員氏とかも、よくそこら辺に立ち尽くしているけれど、何がそうさせるのか、よくわからない。前にイケメン正社員氏がそこに立っていた時、
と言っていたけど、立ったまま寝やすいポジションなのだろうか。
交代の時に、準夜勤の姐さんに、暇だったから掃除ばかりしていたと話したら、
「おー、ありがとう」
って言われた。よかった。
ドラゴンクエストビルダーズ2というゲームをやっていて、鉱山の島のパートまで来た。
大雑把に言うと、廃れた鉱山を復旧してゴールドラッシュ時代の賑わいを取り戻す、みたいなストーリーなんだけれども。
ムキムキマッチョの荒くれ者が集う中で紅一点の女の子のキャラクターがいる。
何がキモイかっていうと、荒くれ者がこぞってこの女の子に夢中なのだ。
いやまぁ紅一点だから人気なのはわかるけど、その表現がキモすぎる。
女の子のバニーを見るために頑張る(しかも「本人も案外乗り気」という設定にして保険をかけている)とか、最初は復興に乗り気じゃないけど可愛い女の子がいるなら協力しようかなとか、オムツの頃から知ってるとか、主人公が女の子にもらった弁当の残りをくれって言ってくるとか……
女の子本人とその父親がいる前でそんな茶番を繰り広げている。たまに入るギャグパートみたいなのではなくて、常にそんな感じ。
ごめんごめんお正月三ヶ日までは広瀬すずでいさせてちょんまげ。
まあそんなわけで、
いつまで続くんだよ!って
お餅食べ過ぎ注意よ!
で3学期はじめの始業式にお餅何個食べたぜ!って自慢の嵐になっちゃうわ。
まあそんなことより、
初夢なに見たでおなじみの
今日2日なんだけど、
そんで毎年恒例の初詣は、
近所の神社に行ってきたんだけど、
お参りの人で超長蛇の列よ!
参ってるってレヴェルじゃねーぞ!って言っちゃいそうな
お急ぎの方は正面横2箇所に設置した臨時鈴緒でどうぞ!ってあるのよね。
そっちには全然列をなしてなくて、
神社境内の参道の下の階段からの大勢の参拝客でどうしようかと思ってたけど、
お参りは諦めて境内でも見に行こう!って上がっていったら、
その臨時鈴緒見つけたのね。
最後まで諦めたらそこで試合終了ですよ!って諦めなくてよかったわ、
そんないい加減使い古された、
そんなわけで、
思ったより速くお参りできたから良かったわ。
さすがに鮮魚の港入りはないようで、
鮮魚コーナーは全滅よ!
もう盆と正月が一気にきたような、
私は買わなかったけど。
でもきっとカリフォルニアから逆輸入されたでおなじみのカリフォルニア生まれの和食風味の
ITAWASAにしたらきっと美味しいかもね!そうかもね!って思っちゃったわ。
今年から樹木希林さんのお正月を写す世相テレビCMがもうなくなっちゃってたのも、
さすが女優ねって。
私もそんな風に、
もしくわ、公共広告機構のようになりたいなって。
お参りした時お願いしたわ。
車内でこっそり食べたいわ。
2つ目に食べるお弁当は、
今はじめて食べる1個目のお弁当ですけどってそんな涼しい表情で。
そう崎陽軒ならね。
うふふ。
ピッザトーストで私の心のヒーローにリスペクトしてカワバンガだわ!
2枚平らげちゃった!
みんなも真似していいわよ!
メモってそしてコピっていいわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
【中学受験】
動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。
小学校は東京郊外の私立に通った。いわゆる東京の私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針を実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスもひとつしかなかった。
私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいつしかその子に好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。
五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任の先生と相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生の一言だけで私は世界が広がった気がした。
学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家の一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由な校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。
好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家が第一志望となった。
塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生は塾長と奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。
塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。
大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段の学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったからお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリの偏差値をいつも取っていた。
そんなこんなで中学受験。第一志望の受験日は2月1日。受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼの学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任や塾長の言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。
手ごたえはあった。得意科目は算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク。
【大学受験】
東大を受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。
はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践したかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法を模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。
私が中学の頃に父は長年勤めた会社を早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費と生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験の意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。
幸い有数の進学校には通っていたので、目標を東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。
ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間だけが過ぎていった。
願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である。
余談だが、父は学生紛争で東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。
結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験は合格者平均を大きく下回っていた。二次試験の数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。
【大学受験2】
東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。
私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校も卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。
就職か浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。
浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。
後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強と試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校の教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。
この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議と二次試験の過去問も解けるようになった。
結果からいうと、私は当時の前期日程試験で不合格だったが、後期日程で理科一類に合格した。
前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要な試験が少なく、私の場合はほぼ英語と数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。
試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語が会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ちで試験を終えた。
結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分の体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。
こうして私の受験は終わった。
【最後に】
小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家に合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。
受験は競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較でしか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間や環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分の選択からしか生まれなかった。
正月の受験生たちに、あけましておめでとう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2018/12/19/213543
指摘されてる方もいるが、本来「給食も弁当も選択できるのにその機能がうまく働いていない」問題なのに、
『「給食か弁当か」問題』なんてキャッチーにすり替え(むしろ捏造ですらある)られて
「そんな問題があったのか!酷い!」ところっと洗脳されて絶賛されていらっしゃる。
そろそろ学習しないの?
大多数はコンビニ弁当かパン(パン屋が高校の近くにあった)買って食ってたけど
(学食は狭くて内容もショボいので行く子は少なかった)
高校生でも弁当でなければ肩身が狭いなんて所も世の中にはあるのか
めんどくせーな
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2018/12/19/213543
なぁなんで現状でどちらでも選択できるのに『「給食か弁当か」問題』なんて言っちゃうエントリに同調しちゃうわけ?
>なぜなら、男性たちは、女性にさせるケア労働には、無駄に手間をかけることを要求するけれど、いざそれが自分の仕事になった途端、問題解決能力の高い男性らしく、効率的かつ合理的な方法を選択するであろうから(笑)。
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1812/13/news120.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2018/12/19/213543
この手の話って、議員(自治体)側の本音は単に「予算がない」であって
「お母さんの愛情弁当が云々」と言うのはただの言い訳である、と思ってたけど。
記事内でも出てるけど
また、財源についての質問も。都内26市の自校調理の場合、将来負担比率は17%超と高くなっている現状があります。一方併用制(選択制)では平均3.1%と、財政的な負担は減るのは事実です。「請願という形で理想を示してくれるのは大事。ただし、借金を残してでも自校調理をやっていきたいという思いがあるのか?」――と、財源に関する議論がなされるべきという意見も上がりました。
旦那がゲームがうまいと思っているので嫁は適度に苦手キャラをつかって相手してあげる
旦那がキャンプ好きらしいので嫁は「パパのつくった燻製は売ってるのよりおいしーい!」という
旦那と旦那の見たい映画を観て嫁はあとで一人で本当に見たい映画にいく
旦那と登山に行ったら寒かったのであとの洗濯とか靴磨きは私がやってあげるから今度から一人でどうぞ~あっ写真はたくさん撮ってきてねという
旦那が車のつぎにバイク買いたがってるのに職場で「バイク事故!コンプラ!乗るな!」っていわれてスネてるので私の電動機付き自転車に載せてあげるといって断られる
旦那がスポーツを趣味としてるので子供もスポーツ少年団やりだして弁当と応援がめちゃ大変
旦那が漫画好き、小説好きで一緒の本読めて本棚と本代は楽になった
てな感じ
人生、得意分野を分担したほうがいいよ