「おねーちゃん、ここは一体どこだにゃ?」
「さあ?知らないわ」
「なんだか怖いところにゃ」
「そんなことはいいから、私たちは私たちの仕事をするわよ」
「そうだったにゃ」
「さあ、急ぐわよ」
「あれ?こんなところにカードが落ちてるにゃ」
第五問 彼を探し当てなさい
「なんだろこれにゃ?」
「彼ってだれだろにゃ?」
「だから、それを探すのがゲームなんでしょ」
「もう一枚おちてるにゃ」
He is an old pug
「どういう意味だにゃ?」
「『彼は年老いたパグです』」
「パグってなんだにゃ?」
「犬の一種よ」
「彼は犬なのかにゃ?」
「そんなことはどうでもいいわ。早く行くわよ」
「待って、おねーちゃん」
過去、ソフトハウスの企業回りしてて、現在、製造業の企業回りをしていて思うのだが、どの業界でも、そうなんだなと思った。どんな業界にも面白い企業はあるし、つまんない企業はある。
傾向として、下請けばっかりやってる企業って、技術力の向上に励む気概を感じられないというか、おたくの代わりなんて、第三者の俺から見て、いくらでもいるでしょ!? と思ってしまう。従業員数はそこそこいるから、それなり企業かなと思ったら、烏合の衆なんだろうか。規模はちっちゃくても、尖ってる企業が強いと思った。
残念なのは、そういう魅力が外観からはわかりにくいということ。オフィスの見た目がショボくてビックリする。といっても、現状で十分だから、その必要がないのかな、どうなんだろね。
良いインパクトのときに大きく反応するのが問題ないならわかるが、
悪いインパクトのときに大きく反応してるのが問題がないと思えるのがなぜかわからん。
外からのインパクトに対して過剰に反応するとしたら、下落幅が大きくても何ら問題がないはずなのだが。
下手糞の上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩目
それ、あの記事の本筋じゃないんだけどなw
漫画描き。
下手なのは招致の上で仕事をしているんだが、描いてて自分の画力のなさにつまずいてしまう。
下手なんだから下手なりに気にせず描けばさっさと仕事が進むのに。
いちいち下手さに引っかかって遅筆になってしまう。
結果、下手で遅筆。
悪循環。
自分の下手さなんて気にせずどんどん描ける自信が欲しい。
ttp://www.youtube.com/watch?v=37pWA721he0
俺の好きな動画ー、涼宮ハルヒの憂鬱MAD。曲はthe pillowsでストレンジカメレオン。
よければ見て下さいな。
ドバイショック自体は大してやばくないが、それを口実に経済失政をごまかすのに利用されちゃうのがやばい。ITバブル崩壊とかリーマンショックだって同様。日本が震源地より落ち込んでるのに何とかショックのせいにするのが定番の手口。
「総ての愛と永遠は彼の元に有る。」
その教えに従えば、愛と永遠は彼にしかうたえない。
従いもしないし、背きもしなければ
この通り「獣」という烙印が押される。
だがそれも良い。
「獣に愛と永遠はうたえぬ」と言うのであれば、
その神は彼に天罰を下すに違いない。
〜T/H
697補足
この議論はもともと、『誰が言ったかよりも、その発言の内容の方が重要だ』という主張を退けるために行われたものだったので
結論としては、『何故"誰が言ったか"の方が重要なのか』について述べなければいけない
しかし俺は697にて少々ブレた結論を出してしまっているので、それについて少々補足させてもらいます
というのも、そもそもこの晒しの場における議論というのは、『誰が本当に強いか』ということを決定する為に行われているものなのだと、俺は思うのです。
何故? という問いは禁止。「だってそうだろう?」としか反論できない。
この晒しの場において常に求められているのは『最強は誰か、あるいは最強とは何か』であるのです。
ここにおいて『誰が言ったか』というのが重要であることは明らかであろうと思います。
何故なら、その発言者である人が『誰なのか』が分かれば、その発言者の強さを定義することができ、またその人の発言の重要性を確認することができるからです。
しかし、先にも『境界線』の例えで言ったように、言葉や論理だけでは『最強とは何か』を決定することができません。その限界について認められるのは、論議の場ではなく、実戦の場なのです。
結局のところ、『誰が最強なのか』そして『最強とは何か』を決定し得るのは、戦いの場だけなのですね。
まあそれにしたところで、『誰が最強なのか』ということが重要なのは自明である限り、『誰が言ったか』ということが重要なのもまた明らかなのです。
とかそんな話なんだけど、やっぱブレてる気がするな。