はてなキーワード: 暖かいとは
おたくなら誰しもが怯えるであろう晒し。最近では全ジャンル晒しがあると言っても過言ではないと思う。
拙い文章ですが今晒しで苦しんでいる人が居て少しでも救われればいいな。
内容がとても厳しいものだったのでツイッターに鍵をかけてひっそりと暮らしていました。
ツイッターで鍵を開けている方はフォロリクを承認せず、鍵が付いている方のみ。そして同じジャンルが好きで理解のある方のみ承認していました。
これで私は自分と界隈を守ったつもりでした。
捨て垢で鍵垢であるはずの私の作品とツイートを晒し始め、わざと人目に触れるようにタグを付けてツイートされるようになりました。
最初は気にしないフリをしていたものの、段々と考えるようになったんです。
私のせいで界隈が荒れる、私のせいで大切なフォロワーさんが傷つくかもしれない、私のせいでジャンルに傷が付くかもしれない。
そして私は素直に垢を消しました。
きっと晒した本人の思う壺だったと思います。それでもこれ以上私の好きなCPが馬鹿にされ貶され晒し上げられ、様々な人に迷惑を掛けるのは避けたかったんです。
ここまでが私の晒しの話です。
晒しは粘着質です。何処までも付いてきます。たとえ私や晒しにあった方々がツイッターではなく、サイトで活動していたとしても同じ様に晒されていたでしょう。
結論どんな形であれ晒されることを誰しもが避ける事は出来ないのだと思います。
創作をするにあたってやはり人に見てもらいたい、自分作品を好きになって欲しいというか気持ちがある限り必ず晒しと隣り合わせになると思います。
どんなに最低な事をしていても人間です。いじめと何ら代わりはありません、いじめも人間がやっている事です。
どうして自分が晒されたのか少し考えてみました。
嫉妬、妬みは数字の問題。評価されていて気にくわない、ちやほやされていて気にくわない。この辺りでしょうか。
もしくは、○○さんと仲良いのが気にくわない、○○のグッズを持っているのが気にくわない、チケットが当たったのが気にくわない。こちらも考えられます。
解釈違い、地雷に関しては、わざわざ捨て垢を作ってまで晒し上げるのですから同ジャンルが好きとしか考えられません。何かが合わなく、晒し上げたとも考えられます。
たた潰したいというのは確実でしょう。
人目につく様に晒すのも色んな人に見てもらいたいからではなく、その人に最も効果的な攻撃の仕方だからだと思います。
一つだけアドバイス出来るとしたら
ツイッターは今、そういったアカウントへの対策を強化しています。
運営にツイート内容を報告すればツイートの表示がされなくなる場合もあります。もちろんアカウント凍結もされます。
現在ツイッターはある一定のアカウント数を超えると電話番号が必須になるのでツイッター側が悪質と判断した場合その電話番号からは一切アカウントが作れない様になっているようです。
私はもう読み手専門でいくつもりですが、大好きな創作さんのアカウントを守りたいので積極的にスパブロをしていくつもりです。一つのスパブロで大切な人を守れるかもしれないんです。どうか晒しで悩んでいる人がいれば助けてあげてください。
去年あたりから67歳の母の物忘れがひどくなったので今年の4月に神経科にいって脳のMRIスキャンをしたら、脳全体の萎縮、特に海馬のあたりが同年代の平均よりも縮小が早いらしく、このままだと認知症やアルツハイマー型認知症の原因になると診断された。
正直僕には認知症とアルツハイマー型認知症の違いがよくわからないのだが、母親はすでに自分の停めた車の場所がわからなくなったり、以前なら作れた料理のレシピを忘れていたり、昔住んでいた地区に電車で行こうとしても現在地がわからなくなったりパニックを起こしたりと、私生活に支障がでるレベルになってきている。一緒に住んでいる父親も最初は健忘症か寝不足によるストレスじゃないか?と話していたが、さすがに最近は認知症らしいと認めざるを得なくなってきた。
担当医からはドネペジルとメマンチンという薬を処方されて、とりあえず母には忘れないように毎日飲んでもらっている。ただこれらもうまくいっても進行を遅らせる程度の効果で、一度始まった認知症を回復させる方法はおそらくないのだろう。
担当医からは薬の服用以外にも、進行を遅らせる手段として日頃から散歩などの運動、または手芸、生け花、絵画など脳をよく使う趣味、そして人とのコミュニケーションを増やして脳を活性化させることを勧められたのだが、困ったことに母がなかなかその気になってくれない。最近は家庭内トラブルが続いて長期的なストレスで自分から行動する気力がなくなったようだ。以前は人付き合いが得意で話上手だった母だが、些細な事で怒ることが増え以前まで仲良くしていた友人たちと次々と疎遠になっていった。
そもそも病院への診察も非常に嫌がり、結局僕が病欠をとって会社休んで同行することでやっとMRI検査までこぎつけた。正直車で2時間離れている距離にいる僕が今後も毎回通院の際に仕事休んで同行するとか経済的にもしんどい。
一緒に住んでいる親父は僕からみてもよく頑張っている。事情があって弟の高校1年の娘を引き取って高校卒業まで一緒に暮らしているのだが、75歳の高齢でありながら年金だけでは暮らせないので週に5,6日ほど仕事を続けながら出不精になった母をなんとか散歩に連れ出したり、料理のレシピを忘れた母とyoutubeのレシピ動画を見ながら一緒に料理も作っている。昔は傲慢で家庭をほったらかしだったあの親父があそこまで頑張っている姿は毎回感心するし、42年生きてきて最大級に親父を尊敬している。
こんな日記を書いている僕といえば、すでに実家から離れ結婚して子供もいる共稼ぎ夫婦。なんとか月に1度程度、まだ小さい息子を連れて遊びにいったりたまにアマゾンでギフトを送るのが精いっぱいである。
母は以前はウザいくらい僕に電話してきたので、今年になって俺が「病院に行け」だの「趣味を始めたほうだいい」だの言いすぎたせいか、あっちから連絡が来ることがぱったりなくなった。僕からの電話も素っ気ない対応になった。まぁ息子にあれこれ言われてウザいんだろうね。
実家近所の役所やらNPO団体などを探せば、高齢者向けのサポートサービスがいくつかあるのは知ってる。ただどれも本人たちが自発的に訪ねていかないと何もしてくれない。役所やNPOも暇じゃないから当たり前の話なのだが、うちの母のように精神的にふさぎ込んで助けを求める気力すらない人間はどうすればいいんだろう。主治医にはあまりに母が落ち込んでいるのでうつ病の可能性も指摘されたが、どうやって母に自発的に精神科に通院してもらえばいいのか見当もつかない。(もちろん頼んだが「そんなとこいっても治らない」と拒否)
このままにしたらどんどんひどくなる。わかっているのになにもできない。どうしたらいいんだろうか。
追記:みなさん暖かいコメントありがとうございます。日頃は手厳しいブコメを残してる方々も親身にアドバイスしてくださって、感謝の気持ちと自分たちが置かれた状況の深刻さをかみしめてます。
地域包括支援センターにはすでに相談に行きましたが、現在の母親の状態ではまだ本格的なサポートは受けられないみたいです。介護付き老人ホームなどすでに探してますが、どこも5年~10年待ちです。忙しい父親に頼んで仕事の合間に申請書類を用意してもらってますが、正直いつ入居できるか検討もつかないのでこんな事務作業やらせるなら少しでも休ませたほうがいいんじゃないか?と自問自答の日々です。
主治医に診察に連れていくのが正直しんどいです。嫌がる母親をなんとか説得して一緒に診察にいっても、主治医は簡単な質問をいくつかしただけですでに処方してもらった薬を追加するだけ。しかもその薬も効いているのかよくわからない。(調べたところ、認知症について現状処方されている薬以外の代案がないのもしってます)こんなのが続くと僕だって「こんな診察を嫌がる母親を説得してまで行く必要あるの?」って思えてきます。
今後のことを考えると憂鬱になりますね。幸いにも姪は成績優秀なのでなんとか返済なしの奨学金(ローンじゃないほう)をもらって大学に進学できそうですが、彼女が高校卒業する2021年までは父親も頑張る、でもそのあとのことは考えたくないと言っています。今後の母親の介護プランについて考える余裕もないようです。なにせ高齢の親が高校生の孫を養うだけでも一苦労です。いままでは姪とその父親であるクソ弟の対応に振り回されて、ストレスでボロボロだった母親に対応する余裕がありませんでした。
会うたびに両親からは「お前に苦労ばかりかけて申し訳ない。これ以上お前に負担をかけたくない。姪が大学に進学したら早く死にたい。これ以上生きていても辛いだけだ」といわれます。そういわれて「とりあえず今はできることからやっていこう。後のことなんて誰にもわからないよ」とお茶を濁した対応をしてますが、正直僕も逆の立場になったら現在幼稚園児の息子にそんな苦労かけるならさっさと死にたいって思うだろうから返答に困ります。
うちの両親は決して完璧ではなく、大人になった僕から見たら過去に「なんであんな馬鹿な決断をしたんだ」「あのお金をもっと大事に運用してたら今もっと楽できたのに」と思うことも多々ありますが、それでもこんな悲惨な老後を送らなければならないほど酷いことをした人間ではないです。先のことを考えすぎてもどうしようもないので、なるようになるさっと割り切るしかないですね。
子を持つと否応なしに人間の動物としての本能を認識させられます
例えば私が経験したことから抜粋すると公園で息子を遊ばせていたら散歩中の大型犬が無邪気に走り寄ってきて、逆毛立つような感覚に全身が覆われ、息子と大型犬の間に入り大型犬を静止しました
左手の手のひらを大型犬に向け、右手は無意識に強く拳を握りしめ、大型犬が更に近付くようであれば私はその拳を全力で振り下ろしていたでしょう
まともな喧嘩の1つもしたことない私の身体が意識せずとも戦闘態勢に入ったことへ対し、大型犬が静止したことでハッと我に返った際に驚愕しました
大型犬を殴ろうという意志はなく、殺そうとする意志もありませんでした。意識にあるのは目の前の危険な存在を排除するという一心でした
冷静な方々は気付いていることでしょう。結果として私が理性を失って大型犬を殺そうとしていたことを。私は私の本能がそれを実行しようとしていたことを全面的に認めます
私は男ですから妻の妊娠がわかり、そして息子が産まれて少し経っても私の中にはそこまで親としての本能は芽生えていなかったと思います
妻の妊娠がわかり、そして息子が産まれて少し経っても私の中には理性が訴える「常識的に考えて夫は出産したばかりの妻と新生児たる子をしっかりと支えるものだ」ということしかなかったと思います
その当時の小さな変化と言えば街を歩く小さな子供を見かけては「息子もあのように育つのだろうか?」「新生児抱えて電車とは大変そうだな」と頻繁に考えるようになったくらいです。子供へ視線が向くようになりましたね
私が動物的な父親であると自覚したのは今回お話させて頂いた大型犬を切っ掛けとしてです。自身の本能を自覚しました
おそらく女性の場合は妊娠期間があるのでもっと早期に動物的な母親であると本能を自覚するのではないか?と考えてます
そういう切っ掛けがないと父親としての本能的な自覚が持てないのか?という疑問を持つかもしれませんが、それも何か違うような気はします
そうでなければ自分の身よりも咄嗟に息子を優先する行動は取れないのではないか?と思うのです
「普通は弱者を守るだろう」という理性的な判断なく無意識に身体が動くことを説明するには、私がそれ以前から動物的な父親だったと考える他ないのではないでしょうか
はっきりとしない態度ではありますが、私はいつの間にか息子と過ごしているうちに理性でも本能でも父親になっていたわけです
スタジオアリスで撮影された子供の写真は可愛いのか?と問われたとき返される言葉は肯定です
皆さんが疑念を抱くのも仕方がない。何故なら皆さんは理性的で冷静だからです
親としての本能に踊らされ過ぎるのも難ではありますが、この程度のことであれば苦笑しつつ暖かい目で見守って頂けると大変ありがたいと感じます
↓この記事を読んで
https://www.buzzfeed.com/jp/gabrielsanchez/heres-what-its-like-to-identify-as-asexual-1
コメントで「みんな似てる顔をしている」というのを見て笑ってしまった。
確かに自分もこんな顔してるし、もしこの人達と会ったら、「あ、この人そうだわ」ってわかる。お互いに。
女性です。
親兄弟友人にも言ってないけど、いろんなメディアでそういう人たちに向けられた言葉を目にするたびずっとグサグサ刺されてきた。
・奥手なんだね
・セックスが怖いんでしょ
・性格が悪いんだよ
・もてない女が病名にすがってごまかしてるだけ
・理想が高すぎるんじゃないの
・まだいい人に巡り合ってないだけ
・どんな恋でもしないよりはまし
などなど
若い頃は告白されたりデートもしたことあるし、決してモテる方ではないけど人並みではないかと思う。
我慢してデートしているうちにだんだん情が湧いて好きになるのかもしれないと頑張ったこともあるけど会うたびに嫌悪感がつのってどうしてもダメだった。
不思議なもので、その後何年か経って関係的にも距離的にも離れると「あの人全然悪い人じゃないのになんでだろう」となるんだよね。
セックスが怖いとか、それ以前にそこまでの関係にいたる過程でダメ。
自分が女として性的な対象として見られていると感じる時点でもう嫌悪感が抑えきれなくなって、地球の果てまで逃げ出したくなる。
並んで歩く時、手が触れ合う距離まで詰められてくるともう無理。
一緒に映画を見に行って何気なく肘掛に手を載せていて、ふと「もし相手が手を重ねてきたらどうしよう」と恐ろしくなって、ああもう無理なんだなと思った。
何回やっても同じことの繰り返しなんだよ。「私の気の持ちようなのかも。今度は頑張る」→デート→やっばり無理。→相手「???」→「私の気の持ry」
まあいいか、一人の方が気楽だし、と結婚も恋愛も諦めたような諦めないような、何となくごまかしながら生きてきたけど、ネットが発達して色々な情報が手に入るようになって、自分と同じような人が一定数いることを知った。
カウンセリング受けた方がいいのかなと思ったこともあるけど、おかしな自分を治すためにカウンセリングを受けるのではなく、セックスできない自分を治さなければと思い込んでカウンセリングを受けようと考えたり、嫌悪感を感じながらデートしたり、結婚しようと婚活サイトに登録する行為の方がおかしいのだと気づいた。自分は自分だ。
そしてもし自分みたいな人がいるのなら、もしかしたらその人たちと出会えれば、ワンチャン結婚して家庭を持てるのではないかと考えてしまう。「うちの夫はセックスレスで」みたいな話が発言小町とかに上がってるのをみると、本当にうらやましい。その旦那私にくれ。
職場でつまらない噂話や蔑みの対象になったり、同じマンションでは「○号室の○○さん、ああ、あのちょっと変わった人ね」と話したこともない人に言われたり。
一人で生きる生き方もあるけど、自分は大病したことがあって、その時家族が見舞いにきてくれる同室の人たちが本当にうらやましくて孤独が身にしみた。
自分のできる範囲で、具体的には課金まではせず貯め込んだアイテムを削りながらイベントを頑張って、得られた券を全て夢見りあむに投じている。
批判的なもののひとつとして、物語を背負っていないアイドルがシンデレラガールになってはいけないそうだ。
好ましく思わない人の気持ちもわかる。今年こそはと切に願っていたところを横から掻っ攫われるかと思えば、たまったものじゃないだろう。それならそうと言えばいい。物語などという言い訳を使わないでほしい。
これから書く中の「あなたたち」とは特定の誰かのことでは勿論ないし、特定の集団のことでもない。あくまで私ひとりの狭量な視界に映っていた「世論」の一部であって、私の個人的な怒りの矛先である。全てのプロデューサー、ファン、オタクがそれに当てはまるわけではないことなど百も承知である。私にとっては絶対的だった彼女に暖かい言葉をくれた人、素敵な2次創作をしてくれた人、あの選挙の後に彼女を知った人も含めて皆に感謝している。ただ、それと同じくらい、彼女に、彼女を通して私たちに、心無い言葉をかけた人たちのことが忘れられない。今回夢見りあむを批判している層と、その「あなたたち」が大きく重複している気がした。
だから、そんなあなたたちと話がしたい。読んでいて「自分はそんなことを言っていない、していない」「そんなのは一部の奴だろう」と感じた方。皆さんには関係のないことだから、読むのをやめてもらって構わない。
あなたがもし「あなたたち」であれば、自分で思い当たる節があるだろうから。
あなたたちへ。
彼女が積み上げてきた物語を「ガチャブースト」という一言で切り捨てて、それに触れてみようともしなかったあなたたちに、シンデレラの物語を論じる資格は本当にあるのか。
ボイスオーディションで橘ありすに逆転された私たちの悔しさやそれからの努力という、彼女を応援してきた私たちと彼女の物語を、確かに彼女が背負っていたはずの物語を、ガチャの後押しのないシンデレラの物語を望んでいたあなたたちは無かったことにしたじゃないか。
夢見りあむが物語を持っていないと憤るあなたたちにとって、シンデレラガールに相応しい物語とは何なのだ。シンデレラガールズの象徴として笑顔を咲かせ続けていた島村卯月がついに報われた物語も、無冠の女王と呼ばれ続けていた高垣楓がついに風を起こしたものがたりも、10年後もその先元祈りながら愛すべきコミックリリーフであり続けた安部菜々が第7回についに夢を叶えた物語も、それはもう美しいだろう。私もそう思うし、心からおめでとうと思う。
そして、私にとっては、彼女にだってその3人と同じくらい、語られるべき物語があったのだ。
運営に後押しされて藤原肇を抑えてしまった高垣楓には物語があって、運営に後押しされて前川みくを抑えてしまった彼女には物語がないというのだろうか。
もしかしたら彼女への巧妙なネガティブキャンペーンと思われはしないだろうかと、彼女はこんなことを喜ばないだろうなと、そう思いながらも今これを書いているような人間である私は、当然、勝てば官軍とは思えなかった。あれほど「盛り上がらない」結果発表は今までになかった。十時愛梨と神崎蘭子と渋谷凛の後だから、シンデレラガールズをよく知らない人に「誰これ」と言われるのは理解できるけれど、競い合ったプロデューサー、ファン、オタクのあなたたちはさらに冷たかった。
何の罪もない彼女がこんな風に言われるくらいなら1位になってしまうより上位入賞に抑えてボイスだけ貰った方がよっぽど良かったではないか、とまで思ってしまった。野望なんて似合わないと笑うのを聞いて、彼女はそれでよかったはずなのにと泣きそうになった。
現状、運営による彼女の扱いに不満があるなどと言うつもりはない。客観的に考えて、200人近いアイドルの中で恵まれた側にいるのは間違いないと言っていいだろう。
ただ、ずっと応援してきた彼女の一度きりの晴れ舞台に、現実に生きる人間にたとえれば卒業式や成人式や結婚式のようなかけがえのない日に、あなたたちが土足でケチをつけていったことだけは紛れもない事実で、それは彼女が今後どれだけ活躍しようとなかったことにできない過去になってしまった。
彼女を応援している他の人たちが今も私のようにそのことを気にし続けているかは知らないが、少なくとも私は気にし続けている。
悪いのはあなたたちではなく、運営なのかもしれない。私もあなたたちも運営の掌の上で踊らされているのかもしれない。そういう認識も確かにありつつ、それとは別に、あなたたちが彼女にかけた言葉を私が忘れることはないだろう。
四年に一度の災害が再びやってきた。正直に言って、私は、総選挙でこんなことが起きるのをずっと待っていた。ガチャの力ではなく、自分の足で大暴走していく夢見りあむがシンデレラガールという物語を穢した時、あなたたちが何と言って罵倒するのか。
本当に楽しみにしている。
選挙なんてちょろいと夢見りあむに笑い飛ばしてほしい。四年前の私にはそれができなかった。あなたたちが何と言おうと、そういう意味では私と夢見りあむの間にも物語が生じつつあると言える。屁理屈のつもりではなくて、心底そう思う。
黒歴史を吐き出させてくれ。
私は初恋は夫ということにしている。初めて付き合ったのも手を繋いだのも処女捧げたのも結婚したのも夫。初恋が最後の恋ってやつだ。
しかし実は保育園年中さんの頃好きな人がいた。もう1人その男の子を好きな子がいて、2人で1人を取り合っていた。家で一人でお風呂に入ると「何で〇〇君は●●ちゃんと話すんだろう。私だけと話してくれないんだろう」とポロポロ泣いた。「〇〇君を想って流す涙をビニール袋いっぱいに集めて渡せば私の気持ちをわかってくれるかな」と考えたりしてた。実行はしなかったけど。
その後、小学校でクラスが違ったり、私が2次元大好きになったりして〇〇君を好きな気持ちは頭から消えた。委員会とかで久し振りに会うと、ちょっと気まずかった。
そして中学生になると、ふと思い出して「黒歴史うわあああああぁーーー!!!やめてえええええー」ってなった。
「涙の詰まった袋とか渡されても汚いわ困るわ腐るわ」「微妙に生暖かいの?キモいー」「それ渡されて好きになるっていうのがわからない。何がどうなって私を好きになるの」「本当に、誰にも言わなくてよかった…」
黒歴史を思い出してうわあああああぁーーー!!!ってなる度にツッコミを入れて「昔は痛かったけど今は冷静だから痛いことしない私」と自覚しておさめた。
そして大学卒業して、趣味のつながりで初めての彼氏ができた。もう黒歴史でうわあああああぁーーー!!!ってなることはなくなっていたが、つい「初恋の人と付き合えるなんて私は幸せだー」とか言ってしまった。もし彼の前で、私のお母さんが「保育園の頃は『〇〇君と結婚するー』なんて言ってたのにねえ」なんて言ったら最悪だ…なんて考えていたが、杞憂に終わった。よかった…お母さんが忘れていますように…
いやー本当、恋って何を考えるかわからないですね…
5歳の息子がいる
妻はフルタイムで働いていて、時短勤務なのに私よりいい給料をもらうとてもできた妻で、家族3人それなりに幸せに生活していたと思う
平日の朝は私が息子を保育園に送り、妻が夕方に迎えに行く、私は19時すぎに家に着き、一緒にご飯を食べて息子とお風呂に入り、息子を寝かしつけて私は自分の時間を過ごす
休日は、だいたい土曜日は私と息子が二人でどこかに出かけ、夕方に家に帰る、妻は家でゆっくりしたり片付けをしたりする
日曜日は3人で買い物に出かけたり遠くの公園に遊びに行ったりした
私は息子と二人で遊ぶことが大好きで、息子が乗るストライダー(キックスクーター)の練習をし、乗れるようになったら5駅隣まで一緒に出かけた
電車で出かけて中華街で肉まんを食べたり、みなとみらいを散歩したり、釣り堀に行ってフナを釣ったり、スワンボートに乗ったり、プラネタリウムに行ったり、動物園にはなんども行った
他にもたくさんたくさん遊んだし、楽しいことがいっぱいあったんだ
それが、年が明けたあたりから少しづつ息子が二人で出かけるのを渋るようになってきた
前日までに何をして遊ぼう、どこどこに出かけようって約束しても当日朝にぐずるようになり、イヤイヤながら出かけるかどうしても嫌だと出かけないようになった
そういう時は決まってママがいいと妻に甘え、何かに理由をつけてどうしても出かけたくないと言った
なぜ息子が嫌がるようになったのか思い当たることはあって、私の息子に対する接し方が嫌なんだと思う
妻は、私が息子のことを叱る時、息子の言い訳に対して子供なんだからと受け流さず、理詰めにネチネチ叱るのが嫌なんだろうと言っていた
出かける時も息子のしたいことよりも私のしたいことを優先して、息子をないがしろにしているんだとも
そんなつもりはなかったが、妻の指摘はもっともだと思った
以前はてなで読んだ4歳の娘のわがままに切れそうな母親に対する鴻上さんのアドバイスを読んで、まさにこれだと思ったしすぐに実践しようと試みもした
でも、「パパはいや、ママがいい」「パパは嫌い」と直接言われたり、妻と息子がいるリビングからでた直後に「パパもう行った?」と妻に言っている息子の声が聞こえると、どうしても冷静な心を保てなくなる
私が息子の近くに行っても無反応なのに、妻がきたら喜んで飛びつく息子を見たらどうしようもない悲しい気持ちを抑えられない
今日、上記のようなことがあり、ダメだとわかっていながらも「パパはもう○○とは遊ばないし、なるべく近くに寄らないようにするから安心してね」と言ってしまった
それまでニヤニヤしていた息子の顔が無表情になったのが印象的だった
意地になって自室にこもっていたら息子は寝てしまった
ダメだとわかっていながらそんなひどいことを言った自分が悪いとわかっている
息子が生まれて少したった頃から今日まで、私の生活の中心は息子だった
仕事から帰って息子が寝るまでの間は、ほとんど息子との時間だったし、休日は丸一日息子と遊ぶ為にあった
どうしたらいいかわからず妻に相談しようと思ったが、疲れが溜まっているようで寝てしまった
ここに書けば誰かアドバイスをくれるかと思って藁にもすがる思いで書いた
息子に入れ込みすぎていたのかなと
息子より私が息子を欲していて、付き合ってもらいすぎていたのかなと思っている
でも今更、息子のいない休日を楽しく過ごすすべが思いつかない
どうしよう
関係ないが、今の気持ちが学生時代に彼女に振られた時のどうしようもないあの感じに似ていて、経験してきたはずなのにどうしたらいいのかわからない
今日昼間に会社ではてなを開いたらたくさんコメントが付いていて本当に驚いた
家に帰ってコメント読もうと思ったらトップになってて腰が抜けるくらいびっくりした
この記事を投稿した翌朝、息子に「昨日はひどいことを言ってごめんね」と謝ったら「僕の方こそひどいこと言ってごめんね」と言ってくれた
昼休みに息子が好きな食玩(ホネホネザウルス)を買って、妻の代わりに早めに会社を出て迎えに行き、二人でスーパー銭湯に行った
妻は普段残業できないのでここぞとばかりに残業してきた為、二人で前日の残り物で夕飯を済まして息子の大好きなポケモンXYを見ながら寝た
前日のことは特に話さず、お互いに楽しく過ごせたと思う
こんなに厳しくも暖かいコメントをもらえるとは思っていなくて、全て大事に読ませてもらいます
コメントを読んで、私はメンヘラ気質があり重くなりがちだと自覚しようと思った
自分のことを毒親なんて思ったことはなかったけど、そうなりかねないということを肝に命じて接しようと思った
息子のやりたいことをちゃんと聞いて、できるだけ尊重していけるようにしようと思った
暖かいから冷たたいに変わると春の訪れを感じるかしら?と思うけど、
この薄手のコートでもまだ肌寒そうだけど、
そういう感じの事って多いわよねこの季節。
氷をぎっしり詰め込んだグラスに
もうちょっと暖かさが欲しくて、
淹れたてで飲むんだけど、
どう見てもアイスコーヒーよねとか。
これも拡充してほしいし
あるところ無いところがあるし、
お水だけじゃなくて色々な飲み物の常温化が求められているこの世間に一石を二鳥投じたいと思ったわ!
うふふ。
食欲はあるだけど気分が乗らないというか、
当たらないで欲しいわ全く。
うかうか朝ご飯も食べてられないわよ。
なかなかハードな風味が利くわ。
すりおろしじゃなくて、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!