はてなキーワード: 帰り道とは
母はいつも私の友人を見ると眉をひそめてあれやこれやと欠点をあげつらった。
小学生の時はいいなりだった。あの子はかわいくないから、あの子はバカだから、あの子はデブで怠けものに違いないから、あの子の親は変だから、だから付き合うなと言われて、遊びの誘いを断り続けたこともある。学校では仲良くし続けても帰り道の途中からいつも一人ぼっちだった。家に帰ってから遊ぶ相手は誰もいなかった。むしろ家に帰ってから遊びに出かけること自体が許されていなかった。
中学生くらいからそういう母の戯言は聞き流すようになって、ときどきは休みの日に遊びに行くようになった。とは言ってもお小遣いをもらっていなかった私はみんなの遊びには加われないことが多かった。プリクラもマンガの貸し借りも繁華街もゲーセンも私にとっては入ることのできない場所だった。次第に友人関係はフェードアウトしていき、部活のつながりだが残った。毎日毎日学校に行って帰るだけの日々だった。部活の練習試合に行くのすら気が重かった。母にお金をくれと頼むのがしんどかった。
金を出さないと言われたことがあるわけではない。でも、暗黙の了解で、遊びに行くのは禁止だった。休日は家にいなければならなかった。休日家にいないことは、私にとってはすなわちお金が必要だということで、そのことを母に告げるときの針のような視線が痛かった。
母は私の友人を見かけたり写真で見たりするといちいち欠点をあげつらった。まるで自分自身が責められているようでいつもつらかった。彼女たちは別に悪い人たちではなかった。未熟なりに欠点はあったにせよ、話をしていて楽しい相手だった。でも母はいつも彼女たちを気に入らなかった。私の嫌いな人たちに限ってほめちぎった。
しんどかった。話をしたくなかった。何も頼みたくなかった。私の交友関係に土足で踏み込んでくるそのやり方が気に入らなかった。
だから私はただ口をとざして、数少ない友人とだけ学校生活を過ごした。学校での生活は悪くはなかった。よくもなかった。少なくとも苦ではなかった。
休日は苦だった。家にいても外に行っても責められているような気がした。家にいればいれでなんやかんやと小言を言われたり、友達もいないのかと嘲笑われたりするのだ。かといってどこかに遊びに行けば、罪悪感がずっと心の中を支配していて楽しめなかった。実際に楽しい思いをすることもあまりなかった。お金がなかったから。そのくせ、どこかへ行くと母は必ずお土産を要求した。土産としてなにか買って帰らなければ家に入れてもらえなかった。ただちょっと近所に行くだけでも、友達の家に遊びに行くだけでも、土産を買って帰らねばならなかった。大した金額のお金を持っていない私にとって土産を買うことはとても辛いことだった。お金がないことがいつの間にか心の深く深くに根を張ってしまい、お金がないことを理由に誘いを断るようになっていった。友人たちはそうか、仕方ないよねといって特に責めなかった。誘いを断るたびに私はひどく落ち込んだが、友人たちは決して責めたりはせず、みんなで出かけた後は私にお土産をくれたりした。私はそれを返せないことをひどくすまないと思ったが、彼女たちは気にしなくていいと言ってくれた。本当に心優しい人たちだと思う。
大学に進学して、そこで私は愕然とした。お金の使い方がわからなかった。一人暮らしを同時に初めて、そこで買い物ができなかった。スーパーのどんな品物も高く思えた。すぐにお金が尽きてしまうような気がして、しばらく空腹のまま過ごした。私の中でお金は使ってはいけないもので、遊びにいってはいけないものだという固定概念がすでにできてしまっていた。もちろん遊び方もわからなかった。飲み会も初めてだった。休日にどこかに行くというのは考えられなかった。学校とバイト先の往復、友達ができても遊びの誘いを罪悪感から断っていたらすぐにフェードアウトして行ってしまった。頑張って何度か遊びに行っても、同じような金の使い方はできなかった。なくなってしまう、生きていけないという思いの方が強くてお金が出せなかった。ファミレスの食事など地獄のようだった。高い。高い。どこへ行ってもお金がかかる。どんどんお金が飛んでいく。私は恐慌状態だった。生きていける気なんてしなかった。その結論として選んだのが、部屋にできるだけひきこもり、友人を作らず、とにかくアルバイトをし続けるということだった。
通帳にはどんどんお金がたまっていった。それでも私には足りなかった。どんなに稼いでもためても、すぐになくなってしまう気がしてしょうがなかった。100円のものを買うのにすら何十分も悩んだ。自販機で缶ジュースを買うことすらできなかった。コンビニは私の敵だった。
やせ細っていく私を母は笑った。一人暮らしなんてできるわけがないと思っていた、帰ってきなさいと笑った。でも私は帰らなかった。母は怒って私の通帳を取り上げて新車を買ったが、私はただ黙々とまたアルバイトをしてお金を貯めた。歯をくいしばって泣きながら、体も壊して、でも働き続けた。いつもお金がなかった。お金を取られないように細かくいくつもの通帳に分けて管理した。徹底した管理で家計簿の一円単位まできっちりと毎日記録した。毎日お金のことしか考えていなかった。
大学時代の友人はいない。あの時をどうやって過ごしたのかも覚えていない。時々、高校時代の友達が遊びにきてご飯を食べに行くと、高いけど大丈夫?とみな聞いた。私は泣きそうだった。泣きそうでも大丈夫と答えて笑った。みんなやさしかった。私の頼む量が少なくても何も言わなかった。私が店の前でためらうと別の店にする?私あんまお金ないんだよねと先回りして気遣ってくれた。
その優しさに私は何も答えられていない。なにも返せていない。
社会人になった年は特にひどくて周囲の人と合わせてお金を使うことがひどくストレスだった。それでも我慢して使っていたら慢性の胃炎とめまいと貧血が常に襲ってくるようになった。表面上は笑って過ごしても休日は布団から起き上がれなかった。ただ、救いだったのは同期はみなお金がなかったことだ。無計画に使って、給料日前には後いくらしか残ってないとげっそりした顔で言っている同期もいた。スーツが買えないと愚痴をこぼしている同期もいた。その中でお金がないというのはそれほど苦痛ではなかった。お金がない、という状態を誰かと共有したのはその時が初めてだった。いや、正確に言うと私は今も相変わらずあまり使うたちではないので彼らよりはずっとお金があったのだが、でもあとこれだけしか使えないという感覚の共有とそれを口に出してよいことが新鮮だったし、救いだった。彼らに合わせるのは大学時代よりは苦ではないということに気づいたのはしばらくしてからだった。それからは徐々に体調も戻って、少しずつ使える額を増やしていけるようになった。同期とは今も仲良くしている。たまに飲みに行くこともある。休日にまで会うことは少ないが、でも浅くゆるくつながり続けている。
今でも時々悪夢で目覚める。所持金も口座もすっからかんになっている夢だ。そのくせ必要な出費が次から次へと押し寄せてきて途方に暮れる夢だ。いまだにあの感覚が私の中に残っているのだと知って暗澹たる思いに打ちひしがれる。あの底知れない闇の底を思い出して恐怖する。いまだに、ケチくさいなどと嫌味を言われることがある。それでも少しずつ、人より遅い成長をして、なんとかつかみ取ってきた。異常から正常な方へ、誰かの親切や優しさに導かれてやってくることができた。この感謝は誰に返せばいいのだろう。与えられたものは誰に返せばよいのだろう。どうやって返せばよいのだろう。お金で返すのは汚いだろうか。そういうことをなぜかぐるぐると考え続けている。
付き合い始めるって、そんな重大な決心が必要なのか?
告白の返事をする時点で、身も心も一生相手に捧げることを求められてはたまらない。
相手のことなんてまだ知らないことの方が多いんだぜ?
先月、6年前から趣味仲間であった女友達に告白して、了承を取り付けてきた。
なんでいまさら告白したと思う?
異性の友達を誘うってのは、何だかんだいって誘う口実が必要なんだ。
「○○は面白いから見に行こう」「△△が美味しいらしいので一緒に食べよう」とかな。
でも遊びの達人でもない俺にはそうそうネタがあるわけじゃないので困ってしまう。
これが恋人になると口実がいらなくなるのよ。
「君の顔が見たい」
もうこれだけで会う約束が作れるからな。
もし今後、一緒にいると楽しいかもしれないという予感のする男から告白を受けたら、
とりあえず受諾するとよい。いろいろ試してみて内面が合わなければ、相手の合意なく
一方的通知で縁を切ることも可能だ。
万一気に入った男が告白して来やがらないようなら、帰り道に黙って手を握ってもよい。
ま、ピンとこなければ無理することはない。捨て置け。
ミュージカルを観てきた。
普段こういうのを観ない人なので、どんなモンなのかとお試し的な感覚で臨んだものの、かなり楽しめた。
で、最後にカーテンコールがあるわけだけど、お客さんの拍手が鳴り止まないこともあってか、何回も何回もカーテンコールが続くわけ。
で、で、最初は良かったんだけれど、出演者の満面の笑みを見せ付けられるウチに、何でこっちが高いカネ払って観に来てんのに、アンタらの自己実現のお手伝いをしなきゃなんないのさ、みたいな邪悪な感情が沸いてきて、さっきまでの感動がさめちゃった。
もう何か、自分の心が貧しいのが恥ずかしいやら何とやらなんですが、でも、ミュージカルなんて観る心の余裕すらない人だったら、こう感じる人も少なくないんじゃないか?、と。
幸い、多くの観客(特に女性)は精一杯のエールをステージに向けて送っていて、帰り道でも幸せそうな顔をしている人が大多数だったので、妙にホッとしてしまったが、これはみんな普段の生活でも幸せだからこそ、他人の幸せを純粋に楽しめたり、幸せのシェアリングを抵抗なく受け入れられる証なのではないか?
格差社会やら何やらで幸せを楽しむ余裕がない人が増えてしまうと、結果としてこの種のエンターテイメントが成り立ちにくくなってしまうのかもね。
今日は一時に起きた。最近あまり寝られないし、寝なくてもつらくない。毎日栄養ドリンク飲んでるけど。朝になったので、早朝のうちに出かけないとと思った。家にいてはいけない。外に出ないことはわるいことだ。だらだらしていたら八時近くになってしまっていた。父に頼まれたチョココロネを買いに、パン屋に行った。パン屋のあとはコンビニに行って、それから一度家に戻ってチョココロネを冷蔵庫に入れて(この季節、冷蔵庫に入れないとチョコレートが溶けてどろどろになってしまうのだ)それから少し散歩に行こうと思っていた。そんなだからわたしはとても気の抜けた格好で、鏡を見るとすごく醜かった。パン屋でレジに並んでいるとき、なんとなく嫌な予感がした。そのときは特に気にしなかった。小学校へ向かうこどもたちに「無職! 無職!」と言われているような被害妄想がよぎるが、別に気にはならない。パンを買ってコンビニに行った。食べ物が目に入ると吐き気がする。フリーペーパーが置かれていたのでなんとなく手に取ったら、「汚い手で触るな!」と思われた。たぶん空中が考えたことだ。そこでちょっと、おかしいな、と思った。でもまあ、被害妄想が激しいのはいつものことなのでいちいち気にしてはいけない。と思った。コンビニを出て帰り道、離れたところに男性が立っていた。じっと見てくるわけではないが、どうやら私を監視しているようだ。監視というか、見張り。彼はエージェントだ、直感的に悟った。携帯でだれかに連絡をとっているようだった。その直後、若い女性と小さなこどもの親子連れとすれ違った。彼女たちは私から顔を背けるような、目を伏せるような感じで歩いていたが、それは彼女がスパイであるという何よりの証拠だ。先ほどの男性と同じ組織の仲間なのだろう。こども連れなら私に疑われないと思ったのだろうか、それとも子供がいれば私が彼女に危害を加えないと思ったのかもしれない。とここで、急に何書くか忘れた。一日中もやもやしてぴりぴりする。何だか怖い。ここ最近、自室で人がざわざわする声(音?)が聞こえるような気がするんだけど
気のせい。
頓服の薬は体にきつすぎるし、今日はもう、一回飲んだ。昼間から寝てしまった。
今もう一度飲んだら今夜眠れなくなる。
何かに没頭してないとよからぬことばかり頭に浮かび怖い。
ずっと何かに追い立てられている。没頭していないと何かよくないことが起こってしまう。
部屋に取り込まれる。気が体に入ってくる。
うん、全部気のせい。
そんなものだ。
おなかすいた。なにか食べよう。
そのあとたぶん、コンビニに行こう。
もう何年か前の出来事。
その頃自分は定職についておらず、日雇いで倉庫のピッキングをしていた。
自分の経験したいくつかのバイトの中でも、もうしたくないバイトとして1、2を争うくらい。
大学生くらいのお兄ちゃんが携帯で、あたりを気にせずしゃべっていた。
もう携帯電話のマナーはそれなりに行き渡っていた頃で、周りの人もなんとなく見てる。
そんな中、彼に声をかけた酔っ払いの親父がいた。
酔っ払い親父VSチャラいお兄ちゃんの戦いは火蓋を切らず、
酔っ払いだけどGJ!!
よく言った、おっさん!!
車内は一気に二人を生温かく見守る雰囲気に。
親父は従順なお兄ちゃんが気に入ったらしく、彼が電話を切ったことを褒めたりして、
しばらく絡んでいた。
やがて親父は財布から五千円札を取り出して、お兄ちゃんに差し出した。
「ほれ、受けとんなよ。携帯電話切ったご褒美。俺ぁ今日競輪で勝って機嫌いいのよww」
え?ちょ、おっさんww
今さっきまで、おっさんこの小さな車内でヒーローだったのにww
その五千円イミフww
おっさんの株、大暴落ww
携帯切るのは当たり前で、ご褒美もらうようなことじゃないww
お兄ちゃんは当然断っていたのだが、いいからいいからと押し付けられて、
結局受け取っていた。
「ありがとうございます」って恥ずかしそうながら、すごい笑顔だった。
当時私の日給はたしか七千円あたりだったのだが、交通費等をさっぴくと、
実質六千円くらい。
私が一日かかって稼いだ金額のほぼ同額を、
車内マナーを守っていなかったお兄ちゃんが一瞬にして手に入れるこの理不尽。
車内マナー守らないから、誰か俺にも五千円くれ!!
思わず心の中で絶叫してしまったとしても、罰は当たらないと思う。
おっさんは機嫌がよくてお金をあげただけだろうから、誰も損した人はいない。
お兄ちゃんは通話相手と一緒に、
あぶく銭で酔っ払い親父を肴に、楽しく一杯飲んだのかもしれない。
私は釈然としないまま電車を降りた。
最近、彼氏が冷たかった。忙しいと言って連絡がとれないわりに遊びに行っている様子だったし、家に行こうとすると嫌がる、一緒にいても触ると怒ったり避けたり。手すら繋がない。理由は全然わからなかった。
先週、彼の誕生日だったのでお祝いをした。最近の冷たさに対しイライラして私の態度も悪かったのだと考えた。仕事で忙しくて余裕がないのだろうに、私の態度がきつすぎて素直になれないのかもしれないと。なので誕生日はプレゼントも奮発し、ごちそうを作り(材料もこだわって遠くまで買いに行った)、彼の誕生日のために絵を描いて贈った。とても喜んでくれて、これで仲直りできたと思った。
今日、また冷たい態度をとるので泣きながら、もう好きじゃなくなったのか、と聞いた。ずっと不安だった。聞いて、そうだと言われるのは嫌だったけど、このまま付き合っても辛いばかりだと思って、なるべく悪いところは直そうと、やり直せるよう努力するつもりだった。
結論は、彼氏にはある性癖があって、私がそれを受け入れられないだろうから、悩んでいるとのことだった。一緒にいて、セックスをして、そうしたら欲求も出てくるし、抑えられなくなるから、距離を置いていた。でもどうやっても傷つけるだけだから、別れようと告げられた。
私は彼の性癖を受け入れられそうになかったし、別れるのもまだ好きだから辛かった。今日は彼の家で一日中泣いていた。晩ご飯を食べた店でクーポン券をもらったが、この店に来ることは二度とないのだと思った。彼の家から駅まで送ってもらう途中、もうこんなこともなくなるのだと思ってまた泣いた。帰り道、二人でよく行ったファミレスのランチタイムにおかわり自由で食べれる手作りパンがおいしかったとか、よく来ていた彼の家の近所のカラオケ屋の曲が全然揃ってないこととか、そんなとりとめもないことばかり考えて、もう最後かもしれないのに泣いてばかりで一言も喋れなかった。
昨日、池を探しに行きました。
雨も降らず、暑い一日でした。
池は、結局見つかりませんでした。
池の場所がどこだったのか、思い出すことが出来ませんでした。
何時間か歩いて、私は諦めました。
「もう、いいんだ」と私が言い、彼女は「本当に?」と聞きました。
私は頷きました。
それから、ポケットからスルメを取り出して、袋を開け、ゲソを一本咥え、
彼女は笑いながらゲソを咥えました。
ゲソを咥えて、私たちは笑いました。周りの人からはきっと変な人たちに見えたでしょうね。
私は、友達の話をしました。
ザリガニ釣りに行った話、同じミステリーを読んでいた話、彼が好きだったポッキー、
大好きだった秘密の場所。今は家が立ち並んでいましたが、昔は芝生の畑でした。
こっそり忍び込んで転がって話をするのが大好きだった。
話しながら、私は泣いていました。
涙がぼろぼろ出た。そのうち、泣いているせいで話せなくなった。
私は嗚咽していました。歩きながら、子どものように泣きました。
彼女が静かに私の後ろを歩いていることがわかっていました。それが嬉しかった。
私たちは私の部屋に帰りました。
帰り道、無印良品で彼女はレインコートを、私は黒いナイロンのポンチョを買いました。
昨日の夜はいつもと同じ、私たちの静かな夜でした。
フードに当たる雨粒の音と、波の音が重なっていつもの浜辺がどこか遠い国の浜辺のようでした。
家に帰ってシャワーを浴びて、彼女は帰りました。
冷えたのではなく、蒸れたのです。
日本の梅雨時、傘を差して歩くほうがふさわしいというのが今日の答えでした。
明日から仕事に戻ります。
昔、友達に話したように、科学者としての仕事を続けていきます。
友達は医者になりたいといっていました。
いや、天国には医者は要らないですね。そこが本当に楽園ならば。
これでこのお話は終わりです。
最初にひねくれた勢いで書き出したことがきっかけで、
なんだかとても長い旅が出来ました。
ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090626014641
追記
後ろから来た車のフェンダーミラーが友達の自転車のハンドル右側に当たり、
その反動で私の前を横切るように、左側へ飛ばされたのです。
彼は直接車にはぶつからなかったそうです。
飛ばされてガードレールにぶつかった自転車の突起、恐らくはハンドルが胸にぶつかった。
このことも、ずっと思い出さずにいましたが、昨日思い出しました。
正直もう我慢ならない。
朝10:00直行のアポも平気ですっぽかすし、夕方のアポがあればそれが一瞬で終ろうともどれだけ仕事が溜まっていようともまっすぐ帰る。朝のアポをすっぽかされた際に電話をすると「ごめーん、昨日飲みすぎた」なんて言う。挙句の果てには、午前中のアポがすっぽかされた時も「12:00にあそこの喫茶店待ち合わせな。一緒に会社戻ろう」なんて言う始末。その不真面目さがどうしても我慢ならない。
でも、案件を一人でクローズできずその上司に頼ってしまうことがある自分がいるのも確かで、完全に突き放しきれない自分が悔しい。先日飲みにいったんだけどもその帰り道「お前今日働いてないじゃないか」なんて殴られて、その上司が楽しそうに酔ってるのを尻目に悔しくて悔しくて涙が出た。「お前こそ仕事してねーじゃんかよ。いつも午前中何してるよ?寝てんだろ?」と言い切れない自分。悔しい。
女30代。1人暮らし暦10余年。今の部屋は4部屋目。
私は街に惚れこむ派なので、住みたい街をまず探します。仕事での便も合わせて、ある程度街の絞り込みはしないとダメ。
その上で、私が部屋を探すときのコツとか。こだわりポイントとか。
そして、どこでも数件の内見をする。内見だけして「持ち帰って悩みます」って言って全然OK!
数みて比較すると、自分の中に指針ができる。誰が何を言ったって、一番大事なのは自分の感覚です。
できればデジカメを持参して、とにかく写真を撮りまくると良いですよ。記憶はあっというまに薄れるし混同するので。
【2】1人でも行く
不動産屋さんに1人で行くのが不安というのは正直よくわからないです。何も怖くないですよ。
ちょっとでも不安なことがあったら、どんなに「他の人に決まるかもしれないよ」と言われても、一度持ち帰ればヨシ。
もしもそれで2~3日の間に本当に違う人に決まっちゃったら、それは縁がなかったと思うこと
【3】予算が厳しい
その値段で都内探そうとすると、不動産屋さんが最初から舐めた態度をとってくるかもしれないけど、気にしない心の強さを。
学生街だったりすると意外と安いボロアパートがあったりもするので、そういう方向で街を絞り込んでもいいかも。
◆部屋のこだわりポイント(あくまで私の)
・通えそうな食べ物屋さんがあること
・ガスコンロが置けること
・エアコンがついてること
・日当たりが良いこと
【以下、個人的雑感】
私は歩くことが嫌いじゃないので、賑やかな通りを通れるなら、駅から徒歩20分くらいまでは圏内として候補に入れます。自転車使ってもいいし。
夜間には人通りが途絶える道を15分歩いていた時期もあるけど、あれはやっぱり怖かったのでオススメしない。
4件中3件は一階。地震が怖くてたまらないので、いざというときに外に飛び出られる部屋じゃないとどうしても落ち着かないので。
何かを盗まれたり覗かれたりした経験はナシ。ラッキーだっただけかもしれないけど、一階に住む危険性ってあんまりピンとこない。
日中は家にいないから日当たりはどうでもいいやーって日のあたらない部屋に住んだこともあるけど、昼夜の区別がつきにくくて不健康な感じだったので今は日当たり重視。
28歳。サラリーマン。僕の住む家の近くに、こんな家がある。
クリーム色の外壁は雨風で薄汚れていて、玄関のドアは新しくペンキで塗りつけられたのか、光沢ある深緑色。家の前に止めているのは鍵の壊れた「チャリ」と、よくわからないシールが貼られたヤマハのジョグ。
夏になればその家の2階の窓は開け放たれていて、日本のパンクバンドの歌声が聞こえてくる。多分ipodとかではなくCDラジカセとかから鳴っているに違いない。会社からの帰り道、中学生か高校生の男の子が、その家の前でうんこ座りをしているのをよく見る。前を通る度、ちょっと緊張する。
今夜、その家の前を通りがかったとき、中の様子が望めた。漫画が中心の本棚の上に地球儀が乗っていて、その横には有名らしい海外のサッカー選手のポスターが貼ってあった。
それを見て、友達の家には必ずポスターが貼ってあったことを思い出した。やはり有名なサッカー選手だったり、ヴィジュアル系バンドであったり、グラビアアイドルであったりした。
子供の頃、友達の家に行くのが楽しみで、他人の家のニオイが好きだった。学校で会う友人とは違う一面を見ているような気がしていた。そして、自分の実家の部屋には何も貼っていなかったことも思い出した。
それなりに少年時代は好きなバンドやマンガや小説なんかがあって、それを幼稚なパーソナリティの源泉にしていた。むしろ、マイナーな海外バンドのインタビュー記事から、自分の人生訓を見出していた典型的な中学二年生だったと思う。
なのに、僕はそれらのポスターを貼らなかった。別に小奇麗な部屋でもなかったし、画鋲の穴を気にするような性質でもなかったのに。
さっきの家を通り過ぎて、オリジン弁当を買いにいく道すがら、ずっと考えていた。店について、紅鮭弁当を注文して、弁当が出来上がるまでにひとつの答えを出してみた。
どんなポスターだって、親の目には触れるし、家に呼んだ友達も見るかもしれない。何より毎日、自分がそのポスターを眺めることで、「自分はこれが好きなのだ」と言い聞かせることになる。好きなものを好きだと表明することは覚悟がいるのだ。
何者かになると言うことは、その覚悟をするということだったんじゃないか?その覚悟とのギャップを埋めるために、努力することだったんじゃないか?
満足とも不満足とも言えない今のサラリーマン生活から、ふと出した答えだった。
僕はポスターを貼らなかった。剥がしたくなるようなポスターもない。紅鮭の皮を剥がしながら、この事は忘れないでおこうと思った。
夕方に前通ったら、おじさんが首からボードぶらさげて、中をにらんで立ってた。
正直、草彅くんが裸になって困ったこと絶対一つもないだろ。お前。
なんなの?ひまなの?趣味なの?草彅よりてめーが腹立つんだけど。
てか営業所の前で抗議とか効果いっっさい無いよ?本社いけ本社。バカなの?
と思った後、なにか納得できないことがあったとき、僕は何をするかなと考えた。
僕は、多分抗議とかしないだろう。なぜなら一人で変えられる訳ないとおもうから。
怒って、何かしようと考えて、そこでふと思う。「ちっぽけな俺が動いたところで、一体何が変わる?」
だんだん「所詮・・・」とか「無駄・・・」とかそんな言葉が浮かんできて、諦める。
あぁそうか、と受け止めたふりをして、そういうもんだと納得したふりをして、諦めるんだろう。
一人でも戦ってるおじさんのほうが、僕なんかよりもなんぼかマシじゃないか。
帰り道、おじさんはもういなかった。おじさんは、横のコンビニで立ち読みをしていた。
あぁそうか、と受け止めて、そういうもんだと納得することにした。
ぼくはこれからも多分、いろいろ諦めていくんだろうと思う。そんな気がした。
塾の帰り道、俺は日も暮れて真っ暗な中を歩いてた。
何か片手でいじりながら立ちこぎしてて、フラフラしてんなー…と思った瞬間。
街路灯に照らされた後輪がパーン!と光りながら跳ね上がった。
え?何?逆ウィリー?と面喰ってたら、自転車横転。
ガッシャーン、と前カゴから荷物散乱。
それでも、困ってる人は助けるのが当たり前、という良い時代。
とりあえず、散乱した荷物をかき集め、「大丈夫ですか?」と駆け寄った。
…オッサンは痙攣してた。
固まる俺の目の前でどす黒い液体がじわーっとアスファルトに広がっていく。
やべぇぇぇぇ!!!と思っていたら、近所のおっちゃんが通りがかった。
大急ぎで、自転車ですっ転んだらこんな事に!と訴え、二人で自転車のオッサンを見る。
ガクッガクッと、なんかもうゾンビ映画みたいに痙攣してる。
どうやら、前輪に片足をおもきり突っ込んで、転倒したらしい。
見事に足がはまっている。すごい変な形に曲がってる。
近所のおっちゃんは救急車を呼び、ペンチで前輪の金具を切って足を開放した。
それから…なぜか家に引っ込んでしまった。
痙攣は治まったが、血だらけのオッサンと、自転車と、道路のど真中に取り残された俺。
街路灯があるとはいえ、車が来たらヤバイ。
俺はその場で自転車のオッサンの番をしていた。
地面に広がったシミは、真っ黒で、血と言うよりコールタールみたいだった。
かき集めた荷物を見たら、参考書。オッサンと思ってたら、大学生か浪人生だったらしい。
そして、自転車の向こう側に、小さな物体が落ちているのに気がついた。
うまい棒。
どうやら、うまい棒食いながら自転車を漕いでいたら勢いあまって前輪に片足を突っ込んで頭ざっくり切った…という事らしい。
ああ、これで死んじまったら、どうすんだろう。
車が通らないか注意しながらそう思いを巡らせていたその時だった。
あまりにも突然だった。
「あー…」
兄さんは肩をゴキゴキさせ、一歩進んでガクっとつんのめった。足は変な方向を向いたままだった。
「あれー…?あー…」
血だらけの兄さんは、自転車を起こした。前輪は曲がり、おっちゃんが切った金具が変な音をたてた。
もう、ゾンビ映画そのままに、血だらけの兄さんはガックンガックンしながら、自転車を押して歩きだした。
そこでようやく俺は我に返った。
「!?ちょ、今、今救急車来るから!待って!待って!」
兄さんが血だらけの顔で俺を見た。
「…あー…だいじょーぶ…だから、はい」
「ダメだって!血、出てるから、ダメだって!足だって、変だろ!?」
「…ああ…だいじょーぶ…」
「全然大丈夫じゃねえから!!!」
血だらけゾンビ兄ちゃんと、俺の攻防は救急車がたどり着くまで延々続いた。
今でもうまい棒見るたび、ふっと思い出す。
いつものようにレベル上げをしていたら、「もう飽きた」みたい空気になって、それでボスに特攻しようということになった。
みんな死ぬつもりだったが、俺にはこうすりゃいけるんじゃないかという密かな考えがあって、こっそりスキル構成をセットしなおして戦闘に望んだ。
んでまあその戦術を試してみたら案の定上手くし、みんなすげーすげー言うし、俺は有頂天だった。
しかし盾役ということもあってあと少しというところで死亡してしまった。回復役の人は「蘇生させるよ」と言ったが、そのために戦況が悪くなると踏んだ俺は、街で復活を選んでここに戻ってきた方がいいと判断して戦闘から抜けた。
戻ってくる途中で戦闘は終わった。俺は間に合わなくても良いと思っていた。自分は十分に役に立ったと満足していたから。パーティの元に到着すると、みんなドロップアイテムを分けてくれた。口では「え、なんでくれるの?」とか言いつつ、まあ当然だろうと心の中では思っていた。帰り道に回復役の人が「もう少しで蘇生できたのに、残念だった」と言った。その時は何も思わなかった。
最近何故かその言葉がしきりに思い出される。あの時俺は自分一人が全てをまわしていると自惚れていた。でもその回復役の人だって俺を助けるために色々考えたんだ。それを踏みにじられた。おまえなんか信頼しないと行為で示された。残念だったろう。俺は自分の有能さを感じられたことで満足したが、その人だって自分の有能さを感じたかったかもしれないのに、俺はその機会を奪った。考えた戦術だって、事前にみんなに話せば、もっと練られた、連携のとれたものになったかもしれない。俺はそれよりも手柄を独り占めしたかったんだな。いや、相談なんて念頭に上らないほど、パーティのメンバーを侮っていた。信用していなかった。蘇生だって待てばよかったんだ。あの時仲間に賭けていれば、もっと大事な、得がたいものが得られたはずだ。
楽しそうな話してますね、入れてください!
同年代ぐらいの女性になんか親しげに話しかけられたりすることが増えた
彼女居たことないしそういうの読む判断力に自信は無いけど
一緒にご飯食べに行こうと言われたり帰り道歩いてるときにくっついてこられたり
とかそういうの
で、そういうときに
「あーこの人はもしや妥協して俺と結婚したいのかな」
とか考えてしまう
そうすると思春期から蓄積した嫌な気持ちがあふれ出してしまう
更に出てくる最低な発想を素直に書くと
「自分がまだ彼女を欲しかった思春期から22,3ぐらいの時期に
この人も『彼女を作れる男』と若い彼氏彼女の恋愛を楽しんでいて
年齢的にそろそろそういうことしていられなくなったので
でもそうすると自分が参加できなかったパーティのあと片付け押し付けられてるみたいだな」
って
そうなるともう二度とその人とご飯食べに行ったりしなくなる
これまでは美容室でカットしてたんだけど、職を失ってからは専ら1000円カット。
新築高級マンションのエントランスから小太りの男が出てきて目が合った。
ユニクロで売ってるような無地のポロシャツに綿パン、アディダスのスニーカーという出で立ちに何故かバーバリーのショルダーバッグ。
アディダスとバーバリーという珍妙に着こなしに何とも言えぬ違和感があり、普通に「だせぇ」と思った。
男は無表情のまま俺のやや前方同じ方向に向け歩き始めたのだが、突然「ぶはは!」と吹き出した。
逆光で表情は見えないがガラスごしに明らかにこちらの様子を伺っている。
iPodや携帯をするでもなくガラス越しにチラチラこちらを見ながら笑いを押し殺して歩いているように見えた。
瞬間、体内の血液がカッと逆流した。
いい年で無職、スポーツ刈り、無精ひげもボーボーだし、身なりも整っていたとは言えない惨めな境遇の自分と、
悪趣味ながらもおそらく勝ち組にカテゴライズされるであろうこのブ男を瞬間的に対比してしまい、完膚なきまでに打ちのめされた。
だが次の瞬間、「この野郎!馬鹿にしやがってよ!!!!」と危うく絶叫しながら飛び掛るところだった。
これまで警察沙汰になるような事件など起こしたこともない、自他共に認める穏健派のこの俺がだ。
怒りと屈辱で未だに手が震えている。
巷では職を失った人たちの事件が紙面を賑わせているが、俺もそろそろ他人事ではなくなってきたのかも知れない。
気付いたら夜になってて、朝まで起きておいて、
リズムを戻そうとしても昼2時くらいから寝て、また夜寝れないサイクル。
今日、久々にスウェットから着替えて外に出て、
店員との会話を躊躇って、ずっと会員ガードを作れ無かったけど、行けて良かった。
行ってる間なんとなく携帯を持たずに出て、体感時間がゆっくりしてることに気付いた。
検索パソコンの時間を適度にチェックして、寄生獣は3時間で読み終えて帰った。
行きの道で風が気持ち良くて、葉っぱが手に触れそうで、触った。
そして、前にテレビで見たことを思い出した。
20歳からどんどん、生きるスピードが早くなる。
気付いたら5年くらい経ってるって話、それは良く聞く。
でもそれをゆっくりにさせる方法がある。それは、
新しい挑戦をすること。
新しい体験をすること。
新しい友達を作ること。
何かひとつでも出来ると時間はすごくゆっくりになる。
あっという間に過ぎる時間は、もう慣れちゃって脳に刺激が無い。
だから直ぐ時間が経つ。そんな話だった。
3時間が1時間30分に、と書いたけれど、自分にはGWよりも今日の4時間が長かった。
そんなことありえないけど、そう思ったから仕方ない。
パソコンの前に居て、色んなことを知った気になっても
いざ電源を切れば、自分の部屋は汚いままだし
色んなことを知っている時間って、同時に自分でものを考えない時間でもあって、
それは食べ物を食べて消化吸収しないようなものだなあ、と
電源を切る度思ってたけど、それを実感した日でした。
0と1で構成された世界とは、もういい加減さよならしたいです。
(少なくとも依存してる状態から、さよならしたい)
18歳の時、僕は祭りからの帰り道で、金魚がビニール袋に入れられて木にぶら下げられているのを見つけた。僕も大してそれが欲しいというわけじゃなかったけれども、このままでは早々にその金魚は死んでしまうだろうと思った。それで、それを僕は家に持ち帰った。
母に金魚を持ち帰ったことを言い、母が水槽を用意した。こうしてその金魚は我が家の一員となった。
その金魚の名前を言っておくべきかも知れないが、それは出来ない。なぜなら、僕はその金魚に名前をつけることを忘れていたからだ。それはただ、金魚、と呼ばれた。
数ヵ月後、大学進学のため、僕は故郷を後にした。両親には娘と息子のふたりの子がいて、娘、つまり僕の姉はもう結婚していて、家を出ていた。僕が家を出れば、両親はふたりで家に残ることになる。そうなれば、少なからず寂しいことになるのだろうなと僕は思った。
父が電話をかけてきても、これと言って話題もなかった。それで父は僕が実家に残してきた「金魚」の話をした。僕はそれについては特に興味もなかったけれど、父が僕と話したいと思ってくれているのであればそれは嬉しいことだと思った。両親は僕の代わりにその金魚の世話をしていて、帰省するたびに、その金魚は大きくなっていた。
数年が過ぎて、父が死に、母もまたそれに続いた。
金魚は僕に委ねられた。それはまだ生きている。全長が15センチにもなる。今では、やや愛情らしきもの感じなくもないが、あいかわらず名前はつけていない。
When I was 18 y/o, I went to a festival with my friends. After I enjoyed it very much, I walked back home. I found a kingyo in a plastic bag which was tied to a tree. Though I didn't want it so much either, I thought it would die soon if I didn't help it. So I returned home with it - I didn't know if it's a male or female.
I told my mother that I brought a fish, she prepared a tank for it. The fish became a member of our family.
I should tell you its name. But I can't do so because I forgot to give it a name. It was just called "kingyo".
Some months later, I had to leave my hometown to go to a university. My parents have two children, a daughter and a son. The daughter had already married and moved out. After that, I also left home, and they remained by themselves. I think they felt lonely.
When my father called me, he didn't have many things to speak. So he told me about 'my' kingyo which was left at the home. Though I wasn't interested in it, I was glad that my father wanted to speak with me. I think they took care it instead of me. Every time I returned home, it became bigger.
Later, my father died, and my mother followed.
The fish was left to me. It is still alive. Its length is about 15 cm. Now I feel a little love for it. But it doesn't still have a name.
そいつは自営業してる父親の家庭に生まれた。
けっこう両親ともに年食ってから生まれてきたので、
父と母というより祖父と祖母に近いくらいだろう。
生まれてから数年のことは聞いてない。
そけいヘルニアだとか、階段から転げ落ちて頭を縫うとかはしたらしい。
彼の記憶によれば、最初の登園日など、送迎バスに乗るときに母親と離れたくなくて暴れてたらしい。
母親は、休み癖も小学校になれば変わるだろうと思ってたようだ。
小学校にあがる。
人見知りが激しく、
「お友達になるために自己紹介カードを交換しましょう」なんてお遊びをやった時、
あまり交換してなかったような気がする。と言っていた。
小学一年でも既に休みぐせが増えていたが、まだ許容範囲だっただろう。
小学二年からは休みが多くなり、教室に入りづらいと既に思っていたかな、とのこと。
小学三年で完全に不登校になるが、担任教師が「放課後クラスのみんなと一緒に遊びましょう」ということをやってくれたらしい。
そいつはしぶしぶながら行き、その癖楽しんでいたかもしれないと言っていた。
小学四年では、担任の努力の成果か、学校に、休み休みながら通っていたし、友達っぽいのも居たらしい。
しかし、秋ぐらいにぱたりと行けなくなってしまった。何故かは憶えてない、と。
小学五年ではそういう奴専用の教室のようなものが学校内に用意されてそこに通い、
六年にはそういう奴専用の、市の施設みたいなところに通っていた。
卒業式には出たという。
そいつは中学校に上がった。
俗に言う中二病みたいなものが、ほんのちょっとあったかも、と悶えていた。
それが原因か性格が原因かは知らないが、同級生に少しからかわれていた。少し
それが原因か他になにかあったのかまでは解らないが、また不登校になった。
前述の施設に(小中学生どちらも行ける)また通いはじめたらしい。
中学二年では、テストを別室でもいいから学校でやれば、点数になって高校受験の時の評価になると言われ、
別室でやっていた。
自宅学習とか出来ない奴だったらしいが、
半分以下の順位になった時は一回以外全く無かった。と自慢していた。自慢かそれ
中学校三年生。
相も変わらず施設には通って、学校復帰の兆しは見せなかった。
成績はあんまり変わらなかったが、数学と英語の成績に頼った危うい成績だったため、
個人授業の塾に通っていたらしい。
それなりに成績が上がって、30/150人くらいの順位をキープしていたらしい。自慢気に言うな
受験前というのもあったが気づけば5教科すべて個人授業を受けていたらしい。金かかっただろうな。
受験。成績はともかく、内申点が壊滅的だったが、普通高校に志願した。
学校で練習したり、前述の施設でも練習し、最終的に担任に誉められて喜んでいた。単純な奴め
結果は合格だった。
ネットで確認した後、一応ということで学校での合格確認の帰り道、
たまたま学校で一緒に面接の練習してた、"普通の"子が落ち込んだ顔で通り過ぎていたらしい。
俺は、不登校という理由で落とされるのと、真面目に学校通ってた子が落とされるのと、どっちがマシかなと思いながら聞いた。
そいつは高校に進学した訳だが、
もう早速不登校になりそうだとかほざいていた。
何年も不登校だった奴が突然行ける訳がない、解っていただろうに。
周りの人も忠告していたらしい。リハビリがてらに中学校に顔出せと。
そいつは今更になって現状を怖がっていた。
高校すら行けなくて、将来どうするのだと。
それだけです
今日、社会人三年目になって初めて後輩を叱りました。何についてかと言えば、新入社員がやってしまいがちな「遅刻の連絡をメールだけで済ませてしまいました」というアレです。今じゃフレッシュマンの心得としてR25にも載ってる失敗例を彼は見事に実践してくれたのです。
普通の新入社員だったら“叱る”のではなく、普通に“注意”程度だったでしょう。ただ一つ違ったのは後輩君はわたしの一つ下、すなわち今年入社二年目だということです。新入社員ならまだしも二年目の子がこんな基本中の基本のミスをするとも思えず、帰り際そっと後輩君に事情を聴きに行きました(ちなみにこのミス、偶然にも上司や他の先輩の耳には入っておりませんでした。つまり彼に協力した後輩がもう一人居たのですが…置いておきましょう)。
彼の返答はそれはもう見事なもので「メールで伝えました!」とのハキハキとした良い笑顔。うん、この時間にその元気はすばらしい。だがね、チミ…悪いが今から説教するよ?…と、今回の件の何が悪いのか、どうすればいいのかと後輩君に話し始めました。するとみるみるしぼんでいく彼の笑顔…ああ、なんという罪悪感。相手を傷つけないように慎重に言葉を選びながら、私も懸命に一つ一つ彼に伝えていきました。そうしていると、頭に広がっていくいくつもの既視感…あれ、これなんてデジャヴュ…ああそうか、そうなんだ。今私が彼に伝えている言葉は、今まで私が言われてきた言葉そのものなんだ。そして、目の前で落ち込んでいる後輩君は昔の私と同じなんだ。
「わかりました…反省します。教えてくださって本当ありがとうございました!」話し終わった後の彼の言葉にどれだけ安心したことか。正直言うと、話している最中の私は緊張と苛立ちで足が震えていました。人を叱るということがどれだけの労力を使うものか、やっと理解できた気がします。相手に伝えている言葉がそのまま自分に跳ね返り、逆に自分の資質そのものを問われているような感覚に陥る…そして終わった後は、心の奥からどっと疲れが噴出す…叱るということは叱られる側の何倍もの力を使うものなのだと初めて知りました。
わたしに何時間も説教してくれた大学の先輩、ダメな点を一つ一つ教えてくれたバイト先の上司、分かるまでとことん付き合ってくれた今の職場の先輩、そして怠け者のわたしを一社会人に育ててくれた両親…。今まで自分を叱ってくれたたくさんの人の想いが今になって感じられて、帰り道は一人泣くのをこらえていました。
嫌われ役でも悪役でもいいから、悪いことは悪いとちゃんと叱ってあげることのできる先輩になろう。自分が受けた愛情を下の子たちに伝えてあげよう。なんて、少しは自分も社会人らしくなったかなと思った4月終わりでした。
先週は少し仕事で遅くなることが多かった。そこそこ人の多い電車を降りて、そういや冷蔵庫の中に何もなかったなーと思いだしてスーパーによって、ついでにトイレットペーパーも買うかとスーパーの二階の日用品コーナーに行ったんだ。結果としてトイレットペーパーはちょっと高かったので、向かいのドラッグストアがまだ空いてるからそっちで買うことにしたんだけど、諦めてスーパーを出ようとした時に若い男とすれ違った。あれ、とその時は思った。その男、電車で一緒だったし、駅の出入り口のところでだれかまってるみたいに壁にもたれてるのみかけたから。なんでわかるかって言うとまぁ単に目があっただけなのと自分は割と短時間では人の顔をかなり記憶しておける方だということがあるんだけれど。その時はあれー同じ方向なのかと思った程度だった。だれかまってたんじゃないのかなーとちらっと思ったりもしたけどそんなに気にも留めなかった。
向かいのドラッグストアのトイレットペーパーもちょっと高かったからやめて、もうすぐ切れそうになってる燃えるゴミの袋を持って、会計の列に並んでいるときにドラッグストアの入口に男がまた見えた。目があった。
正直ぎょっとした。男はサラリーマン風で、スーパーの袋は持ってなかった。何でもなさそうな顔をして、ドラッグストアの入口の所に立ってる。誰かを待ってる風に。もしかしたら杞憂かもしれないし、ただ単に偶然連れがドラッグストアで買い物をしているだけなのかもしれない。でももし違ったら、と思うと怖かった。家までは少し暗い道が続くし、人通りも少なくなる。ただでなくてもあまり歩きにくいハイヒールだし。
結局、ただ偶然だろうということを信じて、買い忘れがあった風を装ってもう一回スーパーに入った。商品を見るふりをしながら入口をみるとまた、男と目があった。心臓が止まるかと思った。しばらくスーパーの中を徘徊して背後に気をつけつつスーパーを出ると男はいなかった。帰り道は後ろを振り返りつつ歌を歌いながら帰ったけれども、冷汗が止まらなかった。自意識過剰といわれても構わないから、犯罪に巻き込まれたくないよ。怖い。
ついでに言うと中高制服のスカートは校則のせいで膝下、タイツ着用、今も別に露出度の高い服装はしていないのにコレぐらいだから、かわいい子は推して知るべしだよ。同級生に話を聞くと似たようなもんだから、痴漢というクズ野郎は、本当にたくさんいるんじゃないかと私は思っちゃうな。痴漢にあったことある?じゃなくて何度あった?の世界だもん。
性犯罪者の調査では、「見た目がかわいい子」よりも「大人しくて騒いだりしなそうな子」をターゲットにしやすいという結果があったりするから、かわいい子ほど被害に合いやすい訳ではないみたいよ。
でも、痴漢被害にあったことない子なんてほどんどいないんではないだろうか。
とりあえず、ずっと東北の地方都市在住の自分の痴漢被害履歴を晒してみる。