はてなキーワード: クラスタとは
「貴方は心美しいから、特別に名誉白人ならぬ名誉イケメンとして恋愛クラスタに迎え入れてあげますよ」みたいな。
「違うって、主人公は何でも出来るし正確もめっちゃ良い奴なんだって」って?
容姿以外は超人的な能力の持ち主にしないと、ブサイクはフィクション上ですら美少女と付き合う説得力を持たせられないのか。
益々絶望が加速されるだけだ。
じゃあどうすれば?
元増田の想像通り「お似合いの不細工カップルwww」とか言って馬鹿にされるのがオチだろう。
トラバやブコメには設定やストーリーの詳細を語ったものもあるが、そうではなく物語の大枠としての構造に
「ブサイクな主人公でもモテる」みたいなキャッチーな基本設定を持ちながら、改めてよくよく考えてみると
「見た目が良いのは素晴らしい」てな結論を突き付けられる救いの無さ。
先日からテレビ東京で『LOVE理論』というドラマが始まった。水野敬也さんという『スパルタ婚活塾』や、このドラマの題名でもある『LOVE理論』という、婚活や恋愛のハウツー本を出されている方の本が原作で、このドラマはその本に登場するメソッドを、面白おかしく、ドラマ仕立てにして、パロディにして紹介している。テレビ東京だからこそ可能な際どいラインを攻めたドラマだ。まだ1話しか放送されていないが、「非モテがLOVE理論を学び、実践し、意中の女性を手に入れる(語弊があるかもしれない)サクセスストーリー」であることは間違いないだろう。
さて、このドラマやこの話題に、いち早く反応しそうなクラスタが、昨今はてなやTwitter界隈で話題になったことが記憶に新しいのではないだろうか。「恋愛工学」、「藤沢数希」、「ナンパ師」。
藤沢数希さんを長に作られている「恋愛工学コミュニティ」では、メルマガ上で、日々履修者たちが実践や経験を共有し合い、スクリプトやメソッドを共有し合い、開発し合い、切磋琢磨してる。ナンパ師クラスタでは、カリスマナンパ師を筆頭に、ナンパ講習が行われ、ルサンチマンを抱えた男性の自己啓発の一面も担った実践が、都内各所で行われ、ナンパ師同士で切磋琢磨している。似て非なるこの2つのクラスタが、時には交わり共にフロントラインに立ち、切磋琢磨している。
Twitter界隈では、ナンパ師や恋愛工学履修者たちの行動について、様々な意見が飛び合っている。クラスタ外の人でも目につくほど、最近話題に上がっている。最近というか、ここ半年というリアルタイム感。ここ一週間で言うと「街なかでの声掛け」についてだ。とてもHOTで活発な議論が日々いたるところで行われているこのタイミングで、良いネタきた。このドラマというわけだ。タイミングが絶妙すぎて、個人的には、何もかも藤沢数希所長の計算だったのだろうなと思うほどである。
前置きが長くなってしまった。僕は前者、つまり恋愛工学受講者である。数ヶ月前まではTwitterでも盛んに議論に加わっていたり、成果をブログに報告したりし、一定以上のつながりもクラスタ内外で形成し、日々仲間達と切磋琢磨していた。しかしながら、そこで利用していたアカウントを、自分の所属している別のコミュニティでも利用していたため、その別のコミュニティから恋愛工学等への批判が多く、トラブルになる可能性が高まったため、そのアカウントは削除して、僕は現在ネット上での活動を自粛し、ひたすら淡々と個人で実践を繰り返していた。そこから、数ヶ月が経過し、ほとぼりが冷める頃を見計らって、新たにアカウントを開設し、活動の報告やコミュニケーションを再開しようと考えていて、その最初の一歩が、この匿名ダイアリーへの投稿である。本来であれば、ブログを新たに開始し、そこに投稿すべきなのだけれど、もともと僕が成果や記事の投稿を頻繁に匿名ダイアリーに投稿していたので、その名残で、今回の一発目はこちらに投稿した。
自己紹介も長くなってしまった。本題の「LOVE理論、あるいは恋愛工学(戦略・戦術)」について、僕の思うところを、自己満足的に、ひたすらに淡々と、書き綴っていきたいと思う。これは、僕の主観に満ち溢れた、独断と偏見に満ち溢れた、ただの戯れ言である。
僕は昨年の10月~今年の3月にかけ、多くの女性を抱いた。すべての女性は、別々であり、Sexの回数であれば、その倍以上になるだろう。彼女たちとの出会いは、基本的に、語弊を恐れずに書くと「ナンパ」である。渋谷のスクランブル交差点付近で目的もなさそうにしていた女性、恵比寿駅の西口改札前で浮足たっている感じのルブタンのヒールを履いた女性、新宿バルト9で席が隣になったサブカル系女子、Twitterで相談によくのってあげたキャバ嬢、そのジャンルの幅はとても広く、一人ひとりについて書くことは不可能に近い。そんな活動を、モクモクと、ある種、ロボット的に、日々こなしている人たち、それが「恋愛工学受講生」や「ナンパ師」であり、僕も、例によって、それなのだ。僕達には、これがとても日常的で、それは一方で、とても感覚が麻痺していることも気がついてはいる。心が磨り減るだけのこともあれば、深い愛情と安心で満たされることもある。
社会学者の宮台真司は、昨今の近代化や合理化について以下のように述べている。
〈システム〉と〈生活世界〉の関係を確認します。〈システム〉ではデニーズ的アメニティが提供されるのに対し、〈生活世界〉では地元商店的アニメティが提供されます。前者は「役割&マニュアル」優位な関係性で、後者は「善意&自発性」優位の関係です。だから前者は匿名的・入替可能で、後者は記名的・入替不能です。
近代化とは、〈生活世界〉で賄われて来た便益を〈システム〉に置き換える「合理化過程」。置き換え途上の段階ゆえに〈システム〉化され切らない〈生活世界〉が残っていると信じられるのが「近代過渡期」(モダン)で、置き換えが完遂して汎〈システム〉化=脱〈生活世界〉化した段階が「近代成熟期」(ポストモダン)。
近代化がある程度進んで、「まだ〈生活世界〉が残っている」というより「敢えて〈生活世界〉を保全している」と言えるようになるのが「再帰的近代」です。これにも2段階あって、いったん汎〈システム〉化した後に、かつての〈生活世界〉の機能的等価物を再構成したのが「ポストモダン的な再帰的近代」ということになる。
昨今の国内の人々の恋愛関係の事柄の矛盾や苦悩は、まさに宮台が上で指摘していることだ。近代化の影響ですべてが合理化されていくことは自明の事実である。それは恋愛(〈生活世界〉)というカテゴリーに対しても同じだ。恋愛〈生活世界〉の合理化<システム>化、突き詰めると、人間の生殖、子孫繁栄、それに対してこれまでは、「恋愛」「愛情」というとても曖昧なもの〈生活世界〉がそれを肯定していた。しかし近代化が進むにつれて、それすら合理化する波が押し寄せてきている、しかしその合理化に適応しきれない部分も存在し、それが苦悩や悩みと表象されている。<システム>化され、合理化が進んだ現代であれば、本来であれば、そこに恋愛という後押しが、「人間の生殖、子孫繁栄」には必要でなくなるのだ。ただ、現状はその過渡期であるから、そこで私達は苦悩する。「敢えて<生活世界>を保全することによって発生する負荷/代償」というとわかりやすいかもしれない。今回のネタでもあるLOVE理論や、恋愛工学のメソッド、スクリプトは極めて現代的であるのだ。理詰めされた戦略、整然としたロジック、曖昧性を排除した合理的で、もっともシステマティックな、生殖へのアプローチ方法なのだ。それを「心のないロボット」と揶揄する人も多くいるだろうが、それは<システム化>された社会の行き着く先であることは否定できない。
僕達が信じている(あるいは信じていた)恋愛観など、欧米から輸入した価値観でしかない。その押し付けられた恋愛観、一種の洗脳、から開放されることは、非常に難しい。生まれた時から、その価値観を埋めつけられているからだ。人は環境に規定されてしまう、一度規定されると、なかなかにその規定から外れることはできないし、規定され続ける限り、自身を客観視することは非常に難しくなる。
だからこそ、恋愛工学クラスタ、ナンパ師クラスタ、が発生することは、合理化された社会では当たり前なのだ。合理化が進んだ、<システム>化が進む恋愛市場への、一番合理的なアプローチであり、社会への適応なのだから。もちろん、そのアプローチが時には、女性への迷惑行為になり得ることも十分に承知している。一種の危険性を孕んでいる事実は隠せない。しかし、それを頭ごなしに否定することは、それも全く違うのだ。「ナンパ・声掛け」とてもマイクロ的な事象を、もう2,3歩さがって改めて考えてみると、全体が見えてくる。<システム>化という波にのみこまれそうな恋愛<生活世界>という具合だ。
僕はこんなことを考えながらナンパをしているのか、と改めてこのように文字に起こしてみると、新しい発見がある。現代病とくくれば、そうなのだろうけれど。
第1回、第2回の電王戦は、始まる前からとてもワクワクして待ちきれなかった。
こう感じるのは、僕だけだろうか?
第1回、第2回はコンピュータのプロに対する強さが未知数だった。
短時間のネット将棋では人類を圧倒していても、プロが本気になれば違うとか、長時間になれば人間が有利だとかいう意見が多かった。
対するソフト開発者側も、何とか癖を読まれないように貸し出しを拒否したり、定跡を本番で指定したりして勝負に徹していた。
第4局で塚田九段が根性の粘りで引き分けに持ち込んだ後の、三浦八段対GPS将棋戦が、今から思うと電王戦のピークだった。
GPS将棋は600台程のPCでクラスタを組み、全力で棋士に挑戦したのは、相手の強さを認めていたからだろう。
三浦八段は現役A級棋士でタイトル獲得経験もあり、トップ棋士としての誇りとプライドがかかっているのが十分に伝わってきた。
三浦八段は破れはしたが、刀折れ矢尽きるまで戦ったその姿には感動し、1秒間に数億手読むクラスタと互角に渡り合える人間の頭脳に凄さを感じた。
昔の弱かったコンピュータ将棋からすれば、技術の進歩も存分に感じられた。
第3回は、ハードの統一、事前の貸し出し、ソフトの修正禁止が義務付けられた。
前年までのガチンコ勝負感は無くなったが、棋士側は期待の若手、往年のベテラン、将棋界の人気者、そして元タイトルホルダーのA級棋士と、前年以上に個性豊かで強いメンバーだった。
両国国技館や小田原城を対局場にするという試みにも注目が集まった。
電王手くんが機械らしく駒を持つ姿は、未来を感じさせつつも微笑ましかった。
後味の悪い番外戦は起きてしまったが、勝負に拘っていた事の裏返しだとも思えたし、両者の文化の違いが背景にあったとも思った。
唯一の勝利者の豊島七段の練習量に驚き、ponanzaの筋が悪くも巧みな中盤に感心した電王戦だった。
第4回は、ハードの統一、事前の貸し出し、ソフトの修正禁止のルールは引き継がれ、出場棋士は公式戦で勝率の若手で固められた。
ここまで、棋士が頑張りを見せて2連勝。
斎藤五段、永瀬六段の努力と強さは伝わるが、どうも阿部四段や豊島七段が勝った時の様な気持ちは湧いてこない。
以前の電王戦がスポーツだとすれば、今回は原作を知っている映画を見ているような、棋士が勝つ姿を応援しましょうという主催者が用意した舞台を見ているように感じる。
あれだけ驚きと興奮を与えてくれた電王戦は、きっともう見れないのだろう。
いわゆるW不倫とほぼ同じだと思います。
ただ「不倫」についてまわるような「不幸な恋愛」「家庭崩壊」「離婚」といった、暗く不幸で演歌っぽいニュアンスが排されたイメージがあります。
性的な関係は当然含みます。むしろ、既婚者同士が性的な関係抜きのプラトニックな恋愛関係に陥っていったら、それこそ大変危険で恐ろしい破滅につながると思います。
そんなにマイナーな言葉でしょうか?と言いましたが、たしかに、あるクラスタでのみ用いられる言葉かもしれません。
逆にいえば、何らかの方法で知り合って、まずは普通のやりとりをし、あるタイミングで「婚外」というキーワードを持ちだして、それが通じるようなら、婚外のルールやマナーのような前提となる意識をお互いに持ち合わせている可能性があります。
つまり、あるクラスタに属しているかのテストにもなっていますね。改めて気づきました。
「単独」については、私はそのクラスタにはおらず、そこに入っていくだけの性的野心もいまはないので、説明は控えておきます。
価値観があまりに異なるところで、テストになりうるキーワードを説明しても、テストとしての価値を下げてしまうだけですから、そのクラスタに対して失礼にあたるな、と思いました。
ちなみに独身であるかないかは特に関係ないと思います。
深草圭志 @evcaxa
別にな、「日本が好き」なのは全然構わねえんだけどさ、それってそんなに大したことなの?って感じで。しょせんはそういうのを自分が好かん人を例えば「反日」とかって設定して攻撃するための言い訳でしかないんだろうに。
https://twitter.com/evcaxa/status/562227495995326464
というツイートを@okinakinakurinoという人がRTして
毒虫3D @okinakinakurino
じゃあそれ『肉屋の豚』とか言って人格攻撃してる連中にも平等に説教してくれ。人格攻撃が嫌いなら出来るだろ?出来ないならしょせんは保身のためのポジトークだ。
https://twitter.com/okinakinakurino/status/562230475670822913
毒虫3D @okinakinakurino
今さら善人ぶらなくてもいいのよ。どうせポジトークだってわかってるから。
https://twitter.com/okinakinakurino/status/562230893608067074
と言っているのですが、いや@evcaxa氏は「肉屋を支持する豚」って言い回しものすごく嫌悪してるんだけど。
深草圭志 @evcaxa
てか「肉屋を支持する豚」て言い回しは「社畜」ってのと同じだよな。ひどい上の人間を非難するんじゃなくて、底にどっぷり使っちゃってる弱者をバカにしてるだけ。こういう言い回しを多用したがる奴が弱者当人に支持されるわけがねえんですよ。
https://twitter.com/evcaxa/status/547201663744737280
深草圭志 @evcaxa
「肉屋を支持する豚」とか「奴隷の鎖自慢」なんて言葉を使いたがる奴に本物の差別撤廃主義者なんていない。やってることが新手の差別そのものだから。
https://twitter.com/evcaxa/status/502030659703930880
他にもこういう発言いっぱいあるけど貼るのが面倒だからtwilog貼っておく。 http://twilog.org/evcaxa/search?word=%E8%82%89%E5%B1%8B%E3%82%92%E6%94%AF%E6%8C%81%E3%81%99%E3%82%8B%E8%B1%9A&ao=a
@okinakinakurinoに限らず、「どうせ○○を批判してる連中××は批判しないんでしょ」みたいな言い回しで単に自分の世界観が歪んでいることを暴露しちゃってるひとってネットで時々見ますけど(とくに床屋政談クラスタ)、気をつけた方がいいと思いました。
ってかさあ、「○○を批判してる連中」みたいな言い回しですらなく、特定の個人相手に「どうせお前××は批判しないんでしょ」みたいなこというなら、せめて相手のスタンスくらいちょっとは調べろよ。。。
バーーーーーーーーーーーーカ!!!! @okinakinakurino
「チェンジ」が笑いになると思っている男性クラスタがそのまんまの感覚で男女反転させたのがあれ、と考えると
でも同じように、女がその辺の男見て「あれはチェンジ」と品定めしている姿を想像すると違和感しかないし
http://anond.hatelabo.jp/20150113155321でも書いたけど、女は基本男に対しては無関心。
「チェンジなんてひどい言い方をしない」とかじゃなくて、最初からそういう対象だと考えもしない。
リア充爆発しろって思うくらいリア充臭がやばい業界のやつと飲んで、女の子を呼び出してきた女の子たちがなんていうかすごくて
まぁ、22時すぎくらいに集合したし、次の日は休みだったけど、終電とか普通に気にせず飲むのって普通なの・・?
なんてか、終電だし帰ろうかな、、みたいな素振りもなしで、今日は飲みましょうー!とかそんな感じで
しかもなんかよくわからんのだけどあいつら以上にボディータッチするのマジ気持ち悪いんだけどなんなの。
気軽にセッロス楽しむのはまぁいいけど、普通の女の子と結婚したい自分にとっては非常に恐ろしい体験だった。
こんな子たち(20代半ば)が普通にこんな貞操じゃあ俺はどうしたらいいんだ。
まぁもちろんそうじゃあない人達もいるとは思うけどさ。
インプレッション数が一番重要だと思ってたけど実は良い(気の合う)クラスタと巡りあうことのほうがよっぽど重要なのかと思った。
匿名の大衆の一部としてじゃなくって、自分自身を文章の累積で残すためにブログを書いてみたいと思っている。
例えば、自分自身が死んだあと、もしくは変わってしまった後にネット空間を漂流してくれると嬉しい。
流石に私の寿命が来るまで続いているブログサービスなんて無いだろうけど、
私が今の私からすっかり変わってしまうのはそんなに遠い未来の話ではないだろうし。
Twitter上でHNで、リアルの自分とはまた少し違う自分を形成して、
でもここでの自分や交流関係って、○○クラスタとしての自分で、
あくまで今自分がハマっている作品を基盤に成り立っているもので(読み專だし)、
もう少し自分自身を基盤として成り立つHNや空間を作ってみたいと思ってみた。
テーマ:私で行きたいけど、私というキャラクター性は全く強くない。
それに、それじゃあただの自己満足だ。
はなから自己満足だけど、少しは自己顕示欲や承認欲求も満たしたい。
やっぱり特に語りたいテーマも無いので、匿名で時々呟くのが正解かもしれません。
語りたいことは沢山あるんだけど。
何度も言うけど、タバコはそもそも吸い始めたきっかけは中高生の頃にいきがって、っていうタイプが必然的に多いわけで「喫煙者」というクラスタで見たらDQN気質の奴の比率が有意に高くなるのは火を見るより明らか。
社会からクラスタごと排斥されないためには、コミュニティの内部でDQN気質の奴を矯正する自浄作用のメカニズムを持つ必要があるだろう。
喫煙家はよく酒を比較対象として引き合いに出すけど、居酒屋やバーなどではDQN的な振る舞いをする客を店や他の客が追い出すことも多い。
店と客で協力して雰囲気を作り上げて、そもそもDQNが近づけないようにすることも多い。高級レストランなんかは言わずもがなだけど、安いバーとかでもそういうもの。
先日、中学の同級生と酒を飲んだ。選挙だなっつって話題に出した。『そうなの!?』って言われた。『多分行かねー』とのことだ。
『どこを選んでも一緒じゃん』この一言がなぜ出てくるのか、どこで間違っているのかを考えてみた。
それぞれがどのような政策を実現しようとしているのか、その政策は誰にどれくらいの割合で恩恵をもたらすのか、その政策の実現可能性はいくらか、生じうるリスクはなにか、
その政党にとっての優先順位はどのくらいか、これらが全くと言っていいほどつかめない。
特に、社会全体で相対的に貧困で生活にゆとりのない若者世代にとっては、「どの政党を選べば自分の生活がよくなるのか」が全く分からない。
政党間の対立構造は結局のところ茶番なのに、だ。僕たち若者の生活は自民党でも民主党でも良くなりはしない。今後訪れる日本の不況の原因は少子高齢化である。それを生み出しているのは世代間格差である。
しかし、再選目的の政治家(=全ての政治家)たちは、結局のところ、今この瞬間の投票率が高い老人からの投票を頼みに票集めをする。実現する政策も結局、ジジイ共に便宜を図ることを目的にしている。貧乏なジジイか、金持ちのジジイか、その違いだけだ。
そもそも政治家の目的は再選である。ついで政策実現だ。彼らは自分が選挙に受かるために「評価される政治活動」を実施する。そのことを伝えない。日本の政治をよくするために、なんてことを平気で伝える。大間違いだ。政治家は再選の報酬として、支持者層への利益誘導を図る。投資と配当である。自分の持っている属性を細かく自覚し最も便宜を図ってくれる政治家を選ぶこと、権力を持った政治家のステークホルダーとして自分の存在を意味づけること。これが選挙の本質だ。政策の正しさなんて糞食らえだ。
若者が選挙に行かないのは、選挙を選ぶことだと思っているからだ。普通選挙法を治安維持法実現のための飴玉としてしか教えない糞教師がいるからだ。自らが所属するコミューンの投票率を上げることが選挙の目的だなんて考えちゃいない。選挙は、権利ではなくて権力闘争なんだ。投票に行かない=不戦敗っていう事実をきちんと伝えるべきなんだ。
長くなった、まとめる。
選挙は権力闘争だ。ぶくぶくに太った貴族ジジイどもから権力を引っぺがすために僕たちは選挙に行く。
ただ個人的には、世代間格差是正を存立目的に掲げる政党が出てきてくれたら、そう願ってやまない。『若者に便宜はからいまくります!ジジイなんて知ったことか!』『お前らは孫に全て押し付けて豪遊して死ぬつもりか!』そうやって、誰かが高らかに叫んでくれるだけで、僕らはどれほど救われるだろうか。
クラスタとかヒエラルキーじゃなく、世代間で権力闘争しようぜ。
以上。長文しつれいしました。