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はてなキーワード: くらまとは

2023-06-14

旅行先で迷ったフリして逃げてやろうか迷ってる

再来週海外に行く予定なんだが一緒に行く相手があまりにも旅行に対して無関心で虚無感に襲われてる。

こっちがあれやこれやと提案しても上の空で興味が無さそうな反応。切羽詰まった話してもぼけーっとスマホ触ってる。何なんだよ。

元々の性格のんびりしててどうせ自分の行動で相手がどう言う気持ちになってるか分かってないだけだと分かっていても腹立つものには変わりない。

いつも一人旅行く予定を言うと自分も行きたいと乗っかって来て2人で旅行に行くんだが毎回出発前に不愉快ない思いをさせられるのがキツい。本人に言っても暖簾に腕押しで改善もない。

テイノイイツアコンか何かだと思ってんだろうが海外放置したらどうなるんだろう。半日行方くらましてやろうかずっと迷ってる。

2023-06-10

今年初めての冷やし中華を食べたけど蒸し暑いこの時期はやっぱ美味い

事の切っ掛けは新宿歌舞伎町トー横近辺のレンタルルーム40代弱者男性が頭部を撃ち抜かれた射殺体で発見されたのが始まりで検死の結果銃創からは硝煙反応が検出されず微かなアンモニア臭がするのみでこれは何事だとこの凶器不明殺人事件は連日大きく報じられ中には東京拘置所不審な死を遂げたトー横のハウルとの因果関係を疑う報道もありインターネット上でも大きな盛り上がりを見せて単に事件に関心を持っている人たちを始め当のトー横界隈やキチガイ陰謀論者の他ただ祭りを楽しみたいだけの馬鹿共も入り混じり謎が謎を呼ぶこの殺人事件を巡る騒動ますます過熱していきトー横にも配信者や野次馬を始め様々な目的で大量の人が出入りするようになり連日トラブルを起こすから地元勢力を筆頭に反社やビブ横ドン横グリ下警固の混成部隊SNSを通じ地元勢力支援に駆けつけ子供たちに自衛力を持たせるという名目面白半分に凶器横流しする者も現れて三つ巴四つ巴の対立が生まれ一触触発の自体に皆が戦々恐々としているところ新宿署に捜査本部を設置し本格的な捜査を開始した警視庁歌舞伎町に大量の捜査員を投入しその余波で違法売春違法薬物の摘発も進みトー横の浄化が進んでいくが居場所を奪われまいと反発する一部の地元勢力警察が衝突し遂に暴動に発展し機動隊が投入され力づくで制圧されていくトーキッズたちを見かねた92セルフクンニ特殊空挺部隊所属する私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の生徒数人が機動隊員を殺人潮吹きで盾ごと貫き射殺しその他制圧に加わっていた警官全てを皆殺しにしてトーキッズたちを保護した彼女たちは百合の間に挟まる男を許さないという校則に従いついでに男のトーキッズも皆殺しにしたあと警官から奪った拳銃警棒彼女たちを武装させ戦利品警察車両ジュラルミン盾でバリケードを構築し東宝ビルに籠城を始めるがその様子はテレ東以外の全てのテレビ局生中継され事態に気づいたセルフクンニ軟体女学院の一同は騒動を収めるため第一種戦闘配備で待機となるが防衛省から通達により当学院存在を明るみに出すわけにはいかないと出動を禁止され各地に潜伏している第92セルフクンニ特殊空挺部隊の隊員に望みを託し病みかわ地雷女子たちの無事を祈るしかなく歯がゆい思いをさせられるばかりでこの日の屈辱は後世まで語り継がれることになるのだがその話は一旦置いといて東宝ビルには警視庁特殊急襲隊通称SATが投入され包囲網形成し立てこもり犯に投降を呼びかけているがトーキッズたちを人質に取っているとされる病みかわ地雷メイクの立てこもり犯たちは徹底抗戦の構えを見せており先程リペリング降下で突入したSAT隊員たちを懐から取り出した未知の武器で一瞬で斬殺した瞬間をフジサンケイグループ報道ヘリが鮮明に捉えておりその後同社のヘリ殺人潮吹きによってメインローター基部をやられ墜落しその間際立てこもり犯の一人はフジテレビアナウンサー大塚範一への殺害予告めざましテレビ司会者谷原章介の軽はずみな言動への苦言を呈し東海テレビスイッチ!のはじめまして再放送DVD化希望する声を発したとされるが警視庁が恐れているのはまさに彼女たちの圧倒的な戦闘能力でありそれもそのはず第92セルフクンニ特殊空挺部隊の隊員たちは死にたい死にたい言いながら愛用の貝印カミソリで左手首を切ることでカミソリに赤い刀身を形成しその刃は形状を自在に変化させ超長射程の槍のような使い方も出来るという恐ろしいもの初見殺しも大概にしろという感じだがそれを受けてSATチームはまずはそのリスカソードの最大射程を見極めその射程外から狙撃で立てこもり犯を排除人質を救出するという作戦に切り替えようと画策するも高層ビルが建ち並ぶ都市構造上それも不可能判断しやはり屋上ヘリポートから隊員を次々と送り込み犠牲覚悟CQBで仕留めるしかないと判断したSATチームは最精鋭のポイントマンを送り込みビル内の制圧に乗り出すがその威圧感に怯えたのか人質だと思われていたトーキッズの一人が警官から奪取した拳銃SAT隊員に向けており子供を撃つことに一瞬の躊躇いを見せたのが命取りで防弾装備の僅かな隙間を縫って首を撃ち抜かれてしまい銃声を聞きつけ突入の合図だと勘違いした後続の隊員は安全確保のされていない敵地に大所帯で突入してしまホテル廊下に仕掛けられた数々のトラップで先頭の隊員に甚大な被害を出してしまうが流石は警視庁特殊急襲隊といったところで後続のライフルマンが見事に拳銃を所持しているトーキッズの一人を銃撃し彼女を庇おうと無防備に射線に出てしまった第92セルフクンニ特殊空挺隊員の一人が致命傷を負ってしまうがどうせセルフクンニ軟体開発女学院入学時に捨てたこ生命最期はぴえん界隈に捧げてみせようと覚悟した彼女は無数の銃弾を受けながらも超高速セルフクンニを開始し最大出力の殺人潮吹きSAT隊員十数名を薙ぎ払うように殺害し体水分の一切を失ったその体は一瞬でミイラ化してしまうが骸骨と化したその顔はどこか満足げであったしトーキッズの一人は無事逃げおおせて皆と合流し彼女の死を他の隊員に伝えたけど水分の無駄だと決して涙を流さず冷静に次の作戦を練り始めるが最大限の悔しさと悲しみを込めて握り締めた拳から鮮血が滴っているのを彼女は決して見逃さなかったが突如階下から大型の重量物が衝突したような轟音が響き渡ると激しい銃撃戦が表で始まり銃声に特有モールス信号見出した第92セルフクンニ特殊空挺部隊隊員たちはこれはビブ横ドン横に潜伏していた他の隊員の増援に違いないとSAT隊員の装備を鹵獲しながらも階下に急ぐと花道通り沿い駐車場ピンク色のラッピングで彩られた奇異なバスが停まっておりその車内からは激しい銃撃の他夜景の輝きを反射してキラキラと煌く殺人潮吹きの射線を認めすぐさまピンクバスに乗り込み一行はスマホのナビを頼りながらセルフクンニ軟体開発女学院所在する険しい山岳地帯へとバスを走らせるが警視庁もそれを見逃すほど甘くはなくすぐさま全所轄署に非常事態宣言通達しあらゆる交通網に規制線を張り必ず犯人の乗るピンクバスTSUBOMI CAFEを拿捕するよう念押しで通達カーチェイスを開始しその様子は報道ヘリによって無責任に実況中継され警察犯人重武装しているので絶対に近寄らないでくださいと全国民通達する手間を負う羽目になり実際にカーチェイスに参加した一般市民自動車バスから放たれたグレネードランチャーで大破し乗車していた一家4人が全員死亡するという大惨事引き起こしそれはそのはずピンクバス運転しているのはビブ横に潜伏していた同じ第92セルフクンニ特殊空挺部隊の隊員であり彼女たちは米軍基地からかに持ち出した強力な重火器を装備して今回の事件に介入しておりこの装備この人数のセルフクンニ特殊空挺部隊相手では如何に警視庁といえども苦戦は必至でありとてもではないが急遽駆り出された制服警官制圧できる相手ではなく箱根七曲りを突破した頃には追跡は警察ヘリのみとなりビブ横担当の隊員がヘリめがけジャベリン対戦車ミサイルを発射しこれを撃墜し追手を完全に撒いたかに思えたが習志野からチヌークが発進したとの情報をビブ横に残り二重尾行している隊員から通達れいよいよ日本最強の特殊部隊と言われる陸上自衛隊特殊作戦群との直接対決が近いと予感した彼女たちは何とかドンから増援要請できないかと秘匿性の高いイスラエル製通信アプリ応援を呼びかけるが既にドン横に潜伏していた彼女たちは身元を特定され愛知県警SATチームと守山駐屯地陸上自衛隊との混成部隊によって追い詰められ撤退余儀なくされつつあるとの絶望的な報告を受け覚悟を決めた彼女たちは途中でトーキッズたちをピンクバスから降ろし路銀を渡して何とかセルフクンニ軟体開発女学院へとたどり着き我々の部隊名を告げて入学を志願しろとだけ告げて彼女らはトーキッズたちを追跡から逃れさせるため敢えて派手に暴れるために湯河原へと進路を変更し最期の戦いへと赴くがまんまと装備を強奪されテロ事件に使われた在日アメリカ軍在日アメリカ大使館が黙っているはずもなく横田基地からAFSOCの隊員が特殊作戦群に先んじて出動しており既に監視衛星グローバルホークから情報彼女たちの位置情報特定包囲網を築いているがこの事件引き金を引くのはやはり我々ではなく同じ日本人ではならないと考えた同部隊司令官効果的なフォーメーション武器による威圧を続けながら攻撃することな彼女らを包囲し特殊作戦群の到着を待てとの命令を出し約一時間後に到着した陸上自衛隊特殊作戦群の面々は先んじて到着していたAFSOCから必要情報を得ると彼女らの立て籠もっているホテル突入を敢行し地元警察によって完全封鎖された観光地舞台日本の最高戦力同士がぶつかり合うが僅か4人の疲労困憊した第92セルフクンニ特殊空挺部隊と50人規模の特殊作戦群では勝負になるはずもなくホテルはまたたく間に制圧され4人合わせての最大出力殺人潮吹き部隊の1/3を道連れにしたものの近隣住民に一切の被害を出すこともなくこの事件解決セルフクンニ軟体開発女学院存在をなんとしてでも隠蔽したい防衛省の働きかけで本事件報道自粛され特殊作戦群とAFSOCの隊員から彼女らがもっとクレバーに立ち回れば更に甚大な被害が出ていたのではないのかあの戦いは彼女らの自殺願望成就させたに過ぎない茶番であり彼女らの所属する部隊の本隊と戦っていれば全滅していたとの意見も出ていたがそれはあくま真偽不明ネット上の不確かな情報しかなく結局私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院存在は一切表に出ること無く幕を閉じトー横近郊のレンタルルームで見つかった変死体千枚通しのようなもので自らの頭を刺し傷口に自分の尿を注いだと推察され40代弱者男性から仕方がないという無理筋結論に達しネット上では顰蹙を買うのだが同時期に服も靴もボロボロに破れて疲れ果てた病みかわ地雷メイク女子たちが素人では登頂困難と言われている険しい山岳の登頂に無装備で挑戦し地元の村人たちが必至に登山を止めたにもかかわらず彼女らはその山を登っていき行方くらまたことについては地元ラジオ局のごく短い報道を覗いてどこも報じなかったのは我が国報道機関に属する記者の怠慢という他ならないが同時に我が国が誇るぴえん文化希望ある未来象徴するものであった

2023-06-01

anond:20230601084507

しか与党に限んねえから

子育て支援なんて結局「持たざる者から持つ者への所得移転」に他ならないのに

表向き女子供に甘い顔さえすりゃ、野党やその支持者ですらバグって持ち上げちゃう

普段ギャアギャア言ってるあの「経済格差」とか、別にどうでもよかったんだろうか

くらましなんじゃねえかとすら思ってしま

2023-05-27

[]

おなかがめっちゃすいてきてガマンできなかったから今きのうかったキャベツの残り、トマト缶、鯖缶カレーレンチン

あ、カレーはいうけどライスはないよ

スーパーとかドラッグストアかいってちょっとでも割引のあったらたくさんかっちゃいそうだから

外出るにしてもおなかはふくらまときたい

2023-05-20

料理マンガ読みたい

料理バトルするやつじゃなくて、日常の中に料理があるような料理漫画を探してますレシピがわかって再現できると嬉しいです。

いいのがあったら教えてください。以下、好きな料理漫画です。

甘々と稲妻

新米姉妹の二人ご飯

ホクサイと飯さえあれば

姉のお腹をふくらませるのは僕

2023-04-23

anond:20230423090550

そこの矛盾が隠しようもなくなったから、フェミとかLGBTとか活動家路線に活路を見出すしかなくなったわけだな

あれも大概経済格差の目くらましって感じだけど

2023-04-03

MMT界隈の信者たち

自国通貨建ての国債であれば、いくら発行しても国家財政破綻しない(キリッ)」

「じゃあ、無限お金刷れるの?すげー!いますぐやろうぜ」

「これだからニワカは、すぐに極論に持って行こうとする。インフレしない範囲に決まってるだろ」

「じゃあいくらまでなら刷れるの?」

「そんなの専門家が今の状況を見ながら判断するんだよ、あったりまえだろ」

「で具体的にいくら?」

「だから状況を判断(ry

「じゃあ今の状況だったらいくらまでいいの?」

「それは政府官僚しか見れないデータを見ながら彼らが考えること」

「それって政府官僚に本当にできることなの?」

「それをするのが政府官僚仕事だろ!このボケ!これだから学の無い連中は」

2023-03-09

anond:20230309165426

ランチ1000円の寿司の方ががいいってのは増田判断だけど

1000円の寿司食うぐらいなら1000円ラーメン食うわってやつがいても別に普通のことで、価値観の差でしょ

人によっては同じ腹ふくらますのに1000円とかあほくさ、おからパンの耳食えばほぼ0円だろみたいなやつもいる

俺はラーメンなら900円まで、ランチ寿司食うなら2000円~ぐらいで贅沢しよって感覚だよ

おっPayPay払いならいくらまでなら許す?

相手理想のおっPayPayをしているものとする。

 

お触りは自由だが撮影頒布NG

anond:20230309101631

じゃあ真面目に教えて

社会通念上宿泊はいくらまでいいの?

誕生日会は?

2023-02-19

3dcgエロ

胸は静止画でみれば違和感ないレベルまでだいぶ近づいてきてる

ただ横になったとき重力流れるのとかはまだまだ

ただそれ以上に全然できてないのケツ!!!!!!!!

ケツと股間、ふとももの境目あたりが全然だめ!!!!!!

3dcgは胸ばっかりでケツ好きいねーんだろうなああああああ!!!!!!!!!!!!

ひょうたんみてえにふくらませるばっかりでやわらかさもふとももの境目も全然だめ!!!!!!!!!!!!!!!

ケツ好きもCGやれよ!!!!!!!!!!!!

2023-02-07

anond:20230207173009

債務者が支払う意思がなかったら取り立てるの無理やろ。

土地自動車とか所有してたら差し押さえされるけど、それ以上は無理。

勤め先がわかれば給料差し押さえできるけど、普通人間はそれされたら会社辞めて行方くらます。

どこに夜逃げたか調べてまた差し押さえとかする労力かけるかって話になる。

2023-01-24

ネタツイート供養

駄洒落

ボクサーを撲殺したのは僕さ

これから満で数つけるわ

ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ

nonsense駄洒落を送ってしまった。

防寒着を着た暴漢傍観する

新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼信管作動する。

文脈おかし

カフカには寡婦は過負荷

夭逝する妖精養成要請

ケニアに行ったら生贄や

コメントには心をコメントなあ

柑橘類香り歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。

補償するための保証書をもらう権利保障する。

信心深い新人神事心中する。

唐突すぎる心中

宍道湖神事を行う碇シンジを信じ込ませる。

いっきに広まった一向一揆は一向に収束を見せない

虫の居所が悪いのか無視されてしまった。

塗装を落とそうか。

授業中に弁当を食べて、食材贖罪を果たす。

加計孝太郎

加計孝太郎近畿財務局に賭け乞うたろw」

扇状地戦場で洗浄中の兵士扇情的な船上の軍歌を聞かせる。

観光客フイルムに感光させた写真刊行することが慣行になった。

サボってサボタージュ

カタルシスを語るシスター

八芳園発泡酒を飲んだ八方美人が発砲

公館の高官が交歓されつつ硬貨を交換し好感度あげる。

トロールトロを獲ろうとして徒労に終わった。

最恵国待遇の条件を再掲する。

アシカが好きな足利尊氏

景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)

アジアアジの味

夫を成敗するオットセイ

まらない妻の話

気の時計ホットケーキからほっとけー

ヒモになってしまったひもうせん

竹の丈は高ぇなー

伊豆椅子に居座るイラエル人

餅を用いて持ち上げる

ロストしたローストビーフ

サボテンの植え替えサボってんな

過度な稼働は可動範囲を狭める

お前がバテレンだってことはばれてんだよ。

ごめんなサインシータ

伯爵博士拍手拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人白紙にもどす。

クラーク博士と苦楽を共にする

エアポートエアコンエアガンエアロビ体操

わし座の絵が書いてあるタイルアルタイル

バチカンババア痴漢

聖光卒のSEIKO社員精巧時計製造成功する。

紅葉を見て高揚する

台東区帯刀し台頭する

執刀医の技術嫉妬

甲子園講師をする公私混同した孔子実力行使には格子窓も耐えられない。

キッコーマンの亀甲船が拮抗戦を繰り広げる。

死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」

神殿内部の新田心電図を取る武田信玄は死んでんのか?

夜祭で野菜を食べる。

信玄餅を食べながら震源特定するように進言する新元素発見した人。

蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ

五反田で地団駄を踏む

平気で兵役をし兵器を作らせる平家辟易してしまった

蝋梅の香り狼狽する

いびつ揖斐川の流れ

ようやく要約が終わった

海溝で邂逅

豪華な業

非公式に飛行甲板で非行を行う非行少年

甲板で甲板をかじる

甲板で乾パンをかじる

店頭で転倒

四季の変わり目には士気が上がるので指揮が必要

財産ぜんざいを買う

大枚をはたいてタイ米を買う

醤油をかけている人に話しかける人「それソースだよ」

醤油をかける人「えっっ?」

しかけた人「ソイソースw」

神田でした噛んだ

ハイソサエティ人間に敗訴した

品川千葉から見て中国シナ)側だ。

経験を積んだ者への敬虔眼差し

ダサい獺祭パッケージ

ゲットー写真をゲット

少食な小職

安価アンカー

さっそく拙速節足動物模型が仕上がってきた。

牛の胆嚢の味を堪能する

僥倖をあてにする強硬教皇のせいで恐慌が起きた。

あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。

キーンという高音の起因が掴めない。

構成の後の校正は公正に行わなければならない。

こんな誤謬は秒でわかるだろ

皇帝肯定する

壊疽した箇所が治るというのは絵空事

経口補酔液

痴的好奇心

Novemberノーメンバー)には部員がいなくなった。

セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ

軽微な警備

公爵講釈を垂れる

冬眠する島民

ベットは別途用意してください

大会に負けて倦怠期が訪れる

The deserted desert in desert desert.

人のいない砂漠で見捨てられたデザート

倒錯したので盗作してしまった

九尾のキュービズム

罹災者へのリサイタル

秋分のくらい醜聞を聞かせないでほしいな

カニカニバリズムは如何に

画家の画架

不納が富農になるのは不能

理工がRICOHに利口な履行

マネタリズムを真似たリズム

吐露するトロを獲るトロールトートロジー

I sensed tha it is in a sense sense.

私はそれをある面では扇子だと感じた。

鯖を食べている人と、それを見ている人の会話

鯖 ça va?

ça va 鯖

ça va

ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない

早漏で候

形状記憶合の価格を計上する

凪に難儀

名言を明言出来ず迷言になる

リネン理念

ロードライブ朗読ライブ

昔本に渡ってきた人「渡来は入海が無料!」

上流で上流階級蒸留

東上線に搭乗した東條が登場

刺客視覚死角に四角い資格自覚

高校を後攻で煌々と口腔で孝行

芳香へ咆哮し奉公の方向へ彷徨する。

蝉が転んでセミコロン

彰晃が商工の昇降機将校を焼香し小康状態

おさる情事

盛夏のせいか青果が採れない。

ケーキを食べるなんて景気がいいね

道徳をどう説く

司祭が仔細に県道検討

写真はフォトんど撮りません

ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」

華美な花瓶のカビに過敏に反応

老いるのを防ぐオイル

檻に入っておりいった話をする

夏のおサマー

夜は寝ナイト

渦中のカチューム

渦中のカチューシャ

リスボンでリスがborn

市長市庁舎から視聴

どうないはどないなってんねん

堂々とした道道北海道の道)

苫小牧でてんてこ舞い

市内を復旧しないと

新道神童振動

石狩の石を借りる

おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」

砂がどしゃーw

東上線に登場した東條が登場

コケットリーのあるコケ取り

飽きない商い

おなか吹田市

ヘルシンキで減る新規雇用

沖田総司が起きたら掃除

観劇で感激する

側転に挑戦し即、転倒

あたりめが美味いのはあたりめぇーだ

カルロスgone

別件を瞥見

凹地のお家

魚を初めてみた人「うぉー」

懊悩を抱えた人「Oh no..」

魚影を確認した船長「ぎょえ〜」

マイケルを蹴って注意されるマイケルケン

カラヤンの頭の空やーんw

ライカをやたら勧めてくるおじさん「ライカはきらいか?」

洒落臭い謝楽祭

公費コーヒー支出

豚をぶった仏陀

只見線をタダ見w

菊名でそんなこと聞くなよ

馬間田でママを見つけた子供ママだ!」

冬至湯治に行った当時を思い出す

五秒で死んで御廟に埋葬

がらんとした伽藍

有給を使いすぎて悠久の時が流れた

一年を逐一アピールする

長谷に想いを馳せる

Thinkerの真価

東海林の不祥事

the mine is mine

不具の河豚

プロ棋士プロキシ

キリングフィールドのきりん

異臭issue

暗記のanxious

半世紀にわたる半生での藩政を反省

つくえのなかのつくねつくね

清朝と慎重に貿易

タンチョウが単調増加

I screamed Ice cream

ショック死内親王w

カルカッタの石軽かった

陽気な楊貴妃妖気

彼は羊飼い執事かいw

天皇のこと知ってんのー

蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する

其方のソナタ

先王に洗脳される

永劫回帰英語回避

李鴻章交渉

粗大ゴミ醍醐味

防潮堤で膨張した傍聴人

砂漠で鯖食う鯖を裁く

あんな彼には、アンナカレーニナでも読ましとけ

筒に入った膵島

サイコロを使った心理テスト(psychological test)

ブルジョアが振るジョア

嚥下中の演歌歌手にエンカしてええんか?

カラシニコフが辛子個踏んだ

継嗣の形式を軽視する警視

皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂

にようかで酔うか?

うるさい人が売るサイ

無印商品の店を見つけた人「この店舗ノーマークだった..」

乳母が食べるUber eats

どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人

透徹した饕餮の眼球

どこから見ても百貫デブの人「客観デブ

石鹸世間を席巻

チャカで茶菓を破壊

多分風光明媚maybe)

slimyなすり身

ゆうほど広くない遊歩道

いにしえのイニシエーション

コーランをご高覧ください

ゲーム最下位から再開

UNIXが使える宦官(eunuchs)

盆に得るボンボニエール

K殻の傾角を測定する計画

協賛した共産党員に強酸をかける

負けたのは聖者の静寂のせいじゃ

裏地見るウラジミール

カミオカンデの上に紙置かんでw

大会がおわり倦怠感を感じる

椅子噛んでる人にイスカデル命中

クレパスクレパス落とす

夕暮れのユーグレナ

heおじいちゃんsheおばあちゃん

さくらんと聞いて錯乱

後宮の佳麗な高級カレー

臭いサイと腸臭い人が直裁的に話す

会社膾炙する

歯科医師会の歯科医師か司会か分からない鹿

ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm公務)」

ベビーシッター叱咤

エド・はるみの穢

祭壇を裁断

怪獣に懐柔策を提示

腐卵ダースの犬

独島独特のドクトリン

テスラは手すら認識できない

小作コサックダンス

刑事デカダンスな踊り

全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」

族→希ガス電子配置→酸化

四苦fuck

都バスが人を跳ね飛ばす

経帷子を着て強化扉に突撃

怒るカロテン「なにカロテンねん」

内地ナイチンゲール

嫌がる慰安婦「いやんっ」

かえるがえる帰る蛙

什器重機破壊

沈厳な青梗菜

トリコロールの虜

布陣を組む夫人

栗けっとばすクリケット🦗

婉容と遠洋漁業

アタナシウスキルヒャーとあたなう

アマルガムで余るガム

ハラスメントの疑いを晴らす

滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない

他意はないタイ人の鯛の態度

鯛が蛇足

有象無象意味を、象がいるかいないかだと思ってた人

ダジャレではない↑

割と面白い

ハラッパーの原っぱ

ハラッパーのラッパー

ウランを売らんウランバートルとバトル

紫に関して思案を巡らす

遺影イエーガーマイスター

市井の人意見を聞く姿勢

NATOの人に納豆食わせる

いすみ鉄道椅子見る

Hulu夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流

板橋で板バシバシ叩く

敬語が使えない東野圭吾

秘書の卑小な飛翔体

小動物衝動で焦と化した小豆島照度

姥捨山Uber eats

下調べのムニエル

からないので

淫乱大王、ハメハメハ大王

Evian海老が混入しているのを見つけた人「エビやん」

意味ない諱

よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」

どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」

タピオカが好きなジャン・コクトー黒糖ぢゃん」

計算ができない人

佐渡サドサド

着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」

駅にいる料理人調理するエキノコックス

初めてSMプレイを見た人「縄文式器みたいですね」

enough、enoughは工夫がenough

なんでもパアになるホテル「パアホテル

負け負け山(カチカチ山)

薬師丸せま子

エイリアンスペル間違えるとかありえんわ

細野奥道という名前なのに、俳句を全く詠めない人

ぶん、ぶん、ぶん、ムンジェイン (はちがとぶのリズムで)

トーマス・マンの書いたふるさとうさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」

モーラ網羅

イスラエルキブツ 損壊

その心は

イスラエル集落キブツというので、器物損壊とかけた

ビンテージの瓶提示

帽子御法度

双生児の豚のソーセージ

敬虔ネモ船長「海底万参る」

回折格子解説講師

妊婦ニンフ

焼結が猖獗を極める

これはstaleだから捨てるか

十階で十戒を十回、述懐

モンチッチ門地

衒学的な弦楽を減額

ウラジオストクで裏地をストック

完全な勧善懲悪

カッパドキア河童「ドキァ」

ホーキングの超法規的なホウキ放棄を蜂起

イボ人の疣痔

イブに慰撫

江戸知らんエドシーラ

べたべたなベタベタ

(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)

ダマスカスで騙すカス

盲いるのに飯いるの?

医師意思で石で縊死

アーヘンで阿片を吸った人「あー変」

毒吐く独白

明借りるアスカリ(車)

深見東州の深み踏襲

丁寧な砂浜「Could you九里浜」

ゴーンと奉公

その心は

ゴーンの出国の手助けをしたこと奉公とかけただけ。

サンクチュアリに山窟あり

熟れたウレタンは売れたんか?

清澄な声調を静聴し成長

プエルトリコで増える虜

仏典で人をぶってんのか

象さんを増産

ケイト・モス毛糸燃す

兄弟が今die

乱暴ランボー

卑劣漢がヒレつかんだ

カレー(Fr)の彼のカレイカレーは辛え

弘法と公房が工房で攻防し興亡

Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす

レイブンクローの例文苦労

galleristのギャラリスト給与リスト

ソフィカルのソロカル

麻雀をやり過ぎた人「リーチ飜で理一E判」

美人局に筒持たせる

十把一絡あげ

monotonousな物と成す

京都弁を話すビルゲイツ MSどす

篤信な特進が涜神を得心

これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。

クートゥを食うとぅいいよ

楊貴妃渓谷で警告

マイソールで昧爽に埋葬

ドクサは毒さ

暗殺で朝死んだ

クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」

凛々しいリリシズム

衛生的な俳人

東州が東周踏襲

シンシナティ真摯紅茶

御髪も亂とはオクシモロンだ

コロナ後の世界分析する学問→postcoronialism

和尚王将に鞅掌し往生

影響が色濃いイロコイ諸族

あてのあてないアテナイ

ウイグル人野原しんのすけクレヨン Permalink | 記事への反応(0) | 22:23

2023-01-12

複数パターンの用意は決められない弱さ

そう呟いた後、先輩デザイナーは姿をくらました。

大衆が 注目すれば それ以外 何も見えなく なってるんだよ

くらまコンテンツには目もくれず

余計なことを考えず

資格を取りたいんだろう?勉強

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2023-01-05

産婦人科とベネッ○セに金を配るのが少子化対策なの?

妊婦を通して、

産科教育産業に金を渡して、

本当に少子化対策になると思ってるの?

はてサも、

妊婦を目くらましに使われると、

簡単資本主義にひれ伏すよね。

2023-01-04

小池百合子コラボ問題言及しないためにチルドレンファーストをだした

1月4日記者会見ではなにかネタがなければコラボ言及しないといけない。

東京都小池知事 チルドレンファースト社会のため 子供に月5千円給付明らかに

https://news.yahoo.co.jp/articles/2fd3bbac0715f51fe3085f977b014a9b87ce8127

それでコラボ、ぱっぷす、若草プロジェクト、BONDプロジェクト税金横流ししている東京都は焦った。

東京都小池知事少子化問題への取り組みとして、0歳から18歳の子どもに月5000円程度の給付を行うことを明らかにしました。

東京都小池知事 チルドレンファースト社会のため 子供に月5千円給付明らかに

TBS NEWS DIG Powered by JNN

小池百合子知事

「チルドレンファースト社会の実現に向けてさらなる取り組みを進めています

「現状はもはや一刻の猶予も許されない。だからこそ都が先駆けて具体的な対策を充実させていかなければなりません」

東京都小池知事職員への新年の挨拶の中で、「望む人誰もが子どもを産み育てることができる」社会を目指すとして、都内の0歳から18歳の子どもに月5000円程度の給付をする考えを示しました

正直言って5000円程度はほぼ意味がない。しか給付をする「考え」であって具体性はない。

これは本来マスコミ記者ならこういうんですよ。「これってコラボ言及しないための目くらましですよね」

それができないんだからマスコミ記者意味がない。そして男女同数とかやっているからこうなった以上、それは間違っている。

したがってメディア女性はいらないし、知事男性の方がいい。

暇空は言わないけど、小池百合子とは日本財団と当然ズブズブ。

ほんらいはこの女は責任は丸投げ成果だけ横取りするという女性政治家というくだらない女がよくやる典型的無能政治家しかない。

だが、今回の場合コラボ日本財団がらみなので、簡単責任を投げられない。

苦肉の策がこのバカげた意味のない発表ということ。

少子化対策ならまずこの税金チューチュースキームに携わった人間を一人残らず刑事告発するのが筋。そして1円残らず回収する。

この女のファーストはしょせん自分しかない。子供も産まない。育てたこともない癖になにが少子化対策なんだ。事情はあるかもしれないが、少なくとも今までそんなこと言っていなかった。太陽光パネルをつけろとかそういう家が作りづらくなるようなことしか言っていない。それでどの口で少子化対策といっているのだろうか。

ヤフコメでも効果が薄いといわれているようだ。

いくら税金チューチュースキームでおいしい思いをしている東京都福祉関係職員もさすがにこんなバカ政策は思いつかないだろう。

なお、厚生労働省有識者会議かに行っているということは、福祉と何の関係もないことをやって給料がもらえるのだからおいしい思い以外の何物でもないでしょう。職員反省しろ

なので小池百合子が適当に言っているだけということになる。保身だけで地位と金だけはほしい。都民がどうなってもいい。自分けがファースト。本当にどこまで性根が腐りきっているのだろう。

しかもこんなバカたことを言う理由コラボを言いたくなかったから。下手に丸投げしたら首が飛ぶから。それだけ。

サンスポは暇空に取材もせず書いて間違っているし、東京新聞はあからさまに嘘っぽいし。

当然マスコミも乗っている。本当に腐りきっている。

東京都記者クラブは解体したほうがいいだろう。なんら意味がない。取材しない連中に税金を使うのは無駄あんな腐った連中に場所を貸すな。

村上春樹ヒロイン登場人物たちのつながり

「鼠」は「風の歌を聴け」に始まる「鼠四部作」に登場する。主人公の友人であるが、ある日突然行方くらまし、「羊をめぐる冒険」では自ら死を選ぶ。語り手と主人公の仲は深く、あたかも語り手の半身のようである。己の半身が半ば死の世界にいるというモチーフはこの後に何度も繰り返される。

この半身のように親しい友人は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のなかでは幻想パートの「影」に姿を変える。彼は語り手の半身であり、語り手の記憶を保持している。壁の中に閉じ込められた世界脱出するためには二人がそろっていなければならないが、土壇場で語り手は壁の内側にとどまることを選び、影は死ぬことになる。

ノルウェイの森」では彼は「キズキ」になる。物語の序盤で排気ガスによる死を選んだことが語られ、交際相手であった直子の死の遠因となる。

また、直接の半身ではないにせよ親しい友人で自ら死を選ぶ点で共通しているのは、「ダンス・ダンス・ダンス」の「五反田君」だ。彼は連続殺人犯であったことを明かして死ぬ。このあたりのくだりは恐らくチャンドラーの影響が深い。

このように、半身はしばらくのあいだ無力な存在だったが、「海辺のカフカ」以降では様子が変わる。「カラスと呼ばれる少年」は、「カフカ少年」のもう一つの人格のように見えるが、彼は「カフカ少年」を客観視し、適切なアドバイスを与える。一貫してサポートしてくれる存在だ。半身が異界の住人であるというモチーフであり、「鼠」の系譜に属しているが、そこに自ら死を選ぶような面は見られない。「海辺のカフカ」は主人公がとても若い点でも特異だ。

ただし、佐伯さんが現実感を失った生活をするきっかけとなった、東京大学紛争で殺された友人は、佐伯さんがノルウェイの森の「直子」の系譜に属するとすれば、「キズキ」のもう一人の子孫だ。

キズキと直子が、そして佐伯さんとその恋人は幼い頃から自然性交をしていたが、まるで思春期完璧さを求める性向現実によって打ち砕かれるかのように、その関係が死によって断たれる点でも、この二つのカップル類似している。

直子

村上春樹小説には一貫して何らかの精神疾患を患った、少なくとも感情的不安的な女性が出てくる。

デビュー作の「風の歌を聴け」の時点から、「小指のない女の子」として出てくる。彼女は話している途中に突然泣き出してしまう。また、周囲の人々がひどいことを言うとも語るが、これが事実なのか、精神疾患ゆえの妄想なのかどうかは判然としない。

この系譜が「1973年のピンボール」の中ですでに亡くなっているかつての恋人「直子」につながり、さらに「羊をめぐる冒険」の「誰とでも寝る女の子」につながっているかどうかはわからない。ただ、「ノルウェイの森」の「直子」には直接つながっているだろう。語り手の過ちによって感情を失った「国境の南、太陽の西」の「大原イズミ」も、彼女の裏面だ。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の「白根柚木」もその子孫だ。

また、恋人または妻の一つのアーキタイプとして、「ねじまき鳥クロニクル」の「クミコ」「加納クレタ」や「スプートニクの恋人」の「にんじん」の母にも発展しているようにも思える。

より明確な形としては、「海辺のカフカ」の「佐伯さん」が子孫のようだ。前述のように恋人の死をきっかけに精神を病む、少なくともある種の現実感を失ってしまう点が共通している。ただし、佐伯さんは後述の老女の系譜もつながっている。ピアノができたことを考えると、「スプートニクの恋人」の「ミュウ」も「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の「白根柚木」も同じカテゴリに入れていい。

そもそもこのキャラクターの流れについての記述は、誰が後の作品の誰に直接発展したかを明確に追うことではない。おそらくはいくつも混ざり合っている。むしろ、これは村上春樹作品解釈するための補助線として見るのが適切だろう。

彼女がやたらとタフになったのが「1Q84」の「青豆」かもしれない。あるいは、生命力にあふれている点では後述の「ミドリ」だろうか。

ミドリ

直子とは対照的な心身が比較健康タイプ女性系譜もある。

性に対する好奇心の強い「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の「太った娘」もそうだが、彼女は後述する「少女」の系譜につながる面もある。

同じく制に対して罪悪感を持たない「ノルウェイの森」の「ミドリ」、「国境の南、太陽の西」の「島本さん」、「スプートニクの恋人」の「すみれ」、「海辺のカフカ」の「さくら」(どうでもいいがこのキャラのせいでおねショタに目覚めた)、「1Q84」の安田恭子へとつながっている。

少女たち

村上春樹作品時系列順に読み返すと、ある時点で突然新しい属性を持ったキャラクター群が登場する。それは、どことな巫女的な力を持った若い女性である

前兆としてあらわれるのが、「羊をめぐる冒険」では耳専門のモデルをしている21歳の女性だ。彼女不思議な力で主人公を羊へと導くが、物語の終盤を前に姿を消してしまうので、いくばくか影が薄い。しかし、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる肥満17歳女の子は語り手を「やみくろ」の支配する東京の地下世界にいざなう

より少女性が強まるというか、単純に年齢が幼くなるのが「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する13歳のユキで、彼女五反田君の殺人痕跡巫女のように感じ取ることができた。

ねじまき鳥クロニクル」での「笠原メイ」は、映画ロリータ」を思わせる登場の仕方をするし、終盤では主人公を救う力の源であるかのように描写されている。月光の下で裸身をさらす姿は、今までの村上春樹にはなかった描写である。確かにノルウェイの森」で「直子」がそうするシーンはあるが、彼女は成人した女性だ。

海辺のカフカ」では夢の中に現れる十五歳の佐伯さんの姿を取る、ここでは少女との性交が初めて描かれる。

巫女的な少女系譜がより明確になるのが「1Q84」に出てくる17歳カルト教団育ちである「ふかえり」だ。彼女は何らかの学習障害を患っていて独特の話し方をするが、彼女との性交異世界との経路となる。

村上春樹が歳を重ねて少女との性交を書くのをためらわなくなっていったのは面白い(【追記】「ふかえり」にいたっては巨乳文学少女という属性!)。というのも、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では肥満女の子から私と寝ないかと誘われて断っているからだ。

老人

大学の先輩がこう述べていた。ある種の作家自分が生まれる十年ほど前の出来事テーマにすることがある。なぜなら、自分が参加できなかった「祭り」だからだ。これが事実かどうかはわからないが、村上春樹は古くから第二次世界大戦中国テーマに含まれている。「鼠」の父親戦争とその後の混乱で金持ちになった人間だ。興味深いことに村上春樹の父は中国従軍している。

(余談だけれどもこの先輩は村上春樹作品にしばしば出てくる井戸「イド」まり無意識示唆しているのではないかと言っていた)

さて、老人がキャラクターとして物語信仰に深くかかわるようになったのは、「羊をめぐる冒険」の「羊博士からだろう。彼はいるかホテルにこもったきりで、外に出ようとしない。しかし、探し求めている羊がどこにいるかという重大な情報を指し示す。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でも、現実パートには「老博士」が出てくるし、幻想パートには退役した「大佐」がいる。

軍人という属性が前面に出てくるのが「ねじまき鳥クロニクル」の間宮老人だ。彼はノモンハンにて過酷体験をするし、そこである種の悪しき力に取りつかれる。

海辺のカフカ」には「中田老人」が出てくる。彼もまたある種の不可解な力(後述の闇の力?)の犠牲になり、記憶や知性の多くを奪われてしまう。一方で、彼は「カフカ少年」に代わって父殺しを遂行する半身でもある。

1Q84」では少し特殊で、これは近過去SFであり、戦争経験者やその前後に生まれた人々が相対的若い。それゆえ今までのパターンを単純に当てはめるのが適切かはわからない。

天吾の父がこの系譜に属するだろうか。「1Q84」では善悪が入れ替わることが多い。幼い天吾を無理やりNHKの集金に連れまわす点でネガティブに描かれていたにもかかわらず(村上春樹はこうした巨大組織一般に「システム」と呼んであまり肯定的に扱わない)、後半では声だけの存在になった彼が助けに来るのだ。

なお、戦場に行っていたという点を考慮すると、これらの老人たちは村上春樹父親世代に当たるだろう。

米軍基地にいたという点でジェイもここに属しているかもしれない。

老女とその息子

一世代上の女性が出てきたのは「ノルウェイの森」の「レイコさん」だ。彼女は心を病んではいものの、主人公たちを導いてくれる。「直子」のルームメイトとして、彼女の心身の安定に寄与している。

それがおそらく「ねじまき鳥クロニクル」の「赤坂ナツメグ」になるし、「海辺のカフカ」の「佐伯さん」を経て「1Q84」の「緒方静恵」になる。

彼女たちの多くは戦争をはじめとした暴力の中で深く傷つき、その中でもある種のコミュニティ安全地帯運営し続けている。「レイコさん」は精神病院の患者たちのまとめ役だし、「赤坂ナツメグ」は女性向け風俗(?)で女性性的空想現実にし、「佐伯さん」は図書館という静謐環境守護し、「緒形静恵」は性暴力を受けた女性避難所運営して、しばしば法を破ってでも報復を行う。年齢的にはかけ離れるが、「スプートニクの恋人」の「ミュウ」もこの老女の系譜に属するか。

彼女の息子たち(血縁があるかどうかはともかく)の系譜は、「赤坂ナツメグ」の息子「シナモン」、「佐伯さん」の図書館司書を務める「大島さん」、それから緒方静恵」の柳屋敷セキュリティ担当するタマルだ。セクマイであることが多い。

対となる存在

1973年のピンボール」の双子女の子を除いて、概して二人組の登場人物は不吉な前兆だ。体格は対照的なことが多い。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では「大男」・「ちび」の二人組が語り手に刺客差し向け、第三勢力になって儲けようとだましに来る。「ダンス・ダンス・ダンス」ではまるで「長いお別れ」みたいな嫌がらせをしてくる「文学」「漁師」と語り手があだ名をつけた警官が出てくる。「海辺のカフカ」に出てくる二人組は、軽率発言から大島さん」を傷つけてしま自称フェミニスト二人組だ。「1Q84」には「さきがけ」のリーダーの警備をする坊主頭ポニーテールの二人組がいる。

ただし、何度か繰り返すが善悪シンボル意図的に逆転させることが多いのが村上春樹作品で、おなじ「海辺のカフカ」でも「カフカ少年」を森の奥に導くのは同じように体格が対照的な二人組の日本兵だ。

また、よくよく考えてみれば、「風の歌を聴け」の時点でも、「小指のない女の子」には双子の妹がいたのである。直接姿を見せず言及されるだけだが、このモチーフの萌芽とみていいだろう。

村上春樹はある時点で純粋な悪の起源はなんであるかについて語ろうとしている。

それは悪しき登場人物の姿だけでなく、クトゥルフ神話的な怪物としても姿を見せる。

現に「風の歌を聴け」に出てくるデレク・ハートフィールドの伝記は、ラブクラフトバロウズをはじめとしたパルプフィクション作家たちを混ぜ合わせたものだ。

「鼠四部作」のなかでは「羊」がそれに該当する。不可解な暴力権力の中心に存在し、人間に憑りつくことで現実的な力をふるう。あるいは、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の現実パートの「やみくろ」たち、幻想パートの「門番」。「ねじまき鳥クロニクル」の「ねじまき鳥」や、綿谷昇の属する政治世界。そして「海辺のカフカ」に登場する「ジョニー・ウォーカー」や、「中田老人」の口の中から出てくる不可解な物体

非人間的な力ではないが、「ノルウェイの森」の「レイコさん」の精神悪化させる原因となった少女も、この系譜に属していると見なしていいかもしれない。

だが、「1Q84」のリトルピープルの存在解釈が難しい。今までとは異なり、単純な悪ではないようだ。初読時には「これは人が複雑な現実物語化する能力の具現化で、善にも悪にもなりうる、ある種の単純化する力ではないか」と思ったが、再読したら違う印象を受けるやも知れない。また、「牛河」も悪しき力の手先のように見えるが、離婚した妻子がおり、生きた人間であって化け物ではない。

善悪曖昧と言えば、「海辺のカフカ」では「圧倒的な偏見でもって強固に抹殺するんだ」が主人公サイドと敵役サイドのいずれでも使われる。

こんな風に、村上春樹はある時期から善悪意図的にぼかし、単純化を避けるようになった。

追記アフターダーク暴力を振るった深夜残業してたサラリーマンもここにいれていいかも。

そのほか

村上春樹後半期のテーマの一つをまとめるとしたら「どれほど不適切な養育環境で育ったとしても、その現実を受け入れてスタートするしかないし、ときとしてそこで学んだことに結果的に心が支えられてしまうケースがある」だろう。言い換えると「歴史過去を消し去ることはできない」だ。

あと、「国境の南、太陽の西」の「にんじん」はうまくしゃべれないけど、「海辺のカフカ」の「カフカ少年」の造形に影響を与えたかもしれない。

別に結論はない。ただ、こういう順で発展していったのだなと考えながら読むと楽しいだけである

もう一つ興味深いのは、親が亡くなるかそれくらいの年齢に近づくと、ちゃんと親と向き合ったような小説を、みんな書き始めることだなあ。

こっそり追記。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のロックを流して走るタクシー運転手星野青年っぽいな。

更に追記。不吉な二人組といえば、「ノルウェイの森」で日の丸を掲げる寮長と付き添いの右翼学生を思い出した。

2023-01-01

anond:20230101004253

発端は女性同士の性差別に関するレスバで負けそうになった側が目くらましに地域興しキャラに火を付けただけで、元から真剣キモオタ絵を批判する意思さえなかったんだな。

年金改革支持率落ちたのでクリミア併合して成功体験積んで調子に乗ってキーウまで侵攻したら手痛い反撃喰らってるプーチンみたいな状況。

2022-12-28

毒姉と弟と毒親の話

物心ついた頃から、弟に勉強を教えていた。

小学校の頃、弟の宿題を見てあげた。夏休みの宿題が終わらなくて、親に言われるまま代わりにやった。

私が書いた読書感想文は弟の名前で賞をとった。

中学校でも教え続けた。

内申点を上げるために先生の覚えを良くするコツも教えた。

私は推薦入試進学校へ入った。

弟も別の進学校合格させた。

高校は別だったが、やはり勉強を教えた。

弟が受ける大学や通う塾も選んだ。

本人に選ばせようとしたが、親は私に決めさせたがった。

弟は地元国立大合格した。

弟の高校合格実績の中で一番いい大学だった。

私は旧帝大に独力で合格して、一人暮らしをしていた。

中卒や小卒もいるような親族の中で初めての大学進学だったが、私の受験には誰も興味がなかった。

公立に受からなければすぐに嫁に出すと脅されながらの受験だった。

大学授業料は全額免除だった。

実家は貧しかった。

生活費奨学金塾講師バイトで賄っていた。

実家から解放されて、楽しい大学生活を送り、就活スムーズに終わり、大企業総合職になった。

実家から連絡が来た。

長男就職先が決まらない。お前がESを書け。絶対に受かる面接法を教え込め」

本人に考えさせろと言ったが、当の本人にやる気がなかった。

ESを代筆した。webテストも代わりに受けた。面接練習もした。

弟は留年した。

翌年、父がどこかからツテを見つけて弟を就職させた。

からブラックだ。つらい。辞めたい」と連絡が来た。

また実家から連絡が来た。

長男の嫁が見つからない。お前の女友達から見繕ってよこせ。見合いさせる」

友達差し出せないので、みんな結婚してしま独身は居ないと言った。

私は会社の同僚と結婚した。

親に結婚したことを伝えると、連絡がパタリと途絶えた。

弟のことは大好きだった。

勉強以外もたくさんの時間を過ごした。

一緒に夜更かししてゲームをした。

親に内緒で、商店までアイスを買いにいった。

サワガニやザリガニを捕まえて飼った。

大好きだった。ずっと2人で田舎から逃げたかった。

久々に実家から連絡が来た。

弟がいなくなったらしい。

でも、私はもう他人なので何も求められなかった。

親は、「結婚した女はよその家人間だ」という考えの人たちだった。

親は毒親だった。

そして、私もたぶん毒姉だった。


今はただ、行方くらました弟が、どこかで幸せになっていることを祈ってる。

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