はてなキーワード: オリジン弁当とは
ここのレジは何で攻めると効果的か?と考えるのが楽しいのと、明細を見てその日を振り返るのが楽しくてあれこれやってたら、カオスになってきたので自分用にまとめてみる。たぶん住んでるエリアが特定されそうなので増田で。
主な使い分けは、消え物はLINE Payカード、そうでなければau Walletで支払うという使い分け。au Walletは無料で明細がとっておけるからという理由。あとは店舗ごとの優待などで適宜使い分けてる。
規格 | 名前 | チャージ元 | ポイント |
FeliCa | Suica | ビックカメラSuicaカードからチャージ | 1.5% |
FeliCa | Edy | タカシマヤ《セゾン》カードからチャージ | 1.5% |
FeliCa | nanaco | リクルートカードからチャージ | 1.7~2.2% |
FeliCa | WAON | イオン銀行CASH+DEBITからチャージ | 1.0% |
磁気 | LINE Pay カード | Pay-easyチャージ | 2.0% |
磁気 | au Wallet | Jizileからチャージ | 1.7% |
磁気 | dカードプリペイド | Jizileからチャージ | 1.3% |
磁気 | おさいふPonta | 使ってない | - |
コンスタントに訪ねる店だけに絞るつもりだったけど、1年以内に行きそうかなって考え始めたら存外にリストが膨らんだ。
こうまで膨らむと「今日はたまにはEPOS Visaプリペイドを使ってみるのも一興かな」と邪念がよぎってレジ前でまごつくことがあるので増田諸氏にはお勧めしないけど、参考まで。いや、増田が書きたくなっただけ。
さっき近くのオリジン弁当まで行くのも確率的には死ぬ可能性があって弁当を買えない可能性があった(確率)
だからといって死ぬ可能性があるからオリジン弁当に行かないという選択はしなかった(意思)
逆に確率が可視化されたとしてオリジン行くのに1/1千万分の確率で死の可能性があったらオリジン弁当には行かないという選択を取るのか
選択によっては死ぬ確率が高いけど確率が可視化されてるものもその逆もある
何が言いたいかというと低確率と分かりきってることに対してナイーブになる必要はないし、確率が高低関係なく見えづらいうえに損じるものの大きさ(死ぬとか)によってはなるべく確率の可視化をできるように努める、とか
仮に確率の可視化をしようとしても徒労に終わることになってもどういった物事に関しては可視化しづらいということは分かるし、可視化する訓練にもなる
結局手札を有効に使うには弱い手札でも勝てるように工夫するしかないってことだし、その手段としてリスク判断が必要になるってこと
来年、この住み慣れた街を出て行くことになる。
その街の名を上石神井(かみしゃくじい)という。
西武新宿線という、おもに川越や所沢などあまり品のある方ではない埼玉県民を東京に送り込むための路線において高田馬場から急行で2駅・13分の立地である。
私は大学進学に合わせて上京し、とくに大きなトラブルもなく3年間を過ごしてきた。
「とくに大きなトラブルもなく3年間を過ごして」しまったのである。
上石神井駅は決して大きな駅ではないが、特急以外の全ての電車が停まり、山手線圏内へのアクセス性も非常に高い。
牛丼屋は松屋とすき家から選ぶことが出来る(私は吉野家のアンチなので、これは幸いであった)。
駅のすぐ近くにはアッサリ系のラーメン屋と二郎系のラーメン屋が激安ドラッグストアを隔てて並立しており、その日の気分に応じてラーメンの濃淡を選ぶことも出来る。
駅に直結している西友は24時間営業で、しかも深夜にはアルバイトのハセガワさんという美人もいる。
コンビニはファミリーマートおよびセブンイレブンがあり、ポイントカードの宗派争いにも寛容である。
セブンイレブンの向かいにはホットモットもあり、弁当を買うにあたって選択肢には事欠かないことだろう。酢豚が食べたければ少し離れたところにオリジン弁当もある。
その他にも美味いパン屋や、チャーミングなババアのいるクリーニング店、ちょっと小洒落たパスタのお店なんかまであり、要するに至れり尽くせりなのである。
借りたアパートもまた良かった。駅徒歩7分の好立地で家賃4万2千円(共益費込み)。
隣人の大学生は重度の花粉症であること以外はまことによく出来た人物で、鼻をかむ音さえ筒抜けの防音性でありながらそれ以外の物音に悩まされたことなどかつて一度もない。
むしろ隣人の鼻をかむ音に「ああ、今年も彼の花粉症が始まる時期か・・・」などと歳時記的な感傷にさえ浸っていたくらいである。
頻繁に外れる網戸に業を煮やし、内側からガムテープを用いて目張りのように固定したせいで友人から「ガス自殺の部屋」という不名誉な称号をこそ付けられてはいたものの、私の生活にはおよそ十分な住まいであった。
もしも、最寄りのスーパーは20時に閉まってしまったなら?(しかも、そこにハセガワさんの存在しないことは自明である。)
もしも、オリジン弁当の酢豚が食べたくなってしまったら・・・?
私の大きな失敗が、そして不安がここにある。
初めての一人暮らしで、あまりに好条件な暮らしの出来る街を引き当ててしまったのである。
ご存知のことかもしれないが、一度上がってしまった生活水準というものはなかなか下げられるものではない。
その「高い水準」の指すものが、たとえオリジン弁当の酢豚であっても、クリーニング屋のチャーミングなババアであったとしても、である。
これから就職活動を終えて引っ越す街を、愛せる自信がないのだ。
これほどまでに自分のために誂えられたような街を、日本のどこにでも見つけられることなど出来るだろうか。あり得ないのではないか。
郷土愛をあまりにミクロなところに見出してしまった私を、就職活動はどこへ連れてゆくのだろう。
ハセガワのような在り来たりの苗字を、読者諸兄にあっては思い思い当てはめて頂きたい。そして全国のハセガワさんと、このハセガワさんを慮る諸兄は安心して頂きたい。)
2才の娘が一人の3人家族。
家賃をはじめ、光熱水費、通信代などはその11万円には含まれない。
米はふるさと納税で大量に届いているので、とうぶん買う必要がない。
飲料水は月に2回ほどAmazonでペットボトルのミネラルウォーターを購入。
私の朝ごはんは冷凍していた米をチンしてお茶漬け、もしくは夜の残り物がメイン。
ちなみに朝が早いタイプなので、妻はずっと寝てる。
夜ごはんは、焼きそばとかパスタとか、基本的に1品。栄養バランス?なにそれって感じ。
というか家には寝るために帰ってきているくらいで、日中はほとんど実家で過ごしている模様。
昼ごはんも夜ご飯も、実家で食べていることが多い。だから家の掃除も適当。
少なくとも私個人にかかる食費は月2万もあれば十分に足りているはず。というかその程度のものしか出てきていない。
それでも月11万円じゃ足らないから、もっと金をよこせと言われる。
週末に外食に行ったときや、家族で遊びに行ったときのお金は全部私が払ってる。
病院などでお金がかかったときも、きちんとその分のお金を渡してる。
家族の将来のために貯金も必要なのに、貯金よりも私に金をよこせと言ってくる。
子育てを頑張ってくれているのはわかる。でもそんなにお金かかる?
11万円を何に使っているのか教えてくれ、と言ってもそれは教えてくれない。Why?
今一番もめているのは、先日何の相談もなく洋服とカバンを買って、それが2万円くらいかかったみたい。
とりいそぎその金をよこせと言われてるんだけど、どう考えても納得いかない。
事前に何の相談なく、勝手に好きなものを買って、その分の金をよこせって、なにそれヤクザなの?
他の家庭も同じような状態なのでしょうか。
そういうこといきなり聞く上司です。とは流石に言えないので、
「女ともだちがひとりもいないんですよ」と言ってみた。
本当にそうなのだ。
私はいま30で、女の友だちはひとりもいない。
まあ、居酒屋でタラレバ話ができる友人関係なんてユートピアですよねえ、と
女の結託ってすごくすごく大事なの。
といった営みにのぞむような人は
とりあえず話聞くから。飲みましょう。
え、ほんとに? ほんとにそうなの?
女どうしの結託って、そんな必要なのかな。
熱心な飲みのお誘いを熱心に断って、
女どうしの結託って、そんな大事なんだろうか。
結託できない女は生きのびることができない、くらいの真顔だったけれども。
女どうしの結託のなかで、私や、私の旧友は、何度も殺されたけれども。
入口すぐに『東京タラレバ娘』がガン詰みで、
ああ7巻発売日だったなと思いながら、
神奈川、中央林間のコナミスポーツがまだピープルって名前だった頃、
水泳教室に行った帰りに近くの中華屋さんで親と炒飯を食べるのが楽しみだった。
お皿の上に綺麗な半円球を描かれた盛り付けをレンゲで慎重に崩しながら、
インスタントヌードルに入っていたようなキューブの謎肉を探るのが好きだった。
あまり美味しい、美味しいというと母が拗ねるので
水泳で自己更新した記録、あの頃流行ってたナイトキャップみたいな帽子の柄、近々出来る鶴間公園の隣の噂…
そのお店は今日もやっていた。
記憶だと個人店のような感じだったけど実際はオリジン弁当の系列店で。
土曜日の朝、寝ぼけながら電話にでたら、今住んでいる管理会社から「来月更新費がかかるんで、引っ越すなら早めに連絡してほしい」と連絡が来た。
今住んでいる場所は駅にもまあまあ近いし、治安も悪くはないが、職場まで遠いのがネック。これを気に引っ越ししようと決意。
SUUMOやHOMESなんかで、都内の職場まで電車で20分以内・駅徒歩5分以内・家賃8万円以内(更に言うならばオリジン弁当が徒歩圏内)というとんでもないワガママ条件で検索していたが、もちろんオンボロアパートや1K2畳といったどんな用途で借りるのかわからない物件しか検索結果に出てこない。
しかし、探し始めて30分ほど、上記の条件に当てはまるどころか、デザイナーズマンションでめちゃくちゃ綺麗な1Kの物件を発見。治安もいい地域でオリジン弁当も200mの距離にある。価格も7万円と環境からすると破格。
マンション画像をみてみると、中の水回りも綺麗で雰囲気も最高。集客用の物件か?と疑いつつもすぐに不動産に電話。
受付の女性いわく物件自体はまだ残っているとのことだが、もちろんこんな優良物件になにもないわけはなく、告知事項がありますと告げられる。
ポジティブな発想で、日当たりが悪いのか、はたまた駅に近いので電車の騒音がひどいのか、そんな妄想をしながら聞いてみると前の住居者が首吊りで亡くなっていますとのこと。
その時は一度考えますと電話を切ってしまったが、1日かけてよく考えてみても結論がなかなか出ない。
前の住民が自殺してしまっている物件のリスクはなんなのか。よく"ほんとうに怖いはなし2chまとめ"みたいなのでまとめられている話は信ぴょう性があるのか。
僕の希望する無茶苦茶な条件をOKしてくれる物件なんてこの先ないだろうから、思い切って契約してしまうべきなのか。
住んでみてヤバそうならば、違約金を払って退去すればセーフなんじゃないか。
ドコモを解約する前にポイントが失効しないようにローソンでdポイントカードをもらってきたけど、Pontaと合流するんじゃなかったんかよ。
よくわかんなくなってきたから陣営ごとの加盟店を整理してみた。カオスすぎて娯楽関係とネット関係をバッサリ切ったけどなおカオス。ローソンってPontaとダブルブッキングしてるイメージだけど、au Walletを一陣営として捉えればセブンイレブンもしてるし、WAON陣営は反nanacoのよせあつめって感じがすごい。
誤解しないで欲しいんだけど、ミニストップはむしろ好きである。
「ミニストップだぁいすき♥ ま~やのいただきま~や」という放送が流れているからだ。
(サイトもあった http://www.ministop.co.jp/ministopfan/webtv/cafelatte.html)
「ま~やおすすめっ♥ あまぁい練乳たぁっぷりの練乳いちご♥」みたいな放送がエンドレスで流れている。
甘ったるい声で「だぁいすき♥」とか三十路のおばさんに言われて俺はどうすればいいんだ。(ていうか調べたらもう36歳だということにも衝撃を受けた。)
イオンは一体全体どういう経営的判断であの放送を流しているのか謎すぎる。
「みなさん是非! ま~やおすすめのカフェラテソフト、是非!ご賞味くださいね♥」
と言っているのもすごいストレス!
なんで是非を2回言うんだ!!言葉のプロであるアナウンサーとコピーライターが
こんな初歩的な間違いして恥ずかしくないのか!!! 恥を知れ!!!!
と流れるたびに憤りを覚えている。ほんとこういうの嫌い。
「なら行かなきゃいい」と言われるかもしれないけど、
ミニストップ自体はむしろ好きなので利用する→いただきま〜や♥→苦痛
なのである。どうにかして欲しい。
一日目(http://anond.hatelabo.jp/20100517171401)、二日目(http://anond.hatelabo.jp/20100518161547)と連日更新したが、正直書くべきものはあまりなかったのが実情である。
二年も経つと変化がある。
これは近隣にお住まいの方はご存じの方も多いと思うが、小手指の西友は近隣で一番大きい。かつ改装したことで中もキレイになった。改装するだけ売上もいいのだろう。所沢駅や新所沢駅隣の西友はボロくて店も小さい。近隣で唯一まともに家電を扱っているのが小手指店である。家電量販店には品数で見劣りするものの、安いものはやはり安い。どうしても高いなら期間中のチラシを持ってくれば安くなるそうだ。私はそこまでする気にはならないが。
ちなみに、ここの西友は改装前は「B館」と呼ばれる別棟があり、そちらも西友の扱いだったが、改装を機に管理会社が変わったようだ。そこにあった無印良品は現在、店の3階に移っている。さすが元西武同士。現在B館はハナプラとかいう建物に変わっており、アウトレットショップとTSUTAYAと美容室が増えた。ただし、ここのTSUTAYAは書籍の品揃えが悪すぎて、お話にならない。レンタルがずっと100円になったという価値はある。
次に、駅前のでかいマンション、すなわち「小手指タワーズ」がそろそろ完成しそうである。
一日目の記事で、なか卯とオリジン弁当がかわいそうだということを書いたが、あすこは潰れた。というか、立退きに応じたのだろう。小手指駅前にペデストリアンデッキができるということで、ちょうどそこの下に当たる店はすべて立ち退きにあった。このデッキが開通することで、マンションと駅が直通する。このマンションの一回部分には商業施設も入るということで、何が入るか楽しみであるが、ここに店が入ると駅反対側の商店街は大打撃であろうということだけは指摘しておきたい。
ここ、小手指は西武池袋線であり、今後の東横線直通で少なからず恩恵を受ける地域でもある(http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A9C93819499E3EAE2E38B8DE3EAE2E6E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E4E3E0E0E2E2EBE1E3E3E7)
先日の金町浄水所の「乳児への水道水摂取規制」、あの数字って、確か200ベクレル超えていたので、
もう少し数値が上がっていたら「対成人も摂取規制」(=300ベクレル)に達していたところだった。
仮に300ベクレルを超えたとすると、どういう事態が発生するのか?
原発の状態が不安定な状況下なので、今後再度ベクレル値が上昇して300ベクレル超えする事態も
起こりえる事態なので、今のうちにシミュレーションしておくのも悪くないだろう。
(暫定規制値改訂、という話もあるが、ここでは暫定規制値が変わらないものとして議論する)
あっさりと「規制値に達しましたが、ミネラルウォーターが入手できませんので、営業を停止します」という飲食店は、
恐らく少数派だろう。
「飲料水と調理使用水はミネラルウォーターにします(食器洗いは水道水)」という店も、少ない?
「飲料水は頑張ってミネラルウォーターにしますが、調理使用水は水道水にします」的対応が多数派になるのだろうか。
利用する方も、「多少のヨウ素はしょうがない」という割り切った気持ちで外食店に行くことが求められよう。
「オリジン弁当」「ほっともっと」「デパ地下の惣菜コーナー」の類はどうするのだろう?
やはり「申し訳ありませんが、水道水で調理しました」ということになるのか。
ビール会社とか清涼飲料水会社とか豆腐メーカーとか加工麺会社とかパン製造会社とか冷凍食品会社とか、
西日本の増産で以って「東日本のヨウ素汚染工場での生産見合わせ」という選択肢を取りえる。
生産中止か、「水道水利用であることを割り切って工場を操業する」この二者択一である。
問題なのは、「この加工食品(飲料)は、どこの工場で作りました」
「この加工食品を製造した時点でのヨウ素の量はこれだけでした」
という情報が開示されないまま、消費者のところへ行くということである。
心配性な消費者は「東日本に本社がある食品会社の加工食品は、東日本の工場で製造された可能性が高いから、避けよう」ということで、
西日本本社、もしくは中国産の加工食品を買い求める、ということになる。
あと、食品会社で独自の地下水源を持っている会社って、どれだけいるのだろうか?
井戸のヨウ素汚染の状況は、どうなっているのか?
・学校給食
実はこれが一番問題じゃないかと思っている。
40人の学級があったとして、保護者40人全員が「多少ヨウ素数値が上昇していても、大勢に影響がない」と判断して
「多少基準値をオーバーした水道水で調理した給食を食べさせても、まあ仕方がない」と判断すれば、そんなに問題はない。
しかし、40人もいれば、数名、下手すれば十数名、「ちょっとでもヨウ素が入っている水で調理された給食を食べさせることはできない」と
主張する保護者も現れると思われるので、その場合は「給食自体の取りやめ」も考えられる。
(ミネラルウォーターを確保して、それで調理、というのは非現実的だろう)
あるいは、「安全性が担保されないのであれば、わが子だけはお弁当を持たせる」ということで、
自宅でミネラルウォーターで調理した弁当を持たせる保護者も続出すると思われる。
多分拒否できないと思われるが・・・・
ということで、「成人基準値を突破した場合の取扱い」というのは、純医学的見地からというより、社会学的見地から
さまざまなトラブルが多発すると思われる。
少なくとも、給食の件とかは、文部科学省は厚生労働省と今のうちに協議しておいて、マニュアルを作っておかないと
大混乱になるのでは?
小手指のモスバーガーで昼食を摂っていると、男一人、女二人の大学生と思しきグループが、談笑しながら通りを歩いている。
これから彼らはアパートの一室で3Pをする。そう直感が告げた。
直感でなくても、最近の高校生はセックスを覚えてから大学にくるので、目的は違っても手段としてカラダを求めることはあるだろう。
不況のさなかに危機感が無いと思われるかもしれないが、あくまでも彼らは、将来を嘱望されたエリート候補である。バッファはそこらの大学生とは比べものにならないだろう。
新学期も始まってまだひと月である。
しかし、彼らの風貌はよくいるリア充そのものだ。髪を染め、適度に着こなし、適度に肌の手入れをする様はまさしく現代の若者その者であると言えよう。
所沢は早稲田大学の巣である。正確に言うと所沢には日芸や他の専門学校もあるのですべてがそうだとは言わないが、その環境は早稲田大学生に特化したものである。
私が昼食を摂っているモスバーガーこそ社長は日大だが、周りを見わたせば西友、西武鉄道、西武タクシー、西武球場と西武グループの管轄内に有り。
銀行も三井住友銀行が支店を出していて、みずほ銀行も出張所こそ出しているが、支店ではない。MUFJに至ってはATMである。なんという待遇の違い。
出している店の数々も早稲田生をターゲットにしている。西友に似つかわしくないスタバ。みずほとマクドナルド、ボボラマーマが西友と同じ敷地内にある。
通りの向かいにミスド、和民、早稲アカなど、「ポスト早稲田生ならここを使え」と言わんばかりのメンツである。
ちなみに小手指駅は始発で鉄道が出る場所でもあり、交通の便はよい。
駅前のバスターミナルには、朝早稲田大学生と見える大学生が、エンジ色で早稲田大学の装飾が施された送迎バスを目当てに、開店前のラーメン屋のごとく列をなしている。ざっと20人はいるだろう。もっとかもしれない。これは大学のイメージとしてどうなのだろう、と個人的には思っているが、まあ彼らはそれで満足しているのだから、何も言うまい。
そんな小手指にも、将来を期待されてか、大手企業が手をとり、「小手指タワーズ」なるものを建設することが既に決定している。先のマクドナルドの向かい、MUFJのATMの隣の建物は、タワーズの外観ショールームを常設展示しており(水曜定休)、小手指で骨を埋めようという人たちに強烈なイムパクトを与えること請け合いである。
しかし、駅前に10階以上のビルが建つと、駅がひどくしょぼく見えるだろう。おそらく、そのタワーズ完成にあわせて駅舎も建て替えるにちがいない。そうでなければ駅前のなか卯とオリジン弁当がかわいそうだ。
この論を読むにあたっての前提
・「バカ」とは単に学力に限らず、知的活動全般(コミュニケーション,芸術なども含む)における能力が劣っている人物を指す
・「美人/ブス」をx軸、「賢い/バカ」をy軸とし論を進める。(「学力/EQ(学力以外を暫定的にこう括る)」というz軸は議論を煩雑にするので省略する)
・「不幸」の定義が非常に曖昧ですが、「幸せが少ない」よりも「苦しみが多い」寄りのニュアンスで捉えてください
自意識を植え付けられた現代人に共通すると思われる欲望の一つとして、「自己承認欲求」というものがある。これは己が他者から承認されたいと思う欲望である。これが満たされない場合、人間はフラストレーションを募らせ、不安定な状態に陥りやすい。
しかし、当然ながらこの自己承認欲求は万人に対して保障されているわけではない。ここの自己承認欲求の不均衡が起きる。そして、危険なことに、この自己承認欲求を満たすために女性には安易な「性」という交換価値が与えられている。
しかし、「性」を交換して得られる自己承認欲求は概して薄っぺらく浅いものであることが多い。「性」と交換に承認を得た女性たちは、結果的により深い、より切迫した欠乏感に苛まれる。
典型例としては、「ヤンキー娘が男をとっかえひっかえした挙句に妊娠して高校中退」のようなものである。この場合、彼女は「勉強ができない」という劣等感や、不幸な家庭環境による愛情への飢餓を、「性」というエサに群がる男性から求められることによって補おうとしたものと考えられる(ヤンキー娘の家庭環境が不幸とは限らないという反論に対しては、前提条件で挙げた「バカ」が知的活動全般を含むという点に注意を喚起しておきたい)
しかし、概して、このような過程を経た出産、それによって形成される家庭というのは同じ末路を辿りやすい。これが文化の再生産・階級の固定である。彼女の、「性」をエサにして自己承認欲求を満たすというプライドのファストフード店は、妊娠・出産というクライマックスを経て閉店に追い込まれる。生まれる子供が女子であれば、その子供も「バカ」で「美人」である可能性が高い。
では、「バカでブス」の場合を例にとってみよう。彼女たちも「自己承認欲求」が満たされず、苦しい時代を余儀なくされるという点ではバカな美人と同じである。しかし、この場合、彼女たちには交換価値となる「性」がそれほど高い価値を持たない(まあそもそも若いってだけでブスであろうとデブであろうと性的価値はあるんだろうなとも思ったけど、飽くまで二者間の比較において)
よって、どうなるか。彼女たちは男性たちから得られる浅薄な愛情すら受けられず、非常に厳しい環境で生育することになる。最初は男性から求められるバカな美人を見て羨望に身を焦がすこともあるだろう。しかし、やがて気付くのである。あんなことをしても何にもならない。
器質的に同等の知力を持つと仮定した場合、大人と子供では大人のほうが賢い。なぜならば、それはそれまでに培われた経験、そしてそこから得られた「情報」が存在するからである。よって、「子供でバカでブス」よりは「大人でバカでブス」の方が賢い。そしてこの場合の「経験」は必ずしも自分自身によってなされる必要はないのである。バカなブスはバカな美人の失敗を見て学ぶ。
ここで、「でば、バカな美人であっても、経験によって己をブラッシュアップすることは可能なのではないか」という質問が成り立つ。それは正当な反論であり、その場合は「美人」というカードが役に立ち始めることもあるだろう。しかし、彼女たちの場合、それ以前に妊娠や結婚において、人生の再チャレンジにおける不利なカードを引かされている可能性も高いのである。
バカなブスは少しだけ賢くなって漕ぎだしていく。
バカな美人は錨を下してしまったため港から離れられない。
そのような意味において、「バカで美人」よりも、「バカでブス」のほうが、不幸に「なりづらい」という結論が成立する。
以下は余談
平たく言えば「同じバカならモテるよりモテないほうがむしろ幸せなのでは…
幸せが言い過ぎなのだとしたら受ける傷は少なくて済むのでは…」ということを加護さんについて考えて思ったのでした(彼女はそれで生活の糧を得てるから上の論には必ずしも当てはまらないけど)。しかし、「モテ」を分水嶺にすると知的能力云々のあたりがややこしくなるので(「モテる時点でバカではないんじゃん」等)今回は容貌を用いました。
とりあえずイメージとしては、
「高卒派遣OLひとりでバラエティ番組を眺めながら食べるオリジン弁当の夕食」
と
「ヤンキー上がりシングルマザー母子家庭でワーキングプア水商売はじめました」
の対比としてイメージしてもらえるといいと思います。
それでも「ひとりじゃないだけ後者のガマシ」という人に関しては私とは価値観が違うとしか言えない。
「賢くて美人」と「賢くてブス」とを考えた場合は、個人的にそこに(不幸になりやすいかどうかという点において)あまり差はないんじゃないかと思います。幸せになるために踏まねばならない手数の多さという意味では「賢くてブス」のほうが上だろうけど、それをきちんと踏襲するというニュアンスも「賢い」にはこめてあります。
そもそも、(前提で述べたような極端なケースを除けば)「美人」と「ブス」という分け方が極めて恣意的なものなので、この場合の「美人」というのは単に「多くの人がその人を美人と思う」という事実に過ぎず、また「ブス」も然りです。そして、重要なのは、「需要の多寡は必ずしもそのものの優劣と比例するわけではない」という点です。
よって、例えば「ブス」だったとしても、自分を需要する層というのを的確に判断する能力があれば、それは決して弱いカードではなく、単に使いどころの難しいカードであるに過ぎないのです。むしろ、場合によって強いカードにもなりうる可能性を秘めているのです(RPGで、人魚のキャラが陸上戦ではHP少なくて弱いけど、水中戦では無敵みたいな感じ)
以上をまとめて「不幸になりづらいランキング」を作るのであれば、
という図式が成立するのではないかと思います。
28歳。サラリーマン。僕の住む家の近くに、こんな家がある。
クリーム色の外壁は雨風で薄汚れていて、玄関のドアは新しくペンキで塗りつけられたのか、光沢ある深緑色。家の前に止めているのは鍵の壊れた「チャリ」と、よくわからないシールが貼られたヤマハのジョグ。
夏になればその家の2階の窓は開け放たれていて、日本のパンクバンドの歌声が聞こえてくる。多分ipodとかではなくCDラジカセとかから鳴っているに違いない。会社からの帰り道、中学生か高校生の男の子が、その家の前でうんこ座りをしているのをよく見る。前を通る度、ちょっと緊張する。
今夜、その家の前を通りがかったとき、中の様子が望めた。漫画が中心の本棚の上に地球儀が乗っていて、その横には有名らしい海外のサッカー選手のポスターが貼ってあった。
それを見て、友達の家には必ずポスターが貼ってあったことを思い出した。やはり有名なサッカー選手だったり、ヴィジュアル系バンドであったり、グラビアアイドルであったりした。
子供の頃、友達の家に行くのが楽しみで、他人の家のニオイが好きだった。学校で会う友人とは違う一面を見ているような気がしていた。そして、自分の実家の部屋には何も貼っていなかったことも思い出した。
それなりに少年時代は好きなバンドやマンガや小説なんかがあって、それを幼稚なパーソナリティの源泉にしていた。むしろ、マイナーな海外バンドのインタビュー記事から、自分の人生訓を見出していた典型的な中学二年生だったと思う。
なのに、僕はそれらのポスターを貼らなかった。別に小奇麗な部屋でもなかったし、画鋲の穴を気にするような性質でもなかったのに。
さっきの家を通り過ぎて、オリジン弁当を買いにいく道すがら、ずっと考えていた。店について、紅鮭弁当を注文して、弁当が出来上がるまでにひとつの答えを出してみた。
どんなポスターだって、親の目には触れるし、家に呼んだ友達も見るかもしれない。何より毎日、自分がそのポスターを眺めることで、「自分はこれが好きなのだ」と言い聞かせることになる。好きなものを好きだと表明することは覚悟がいるのだ。
何者かになると言うことは、その覚悟をするということだったんじゃないか?その覚悟とのギャップを埋めるために、努力することだったんじゃないか?
満足とも不満足とも言えない今のサラリーマン生活から、ふと出した答えだった。
僕はポスターを貼らなかった。剥がしたくなるようなポスターもない。紅鮭の皮を剥がしながら、この事は忘れないでおこうと思った。