はてなキーワード: SNsとは
河村市政に辟易していたので、今回の市長選は大塚耕平に入れた。
理由は以下の通り。
いつからやり始めたのか覚えがないくらいだけど、調べたら、言い始めたのは2009年らしい。15年もやってんのかよ。
名古屋城の天守閣、なぜ木造復元 前職のこだわり、市長選争点に
https://news.yahoo.co.jp/articles/c926df9700ca1d2e01da82734b0c70aebb597bee
個人的には完全復元でもないのに本当にそんな効果あるんか?(まあインバウンドとかで客は来るかもしれんが、それは木造じゃなくても来るだろ)と思うので、バリアフリー差別発言でモメたのを抜きにしても、別に耐震改修でいいんじゃね、安いし、って思ってる。
▼減税は別にどうでもいい
減税額は、市のHPで公開されてるがこんな感じ。
https://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/392-25-2-0-0-0-0-0-0-0.html
単純に一人頭で割ると8000円弱ってとこか。小さくはないけど、大きくもないよな。それで「減税頑張ってます」アピールされると萎えるものはある。
個人的には、都心部の開発(金シャチ横丁とか久屋とか)が軒並みしょぼい印象を持ってるので、むしろちゃんと税金取った方がいいんじゃね?って思ってる。
▼愛知県と仲悪すぎ
さすがに、↓の話はひどすぎるだろと思った。
あいち県民の日“学校ホリデー”名古屋市が24年の不参加表明 3分の2の保護者が評価も河村市長「市民の意向」
https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20240305_33158
うち子どもいるんだけど、愛知県民の日なのに名古屋市は学校休みにならねえんだよ。
お前が知事のこと嫌いなだけだろふざけんな、って思ったわ。
まあそんなこんなで俺は大塚耕平に入れました。彼を支持して、というよりは河村市政不支持の意見表明として。結果はしょうがない。
選挙戦の印象だが、普通に河村人気で押し切った感を受けていて、兵庫県であったような「SNSの風」みたいなのはなかったと思う。むしろ、チャレンジャー側が風を起こせず、無風すぎたからこうなったんだろうという感じ。
新聞報道を見ると、既存政党が相乗りした大塚耕平の方が「既成勢力」とみなされた感があるし、まあ事実そうなんだろうと思う。
マスコミもそこそこの段階から大塚劣勢を報じていて、色んな意味で順当な結果だったんだと俺は思ってるよ。
ちなみに蛇足だが、大塚氏は給食費ゼロを公約にしてたが、名古屋市の給食は量が少なすぎるので、むしろ給食費上げてもいいから量を増やせって思ってるよ。
↓のは、参考。ウチの子もいつも「給食が少なすぎる」って嘆いてる。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10261873495
SNSを開いたら、またしてもくだらない人間劇場の投稿ばかり。
もっと抽象数学や超弦理論について語るべきことがあるだろうに!
通勤電車の中でも、周りの人たちがスマホを見ながらニヤニヤしている。
何がそんなに面白いんだ?
正直、そんなことに時間を使うくらいなら、リーマン予想について考えている方がよっぽど有意義だと思う。
周りの同僚たちが「この投稿見た?」なんて盛り上がっているのを聞いていて、本当に腹が立った。
自分はもっと深い話題を共有したいのに、どうしてこんなにも無駄な話題で盛り上がるんだ?
今日はこのイライラを振り払うために、自分から知的な話題を振ってみようと思う。
もし誰かが興味を示してくれたら、少しでもこの無駄な人間劇場から抜け出す手助けになるかもしれない。
俺はまだまだ学び続けるつもりだ。
このままじゃ終わらせないぞ!
仕事より移動中や待機中に馬鹿話してゲラゲラ笑ってた時間の方が長い
ある時、民家での演説会で座布団並べ終わってお茶出し手伝おうとしたら、「指示してない作業はやらないで!」ってめっちゃ怒られた
有権者へのお茶、コーヒー、茶菓子程度の提供は認められてるんだけど、それはボランティア運動員の仕事であってバイトの範囲外だと
ボランティア運動員は何でもやっていいけど、金貰うバイト(労務者)がやっていいのは頭を使わない単純労働(機械的作業)だけ
お茶出しは単純労働で問題ないという話もあるけど、その時は絶対ダメと言われた
プログラムされたことしかできないロボットに徹すればいいだけなんだけど、それはそれで逆に難しかったりする
他にもいろいろ細かった
〇公選法違反かどうかは有償かボランティアかの問題(少なくとも本人は違法性を否定している)
何をどう調べてもこれ以外の事実はないだろ
それを違法確定です!みたいに書くのは悪意ありじゃん
斎藤元彦は、立花と組んだり(本人は否定しているが)愚かなキラキラ女子と組んでSNS戦略暴露されたりで、いかがなものか?
とも思うけど、結局他にまともに組める相手のいない四面楚歌状態から始めたから、
そういう奴らとでも組まないとやっていけない面もあるんだよな、とも思った。
大塚耕平が名古屋市長選挙に負けたけどさもありなんという感想しかない
2023年4月27日に出馬意向表明と何と準備期間が1年以上もあったにも関わらずまともに具体的な市政の話ができない
話題になっていた名古屋城木造復元は市長になってから決めるとか言うし、争点になるだろう市民税減税もあやふやな上に、減税が低所得者に恩恵がない批判は共産党からのカンニング
https://www.city.nagoya.jp/senkyokanri/cmsfiles/contents/0000179/179690/senkyokoho.pdf
近々公開が終了するだろうけどサイトにもある選挙公報は泡沫候補レベルの「何言ってんだこいつ」文章で具体的なものがまるで見えてこない
「タイムトラベル対談」「市民政策AI対談」何言いたいんだよおめーはよ
仕方がないから本人のホームページを見てみたけど、とにかく具体目標を避けまくっていて何をしたいのかまるでよくわからない
広沢一郎陣営に極右批判あるけど国民民主党議員なんて保守派の立憲民主党とは組めないレベルの右の集まりなんだから「そのうち河村と同じように極右のご機嫌取りに走るんだろうな」ぐらいにしか思えないんだよ
生きづらい私を売りにしてた著名人、SNSやblogに投稿しまくってた人が、結婚したとかそう言う話では?
それウリにしてたなら、『ハイハイ、理解ある彼くん、夫くん』反応は残当
あるいは、男女界隈にありがちな、負のインフルエンサーとして、男叩き、女叩きをしてるけど、
負のインフルエンサーの男叩き女叩きを真に受けるのマジでよくないと思う
あいつら意外とリア充だぞ(ごく稀に発言と実態に乖離がない人もいるが)
そういうのではなくて、本当に身近な人が結婚して、祝えないとかだったら、どう考えても嫉妬とかではないんじゃないですかね?
なんでも嫉妬に括るの良くないよ
メディアリテラシーとしてよく語られがちなこととして次のようなものがある。
「異なる意見にも耳を傾けよう」
「自分で情報収集して一方的でない様々な情報を集め、自分で考えて判断しよう」
まあ、間違ってはいない。でも、自分が思うに多くの人がネットで騙されてしまうのはこういう意識のせいだ。ネットで騙されてしまう最大の要因は、メディアリテラシーが無いことではなく、いくらかあることのほうにこそある。
というのも、上記のような心掛けは、それよりももっと大事な基本中の基本を忘れさせることに繋がりがちだからだ。
その基本中の基本とは、「情報(源)の信頼性には差がある」ということ。これが一番大事。
情報の信頼性には差があるので、信頼性の高い情報を重視し、低い情報は軽視するという姿勢が非常に重要だ。なんならこれだけ意識できてれば他はどうでもいいレベル。
より具体的に言えば、公的機関や大手メディアは情報源として信頼性が高く、一方でSNSや動画サイトは信頼性が低い。
別の言い方をすれば、オールドメディアは信頼性が高く、ネットは信頼性が低い。
こう書くと、「オールドメディアは嘘ばっかりじゃないか! 増田は偏っている!」と怒り出す人がいるかもしれない。まさにこういう人こそがネットで騙されるカモなわけだけど、おそらくこういう人は情報源の信頼性を判断する上での基準がおかしい。
情報源の信頼性の判断はある程度機械的にすべきで、その基準は「その情報源が明らかな嘘を発信した場合、そこはどのくらい面倒な目に合うか」を考えればいい。
例えば、かつて民放バラエティに「発掘!あるある大事典」という番組があった。この番組が納豆はダイエットにいいという内容を放送したのだが、内容に捏造があったことが発覚。局全体が打撃を受けるほどの大騒動に発展し、最終的には10年以上続いていた同番組は打ち切りとなった。
この話を聞いて「やっぱりテレビは嘘をついてるじゃないか!」と思う人もいるかもしれない。しかし、こう考えてみてほしい。もしも同じことをどこかのYoutubeチャンネルがした場合、このような大騒動になるだろうか? その可能性はゼロに等しいだろう。誰かが誤りを指摘してもそれが広がることはなく、何もなかったかのように動画投稿が続く可能性が高い。
つまり、知名度が高く社会的責任を厳しく見られる立場であるほど、嘘を発信した場合に面倒なことになるリスクが高い。そういう媒体では、間違っても嘘を発信してしまうのは避けようという事なかれ主義的な意識が働きやすい。また、嘘を発信してしまった場合も、それが指摘され、その指摘が多くの人の知るところとなる可能性が高い。
ここで強調したいのは、この信頼性の判断において何を基準として「いない」かだ。
内容に納得できるか。内容は面白いか。発信者に好感は持てるか。発信者は我々の味方か。
そういったことは情報源の信頼性の判断基準にはしない。すべきでない。これらは正しさとは無関係だからだ。
そして、冒頭で書いたメディアリテラシーとして語られがちなことの問題点はここにある。
「自分で情報収集して一方的でない様々な情報を集め、自分で考えて判断する。」
これを心がけるとどうなるか。
自分で情報収集すると、受動的に与えられる大手メディアからの情報よりも、能動的に得た情報のほうが信じられるように感じてしまう。
一方的でない様々な情報を集めると、信頼性に差がある情報でも対等であるかのように誤認してしまう。マスコミの伝えない真実は往々にしてマスコミの伝える事実に比べて著しく信頼性が低いのだが、そういう情報にも偏見なく臨むほうが中立的だと勘違いしてしまう。
自分で考えて判断すると、先に書いたような「内容の面白さ」や「発信者への好感」といったものに判断が引きずられてしまう。
このように、メディアリテラシーを意識したがゆえに、本当に一番大事なはずの情報の信頼性の判断というところがガタガタになってしまう場合がある。これが多くの人がネットで騙される原因のひとつになっているのではないだろうか。
また、ネットで騙されると自分がメディアリテラシーに優れた人間であるかのように感じやすいということも指摘しておきたい。
ネットの嘘は当然大手メディアで流されるようなメジャーな見解とは異なるものになるわけだが、そういったものは「一般にはこう思われているが、実は……」という知的好奇心に訴える形式になりがちである。そしてこれを受け入れると、なんだか自分が情報にさとくなったような高揚感が得られる。
多くの人はマスコミに騙されているが、自分は情報強者なのでそれが嘘だと知っているという自負と優越感。ネットの嘘つきはそういった気分の良さをばらまく。
これが本当に罪深いと感じるのは、騙された人が騙されたと認めづらくなる構造がここに埋め込まれているからだ。
意見の異なる人をマスコミに騙されている情報弱者と馬鹿にする考えに浸ってしまえば、実はネットよりも大手メディアを信頼する人のほうがメディアリテラシーについてちゃんとわかっているという事実は認めがたいものになる。そして、オールドメディアは信じられないという植え付けられた信念のもと、騙され続けるカモとなる。
自分は気付けばかれこれ20年以上もネットばかり見て過ごしてきた。駄目人間である。
その上で感じているのは、大手メディアへの不信を煽り、受け手に情報強者幻想を与えるという形式の強力さだ。
例えばネット右翼と呼ばれる人たちについて、我々は「右翼」のほうに注目しすぎた。
反ワク。三浦春馬。ジャニーズ、松本人志。石丸伸二。斎藤元彦。
思想の対立だと思っていたものは、実はメディアリテラシーについての意識の差だった。
そのことが、最近やっとわかってきた。ずっとうっすら気付いてはいたけど、ようやくはっきり言語化できたと言った方が正確かもしれないけれど。
ああ、嫉妬だよ
俺は猛烈に嫉妬している
慶應のエスカレーターに乗せてもらって海外留学もさせて貰えば起業家になれたと思う
どうせ彼女は「古臭い男尊女卑の価値観によって無謬の女性経営者が潰された」という物語に回収され
彼くんが登場して子ども産んで「産後鬱を配慮してもらえなかった」「キャリアを奪われた」などの物語にヨシヨシされ続けるんだろ
彼氏の有無が大して重要では無く、なんとなくほしい方々もしくはどうしてもほしい方々向けである。
「ナョナョした彼氏なんぞ要らん!」と、その人となりも重要な方々は諦めて弱者男性と同じ道を辿ってくれ。白馬の王子様を待っている女性と同じような行動をとる男性こそ、男女平等教育の産物であり、「弱者男性」と呼称されている(されていた)人間たちなのだから。
現代の男たちは失敗を恐れる余り、確信を持てない限り責任ある行動を取れない連中だらけだ。これはDLsiteの都道府県別性癖開示が裏付けている。女性から行動してもらいたい、そういう連中ばかりなのだ。
匂わせなど察することを求めるような行動は「いや、僕の誤解かもしれない」「好きでもない人から勘違いで言い寄られたら何いわれるか晒されるかわからん」と二の足を踏むだけである。
昔はセクハラが看過される反面、男性性を強く押し出した引っ張る頼りがいのある男こそ漢であった。しかし、現代は男女平等教育やセクハラに対するカウンターでSNSでの晒し上げがとても有効な時代である。多少なれど男を引っ張る女が居てもいいだろう。
彼氏ができないと嘆く女性たちよ、男性に対して明示的な行動をしよう!好きにさせて告白させようなどもってのほかである。会話のキャッチボールが挨拶から始まるように、恋愛に於いても何か開始コードのようなものが必要だ。昔は前述の通り昭和的男性像によって男性から開始コードを飛ばして(強者が強者性を振りかざして)いた。しかし現代では御法度(強者性を振りかざすとアウト)である。であれば、パワーバランスで弱いとされている側からアプローチするのが最も成功率が高い。
さぁ、クリスマスまでになんとか彼氏がほしい女子たちよ。周囲にいる男へ行動するのだ。いきなり告白とまでは行かなくとも、「彼氏として興味があるので一緒にご飯でも行かないか」と明示的にアプローチしてみようではないか。
このまま斎藤知事が選挙法違反で当選取り消し、公民権停止という事態になると
いよいよStand alone complexが実現しそうな気がしている
現にYoutubeとSNSはオリジナルなきコピーを大量生産しているし
斎藤知事やトランプ大統領の発言に呼応するように一部の過激派は行動を起こしている
百条委員会と知事選という二つの事象を起因にして舞台が整ってしまっていてStand alone complexそのもの
みなさん、こんばんは!最近思うんですけど、この世の中、「皇帝」みたいに振る舞う人、多すぎません?特にSNSで!
「私はこれが正しい!みんな、ひれ伏せ!」みたいな投稿を見るたびに、「いや、あなた、フォロワー200人のエゴイストじゃん!」って思っちゃうんですよね。もう少し謙虚に生きましょうよ!
で、最近僕も少しエゴイストになりかけてるなって思うことがあって。先週、競馬に行ったんです。いや、正確には競馬場に行った友達からオススメされた馬券を買ったんですけどね。
その馬がすごくて、「三冠ジョッキー」を目指してるんですって!「これは絶対当たる!」って思って、もう全財産をつぎ込む勢いでした。でも、結果はどうだったと思います?そう、全滅!
その瞬間、僕の中の「秋の物悲しさ」がピークに達しましたよ。「秋はセンチメンタルな季節」とか言うけど、競馬で負けるとそのセンチメンタルさ、3倍増しですから!
競馬場から帰る途中、難民みたいな顔してましたよ、僕。財布の中身、スッカラカン。で、その後、バーに行ったんですよ。「ちょっと飲んで立ち直ろう」って思って。そしたら、隣の席のオーナーが、「君、大丈夫?」って声をかけてくれたんです。いや、その時、「大丈夫じゃない!」って琴みたいに心がピンと張り詰めましたね。でも、そのオーナーが、「飲み物、1杯サービスするよ」って言ってくれて…それが僕の再スタートのトリガーになりました。
人生って不思議ですよね。競馬で負けて絶望してたのに、ただの1杯のビールで復活できるんですから!それにしても、あの馬のジョッキー…次はベスト尽くしてくれよな!
ありがとうございました!
もしかして陰謀論のひとにとって、いまって生きやすいんじゃない?
恐らくリアルでは周りからもけむたがれたり、否定されていたり、辛い思いをしていただろう
周りと話題が合わず孤立し、耳をふさぎたくなるような意見に囲まれ、自分らしく生きることすら難しかった
それが今では同じ考えの仲間とSNSでつながれる
仲間で話が通じるのかは不明だけど、きっと生きやすい世界に変わっているんだろう
ビバ!ソーシャルブックマーク!
があちらこちらで広まっている。
しかし、いくら何でも総務官僚であった斎藤氏が選挙違反になるようなミスをするのだろうか?
これはひっかけで、実は、という隠し技があって、どんでんがえしということなんではないか。
と思うのだが、総務官僚といっても選挙の実務などは下々の仕事で、地方公共自治体に出向しても、そのようなことはタッチしないとすると、知らなかったのかもしれないが。
またはこの広報担当を自称しているひとが、妄想しているだけなんだろうか?写真も合成?
ところで大問題はNHKがまだ23日になっても、ボランティアでSNSで選挙運動に参加したとかいってるひとのインタビューを流したことだ。
いったん止めるべきではないのか
いや元々「限界はてさ村」などと揶揄されるぐらいには、汚言症オジサンやオバサンが多いSNSではあったけども
彼ら・彼女らはあくまでブクマカのコメントでの活動(笑)が主体で、増田ではそこまで暴れ回ってはいなかった様に思える(全く暴れていなかった訳ではない)
ここ2年ぐらい、急速に臭くなったなって思う
時間帯や曜日にもよるが、臭すぎてキモい猛虎弁(笑)をガイの者みたいに唾飛ばして叫んでるヤツが屯ってるのも目に付く
正直、マジでキショい
恒心教とかやっちゃう程度の民度や知性で、誰も聞いてない望んでもない上に間違ってる政治語り(笑)するものだから、本当に臭い
増田にアクセスして、そんな記事やトラバがトップにずらずら上がってたりするものだから、一般ユーザーからも「臭いサイト」に思われてると思う
ネット荒らしのノリで、自分アピール且つ嫌がらせのつもりでやっているのだろう
路上にスプレー(小便や💩)をしていく、知的に問題のある人やホームレスみたいな行動
ネットに書き込める程度には知性あるだろうから反発すると思うけど、マジで同レベルだと思うよ?
今回の斎藤の件で野村修也がSNSでの煽動があった事すら知らずに
「有権者はSNSにから正しい情報を見分ける能力を獲得した!」
とか完全に現実とは真逆の妄想をドヤ顔で言っちゃっててまた地味に赤っ恥晒してる
こいつが正しい事を言う時ってあるのかな
特徴 | ヨーゼフ・ゲッベルス | 折田楓 |
---|---|---|
活動分野 | 政治宣伝、プロパガンダ | 選挙運動、SNSマーケティング |
役割 | ナチス・ドイツの宣伝大臣、全体主義体制の推進 | 兵庫県知事選でSNS戦略を担当するプランナー |
使用した手法 | 演説、映画、ラジオなどを駆使した国家規模の宣伝活動 | SNSを活用したターゲット型の選挙戦略 |
主な成果 | ナチスの支持拡大、全体主義体制の確立に寄与 | 劣勢の候補を当選に導いた選挙戦略の成功 |
批判 | 反ユダヤ主義の拡大、ホロコースト推進への加担 | 公職選挙法違反の疑惑、倫理面の問題 |
時代背景 | 20世紀初頭から第二次世界大戦期 | 現代(令和時代、日本の地方政治) |
件の記事を読んで。
https://s-mizuki.hatenablog.com/entry/2024/11/23/153527
怪談がスピリチュアルや陰謀論に寄り過ぎているというのだ。確かに最近は、霊感芸人と都市伝説系YouTuberが共催したイベントで観客が失神したり、心霊現象を主張するスタジオが科学者から批判を受けたり、業界の著名人が根拠不明な陰謀論を発信したりと、色々と物議を醸している。
でもそもそも怪談って非科学的で根拠のないものじゃないのか、という疑問が湧いてくる。確かにその通りなんだけど、ここで重要なのは怪談が持っている「教訓性」という側面だと思う。
江戸時代から続く日本の怪談文化には、単なる恐怖だけでなく、必ず何らかの教訓が含まれていた。約束を守らなかった者が祟られる、人を呪えば自分にも返ってくる、といった具合に。怪談は非科学的でありながら、人間の行動や選択の結果として恐怖や災厄を描くことで、倫理的な問いを投げかけていたんだ。
一方で今流行っているスピリチュアルは「宇宙のエネルギー」とか「波動」とか、抽象的な概念による「癒し」を売りにしている。そこには具体的な人間の行動や選択に対する考察がない。陰謀論に至っては、特定の個人や団体を「隠された敵」として警戒を呼びかけるだけで、建設的な示唆に乏しい。
つまり、現代の怪談界隈が抱える問題は、単に非科学的というだけでなく、怪談が本来持っていた文化的・倫理的な価値を失いつつあるということなんじゃないだろうか。スピリチュアルや陰謀論との安易な結びつきは、想像力を刺激し教訓を与えるという怪談本来の役割を歪めてしまっている。
このままでは怪談文化そのものが社会からの信頼を失い、スポンサーやメディアの支持も減少していくだろう。さらに深刻なのは、SNSなどで拡散される偏った価値観や非科学的思考が、特に若い世代に悪影響を及ぼす可能性があることだ。
怪談文化を守るためには、エンターテインメントとしての面白さを保ちながら、その歴史的背景や文化的価値を再評価する必要がある。非科学的な要素は怪談の特徴として受け入れつつ、それが持つ教訓的な意義をしっかりと見つめ直すべきだと思う。
「寄付の禁止」じゃなくて買収では?というのは他に書いてる人がいるんで置いとくと
高橋洋一氏が書いてる「金額の問題」というのが一番しっくりくる(ポスターは頼んだ それ以外はボランティア だと金額が一ケタ変わる)
とはいえ折田楓君がオープンするのがあまりにも早かったので、仮に金を払っていたとしても言い逃れられる可能性が高い気がするけどね
結局これに斎藤知事アンチが乗っかっているのは、兵庫県民が支持したという現実から目をそらしたい余り、
それが違法だったということにして、斎藤氏の評判を落としたいだけにすぎない
現実には知事選を一番左右したのは、政策だというアンケートも出ているので、斎藤氏のこれまでの県政が評価されている
マスコミが、ワイドショー的に行ってきた斎藤バッシングに対して、ネットの情報がカウンターになったのは事実だけども
SNS(を含めたネット)は嘘ばっかりでそれに踊らされた兵庫県民というストーリーに、アンチはしたいみたいだけど
それをネットで書いているのが笑える