はてなキーワード: ジェイとは
元々男性の暴力性を持ってる上に、社会規範を敵視して相手をナチス呼ばわりしてるから、衝動の抑制が効かないんだね
トランス過激派の事件は、特に米国で大きな注目を集め、暴力の可能性について懸念を抱かせている。
特に憂慮すべき事件のひとつは、ナッシュビルのキリスト教系小学校で銃乱射事件を起こしたトランスの射手、オードリー・ヘイルに関するものだ。ヘイルは最近、彼/彼の代名詞とエイデンという名前を採用し、コヴェナント・スクールで3人の子供と3人の大人の命を奪った。
別の事件では、元NCAA水泳選手のライリー・ゲインズが、サンフランシスコ州立大学で、女子スポーツに女性選手を入れることに反対を表明した後、トランス活動家から暴行を受けた。この身体的暴行事件は、このテーマについて反対意見を表明する個人が直面する敵意の高まりを浮き彫りにしている。
彼らは、特定のジェンダーに関連する慣習を禁止する法律は「トランスジェノサイド」に相当すると主張し、過激な思想の推進を煽っている。
さらに、サイクリストのハンナ・アーレンスマンは、生物学的男性との競技に反対したことで直面したハラスメントにより、スポーツを辞めるという苦渋の決断を下した。ハラスメントに関与した人々の中には、プロトランス団体であるジョン・ブラウン・ガン・クラブのメンバーも含まれていた。
トランスの人々が投稿する、武装自衛を擁護するビデオの増加も気になる傾向だ。現在は削除されたTiktokの投稿で、2400人のフォロワーを持つタラ・ジェイは、女性用トイレの使用を妨げようとする人に対して銃を使うことを警告している。
このような事件は、『トランスの権利.さもなくば......』というスローガンを銃の画像とともに表示したシャツの販売とともに、トランスジェンダーのイデオロギーを取り巻く過激主義と脅迫の風潮を助長している。
実はかなり安定している事を知ってほしい
選択肢の一つにいれてみてくださいな。
「テロリスト」山上徹也の思い通りに動いている日本政治、戦後最も成功した思想犯になった状況をどう考えるべきか? 【山本一郎と考える】山上徹也がが撃ち抜き、安倍晋三の命で償わなければならなかった戦後政治の宿痾(1/4) | JBpress (ジェイビープレス)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/79708
「安倍晋三」というイコンを打ち砕いたから「その背景」をみんな畏怖しているのであって、実際のところ「逆恨み」以上のことはない。
もちろん教団に対しては完全な「テロ行為」な。
だってこれは教団に対して「暴力をもって教団の活動を抑止させる」行動だもの。
自分の母親をぶっ殺した方が良かったのに、やりたいのは「母親を教団から引き離したい」「教団の母親への影響力を削ぎたい」だったわけで。
オマエの家族を崩壊させたのは教団じゃなくて、母親だし、母親に依存していたオマエラ家族の問題だろう。
成人への洗脳云々は裁判でもかなり高度な判断を必要としているぞ。そこに至る前に、オマエの腹落ちのためだけに、一足飛びの明後日方向で安倍晋三を暗殺しただけなんだから。
俺は、ネットリベサヨみたいに「自助すんな!」みたいなことは言わないし、理でバトルまで持っていけない相手なら構わないと思うが、ちゃんと「逆恨み」「俺が正義だ」って理解と開き直りでやって欲しい。
切隊の内容は、彼のお付き合いあるステークホルダーさん共の「お困りごと」に屁理屈軟膏の効果を上げるための商売なので、こんなもの取り上げる方がおかしい、と付け加える。
例えば麻生
日本政府は日露戦争で戦費を海外から借金したが英米銀行団、ジェイコブへの完済は1986年。
大戦を経て80年、どれだけ時間がかかっても返した、これが信用だ、日本凄い
こーゆー談話や言説はよく見る
日本人は愚直で誠実で勤勉で真面目だと
うん、ウソです
そりゃ払うわ
一つは軍票
日本は戦前戦中に正貨流出を抑制するため莫大な軍票を発行し外地における支払いに充てた。
記録に残るものだけでざっくりと国家予算25年分も乱発したわけだが、これ一円も償還してません。
日本政府の建前としては、戦後賠償でまとめて払う、払った、なんだが。
当時の国家予算が1兆円でもっとも額の大きいフィリピンに対して1900億円
ちなみに、日清戦争では日本は1万人の戦死者を出して、その賠償請求として中国(清)から国家予算4.5年分の賠償をもぎ取った
搾取してボロ儲け。
ところが日本以外の先進国では第一次世界大戦以降に雲行きが変わった。
有色人種は犬猫と同じ、動物に人権を付与する必要はない、という旧来のロジックはもはや維持不可能だった。混血児もガンガン産まれてるし。
植民地の住民にも人権を付与しなければならない、社会インフラを整備し教育を施し。
イギリスは20世紀初頭から植民地を切り始めた、勝手に独立せぇ、連邦に残りたけりゃ残してやるが国家運営は自分たちで好きにしろ。中東は続々離脱
アメリカも同じ、フィリピンから大量の人や廉価な農作物がアメリカ本土を侵食し始めた。
同じ国内という建前だから関税やら人の移動への制限はかけられない。
たまらん、つーことで、1934年にフィリピンを切ることにした、アメリカ議会でフィリピン独立法成立、大統領署名。
フィリピン(独立)政府がフィリピン憲法発行したらその10年後に国家独立、延長は無し、というもの。
翌年1935年にフィリピン準備政府はフィリピンコモンウェルス(憲法)発行、州政府発足、10年後に国家独立確定。
この州政府の独立性はアメリカ合衆国の「州」よりも高い自治権が設定されている。
争いが嫌いなフィリピン人、フィリピン政府は国防の方針を中立化と定めた。
軍事力に国家リソースを割く余裕が無い後発国はこの選択しか無い。
現在も英連邦に所属するカナダのカナダ軍の統帥権(カナダ軍最高司令官)はイギリス国王なんだが、
当時のフィリピンの国際収支を見てもアメリカの傀儡、搾取の痕跡はゼロです。
ってところに1941年、皇軍は「可愛そうなフィリピンを救ってあげる、大東亜」で軍事侵攻
抵抗する軍事力が無いフィリピン政府は秒で「Open City」(非武装都市宣言)の無条件白旗。
当時フィリピンの人口は3000万人、殺しに殺して111万人を殺し
(米軍の砲撃によるものだと言うアホがいるが、日本が軍事侵攻しなけりゃ米軍はフィリピンを砲撃しねぇわバカと先に答えておく)
日本は二年間フィリピンを傀儡したが、フィリピンの人口統計はこの二年間だけ見事に欠落している、資料が残ってない、誰が燃やしちゃったんだろね。
日清戦争は1万人で4.5年分
日清戦争の戦後賠償では、中国の「払えない、待ってくれと、勘弁して」の訴えに軍艦を横付けして脅した
日本の学校ではイギリスが中国人をアヘン漬けにして滅亡させた、とミスリードを誘う教育をしている。
第二次世界大戦の賠償交渉で日本は「わいら焼け野原、みてこれ、空爆されてなにも残ってない」
当時は衛星写真など無い、地上からの撮影、空撮しかなく選別切り取りが容易。
うん、ウソ
米軍はすでに制空権取ってるから低高度からの精密爆撃ができた。
釜石の高炉は古いものだけ破壊され最新の高炉は戦後すぐに復旧している。
これは経済、工業統計でも明らかで日本の工業力は戦争で3-4割しか毀損していない。
ちなみに日本が戦後に工業統計や戦時被害を公式に集計し発表したのは賠償の7割を占めるフィリピンとの講和条約締結後の昭和31年から。
アメリカ政府の意図は早期に復興させてうまい汁を吸う気だったからね、案の定
アメリカは戦後利権を独り占めするために焼け野原の写真を世界にばらまいた。
日本は四季があって水道水が飲めて天皇が統治して国民は清廉潔白高潔
うん、ウソです
二季しかなく、水道水は放射能とPFASで汚染され天皇は戦争責任を負わずに居座り国民は居直り
なんか反論ある?w
( ^ω^ )
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%A5%B3
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%B8%B9%E5%8D%81%E4%B8%89
「突然の死
1997年12月20日、伊丹プロダクションのある東京都港区麻布台3丁目のマンション南側下の駐車場で、飛び降りたとみられる遺体となって発見された。葬儀は故人の遺志により執り行われなかった。当初からその経緯について様々な説が飛び交った。
かつて『ミンボーの女』公開後に襲撃事件があったことから、当初から暴力団の関与を疑う声はあった。ただ、事務所にワープロ印字の遺書らしきものが残されていて、そこに「身をもって潔白を証明します。なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです。」との文言があったことから、写真週刊誌『フラッシュ』によりSMクラブ通いや不倫疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の投身自殺か、とも推測されるようになった[19]。だが、伊丹はレタリングデザイナーとして日本有数と自負する存在であり、書き文字には人一倍の愛着とこだわりを持っていたことから、遺書が手書きでなくワープロで打たれていた点が不自然とされた。また死の直前に『FLASH』の記者から不倫疑惑について問われた際、伊丹は笑いながら「妻に聞いてみればいいよ」「(不倫疑惑は)いつものことだから」と軽口で答え、その様子が『FLASH』誌面に掲載されている。また死の5日前まで医療廃棄物問題の取材も続けていた[20]。「飛び降り自殺」はまさにその直後のことであり(インタビュー、『FLASH』発売直後)、自殺直前の様子との不自然さから、その「自殺」には強い疑惑が持たれ続けている。
ジェイク・エーデルスタインの著書によれば、伊丹は当時後藤組と創価学会の関係を題材にした映画の企画を進めており、後藤組組長の後藤忠政がそれを快く思わず、後藤配下の5人が伊丹の体をつかんで銃を突きつけ屋上から飛び降りさせたと、自身が取材した人物が語ったという[21][22]。また大島渚や立川談志など古くから伊丹十三を知る人物も、警察が死因を「自殺」と断定した後も「不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない」「飛び降り自殺は絶対に選ばない」と話し自殺を否定した[23]。
伊丹映画に出演経験のある伊集院光は、1997年9月22日に行われた伊丹監督作品10作品目「マルタイの女」記者発表兼記念パーティーの席上で「OLがたくさん出るような映画を撮りたいから、また出てくれる?」と言われたという。 俳優・中尾彬はキャリアウーマン物「キャリアの女」の企画を聞いていた[24]。また「すでに5~6本の新作の台本が出来上がっていた」とも言われている。
最後のバラエティー番組出演は、1997年9月29日放送の『SMAP×SMAP』での妻の宮本信子との共演となった。
宮本信子は、2002年12月20日の「感謝の会」における挨拶で「本人が決めたことですから仕方がないですけれども」[25]と語っており、伊丹の死後、プロデューサーの玉置泰に伊丹の遺書が渡されている[26]。
2005年1月、インターネットの掲示板上で、伊丹の死が創価学会によるものという風評が掲載された。創価学会は事実無根として掲示板の管理者に対し訴訟を起こす。2009年2月、東京地裁は原告創価学会の主張を認め、被告に80万円の損害賠償を命じた[27]。」
https://anond.hatelabo.jp/20240103184616
ジャッジャッ啼き喚きの結果たるロンクハラライス嫌うなどもあまりにもマラサイ
この世の全てがそれより遥かにマシのゴウランガなヨロシサンですわ
とは過言だったか…それより下回ることは無いとさせていただく
https://youtu.be/XkcX0d6cPOE?si=9-utUtpjh64Az9Wp
元のYoutube
https://youtubetranscript.com/?v=XkcX0d6cPOE
https://www.tiktok.com/discover/nadine-ashtyn-eskridge
彼女の主張には色々同意できない部分もあるのですが、翻訳をそのままはります。
よかったら読んでみてください。
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こんにちは、皆さん。私の名前はアッシュです。私のことをTikTokでAshton Eskridgeとして知っている方もいるかもしれませんし、YouTubeで初めて私を見つけた方もいるかもしれません。これは私の初めてのYouTube動画です。知らない方のために説明しますと、私はディトランジショナーです。以前、TikTokで私のトランジションの話とその後の変化についての動画を投稿し、それが大変な反響を呼びました。多くのニュース会社や、インターネット上の素晴らしい人々、例えばブレア・ホワイト、オウンズ・メン、クロエ・カルなどから注目を集めました。それは本当に驚くべきことでした。そこで、私は主なプラットフォームをTikTokからYouTubeに移すことにしました。なぜなら、TikTokでは皆が非常に憎しみに満ちており、そこでコンテンツを作り続けることは私にとって非常に消耗するものでした。だから、ここで試してみることにしました。もっと良い結果が出るかもしれませんし、私はコンテンツ作りを続け、私の物語を使って人々を助けたいと思っています。
子供の頃から、私はいつも非常に女性的でした。女の子であることが大好きで、そのすべてが好きでした。きれいな服、きれいなメイクが大好きで、いつもメイクを試していました。そして、きれいで美しいと見られることが大好きでした。たくさんの女友達がいて、女の子らしい趣味を楽しんでいました。成長するにつれて、女の子であることに全く問題はありませんでした。思春期を迎えても、それは私にとって問題ではありませんでした。もちろん、身体的には不快ではありましたが、間違った思春期を迎えているようには感じませんでした。自分の体が変化すること、生理が来ることは自然なことと感じていました。
13歳の時、精神的な健康に問題を抱え始めました。非常に鬱状態になりました。そして、本当に本当に多くの苦悩を抱えていました。それはちょうどCOVID-19が流行し、すべてがロックダウンされた時期でした。皆が家に閉じ込められ、私は持っていた友人たちや外の世界から完全に孤立しました。家を出ることはほとんどなく、TikTokやDiscordでの時間を過ごし、アニメを見ることが多かったです。なぜなら、当時の私はちょっと変わった13歳だったからです。
TikTok上の人々がトランジションについてのコンテンツを投稿しており、それが彼らにどれだけの幸福をもたらしているか、医療的なトランジションの全てについてのことなど、私のフィードにはそうした動画が溢れていました。それらはまるで押し付けられるように表示されていました。
私はそうした動画を見て、自分がノンバイナリーだと決め、アシュトンからグレイに名前を変え、they/themの代名詞を使い始め、髪を全て剃り落としてクリーンなバズカットにしました。それはとても大変でした。私は多くのトランスのYouTuberを見ていました。ジェイミー・レインズやサム・コリンズなどです。彼らからトランスに関する情報を得て、そのチャンネルの動画をほぼすべて見てしまうほどの深い穴にハマりました。そして、ノンバイナリーではなく、完全にトランス男性になりたいと決めました。私はグレイからグレイシンに名前を変え、髪を少し伸ばして、より男性的なカットにしました。それでも見た目はひどかったですが、それについては話す必要はありません。
家族に伝えたところ、彼らはとても混乱しました。なぜなら、私が育ったとき、私はいつも非常に女性的で、それについて何の問題も感じていなかったからです。彼らは私の幼少期に何の前兆も見ていませんでした。家族はたくさん質問をしましたが、私はただ反抗的で、彼らの質問をすべて封じ込めてしまいました。
私の家族が私に対してトランスフォビア(トランスジェンダーに対する偏見)を持っていると決めつけ、彼らをそう呼んでしまいました。実際には、彼らはただ自分の子供が何を経験しているのかを理解しようとしていただけでした。これが、長い間私たちの関係に大きな亀裂をもたらしました。私は彼らがトランスフォビアであると感じていた時、実際には彼らは単に混乱し、何かを理解しようとしていただけだったのです。
大体3~4ヶ月後、家族は私の変化を受け入れ始め、私のために正しい代名詞や名前を使い始めました。その時点から、彼らはとてもサポートしてくれましたが、もちろん混乱はまだありました。私はバインダーを使い、胸を締め付けるようになり、それはとても不快で、呼吸が困難でした。常に自分の胸がどう見えるかを意識していて、外出するたびに、「彼らは私が胸がないことに気づくだろうか」と心配していました。恥ずかしいことですが、ネットで認めることになりますが、靴下でパッキング(男性器を模倣するための方法)をしました。私は率直なので、このことを隠さずに話します。最終的に家族は、アシュトン・ローズからグレイソン・クインに合法的に名前を変更する手伝いをしてくれました。高校を始める前に裁判所で手続きを済ませ、出席を呼ばれる際に間違った名前で呼ばれ、トランスジェンダーであることが露呈するのを避けました。
14歳の頃、私は外出してただ男性たちを観察しました。彼らの立ち振る舞い、自分を持っている方法、歩き方、座り方、態度、使っている言葉など、私はそれらを真似しました。男性らしい言葉を私の語彙に取り入れ、その時点で私の生活は実際には演技のようなものになりました。公共の場所に出かけるたび、人々と付き合うたび、人々と話すたび、私はその演技を続けました。
私は自分がどのように振る舞っているか、特に男性的に振る舞えているかに非常に集中していました。私が言うことが男性らしいか、男性として疑問に思われないか、そういったことが私のエネルギーの多くを奪いました。一日が終わる頃には、ただこの男性としての偽りの姿を続けることによる疲労感でほとんど疲れ果てていました。社会に受け入れられるため、ただ通り抜けること、男性として受け入れられることに非常に焦点を当てていました。
私はトランス男性としてのレッテルを不快に感じていました。なぜなら、私はただの男性でありたかったからです。私の女性としての身体的特徴に関わりたくなかったし、女性が男性になろうとしているという事実に還元されたくなかった。私はただ、男性として認識され、生まれた時からそうであると人々に信じ込ませたかったのです。そのため、私はステルス(トランスジェンダーであることを隠すこと)に非常に努力し、誰にも自分が女性として生まれたことを知られないようにしました。驚くべきことに、それはうまくいき、新しい自分として出会った全ての人が私が男性として生まれたとすぐに思い込んでいました。彼らは疑問を持たずに受け入れ、そのために、私は男性として生まれたという偽りを続けなければならず、それはさらに疲れるものでした。それはただの演技で、トランス青少年の多くも同じように感じていると思います。演技なのです。
確かに、実際のトランスジェンダーの人々の存在を信じています。彼らは存在し、非常に少数です。しかし、今日の現状では、TikTokのトレンドとして多くの人が流れに乗っているため、TikTokでトランスジェンダーと自己同一視している人々の中で、実際にトランスジェンダーである人はごくわずかです。それは非常に小さい割合で、大きなトレンドとしてアプリを席巻しています。それは無害なトレンドではありません。子供たちにダメージを与え、彼らの身体を永続的に傷つけています。
ステルスのトランス男性として生活を始め、シスジェンダーの男性として認識されるようになっても、私は常に男性のグループの中で浮いているような感覚を抱えていました。私は彼らと本当に馴染むことができないと感じていました。他の男性と会話するのが難しく、私はいつも不器用でした。なぜなら、他の男性たちのような騒がしく、面白い性格を持っていなかったからです。
私は基本的に内気な女の子だったのです。しかし、女性たちと一緒にいるとき、私はとても自然に、はっきりと話すことができました。無理に強いる必要はなく、言葉は自然に流れ、女性たちと非常にうまくやっていけました。その理由は、私も女性だったからです。女性たちとの方がうまくやっていけたのは、私が女性だったからであり、男性たちとそうではなかったのは、単純に私が彼らの一員ではなかったからです。私はただ男性であろうとしていただけで、本当はとても不幸でした。
そして、私はホルモン治療を始めたいと思いました。なぜなら、それが私をより良く感じさせると思ったからです。私は男性らしくないことが不幸の原因だと思っていましたが、実際には全く男性ではなかったために不幸だったのです。しかし、私はもっと男性らしくなりたいと思い、テストステロンが引き起こす変化を経験したいと思いました。それが、より男性として疑問に思われないようになり、私がやりたいことができると考えました。
家族はホルモン治療に関して非常に慎重でした。彼らはそれを望んでいませんでした。彼らは私を支持していたとしても、本心ではそれが私にとって正しい道ではないと思っていたからです。しかし、私は「トランス男性の息子を持つか、死んだ娘を持つか」という論点を用いて、彼らを絶えず罪悪感にからめとりました。私は懇願し、執拗に頼み込み、最終的には医師との相談の予約を取り付けました。そして、医師たちもまた、私の両親を罪悪感で追い込みました。結局、私の両親はホルモン治療を受け入れることになりました。両親はそれに同意し、同意書に署名をしました。
私がテストステロンを始めたのは、16歳になったばかりの時でした。たしか10月だったので、16歳になってから約1ヶ月後です。私がそのホルモンを手に入れるのがどれほど簡単だったか、それは驚くべきことです。処方箋を得る過程では、まず3ヶ月待って予約を取り、その後、医師と話し、テストステロンが引き起こす変化についての小さなアンケートやパンフレットを通じて情報を得ました。
そして、同日にクリニック内のカウンセラーと話すことが求められました。しかし、彼女は私の性自認についてほとんど質問しませんでした。もちろん、「あなたの代名詞は何ですか?好きな名前は?」などの質問はありましたが、その後は「学校はどうですか?生活は?友達は?」といった、性別とは全く関係のない一般的なセラピーのような話題に移りました。彼女が私と話している間にも、まるで確認することなく、私が本当にトランスジェンダーかどうかを確認せずに、推薦状を打ち出しているようでした。私と話したのはたった30分で、彼女は私のことをほとんど知らず、私の実際の性についてもほとんど尋ねませんでした。それから処方箋をもらい、陽気に帰路につきました。テストステロンを始めるのが、次の日にはできるほど、信じられないほど早く、実際にトランスジェンダーかどうかを確認することなく進められました。
私にとって、これらのホルモンを処方する方法は最悪であり、これを変えることはしばらくないと思います。それが、未成年者にこれらのホルモンを渡している方法が、私にとって信じがたい、狂っていると感じる理由です。私は16歳で、まだ16歳です。1ヶ月後に17歳になりますが、その時もまだ未成年です。
テストステロンが私に引き起こした変化は、もちろん声が低くなることです。このビデオ全体を通して、私は声を上げて話しています。これが、声を上げないで話した場合の私の声の音です。テストステロンをやめてから、声はかなり高くなりましたが、元々の声よりはまだ低いです。テストステロンを始める前よりもずっと低い声です。
顔の毛が生えるようになり、それを剃り落とさなければなりません。顔がより角ばり、顎のラインがよりはっきりとしました。体毛の成長もかなり増えました。テストステロンを始める前にもかなり濃い体毛がありましたが、始めてからはものすごく濃くなり、私が知っている生物学的男性よりも毛深くなりました。食欲がかなり増し、性欲もかなり増しました。テストステロンが引き起こす下部の成長が起きました。髪がかなり薄くなりましたが、幸いにもかなり回復しました。胸毛、腹毛、背中の毛、つま先の毛など、以前は毛が生えていなかった場所に毛が生えるようになりました。とにかく毛が至る所に生えました。
そして、私の妊娠能力については分かりません。子供ができる可能性があるといいのですが、実際には分かりません。生理はテストステロンをやめてから幸いにも戻りましたが、以前よりもかなり不規則です。生理が正常に戻り、普通の量の血が出るようになれば、子供ができる可能性があると考えられますが、まだ分かりません。テストステロンを始めた理由は、それらの変化が自分自身について良く感じさせると思ったからです。しかし、実際には、それらは私をより自分自身について悪く感じさせました。鏡を見ると、それが嫌いでした。体毛が嫌い、汗が増えたことが嫌い、顔の変化も嫌いでした。それが、私が自分自身を再評価し始めた時です。
気づいた時、私は間違っていたことに気づきました。私は本当は男性ではなく、ただの女の子で、混乱していただけでした。しかし、ディトランジショナーについてオンラインで見たことがあり、人々がどのように反応するかは恐ろしいものでした。彼らが直面するバックラッシュは信じられないほどでした。そしてもちろん、人生の3年間を一つのこととして生き、周囲の人々にこれが私だ、これが私にとって正しいことだと納得させた後で、彼らが「いいえ、それは違う」と言うのは恥ずかしいことです。そして最終的には「ああ、実はあなたがずっと正しかったんだ」と認めなければならないのです。ディトランジションは屈辱的です。何年も自分自身について間違っていたこと、体に永続的な変化を与えたこと、そしてそれが間違っていたこと。それは屈辱的です。
人々は「ディトランジションはトランジションよりもずっと簡単だ」と言いますが、実際には、私にとっては最初にトランジションする方がディトランジションするよりも簡単でした。私が話をした他のディトランジショナーにとっても同じです。トランジションすることの方が、ディトランジションすることよりも簡単です。なぜなら、社会はトランスジェンダーの人々を受け入れるように訓練されていますが、一旦「間違っていた」と公言すると、彼らは非難し、恥をかかせ、かつてサポートし、受け入れていたコミュニティから完全に疎外されます。受け入れてくれたはずのサポートのあるトランスジェンダーコミュニティは、あなたを切り捨てます。もはや彼らにとってあなたは何の価値もなく、実際には彼らはあなたを憎んでいます。そして、彼らは一日中あなたを憎むでしょう。トランスジェンダーコミュニティが皆を受け入れるなんて大嘘です。
私がまだ男性として生活していた時、かなり長い髪をしていました。それはおそらくここくらいの長さで、長い髪が好きだったのです。それは私がまだ自分自身であることを感じさせてくれたからです。たとえ他のすべてを変えようとしても、私はまだ私の美しい髪を持っていました。間違っていると気づき始めた時、私は本当に間違っていたくなかったので、自分を元に戻そうとしました。
男性であるという枠に自分を押し込む最後の試みとして、私は自分のアイデンティティに対する最後の固執、つまり「私は正しい、これが私だ、これに間違いはない」と思い、髪をすべて切りました。それをとても後悔しています。なぜなら、その約1ヶ月後に、私は実際にはトランスジェンダーではなく、ディトランジショナーであると打ち明けたからです。そして、今、私は髪を伸ばし始めることから全てをやり直さなければならないのです。それはとてもイライラします。
とにかく、私はこの決断をする必要があるとついに決心しました。なぜなら、女の子として再び生活している夢を見て、その中でとても幸せだったからです。目覚めた時、「もうこれ以上、この嘘を生き続けることはできない」と思いました。そこで、目覚めてすぐに爪を塗り、アイラインを引いて、数人の親しい友人たちに伝えました。そして、その朝、両親が起きたら彼らにも伝えました。そして、私は「ナディーン」という名前を使い始めることにしました。なぜなら、私は元々自分の名前「アシュトン」があまり好きではなかったからです。そこで、元の名前の一部を保持するために、「ナディーン・アシュトン・ローズ」と名乗りました。TikTokではプライバシーのためにまだアシュと名乗っていますが、実生活では皆がナディーンとして私を知っています。TikTokでアシュと名乗るのは、彼らが私が誰かを実際に知らないので、少し安全を感じるためです。しかし、TikTokから来た人で、ここでの私の名前がナディーンである理由を疑問に思う人もいるかもしれませんが、それが理由です。
ディトランジショナーとして最初にカミングアウトした時のバックラッシュは凄まじかったです。私の人生の中でトランスの人々が、突然私と何の関わりも持ちたくなくなりました。私はたくさんの友達を失って、テストステロンが私の体に残した永続的な影響と共に生きていかなければならなくなりました。
私の身体には常に多くの体毛があり、特に気になるのは声です。私の声は以前よりも低くなり、それが実際にとても不快です。この部分は本当に本当に私を悩ませます。化粧をしないで顔を見ると、自分が男性のように見えてしまうと思ってしまいます。眉骨の構造など、顔の形がより角ばってしまいました。だから、少しでも対処するためにアイライナーを使っています。
さらに、性転換がもたらした精神的なダメージについても触れなければなりません。それは私の自己認識を完全に破壊し、私はまるで10代の女の子としての3年間を失ったように感じています。それは本当に私を悲しくさせ、別のレベルで私を苦しめます。経験していない人には、性転換者が経験する喪失感がどれほど深いか理解できないでしょう。私たちは人生の大きな部分、自分自身の大きな部分を失います。
続き