はてなキーワード: トートロジーとは
基本的にこの手の賞は作家の為ではあるものの、普段手に取らない”賞を取ったんなら触れてみる”層がメインターゲットになっている。となると、売れている=大半の人が楽しめるであろう作品に票が集まるのはごく自然で、むしろマイナーな作品は票が分散して埋もれる。
票数が増えれば増えるほど最大公約数的な作品に収束していく。本だけでなく全てのランキングで行われる現象とも言うべき着地点。こればっかりは致し方ない。
言いたいことは分かる「その埋もれた作品をフィーチャーしろ」と。ただ、こう言うのもアレだが売れない作品は所詮売れない作品なんだ。いくら「俺は好き」と言っても人気の無いアニメは注目されねえし、売れねえ映画は誰も見ない。トートロジーになってしまうが売れるから売れるのだ。
じゃあどうするか。上記の通り票数が増えればその分個人の意見は埋もれ、所謂世間の意見に収束してしまう。ならばその影響を受けにくい比較的小規模なサンプル数の少ない個人が選ぶ偏ったランキングを片っ端から見るしか無い。
つまり書店が選ぶベスト作品!や年間ランキングを発表している個人ブログだ。個人でも仲間内でも構わないが自分達で作るしか無いしそうやって今ある賞は出来上がっていった。
ただし、その個人が好きで大量に見て読んで「これ良い」とする分には問題ないが、作品数が増えればその分負担がかかり、やはり人気作に回帰する現象が起きてしまう。我々の時間は有限でその全てを把握するのは不可能だからだ。だから他人の選評に頼る。おおよそ外れのないであろう方へ行く。そしてまた同じ様にループする。
ある一定の基準を設ける選択肢もある。ただ、毎年必ず売れてないが面白い作品が生まれるという前提のもとに成り立っているので恐らく大した作品を挙げない変なランキングとして世間からはそっぽを向かれるだろう。参考にする者からしたらそんなランキングなんてアテにならないのは言うまでもない。
一応、これまでについたコメントやブコメを見た所、「~~といったところだと思うよ」で書いてくれた内容は外れてるように個人的には見えたな
どうも表現の自由戦士?は自分以外も明確化を好意的に受け入れている人が多そう
あと、「規制が妥当かや規制に正当性があるかについては意見がない」については良く分からないな
規制の妥当性や正当性を所与の条件や既知の情報として扱う、という事?そもそも対象の規制の妥当性正当性は未知の情報で、予めそれを決め付けるどころか判断の根拠にするのは単なる論点先取に過ぎないと思うので、
個人的には(敢えて言葉を選ばずに言えば)頭の悪い言動に見えるので、自分は意図的に避けるかな、そういうのは
「この規制は厳格すぎる(から反対だ)」とか「この規制の細かさは問題ない(から賛成だ)」は賛同するかは兎も角意味は分かるけど、
「この規制は妥当だ(から賛成だ)」とか「この規制は正当性が無い(から反対だ)」では、よくてただのトートロジー、悪くて悪質な論点先取、にしかならないと思うよ