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2024-02-16

風呂嫌いの偉人

ジョブズ風呂嫌いなのは何となく分かるんだが、秋山好古が大の風呂嫌いだったのが分からん

彼は日露戦争中、2回しかお風呂に入らなかったという。

1904年2月8日から1905年9月5日までだから576日間として、288日に1回(9.6ヶ月に1回)の頻度でしか入ってない(むしろその2回は何で入ろうと思ったんだ)。

服も洗濯してない。臭いのはもちろんシラミまでわいていたという。

お偉いさんと会うときに注意されないのか。上に立つ者として部下に示しがつかないのではないか

あれだけイケメンなのに臭くて不衛生とはどういうことなのか。そこまで汚いと確実に皮膚病だったと思うんだけど、辛くなかったのかな。

フランス留学中はどうしていたんだろう。香水で誤魔化していたのだろうか。

風呂嫌いの偉人が気になって仕方がないのは、自分がもともと風呂嫌いで、うつ状態ときなどはまったくお風呂に入れなくなってしまうからだ。お風呂嫌いの人には自分と近いものを感じてしまう。

自分は小心者なので臭くて汚い状態で人前に出たくない。よって風呂に入れないと外出もできなくなる。

偉人たちの場合はそうではないようで……地位が高いから周りの人は強く言えないし強制できない。迷惑だろうな。

ジョブズ風呂嫌いだったかもしれないけど服は着替えてたと思うから洗濯してない服を着続けた秋山好古のほうが一枚上手だと思う。

自分うつ状態とき洗濯もできなくなるから、これもまた親近感を覚えてしまうのだが、偉人でも何でもない自分はこんなことに親近感を覚えてはいけない。

風呂に入ってないと、痒かったり体がベタベタしてたり不快なのに、それでも風呂に入らないことを貫き通せるってすごいよ。無職ニートならともかく社会的地位があって人前に出る機会も多いのに風呂に入らない人の深層心理を知りたい。

2023-10-18

校名に「館」が付く高校の「館が付いた校名になった年」を調べてみた

anond:20231017163450

校名都道府県
1874年興譲館高等学校岡山県
1885年福岡県立修猷館高等学校福岡県
1886年福岡県立伝習館高等学校福岡県
1887年広島県立福山誠之館高等学校広島県
1887年長崎県立猶興館高等学校長崎県
1888年東京女学館高等学校東京都
1889年郁文館高等学校東京都
1894年広島県立日彰館高等学校広島県
1895年山形県立米沢興譲館高等学校山形県
1904年遊学館高等学校石川県
1913年立命館高等学校京都府
1948年愛知県立時習館高等学校愛知県
1963年皇學館高等学校三重県
1979年国学高等学校秋田県
1979年東京学館高等学校千葉県
1982年穎明館高等学校東京都
1983年志学高等部千葉県
1983年英数学館高等学校広島県
1983年鹿児島育英館高等学校鹿児島
1987年弘学館高等学校佐賀県
1988年佐賀県立致遠館高等学校佐賀県
1988年東明館高等学校佐賀県
1988年創成館高等学校長崎県
1990年志學館高等部鹿児島
1992年熊本県立湧心館高等学校熊本県
1993年山形県上山明新館高等学校山形県
1994年岡山学芸館高等学校岡山県
1994年如水館高等学校広島県
1994年佐賀県立高志館高等学校佐賀県
1996年楊志高等学校大分県
1997年尚志館高等学校鹿児島
1998年埼玉県立進修館高等学校埼玉県
1998年自修館中学校神奈川県
1998年浜松開誠館高等学校静岡県
1999年岡山市岡山後楽高等学校岡山県
1999年真颯館高等学校福岡県
2000年長野県塩尻志学高等学校長野県
2000年東林館高等学校広島県
2001年清林館高等学校愛知県
2001年熊本市立必由館高等学校熊本県
2001年秀岳館高等学校熊本県
2002年静岡県立富岳館高等学校静岡県
2002年天王寺学館高等学校大阪府
2002年兵庫県三田祥雲館高等学校兵庫県
2002年鹿児島修学館高等学校鹿児島
2003年横浜創学館高等学校神奈川県
2003年和歌山県立紀央館高等学校和歌山県
2004年武修館高等学校北海道
2004年和順館高等学校山形県
2004年福岡県立輝翔館中等教育学校福岡県
2005年新潟県立正徳館高等学校新潟県
2005年至学館高等学校愛知県
2005年福岡県門司大翔館高等学校福岡県
2005年福岡県立浮羽究真館高等学校福岡県
2005年福岡県福岡講倫館高等学校福岡県
2006年宮城県石巻好文館高等学校宮城県
2006年東京都立桜修館中等教育学校東京都
2007年長野県中野立志館高等学校長野県
2007年長野県丸子修学館高等学校長野県
2007年福岡県立育徳館高等学校福岡県
2007年鹿児島立川薩清修館高等学校鹿児島
2008年智学館中等教育学校茨城県
2008年神奈川県横浜修悠館高等学校神奈川県
2009年啓明学館高等学校愛知県
2009年大阪府立懐風館高等学校大阪府
2009年石見智翠館高等学校島根県
2009年福岡県公立古賀竟成館高等学校福岡県
2010年神奈川県相模向陽館高等学校神奈川県
2010年大分県立爽風館高等学校大分県
2010年鹿児島県立明桜館高等学校鹿児島
2014年山梨県立都留興譲館高等学校山梨県
2014年静岡県立清流館高等学校静岡県
2016年山形県東桜学館高等学校山形県
2016年滋賀県彦根翔西館高等学校滋賀県
2018年創学館高等学校山形県
2019年愛知県新城有教館高等学校愛知県
2021年山口県立山松風高等学校山口県
2022年福島県須賀川創英館高等学校福島県
2023年愛知県稲沢緑風館高等学校愛知県

注:創設年や前身校が曖昧だったりすることもあるのでそこそこ独断で決定している。

こうしてみると「ここ10年」というよりは1990年から増えはじめて2000年代に最盛期を迎えていたことがわかる。

これは「共学化」や「合併」で改名の機会が増えたことが一因であろうと思われる。

1990年代は高校数の増加が止まった時期であり、さら2000年からは減少に転じてもいる。

少子化に伴って、全国の高校が共学化や合併余儀なくされ、その際に「〇〇館高校」と改名したパターンが多いのである

古めかしい字面の「○○館高校」は江戸時代藩校私塾が源流にあることが多い。

もともと「○○館」という名の藩校私塾があって、それが紆余曲折を経て「○○館高校」になったものである

そうした高校は、必然的歴史が長く、地元では「伝統校」「名門校」と見なされている。

推測だが、そうした「伝統校」「名門校」のイメージを持たせるために「○○館高校」に改名したところも多いのではないか

「○○館高校」の数は県ごとに偏りがあり、特に福岡県鹿児島県・愛知県広島県山形県あたりで多いが、いずれの県にも古くから「○○館高校」がある。

それらの地元では何となく「○○館」にかっこよくて頭が良さそうなイメージがあるのかもしれない。

また、同じ県で近い時期に続けざまに公立の「○○館高校」が開校している例がまま見られる。単純に命名者が重複している可能性もある。

2023-08-27

浦和辯護士會長懲戒事件と本協會の活動」、1904年

会長懲戒ですかそうですか

2023-08-16

いつまで「戦後」やるの?

そろそろよくね?

ほそぼそとやるのはいいよもちろん

 

 

______

 

バズったから何か書こうかな

年表でも書くか

 

2023年

|(53年)

1970年 沖縄返還

|(25年)

1945年 太平洋戦争終戦

|(4年)

1941年 太平洋戦争

1937年 日中戦争

1931年 満州事変

|(9年)

1922年 シベリア出兵終わり

1918年 シベリア出兵

1918年 第一次世界大戦終戦

|(4年)

1914年 第一次世界大戦

|(9年)

1905年 日露戦争終戦

1904年 日露戦争

色々

1895年 日清戦争終戦

1894年 日清戦争

 

20世紀前半は戦争し過ぎだな

20世紀後半はその後悔の半世紀って感じだったけど

現代もっと現代戦争を学ぶべきだと思うわ

 

比較として地震を持ってこようとして調べたんだけど

災害としての地震ってさ

1896年 明治三陸地震

1923年 関東大震災

1995年 阪神淡路大震災

2011年 東日本大震災

だいぶ飛び飛びなんだよね、昭和割りと奇跡だったんだな

あ、てか関東大震災からちょうど100年か

なんか色々イベントやるらしい、シンポジウムとか

2022-12-30

正月の歌は年末しか歌えないというバグ

正月の歌と言えば、これ。

『お正月

もういくつねると お正月

正月には 凧揚げ

こまをまわして 遊びましょう

はやく来い来い お正月

https://www.uta-net.com/song/8431/ より引用


この歌、子供の頃からずーっと思ってたんだけど、「正月の数日前」の歌なんだよ。

から正月には歌えない。

なんでこんなことになってんだ?バグか?

歌詞書いたやつのミスなのでは?

そう思って少し調べた。

まずこの曲の作曲者は、あの瀧廉太郎!(名前だけはなんか知ってる!)

どうやら、荒城の月や花(春のうららの〜隅田川〜)などの作曲者みたいだ。

なんかすごい。

それで、作詞は東くめという女性

東くめとその夫、あと瀧廉太郎らが「子供でもわかりやすい歌を」というコンセプトで作ったようだ。

作られたのは1901年明治34年)。

120年以上も前!歴史あるんだなぁ。

今まで文語体だった子供向けの歌を口語体で作ったという、当時としては画期的な歌だったそうだ。

それで、なぜこの歌が流行たか

正月楽しいものではあるが、当時はさらに楽しみがあった。

当時は数え年だったから、正月に一歳年を取るんだ。

から正月誕生日が同時に来るので、子供はことさら楽しみだったみたいだ。

(ちなみに数え年がなくなったのは戦後

じゃあ、なぜその正月を祝う文化が廃れたのか?

数え年ではなくなったことも一つの理由だが、大きな理由はこれらしい。

クリスマス」の存在だ。

クリスマス日本に広まったのは明治になってから

1904年銀座明治屋がクリスマスツリーを店頭に飾り、1910年に不二屋がクリスマスケーキを発売。

その後昭和初期に、大正天皇誕生日である12月25日休みになった。

この休日により、クリスマスさらに広まったんだって

(それなら今の12月23日と合わせてクリスマス連休にしてほしいところだ)

まりクリスマスを祝う慣習が生まれたので、お正月歌詞現実から離れていったようだ。

こう見ていくと、お正月の歌が年末しか歌えないのはバグではなく、時代の流れだということが分かる。

瀧廉太郎は無実だった。誰も悪くなかった。


最後に、昔流行った替え歌で締めたい。

もういくつ寝ると お正月

正月には餅食って 腹を壊して死んじゃった

早くこいこい 霊柩車

不謹慎すぎてひく。ここに書くのもためらったが、当時のオリジナリティ尊重して載せた。

これも今じゃ子供も歌わないだろうな。

つくづく時代の変化を感じる令和の年末

2022-05-05

ドナルド・ヘッブにノーベル賞が与えられていない件に関して

過去に、脳科学神経科学発見に対して、ノーベル医学生理学賞がそれなりに与えられているのに対し、もっとも基礎的かつ重要発見と私には思われるヘッブ則を提唱したヘッブにノーベル賞が与えられていないことは意外に思う。恥を偲んで告白すると、私自もつい先ほど、仕事の合間にネット検索で逃避していた際に知ったばかりで、このように増田に書いているのである

例えば、ゴルジとカハール(1906)からまり、「ニューロンから脳へ」の確か最初の章で紹介されてたイカ軸索研究によるホジキンとハクスレー(1963)、分離脳のロジャー・スペリー(1981)、エリックカンデル(2000)あたりが貰ってる。今調べながら知ったが、パブロフも貰ってるし、ヒューベルウィーゼルも貰ってる。Wikipediaで見てると、神経科学系でほかに私の知らん人もそれなりに貰ってる。医学生理学賞ではないが確かヘルムホルツも貰ってる。だが、ヘッブは貰ってない。

ヘッブが受賞できなかった理由素人の私には分からないのだが、近年のディープラーニングでのイントロダクションで「まくら」としてヘビアンラーニング引用される割には、神経科学のもの領域では評価が高くないのかもしれない。そんなことありえるのかな。

1904年まれ1985年没のヘッブが、時代に対して「早すぎた」ということはあるのかもしれない。それにしても、晩年にはパーセプトロンとかニューラルネットワークとかそういうので、AIいけるやん!って当時の人々は盛り上がってた筈なので、やっぱりなんでだろうという気はする。

2021-06-04

吉田茂の経歴って今だったらめっちゃ叩かれてるよな

1894年日本中入学中退(16歳)

1895年高等商業入学中退17歳

1896年正則尋常中学入学卒業東京物理学入学中退慶應義塾入学中退(18歳)

1897年学習院高等科入学(19歳)

1901年学習院高等科卒業学習院大学入学23歳)

1904年学習院大学卒業東京帝大入学(26歳)

1906年東京大卒業(28歳)

ていうか現代に生まれたらこの堪え性のない経歴と年齢の時点でロクな仕事に就けないはず

2021-02-01

社会学は滅びるべきなのか

 以下の文章は、社会学客観性が無いか学問の体をなしていないか解体すべき、という暴論を見かけて、趣味社会学を学んでいる人間イラッとして書き散らしたものです。専門家によるまともな読み物としては、盛山和夫社会学方法立場: 客観性とはなにか』(2013)、佐藤俊樹社会学方法――その歴史構造』(2011)(たまたまですがどっちも東大系の人ですね)、あるいは以下で紹介する「客観性論文」やそれ関係論文などがあります。ちなみに「岩波科学科学論文」の人に関しては擁護のしようも無いと思います

 たとえば、この宇宙スパゲッティモンスターによって創作されたという誤ったイデオロギーを抱えた科学者がダイナマイト発明したとして、ダイナマイトは誤った発明であるとか、あまつさえ存在しないということにはなりません。それはそれ、これはこれ、という態度が科学的というものでしょう。しかし、誤ったイデオロギー社会学者が抱えることは望ましくないとされます。なぜでしょうか。

 それは社会社会問題が、原子DNAが「存在する」のと同じ意味では「存在する」と言えないことに根本的な原因があります。たとえばホームレス現在社会においては色々な意味問題とされていますしかし、ホームレス人類の定住以前においては間違いなく問題概念として存在していませんでしたし、中世近世においても今日と全く同じ問題としては存在しなかったことでしょう。原子がこの宇宙の始まりから今と同じように存在していたのとは対照的です。ホームレスを扱う社会学が、物理学生物学と比べて胡乱なものに見えがちな理由はここにあります。誤ったイデオロギーを抱えた社会学者は誤ったもの存在するとみなしてしまいかねないのですね。

 しかしだからといって、今日ホームレス問題としてまったく「存在しない」と言い切ることはできないのもまた確かな実感でしょう。原子の「存在」とは別の意味とはいえ社会社会問題は確かに存在」する、と言いたくなります。「実在」と「非実在」のあいだの独特な在り方。社会学者はそのことを「社会実在」のような言葉で表してきました。これはいかにも怪しい物に思われますしか今日における我々が「ホームレスになりたくない」、「ホームレスが怖い」、あるいは「そうしたホームレスに対する差別的見方こそが問題なのだ」と思っているのもまた確かなことです。およそ100年前、そのことを単に思うだけでなく、その思い自体を当時隆盛しつつあった科学方法分析しようと考えた人々がいました。

 マックス・ウェーバーの「社会科学社会政策にかかわる認識の『客観性』」(以下、客観性論文)という1904年論文がありますウェーバー社会学におけるビートルズであり、この論文イエスタデイくらいの重要さと著名さを誇ります。要するに、まともに社会学をやっていればなんとなくは知っているべきもの、という位置づけでしょう。(ちなみにLet it beは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。読んでいないのは許されない)

 とか言いながら私は手元にその本が無いので、ネット記述に頼りつつ思い出した記憶で以下のことを書くことをお許しください。

 ウェーバー客観性論文のなかで社会学者がよって立つべき「価値自由」という概念提唱します。この主張はしばしば「価値判断をしてはならない」とか「価値判断に影響されないデータだけを虚心に扱うべきである」といった主張として誤解されていますしかしそうではなくウェーバーはここで「社会学者もまた人間である以上、何かの価値判断を持ってしまうことは避けられない。そして価値判断は時として認識を狂わせる。しかしだからこそ、社会科学的に取り扱う社会学者は価値判断認識区別しなければならない。そのためには自分の持っている価値判断に対して敏感でなければならないのだ」といったことを主張していたはずです、たぶん。客観性論文については多様な読解や批判がなされている(上に私の手元にその論文が無い)ので客観性論文の内容についてはこれ以上立ち入らないことにします。以下ではその代わりに、客観性論文に関する微かな記憶を頼りにしながら、社会学客観性について考えてみたいと思います

 たとえば次のような主張がなされることがあります。「数字は嘘をつかないが、数字を使う人(社会学者!)は嘘をつく」。けだし名言でしょう。しかし、社会学であるならばもっと深く考えなければなりません。ここでは「ホームレスの人数」について考えてみましょう。ここで名言に従って単純に考えるのであれば次のようになるでしょう。ホームレスの人数は、数学物理における定数のように誤ることなく(それを測り間違うことはあるかもしれないが)存在しているが、それを多いとか少ないとか、それを減らすべきだとか主張する人は誤ることがある、と。

 後半は確かにそうでしょう。しかし、前半は間違っています。たとえば、日本政府ホームレスについての統計を発表していますしかし「国民税金を使ってホームレスの人数を数えよう」という時点ですでに何かしらの価値判断が働いています。そのことは政府サイトに「ホームレス実態に関する全国調査」が載っていて、「鼻くそをほじって鼻血を出した人の実態に関する全国調査」が載っていないことを考えてみればわかるでしょう。こうした極論を言うと、「どちらも数字としては存在するが、後者はただ(未発見物理性質のように)見つかっていないだけだ」と言われるかもしれません。しかしたとえば日本政府ホームレスに関する調査は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法第2条に規定する「都市公園河川道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」」を対象にして行われているようですが、ここからはいわゆる「ネットカフェ難民」がその統計から漏れています。これは単なる「測り間違い」なのでしょうか。そうではありません。「ネットカフェ難民」をホームレスに入れるべきか、あるいはそもそもネットカフェ難民」をそもそも問題」とすべきかこそが、ひとつ価値判断であるのです。「ネットカフェ難民」を入れたホームレスの人数と入れないホームレスの人数、どちらが正しいでしょうか?それは重力加速度として2m/s^2と9.8m/s^2のどちらがより正しいか、という問いのようには答えが出そうにありません。

 社会についての数字は、自然科学における定数のようには存在しないのです。つまり社会における事実は、自然科学における事実のようには存在しません。そのような状況で、いかにして社会科学的に扱うことができるでしょうか?

 もしかしたらそもそも可能かを問う以前に、そんなことを目指す必要があるのか疑問に思う人がいるかもしれません。あるいはより直裁に「社会科学的に扱う学問社会学って何の役に立つの?」と聞かれることはしばしばあります。それには多様な答えがありうるでしょうが、私は次のように答えることにしています。「何かの役に立つわけでもないのにやらずにはいられないのが科学の出発点なのだ」と。人間が持つ認識能力や、何かを書く/描く、喋るといった能力は、生存する上での必要から発達したはずです。自分の周囲を見渡す能力や、自分が見た物事他者に伝える能力は、それを持っていない種よりも生存上の有利をもたらしたことでしょう。しか人間は、その必要性を越え出たところまでその能力を、あるいはその能力によって生み出すものを発達させました。それは、芸術とか哲学とか、あるいは科学とか呼ばれるものです。存在しない風景を描くことに、どんな必要性があるでしょうか?死後の世界を思い描くことに、どんな必要性があるでしょうか?そして宇宙の星々の表面を調べることに、どんな必要性があるでしょうか?こういうことを言うと、次のように返されるかもしれません。「芸術哲学生存に不必要かもしれないが、いまのわれわれは科学無しには生きられないではないか」と。まあ、確かにそうです。でも、それは科学根本的な不必要性を否定するものではありません。人間ホモサピエンスは、ニュートン万有引力発見する以前からずっと世界覇者であったではないですか?それでもニュートン万有引力発見したのは、「世界のことをもっとよく知りたい」という、ただ生きるためには不必要知的欲求、こういってよければ人間特有本能からであったはずです。「ただ生きる」ことに飽き足りないのが今の人間であり、そうした人間が生み出したのが芸術哲学科学です。そのうちの科学欲求が、これまた不必要に複雑化した社会のありように向かうことも、私は自然なことだと思っています。先のような問いをする人には、正直に言えば「なぜあなた社会について科学的に分析したいと思わないでただ生きていられるのですか?」と私なんかは思うのですが、これはさすがに社会学に頭をやられてしまった奴の意見でしょう。ほかの社会学者はもっとうまく説明することができるはずです。まあ、そんな可哀想な奴もいるんだなと思っておいてください。でも実際、「社会に対する科学認識って必要?」と言われたら、究極のところ「認識したいんだから仕方ないじゃん?」としか私は返せません。なのでこの問題放置して次の段落に向かいます

 さて、いか社会科学的に扱うことができるかという問題でした。その問題は、社会に「存在する」もの数字が、ふつう科学が扱うもの数字と同じようには「存在しない」、というところから発生しているのでした。より明確に言えば、社会実在は、それを観測する人や社会価値判断を抜きにしては存在し得ないという独特の性質を持ちます。たとえば「ネットカフェ難民」は、ここ二十年ほどの日本労働環境ネットカフェの事情抜きには科学的な意味で「存在しませんでしたし、さらに言えば科学的な意味で「存在」していても、支援団体の人々などが発見ニュース等で取り上げられるまでは社会的に「存在」しえませんでしたし、いまだに政府ホームレス統計には「存在」していない、という状況にあります。そのことは万有引力宇宙の始まり以来、ニュートン発見しようとしまいと科学的な意味で「存在」していた、あるいは今現在未知の物理現象生物現象が、まだ発見されていないだけですでに世界のうちに「存在」していることとは対照的です。

 価値判断抜きで存在し得ない対象を、いか科学的に扱うか。それこそがウエーバー客観性論文のなかで考えたことでした。ここでよくある誤解は、そして絶対に避けられるべきなのは、「社会実在は実は価値判断抜きに存在しうる」と考えたり「価値判断抜きで存在するもの社会学は扱うべきだ」と考えたりすることです。前者が存在しないことはすでに説明しました。社会実在は――それが単なる数字統計であっても――価値判断抜きには存在し得ません。であるからして、後者社会学根本的に否定する思想です。そういう価値判断に影響されざるを得ないもの、すなわち社会社会実在をよりよく知りたいと考えるのが社会学なのですから。それを否定する人に対しては何も言えないということはすでに述べました(あくまで私個人からは、の話ですが。ほかの社会学者はもっとうまく説得するかもしれません)。

 そこでウェーバーが述べたのが「価値自由」でした。社会学者は自分価値判断をわかっていなければならない。より分かりにくく論文に忠実な言い方で言えば、「存在する」ことと「存在するべき」ことを区別しなければならず、科学は「存在する」ことしか明らかにできない。このウェーバーの主張に対しては、それもまたひとつ価値判断ではないか、という主張を投げかけることが可能ですし、一見ただのいちゃもんに見えるその問いは、社会学の中で大真面目に議論されてきました。私の見たところ、この問題は答えが出ない種類の問いなので、取り扱わないことにします。いいじゃないですか、どんな学問だってドグマの一つくらいありますよ。それより重要なのは、「自分価値判断をわかる」ことが、本当に社会実在を扱う上での十分条件であるのか、ということです。それが必要条件であるのは確かにそうであると思います。ある社会学者が「ホームレス問題についての社会学分析」という論文を書くとして(テーマが広すぎますがそれは置いておいて)、その人が「自分ホームレスを望ましい人間の在り方ではないと考えている」とか「というかホームレス気持ち悪い」とか「ネットカフェ難民をホームレスに含めていない日本政府問題である」とかい自分価値判断自覚していなければ、それは社会学研究として成り立たないでしょう。しかし、それだけで十分なのか。社会実在というものは、もっと慎重に取り扱わなければならないものではないか。(実際、客観性論文より後の後期ウェーバーも、そう考えて「理解」を社会実在根本に据えたと私は理解しています[詳しくないので間違っているかもしれません])

 と、ここまで書いて疲れたので一旦筆を置きます。続きは最初に挙げた二冊を読んでください。でも、ここまで読んでくださったあなたに問いたいのですが、私の書いたことは多少なりとも興味深くはなかったですか。社会学はこのような根本的な問いを抱えながら成長してきましたし、まだその途中にあるのかもしれません。私の考えるまともな社会学者はこの文章における中心的な問い「社会実在とはどのようなものか?」に対する、この文章以上に説得的な答えをそれぞれ持っています。そこが人によって違っていいのか、と思われるかもしれません。もしかしたらそこが社会学の駄目なところかもしれません。しかし、おおよその社会学者は確かにウェーバーや(この文章では触れませんでしたが)デュルケームなどが作った社会学歴史の上で考えている、という点では一致していると思います。それこそが社会学共通性であり、知的伝統であるとみなしてはもらえないでしょうか。よろしくお願いします。

2020-03-07

どうして肛門圧縮空気を入れるのが好きなの?

2018年

同社に勤務する石丸秋夫さん(46)の尻に向け、業務用『エアコンプレッサー』の空気吹きつけて死亡させたとして、県警竜ケ崎署は翌14日、12歳年下の同僚・吉田佳志容疑者(34)を傷害致死の疑いで逮捕した。

2020年

エアコンプレッサー(空気圧縮機)で同僚の体内に空気を入れて負傷させたとして、茨城県警神栖署は7日、同県鹿嶋市宮中会社員高橋直樹容疑者(41)を傷害容疑で逮捕した。容疑を認めている。

2017年

同僚の肛門業務エアーコンプレッサー空気を注入して死亡させたとして、埼玉県警杉戸署が17日、傷害致死の容疑で従業員である男性(47)と、日系ペルー人男性(36)を逮捕したことがわかった。

学会誌より

圧縮空気の経肛門的挿入による大腸損傷は,Stoneによって1904年に初めて報告された1).

圧縮空気」「エアコンプレッサー」「エアーブロワー」をキーワード

2018年11月までで医中誌を検索したところ,本邦では小林2)によって1927年に初めて報告され,

若原ら3),木下ら4)が本邦での報告例についてまとめ,以後の報告例5)~9)を含めると,

22例の報告を認めた.性別は全て男性で,平均年齢は35.6歳と比較若い男性に多い.

2019-11-25

少し面白い清涼飲料水の話

一般社団法人 全国清涼飲料連合会 作成の 「清涼飲料水歴史

http://j-sda.or.jp/drinkhistory/img/nenpyou.pdf

サイダー語源シードル(CIDRE)(といわれている)

シードル林檎(系、梨なども含むらしい)原料を発行させて作ったアルコール飲料。発泡性・非発泡性両方あるが、発泡性のもの念頭にあるのだろう。

王冠が使用され始めてからサイダーは王冠ものラムネラムネものという区別になった(1904年ごろ)

1954年飲料登場

明治製菓(株)(現:(株)明治)が「天然オレンジジュース」を東京限定で発売。

1961年 噴水型自販機登場 「オアシス」の名で知られる画期的な噴水型のジュース自販機を発売。爆発的なヒットになりました。

参考動画 噴水ジュース自販機  大田彼岸市 さんべ食品工業 https://youtu.be/e-_Vp_SFxeI?t=113

混ぜるための噴水なのかな?それなりに回転しないと酸化してアレなことになりそうとかいう余計な心配をしてしま

(資料外)チューペットの発売開始は1975年

真ん中で折れるようにしてからヒットしたらしい。(本家は2009生産終了済)

ポリ容器入り清涼飲料水ともいわれるので言及

1967年 缶のプルトップ登場

これまでは缶切り等で開けてたとのこと

1980年 スポーツドリンクのはじまり

ポカリスエット発売

1982年 PETボトル登場

当初はゴミ懸念小口モノには使用されなかったとのこと。このへんから記憶がある。1.5/2リットルなどデカのし最初は無かったんだよね

1992年 自販機110円に値上げ

1996年 国産小型PETボトル登場

500mlPETボトル登場

1998年 自販機120円に値上げ

2011年 東日本大震災PETボトルキャップ業界統一で白無地化

3.11キャップ工場被災しての話とのこと。2か月ほどの措置だったみたい

(資料外) 清涼飲料水とは

清涼飲料水とは、アルコール飲料(日本法律上含有量1%以上)や乳性飲料(乳由来とか、乳酸菌飲料)以外の飲料

ミネラルウォータースパークリングウォーターも含まれる。ただし味やフレーバーを付けた時点でミネラルウォーターは名乗れなくなる。(http://www.iph.osaka.jp/s010/030/020/080/010/20180108034000.html 下部の図1. 清涼飲料水の分類参照)

英語でいうとrefreshing beverage。まぁ普通に考えるとこれの訳なんだろうな(詳しくは調べてない)。

以上、なんとなく面白かったので少しまとめてみた。

2018-11-03

韓国の88歳の大学教授ハングルで書いた文章です。日本語訳します。

韓国の88歳の大学教授ハングルで書いた文章です。日本語訳します。

http://yeoksa.blog.fc2.com/page-0.html

"私は88才です。 もう事実を話したいと思います。" [チェ・キホ伽耶大学客員教授]

朝鮮末期の私は1923年の生まれです。もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います

それは相当な覚悟必要です。生命危険覚悟していますしかし、これは私の使命であると信じています

私はソウルに住んでいました。 そして、時々、平壌東京に行きました。

その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。劇場に行けば映画の前に、戦争ニュースがありました。

例えばニューギニア日本が勝った映像が流れ、拍手万歳暴風雨でした。

私は映画が好きで、東京にも行きましたが、日本人は冷静でした。

しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。 それが普通の姿でした。

なので「親日派」という言葉使用できません。その「使用できない言葉」を使って、先祖まで批判しています

「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。

韓国日本歴史教育比較すると、日本10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。

朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています

韓日合邦によって「教育」医療」 「工業」 「社会インフラ」が整備されました。

近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。

その実績を「日本帝国主義の侵略政策産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます

より一層「日帝民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります

民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。 近代化を主張する先進的な思想家は反逆者とし、親族までも処刑されました。

韓国人は「日帝虐待! 性奴隷!」と叫んでいますが、私は信じることができません。 歴史真実を知っているためです。

朝鮮末期は「地獄」でした。 それは大韓帝国時代になっても同じでした。

1904年日本朝鮮惨状を救うために、財政支援決断します。

例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが、歳出は3000万円以上でした。

その差額は日本負担していました。 1908年にはより一層増加し、3100万円を支出しています

現在88才の老人の絶叫です。 どう思われますか?

2018-09-06

anond:20180906231554

崩壊しなくてもダム作った時点で100年近寄れないよ

宮城第一水力発電所とか1904年運用開始だし、まさに100年近寄れなかった発電所やな

2018-04-07

anond:20180407012453

※詳細版

神話時代天照大神岩戸に隠れて真っ暗!!この世の終わりだ!

7世紀白村江の戦いに負けてしまった!唐の大軍が攻めてくるぞ!!

10世紀平将門藤原純友の反乱で日本オワタ!!

11世紀末法の到来だ!!平安京では疫病が流行してる!

13世紀蒙古が攻めてくるぞ!日本は滅亡だ!

15世紀応仁の乱で京の都オワタ!!乱世で世も末だ!

19世紀黒船キター!!日本欧米列強植民地にされるぞ!!

1904年日露戦争に負けたら日本滅亡だー!!

1920年代不況で娘は身売りせんとあかん昭和維新せな日本は滅亡や!

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1945年大東亜戦争が敗北に終わるなんて!日本はもう滅亡だぁああああ

1950年日本でも共産革命が起きるぞ!ヤバイヤバイヤバイ

1960年:米ソ核戦争が起きて日本も巻き込まれるぞ!ヤバイヤバイヤバイ

第2次ベビーブーム:このままじゃ人口増加で資源と食料がヤバイヤバイヤバイ

1973年石油ショック高度経済成長が終わった!日本はもうおしまいだ!

1980年代ソ連アカが攻めてくるぞ!!攻めてくるぞ!!

1989年:今のバブル景気まやかしだ!道徳的堕落した日本は滅亡する!

1991年:そら見ろバブル崩壊した!!驕った日本人に罰が当たったんだ!!

1995年阪神大震災地下鉄サリン事件日本滅亡が始まったぞ!!

1998年北朝鮮弾道ミサイルを開発した!今すぐ戦争になるぞ!!

1999年ノストラダムスの大予言ガー

2001年911テロガー

2003年イラク戦争が第3次世界大戦のはじまりだー!!

2011年福島原発事故ガー

2017年4月4月中に北朝鮮戦争が始まる!!

2017年5月5月中に北朝鮮戦争が始まる!!

2017年6月以降:年内に北朝鮮戦争が始まる!!

2017年12月以降:来年北朝鮮戦争が始まる!!

2020年:○○で日本は滅亡する!!

2033年:××で日本は滅亡する!!

2050年:△△で日本はもうおしまいだー!!

2100年:■■が起きた!今度こそ日本は滅亡だ!!

3000年:◇◇で今度こそ日本オワタ!!

無限に続く予定

2018-02-18

モンハンに出てきそうなクラシック作曲家

獣竜種 砕竜 ヴォルフガング(1756年 - 1791年オーストリア

獣竜種 尾槌竜 ドヴォルザーク(1841年 - 1904年チェコ

獣竜種 恐暴竜 イヴァノヴィッチ(1845年 - 1902年ルーマニア

飛竜種 火竜 シベリウス1865年 - 1957年フィンランド

飛竜種 角竜 ディアギレフ(1872年 - 1929年ロシア

古龍種 天彗龍 バルトーク1881年 - 1945年ハンガリー

鳥竜種 彩鳥 フィリペンコ(1912年 - 1983年ロシア

2016-07-25

バスケットボールを指で回す理由

ふと疑問に思ったんだが、よくバスケットボール人差し指の上で回す人がいるじゃん

でもあれって試合では必要のない技術だと思うんだ

人差し指一本でボールを扱うことなんてないだろう

それになぜ他のバレーボールなどではああいうことをしないのか

実はこんな歴史があったというウソが思いついたので書いてみようと思う

時は1904年バスケットボールというスポーツが生まれから10年少々しか経っていない頃のお話

黎明期ということで例えばボールを持ったまま歩けるのは5歩まで、チームの人数は8人などと、今のバスケットボールとは大きく違っていた

アメリカ・NBCAリーグミッドランドロックハウンズは5チームのリーグ中5位、シーズン開始から10連敗中だった

なんとかこの状況を打破しようと、当時のグアダルーペ・ビクトリア監督は秘策を思いついた

その作戦の実行は、1904年9月7日リーグ首位で独走するグレートレイクス・ルーンズとの試合でだった

試合開始のジャンプボールボールを奪ったロックハウンズのチャールズ・タッパーはなんとボール人差し指の上でくるくると回し、そのままゴールへ向け走り出した

呆気にとられたルーンズだが、ひとまずボールを奪いに行く

しかしタッパーはボールを乗せた指を高く掲げ、相手守備を華麗にかわす

そしてそのままシュート

ルーンズの監督は当然審判へ抗議に行く

しか得点は認められたままだった

当時のルールには「ボールを持ったまま」歩けるのは5歩まで、と書いてある

まり、指の上に乗せているだけなので、トラベリングには該当しないというのだ

前の試合が終わってからずっとボール回しの練習だけを続けていたロックハウンズ、この後も順調に得点をあげていく

ロックハウンズのまさか作戦に焦ったルーンズの選手ボール回しを真似してみたが、そう簡単にはできず、ボールをこぼし相手に奪われてしま

試合は終始ロックハウンズペースで進み、結局104-71という大差で終わった

1年後に当時の大統領から「これはバスケットボールではない」と申し立てがありボール回しは禁止になったが、ロックハウンズの奇策は伝説として語られ、いまだにバスケットボールプレーヤーの間ではボール回しはクールプレイとして人気を博している

2009-10-20

吾妻ひでお萌えの始祖ではない。

吾妻ひでおけいおん観た。空虚だ。何もない。作る方も観る方もそんなに現実イヤか?」:アルファルファモザイク

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51518538.html

吾妻ひでおアニメけいおん」に熱中するような人たちとは相容れないところがある。アニメ漫画(あるいは映画音楽文学など)作品に求めるものが違うのだ。いったい吾妻ひでおのような人種漫画などの作品に何を求めるのか?そのあたりの事を作家カフカが実に的確に表現している文章がある。

僕は、およそ自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。僕たちの読んでいる本が、頭蓋のてっぺんに拳の一撃を加えて僕たちを目覚ませる事がないとしたら、それではなんのために僕たちは本を読むのか?君の書いているように、僕たちを幸福にするためにか?いやはや、本がなかったら、僕たちはかえってそれこそ幸福になるのではないか、そして僕たちを幸福にするような本は、いざとなれば自分で書けるのではないか。しかし僕たちが必要とするのは、僕たちをひどく痛めつける不幸のように、僕たちが自分よりも愛していた人の死のように、すべての人間から引き離されて森のなかに追放されたときのように、そして自殺のように、僕たちに作用するような本である。本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う。

フランツ・カフカオスカー・ポラック宛(1904年1月27日)』より※1

吾妻ひでおの作品を読んだことがある方はご存知だと思うが、一見かわいい女の子がたくさん登場し、時には夢うつつのような世界が描かれる彼の作品は、実はあまり登場人物に感情移入をしたり作品の世界に安易に浸って気持ちよく癒されるような種類のものではない。徹底的に情緒を排し、醒めた意識によって構築された作品なのである。そして彼は基本的には、熱心なSF者らしく、今まで見たことのないような世界を作品によって作り出してやるという気概をもって創作に取り組むようなタイプ作家である。

あえて乱暴に言うと萌えアニメに感動しているのは単に(吾妻が指摘するように)フェティシズム情緒に浸っているにすぎない。子犬が死んだら泣く式の条件反射だ。韓流ドラマに興奮するおばちゃんと一緒だ。傷つかない、ゆるふわ世界で気持ちよくなりたいだけだ。作る方にも読む方にも冒険強要する吾妻ひでお(やカフカ)のような人種がやっている試みとは別の世界なのであり、萌えを求める人たちにとって、そのような冒険などは作品に必要ない要素なのだ。

吾妻ひでお「でも俺は描く前にもうひとつ考えるよ。マンガとは何かと。」

とりみき 「と言いますと。」

吾妻ひでおマンガはこれでいいんだろうかということを1時間ぐらい考えて、それで明日締切りだからとりあえず描き始めるわけ。」

とりみき 「自分マンガはこれでいいんだろうかということですか、それとも……。」

吾妻ひでおマンガという表現がこれでいいんだろうか、まだ何かやれることがあるんじゃないか、というのを。」

『失踪するなら家のローンが終わってから』より※2


※1フランツ・カフカ著・吉田仙太郎訳(1981)『決定版カフカ全集第9巻・手紙 1902-1924』新潮社(P.25〜)

※2とりみき他著(1997)『マンガ家秘密 とり・みき&人気作家9人の本音トーク』徳間書店(P.265〜)

 
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