はてなキーワード: 合金とは
彼らはこの土地に埋もれた無尽蔵のペリック(Perik)鉱石を製錬する技術に長けており、日常生活においてもそういった文化の影響がしばしば認められる。
イウ(Yew)半島南方の平地に住む原住民の一派は、仲間の死に際してその亡骸を伝統的な手法で丁寧に洗浄し、毛髪や爪、ある種の内臓を取り除いてから鉱石と共に鋳る。
彼らの死はいつからか数え上げられており、十三の倍数にあたる死者は七人を一単位として特別大きな炉に並べられる。
然るべき日になれば、サグ(Shagg)と呼ばれる希少な鉱石とペリックを同時に鋳るための燃料となるのである。
古来、このように作られた合金は、季節の変わり目に豊作を願うのに用いる長い鎌などの祭具に姿を変えていたが、現在では魂の回収を行う際の触媒として有用だと広く認知されたため、ほとんどが中央政府に納められている。
私の所持している機械式腕時計は2本で、メインの時計は誤差が日差+8秒でサブが+10秒。
実際のところ、この誤差はまだ許容範囲でこのレベルの製品としては満足できるレベルだが、
現状一週間に一回は一分の誤差が出てしまう。
これがApple Watchだったらどうだ。
数秒単位ならともかく、一週間で一分ズレる製品なんて不良品以外の何物でもないだろう。
私が所持している時計に誤差があるからといって、全く不良品とは思ったことがない。
そこがApple Watchと機械式腕時計の違いなんだと思う。
私はApple Watchを持っていないのでなんとも言えない。
あえて言えることがあるとすれば、ケースの作りがなかなか良いねというくらいだ。
話を戻そう。
機械式腕時計にはやはり誤差が生じる。
なぜか? それは地球の重力や部品の摩耗が原因で規則的に動かなくなるからだ。
ヒゲゼンマイと呼ばれる部品が弛んでしまうと精度が落ちるからで、
今でこそ合金化されていて一応は耐性があるが、昔の懐中時計の頃はそんな加工技術もなく、目に見えるほど弛んでしまう。
なので時計の姿勢差というのは、ブランドごとの品質管理の上で重要な要素となっている。
高級時計ほど姿勢差のスペックは顕著に出てくるし、コスパの良い時計の"パフォーマンス"はこの姿勢差だったりする。
これはデジタルガジェットには無い項目だと思う。ぶつけた時にガラスの強度が凄いとかそういうのくらいじゃないのかな。
全ての時計が、文字盤を上にして水平に置いた状態が「その時計の完璧な状態」ではないことに注意してほしい。
上に書いた姿勢差だが、時計によっては置いた状態で姿勢差がだいぶ違ってくる。
そして、その時計にとっての完璧な状態なんて誰にも分からない。技術者でもそれは結果論からじゃないと導き出せない。
縦に保管した方がいいのか、裏向けにしておいた方がいいのか個体差があるため分からない。
一応工業製品だから、普通の置き方が一番良いとしかメーカーも言えないのだ。
これを腕に巻いているわけだから余計に誤差が生じる。
この姿勢差を克服しようと開発されたのがトゥールビヨンであり、例えば一部ブランドが心血を注いでいるジャイロ系の機構だったりする。
機械式腕時計はネジを巻かなければならない
機械式腕時計の動力は香箱の中のゼンマイであって、それは一定時間でほどける。
なので手巻き式は文字通り自分の手で巻かないといけないし、自動巻きの時計は普段遣いで中のローター(回転軸)が巻き上げることになる。
ここで注意したいのは、自動巻きであっても時計を持ってブンブン振り回したりするのは禁止な。
やると故障の原因になるからね。自然のチカラでローターを回してね。
自分は複数所持しているので、両方自動巻きだが片方使うともう片方はゼンマイがかなり解けてしまう。
なので、自動巻きであるのにも関わらず、自分は時計を手で巻くことが多い。
でも、それが良い。自分の手で時計を巻く事こそが機械式腕時計の醍醐味だと言ってもいいくらいだ。
自分で巻いて面倒を見る。定刻になるとその作業をする。規則正しく習慣を持つ。好きな物の為に。
自分ぐらいの時計好きになると、時計のカチカチという音とリューズを巻いた時の音が聞きたいから、よく時計に耳を近づけて巻いて音を聞きます。
やっぱり高い時計は巻き心地と音が良いです。 振動音も高振動モデルは聞くと胸が踊る。
あと、自動巻きのローターの原理も素晴らしいよ、実際買った時計もまだ二本目で
利便性を重視せざるを得ないから自動巻きだし、別に自動巻きと手巻きは共存できるしね。
これはムーブメントの製造工程と機械内の装飾の話になってくるので割愛する。
精度を保つ努力をする
機械式腕時計を持つと、精度を気にする用になるのは上に書いたとおりだけど、
衝撃とか磁気とかね。
それをね、気にして使いつつ一年経って精度がどれくらい保持できているかとか調べるのが好きなのよ。
達成感がある。
俺の時計クロノグラフだけど、今4年目で+8秒なわけよ。だいぶ健闘してるよこれ。
去年までは7秒だったからちょっと落ちたけどそれでもクロノグラフで10秒未満だから満足してる。
こういうのも楽しみだと思ってる。
腕時計には専用の精度検定機があって、個人でも買えるけど専門店や百貨店でやってくれるから持ち込んでみて。
普通はプラス気味に調整されて出荷されるから、マイナスだったら誤差かなり出てるなあという印象。
何が言いたいかって、デジタルガジェットは動いてるのがあたりまえだけど、機械式腕時計は動いてることそのものに良さがあるんだよね。
動いてるかどうかを面倒を見るなんて本当に生き物というか、そういうのを愛好しているような気がする。
今回は精度の話しかしてないけど、好きな人はケース、文字盤、中身のムーブメントに至るまでこだわりまくってるからね。
そういう話もまた別の機会にしてみたいね。
余計なおせっかいだけど、ネット上でセイコー5ばかりプッシュされてるけどアレは精度悪いよ。
コスパ良いけどさ、いうてそこまで良くもないし。
機械式腕時計の入門の鉄板だけど、それを買うなら、機械式腕時計はまたの機会にしてそれこそ林檎の時計か電波ソーラー時計の方が良い。
じゃあ何がいいかって?話し長くなるよ?
あんなの言論の自由なんかじゃない、ただのレイシストだどうのこうの。
ここでフランスに住むワタクシより、フランス人の言論の自由(個人編)ヘイトスピーチをお送りします。
当時、夫の母は日本を中国の一部と思っていた。(それ、香港じゃね?でもこれ、私の周りでよく聞く話)
始終不機嫌の夫の母にもスマイルな私は「先進国に嫁いで喜ぶ後進国の女」のレッテルを貼られる。
ついでに言葉は覚束ないしあまり喋らないしで、バカのレッテルも追加。
後進国のバカ相手に散々喚いて優越感に浸るフランスのおばさん。
この頃は早口のフランス語を殆ど理解できなかったのが良かった。
夫・私「ふはっ?!」
妻の国は中国じゃねー!って何度も説明してた夫がついにブチ切れた。
夫の母おろおろ、「どこがダメなのかサッパリ分からない」と、ついには涙をこぼす。
後に判明したのは、このおばさんにとってアジアは中国連邦という認識であったこと。共通言語は中国語。60年間維持してた認識を変えるのは厳しかった。
夫の母、どや顔。「どう、これがフランスよ!すごいでしょう!」ムフーーーッ!(鼻息)
「先進国のショッピングモールに喜ぶ後進国の女」…えっ、あっ、それ、私のことか!!!
夫の母に美容師に連れて行かれ、斬新な頭にされる。
後に在仏日本人の間でフランスの美容師の技術力がどう言われているのかを知る。どうりで。
雨が続くと、
夫の母「太陽の祝福を受けたこの地方でこんなに雨が降るなんて!あなたの国では普通のことでしょうけど!」
白米ばかりを食べ過ぎだとか、子どもに母乳を与えるな・フランス語のみで育てろetc.
あくまでアドバイスだと前置きして言いたい放題言うので、話は一応全部聞いて、でも全部言う通りにはしなかった。
ところがアドバイスだった割りに自分の思う通りにしないと延々としつこく絡んでくる(未だに)。
何年か経って夫の実家近辺の住まいから離れた土地に引っ越した(ヤッター!)
引越し先は夫の実家より降水確率が多いと思っていたら、意外にも変わらない程度だった。
私「雨続きだったんですか?うちは昨日も今日も晴れでしたよ~」
これが夫の母の琴線に触れた。
「あんたの家の方角から雨雲が来たに違いない!雨雲はうちのじゃない!あんたのものだ!」と喚く。
「ふぇっ?!」
夫(フランス代表)「誰にでもああなんだから気にすんな。」…確かにいつも夫(政治家)や他の家族(芸能人)とも口論ギリギリの路線。
ある時、夫一家が集まってる時に私の親の話になった。
シャルリー「あんたの親ってさぁ…×侮?€↑辱」
イスラム「はあぁあああーーー?!今何て言った?!!」
イスラム「もう誰にでも同じ態度かどうかなど関係ない。自分が嫌なものは嫌だ」
フランス裁判所(夫)「もうちょっと言葉(表現)を控えるよう」
シャルリー「なんですってーー?!言論の自由よ!自分の思ったことを喋って(表現して)何が悪い?!私は表現する権利を持つ!!表現することの何が悪い!!お喋りは何の罪にもならない、何も変えられない!!お喋りぐらいさせろ!!勝手に悪く受け止めるイスラムが悪い!!」
フランスの裁判所「確かにここはフランスだ。国民は平等に言論の自由の権利を持つのだ。シャルリーの表現には人種差別も悪意もないと解釈できる。シャルリーはただ思いついたことを喋ってるだけ。おしゃべりは無害である。よって、シャルリー、無罪!号に入れば郷に従うよう」
イスラム「ふぇっ?!」
そういう経緯で合法と見做されたシャルリーの表現は留まること知らず。
それどころか「見よ!これが言論の自由というものだ」とばかりに挑発的にさえなった。
「言論には言論で返せ」とフランスが言うので、イスラムも時にはシャルリーに口答えするようになった。そして時に沈黙(無視)。
シャルリーは沈黙が大っ嫌い。自分が蔑ろにされている最大級の侮辱と感じるようだ。(一家全員こういう考え)
シャルリー「自分の言いたいことぐらい好きに言わせろ!!(言論の自由)」←もう耳にタコができるほど聞いたぜよ!
イスラムの言い分「ならば私も言論と表現の自由の権利を行使する!!」
フランス(夫一家)「有り!」
結論:
①表現の自由の権利があろうと相手を尊重する考えに基づいて権利を行使すべき。しかしそもそも尊重がなんたるや分からないor温度差がある相手だと、結局何を言ったって心に届かない。
②権利の平等性を主張して相手の自由度と同じレベルで自分も自由でいれる。つまり、相手の自由を受け入れる真意は自分の自由のため。
③上記二つのこととフランス人の性質などが絡んでモヤモヤ←これがシャルリー・エブドに対してのモヤモヤに似てる。
後日談:
夫の母、滞在中にキョドリ加速。「?!※€!」
夫、露骨にどや顔。「どや、これがワシの妻の故郷や!」(鼻息)
フランスに戻って来てシャルリーXXXL(心も体も)→XL(心のみ)へ萎む。
「イスラムをあの(例の)ショッピングモールに連れて行ったってつまらないに決まってる…(イジイジ)」
と、分かりやすく鼻っ柱が折れておりましたがそれも一時的で、また元に戻りつつあります(シャルリーは形状記憶合金仕上げ)。
それでは、オ・ボワー!
しかし、十六代目まで世代を重ねても何ひとつ成果を出せなかった。
当時の当主、折原直継はヒヒイロカネの実在を疑い、探求を諦めるようかと迷っていた。
ところがある日、直継の夢の中に稲荷大明神が現れてひとつの預言を伝えた。
直継はそれを信じた。
直継は稲荷大明神に敬意を払って狐の鳴き声から、その女児に「紺 (こん)」と名付けた。
当時の鍛冶師は神職の一種で女性が携わることは出来ないのが建前であったので、表向きは男児として扱った。
紺は確かに優秀であった。
そして紺が二十歳のときにはヒヒイロカネの性質に近い金属の精製に成功さえした。
その金属はヒヒオルカネと名付けられ、大戦中は重用されたという。
大戦後は物資が不足したということと、直継が戦火に巻き込まれて死亡したからである。
婿は海産物の研究家であったのだが、海水の成分についての成果が合金の精製に応用できると気付いたからである。
そして更に十年、ついにヒヒイロカネが完成した。
義母から夫に、バレンタインプレゼントが送られてきたので、お礼の電話をした。
話の流れで「最近肩のコリが収まらないんですよ」、と言った後から、急展開。
「すごい磁石がある」、「磁力パワーで水が生き返る」、「一発で健康になる」、「死にかけの人も生き返った」、「私も肩こりが治った」云々。
何からツッコめばいいかわからず、話に流されてみた。聞き取れるのは単語だけ。文章としては何ひとつ、理解できない。思考停止だ。
「アルマイト合金とネオジウム磁石で形成」、「磁束が100億本」、「月々5000円のレンタル」。
…思考停止が、停止した。これは、高い!
どうしたらいいもんだかわからぬまま、結局、契約書類を準備してもらうことになった。
長い付き合いがある。恩もある。ただ、騙された義母が、善意で言ってくれているだけなんだ。
月々5000円で付き合いを買うか、「買わずに肩こり治っちゃった」と言うか。
要はガチャガチャやりたいと。
それだと、たしかにBRAVE合金でもダイキャストにしてほしいパーツとか結構あるしなぁ。
ただ、最近は素材も成形技術もどんどん変わってきてるし、けっこう見た目よりかは堅牢性あったりする。
トランスフォーマープライムとか、大丈夫かってぐらい華奢だしな。対象年齢5~なのに。
安売りしてるのを見かけたら、お試しに買ってみるのもいいと思うぞ。
ちなみに、デカールとか自作で何とかできるようになると見栄えとか良くできるのでおススメ。
自作だと破れても貼り直しできるし、ディティールアップされるので部屋に置いておくときにノーマルよりいい感じ。
最終的には自分でパーツを複製できるようになるとガシガシ遊べるし、形状レベルでディテールアップ(モールド足すだけで相当変わる)もできるしいろいろ広がるかもしれんね。
スーパーロボット超合金よりBRAVE合金の方が好きなんだと言いたいのだろうが、残念なことに両方とも対象年齢15歳以上だぞ?
というか、超合金魂だと、合体変形とプロポーション、稼働のバランス良いの多いし。
ZOIDSなんか、テレビシリーズにどっちが近いか言われるとHMMの方が再現度高い有様。
最近のトランスフォーマーもハイエンドモデルの方が変形機構とか凄いしな。
何の番組において、どのメーカーのシリーズがどーとかであれば話も進むんだろうが、全体的に~となると。
・原作のポーズを再現したりカッコいいポーズ取らせたり飾ったりして遊びたいわけじゃないのよ。
・原作の再現をするにしたって、変形合体のバンク全体を(完全でなくても)再現したい。
が相反しない製品群もあるしな…
まぁ、自分が好きなものを他人が判ってくれない辛さは判るが、もうちっと具体例出すとかして共感得る表現方法覚えた方が良いと思うぜ?
ハックルさんは、新しい事なんてしてねぇぞ。
ありふれた手法だけど、ドラッカーなんてニッチでやろうと思った奴がいなかっただけ。
しかも、ドラッカーと萌えを融合する土台に選択したのが、自分が書きたかったが出版社に貶された野球小説。
そりゃ批判爆発だろ、そんなんで試合に勝てれば苦労ねぇよ。
そこをドラえもん的世界と割り切ると、こんどはドラッカーの価値がイミフになる。
で、彼が持ちだした言い訳が、「ドラッカーの読み方を書いた」ときたもんだ。
あの書籍については、「みなみがドラッカーを読み解く描写」こそがすべてで、あとは枝葉末節にすぎない。
読み解いたドラッカーの内容を適用してるはずの野球描写は、枝葉末節で拘るところではないとか、意味が分からないよ。
これらの件について、なにが新しいのかね。
ガンダリウム合金とか太陽炉みたいに、「AGEシステム」がよくわからんがとんでもない代物なんだ、ってSF的な説明をすべきだったとは思う。
半年くらいまえに、「コミケで見つけた気になるタイトルの本」ってネタがちょっと前に盛り上がったのを思い出したので、今年の夏(C80)にある面白そうなタイトルを紹介しつつ。
「おもしろそうだから買いに行こうかね」、なんておもってる奇特なコミケ未経験者さんのためのガイドでも書いてみようかと。
(【~~~】は、ジャンル)
いつどこでどんな本が売られているのか、すべてを把握するためには、カタログを読むことが、ほぼ唯一の手段です。カタログがなくても入場はできますが、会場内は、「目当ての本を探しながらあてもなく歩く」ことをが許されるような環境ではありません。諸注意や心構えなども書かれているので、できれば一冊購入し、目を通しておきましょう。
どこで売られているかわからないひとは、コミケ公式から、取り扱い店を探すなり通販するなり。
同人誌のジャンルによって、3日間のうちのどの日に、会場のどのあたりで売られるかが決まっています。上のリストを見てのとおり、こういう本を探すなら、本番はたいてい3日目です。金曜土曜に行っても買えないので、気をつけましょう。
カタログの巻頭には、切り離し可能なサークル配置図があります(通称、「宝の地図」)。サークルの場所は、「ア-20」みたいな書式の「スペースNO」で表されます。行きたいサークルは、事前にスペースNOをチェックし、配置図に書き込んでおきましょう。ついでに、「このあたりはこのジャンル」みたいな、おおざっぱな色分けをやっておくと、現地で「もう少しあちこち回りたいな」と思ったときに便利です。カタログをまるまる持って行ってもかまいませんが、重いですよ?(現地には、カタログ等の冊子専用ゴミ箱もあるにはある)
重装備だの糧食だの水分だの寝袋だのが必要だ、みたいな話を聞いたことがあるかもしれませんが、それは早朝から並ぶ必要があるモノをどうしても手に入れたいひとだけの話です。ここのリストにあるような本は、そんな慌てなくても、たいていは売り切れません。きっと。
ゆっくり行くぶんには、常識的なお出かけと同じていどの荷物で問題ありません。自動販売機がすぐに全滅するので、飲料くらいはあったほうがいいかもしれません。コンビニもあるので、そうそう困ったことにはならないと思いますが。それと、宝の地図だけは忘れずに。
改めて書きますが、このリストにあるような本は、そうそう売り切れたりしません。12時くらいにビッグサイトにたどり着くようにすれば、スムーズに入場して、ゆっくり探し物ができると思います。
もっとも、そもそもの発行部数が極端に少なかったりもするので、売り切れるときはさくっと売り切れてしまいますが。そのときは素直に諦めてください。
また、サークルによっては、好きな時間に来場し、好きな時間に帰っていってしまうこともあります。タイミングが合わず出会えなかったときも素直に諦めてください。次回にその経験を生かしましょう。
サークルNOと配置図を手がかりに、目当てのサークルまで行きましょう。これが、地味に難易度が高かったりしますが。「ここのサークルNOは○○ですよ」みたいな掲示をしてくれているサークルもありますが、そうじゃないところが多数なので、ぶっちゃけ迷います。ところどころに貼られているサークルNOの文字と宝の地図を見比べながら、人の波に耐えてがんばってください。
無事に着けたら、「これください」でも「新刊一部」でも「既刊新刊ぜんぶ一部ずつ」でも、お好きなように。おつかれさまでした、これで目的のひとつは達成されました。次の目的地に向けて、また人の波に突入してください。
帰るまでがコミケです。気を抜かないように。りんかい線もゆりかもめもダダ混みなので、体調には気をつけてください。個人的には水上バスがゆっくり座れる可能性が高くてオススメ。日の出桟橋から浜松町までの徒歩がダルいですが。
完全な妄想レベルで全く根拠はない与太話なのだが。ハイクに書こうと思ったらえらく長くなったので増田に書いてみる。
突っ込みどころは山ほどあると思うがまぁ与太話として聞いてくれ。
様々議論はあるだろうが、今後国内では原発は向こう数十年は推進される事はなくなるのではないかと思う。少なくとも国政選挙が2回ぐらいは原発支持・不支持が論点になり、原発推進候補は勝てないだろう。当然ながらこの福島原発の処理が終了するまでは先に進めないだろうし、毎年毎年、3月11日が来るたびに思い出され、忘れられずに残っていくだろう。あるいは残らなければならないと思う。
また、一緒にするなと言う話になるかもしれないが、スリーマイル島事故のあと米国は反原発に舵を切って長年原発を作ってこなかった。それが解除されたのはつい最近で、きっかけは確かカリフォルニアでの大規模停電だったように記憶しているが、そういった再び世論を動かす事故が起きなければ敢えて寝た子を起こすような政治家は出てこないと思う。(ただ…チェルノブイリ発電所は2002年まで動いていたとか、そういうことを考えると残る可能性も十分あるし、今回の経験から日本の原子力技術はさらに成熟されるだろうし、国際的にはどうだろとか、いろいろな議論はあるとおもうけど発散しちゃうのでここではこういう前提にする)
という夢は日本が今後成長していく上では捨ててはならない。捨てた瞬間日本の経済は終わる、と言うレベルで捨ててはまずいと思う。エネルギーはすべての生産活動の基本なのでここが下がらないことにはコスト競争に勝てないからだ。
まずエネルギーコストがあがると、エネルギーコストが原材料費に占める割合が大きな産業からやられてくる。たとえば製鉄業などがこれに当たるが、実はすでに鉱石からのアルミニウムの生成など一部の産業では国内企業はエネルギーコストの上昇によって競争力を失っているものがある。(日本では独自に水力発電所を持っていてエネルギーを極端に安く入手できる企業しか残っていない。国内のアルミニウム工業はインゴットを輸入している。このためアルミニウム合金そのものについては国内より外国の方が進んでいる)これらの産業が外国に流出しても別にかまわないという考え方も十分あるが、これは全体的にコストの上昇を意味することとなる。
さらに、エネルギーを輸入に頼らなければならない日本では、エネルギーは即座に外国に金が流失する事を意味する。(国内でエネルギーを生産できる国はエネルギーコストが上がっても国内需要として残る)故にエネルギーコストが原材料費に占める割合が増えると産業競争力が落ちるばかりでなく、国内の金の巡りが悪くなり、経済はかなり厳しくなる事すら予想される。
全ての産業がこう言った事に追い込まれないためにも、永遠にエネルギーコストを削減していく技術は追い求めなければならない。
ただ、原発はもう少なくとも政治的・社会的にもう限界だし、コスト的にも議論はある。個人的にも消極的容認派から積極的収束派に意見が変わった。原子力推進でこの夢を追うのは無理だ。
では、どうするか。
原子力によって叶えようとした夢は、自然エネルギーが引き継ぎ、夢へと動くべきだと思う。自然エネルギーは原子力と非常によく似ており、正統な後継者だからだ。
「おい貴様何を言ってる水と油じゃないか」「かわいそうに、酸素欠乏症にかかって…」「ばーかばーか」等と言う声が聞こえてきそうだが、かなりマジである。原子力と自然エネルギーは、少なくともチェルノブイリ以前の認識ではかなり共通点があったと思うんだ。
後ろの利権(産業としての裾野の広がり、影響力)の話なんかも下手すりゃ同じである。原子炉の仕組みが考え出された当時は火を燃やすよりずっと安全だと考えられており、今でも単純な死亡者の数では火力より安全だという議論すらあるくらいである。故に、今の自然エネルギーの一種のような認識だったのではないか。さらに言えば発明された当初は「こんなもの制限が多すぎて使い物にならない」と考えられていた…かもしれない。
原発というのはあくまでも手段であって目的ではない。大規模な原子力災害が発生し、その他様々限界が見えてきた中で手段を変えるのはそんなに悪いことじゃない。目的が達成できればいのだから。
故に、自然エネルギーは原子力の正当なる後継者じゃないかと思う。だから原発は今後尻すぼみになるなら、同じ夢を追う自然エネルギーに原発に振り向けていた投資のうち、維持費以外を振り向けて推進するべきだと思うんだ。原発反対の反動としての自然エネルギーではなく、原発の正当なる後継者としての自然エネルギーに。
ただ、よく知られているように自然エネルギーは
などなど、山ほど問題を抱えていて実際の所うまくいく保証はない。というか、代替エネルギーとして今すぐ原発の後を継げるような存在ではないのは間違いない。今原子力の直近の代替エネルギーになり得るのは火力しかないと思っている。(夢は継げるかもしれないが。さらには原子力が火力を駆逐できなかったように、火力も依然として必要とされるだろう)ただ個人的にはそれぞれ、以下のようなブレイクスルーがあって、研究されさえすれば解決に進むのではないかと思っている。
最後の送電網の組み替えだけは、物理的な問題があるのでブレイクスルーのような物はちょっと考えつかない。ただ、これはたとえ原発事故がなくても設備の更新などは必要だったわけだし、おそらく原発がこのまま推進される事になってもこの流れは必要になってくると思われるので、と言う事にしておく。
また…。これは完全に不謹慎であるし、お怒りをいただいてもしょうがない思考ではあるのだが、怒られそうな事を敢えて言うと、今回の被災地は壊滅的な打撃を受けほとんど丸ごと町を作り直さなければならなくなってしまったところがかなりあり、政府はここに莫大な公金をつぎ込み新たな町を作り上げるつもりのようだが(そして世論もそれに賛成している)、これは新エネルギーのための町をある程度採算度外視で作る事ができる条件がそろっていることを意味している。
ご存じの方も多いと思うが都市計画は、再開発よりも一から作った方がよほど簡単なのである。たとえば中国では大規模造成によって作られているのはものすごいスピードで発展しているが、何もないところ(あるいは何もないに等しいところ)を造成しているから早いのである。(日本の高度経済成長期のニュータウン造成も似たような話)一つずつ立ち退かせるところから始めなければならない再開発より早いのは当然である。
だから、災害に遭ってまっさらになってしまったところがある、というのは、未来のエネルギー産業を育てるためのモデル都市を作る事ができると言う事も意味する。きっかけは不幸な災害であったが、この災害を次へと繋げる事も可能になると言えるのだ。(ただ、外野だからこういうことをいるのだ、とも言えるのであるが…うまくいけば世界に名だたるモデル都市になり、産業たり得るだろう)
前掲した以外にも様々な技術的な問題はある。これらの実現・解決にはかなりの時間がかかる。ではどうするか。個人的にはそれでもとりあえず問題はないのではないかと思っている。何故かと言えば、原発は今すぐ停止できる物ではなく、どちらかというと安楽死というか引退させると言った緩やかな停止になり、自然エネルギーの成長を待つだけの余裕は十分にあるのではないかと思うからだ。
今後、原子力は引退させようという動きになっていくと思うが、一部の過激派の言うように「今すぐ撤去せよ!」というのは暴論も暴論で、とても無理だと思う。確かにエネルギー問題を無視あるいは過激派の言うとおり節電などでやりくりすることが可能であれば、異常な状態である福島第一原発を除けば原発を今すぐ止めることは物理的には可能だろう。しかし停止状態になっているのに問題になっている、あるいは使用済み燃料であるにもかかわらずきちんと管理が必要なことを考えれば、いきなり停止させても自己満足以外の意味は、それほどないのではないか。むしろゆっくり運転させ経済的に重要である状況に置いておいた方が、追い込みすぎて安全対策にまで金が回らなくなることに比べればずいぶん安全かもしれない。
さらに、原発の解体は年単位で時間がかかるし、日本国内できちんとした技術は確立されていないから、そこら辺の技術をきっちり固めてからではないと危険であるし不可能だ。
また解体した原発の放射性のゴミをどこに捨てるかという問題も当然発生するだろうが、場所はすぐに見つかる物でもないので(今でも地層処分の場所が見つからず難儀している)、そこも確保してから停止しなければならない。もちろん一度にたくさんの数の解体を進めることも、現実的ではない。すると、古い順番から廃炉へと動いていく事になって、原発の廃止にはどうやっても時間がかかる。自分は少なくともどんなに急いでも二十年はかかるとおもう。
だからまさに原発から自然エネルギーへ夢を引き継いでいく素地は十分にあると思うのだがどうだろう。
根拠らしい根拠はない。また「未来の可能性は無限だから何でもできます」みたいな不毛な話なのも自覚している。今の短期的な電力不足・技術的課題が残るであろう中期的な問題を解決するような話ではない。
さらには原子力がクリーンな夢のエネルギーとみられていた時代と同じで自然エネルギーも今後おそらく確実に様々な今知られていない問題も出てきて、場合によっては今回のような致命的な問題は出て来て頓挫するかもしれない。
また、設備以外にも、ライフスタイルは大幅に変えなければならないだろう。少なくとも
等は考えつくところだ。さらには原子力産業で食っていた人たちをどうするかと言う事もある。電力会社は徐々に電気を作って売る会社ではなく、電力送電網を所有する企業へと変貌を迫られるだろう。末端の電力網を維持管理する作業者は技術的に大きな変更はなくあまり関係ないだろうが、そうでは無い電力会社本体の、発電に携わる今まで日本を支えてきた技術者の方々には削減の並が及んでしまうだろう。
しかし、原子力が数十年原子力産業と日本を食わして来たように、数十年は日本を食わせてくれる原動力になるポテンシャルは十分にあると思うがどうだろうか?
また、困難であるため他者が参入してこないと言う状態であるならばより高い見返りを得る事ができるのではないか?うまくすれば、日本がはじめてエネルギーの世界で優位に立つ事ができるようになるやもしれない。
今こんな事を言うと怒られるかもしれないが、原子力は敵、自然エネルギーは味方、あるいはその逆でも良いが、そういった思考では未来は開けない。
現実原子力の力によってできあがってきた社会を直視し、原子力に携わる人々に「なんて物を作ってくれたんだ!」と言い放つのではなく「今までありがとう」と言い(これは無論原子力災害に見舞われている現地の方々ではなく、そのエネルギーを享受してきた我々の立場である。原子力災害のただ中にいる人は怒っても良いし、保証の話は別だ)原子力で見た夢は自然エネルギーが引き継ぎます、と告げ、方向転換を図る時だと思う。
おもちゃを売って採算を取っていた時代は、視聴者は子供を意識していて、そりゃあ子供だましの作品が多かった。
(今はオタク騙しとでも言おうかね)
アニメの制作費は宣伝費用であって、ビデオ販売とか考えられていない時代。
それが、スポンサーが制作会社自身や放送局になり、コンテンツそのものの売り上げで採算を取るように変わった。
おもちゃが売れるラインを堅持すればコンテンツは弄りやすい昔と違って、コンテンツを弄るってのは、そのまま販売戦略直結の話になった。
それこそ、経営判断で「萌を入れろ」ってな感じであってもおかしくない。
(昔なら、新しい武器を出してくれとかの話)
買い手のいる市場を向くのは当たり前。
買い取りにかかった費用は一般の電気料金に上乗せされる。経産省は、標準的な家庭で毎月の電気料金が数十円~100円程度上がるとみている。
http://www.asahi.com/business/update/0224/TKY200902240178.html
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太陽光発電の電力を電力会社が買い取る際の逆ざやを、電力を利用するすべての世帯と企業の電気料金に転嫁するという話。
太陽光発電や風力発電は、需要に応じた調整が効かない発電であり、さらに、原発のような安定的な発電も出来ないという点で、商業電源には向かない。それを普及させたいという点で間違っているのだが、エコ騒ぎに何かしなければならないという事で、でっち上げたのである。
太陽光発電や風力発電は、電気の効率の良い貯蓄方法がなければ、役に立たない発電方法である。効率の良い電気の貯蓄方法として、水を電気分解して水素を作ってという話は、水素の揮発性の高さや爆発性の高さといった取り扱いの面倒さによってストップしている状態にある。吸蔵合金で何とかという話も比重量の点で論外となっている。
太陽エネルギーの利用は、植物を育成し、植物性ディーゼルオイルにしたり、アルコールに転換して燃料電池やE100エンジンで使うというのが本筋であり、太陽電池で発電してというのは、安定性に欠ける為に、天候に左右されても構わない場所や、他のエネルギーが期待できない惑星探査車両ぐらいでしか使えない。
太陽光発電は、昼間しか発電できない上に、それだけでは片手落ちのエネルギーである。さらに、産業支援が行われると、それ以上の効率を実現しようという意欲が消滅する。研究開発を怠った方が、利益を極大化できるようになってしまうからである。
間違った産業支援策の弊害を無くす為にも、太陽光発電の買い取りの優遇はやめるべきである。通常の電気価格で買い取るべきであり、太陽光発電だから優遇するし買い取るというのは、宣伝レベルでやっているうちは良いが、規模を拡大するべきではない。
もし、太陽光発電や風力発電を進めたいならば、電力の買い取りよりも、効率の良い電気の貯蓄方法を実用化する事が先であるが、植物を使った固定に勝る効率と貯蓄性を確保するのは不可能だし、設備産業として貯蓄が可能になったとしても、原発だけでピーク需要を賄えるようになるのが先になる。つまり、現在の効率では、太陽光発電や風力発電は、商業エネルギーとしての活動の余地は無い。
太陽活性の低下により、地球の温度も低下していくだろうから、温室効果ガス削減や排出権取引やらのエコ詐欺も、さっさと終わらせるべきだ。
金貨を発行しているのはカナダ、南ア、豪、オーストリアなど。世界的なベストセラーは南アのクルーガーランド金貨だったが、アパルトヘイト政策時代に西側の制裁を受けて、以後、カナダ政府のメイプルリーフ金貨が一位になった。
中国はパンダ金貨を記念コインとして発行し、日本も、ときに記念コインを出すが、偽物を作られた。発行金額と金の含有に差がありすぎて市場の価値の落差を国際的マフィアが目をつけたからである。
さてロシア議会ではボリス・グリズロフ議長が、サンクト・ペテルブルグで開催された経済フォーラムに出席した折に「世界市場にパラジウムのロシア通貨を提示してみたい。実現すればツアー時代のゴールド金貨のように強い通貨として輝くだろう」(英文プラウダ、6月8日付け)。
http://english.pravda.ru/business/finance/05-06-2009/107730-ruble_palladium-0
ロシアの銀行家のなかには「希少なメタルで出来たコインは世界市場で歓迎される上、インフレ予防に役立つ。ロシアがまったく発行しないとは考えられない」という。
「猛烈なインフレの時は金貨やプラチナ硬貨は役に立つものの、一時的発行などでは退蔵されるのがオチである」。
▲それにしても何故パラジウム?
パラジウムは錆びない銀色の希少金属で1803年に発見された、プラチナ属の金属で、インジウム、ロジウムなどとともにレアメタルだが、プラチナより融点が低い。
たとえばK18金ではゴールド75%、銀15%、パラジウム10%で成り立つ。プラチナ合金ではプラチナ90%、パラジウム10%、ほかに眼鏡フレーム、歯科医療器具、メッキ液などに広く用いられ、コインとしても500円硬貨くらいなら勝ちはあるかもしれない。
39:名無しさん@九周年:2008-08-30 00:52:39
15m:着水時に骨を折ることがある。地面に身体の側面を打つ
場合、生存率50%
75m:着水の場合の致命的落差。130km/h以上での衝突に
相当。
76m:ゴールデンゲートブリッジの水面からの高さ。落水972名
生存者19名 生存率1.95%
低空飛行したとしても、かなり水平に着水出来なければ、機首