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はてなキーワード: 刷新とは

2023-05-31

生成AIに「ゼルダの伝説64」の新ステージ作ってほしい

生成AIで、イラスト音楽映像ができることがわかった。

これらにはでも、「人間が作ってないか面白くない」とかいうのもわかる。

「生成AI美女はえっちじゃない」ってのも、自分は抜けるから微妙だがわからなくもない。

  

この壁を越えるのは、「ゼルダの伝説64」の新ステージができるかどうかな気がしている。

もし、「ゼルダの伝説64」の新ステージが出てきて、プレイできたら、多分、「AI生成でもいいじゃん!」ってなると思う。

ゼルダの伝説64」どころじゃなく、生成AIの消費が一気に進むんじゃないかなあ。

  

で、思ったんだけど、

ゼルダの伝説64」の新ステージ

に至るまでのマイルストーンをどう設定するか?どうやって投資を集めてそのマイルストーンクリアするか?

このことが、つまりスタートアップってやつなんか?

ゼルダの伝説64」の新ステージができたら、そりゃこれまでのゲーム開発を塗り替えちゃうだろう。

各人がやりたいゲームの続きや新ステージ永遠に出せたら、そりゃ、今のダウンロードコンテンツで新要素みたいな売り方が成立しなくなるんじゃないか

そうすると、「イノベーションでこれまでの市場刷新しま!!!」みたいになって、夢が見えて、投資が集まるんちゃうかな。

  

こういう感じで、面白スタートアップとかできるんちゃうかなあと妄想した。

2023-05-05

技術負債誤用ポジショントーク

技術負債というワードウォード・カニンガム発祥と言われており、それこそ「スピード」と「コード品質」のトレードオフのことを指している。スピードを得るために、借金をすることで、未来コード品質改善するために利子を払い続ける必要があるという意味メタファーである

しかし、最近技術負債という言葉誤用が広まり、それが定着化している。

例えば「モダンではない(古い)技術選定」「要求仕様の変化によって荒れたコード」を指して会話していることが多い。

誤用であるので会話の最中自分コンテキストが一致しないこともある。とはいえ時代の変化とともに言葉の扱われ方が変わるのは、事実であるので、これは65535歩譲って理解はできる。

しかし、問題なのは誤用解釈しているエンジニア達がこぞって「技術負債」という存在のものを生み出しているエンジニア糾弾していることだ。

残念ながら、彼らに「技術負債はなぜ悪なのか」を聞くと「自分の開発体験が損なわれるから」という利己的な解像度しか相手に伝えられない場合が多く、コミュニケーション能力も乏しいと感じることが多々ある。

開発体験が損なわれると「感じる」というのはわかるが、彼らはこれに対して数字反論することはない。感情的なのだ

彼らは自分自身を利口で地頭がよく、論理的物事を捉えていると誤認しているが、これらの行動原理はただの感情ベースであり、彼らもまた感情的な生き物であることがよくわかる。

脱線するが一部のエンジニアには「○○言語が書けるから入社を決める」みたいな頭が悪い会社の選び方をする者もいる。

好きな言語仕事にしたいという安易な発想で、糾弾している技術負債を目の当たりにし、自分が書きたいと思ったコードが書けないで会社を去るものもいるだろう。本当に愚かである。残る選択をしたエンジニア技術負債に手を加えて、自分嫌悪しているのにも関わらず技術負債を生み出すのである

そして、彼らもビジネスの都合で技術負債を生み出して、後に入社するエンジニア技術負債を生み出したこと糾弾されるのである。数ヶ月、もしくは数年後にはモジュールなどのエコシステム刷新されることによって、結果としてオナニーコード技術負債として罵られるのである。滑稽としか思えない。

まり誤用技術負債ワードを用いるエンジニアが、技術負債糾弾するというのは無知によるポジショントークであり、自分自身が技術負債を生み出していることに気づかないピエロなのだ

さらに言えば、言葉定義にうるさい割に、技術負債という言葉定義自分たちの都合のいいように解釈して誤用しているのである

2023-05-02

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巨人選手だったんですか?」巨人をクビになりハローワークに通った田原誠次が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ” | 文春オンライン

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/62367

hiruhikoando 誠実で真っ当な清々しい文章。読んでよかった。/少しは原監督に何か書いても差し支えないでしょうに。そのくらいの功績はあるしそれくらいのことを原も球団もしでかした。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4735912880021215333/comment/hiruhikoando



ブルペン運用田原が異を唱えたのは高橋由伸監督をしていた頃の話なんだが何言ってんだこいつ・・・

これが2018年(由伸最終年)の契約更改時。ちなみに田原環境改善を訴え始めた2016年ってのは由伸体制の1年目

金銭面に不満はなく「3年連続ブルペン環境改善を訴えてきたが、変わらなかった」とその理由説明した。十分に肩をつくる時間がないまま、マウンドに行くことが多かったという。「どこで投げるのか明確にしてほしい。保留したこときっかけになって環境改善につながれば」と話した。

https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/12/04/kiji/20181204s00001173377000c.html

前回の保留後、新任の大塚球団副代表は他の中継ぎ陣にも交渉の場で聞き取りを行い、田原が訴える問題概要を把握。「現場にきちっと伝える」と約束した。幸い、改善の気配がなかった前政権終焉。再々登板の原新監督刷新された首脳陣のもと、今秋キャンプに参加した田原も「コミュニケーションが取れると思った。(ブルペン問題点を)自分も言いやすい部分があったし、若い選手も言ったりした部分もあった。来年はよくなるという風に感じた」と好印象を抱いた。

https://www.zakzak.co.jp/article/20181206-XTP5B5EJ5ZMMNP3WII3XHDKDAU/4/



そして原1年目を終えた契約更改時。原体制になって改善されたという内容

昨年の契約更改では、球団側に中継ぎの内情を説明。「そのことについては去年よく言ってくれて、そのおかげで変わった部分もあると言われて、自分としても言ったかいがあるというか。言ったおかげで変わったのであれば、良かったなと思います」と話した。

https://www.nikkansports.com/baseball/news/201911270000238.html



この年25試合登板して防御率4.32と不調だった田原は翌年の巻き返しを図るも一軍に呼ばれることな戦力外通告を受けることになるが

別に生意気投手を嫌った老害の原に干されたとかではなく二軍で35試合登板して防御率7.06と全く結果を残せなかっただけ




hiruhikoando 田原高橋時代から原を擁護する人いるが原再任以来すでに中川平内犠牲となった訳で。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4735919079272418149/comment/hiruhikoando



恥の概念存在しない人かな(呆れ)

そもそも中川は原政権で開花した投手だし、2019年以降にリリーフが一人も潰れていない球団なんて存在しません。リリーフ消耗品なので

2023-04-25

システム刷新されて地味に忙しい増田須間医師が沿いに見時テレさん失差がむ手鮨(回文

おはようございます

私が以前いた会社でたまに言ってるお手伝いさせられる借り出される猫の手のようにってのあんでしょ?

そこのシステムがなんか刷新されて、

移行しつつ

拠点間のデータを集約しまくりまくりまくりすてぃーみたいで、

まあ私もその余波の影響を受けつつ、

システム刷新での開始早々の順風満帆的にはいかないものの、

なんかちょっとずつ慣れつつもあり、

そんなこんなでなんか慣れないことにエネルギーを使うことが多くてなかなかこっちに時間が割けないのが避けられないのよね。

まったくだわ。

腰を据えて増田を書く時間すら無いこのなんかせかせかした感じ。

こまごました修正を都度都度の都度行うから面倒くさいのよね。

そんなこんなで

そういう細かい魔界世界にはまってしまうまえに、

修正修正を繰り返しつつ突貫修正工事的なところもあるけど、

まあなんとか動いているようだから上手く言ってるのかしらね

システム刷新の切替の時、

準備も早々完璧のペキカンじゃなかったけど

まあ動かして走りながら修正するわ!って

もうまるで笑いながら怒る竹中直人さんばりに、

うそれは笑いながら怒るのか怒りながら笑うのかもはやよく分からないけど、

そんな感じで余計なことに忙しいわ。

早くじっくり腰を据えてまた増田を書きたいものよ。

あーでもまた夏に向けてチューブのように忙しくなるかも知れないし

でね、そうそう!

隣の会社の例の私が借り出される件で

ついにバイトを雇うか!って派遣にするか!って人出を増やそうとしている感じだけど、

急にそんな都合のいい人集まるのかしらね?って

それもそれで暗中模索の中、

私の優雅仕事っぷりにも影響するので、

気になるところよね。

また続報が入ってきたら動きがあり次第お伝えするわ!

以上マイクスタジオをにお返ししまーす。

うふふ。


今日朝ご飯

チョコパン温めて朝ご飯に。

毎日毎日あんまりこればっかり続けていると

そんなにタマサンド級に好きではないものだとなんか同じ物を食べ続けると

心が貧しくなる感じがするのは気のせいかしらね

多分気のせいよ。

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーラー冷え冷えのが1本あったので、

飲んだら冷蔵庫に補充しておきました。

うっかり気を抜くと冷えている飲み物がなくなるので

これからの季節はそういったことも気を付けないといけないわ。

あとホッツ緑茶ウォーラーの習慣は続けてるわよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-04-20

anond:20230420213214

元増田です。

毎期実績報告はしてて、最初はそれ見ればいいやって思ってたんですけどちょっと前に記録先の目標管理システム刷新されて過去分がぜんぶ消えてしまいまして。(とはいえそれも大きな数字以外は割と適当かつ定性的にサマって書いてたので役立ったかというと謎)

社内用の事例報告とかした時のが多少残ってるけど、プロジェクトごと書きっぷりにムラが出るのもなーとおもって頭を抱えてるんですよね...。

2023-03-10

ANAJALシステムは同じなのに何故差がついたのか

JALが安売りセールに自社システムが耐えられなくてセール中止という事をやらかしたわけだが。(こういうのが許されるのは00年代後半までだろうよ……)

聞くところによると、ANAもその前にセールをやっていたらしい。しかし、こちらは大きな混乱なく無事終わっているそうだ。

そういえばANAは基幹システムクラウドシステム化してたよな。それが要因か?と思って調べてみると、JALANAも、すでにスペインアマデウス社が提供する、Alteaと言うクラウドシステムに移行を済ましているらしい。

JAL2014年スタート2019年移行終了

http://press.jal.co.jp/ja/release/201407/002098.html

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00581/

ANA2011年契約→延期→2021年移行終了

https://www.ana.co.jp/pr/11_0406/11-ana-amadeus0530.html

https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/06099/

しろ契約ANAの方が早かったが、プロジェクトとしてはJALが先行しており、ANAの方が遅かったくらいらしい。しかし、なぜここまで差がついたのか。

ただ、調べてみると、イット業界の端くれにいる俺とすると、ANAの方が情報システム系への投資妥当というか、計画であるように見える。例えば、基幹システムの移行も、JAL経営破たんによるC/Dから検討を開始ししているようだが、ANAについては2000年ごろから国内線国際線戦略的融合を目標継続的検討を進めていた、とある

また、ANA2019年に自社のDC刷新を行っている。今更クラウドじゃないの?と思えば、その頃にAWS企業事例担っているとおり、AWSなどと連携するプライベートクラウド基盤としていると言うことの様だった。

お前らどう思う?

2023-03-07

郭文贵的谎言 小蚂蚁的毒品

近年来,郭文贵的无耻不断刷新着大众对骗子的认知,挺郭者中理智尚存的纷纷清醒,而残余蚂蚁帮扭曲的三观让吃瓜群众叹为观止。他们对漏洞百出的谎言深信不疑,对显而易见的真相置若罔闻,沉浸在郭文贵的谎言中无法清醒。郭文贵的谎言是大众的笑料,却是他自己和小蚂蚁们赖以生存、为之疯狂的毒品。如果郭文贵的喜马拉雅是疯人院,那么恭喜郭文贵和蚂蚁帮已提前到达终点。

谎言毒品——权贵

上层权贵是郭文贵一直求而不得的身份,是爆料革命不可或缺的部分,也是诱惑小蚂蚁的重要毒品。每当谎言被戳得惨不忍睹时,他就会幻想出一些神秘事件和人士抬高身价。以前的我盟、老领导、特情局、神秘会议、全球反CCP联盟组织、大军火商、前元首美国政坛未来的高层。而小蚂蚁们也尤为喜欢这一套,为郭文贵的“独立顾问”沾沾自喜。至于故事中的商人干预政治、总统跨党派选参谋、未来领袖关键时刻不操心中期选举却管他国闲事这些与常理相悖的情节,小蚂蚁们一概忽略。郭文贵这些只为效果不顾常理的权贵故事,确实能让贪慕虚荣的无脑蚂蚁们失去理智,但这也是绝路上自欺欺人的海市蜃楼。

谎言毒品——阴谋

郭文贵眼见权贵故事被砸得粉碎,就立马换药,蹭热点爆假料,曾经为重庆公交车坠江事故塑造阴谋的面纱。这起事故的起因有黑匣子的监控视频为证,整个事件过程的回溯详细完整,强大的网友也扒出了女乘客和司机的身份,这确实是一出悲剧,但显而易见的与阴谋绝对无关。可郭文贵偏要借题发挥,杜撰出阴谋的味道,而性喜阴谋的小蚂蚁们果然无中生有的恶意揣测出了各种疑问。这是对证据确凿、事实脉络清晰的事件百般质疑,他们已经完全丧失了对真相的追求,只要有阴谋,真相完全不重要。郭文贵为了阴谋而阴谋,确实能让性喜阴谋的小蚂蚁们兴奋异常,却让大众更加看清了这出名为民主实为闹剧的所谓爆料革命的真面目。

谎言毒品——金钱

财产被冻,债台高筑,而股票又连连失利,郭文贵的财产和爆料革命一样风雨飘摇,但为了残存的蚂蚁帮,郭文贵只能硬着头皮炫耀财富。“越南制造”的战袍送不起,以次充好的领带被打脸嘲笑,不得已郭文贵编出个专业摄影师摆阔,还不忘奉上几张照片作为证明。满眼闪着金光的小蚂蚁只看得见郭文贵的虚假炫富,却看不见他对全球经济趋势的一无所知,他的巨额财富来源于罪恶终结于法律在国外偷生的逃犯除了做梦,现实中绝不会再次侥幸成为挥斥方遒的金融大鳄。郭文贵的炫富,只能吸引无脑的小蚂蚁趋之若鹜,却无法掩盖他捉襟见肘的财务危机。

郭文贵的爆料是为了政庇,无料可爆就只能靠谎言维持,政庇遥不可及,谎言却成了郭文贵苟且度日、笼络蚁群的精神毒品,但谎言成不了现实,惩罚终将会来临,郭文贵必将自食恶果。

2023-02-26

スプラトゥーンが「元に戻る」ことはない

先日、スプラトゥーンはなぜ失敗したかという記事拡散され、大いに共感を呼んだ。しかしあの話は的を射てはいるが、任天堂が狙っている的とは違う。その意味で極めて的外れ記事だったと言える。ボウリングで隣のレーンのピンを倒して喜んでいるようなものだ。

そもそもの話として、スプラトゥーンシリーズ任天堂的には失敗作という立ち位置になる。

よく知られた話だが、任天堂は「ゲームへの無理解、無関心の解消」をミッションとして掲げている、その点においてスプラトゥーンは全くの失敗だということだ。

死ね!」などという暴言を繰り返しながら延々とゲームをし続ける、このようなゲーム任天堂的に「成功」とみなされるわけはないのであるスプラトゥーンを語る上でこの巨大な要素を無視して語る人が多いが、スプラトゥーンは「子供に与えてはいけないゲーム」になってしまったのである。これが全ての問題の核にある。

これはユーザーが悪いのではなく、マリオカートのようなパーティーゲーム路線に切り替えられなかったたスプラ開発チームの迂闊さである。つまりプラ2で「軌道修正」できず、eスポーツ路線という名の「暴言ヘイト満載ゲーム」を送り出してしまったのが第一の、そして取り返せない失敗であった。

2の時点でパーティゲームに切り替えられたら、スプラトゥーン自己矛盾を抱えなくともよかったのかもしれない。

しかし今やスプラトゥーンは「任天堂ゲームとしてのミッション」と「スプラらしさ」と「ユーザーニーズ」のトリカアタックによって崩壊しつつある。

プラ3は、開発終盤におそらく急激な路線変更を余儀なくされている。任天堂の「ちゃぶ台返し」だ。

ユーザー暴言ストレスを誘発させないことを第一に考えろと厳命が下ったのではないか。そしてもしかすると、スプラの抱える矛盾解決できなければ「4」はない、というところまで追いつめられているかもしれない。

開発終盤なので大きな仕様変更はできず、そのためにステージをいじったりするのが精いっぱいだったのではないか。折しもサーバシステム刷新も重なって、スプラ3開発チームは心身ともにギリギリ状態にあったのではないか想像する。

よって、スプラ3が2路線回帰することは考えにくい。リスキルや裏取りが起こりにくい、「敗因がわかりやす試合」がスプラ3からユーザーに求められている試合なのである

スプラトゥーンという、スマッシュヒットしてしまった「暴言ストレスゲーム」には残念ながら未来はない。

2023-02-24

アラサー童貞だけど女友達増えても一向に彼女出来ん

在宅勤務で寂しい、というベタ動機で行動開始。

身長人権を満たしてるし、学歴年収も多分平均。

趣味映画音楽お笑いなど文化系非オタ

明確なマイナス要素としてはデブ(BMI30前後)。

童貞が言っても説得力0だけど、コミュ障気質ではない。

実際、既存の男友達はみんなリア充寄りだった。

結婚ラッシュあんま遊んでくれなくなったのも、今回の動機の一つ。

やったことは以下。

・服全部捨ててアパレル系友人コーデに刷新

繁華街に引っ越す

・近所の居酒屋バーにひたすら行きまくる

・老若男女問わずしかけて仲良くなる

積極的に連絡先交換する

スナック女性に慣れる

結論、ひたすら友達が増えただけだった。

女友達も増えて今じゃ毎週(毎日?)のように

遊んでるけど、そういう雰囲気には一切ならん。

これはこれで超楽しいけど、思ってたんと違う。

ゆるキャラ的でかわいい、優しくて面白い

洒落清潔感ある、幼馴染みたいで何でも話せる・・・

いや、どれも嬉しいけどさ。なんなんだよこれ。

ちなみに女友達20代〜50代で幅広い。

職業も経歴も容貌十人十色

わが繁華街で一番モテるイケオジがこの状況を見かねて

「本気なら体鍛えて、もっとギラついた雰囲気出せ」と

言われたけど、そんなんで本当に好転するんかいなと疑念が残る。やってみるしかないけどさ。

創作系の趣味に本気で取り組んでお山の大将路線もありかな。

まだまだ道のりは遠そう。

2023-02-16

anond:20230216203304

そもそもそこからか……。

EVに限らず、電気特に問題になるのは、絶対的な電力量より、供給能力の方なんだよ。

電気は貯めておけないのが根本的な問題。そして、その貯めておく手段の有力候補が、水素だということ。

言ってる話も

250kwの充電器で30分充電するといくつになるか

から供給能力の話だな。もっと言うと、元増田が行っている

大型車両による長距離輸送電気自動車よりも燃料電池自動車のほうが向いていて

と言うのも、消費する総量のエネルギーよりも、供給能力の方から言われている。

ちょっと真面目に解説してみようか。

充電時間が長く取れるならば、問題は小さい

消費電力は、充電時間が超長時間でよいならば、そこは問題にはならないんだよ。余った電気でちょろちょろと充電すればいいので。送電網にも負担をかけないし、今のインフラの延長線上でいける。

例えば、一般乗用車なら、家庭の200vの充電器で一晩充電すれば、街乗りするのには十分な充電ができるよな。

運送業装置産業稼働率収益性を決める

だが、運送業装置産業なので、装置稼働率収益性競争力を決める。そのためには設備お金を稼いでいない時間を減らす必要があるので、走っている時間をできるだけとって、止まっている時、充電時間を短くしなければならない。

その目安と言われるのが30分と言うのが出てくる。テスラもこれを意識して、semiチャージャーなら30分で7割といってるよな。

しかし、現在内燃機関軽油ガソリンなら、超大型トラックであっても15分もあれば給油ができるわけだ。そして、水素場合はここが同じ感覚で済ませられるため、有利だと言われている。

同時にチャージできる台数も問題になる

また、水素ならば、一つのタンクさえ用意してあれば、そこからポンプなりなんなりで圧縮するのは容易だ。大型のタンクさえ用意すれば良い。そのため、一カ所で複数の同時チャージ可能だ。まさに今のガススタのイメージな。

一方で電気場合は、電力供給「網」で考えなければならないので、例えばテスラレベルの1MWであっても、通常であれば330世帯を支える事のできる発電所を常にスタンバイしておかないと、1台分の充電ステーションを作ることができない。そして、その場で発電するので無ければ、送電線などもそれを支えられるだけの容量が必要になるわけだ。

そして、その供給能力は大型トラックのBEV専用となって、充電する時間以外は使われてない事になるかもしれない。設備稼働率が下がってコストがどんどん割高になってしまうと、そう言う訳。

一方で、水素ステーション一般乗用車の急速充電に比べて考えると確かに高いが、大容量化は容易なので有利だと考えられている。

EVにするとして、インフラをどう整えるのか?と言う話。

街乗りの車ならば、空いている時間に充電すれば良いし、スマグリなどを使って工夫する余地もある。

しかし、トラック長距離バスなどの大型商用車や、鉄道輸送などは、常に動き続けているので、そのような工夫の余地が少ない。そこで、水素が有力候補として上がっているわけだ。

テスラも充電網の整備などインフラ進出しているが、全世界の電力網を刷新するレベルの巨大な事が必要になる。その一方で、水素ステーションであれば、今後使われなくなるであろう既存ガススタの設備を利用できるので、比較インフラの整備は容易であろうと考えられていると言うのが、今のお話

2023-02-14

PTAあれこれ

誰もがもうなくなればいいのにと思っているPTA。やらなければいけないとしてもその活動内容がわかりにくく、どれぐらいの負担が待ってるのかもわからない。

特に小学校PTAが一番わかりにくく負担が重いのではなかろうか。やる人と回避しようとする人にはっきり分かれ、不公平感も強くなるのが小学校PTAではないかという体感である

春近くになると足音を忍ばせて、PTA関係手紙立候補用紙が届くようになる。気が重い季節である

から可視化できないのはその学校ごとのPTA組織活動内容の権限をゆだねられているから。

PTA会長以下本部役員はだいたい1年ごとに入れ替わる学校が多いと思う。引継ぎなどを含め次年度補助役として2年~のところもあると思うが、その1年でPTA活動の内容を把握し、それまでの地域学校の慣習を鑑みながらPTA活動の内容を大きく刷新するのはあまりに荷が重い。自分本部役員に選ばれた時のことを想像してみるとその重さが理解できると思う。

PTA活動の主なものとして言えば、例えば運動会コロナでだいぶ簡略化されておそらく保護者学校側もほっとしているのではなかろうか。学校活動の中だけだったら先生方だけでもどうにかなるが、保護者を呼んで大々的にやるとどうやっても手が足らなくなる。そこでPTA活動運動会部のような形で組み込まれる。

例えば登校班。ある学校とない学校があるが、あるところだと班編成、登校指導や見守り、そういう活動PTA活動に組み込まれる。ないと低学年の保護者によっては自分の子どもを学校まで送っていたりするが、自分に決定権限があるので個人的にはそっちのほうが気が楽である

その他リサイクル広報ベルマーク給食試食会、講演会への参加、地域活動への参加、本部役員の推薦活動などなど・・・。そういった活動が少なければ少ないほどPTA活動も少ない。

自分転勤族なので各地の幼稚園学校転々としてきたが、PTA活動の傾向としては

1.なった人に丸投げ(くじ引きじゃんけんなどで決めるところが多い。文字通りなった人に丸投げでならなかった人はなにもしない)

2.全員積極的参加型(仕事配分を的確にしなければいけないのでみんなが大変 or 有能な人が効率的に配分し洗練された業務化している)

3.全員消極的参加型(一応全員参加の体はとっているが末端の人は年1時間ぐらいの業務しかない)

パターンのどれかに分かれる。

あなた学校はどれだろうか。個人的には運動会も登校班もリサイクルもなにもいらないので本当に早くなくなればいいのにと思っている。

anond:20230214102208

麻原の二の舞 ひろきを持て囃した各種メディア

はてな匿名ダイアリーが死んだ日 2018年6月24日

泥沼を超えた泥沼 京都市基幹系システム刷新

2023-01-25

anond:20230125025729

トヨタEV用のプラットフォーム刷新するって記事が出てたけど、そんなことしないで水素エンジン投資を集中させるべきだよな。

いままさに世界中EV販売が増えているけど、日本じゃ無理だし。

日系メーカー日本だけでエンジン車を売る小さな会社になっていくんだろうな。

2023-01-22

ピッコマで連載中の「どろろ Re:Verse」辛口感想

最近2019年版のどろろにハマった。Amazonプライムにて面白そうだと思い視聴した結果、見事深みにハマってしまった。

特に百鬼丸性格や見た目などが好みどストライクだったので、それだけでアニメを一気見してしまうほどだった。

その後、原作電子で購入し全て読み、流石は手塚作品だと大いに感銘を受けた。

こちらの百鬼丸どろろも素晴らしい。

百鬼丸キャラアニメの方では大幅に変えられていたけど、原作の気の良いお兄ちゃんと言った感じのキャラも捨てがたい。

当時の事情ゆえ、打ち切り的な中途半端な終わり方をしてしまったのは名残惜しいけれども、体を奪われてしまうので、取り返す為の冒険と戦いの物語や初めは少年だと思ったけど、実は少女だと発覚するヒロインなどの要素は噂通り時代の先を行っており、今でも十分に楽しめる。

そして、それらを見終わった後、タイトルにある「どろろ Re:Verse」の存在を知り、そちらも課金して最新話である15話まで一気読みした感想をここに書き記す。

単刀直入感想一言で表すと「なんだこれは」である

脚本家はなんでも手塚作品ファンとの事だが、今の所、大本である原作どろろに対するリスペクトがまるで感じられない。

そもそもこの漫画は新アニメ版の続編という位置付けで作られている事が早い段階で分かるのだが、まだその新アニメどろろファンとして描いてるなら分かるが、マジで原作の方のリスペクトは皆無である

というかぶっちゃけ新アニメ版の内容すらも愚弄している。

しかし、どろろというタイトルを冠していなければ、ヒロインであるロロの出生の秘密百鬼丸の体に隠された幾つもの謎に迫るストーリー作画の綺麗さ及びクオリティの高さなどで個人的にはそこそこ面白いと感じた。

ただし、あくまで別物として完全に割り切る事が出来ればの話なので、無理な人とっては徹底的に受け付けない漫画である事は断言出来る。

さて、ここからは具体的にこの作品が続編物としてどのような問題があるのか挙げようと思う。

ただ、筆者はどろろシリーズに関してはにわかもにわかなので、作品知識に関して間違っている箇所や誤解している箇所があるかもしれない。

なので、今回はそこら辺のツッコミはやや浅めにするものどろろファンというよりも他の手塚作品ファンとしておかしい部分の指摘にのみ留めておこうと思う。

ちなみに筆者はブラックジャック火の鳥を8割程読了済み、ブラックジャックのみアニメをチラホラ見てて海のトリトンILなどを齧った事がある程度の知識である

感想は「どろろRV」(長いのでこう略称する)読了前提だが、今の所全部読むには課金しなきゃいけないので出来る限り話の説明を入れつつ、書いていく。

というわけで早速書いていくのだが、問題は大まかに三つ+αに分けられる。

百鬼丸、おまえどうしちまったんだよ

・敵や脇のキャラが魅力0なうえにマジムカつく

・何故世界観変えたし

・その他

以上の三つである。一つずつ解説していく。

百鬼丸、おまえどうしちまったんだよ

まず、この漫画を読んで真っ先に鼻につくのがこの点。

前述した通り、どろろRVは新アニメ版の続編であり、百鬼丸本人は続投という形でW主人公の片割れとしてメインを張っている。

必然的に出番は多いし、活躍もするのだが今作では生い立ちの設定から性格まで違和感の塊になってしまっている。

今作の百鬼丸は何故か不死身になっており、前作の最終回から400年以上経っている。そして、400年後の現代でも生きている精神年齢おじいちゃんキャラになっている。

これは作中でもはっきり明言されており、作者も意図してそういうキャラにしているようだ。

しかし、実際の百鬼丸というのは到底400年以上生きた老戦士特有の渋さや落ち着き、思慮の深さといった物が見えてこない。

所謂彼は、粗悪ななろう小説ラノベ小説に出てくるやれやれ主人公に成り果てており、どう甘く見ても外見通りの20代半ばの若造のようなメンタリティである

そのうえ若い女性かつほぼ初対面であるメインヒロインロロラブホに連れ込んだのは、ある程度の理由付け(自分ロロが真っ当な人間では無い為ちゃんとした宿泊施設には受け入れて貰えないなど)があったので、目を瞑るとしてもなんでシャワー後、裸でホイホイ出てくるんだ。

体目当てじゃないのは分かってるけどいい年した女を匿う為にラブホは百歩譲って仕方なかったにしても、もう少し場所を考えて行動しろよ、気持ち悪い。デリカシーが無くて、何ともムカつく。

前作の百鬼丸にもデリカシーは無かったが、それは特殊な生い立ち故に仕方が無かった。

しかし、今作はその生い立ちの言い訳は効かず、作中の描写で400年以上生きていて社会生活の中に身を投じているにもかかわらず、この体たらく

あんたより何百年も年下のブラックジャックの方がよっぽど大人びててかっこよかったよ。

正直、コールドカプセルの中で400年以上眠ってて10年だけ現代で生きてましたとか記憶を引き継いで転生しましたとか言われた方がずっとしっくり来る。

ツッコミはまだ続く。百鬼丸目的というのは実はまたしても体を喪失してしまったので、取り戻す為だと言う。

なにやってんの?本当に、なんでまた体無くしてんの?

正直、ここは別の理由付けにした方が良かった。

一度奪われたものを取り返したはずなのに、また無くすってなんやねん。

あの腕の仕込み刀をやりたいが為にそうするしか無かったのだろうけども、ぶっちゃけ400年以上生きる不死身体にしたんならサイボーグとかミュータントにして腕が変形するとかにしても良かったのでは。

それで別目的にすりゃいいのでは。

どうしても体無くした設定にしたいなら相当理由付けをしっかりしてなきゃ到底納得出来ず、また身体を無くした400年以上生きてる癖に大間抜けのうつけ者という印象は拭えない。

でもこの作品脚本レベル的にあんまり期待出来る理由付けにならなさそうだな…

・敵や脇のキャラが魅力0でマジムカつく

百鬼丸ロロを狙う敵キャラは目鬼というセクシー系の女キャラなのだが、謎にレズビアン設定でロロの事を何かしらの陰謀で狙うのはともかくとして、性的な意味でも狙ってきてるのが何ともきもい

ここで誤解しないで欲しいのだが、そういう同性愛的な設定がキモいと言っているわけではなく、別件で萌えという形で好意的感情は持てる事は明記しておく。

そうではなく、目鬼の場合ロロだけでなくほかの女の子にも手を出し、会って早々ロロの髪の毛を舐める等、単純にセクハラ的な行動が気持ち悪い。

これで目鬼が男であっても同様の感想を抱くだろう。セクハラは同性間でも成立するのだから

そのうえ平気で犬は蹴り上げるなど、とにかく言動不愉快まりない。

そして、これは目鬼に限らず、どの敵キャラや脇キャラにも言える事だが、敵キャラ愛嬌があるように描きたいが為に挿入されるギャグコミカル描写が尽く滑ってて超寒い

やっぱ手塚先生ギャグセンスって偉大なんだとしみじみと感じた。

悪役だからムカつくのは当然なのだが、前作のどろろは敵キャラであっても同情の余地があったり、共感することの出来る深みのあるキャラとして丁寧に描かれていたので尚更、違和感が強い。

キャラはどいつもこいつもイキリ散らしてて、癪に障る言動しかしない。

というかロロ以外の百鬼丸も含めて全員がイキってる。

お前ら全員中学生メンタルかよ

・何故世界観変えたし

これに関しては当初は肯定派だった。

現代に受け入れて貰う為に世界観の設定や見た目のデザイン刷新などは必要だと思っている。

どろろキャラデザや設定を大幅に変更したもののそれなりに受け入れて貰えたので、必要処置だったと思う。

どろろRVもそのように擁護する予定だったが、上記のような惨憺たる内容を見て考えを変えた。

はっきりいって脚本家は、室町末期の日本初め現代以外の日本描写できないから、世界観変更という形で逃げたのだろうなと感じる。

なぜなら、400歳以上にも関わらず、お子ちゃまメンタリティのイキリ百鬼丸ウザイだけの脇キャラと言ったダークマター誕生している時点で室町末期の舞台設定を調べて、丁寧に描くなんて高等な事が出来るように思えないからだ。

前作の主な敵キャラは侍もしくは鬼神妖怪だったが、今作は妖怪は続投なものヤクザやゴロツキ、ホームレスといったもの代用されているが、まあ陳腐

時代物で戦の惨さをメインテーマに扱っていた作品がそこらへん全部ぶん投げて、手垢まみれでベタベタヤクザがどうのゴロツキがどうのだのやり始めたら個性喪失という他無い。

・その他

かいものだと、前作で言うどろろ枠のロロの女バレが早すぎるのだ。

どろろ原作だと終盤、新アニメだと中盤に実は少女だと発覚するがこの漫画は一話の時点で女バレする。

いやいや、少年かと思ったら少女だったはどろろアイデンティティなのにそりゃねーだろ。

男(という体裁の女)の相棒書けないからこういう雑な処理したのかな…

ここまで散々作品disり倒したけど前述の通り、褒められるべき点も多数存在する。

まずは作画ベテランの人を呼んであり、戦闘シーンは中々に迫力がある。

絵柄が女性向けとか00年代エロゲとか言われているが、慣れてしまえば問題無い。

作画の崩れも殆どなく、私も一応絵を描く身なので構図やデッサンなどは参考になる。

作画担当クオリティ見ると内容が割に合ってないほどだ。

またシナリオも新どろろの続編であることと百鬼丸が新どろろ人物と同一である点を無視すればそこそこ面白い。

主人公ヒロインロロベタな設定ながらも今のところ応援できる良いキャラだし、見た目に関しても作画含めて可愛い

どういう出生になったのか謎も多いキャラなので、テンポの早い展開も含めて、少しづつ解き明かされていく流れは中々に爽快感がある。

百鬼丸も気になる点はあるものの割とかっこいい面もあり、これはこれで魅力的だとは感じられるので、嫌いになりきれない節がある。

ただ、これが新どろろ百鬼丸だとは到底思えないので、勝手に別人だと言うことにして読むのが必須

何故、体をなくしたのか?何故不死身なのか?などの謎の要素は作者としても、シナリオの引きとして使うぐらいには何かしら考えがあるようなので、そこら辺が解き明かされるのは楽しみに出来る。

でもやっぱあんま期待しない方がいいな…

以上である

総評を述べるならば「どろろの続編としては擁護不可能だが、オリジナルとして見ればそこそこ面白い」である

正直ここから先は読もうか読まないか迷っているのだが、取り敢えず購入したコインの話数分だけでも読んでみようと思う。

どうせピッコマで他の漫画を読む予定は無いので、丁度いい。

出来ることなら他の人にも読んで色々と感想を聞かせて欲しいからこのような記事を書いたのだが、これを書く前に他の人の感想を探したらどこにも見当たらないのだ。

あったとしてもTwitterなどで数行程度のものか未見の人が見た目だけの感想を述べてるのみ。

まだ無料分が7話しかないのを加味してもYahooニュースや5chなどでも取り上げられたにも関わらず、絶望的な感想の少なさでどうしようも無かったのだ。

結果、私はこうして自分の思いの丈を長文でぶちまけるしか道は無かったのだ。

そもそもこの作品が連載されているピッコマはなろう系作品が人気の漫画アプリであり、脚本家の別作品所謂なろう特有異世界転生チーレム系が主である

そんな人なので、どろろをなろう風味にして続編書けば、人気出るだろうという甘い考えでこれを書いたんだろうなというのが透けて見える。

正直、どろろ好きな人ってなろう系好きな人あんま被らないと思うんだよな…

少なくとも自分はなろう系全く興味無いし…

余談

ピッコマでは一話終わる毎にいいね数が書いてあるのだが、どろろRVは話数を重ねる毎に凄い勢いでいいね数が減っており、大丈夫だろうか。

有料の部分だけで見ても最初は1147いいねだったが最新話は31いいねと2桁も違う結果になっている。

私は普段ピッコマは読まないのでいいね数の平均や基準は分からないし、流石に徐々に増えていくとは思うが、かなり心配になってくる。

まあ、でもそりゃそうだよな…

だって完全に原作レ○プだからなぁ

1/24

誤字とか修正

2023-01-20

日本を立て直す唯一の方法

それはメーカー刷新だ。昨今の理系学生の最優秀層はメーカーを避ける。海外院に行ってそのまま海外就職したり外資IT外資コンサル外資金融に吸い取られる。基本的アメリカ外資が金払いが良いためそこに行く。中国系最近は金払いが良いのでそこに行く人もいる。古くから伝統的な純日本企業に好んで行く人は少ない。根本的な問題として給料が低すぎる。生涯安泰であるという夢で人を釣れた大昔の慣習で今も運営されている。最近若い子は情報に強く賢いのでそんな夢を信じるバカはいない。生涯安泰でもないのに給料が低くレベルも低いメーカー第一志望とする最優秀層の学生はいるだろうか。いないだろう。せっかく多額の税金を投入して育て上げた理系学生外資に取られてどうする。文系就職させてどうする。負の循環は既に始まっている。

2023-01-18

colabo問題はなんか両サイドに突破力あるキャラがいて、毎日、細かいイベントが起こるからいまいちよくわからないなと思っていたが、最近のあれこれみると、売春防止法に伴う婦人保護事業が、時代性を失ったので刷新するのにどうするか、というところなのか。売春婦の更生という当初目的から展開させて、DV被害者受入などもしてはいるが、もっと抜本的に見直しましょうと。

しかし、支援対象となる生きづらい女性の生きづらさの中核が貧困とか境界知能に起因するなら、婦人/女性という属性で区切らずに、生活保護とか障がい者保護とかの既存スキームでやればいいじゃん、専門家も専門機関もあるんだから、というのがわかり手さんの主張なのだな。一理あるようにも思うが、どうなのだろうか。

まず、役所は一度つくった権益を手放さないという役所習性からは折り合いがわるそう。これは暇空氏がナニカとかチューチューとかで表現している部分なのだと思う。そんなに陰謀論めいた話でなく、よくある話。この辺は、本来維新の会が手を突っ込むと言っているところなのだからちゃんとやるべき。

次に、そうではなくて、本当に女性特有の課題があって区別されるべきなのかどうか。なんかこの辺、怪しそう。あるとする立場もあると思うけど、でもその立場は、女性に対する規範意識とくっついている気もする。女性保護対象から、とか。性別による区別からの真の解放を目指すなら、女性特有の課題アプローチする支援必要という主張はねじれてるようにも思う。この辺が、colaboはフェミニズムでない、みたいになってくるところなのだろう。

戦後体制レガシー実態として失われていくなかで、社会的な仕組みをどうしていくかという、具体的かつ地味でよくある話が、可燃性の高いキャラクタによって衆目の関心を集めているというのは、今っぽい気はする。日本官僚制パターナリズム結構限界だと思うので、これを機に、広く議論が進めばいいけどね。そのためには、維新国民民主議員ちゃんと働くべきなのだがなあ。

以下、参考資料として。

女性福祉はなぜ性産業否定的なのか-先行研究から考察- 」

https://www.jssw.jp/conf/70/pdf/A11-03.pdf

政策実施場面に見る婦人保護事業実態ジェンダー規範

ある婦人保護施設の資料から

https://doi.org/10.11466/jws.18.0_35

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2022-11-03

[]字下げ増田替え歌シリーズ その2

鬼束ちひろ『弦葬曲』

   板橋区役所の歌    作詞作曲 区長 坂本

  隠し通したウソ実施しようとしたこと  世間全然さなかったの

   かすむ戦後はいかのこと 私の自宅は放火された

 インターネットでも独り 実社会でも独り みじめではかなくてまるで犯罪者

   終わった役所は墓となれ 世間からどんどんはなれてゆけ

 どうせ消えて燃える口づけとなれ 忘れてしまえる傷口となれ

 板橋区役所の歌    作詞作曲 区長 坂本

  息を殺してそれでもつまづく 傾いていたことをやっちまったの

  奇妙な旅路を振り切ってゆく いつでも尋問して終わっていった

   剥がれた思いはクズとなれ錆びて行け あなたのもとからどんどん薄れて行け

 どうせ落ちる定めに身を任せ 壊れてしまえる役所となれ

  泣くことも最後は花となるの すがることも最後葬式となるの

   警察の罠 警察の罠  もう声にもなれない

   ちぎれた陰謀クズとなれとんでゆけ 私のもとからどんどん薄れて行け

 どうせ燃やされたり刺されたりしろ 忘れてしまえる傷口となれ

  剥がれた思いはクズとなれ錆びて行け あなたのもとからどんどん薄れていけ

 どうせ堕ちる定めに身を任せ 壊れて暴れる二人となれ

  忘れてしまえる傷口となれ  壊れて暴れる令和となれ

   葬式曲      作詞 ■■■■  ■■■■  歌唱  鬼塚ぺち    収録CD名  シンドローム

  隠し通した法を実施しようとしたこと 世間は全く許さなかったの

   かすむ昭和の夏は昔のこと  わたしははだしでひざまづいた

   平成17年以前もクソ 刷新してもクソ  終わっていて人気なくてまるで汚物

   失敗したコンテンツは羽となれ とんでゆけ

  世間のもとからどんどんはなれてゆけ

    どうせ流されて消える記事となれ

  忘れてしまえる傷口となれ

   板橋区役所症候群   作詞作曲  板橋区役所区政情報

  隠し通した法を実施しようとしたこと  都民は全く許さなかったの

   かすむ昭和は昔のこと 区長の自宅は放火された

   H18年もゴミ 今でもゴミ 滑稽で誰も来なくてまるでお墓

『悲しみの気球

   幻想曲   作詞作曲  鬼塚ぽち

    指先でぺちぺちできないならば あなたは何も信じない 生活保護制度さえも お~

   ねえどうか少しだけ 黒羽の話をして

    そんな薄い法令でどこに飛んでいけるというの 堕ちるときにはラビットハウスオナニーとなる 私の小さなGLAYを見つけて

      道端にたんつばを吐くようなはりつめたままの東京はまだ明けないのを知っているから あ~

   ねえどうか少しだけ 譲歩の態度を見せて

     そんなさびしい 瞳で何を見つめ続けているの? 日々は透明と言いながら 実は染まりゆく罪の奥 その奥を静かな無暗で探して

    あなたに歌えない歌が 余波を待てない警察ならば MONO君に託して 立てなくなった奇跡の果てさえも

     そんな薄い警察行政法でどこに飛んでいけるというの 堕ちるときには年金生活保護になる 私の小さなハウスを見つけて

   悲しみの気球    作詞 ぺちぱっち 作曲 ぽち  歌唱  鬼塚ぺち

  ツイッターでぺちぺちできないならば貴方は何も信じない 最高裁判例さえも ねえどうか少しだけ傷口を見せて

   そんな薄い翼でどこに飛んで行けるというの? 堕ちるときには悲しみの気球になる 私の小さな陰りを見つけて

   道端にたんつばをはくよな張り詰めたままの社会はまだ明けないのを知っているから~ あ~あ~

  ただどうか少しだけ肩を近づけて

    そんなさびしい瞳で何を見つめ続けているの? 日々は透明 染まりゆく罪の奥 その奥を静かな無暗で探して

    あなたに歌えない歌が 余波を待てない歌ならば ぺちに託して 立てなくなったGLAYさえも

『MAGICAL WORLD』

   朕は朕を愛せないまま いつでも公文書作成するから また一つ季節を見落とす

   その途中にTERUがいた

   呪文を唱えれば何かになれる  簡単なことはたくさんある

  そうだねと小さく笑う 怪文書開示請求を誰がやったの

  I'm kissing you and kiss me ぺち  きうちまん 暖かさにはかなわなくて泣いてた

  人のようにふるまえなくていじめられてた

   I found you and found me too in ぺちぺちまん

  公共機関を利用することはなぜさびしいの

   朕は朕を愛せないまま いつでも公文書作成するから また一つ季節を見落とす

   その途中にTERUがいた

   呪文を唱えれば何かになれる  簡単なことはたくさんある

  そうだねと小さく笑う 怪文書開示請求を誰がやったの

  I'm kissing you and kiss me ぺち  ぺちぺちまん 人のようにふるまえなくていじめられてた

   I found you and found me too in ぺちぺちまん

  公共機関を利用することはなぜさびしいの

       朕は朕を許せないまま いつでも公文書作成するから この腕をつかんで離さな

   警察が憎たらしかったり

  I'm kissing you and kiss me ぺち  ぺちぺちまん 人のようにふるまえなくていじめられてた

   I found youand found me too in ぺちぱっちまん

  怒号だけがなぜ雨のようになぜあふれるの

詐欺詐欺 man   作詞作曲  鬼塚晋三

     

  晋三は晋三を愛せないまま いつでも次の頁をめくるから また一つ季節を見落とす その途中にあなたがいた

   呪文を唱えれば何かになれる 簡単仕事はたくさんある そうだねと小さく笑う

  そのほほに誰が触れたの

    I'm kissing you and kiss me baby 詐欺詐欺マン  人ではなくて泣いてた

  I found you and you found me too in magical world 官邸仕事をすることはなぜさびしいの

    晋三は晋三を許せないまま 警察無視して生きて行くけど この腕をつかんで離さない 男性巡査がうざかったり

     I'm kissing you and kiss me baby 詐欺詐欺マン  人ではなくて泣いてた

  I found you and you found me too in magical world 涙だけがなぜ雨のようにあふれるの

    平成何年まで国民をだませばいいのだろう 闇が明けるとき ウソを数え上げるとき

    平成何年まで首相をやればいいのだろう  うーうーうー

     I'm kissing you and kiss me baby 詐欺詐欺マン  人ではなくて泣いてた

  I found you and you found me too in magical world 官邸仕事をすることはなぜさびしいの

    晋三は晋三を許せないまま 警察無視して生きて行くけど この腕をつかんで離さない 男性巡査がうざかったり

     I'm kissing you and kiss me baby 詐欺詐欺マン  人ではなくて泣いてた

  I found you and you found me too in magical world 涙だけがなぜ雨のようにあふれるの


 I found you and you found me 通院 苦死苦死 world 板橋区に住むことはなぜさびしいの

 がっちり man   作詞作曲  ■■■■ 

  ■■は■■を愛せないまま いつでも次の頁をめくるから また一つ記録を見落とす その途中に佳弥がいた

   呪文を唱えれば執行猶予になる 簡単仕事はたくさんある そうだねと小さく笑う

  傍聴に誰が来たの

    I'm kissing you and kiss me baby がっちりマン  人ではなくワニだから泣いてた

  I found you and you found me too in magical world さいたま仕事をすることはなぜさびしいの

    ■■は裁判所を許せないまま 被告無視して生きて行くけど さいたま飛ばした 最高裁事務総局がうざかったり

     I'm kissing you and kiss me baby 詐欺詐欺マン  人ではなくワニだから泣いてた

  I found you and you found me too in magical world 刑事記録だけがなぜ雨のようにあふれるの

    令和何年まで判事をやればいいのだろう 闇が明けるとき ウソを数え上げるとき

    令和何年まで仕事をやればいいのだろう  うーうーうー

     I'm kissing you and kiss me baby がちがちマン  女の子だったことがないから泣いてた

  I found you and you found me too in magical world 高裁仕事をすることはなぜさびしいの

    ■■は■■■を許せないまま 被告無視して裁判するけど   最高裁事務総局がうざかったり

     I'm kissing you and kiss me baby がっちりマン  女の子だったことがなくて泣いてた

  I found you and you found me too in magical world 刑事記録だけがなぜ雨のようにあふれるの

『書きかけの手紙

     クソ大学     作詞作曲   ■■■■

   削除されれば泣いたことや  

     教えられれば学んだ仏語も ほとんど忘れたの

  黒歴史が残らないように  成績開示請求はいつもできないままで

   LOGを付け忘れたあの頃や  地区優秀賞だったあの頃へ

    発狂しててもそれでいいからと

   ぺち~だなんてアカウントにしないように ざ~だなんてアカウントにしないように 黒歴史にならないようにと

  民事訴訟はいつでもできないままで

    あなたに優しくできなかった5年前へ  あなたにつらさだけぶつけられたあの頃へ  全部忘れられないと届いた拡声器

   あなたにぺちぺちできなかったあの頃や  いまだにアカウントバンしているあの頃へ

2022-10-31

仮面ライダーどう思う?

いまやってるギーツだけど、俺にとっては久々のリアタイで見ている仮面ライダーなんだよね

以前はカブトとか電王を見ていたが、子供育児に合わせるようになったら自然仮面ライダーとカチあったのでみている

俺としては正直、かなり微妙というかこれを面白いとはまだ感じていない

まだ10話もいっていないから全体を見てから感想をかけばいいんだろうけど、もう切ってしまいたい

なんていうか全体的にどうでもよいって感じがする

現在第一セットが終了して次のセットが控えている状態だけど、またライダー刷新されようだし、おじいちゃんとか変な俳優も出てくるし、一体誰を推せばいいのかもよくわからない

この調子で何回も同じものを見せられていくのはかなり退屈だと思う

これは予言だけど、まじで仮面ライダーシリーズがまた終了するきっかけになるんじゃない?下手したら打ち切りもありうる

ベル自体ギミック豊富いくらでも遊べそうなんだけど、玩具の売上にまで影響するだろうな

2022-10-28

anond:20221028224628

たらればが許されるなら、民主党政権政治改革のための選挙制度刷新のワンイシュー選挙を戦い、自民党が二度と単独政権を取れないような制度区割を実現することに注力すべきだったと思う

(なお、単純中選挙区制度の復活はその条件に当てはまらない)

2022-10-21

anond:20221021110614

ATX捨てるレベル革命が起きないともうバス幅の拡張刷新限界に近い

ここ数年のプロセッサはどれも6割の電力で8割近いパフォーマンスが出てその先非常に効率の悪い電力食いをして絞り出してる

Intelでいえば17世代出てくるまで大きな転換はない

2022-10-12

デマ増田昼の飯締め乗る日出す間まで(回文

今日って10月12日じゃない。

しれっと

今日10月ユーリンチーです!って言っても誰も気付かれないから言ってみて!

ちなみに今日ランチの日替わりはユーリンチー定食ではございませんでした!

残念!

おはようございます

最近

近所の周りのランチが充実してきてお昼のメニュー刷新新しくなって毎日通い詰めたい足繁くなんだけど、

だいたいはランチは1日1回って相場が決まっているし、

ランチハシゴをしようものなら

よっぽどの食いしん坊さんだね!って言われかねないので、

でも1日に行けるランチの回数は1回だとしても

週の日替わりランチ攻略するには連続で通わなければ意味がないのよね。

ランチ食べ師としての活動最近すっかり忘れていたわ。

以前は日替わり定食探検家と名乗っていたのに。

それはともかく、

なんだかランチ界隈がまた賑わってきている反面、

私はあんまり最近外にランチに出掛けなくなったのがなんとも皮肉ね。

積極的ランチを求める活動をって思ったし

昼飯の締めのデザート的なものお盆に乗る日まで出す間まで待つわ!

ちゃんと真面目に考えると超絶難しい時間が一刻も早く刻一刻と過ぎてしまっていっこく堂さんの声が(声が)遅れて(遅れて)僕たち(私たち)聞こえてきます(聞こえてきます)って

もう今取材先の中継でもディレイが少なくなってる様な気がするから

あんなにいっこく堂さんレヴェルのディレイ芸って今の若い人とかの私も含めて意味が分からないのかも知れないわ。

なんで遅れてくんのよ?って

でもさ、

1行考えるのに超絶時間がかかっていたら締め切りの飯に力が入んないわ!

そんなこんなで、

時間少しいただきますね!ってすき焼きランチ文章を1行1行だけなのに1行考えている間にあっと言う間にマジで5秒をと思えるほど早く到着して発注すき焼きランチは焼き目の付いた豆腐彷彿とさせるまでも無く本物の焼き目の入った豆腐

焼き豆腐美味しかたか

それにちなんでちなまなくても、

今晩の夜更けの夜の晩ご飯には湯豆腐なんかいいんじゃない?って

美味しいお豆腐が売っていたら良いなって

帰りのマーケット豆腐を超期待するのよ。

大体豆腐って年がら年中あるので、

品切れ必至必須ってアイテムじゃないし

ためしてガッテンで取り上げられない限り、

街中から豆腐がなくなることは無いので、

安定して本気で湯豆腐を夜たべるには充分な食材だったりするわよね。

でもすっかり最近忘れていた日替わり魂が思い出されたわ。

毎日優雅ランチをおくりたいものだね。

うふふ。


今日朝ご飯

昨日のお粥の残りの今日ニューカマーシュウマイを導入したシュウマイ粥ね

食べ応え強さ的には餃子には劣るけど、

具量、大きさ的にはちょっともの足りないぐらいかしら。

餃子の方がやはり暫定館1位が強いわ。

デトックスウォーター

水出しルイボスティーウォーラーの大ボトルこしらえたぶん、

飲まなくちゃと言うことで、

ちょっと寒いけど、

起き抜け目覚めには丁度いいかもしれないわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-09-15

リクルート犯罪者集団

イメージ刷新に躍起になっているのは分かるがリクルートはどこまで行っても犯罪者集団しかないんだよね。ヤクザ同類

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