はてなキーワード: 塗り絵とは
一昔前に超解像とか流行ったが、モザイク処理は基本的には不可逆変換なので原理的に完璧なデータ復元をすることはできない。塗り絵した後に黒のインクをぶちまけてしまったら元の色を復元できないのと同じ。なので何か事前情報が必要なわけだが、実際のところモザイクの下には男も女も性器があるだけなので、変に超解像でモザイク下を推定するよりはモザイク上から性器の大きさを推定して角度を考慮しつつ上から貼り付けるみたいな作業をしたほうが筋が良さそう。
つまりモザイク破壊とは我々の性器以外を特徴として入力し、性器の大きさを推定する問題と捉えることができる。例えば顔からイチモツや女性器の大きさを推定するみたいなことをやれば良く、ここまでくるともはやモザイクである必要すらないから、街中を歩いている人の顔や体格から性器を推測し、突き詰めればリアルタイムで街中を歩く人全ての裸体を出力させることもできるようになるだろう。
スーパーなんか行くと子供がアンパンマンを好き放題にクレヨンで塗ったものとかが飾られてるじゃないですか?
”アレ”と一緒ですよね?
本当に当時の人がそんな色だったんですか?
「なんとなくこの人は美人だからもうちょっと色白にして頬はピンクにしようかしらなんて。こっちの男性は見るからにセンスが無さそうだからシャツの色もケバケバのピンクでいいよね」
それを当時の情景に思いを馳せる貴重な資料扱いはやっぱ違うかなって。
まあエンタメだったらそれでいいんですけどね。
『一度減衰された情報を、増幅するか減衰するか』ってのはそれがどういう分野の資料なのかを決定づけるファクターの一つだと思うんですよ。
信頼性の高い情報でありたいなら減衰されたものは減衰されたままにするべきだし、信頼性よりも面白さや分かりやすさ重視だって言うならそれはそういう路線のコンテンツとして扱われるべきなんです。
タイトルで10割なので読まなくてもいいけれど感情のやり場がないのでここに置いていく。
生きた時代(まだ生きてるけど)の価値観によるものも大きいのかもしれないけれど、だからと言って周囲の人間に迷惑をかけていいわけでもない。
幼少の頃、私から見た祖父は几帳面で割と優しい印象だったと思う。
ご飯前に手を拭かなかったり、脱いだ靴を揃えなかったり、開けた戸を閉めなかったりすると怒られた。買い物について行くとよく本や塗り絵を買ってくれた。このお陰で読書の習慣がついたのでそれには感謝している。
成績は悪く無かったし褒められる自信はあったけど、それでも「もう少しだな」と言われた。祖父は結構努力して公務員になったらしいので、そう言われても仕方ないのかなと思っていた。
まだ年若く、同居もしていなかったので家族や親戚周りの内情をよく知らなかった。おそらくは両親や祖母が負の側面を見せないよう配慮してくれていたのだと思う。
私が30に差し掛かった数年前、祖母が亡くなった。祖母は施設に入らずに祖父が面倒を見ていた。足も悪く認知症も患っていたが祖父が施設に入れることを渋り、自分が面倒を見ると言ったらしい。その頃祖父は少し耳が遠くなっていたが、祖母のために筋トレグッズを自作したりしていたのを見て、仲が良いんだなと思っていた。母が祖父母宅へと通ったりヘルパーさんの助けを得たりしていたようだが祖母は目に見えて弱り、いつの間にかほぼ寝たきりになり、そして亡くなった。
私達家族が葬儀の手配などに奔走するなか、祖父は何もしなかった。霊安室での対面の際も特に言葉をかけることもなく、最低限のことだけ終えてその場を後にした。祖父は補聴器をつける気すらないので決まった事項を説明してから難癖をつけ始める。葬儀はどこだ、いくらかかるのか、この人を呼ばなくてはならない…。この人は年長者として監督してるつもりなのだと思った。働いているつもりの無能という言葉がぴったり当てはまる。
聞けば過去に親戚の葬儀の準備に頼まれてもいないのに口を出し、やんわりと拒否された後激昂して葬儀を欠席したらしい。当時私も参列していた筈だが子供だったので記憶になかった。
気に入らないことがあれば激昂して怒鳴り散らし、物を投げようとする。祖母や母に対して行っていたらしい。身の回りのことも祖母が全てやっていたため、祖父に生活能力は全く無かった。
昔の価値観で言えばよくいる親父なのかもしれない。だが、私はあんなに献身的な祖母に愛は無かったのかと愕然とした。泣かなかったし、何も言わないし。
結局体面なのだ。外面は良く、お人好しだと周りから言われていた。自分より格下の相手(年下や女性)に怒鳴り散らせば意見が通ると思っている。自分は公務員だったから、年長者だからといったゴミみたいなプライドが根底にあるのだ。祖父本人の激情家な性格と年功序列、男尊女卑の時代が合わさってこんなモンスターが生まれてしまったのだと思っている。
墓参りなども、祖父の視界に入らない所でやった事は「していない事」として扱われる。手を合わせるのも、水をかけるのも、やっていないとみなされ激昂する。手を合わせにきてくれた親戚や周囲の方に申し訳ないと思う。
隣人トラブルもままあり、その度に両親が謝罪に回っている。あわや障害沙汰になりかけた時もあったらしい。それもこれも、自分が組長をしていたというプライドからくる上から目線が元凶だろう。
祖父にとって祖母も母もただの召使いでしかない。葬儀の際に1番奔走した母に感謝の一言も無かった。恐らく自分はちゃんとした生活を送れているという自負があるため絶対に施設には入らないだろう。しかし家族にも手に負えず、両親の愚痴は絶えない。加齢による認知機能の低下も一因ではあるのだろうが、本人が生きてきた価値観や気性に依るところが大きいと感じる。
そんな祖父に怒りを覚えるが、この人は歳を取って疎まれて逝ってしまうのだと思うと何とも言えない気分になる。少なくとも私にとっては私の人格形成に関わった人であり、祖父が本を買い与えてくれなければ今の私はないと思っている。正直両親の愚痴を聞くのも心苦しい。
祖父のモンスター化を止められなかった我々の責任なので甘んじてこの状況を受け入れるしかないのだろうけど、割り切れない感情に苛まれている。
ウマ娘プレイ開始して約40日。駅メモにログインしなくなって40日がたった。駅メモは2015年から6年間プレイしていたが、もういいかな。
ウマ娘は最新鋭のソシャゲである。鉄道車両に例えたとき、ウマ娘はリニア、対する駅メモはキハ120。しかも芸備線とかあの辺を走ってるボロボロのやーつ。保線サボるために時速25キロ制限区間を設けてるっていう。
6年間ずっと駅メモプレイし続けてわかったことは、駅メモの運営は鉄道に興味がないということ。運営スタッフ全員が鉄道を好きになるということはまったく必要ないと思っているが、最低限、業務で必要な知識は仕入れてほしいよ。
なんだよ成田エクスプレスという路線は。西船橋からのデルタ地帯はどこいった。浅草[その他]ってなめてんのか。
野球ゲームやアイドルゲームの運営スタッフで、野球やアイドルに詳しい人が一切いないということはあり得ない。なぜならゲームとして成立しなくなるから、ゲームが破綻してしまうから。一方で駅メモの場合は、鉄道に詳しい人が居なくても成り立ってしまう。基本のゲーム部分はすでにできてるから、更新された路線データをコピペしたらそれでおしまいだからね。
駅メモのゲームデザインは実は題材を鉄道に限る必要ないんですよね。たとえば終末戦争後の日本を舞台にして、数少ない資源を奪い合うというデザインにしても通用しちゃう。スポットを駅から変更して適当に配置したらそれで完成だ。
キャラクター周りも雑すぎる。スト全盛期の国鉄職員の方がまだ丁寧だ。5年くらいずっと新規立ち絵をリリースせず、狂った関節や照明が異次元な塗り絵で、ガチャを引かせるというソシャゲにあるまじき体制であった。初ソシャゲが駅メモという、萌え絵に馴染みの無い乗り鉄おじさんたちがユーザーに多数いたので、とくに文句が噴出してなかったようだが、それももう終わりやね。というか、ストーリーの背景が無しってあり得ないだろ、そもそも。
エクストラシリーズっていう、無償石では入手できないキャラたちがいるんだけど、もう恒常のキャラクターとだいたい数が拮抗してきてて、コラボキャラを除くと、もはや駅メモ全体のキャラクターの半分が課金必須のエクストラシリーズという、どのソシャゲよりもえげつない集金体制なんだよね。じゃあ壊れ性能か?人権か?って言われたら、別にそんなことはなくて、エクストラシリーズなくてもランカーなれるし、じゃあキャラクターかわいいのか?って言われても答えに窮するくらい。頭身がおかしかったり、巨頭オみたいなやついるし、モアイ顔とか首が曲がってたりとか、ちょっとでも他所のソシャゲを触ったことのある人なら、違和感だらけなんよ。
駅メモのゲームシステムを開発した功労者である、しるしるっていうスタッフもかなり前に退職しており、2015年あたりからの古参にとっては、今の駅メモに残留する意義ってないんですよね、実は。
功労者を追い出して駅メモ運営に迎え入れたのが、産まれて早々無事死亡したレキシトコネクト…さん?でしたっけ?非常にしつこい。死んだソシャゲのキャラを大量に、コラボキャラとしてガチャ入りさせるという、ソシャゲにあるまじき体制なんよ。
あと駅メモには別鯖ではなく、まったく同じの内容で3つ駅メモが存在するんですよね。コロプラ版・アプリ版・アワメモ版。アプリ版が1番人多い。会社間の関係でコロプラ版が存続してるのは、まあ仕方がないけれども、問題はアワメモ版。こいつは運営がブロックチェーン技術をひけらかしたいがために、産み出されたクローンの駅メモ。中身はまったく同じで、ブロックチェーン技術を用いてリアル課金、利用者のお金を直接ゲーム内に投資するというモノになってるのだけれども、ブロックチェーン技術はあくまで何かを達成したいための手段であって、目的ではないわけ。手段と目的を履き違えてるんよ。当然ながら、中身が同じで集金兵のために作られたクローン駅メモなわけだから、3つの駅メモの中で最も過疎。ほとんど廃墟。終末戦争でも起こったのかと思うくらい。ヤバいわよ。
モバマス・怪盗ロワイアル時代に産まれた生きた化石なんだよね、駅メモって。大宮の鉄道博物館入りしなくてはいけないレベルなんだよ、本来は。なぜか位置ゲーム国内シェア第3位を取っちゃってるせいで生き延びてるけど(これは罠で国内の主要な位置ゲームは3つくらいしかない(他はポケモンGOとドラクエウォーク))。
話を冒頭のウマ娘に戻すと、ウマ娘の影響で既存のソシャゲなどがほぼすべて打撃を受けている。デレステシャニマスミリシタ、原神ブルアカ、FGOプリコネグラブル、パワプロとか、Vtuber関連もそうか。名だたるソシャゲやコンテンツが、死産確定という下馬評だったウマ娘に客をとられ喘いでいる。高クオリティの3DCGと完成されたゲームシステムであるウマ娘をプレイしてしまったら、仮にウマ娘に飽きたとしても、もう元のソシャゲには戻れないだろう。ゲームならCSにいくしかない。あるいはゲーム以外の趣味にいくしかない。そういった出遅れウマ娘の大外からの追い込みで、他所の運営がひいひい言ってるときに、なんだ駅メモは?背景無しのストーリー、悪質塗り絵の課金ガチャ、鉄道ゲームなのに鉄道に興味のない運営、コロナ禍でただいま4月17日現在、大阪を中心に感染者数が爆増してる中でイベントを中止せず続行している体制、はっきりいって異常だ。なぜそこでまともな運営をしない!?できないのか!?したくないのか!?する度胸もないのか!?荷物をまとめて五反田に帰れと言いたいですね。もうね、アボカドバナナかと。コロナ第4波でイベントを中止しないのはおかしいと、もそもそ苦言を呈しておきます。
それでもなお、今から駅メモを始めたい人には注意しておきますが、電車で駅メモするときは後ろに気をつけておいてください。リアルストーカー事案や盗撮被害も過去に何度もありましたので、気を付けてください。わざわざ駅メモしてる画面を覗いてきて、くちゃくちゃわけわからんこと話しかけてくる変なおじさんもたくさんいますから、本当に気を付けてください。
父親の学歴、仕事内容、年収、幼少時代や若い時・現在のエピソード、両親の馴れ初め、考え方や価値観…etc
を何も知らない。
仕事内容は詳しく知らないけど会社と部署は知っているので大体お察し。なぜかというと名刺をコッソリ見たから。さすがに年収は子供に教えなくてもおかしくはないとは思っている。厳密に言うと学歴はこれまたコッソリ卒業証書を見たので出身大学は知っている。
お察しの通り「機能不全家族」ってやつだ。
小さい時は仲が良く可愛がってくれたけど、いつからか会話をする事もほぼなくなった。
聞けば答えてくれるのかも知れないが、聞いたことはない。
母親に聞けば?と思われるだろうが、これまた微妙な関係なのだ。
パーソナリティを何も知らないので家族としての無条件の愛とか情みたいなものがない。でも暴力や暴言みたいな虐待をされた訳でもないので嫌いでもない。
逆に彼は私がピンチの時に命を投げ売ってでも助けようとしてくれたりするんだろうか?
謎である。
小さい時にキャラクターの絵をリクエストしたら何も見ずに描いてくれて、それが大層上手かったので驚いた。
絵上手いんだ、小さい時から描くの好きだったのかな、みたいな。
陰キャっぽいのに学生時代の友人(男女)と楽しそうにしてる写真を見たり、運動神経良さそうだったりが垣間見えるとなんかギャップ萌えしたりもした。
人生においてのアドバイスとか役立つ話もしてもらった記憶がない。
いや、唯一してもらったのは
という話だけである。
私は一生このアドバイスを守り続けるだろう。
いや、塗り絵する機会なんてもう無いけど。
たまたま仲良し家族で育った人のブログを見て羨ましくなったのと、他の人ってどうなんだろうと思った次第。
親の事、どのくらい知ってますか?
「シン・エヴァンゲリオン見に行こうかなあ。」と言ったら、「Q見たの?」と妻が聞いた。「見てない。序、破も見てない。」と言うと、「えっ、エヴァンゲリオンの映画ってそんなにあるの?」と妻は驚いた。Qは知っていたのに。何を知っていて何を知らないのか。
私もエヴァンゲリオンのことはぼんやりとしか知らないが、序、破、Qの続きがシン・エヴァンゲリオンだと認識している。妻は「そのジョ、ハ、Qだけ見ればシン・エヴァンゲリオン見られるの?だったらジョ、ハ、Q見る。」と言った。
一緒にアマプラで序、破、Qを見た。見て、いろいろ疑問は浮かぶのだが、その疑問に答えはないような気がする。エヴァはそういうイメージだ。妻も「これ何で?」と聞いてくるが「さあ。」と答える。見終わって、妻に「テレビ版を見よう。」と提案した。妻は「えー。」と渋る。私は昔、テレビ版を見たことがある。リアルタイムで終わってしばらくして、一挙放送の特番があったときだ。最終回付近で「こりゃ確かに意味不明だわー。」と思った。それがなかったのである。序、破、Qだけ見ても。序、破、Qも謎は多いが、サラーッと流れていってしまった気がする。テレビ版の「何じゃこりゃ。」感がない。それを妻に味わって欲しかった。
土日、Netflixでテレビ版を見た。妻はそこまで興味がなく、鬼滅の刃の塗り絵をしながら見ていた。23話で時間切れ。今日か明日にも残りを見ようと思う。
模写
右脳で描く
自分の描きたい絵柄が違っても骨格、筋肉は無駄にならない…、と思う
あと石膏デッサン、といっても石膏像でなくて代わりにフィギュアでもいいと思う
日本の漫画やアニメみたいな絵が描きたいのなら立体にウソを適度に混ぜて描くので、
そこに記号(立体としては破綻しているけどこう描くもの)をいい感じのバランスで混ぜる
というわけで、まずは模写ではないかと
あとは幼児用の塗り絵を本気で(レンブラントとか)光学的に考えて塗ってみるとか
漫画やアニメで絵が上手い人も意外と古典的な名画とかのうんちくも多く持っているものだと思う
自分が描きたいものにとらわれない広い視野も大事だと思うけど、
知らんけど
ごめんなさい、比喩的な表現がうまくわからないのでお伺いしてもいいでしょうか。
・人間の基本的な感情をベースに相手の個性はどこに対応するのか塗り絵していく
基本的な感情というのはいわゆる喜怒哀楽のことですか? 別のものですか?
仮に喜怒哀楽とするのなら、それをベースにして相手の個性を塗りつぶすとはどういうことですか?
人の個性をパターン化しているとすれば、そのパターンの一例を教えてもらえると嬉しいです。
・思考ではなく観察
思考せず観察するという表現は矛盾しているような気がしますが、観察に重きを置くという趣旨での発言とお聞き受けします。
観察するというのは相手に対するどのような部分のことに対してですか?
私は会話などのタイミングで対象を観察しながら何かをするというのがうまく出来ない(観察するのであれば観察に注視してしまい、会話や行動などを取ることがうまくいかない)のですが、どのようなことに気をつけているかお伺いしてもいいですか?
件名のような気持ち (注:正確には 「コンピュータ支援などを使ってもいいから、自分の心の中のイメージを思い通りに絵で表現するような体験をしてみたい」 というような気持ち) を知人に話したところ、それは生業として絵に関わっている人(知人はそうであった)にとって侮辱であり、唾棄すべき考えである、というような答えをもらった。
たしかに知人相手に、絵を例に挙げてしまったのは、いささか無神経であったかもしれない。
しかしながら、いくら議論をしても、私はこの気持ちがなぜ否定されるべきものなのかわからず、知人もなぜそのようなことをして嬉しいのか理解できない、という平行線だった。
私の主張をまとめておきたい。
以下、それに対する知人の考えを、断片的にではあるがまとめておく。
ただし、私の乏しい理解度により、知人にとっては不本意な内容になっているかもしれないことは承知願いたい。
これに対する私の考えはこうである。
後者に関しては私もそう思う。体験提供においても、単なる一方的な映像提示でなく、自分が起こしたアクションが世界に影響を与えて返ってくる、というインタラクションが大事だと思う。
とりあえずこれで終わりにしたいと思う。多分この会話は、上記に書いていない導入の部分から、すでに互いにすれ違いがあったような気もする。
私は最後に、知人に対して、絵を例にあげてしまったことを詫びた。
私自身も、絵や美術的なことに関して憧れがあったが、他のことへの鍛錬を積む代わりに、絵には何もしなかった経緯がある。
それによって成したものもあり、現状に納得はしている。
それでも素晴らしいイラストなどをみると、もし私もこのように、心の中にあるイメージを思い通りに絵にすることができたら、どんな気持ちになるのだろうか、と淡い不真面目な憧れを捨てずに持っていた次第である。
最後に、これは特に知人には言わなかったが、アートやスポーツなども、「そんなふぬけた考えは侮辱だ」などと言わずに、「あなたは私のそこが楽しいと思ってくれるのね、ありがとう」という風に、博愛的に受け入れてくれる心があってほしいな、と思った。
多分消す
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なぜならこの手の技術は中国に移行しつつあるから。彼らは西洋的な手法と中国的な水墨画の感性、日本的な線画をミックスさせた面白い厚塗り絵を出すようになってきている。
韓国勢もうまい。彼らの場合セクシャルな感覚、肉感的な感覚に優れているので人体描写がとて秀でいている。一方で萌としての広がりは日本が圧倒的で、表情やポーズなどの表現力は西洋人が圧倒的。
しかしこれらは日本を飛び越えて混ざりつつある。萌えの宗主国である日本の発言権は多分将来的にとても小さくなる。だからうちらが萌えの中心なんですよ、漫画・イラストの中心なんですよ、というアピールはやっておいたほうがいい。
なんにせよ日本人はアピールせずに黙るのが美徳という風習があるから(謙譲の美徳は違う気がする)。
とても広い話を言えば、インド仏教がシルクロードを渡るうちにヘレニズム文化と習合してさらには道教と結びついたように、日本等国が宗主であった記憶は少しは残るだろうけど。