はてなキーワード: 暖かいとは
つい先日、一緒に暮らしていた文鳥が落鳥した。落鳥という言葉は一般的なのかな?平たく言うと、死んだ。5歳なので、中年からおじいちゃんに差し掛かったあたりのイメージだと思う。風邪からの炎症がひどくなっていて、冬の換羽を乗り切れなかった。
いつものように仕事から帰宅して枝の上にいるはずの文鳥に「ただいま」を言おうとしたら、いるはずの場所におらず、ケージの網の上に横たわっていた。見た瞬間「あ、これはもう生きてないな……」と分かったけど、現実をうまく受け止めることができず、ケージから亡骸を出して手の上で温めたりふわふわの羽で包まれた体を撫でたりしていた。しばらくして冷静に観察して嘴が少し黒くなってきていること、足の指に血が通っている気配がないことを確認して、全部終わったのだときちんと頭で理解することができた。「コンビニで買ってきた晩御飯、温めてもらったしな……食べないと冷めちゃうし……」と思って、亡骸を綺麗な白いタオルハンカチの上に乗せて、まずは落ち着こうと思ってご飯を食べた。当人はその時はいたって冷静なつもりだったけど、今考えると全く冷静じゃないな……。
ご飯を食べ終わって、恋人に報告しなきゃと思ってLINEを送った。すぐに折り返しの電話があって、状況を冷静に伝えようと喋り始めたところでボロボロと涙が出てきた。父親が亡くなった時は涙ひとつこぼさなかったのに、多分人生で一番泣いたんじゃないかな。電話を切ったあと、ネットで文鳥の火葬の方法や火葬するまでの保存の方法について調べた。冷蔵庫に入れておくとしばらく保つと書いてあったので、申し訳ないけど週末まで冷蔵庫に入っていてもらうことにした。
翌日は「家の事情で」と会社に連絡して午前半休をもらって、火葬の依頼の電話をした。なんでか、電話をするまでに随分時間がかかった。かけるまでの間にまたちょっと泣いたりしていた。仕事が忙しい時期だったのでなんとか気持ちを切り替えて平日を乗り切って、ようやく昨日、火葬して送り出すことができた。
思えば一緒に暮らした4年半くらいの間、ずっと文鳥に支えていてもらったように思う。人生において一番シンドい出来事が起こったときに、ペットショップで予約していた文鳥が「一人餌(自分で餌を食べられるようになること)になったから引き取りに来てください」と連絡があった。タイミングが良すぎて、運命かな?と思った。
初めて我が家にやってきた文鳥は慣れない場所に戸惑って、ずっとまんじりともせず動かずに無表情だった。餌も食べず水も飲まないから(文鳥は警戒心がとても強い)「大丈夫かな……」と、文鳥が神経質にならないよう布団の中に隠れてずっと観察をしていた。ようやく餌をついばみ始めたときに「やっと大丈夫だー!」と、ホッとしたのを覚えている。
家に来てしばらくして下手くそな歌の練習を始めて、ようやくちゃんとオスだと分かった(大まかなオスメスの見分け方はあるけど、ちゃんと分かるのはオスは求愛ダンスを踊ったとき、メスは卵を産んだときだと思う)。幼い時は手の中が大好きで、放っておくと手の中に無理やり入りこんできた。大きくなってからは相変わらず手が好きで、でも幼い頃ほどではなく、たまに「仕方ない、入っててやるか……」と握られてやってる感を出すこともあった。春も、夏も、秋も、冬も一緒で、仕事が終わって帰ってきたら放鳥して毎日必ず遊んだ。IT戦士の家庭なので、他所の文鳥より生活が不規則ではあったけど(すまん、文鳥)、仕事から帰宅すると大体「出せー」と言わんばかりにチュンチュン鳴いた。
「毎日一緒に遊ぶ時間とられて、自由になる時間が少なくなる」とか、
「飲んで帰った日も文鳥のお世話しないと」とか、
そう思ったことがなかったわけじゃないけど、でも、そういうんじゃないんだよ。いなくなったら意味ないじゃん。なんなんだよー、ちくしょう。ちょっと落ち着いたと思っていたけど、また涙目になってきた。
こうやってここに書いたのは、なんとなく今日の気持ちをどこかに残しておきたかったのと、気持ちを整理して日常を取り戻したかったから。辛くて悲しくても、腹は減るし、時は進むし、働かなくちゃ食っていけないし。日常をどうにかして「やっていく」しかない。
飲酒をしながらこれを書いてる。こんなに長い文章あんま読んでもらえないだろうけど、もし読んでくれる人がいたならありがとうと言いたい。
今まで一緒にいてくれた文鳥には、ただただ感謝しかない。本当にありがとう。「10歳を超える長寿の子も!」と言われる中、長生きさせてあげられなくてごめんなさい。夢の中にも出てきてくれてもいいよ。お盆に帰ってきてくれてもいいよ。四十九日までの間はケージは片付けないでおくから、帰ってきたら揺らして知らせてほしい。(でも実際やられるとホラーだしビビりそう……)
自分が死んだら虹の橋でもう一度会えるはずなので。それまでの間、もうちょい待ってて。またね、文鳥。
初の増田投稿なのにこんなにたくさんの人に暖かい言葉をもらえてとてもありがたい。全部のコメント読ませてもらってます。
四十九日待たずあの世に行ける、というのはホントに良い情報でした。1分1秒でも早く文鳥がハッピーになれるなら、それは何より素晴らしいことだし。
死に目にあいたかったなと思っていたけど、その瞬間を看取る辛さもあるんだね……。
これだけは言っておかねば。文鳥と暮らした日々、「こうすれば良かった」「ああすれば良かった」という後悔はあれど、お迎えしたことを後悔したことは一度も無いです。また将来一緒に暮らしたいなという気持ちはあるけど、まあ当面はないかな……。
とりあえず文鳥へのご奉公が終わったらしようと思っていた、二泊以上の旅行に行こうかなと今は思ってる。ハワイ行きたいんだよな、野生の文鳥いるし。色んなところに行って、後々にウチの文鳥にその感想を伝えたい。
TOEICを受けてきた。
受付開始と同時に会場の教室に入って準備万端。
横とおる度に、
鞄は通路と反対側に
傘は下におろして
傘はやっぱり足下に寝かせて
シャーシンは補充してケースは鞄にしまって
合計4回。
うるさーーーーーい!!!
そんなんね、一度通ったときに一回ですませてくれよ!
一々、通る度に声かけるのやめて!何のために早く着て勉強してると思ってんの?
なにが一番ムカついたかって、私の横で堂々とサンドイッチ食べてる男がいるのにそれに気づかないこと。(飲食禁止)
おまえ等の目は節穴か!!!
サンドイッチマンはちょうど壇上の試験官の目線の先に座って堂々とほおばってるのに!
試験前でただでさえぴりぴりしてるのにそんな妨害されてぶち切れ。
暖かい会場をでて、トイレの中で最後の足掻きを続行し、本番に挑む羽目になった。
ほんと最悪。
ほかの試験監督のバイトしたことあるけどこんなに細かいのTOEICだけだと思う。前回もここまでしつこくなかったし。なんか目を付けられてた?位いわれて最後は仏頂面。
横のサンドイッチマンの非常識にもムカついたので、リーディングテストはここぞとばかりに大きな音を立ててページをめくって威嚇。TOEIC高得点者なめんなよ?
直前まで控え室で落ち着いて過ごす。
私の場合はwifiがあればどこでも働けるので、大概、マックかスタバ、ファミレスか最近はコンビニのイートインにも出没。
ほとんどの人が兼業でやるコーチ職を私は本業にしたので、面談相手との時間との時間調節も苦ではない。
(暇なくせに、時間はきっちり指定。でないと時間がバラバラになって大変)
給与は地方で実家暮らしするには十分な金額。一応、家庭教師のバイトもしてるし。
贅沢はしないけど、古着屋で服買ったり、たまに旅行したりと身の丈な生活。
どの職場でも人間関係に悩んできた。ブラックあり、いじめ、パワハラなど、人間不信で鬱になりかけた私に今の人に会わずに出来る仕事は本当に天職!
(ずっと接客業だったんだけどね)
ストレスが無く時間もたっぷりあって、でも友達も彼氏もいないのが無念。
でもお陰で、ダイエットが出来た。
ずっと太ってて気にしてたけど、ストレスで過食に走り続けた私が、三食栄養バランスを考えた食事をとり、毎日一万歩歩いてエクササイズも取り入れる健康的な生活を始めて4ヶ月で7キロ減。
顔の輪郭と、眼の大きさが明らかに違うし、デニムも10CM位細くなった☆
それでも一人ライフは快適。
実家暮らしだけど、事情あって家では存在が抹消されてるので(苦笑)下宿人か座敷わらし状態。
ストレスだったけど、割り切ったら楽になった。
最近、弟の18年ものの中古車を5万円で譲り受けて、うれしくて乗り回す日々。
丘の上のカフェや海にいって読書したり、ものを書き散らしたり。暖かい季節は浜辺で仕事することも。
後は図書館で本借りたり、本屋で立ち読みしたり、モールで服みたり、古着屋で服買ったり、菜の花見に行ったり、新しいカフェを探したり、今度百均素材でイヤリング作ろうと思ってる。買うと高いし。
一番の楽しみは、古着とユニクロでそろえた服で毎日のコーデを作ること。流行を追うより、定番服を着回しながら、小物で自分の個性を加えるスタイルが好き。
誰にも見せるわけじゃないので、本当の意味で自由に好きな服をきている。
かわいい小物を持つようになったのもフリーになってから。職場でなめられないようにシンプルなものしか持たなかったけど、今は猫柄やらカラフルな文具やら、自分の好み爆発。クリアのPVCバックの中に入れてわざわざ見せびらかしながら持つのも楽しい(笑)
冬にバケツ型かごバックを持つのも新鮮。質のいいファーがついていて、大人が持っても上品。でも、コンサバな地方都市では目立つんだよな。みんなすごいカゴ見てた(笑)ショップの店員さんも凝視してたし。
ほぼ100%毎日、一人だし。
家庭教師で中高生やその親と話すのが数少ないコミュニケーションの場というね。
糞親に「ひきこもり」呼ばわりされたけど、一理あるかもなぁ。
コーチ職で食べていけるし、新しい生徒と関係を作るのが面倒で。。
ホント今までのフリーになるまでの生活が地獄だったから。二度と戻りたくない。コーチ職はだから真面目に取り組んでる。
37歳独身。
婚活始めるには遅いけど、時間に余裕もあるし多少は痩せたから、するべきなんだろうが。。。
やばいと思いつつ、今が本当に幸せで、これがずっと続くことはないと知ってるから今はこの状況を楽しみたいというか。
結婚線ないみたいだしね(苦笑)
老後の積み立てと年金はしっかり払っておこうと思ってる次第。
…そんな毎日を過ごしてるんです、はるねえさん。私が平日昼間からマックに入り浸ってるの、カウンターから心配げに見てるのは気づいてますが、大丈夫ですから!
※はるねえ:大学時代マックバイトでお世話になった女性。大人になって古巣のマックでまだ勤務していた彼女に再会。挨拶を交わすくらいの関係。
暖かい目で見守ってあげましょう。
彼はそろそろ結婚を考えており、条件が近い私に生活に必要なもの&ことを聞きたいそうだ。
都内で社会人数年目、結婚2年目の20代後半。子なし、共働き。2人ともIT系会社員。
自分たちの基準としては2DK以上。細かい条件は2階以上とか、洗面所独立とか。こういった条件はお互い出し合いつつ、スーモやホームズを見ながら少しずつ固めていった。
間取り図を見て家具配置を考えたところ、40平方メートル以上が条件に加わったりもした。
あとはお互いの職場からの距離と、予算で最寄り駅を決めて、数件の物件を内見し決定。
このあたりは普通の決め方だと思っている。
2DKで、ダイニング、寝室、作業部屋(机と本棚)みたいな構成になっている。
現状の反省点としては、使わない部屋ができていることだ。ダイニングにテーブルとTVを置いてあり、テーブルで作業したりご飯を食べているので作業部屋とは言ったが実質物置部屋だ。
大きいものは、TV、冷蔵庫、電子レンジ、トースター、炊飯器、ガステーブル、ポット、テーブル、棚類、空気清浄機、洗濯機、布団乾燥機
こだわった点は以下。
良かったのは、布団乾燥機で暖かい布団は冬最高なこと。また、ドラム式もきっちり乾くので平日日中に動かして、帰宅後に取り出している。
反省点としては、オーブントースターが便利なのでそこまでオーブン機能を使わないところと、冷蔵庫は350Lだと少し小さいと感じている点。
食洗機はまだ導入できていない。キッチンが狭いので置くところがない…
あとは最近自動調理鍋がほしい。共働きだと煮込む時間取りにくくない?
基本的には半分ずつだが、きっちり半分にしていない&妻のほうが気が利くので相当負担させてしまっている。この辺は反省点であり、できる限り自分からやるように心がけている。
見える化のために付箋によるカンバン方式を家事全般に導入検討中(後述)。
食事については、ご飯や味噌汁は用意している。メインは気が向いたときだけ作り、基本はスーパーのお惣菜。
昼は各自社食があるし、朝はグラノーラかパン。妻が早く起きると目玉焼きを焼いてくれるので好き。
土日はネットで気になった料理に挑戦してみたり、外食に行ったりする。
やっていること
うまく行っているのはTodo管理アプリとファイル共有。Todo管理では、洗剤や醤油、食べたいものなど何でも入れておき、帰宅時にどちらかが消化する。粒度を揃えたりせず、ざっくばらんに入れることで長続きしていると思う。
ファイル共有は主に購入したい家電と今住んでいる家を決定するときの比較表や、家計簿的なものが詰まっている。買ったときの所感が残っていると数年後の買い替え/住み替えに便利…と信じている。
うまく回っていないのはGoogleカレンダー。お互いそんなに出かけないので、把握できる量の予定しかなかったため自然と使わなくなった。仕事で遅い日は連絡とり合っているので問題なかったりする。もう少し複雑になってくるともっと必要になるのかも。
家事用カンバン付箋だが、これは最近始めたのだが割とうまく回り始めた(と思っている)。現在は大物(週1の風呂掃除など)を貼っておき、やったら剥がしていく。土日に何を片付けたかがわかりやすくなり、モチベーションも保ちやすい。
今後は1週間分の家事を付箋にしておくように拡張予定である。これにより、お互いどれくらい家事をやったか見える化が可能で、よく気が利く妻が負担していた家事を半々に持っていきたい。
あくまで私の家の現在の方法をまとめたわけで、今後子どもができたりするとまた変わっていくと思う。
1年に1回はこういう振り返りをして、改良策を出していきたい。
私は電話を予約し、女性が私に挨拶するマンションの部屋に行きました。
まず第一に、私は私の足から平らになり、暖かい油を塗ってそして私の子牛を愛撫します。
その後太もも。 内側に触れながら、指先が肛門の周りの領域を愛撫します。
その「カエルの足」の後。 セラフィ氏は足を脱ぎ、腕と手のひらを使って鼠径部を洗い流します。
手がペニスにぶつかるかぶつからないところ。 もうビンビンです。
その後、四つん這いになります。 4本すべてクロールしながら後ろから手を引いて、鼠径部を洗い流します。
私は呼吸を止めることはできません。 ハハ
突然帰ってきた。
その時まで私は知りません。
そして、まれに "some"があるときには "more"があります。
しかし、荒井博文。 最後にそれは受動的でなければなりません。
「絶望してはいけません、勝ちません、あなたはそれを少し与えることはできません」
私はやる気と性欲に溺れています、そしてマッサージのように風の中でセラピストに性行為をかけることはできません。
大きく悔い改めてあなたの罪を償いなさい。
要領悪いやつを暖かい目で見れないのも、多分人として当然の反応。
四年前に一回り年上の男性に酒の席に誘われ、酔った雰囲気で可愛い・好きだとひたすら言われ続け、
処女かつ喪女の自分は初めての男性にそんなことを言われ、舞い上がってしまった。これが大きな間違いだった。
居酒屋の帰り、最後に彼は私と手を繋いで少し歩いた。その後、深夜の駅前でタクシーに乗せてくれた。金を前払いで払ってくれて、かっこよかった。
問題は、その人は既婚者で子持ちという事実を知った上で、私はその人の事を簡単に好きになってしまったことだ。
前から可愛いと思っていた、好きだったと言うので最初は信じられなかったのに、ほだされてしまった。
傍から見ればただの不倫だった。でも自分からすれば、初めての彼氏だった。
約三年間、私が大学生の間彼は私の住んでいる家と、自分の妻と子供がいる家を往復していた。
休日は子供と遊ぶから会えないと言われ、必ず会う時は夜。昼間に会ったことなんて数えるくらいしかない。
キスもセックスも全部彼が初めてで、初恋で、唯一不細工な私のことを褒めてくれ可愛がってくれていて
付き合って?不倫関係を持って?三ヶ月くらいでプロポーズされた。最初は「離婚してから言ってよ」とか言っていた
私も、さすがに三年ほど同じように「結婚しようね」「大好きだよ」「愛してる」「二人で住むならこんな家がいいね」など
言われ続けたら勘違いをしてしまった。最初は否定していたプロポーズも、次第に自分からせがむようになってしまった。
三年目の後半は、もうすっかり彼からのプロポーズは無くなり、彼は私よりも携帯を見ている時間が増えていた。
気づけば、彼は私の後輩と浮気していて、妻と子供いながら私と不倫し、さらに私の一番仲が良かった後輩と浮気したんだと
わかったとき、出た言葉が「それでもいいから、私と一緒に居てください」だった。むしろ、浮気に気付いてごめんなさいと謝罪した。
それぐらい依存していたし、それぐらい必死に好きだった。捨てられたら本当に死んでしまうと思った。
浮気されたことが辛くて、毎晩彼のことを考えては眠れなくなり涙が止まらず、辛かった。彼は何も謝らなかった。むしろ、傍に私が残ったことにご満悦だった。
周りには虚勢を張って、付き合って半年で貰った薬指にはめていてねと言われた指輪を肌身離さず付けていた。それだけが心の拠り所だった。
妻には愛想が尽きていると、子どもが小学生になる間にどうしても離婚したい。そしたらお前と結婚して、子供を二人で育てたいと。
ずっとそれだけを言われ続けて、信じ続けて、待ち続けて、気づけばもうあと二か月で彼の子供は小学生になる。あれから四年がたった。
昨日の夜、「離婚する気はないんだよね」「いい加減ハッキリしてほしい」と伝えたら、
「今は離婚する気は無い。だってお前、俺がいつか離婚するまで待っていられないでしょ?」と返事が来た。
待 っ て い ら れ な い で し ょ ?
待って待って待って待ってあんたが前に何万回と言ったプロポーズの言葉をずっと信じて待ってた私の四年間って何?
小学生になるまでに離婚するって言ってたお前の言葉は何?今は離婚する気無いって何?いつか離婚する時まで、私があんたのこと待ってられないから?は?
「もう恋愛感情は無い。割り切れてるので、人間としては好きだけど…」と続けて返って来た。そして別れた。私の不倫生活は終わったのだ。
ああ、そう。もう面倒くさいんですね。そりゃそうですよね。不倫相手に離婚迫られたらもうおしまいですよね。
妻に生ハメしてたせいでコンドーム付けると萎えるとか言って私はあんたのためにピルを四年間飲み続けて毎回生ハメセックスさせてたし
あんたが疲れたといえば肩を揉んで好きな料理作って暖かい部屋で大好きな酒とタバコ用意して待ってて
体調崩したと言えば薬飲ませて看病して、心配して、遠い職場まで送迎して、
まるでお前の嫌いな妻の代わりをずっとしてた私が、もう邪魔なんですよね。すごくうまく利用された気分だよ。
でも不倫の末路ってこんなもんなんだろうなと。
相手がいる人に手を出すってことはこういう罰を受けるんだなと。
私の周りにもたくさん浮気癖がある人、不倫している人がいる。今はそれが当たり前になっている。
みんなメンタルが本当スゲーな。
彼の妻はきっととっくの前に自分以外の女と不倫していることに気付いていたと思う、けどそれを言わず、我慢していた。
今までの四年間、結婚をすると言われ続け馬鹿みたいに踊らされてたブスの女の十代後半から二十代前半の華々しい時期を
無駄にし、ドブに捨てたことで償われるとは思わないが、それでも、彼の妻には申し訳なかったと思う。
みっともなく、惨めで、どうしようもないブスがただ今この文章を打っている。
誰かに言えたらよかったが、こんな話誰にも言えないし、なにより重すぎるし、胸糞も悪い。
ただ、今不倫というとてつもなく他者を巻き込む最低な行為を終え、ただの一般人に戻った気分はとてもよく、
あんなに嫌だった「今何をしているのか?」「今女と会っていないのか?」「また後輩とセックスしているのか?」などの
気持ちにならないで済むことに安堵している。
私はきっとこの先、このブスな自分と付き合っていかなくてはいけない。きっと、彼以外誰も私に見向きもしないだろう。
彼と別れる間際ただそれだけが心配であり悲しかった。自分はもう誰にも愛されないんだと。
誰かに必要とされ、欲しがってもらえる幸福さをもう二度と味わえないのかと。それがとてもつらく、なかなか別れを切り出せなかった原因だ。
今もそれにおびえている。一人で生きること、子供を産めないことが怖い。いつかこの気持ちを切り離し、一人で生きることに平気になるのだろうか。
僕みたいな状況の方はずっと昔からいたんだけど、そろそろ世間に状況を説明した方が良いかと思って書きました。
出身は北東の方角です、今の家は住み心地がよく2年程棲んでいたんですが追い出されました、追い出された理由は分かりません、なぜか家族が笑いながら豆を投げてきたのだけは覚えています、恐いです。
今はイオンのフリーWi-Fiでこの増田を書いてます、僕たちが普段どうしてるかの情報共有を出来たらいいかとネットに書く事を思い立ちました、僕みたいな境遇の方の一助にもなれればという思いもあります、たぶん実家に帰る事になると思うのですがそれまではまあ、観光と言いますか、この辺りをぶらぶらしようかなと、今は安く泊まれる宿や漫画喫茶もありますし意外に困らないですね、上でも書きましたが無料でネットに繋げる場所もいたるところにありますし。
僕たち一族は出稼ぎに出る方が多いですね、今はネットがありますからリモートワークで仕事をしてる方が出てきました、場所を気にせず仕事が出来るので大変助かってます、便利な世の中です。
出稼ぎが一番多くなる時期は2月3日です、この時は一族総出です、まあ大半が追い返されてしまうんですけどね、僕もその一人です、追い返されたら近所に仮住まいを探すか、実家に帰るかをします、中にはホームレスのままの方もいるでしょうが、この時期でも寒さの心配はしてもらわなくても大丈夫です、暖かい虎柄のパンツがありますから、他には観光と称してぶらぶらする僕みたいなのもよくいますね。
状況は様々ですが、とりあえず暮らしていけてますし、出稼ぎのチャンスも毎年あります、それに世間も僕らが来るのを待ち望んでいるみたいですしね、追い出されると分かっていてもこれからも続けていこうかなと思います。
以前、出張で某所に行ったとき、いわゆるYOSAKOIと呼ばれる類の祭をやっていたのだが、一緒にその出張に行った同僚がデジカメ持ち出してガンガン撮影しながら、
「日本の伝統っていいよね……」
とか言いやがった。喉元まで「ハァ?」と出かけたのを何とか飲み込んで、後は生暖かい視線ではしゃぐ同僚を見ていたのだった。
高知県の方が見たら気分を害されるかもしれないが、高知のよさこい祭りですら、実は伝統的な祭ではない。もともとは阿波踊りに対抗する目的で1950年代に「作られた」祭りである。ましてやYOSAKOIって呼ばれるものなんざ……大阪人の言うところのパチモンに過ぎない。いや、別に烏合の衆がイキってチームで踊ってても俺ぁ知らんけどさ、少なくともそれは日本の伝統じゃねぇんだ。
とにかく、日本人は意外な程に伝統というのをご存知ない。昨日、たまたま家でニュースを観ていて俺は引っくり返りそうになったんだ。「ニシキゴイ「国魚」に=自民有志が議連設立」、ハァ?
最近流行りの「池の水」企画でも盛んに喧伝しているけれど、今の日本の鯉はそのほとんどが中国の血統。錦鯉も勿論その例外ではない。それどころか錦鯉にはドイツの鯉も交配されている。それって日本の伝統なんですかね?
はぁ、錦鯉の交配が始まったのは19世紀って言われているんだ。同じ中国由来でも、鎌倉時代辺りに既に日本に入っていて、江戸時代には大規模な交配、販売が定着していた金魚の方が、伝統をふまえた国魚としてふさわしいんじゃないのか?何故、金魚ではなくて錦鯉なのか?
その理由は簡単。アホみたいに高く売れているから。アジア圏だけでなく欧米にもね。だからさ、伝統を感じたりそれを保護したりするのは、その伝統の故なんだろう?商業原理上の利の為に伝統を捏造すんなよ。利用すんなよ。そして民草は、そんなものを簡単に受け入れるんじゃねぇよ。ったく。何考えてるんだか。