はてなキーワード: であるとは
「一票を投じたとて政治に変化をもたらすことは不可能であり、にもかかわらずなぜ大勢の人が選挙に行くのか?」と疑問を呈したのは大学の政治学者で、要するに自分の一票が物事を決める状況というのは、他の票が奇麗に分かれているときに限られる。例えば一万票と一万票といった状況で、自分が投票したほうが勝つ。なんて状況だが、そんなものが稀であるのは説明するまでもないだろう。
実際、ほとんどの場合、選挙結果は圧倒的な差で決まっているわけで、選挙の結果を見てみても自分の一票が果たす役割はほとんど無いといっても過言ではない。
それでも、なぜみんな選挙に行くのか?
この問いを深く掘り下げてみてほしい。するとその答えが一つ見つかり、結局「自己満足」に行き着くことだと気づくはずだ。
例えば、ガーシー氏が当選した時、「そもそも民主主義って機能してるのか?」という議論が一瞬だけ広がった。けどその議論はすぐにフェードアウトして、誰も本質的なところまで突っ込んで考えなかった。民主主義が本当に機能しているのか? 投票という行為自体が、今の政治にどう影響を与えるのか?それを考えることがなかった。なぜなら、そのほうが楽だからだ。無責任に選挙に行って、「自分が政治を変えたかもしれない」なんて錯覚に浸っているほうが、楽なんだよ。
そして、この「自己満足」の仕組みがどれほど強力か。
投票をした自分に安心感を与えてくれる。やれるだけやったという一種の達成感を与える。それはパンとサーカスのようなものだ。
人々が目の前の娯楽に満足し、生活が豊かに見えたとしても、その背後で本当に大切なことが進行しているのを無視してしまう。それと同じように、投票という行為も、私たちが本当に求めていることから目を背けさせ、無理に心を満たすための手段に過ぎない。
実際、投票によって政治が本当に変わるかなんて、ほとんど期待できない。
政治が変わるためには選挙だけではなく、もっと深いところでの戦いが必要なのは誰もが分かってはいるはずなのに何もしない。
要は皆、夢を見ているだけなんだよ。
投票はあくまで「自己満足」のためのもの。少なくとも、政治を変えるための本当の力にはならない。それを理解せずに、ただ「自分は選挙に行って投票したから、何かが変わるはずだ」と信じ込むのは、正直、救いようのない馬鹿だと思う。だって、投票したところで、実際にはその一票が何かを変えるわけではないから。政治を動かすためには、もっと強い意志と行動力が求められる。選挙だけで解決できる問題なんて些細なものしかないんだ。
そしてその些細さは、そもそも投票せずとも解決できたかもしれない問題なんだ。
結局のところ、選挙に行って投票することで「自分はやれるだけやった」と満足することは、ただの幻想に過ぎない。
政治は変わらないし、そんな幻想に浸ることで、我々は本当の問題に目を向けることなく、満足してしまう。
つまり政治の変化を本気で望むなら、選挙で一票を投じる以上のことをしなければならない。
そのことを真剣に考えたとき、「投票で政治が変わる」という信念は、単なる幻想に過ぎなかったのだと気づくべきだ。
同人誌とは違うね、とか、あれはフィクションなんだね、とか普通の経験をしてきた人は言わない
この根底にある人間性の未熟さを解消しないと大人の行為であるセックスには到達できない
だからシコって終わりなんだと思う
そもそも「先進国として垢抜けない」とは言ったが「洗練された国がある」とは一度も言ってないよね。
洗練って言葉を勝手に幻視してからの「そんな国ない!」と虚空キレムーブしてきたのはそっちだし。
どの国も垢抜けないところはあるだろうが、日本を指して垢抜けないという表現をしたのは、技術的にも産業的にも零落が目立つ日本の現状の不甲斐なさを表現するための修辞の一つでしかないってこと、普通は分かるよね?
言葉尻に囚われすぎて、物事の本質を大局的に見る能力が著しく低い、そして脱線しようとしたがるのは、非生産的・非論理的なことにこだわってコミュニティ全体の意志を統率することを重視しすぎるムラ社会型人間の悪しき思考回路なのである。
五十歩百歩であれ横一線であれ「危機感を持たないことを正当化する」心理にとらわれている点では同じなので、論旨に影響はない
些事をつついて人格批判をすることは、会議の最中に細かい誤字脱字指摘で公開処刑をしだすような悪習を排除できず大局を見失うムラ社会人間の典型的行動の一つなのである
兵庫県知事選の結果を受けて、テレビ・新聞などのマスメディアは vs SNSの構図を作ろうと躍起になっているように見受けられる。
SNSはデマが多く信頼性が低い上、エコーチェンバー現象により偏った意見に染まってしまうリスクもあるとする一方で、
マスメディアの報道は裏取りを行った上で公平性に重点を置いているため、信頼性が高いと主張しているのだ。
しかし、世間の多くにとって見ればマスメディアもまた、報道の自由を盾に偏った報道を行ったり、不十分な取材により誤報を流したりすることが当たり前のものだと思われているのではないだろうか。
事実、某キー局が放送している朝の情報番組や関西の某局から全国へ放送されているニュース番組で語られる上記の主張に対するSNSの反応は、ほとんどが否定的なものである。
もはやマスメディアこそが偏向報道の元凶であり、そこで報道されない部分にこそ真実があるという主張が市民権を得つつあるのだ。
さて、このような世間からの逆風に晒されているマスメディアが信頼を取り戻すためにはどんな方法が残されているのだろうか。
私はメディアがメディアの監視装置になることこそがその唯一の方法だと考える。
ネットや一部の雑誌のみがカウンターメディアとしての役割を果たす現状を打破し、マスメディア自身が互いのカウンターメディアとなることを通して
自らの存在意義を再定義することこそが市民に信頼される報道機関としての地位を取り戻すことができるのではないだろうか。
もちろんそこには大きな痛みを伴う。先の衆議院選挙ではまるで事前に打ち合わせをしたかのようにどの局でも一部の自民党の候補者の名前の横に「裏金バッチ」を付けるという方法を取っていたが、
それはあくまで自民党の候補者に対してのみであり、過去に巨額の裏金が指摘された野党候補者に対する同様のバッチはついていなかった。
SNS上で多くの批判が見られたこのような報道姿勢が本当に公平なものだったのかを振り返ることは多くのマスメディアに取って自分の喉元に刃物を突きつけるようなことになるだろう。
それでもオールドメディアはやらなければならない。それが彼らの唯一の生き残る道だからだ。
マスメディアの持つ"優れた"取材能力の一部を使って、他のマスメディアの報道姿勢を監視し、本当に公正な報道を行っているのかを市民に伝えること。
いつ自らが報道される側になってもそれに恥じない報道を行っているという自負を持って報道を行うこと。
これこそがマスメディアが信頼を取り戻すためには欠かせないことだと私は考える。
これは完全に持論であるが語らせてもらう。
私は処女厨ではないが、あるこだわりがある。
それは「他の男に軽んじられたことのない女性」へのこだわりだ。
経験人数が10人以上の女性でも「相手は全員当時の彼氏」なら全く気にならないし、経験人数が1人の女性でも「相手はかっこよかったサークルの先輩で、飲み会の帰りに部屋に行ってしまってセックスして、彼女になれると思ったらそのまま冷たくされた」とかだとそれまでどんなに好きになってても一気に冷める。
なんなら彼氏じゃなくても「Tinderで写真見てタイプだし暇だったから数回遊んだ」という女性主体のセックスなら気にならない。
「周りがみんな経験していく中で自分だけ処女だったから焦って手頃で手近な男性で初体験をした」という女性の声もよく聞くが、それも全く気にならない。
でも「好きになった男性がいて、付き合いたくて関係を何度も持ったがセフレだった」とか前述のサークルの先輩系のように「やり捨てされた」「都合良く扱われた」系の経験があると一気に冷める。
高知の県立美術館じゃないが、自分が価値を見出して好意を抱いて大切に扱おうとした存在が誰かにとっての100均の使い捨てスリッパののような存在だと知ると、その人を大切にしようという気持ちがなくなる。
それまで好きになった気持ちも馬鹿馬鹿しくなるし、一緒に過ごした時間すら返して欲しいと思う。
これまで好きになった女性や付き合った女性からは「昔の辛かった経験」みたいな話を振って、会話の中で必ず前述のような経験がないかチェックするようにしてるし、そういう経験があると一気に冷めてフェードアウトする。
好きな女性や彼女がヤリマンでもそのセックスが主体的なものならば何も気にならないが、他の男に軽んじられた経験があればもう愛せない。
元増田ですが、何もせず苦しませて生かすということではないから「緩和ケア」と言います。
薬で痛みを和らげてあげたりストレスなく終わりを迎えられるようしたりするということです。
また緩和ケアというのはペットだけではなく人間の医療でもこの言葉は同じような意味で使われますから、簡単に考えられてそう発言されたなら、今後いつか知識を深められた方がいいかもしれません。
もし死ぬことが避けられない場合で緩和ケアしないならば、それこそ本当に「病気の苦しみを感じながら死を待つ」ということになるからです。
「緩和ケア」という医療やその効果を否定し何もしていないことと同じだと、私の猫に安楽死がお勧めだとお考えになられているならば、あなたの考えのままに、もしもあなたの大切な家族が病で死が近いときには「何もせず苦痛を取り除けないまま生きるだけだから緩和ケアはいらない」と、痛み止めなども利用されない方法をお勧めされたらいいかと思います。
「何もせず苦痛を取り除けないから緩和ケアして生かすのは可哀想、人間のエゴ」というのがあなたの考えであるから、あなたの思う一番良い方法を私にもお勧め頂いたと思うので。
でもあなたの「苦しみながら生き続けるのは嫌なことだ、可哀想だ」というお考えは伝わってきて理解できますし、話されたい趣旨は分かります。
ですから私は…あなたの考えを無視した失礼な例えかもしれませんが、もしあなたやあなたの家族が病気になってしまったら、「苦しむのが怖い」という気持ちが強いあなたにこそ緩和ケアは必要なもので、お勧めしたいと思います。
まだ少しご飯を食べていてわたしに親愛の表現をしてゴロゴロいっている猫ですが、最期に怖い思いをさせて、病院の台のうえで「人による確実な死をすぐに与える」というなら、それはそれで人間のエゴで、「わたしの猫にとっては」それは悲しくて苦しい、可哀想ではないか、と私は考えます。
(これは私の猫に対する私の考えです。治療の末に『苦しませたくない』とその方法を選ばれた方がいらっしゃることもまた理解していますし、それはそれで愛だと思っています)
「飼い猫」であり「自然環境」で生きているわけではありませんからエゴというならばどれもがエゴで、「これが絶対正しい」というものはなく、飼い主が愛情を持ちながら猫の様子を見て、その時々で選択していったものが「正しい」のだと思います。
私は、悩んで出した自分の判断が「それが猫にとっていいものだ」と考えていますし、自分のエゴで選んだ結果は最期まで自分で責任をもってお世話して、わたしの猫の命を見届けます。
女装主義者になる人は、しばしば高学歴であると言われています。
知性が高い人は、自己反省を行う際にも深い洞察を示すことができます。
その結果、一般人なら自分が女装主義者であることに気づいたとしても、
意味するのかもしれません。
具体的な会計を被告が調査した事実や、会計の具体的な内容についての言及はされていないことからすれば、…………本件団体が不正会計を行っているという事実を摘示するものであるとは認めることができない。
(訳)根拠も具体的な指摘もなくチューチュー唱えてるだけなので、名誉毀損に必要な「事実の摘示」にはできないですね
敗訴続きで藁にも縋りたい暇アノン
なぜ、リクは再び手を挙げられたのか。
室井慎次の食事とリクの父親の家庭の食事の比較をリクが行い、リクの父親の怒りを買ったからである。
リクは室井慎次の出したフキの煮付けが嫌いうなど、しきりにケチを付ける傾向にある→他の子供は空気を読んでこのようなことは言わないかま、リクは空気が読めないので、ケチを付けることが非常に多い
リクはリクの父親と暮らす際、リクの父親が忙しそうにしてるのに構って攻撃をする傾向にあり、何度も手を出された→
距離感が掴めず、空気が読めない傾向にあるとこういう展開になりやすい
空気が読めない傾向にあるものはイジメられ易いという現実がある
リクは不登校気味→
里親の室井慎次は経済的に豊かだが、リクの父親は生活保護について児童相談所の職員に聞くなど経済的に豊かではないが、リクの父親はリクを引き取った→
経済的に苦しいものはロクな食事が取れず、アルコール依存になりやすく、子供目線だとストレスでしかない。
ただ、それでも定型発達の子供なら、殴られる恐れがあるので、食事にケチを付けることはないが、リクは空気が読めない傾向にあり、はっきり物を言うタイプである。
実はリクの父親も工場の仕事が決まったあとで生活保護を受けていること、キレやすい性格をしていることからすると、リクの父親も発達障害を持ってる可能性は十分にある。
よく、理想の男性は早いうちに狩られるから市場にいる訳ないから女が育てろっていうけどさあ
そもそも人間のスペックって生まれた時点である程度決まってるよね?子供の頃は不明でも成人したら伸び代はそんなにない。
例えば25歳で身長160cmの男性が30歳までに180cmになれるかって言ったらまず無理じゃん。
学歴や収入にしたってそう。ストレートで入った大学や新卒時に就職した企業で決まってるから、それを彼女や奥さんがどうこうした所で伸びるものでもなくない?
学歴や収入は申し分なく、身長や元々の顔の造作には問題ないけれどやや太っているとか髪形やファッションがダサいとか、気が利かないとか家事能力には難がある程度っていうならば
そんな男性学生のうちにとっくに狩られてるだろ…って思うんだけど。実際、顔の造作が悪くなくて成績が良い男子は小学生でも既にモテてるよ。
市場に理想の男性がいないっていうならば、女が後から「育てる」事でどうこうなるレベルの男性だって、やっぱり市場にはいないでしょ。
「育てる」が仮に学生時代の話だとして、顔立ちや身長は既に決まっているし、学歴にしても彼女が応援したくらいで偏差値が劇的に上がるのはかなり難しくない?
増田にとって辛かったのは、単に男女の友情が成立するかしないかという世間的真理の問題よりも、「一番の友達だ」「人と付き合ったりすることができない」「俺もだ」と言語化されていた関係を裏切られたことだったんじゃないかな。「嫌だ」って言ってるのに受け止めてくれなかったことじゃないかな。
世の中にいるんだよな、言葉を字面通りに受け取ってくれないやつ。恋愛が苦手だ、って言ってたのに告白してくるやつ。性的なことが苦手だって言ってたのに、それでもいいから付き合ってって一旦了承してから、やっぱセックスしたいとか言い出すやつ。NoがNoであると理解できないやつ。
そういう連中は決まって「でも常識的にはこうだから、その発言は無効だ」みたいなことを言い出すわけ。「口ではそういってても、実際には違うでしょ、カマトトぶってるだけでしょ」「そうはいっても一緒に映画をみたじゃないか、世間ではそれは通用しない」みたいな。世の中の人間の価値観や思考様式はさまざまなんだから、その差異を埋めるために言語を使うのが知的生物たる人間だ。それでも、放たれた言葉を真正面から受け止めず、自分の価値観が「多数派」であることを盾にして相手を飲み込もうとする。それは単なる暴力だ。
悲しいことに、確かに増田にできることは自衛しかない。そういう奴らは話が通じないから、話を通じさせる前提条件が飲み込めないのだから、説得してどうこうなる相手じゃないわけだ。襲いくるモンスターからは早めに逃げるしかない。どんなにあなたに非がなかったとしても。
だとしても、「男女の機微」なんてフレーズで、真正面からの合意形成をサボタージュしようとする連中の言葉をありがたがってみせる必要はない。自分ではない誰かと共に生きるならば、まるで異なる他者と生きるならば、それが恋愛であれ友情であれ、言語による合意形成の不断の努力なしには成り立たないのだから。
⇔
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「◯◯は陰謀論である」と語る集団がそこに身内向けでしかない根拠やセンセーショナルな事例の雑な切り抜きを加えるたびに、その集団こそが新たな陰謀論者の集まりに成り果てるんだよね。
このループに陥って陰謀論者同士の水掛け論に陥ってる光景をしょっちゅうみかける。
「客観的で科学的な検証を行うことなく特定の理論や思想を否定することそのものが単なる陰謀論である」ってことを理解できないままに「アレって陰謀論らしいぜ!マジやばいぜ!陰謀論に気をつけろよ!」と言って回ってる陰謀論ゾンビが多すぎる。
人生で1.2回くらいしか美容院に行ったことがなかった。大学生の時に勇気を出して行ったがあまりうまくいかず…といった感じで1000円カットに通い詰めて気がついたらこの年になった。
それなのに突然美容院に行こうと思ったのは、端的に書くとアイドルにハマったからだ。
細かく言うと、容姿を整えてアイドルのイベントに行こうと思ったのではなく、容姿を整えてアイドルのイベントに行く遊びをしているファン(女性に多い気がする)が楽しそうで羨ましくなったからである。
ということでまず情報を集めることにした。具体的にはGoogle検索をした。
美容院 髪型 決まってない 男 や 美容院 男性 初めて のような検索をしたところ、なぜ昔失敗したのかわからないくらい簡単であることがわかった。
要はなりたい髪型の写真を探せばよいということがわかったし、それだけ決めていって他の部分は相談してなんとかするものなのだなと思った。
ホットペッパービューティーで自宅から近い店舗を予約した後、メンズの髪型を色々見て、どの髪型も同じくらいのかっこよさに感じるなと思いながら、なんとか1つこれと言えるような髪型を選んだ。
「今日はどんな髪型にされますか?」と聞かれて準備していた写真を見せる自分が、容易に想像できた。店員さんから見ても不審な客にならないだろうと思ったし、はっきり言って自信しかなかった。
当日は冗談みたいに寒かったし雨が降る予報だった。天気予報を見て予約すればよかったかもしれないなと少し後悔しながら向かった。
美容院に着いて、問診票みたいなやつを記入した。普段はオタクだと思われると恥ずかしいから白紙で渡すような趣味の欄も記入して渡した。
そのあと少ししてカット担当の方が来て、少しあいさつなどをした後に言われた。
「長さどうされますか?」
完全にエラーがおきた。長さ??????1000円カットでこの質問に適当に答えていたことを思い出したがそのことはあまり役に立たなかった。
正確には覚えてないがしどろもどろになりながら「あまり決めてなくて...」というようなことを言った。
それを聞いた店員さんが困ってるのを見て、自分が不審な客になっていることに気づいた。
その後は何ラリーか成立しているか怪しい会話をした後、店員さんがカタログ的なものを持ってきてくれて、大体の方針が決まりカットが始まった。
カットの間ずっと最初に躓いてしまったことについて考えていたが、あることに気がついた。
「長さどうされますか?」は、「ニンニク入れますか?」と似た性質を持っている可能性が高いということだ。
つまり長さをどれくらいにするか答えなくてもいいということだ。きっと緊張していたのもあって、「長さ」と聞かれた時点で長さを示さなければいけないと思考が止まってしまったようだった。髪型を答えるという発想にならなかった。
どのような髪型にするかを探るための質問なので、きっと「長さどうされますか?」と言われたときに、準備していた写真を「こういう感じでお願いしたんですけど」と見せればよかったのだ。
焦らず対応していればよかった。
その後はつつがなく一連の作業が終わった。もともと・静かに過ごしたい にチェックを入れていたからかそれとも他の理由があったからかはわからないが特に店員さんに話しかけられることもなかったが、なんとなくずっと気まずかった。
もちろん普段はメガネを掛けているので、外さなければいけないカットの最中は自分がどういう状態なのかよくわからなかった。すべて終わった後外していたメガネをかけて驚いた。
客観的に見たらチーズが3種から2種になったくらいの変化なんだとは思うが、今は客観は重要じゃないなと思えた。もちろんコミュニケーション能力に障害があるので店員さんに綺麗に感謝を述べることはできなかった。
店員さんの話では大体1ヶ月程度で手入れに来ると良いということだった。
帰り道は雨が降っていたがあまり気にならなかった。
今回「失敗」と感じた部分としてカウンセリングで会話を成立させられなかったというのが10割であり、ここをクリアできれば問題なく通えるようになる気がした。
会話を成立させられなかった要因として大きいのが、どっちでもいいことやわかっていないことが多すぎて質問に答えられないからである。
強者は週末ごとにフランスパンを2本買う それぞれ3等分して冷凍し、スライスせずに焼いて手でむしって食べる(湯気が出てうまい)
強者はガジュマルの観察を趣味としているが強者の部屋は日当たりが悪いので唯一明るいベッドを昼間は鉢に譲っている
強者は読書を趣味としており、将来諸々を失っても思い出に蓄えた物語を反芻することで生きていけると思っている
強者は2020年に虫歯が同時多発発覚し、たくさん削ることになったが、以後はよい状態をキープし歯科衛生士さんにも褒められている
目の下のシワも深くなってきた セクシーだと思う
強者は散歩を趣味とする頑強な肉体を持ち、人ん家の外飼いガジュマルや窓ガラスの向こうのドラえもん貯金箱や水路に沿ってぐねるブロック塀を眺めるときに幸せを感じる
強者の肉体は「しゃがんで、立ち上がる」動作に不安を覚えるがその不安は強者の自信を揺るがすものではない
金銭の不安も同様である 年収300万、赤ちゃん産んだらクビだけどまあその心配はない、他の理由でクビになるまで楽しく働くだけ
自分が分かる所を埋めていく
父方の祖父母と同居している第一子にはありがちなことかと思うが母はまだ遠慮があり祖父には毎週見る習慣になっている番組が毎日あった
仕方のないことだ
ただ大多数のこどもが見ている番組を家で見ることがわたしにはできなかっただけだ
だいぶ大きくなってからあのキャラはなんだったんだろうと調べたらセーラームーンのアマゾントリオだった
中学生くらいのわたしは幼少期の自分のおもちゃや布製品の絵柄などの所持品にセーラームーンが登場するにも関わらずセーラームーンのアニメの記憶がないことについてギリ世代じゃないからだと考えていたのだが普通に直撃世代でただ見ていなかっただけだったのだ
ハッチポッチステーションを初めて見た日のことは覚えている
同い年の子は8人、保育所全体でも30人に満たない人数だっただろう小さな保育所だ
母は保育所を利用しているのに仕事といえば農作業か内職かという専業主婦だった
だから迎えが遅くなるということはなかった
お迎え時間に来ていたよそのお母さんの記憶もあるのでほとんどの家庭は似たような環境だったのではないかと思う
ある日母の迎えが遅くなった
その日に所長先生と給食室と職員室の間の畳の部屋でハッチポッチステーションを初めて見た
所長先生がオープニング映像がエスカレーターであることとその頃エスカレーターでの事故があったので真似をしたら危ないことを話している様子を覚えている
テレビには人形が斜めの板の後ろを移動している様子が映っていた
記憶にある所長先生の発言から推測するとわたしがこれはなんなのかのような質問をしたのだろう
ハッチポッチステーションのオープニングのエスカレーターを登る人形の様子を見たことがなかったわたしは理解できなかったのだ
わたしの通っていた保育所の場合は個々人が各々自分が何であるかを宣言していた
恥ずかしながら何かで聞いた名前だったのだろう
「赤ずきんチャチャ?強くないよ」「強いもん」「全然強くない」
大変に不快になってそれ以降家庭外でテレビ番組の話をするのをやめた
ちなみに赤ずきんチャチャは未だ見ていないので今も戦って強いと思っている
わたしの場合は30年近く前の話だが現代においてもこどもの会話といえば映像だろうと思う
YouTubeとかでもいい
そのほうが本人が歪まないんじゃないか
最低限未就学児にはNHK教育を見せといたほうがいいと思う
父方の祖父母と同居している第一子にはありがちなことかと思うが母はまだ遠慮があり祖父には毎週見る習慣になっている番組が毎日あった
仕方のないことだ
ただ大多数のこどもが見ている番組を家で見ることがわたしにはできなかっただけだ
だいぶ大きくなってからあのキャラはなんだったんだろうと調べたらセーラームーンのアマゾントリオだった
中学生くらいのわたしは幼少期の自分のおもちゃや布製品の絵柄などの所持品にセーラームーンが登場するにも関わらずセーラームーンのアニメの記憶がないことについてギリ世代じゃないからだと考えていたのだが普通に直撃世代でただ見ていなかっただけだったのだ
ハッチポッチステーションを初めて見た日のことは覚えている
同い年の子は8人、保育所全体でも30人に満たない人数だっただろう小さな保育所だ
母は保育所を利用しているのに仕事といえば農作業か内職かという専業主婦だった
だから迎えが遅くなるということはなかった
お迎え時間に来ていたよそのお母さんの記憶もあるのでほとんどの家庭は似たような環境だったのではないかと思う
ある日母の迎えが遅くなった
その日に所長先生と給食室と職員室の間の畳の部屋でハッチポッチステーションを初めて見た
所長先生がオープニング映像がエスカレーターであることとその頃エスカレーターでの事故があったので真似をしたら危ないことを話している様子を覚えている
テレビには人形が斜めの板の後ろを移動している様子が映っていた
記憶にある所長先生の発言から推測するとわたしがこれはなんなのかのような質問をしたのだろう
ハッチポッチステーションのオープニングのエスカレーターを登る人形の様子を見たことがなかったわたしは理解できなかったのだ
わたしの通っていた保育所の場合は個々人が各々自分が何であるかを宣言していた
恥ずかしながら何かで聞いた名前だったのだろう
「赤ずきんチャチャ?強くないよ」「強いもん」「全然強くない」
大変に不快になってそれ以降家庭外でテレビ番組の話をするのをやめた
ちなみに赤ずきんチャチャは未だ見ていないので今も戦って強いと思っている
わたしの場合は30年近く前の話だが現代においてもこどもの会話といえば映像だろうと思う
YouTubeとかでもいい
そのほうが本人が歪まないんじゃないか
最低限未就学児にはNHK教育を見せといたほうがいいと思う