はてなキーワード: らく次とは
なぜ今更ガラケー?どうせ買うなら制約の少ないiPhoneやAndroid系端末を買えばいいのに。
と思っていたが、疑問は何となく解決した。
彼女は今まで携帯電話というものを使ったことが無くて、今使っているのが初ケータイだったのだ。
その携帯は誰もが認めるクソケータイで、価格.comのレビューでも散々な評価だった。
そして、今まで携帯電話というものを使ったことのない彼女は、恐らく、ガラケーに関する不便さというもの全てがこの「パナソニック製携帯電話」であることに由来していると思っている。
今まで、Vodafon、au、Softbankとキャリアを変わってきて、ケータイそのものに絶望を感じていた僕は、iPhoneに移ることに躊躇いもなにも感じなかった。失うものより得るものが大きいと思ったからだ。
しかし、彼女は違う。今使っているケータイの不便さのどれが「パナソニック製」であることに由来しているのか、「ガラケー」であることに由来しているのか区別が付いていない。
多分彼女は今度の機種変で何かが劇的に変わると思っているのだろう。
恐らく次は彼女が最高と思うガラケーに機種変する事だろう。そして絶望する。
しかしそれで構わない。
過剰にサービスを手厚くすることは己の首を絞める危険な行為である。
私がどのようにして判断を誤りそうになり、そしてどのようにして危ういところで軌道修正できたのかをここに書き残しておこうと思う。
「何か食べたい」
と言い出した。
一時間前に中途半端に食べて残しただろきちんと食べろということを幼児にわかりやすく教える時間がなかったので、
「時間ないからおにぎり作ってあげよう。自転車の後ろで食べなさい」
というと
「いやだ」
などと抜かす。
叱っている暇もないので苦し紛れに、
などと何の考えもなく息子の気に入りそうな単語とおにぎりをくっつけて提案すると、息子は大喜びで飛びついた。
「スペースシャトルおにぎり!スペースシャトルおにぎりがいい!」
息子が大喜びで出かける準備をしだしたのはいいが、何の考えもなく言い出したことなので、どんなおにぎりがスペースシャトルおにぎりなのか皆目検討もつかない。
一瞬頭に浮かんだのは、普通の三角おにぎりの両端を薄くして主翼のようにして、残った端っこの近くに楕円に切った海苔を張りコクピットとし、裏側には耐熱タイルを模した、おにぎりの形にぴったり合うように切った海苔を張った立派なスペースシャトルおにぎりだった。
しかし、そんな精巧なスペースシャトルおにぎりを作っていたのでは出発時間に間に合わない。
それに海苔がどこにあるのかわからない。妻に聞こうにも、妻は出勤時間が早いのでもういない。
仕方がないので、半ばやけくそでいつもの正三角形おにぎりを縦長につぶしたような鋭角の二等辺三角形を作り、その粗末な米の塊をスペースシャトルに見立てて息子の目の前で飛ばす真似をした。
「ぶおおおおお、ずどどどどどど、ヒューストン、ヒューストン応答せよ!」
息子は狂喜乱舞してスペースシャトルを追いかけ、うまく誘導されて自転車の後部座席に搭乗した。
本当に危ないところだった。
もし、息子のわがままが時間のあるうちに発動していたら、私は海苔の切り貼りを駆使した精巧なスペースシャトルおにぎりを作ってしまっていたかもしれない。そうしていたら、おそらく次からはどんなに時間がなくて切羽詰った状況でも、息子は精巧なスペースシャトルおにぎりしか食べないと駄々をこねるようになっていたに違いない。
子供だまし
こういう言葉をよく聞くが、私が実際に作ったスペースシャトルおにぎりは、間違いなく子供だましだった。
しかし、息子にしてみれば、そういう子供だましでも十分にスペースシャトルに見えるのであり、大人の視点で無駄に時間と労力を費やして精巧なモデルを作る必要はなかったのだ。
以上のようなことを興奮気味に妻に話したところ、
「そんなの、わがままいってる子は何もあげません!って叱って自転車乗せちゃえばいいんだよ」
と言われた。
確かにそのとおりだと思った。
最近何となく思うんだけど、たぶん民主党の政権は長くない。おそらく次か、遅くとも次の次の選挙くらいで参議院・衆議院ともに過半数から転げ落ち、元通りの位置に戻るんじゃないだろうか。
ただ、問題はその先なんだけど。
民主党政権を引きずり下ろすため、自民陣営やその流れに属する人達はありとあらゆる言説を弄してしまった。
そしてその矛先は必ず次に自分たちに向かう。つまり、自民陣営は恐らく次か、遅くとも次の次には政権を取り戻すだろうけど、絶対に身内のオウンゴールやマニフェストの破綻で相手から猛攻を浴び、必ず1ターンで政権をまた降ろされる。
そしてまた政権は移る。でもどうせ上手くいかないから相手から猛攻を浴びてすぐに降ろされる。そしてまた次に(略)
多分、これから先はしばらくそんな政治の世界が来ると思うんだけど、どうなんだろうね。いや、実際にそうなるかどうかは知らないんだけど。
しかし民主党(おそらく次期政権党)は「外国に配慮して」参拝しないと明言しちゃってるからね。
国内問題というのも、国外で騒いでる国に便乗している手合いが国内に居るという一面もあるし。
つまり「配慮が必要な外国」がどこかに存在し続ける限り、靖国だろうが「追悼施設」だろうがいつまで経っても閣僚は参拝できないって事にならないか?
この問題、まずは文句付けてきてる国に「別の追悼施設を造りますんで、文句はもうありませんよね?」と言質を取ってから始める事のように思う。
つか、その方が「追悼施設」造りたがってる奴らも錦の御旗を手に入れられて上手く運ぶような気がするんだけど、どうして誰も言い出さないんだろう?
やたらとマッパになったりモツがまき散らされたりする描写ばかりが印象的なこの作品ですが、特定の状況に陥ったキャラクターの目に瞳(黒目)が描き込まれない事こそが注視すべき演出のように感じられるわけです。
最初にはっきりと「白目表現」が登場するのは、第一巻第一話で伊良子清玄が「無明逆流れ」の構えを初めて読者に見せるシーンですが、これはページの片隅の小さなコマに過ぎません。その次は第三話で、巨大な木刀「かじき」で肩慣らしを終えた牛股権左右衛門が伊良子清玄と立ち会うシーン。これも、伊良子の白目よりは大きいものの、目の部分だけを描いた横長のコマです。なので、最初に登場するもっとも印象的な白目表現はおそらく次の第四話、岩本虎眼初登場シーンでしょう。ページの6割以上を割いた大ゴマ、顔のドアップ。殆どボケ老人に近い(口から舌がだらしなくはみ出ている)のに、伊良子の額にくっついた小豆を、伊良子の顔に傷一つ付けずに正確に十字に切り刻む。そのインパクトは絶大。
この白目表現こそ、その登場人物が「死狂(シグル)ってる」状態を示す演出なのではないかと俺は思うわけです。最新刊である12巻63話では、主人公である藤木源之助の瞳が描かれているコマは一つもありません。それどころか、目そのものが描かれていないシーンが大半で。白目表現ですらわずか2コマ。同伴する婚約者の三重もほぼ同様で、瞳が描かれているのは最後の1コマだけ。次の第64話も、伊良子の愛人「いく」を目の前にして突如刀を抜いた藤木(当然目の部分は空白のまま)に対して、「よ よせっ」「たのむ・・・」と引き下がるよう呼びかける月岡雪之介(この時は瞳あり)が、それが無駄だと認識して「嗚呼・・・」と心のなかで叫び、刀を抜くシーン。この時の月岡も白目。
また作品中には、通常は描き込まれている瞳が丸いスクリーントーンのみという、白目状態の一歩手前のような演出も存在します。それが顕著なのが前述に続く第65話。
月岡の登場するコマと目の表現をなぞっていくと、
つまりここで白目状態になっている時点で、既に月岡は藤木を殺害する覚悟を決めていると読めるのではないでしょうか。それは、その後両者一瞬の攻防が展開され、月岡が刃を向けた状態で藤木に上段を打ち込もうとする事からも分かります。
そして藤木がそれを脇差しの「なかご」で食い止めるシーンでようやく月岡の瞳が復活。それから藤木が月岡の脇差しを抜き取って首に押しつけるまで、藤木は最初からずーっと白目のまま。こういった「瞳(目)の有無」という何気ない演出が、実は作者何らかの規則性を与えられているのかも知れないと思うと、この作品の楽しみ方に深みが出てくるように感じられます。主人公藤木のライバル伊良子が盲目だったり、原作のサブタイトルが「無明逆流れ」だったりする事から得られた着想でしょうか。
もっと好意的に考えよう。あんたはそれだけ「話しやすい人」「うち解けやすい人」だと。
おそらく次にあった時、その時の印象があって「うざいなー」的な態度でいるだろうが、それではいかんぞ。
なんとなく思ったこと。
例えば、突如あなたの周囲でスカトロが大流行したとしよう。みんな暇さえあればスカトロである。
しかも泊りがけで。そしてあなたはスカトロが大の苦手だとする。これは実に好ましくない事態だろう。
このままでは仲間はずれになってしまうかもしれないから、何かしらの対策を講じる必要があるとする。
その際、スカトロはやめるべきという論旨で主張をしたところで、おそらく事態は好転しないのではないだろうか。
やめるべきである理由こそいろいろと考えられるが、どれも単なる我侭か大きなお世話かただの詭弁である。
こういうことを言われると、大抵人はむしろ頑固になると思う。
「スカトロは何の効果もないから、やるやつはアホだと思う」とか。
「スカトロはクソくさいからやめるべき」とか。
スカトロの効果など、やってる人が自由に感じればいいし、クソくさいこととやめるべきであることは、まったく論理の飛躍である。
そして大した根拠もなく差別という指摘をするのであれば、単なる中傷である。
とるべき対応としては、おそらく次のようなものに限られるのではないかと思う。
(1)スカトロが、例えば大規模な健康被害に繋がることを客観的に立証する。
(2)嫌々でもスカトロを練習して上手くなり、スカトロについて語る際の説得力を高める。
(4)「実はスカトロが嫌い」という人を探し出し、スカトロ嫌いで結束するコミュニティをつくる。
(1)は、対象物が公的な秩序に反することを利用し、対象物の価値を減じる手法だ。
公的な秩序は、コンセンサスが得られるなら道徳や倫理でもいいだろう。
究極はその対象となる行為によってリアルに逮捕されるような状況なのであって、成功すると非常に高い効果があることは言うまでもない。
ただ一方で、あまり教条的になると逆に主張の中立性が失われ、説得力に欠けることになるし、
他人が公秩序に反することをあまり大きな声で言うと、逆に名誉毀損の罪に問われることもあるという諸刃の剣である。
(2)も、対象物に対する他人の評価を減じる方法となり得る。
ある価値評価機軸に肯定的な論者の価値評価にもっとも影響を及ぼすのは、同評価機軸において相対的優位を有する、
いわゆるカリスマのような人物による指摘だろう。
相対的な劣位から同種の指摘があったとしても、お前に言われる筋合いはないという話にしかならなくても、
相手がカリスマであれば話は別である。ネットで有名な常套句、「ただしイケメンに限る」と一緒(か)。
(3)は、対象物に対する他人の価値評価に直接影響を与えることなく、代替品を持ち出すことによって、
相対的に対象物の評価を下げる手法であるといえる。重要なのは、代替品として対象と機能的に等価なものを探すことだ。
例えばその集団がスカトロに対して感じる魅力の根本(リビドー)が脱糞や自分の食糞なら、食糞でも飲尿でも大した違いはなく、
ふたつは機能的に等価であるといえる。一方、有名なプレイヤーとSMする機会があるなどの動機がある場合、スカトロではなんの代わりも果たさない。
(4)はつまり、仲間はずれになり孤立するという最大のリスクに対処する、既存コミュニティの代替としての新規コミュニティの構築である。
上記3が他者に対して代替品を提示するという話だとすると、これは自身に対する代替品の提示である。
ただひたすら文句を言っていたらなんとなく状況が改善した気がするというケースは、たぶんこのパターンだろう。
似たようなアンチが集ってもう寂しくなんかない、みたいな。
冒頭にあげた例では仲間はずれになるリスクが対処すべき課題であることが前提なので新規コミュニティの構築が対処法となるが、
現実には好ましくないと感じる原因はさまざまある。それ(リビドー)を見極めることが重要になるだろう。
ちなみにこの記事は、ただの文句に対するオルタナティブとして書いたつもりだが、
考えてみればただの文句がただの文句とみせかけた上記3に書いたようになにか別の意図があるものだった場合は見事に空振りに終わる。
以下のエントリーを書かせてもらった者です。
これが増田の威力というものなのか。こんな俺のこんな内容に、たくさんの反応を頂いた。内容はさておき、本当に感謝したい。多くの人に読んでもらえただけで、救われた。本当に。ここに書くこと自体、誰かに読んでもらいたいと思っていたのは自明だから。
前回のエントリーの最後で、「何かを期待して」と書いた。書き終えた時点では、何かを期待しているつもりはまったくなかった。しかし、何かを期待せずしてわざわざ増田に吐露するわけがないだろうという自問の末、やはり何かを期待しているんだろうと思った。
では何を期待していたのかと言えば、おそらく次の2つだったんだろうと思う。一つは、既に多くの方から頂いた「お叱り」。もう一つは、似たような境遇にいた人からの「経験談」。たぶんこの2つだと思う。
一つ目に関しては、もう十分なくらい頂いた。一つ一つの批判や否定や罵倒が、心に刺さった。読むのが辛かった。しかし、そのような反応を頂くことは百も承知だった。だからこそ、全部目を通した。そう、俺はクズなんだと思う。不倫ボケのお花畑脳なんだと思う。自己陶酔しているんだと思う。間違っているんだと思う。想像力が足りないんだと思う。そう、すべて正しい。そんなこと分かりきっている。
しかし、倫理的にも、道義的にも、社会的にも、すべて受け入れられない事態であるにもかかわらず、こういった不倫の経験がある人は少なくないのではないか。俺以外にも、同じような経験をした人は結構いるのではないだろうか。そういった「経験者」は、こんな俺に対して、どのような言葉を投げかけてくれるのだろうか。そんな漠然としたもう一つの期待もあったわけである。
しかしながら、この二つ目の期待は、満たされることはなかった。増田って、三十代既婚男性って結構いると思っていたけど、そうではなかったのかな。もしいたとしても、この状況の救われなさと罪深さをより深く知っているだけに、何も手をさしのべてくれないのだろうか。
前回のエントリーで、話の流れとして、重要だが敢えて書かなかったことがいくつかある。その一つが、いまの嫁と直面し、その後なんとか乗り切った「離婚の危機」のことである。こんなに反応を頂けるとは思っていなかったので、話を適当にしたのだが、ちょっと書いてみようと思う。
結婚して間もなくだった。これも敢えて詳しくは書かないが、ひょんなことで俺が嫁の浮気を明白に知ることになり、いろんな修羅場をくぐった後、俺は、最終的に彼女を赦すことにした。まだ子供は生まれていなかったので、離婚はそれほど難しいことではなかったと思う。だが、俺も、嫁も、お互いがお互いを必要としている少し厄介な状況にいて、極めて功利的な観点から、分かれるよりも、まだ一緒にいたほうが得だという判断をした。
しかしながら、この説明で明らかなように、俺は彼女を本当の意味で赦したわけではなかった。ことあることに彼女の浮気のことが頭をかすめて、行き場のない憤りと情けなさを感じた。俺はこいつと付き合い始めてから一度も浮気をしなかったのに、こいつは・・・、と何度も思った。彼女も、俺がずっと心のどこかで不信感を持ち続けていることを明らかに気づいていた。お互い、そうした思いを早く打ち消したくて、救いを求めるように、子作りをした。
前回のエントリーに書いたように、その後俺は適当なセフレを見つけ、風俗に行くのと同じような、純粋に体だけの関係を何人かと持った。この時点で、もう俺も男として失格なのかもしれないが、まあそこは大目に見て欲しい。そして、今回の職場の彼女だ。体だけでなく、女性として、いや人間として、明らかに魅力を感じる女性に出会ってしまった。俺がこの浮気に脳天気に陶酔している(ように見える)のも、俺が嫁の浮気を絶対的な免罪符のように思っているからだと思う。なんて浅薄な考え方なんだろうと自分でも思う。
増田の皆さんからの99%ネガティブな反応を頂いて、気がついたことがある。それは、今回の件は、二度目の結婚などではなく、二度目の離婚なのだということだ。
俺は、嫁の浮気を赦したと書いたが、やっぱり今でも赦していないと思う。やはり、事実上あの時点が一度目の離婚なのだと思う。そうした離婚という現実を目の当たりしたくない俺と嫁が、救いを求めたのが子供だったのだ。「子は鎹」とは良く言ったもので、まさに子供たちによって救われ、子供たちによって繋ぎ止められている二人なのだ。
そして今回、一度目の離婚で失われてしまった「かつて愛した嫁の姿」を職場の彼女に見いだしてしまったのだと思う。そんなものに再び出会えるなど微塵も思っていなかった。が、出会ったしまったのである。そして、お互いに似た状況を見いだし、愛し合ってしまった。そこに対して、俺は明らかに高揚しているし、陶酔もしているんだと思う。
いま、そんな彼女に対して契ろうとしている約束は、俺にとっては二度目の結婚などではまったくなく、嫁に対して微かに残っていた愛情に対してすら別れを告げることを意味する二度目の離婚なのだという気がしてきた。
そうなると、やはり一番心を痛めるのが、二人の愛する子供である。コメントでも頂いたが、こんな父親の思いや行為など、子供の目からすれば、母親を裏切るという点において、絶望的且つ醜悪なものでしかない。子供の文脈からすれば、俺は百回死んでも赦してもらえないとんでもない父親なんだろう。
いま、やはりこの二度目の結婚ならぬ、二度目の離婚は、子供という「鎹」をも打ち砕く、決定的なものなのだろうか。いま、正直、一番気にかかるのは子供のことである。子供の幸せのためには、法的には一度も離婚していないが、心理的な面では二度も離婚をしてしまった嫁との関係を、形式的にでも継続しながら、子供の成長を待ったほうが良いのだろうか。それとも、子供を明確かつ即座に「親の離婚」という不幸せな状況に陥れてでも、嫁とのこんな関係に終止符を打ったほうが、子供にとっては逆説的だが幸せなことなのだろうか。
結局、この問題になるのだろう。そんなことはなから分かっていたのに。
増田の皆さん、いろいろ頂いたお叱りのコメント、ありがとう。いろいろと考える機会を与えてもらいました。もう少しだけこの問題と正面から付き合ってみたいと思います。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080911/lcl0809110850000-n1.htm
話を整理する。
渋谷の宮下公園がナイキ公園になることに関わる利害関係者の気持ちはおそらく次のようなもので、
どれもまあ、一理ある。
・そこに住んでいるホームレスが追い出されるのはかわいそうだという心情は理解できる。
・市民が無料で自由に使える公園がなくなるのは嫌だって気持ちも分かる。
・でもナイキが公園整備して管理してくれたら利用料はかかるかもしれないけど、
・公園を提供する自治体的にもナイキからお金が入ってくるから収入増でうれしいよねっていうのも理解できる。
・ナイキは公有の公園をナイキ公園にして儲けたい。渋谷に新しい遊技場ができるんだから市民ハッピーじゃね?
自治体も財政収入が増えるからうれしくね?と言っている。まあそれも分かる。
こうしてみると、だいたいにおいてみんなハッピーになれそうだが、
ところどころで利害が対立してるやつらがいるのが分かる。
まず市民とナイキ。「無料で使えてた公園が無くなるとは何事か!」ごもっとも。
それからホームレスとナイキ。「住む場所なくなっちゃうじゃん!」ごもっとも。
それならさー、とわしゃ考えた。
住むところ与えて、
再教育してナイキ公園で働いてもらって社会復帰してもらったら良いと思う。
この提案では
・ナイキが元ホームレスを雇うことで街角からホームレスがいなくなるなら、市民もうれしいでしょ。
・自治体が財政収入を得られる点は変わらないから自治体もハッピー。
それから、市民が喜んでくれるなら自治体としてもなお喜ばしいことだろう。
・ナイキだけがちょっとうれしくないかもしれない。
ナイキがホームレスを雇うことでナイキ公園経営のコスト増とリスク負担があるからだ。
だから、この提案にナイキはふざけんなというかもしれない。だけどね。
ナイキは企業の利益の為に公共のスペースを一個くださいよと自治体に言っているわけで、
ナイキにはぜひその代わりに無償で公共サービスを提供してもらいたいでしょ。
そのためにナイキがホームレスをナイキ公園で雇いますってのは妥当なんじゃないかと思う。
ホームレスを雇うことでナイキは初めて市民に対してフェアな対応をしていることになる。
それから、ホームレスを雇うことはナイキにとって少なくとも損得ゼロか、利のほうが勝るかもしらん。
なぜなら、ナイキ公園が出来た後でナイキが延々と得る収益に比べたら、
ホームレスを雇うことで出るコスト増や、そのホームレスがすぐ辞めてしまったり、
もしかしたら役に立たなかったり、お客さんと元ホームレスがけんかするかも…
なんてリスクは微々たるものじゃないかな?
さらにこんな風にも考えられる。ナイキが市民のためにスッゲー公園を作ったうえに、
そこで元ホームレスの人たちを警備員や店員として雇用して社会福祉に貢献してますなんてことが
ニュースになったらナイキの社会的なイメージうなぎのぼりだと思うんだけど。
というわけで、
「切られた」とは書いてないよー。
「嫌われた」けどおそらく次に会った時には何事もなかったように接してくれるだろうと思う。
興味深かったのでメモ。
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行なうと、
気にすることなく、善を行ないなさい
目的を達しようとするとき
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
気にすることなく、やり遂げなさい。
善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
マザー・テレサ「あなたの中の最良のものを」