はてなキーワード: 九州とは
人口推計データの「各年10月1日現在人口」から一番古いもの(1995)と新しいもの(2022)を使用。
1995年当時から各都道府県毎でどの程度人口が増減したか順位付けを行った。
都道府県の後に、各地域エリア毎でも算出。ちなみに日本全体として人口は「-3%」となっていた。
大まかに言えば、子どもの頃からどの程度各地域で人が増減しているか感覚が数字で分かるかもしれない。
01 沖縄 14%
02 南関東 9%
03 東海 -2%
04 近畿 -4%
05 九州 -7%
06 北関東 -8%
07 北陸 -9%
関東平野って本当に平野なんだなあ、と感心したのはいつのときだったか?
まだグーグルマップもなかった子供の頃、信長の野望がリアルな日本をマップとして採用したときだったっけ?
うわー、こんなに平地だらけで田んぼばっかり作れるのはチートやろと思ったときだったか。
よくもまあ、こんな土地を徳川家康みたいな外様にくれてやったもんだよな、みたいな感情もあったような気がする。
豊臣秀吉の政治感覚は京都を中心とした地域と西日本方面に向かいすぎていて、
関東というのは辺境である、という感覚が濃かったのかもしれない。
それは秀吉が信長の部下として西へ西へと進出していったことがひとつの要因かもしれない。
尾張を起点として、
信長の勃興期に奮闘し、
きっとその先、というものも身体感覚としてすでに持ち合わせていたのだろう。
高度な文明を持つ東アジア大陸文明へと近づいていくことの指向性をもっていたのだろう。
つまり秀吉にとって文化文明とは常に西に向かっていくことで獲得していくものだったのだ。
そのような感性の持ち主に関東というのは甚だしく辺境に感じられ、
日本国というものを正しく治めるためには最重要な地域とはいえ魅力を感じなかったのだろう。
辺境伯、というものが欧州にはあったらしいが、きっと秀吉は家康を辺境伯にでも任じた気持ちだったのだろうか?
しかし、辺境伯というものはやがて力をつけて中央の政権を取るものと相場は決まっている。
そのことを秀吉が知らなかったのは致し方ないことだが。
とは言っても、
親が気まぐれに買うスクラッチくじに便乗して300円が当たったり
なにかの催し物で行われるガラポンで中の下あたりの賞を貰ったり
とにかく
そういった『ちょっと』の積み重ねではあるが
小雨の降り注ぐ日は登下校時に雲が切れ
冗談半分に
「神様に愛されてるなあ」なんて思っていた。
サンプルは少ないが
てるてる坊主を作って渡すと
「どうしてもこのコンサートに行きたい」と嘆いていたジャニオタの隣席の子に
「クジ運良いからさ!」なんて笑いながら、ノートに『当選祈願』と蛍光ペンで書いてあげた
まあそういう偶然もあるよな、と驚きつつも
喜んでもらえたのでこちらも嬉しく感じていた。
そんな『運』が薄れてきたと感じたのは高校2年あたり
大きな怪我をする事もないため、
落とした定期入れは見つからず
登下校で小雨がやまず
文化祭で雨が降る、といった程度の
そんな『ごくありふれた小さな不運』であった。
自転車通学だったし
当然ながら日頃濡れる事もないので
それはそれで楽しかった。
そして更に認識を改める事になるのは
薄れてきた『運』を補完するような
当然、頻繁に起こる事でもないし
事象同士の期間はずいぶん開く。
しかし『災害の回避』と表現する以外の言葉が見つからないのである。
細かくは覚えていないのだが
少なくともこの15年
1度も揺れに出会っていない。
数度あった豪雨の際も
周囲が水に浸かるなか
住んでいる町は無被害だった。
何もできないし
経験値もないし
受け止める強さもないし
共感する力もないし
ただTwitterでTLを眺め
ニュースばっかでつまんねぇな、と零し
現実を
ほんとうに、「無」なのだ。
何も起こらない、ただひたすらに平穏な
こんな人間もいるんだと
思ってもらうだけでいい。
余談ではあるが
きっと運が良いから
すぐ還っていってしまうんだな、なんて
柄にもなく思ったりしている。
今はとりあえず
何もなかったかのように
あえて無視して
普段通りに
何事にも気を揉まず
最近近所で九州の物産展をやっていたので母と連れ立って見に行った
本当はかるかんのお饅頭が食べたかったのだけど、残念ながらその日は既に売り切れていた
それで母が手に取ったのがあくまきで、家に帰って食べてみたのだが、まあなんというか
不味い
本当に美味しくない
あくまきと別に売られていた黒糖入りのきな粉をまぶして食べたから表面は確かに素朴な甘味がある
口に入れた瞬間は黒糖ときな粉の甘味を感じて嬉しくなるけど、味を感じる対象がきなこから中身(あくまき本体)に移るとスゥーっと虚しさが押し寄せてくる
なんなんだこれは
交際開始から、たばこの本数がどんどん増えていく夫には、ずっと一緒にいたいから禁煙してほしいと伝え続けてきた。
次の職場に移ったらやめる、来年になったらやめる、子供ができたら絶対やめる。
子供を育てるために生活を変えねばいけないよ、禁煙も必須だよ。このタイミングで難しければ今回は諦めよう。3人も楽しいだろうし、夫婦2人でも私は楽しい。
そう伝えて、妊娠に伴う体調の変化を表に出さないよう3週間返事を待った。一度も急かさなかった。
子供を育てよう、出産までに禁煙するよと確かに彼は言った。繰り返し確認し返事は変わらなかった。
夫婦揃って医療従事者で喫煙のリスクは十二分に承知している。いつからやめる?時折繰り返し確認した。禁煙外来はここが近いみたい、保険診療に該当するみたいだよ。最近本数はどう?
その後、やっぱりやめるのは無理だ、と妊娠22週を過ぎた時に告げられた。
崖から突き落とされた気分になり、同時に、里帰りしてSIDSのリスクが下がる2歳ごろまで単独で育てるしかないと思った。
どうにか禁煙して欲しかった。2人で育てると決めたのだから、2人の子供なのだから一緒に成長を見守りたい。
互いの両親にも相談した。男親は1年間子と過ごして初めて親としての自覚が湧くものだというのが九州出身還暦女性たちからの返事であった。育児は母親主体でやるものだ、というおまけのアドバイスもついてきた。あまりそんなに厳密にやっても息切れしてしまうよとも。一所懸命彼もやっているのだから無理強いしちゃいけないよ。
絶望した。
SIDSやその他のリスクを分かっているから避けたい。赤子は自立して煙から逃げることはできない。危険を避けられない。環境を整えねば。子を守ろうとしているだけ。
妊娠辞めたいと思いながら、決して口には出さぬよう三ヶ月続いた悪阻を耐え抜いた。部屋は荒れたが家事は1人でやった。サプリメントは必ず飲み忘れないようにした。なまものを避け、食事の栄養素を確認し過不足ないよう心がけた。歩いて張りを感じれば休み、動き始めた子に話しかけた。宅急便の受け取りでもマスクを徹底し、外出を控え、それでも風邪をひいたが薬を飲まず耐え抜いた。専門領域ではないから、教科書や産婦人科や小児科の専門家の見解で勉強した。
検診は毎回1人、エコー動画や妊娠経過を夫と両家に欠かさず送った。初孫で大喜びしてくれていたから。自分の体調はさらりと、心掛けて子の様子をなるべく詳しく伝えた。
名前も考えたいと家族から申し出があり、皆の大事な子なんだと嬉しく感じ候補をいくつか挙げてもらい検討した。
自分の考えを伝えたが、60を超えた人間の考えはそうそう変わらないということは十分理解している。十年どころではない育児環境等のギャップがあるのだ。自分とは別の人間なのだ。電話を切って号泣した。
里帰りしたら、出生後子は月に一度、2.3日間父親と過ごせるかどうかが精一杯の環境。愛着形成どころではない。子を守って三人で一緒にいたいだけ。
検診に通い、他の家族の例を調べ、そしてもう一度喫煙について調べ、
家族で過ごす場所では完全禁煙、外で喫煙し帰宅した場合子に触るのは入浴してからというのを前提に
ないしは
B.子と私は公共交通機関ないしはタクシーのみ利用。マイカーには乗らない
2択を夫に提示した。
妊娠後期の今までやめたくないと言ってきたのだ
、この提案を聞いてAを速攻選べないのならBしかないだろうと思った。
悩ませて欲しい、考える時間が欲しいと言われたがもうそんな時間はない。ない選択肢を期待させる言葉はいらない。今すぐ答えを出せるはず、と伝え、Bで...と夫が答えたのが一昨日の話。
本当は3人でドライブに行くのが夢だった。ずっと2人で乗ってきた思い出の車、もう私も乗れなくなる。分かったよ、と努めて普通に返事をし入浴した。涙が止まらずシャワーを流しっぱなしにした。子供の命は私が守るしかない、これしかない、泣いてる暇はないんだからしっかりしろと言い聞かせ浴室を出た。
何も言わなかったが私が泣いたことに気付いていたらしく、夫は昨日今日ずっと元気がなかった。
励ましてあげたいが、私は何も言えない。
自習としてまとめる
死者多数のものだけ
2024/1/1 能登半島地震 Mj7.6
2015/5/30 小笠原諸島西方沖で地震 Mj8.1 史上最深
2011/3/11 東日本大震災 Mj8.4 大津波 日本史上最大
2007/7/16 新潟県中越沖地震 Mj6.8
1995/1/17 阪神淡路大震災 Mj7.3 耐震強度問題
1993/7/12 北海道南西沖地震 Mj7.8 大津波30m 死者・行方不明者230人
1983/5/26 日本海中部地震 Mj7.7 大津波 死者104人
1964/6/16 新潟地震 Mj7.5
1948/6/28 福井地震 Mj7.1 死者・行方不明者数3769人 震度7が制定 複合災害
1946/12/21 南海地震 Mj8.0 死者・行方不明者1443人
1945/1/13 三河地震 Mj6.8 死者・行方不明者2306人
1944/12/7 東南海地震 Mj7.9 大津波 死者・行方不明者1223人
1933/3/3 昭和三陸地震 Mj8.1 大津波 死者・行方不明者3064人
1927/3/7 北丹後地震 Mj7.3 死者2925人
1923/9/1 関東大震災 Mj7.9 死者・行方不明者105385人 日本史上最悪
所感
死者数が増えるのは
・津波
・火災(近年は少ない)
・土砂崩れ
・避難後
戦後、大きな被災があったのはご時世もあったのだろうと考えると、東日本大震災と阪神淡路大震災が異常
・瀬戸内
日本には逃げ場がないとはよく言うが
現代においてそれでも大惨事になる場所というのは限られているとは思う
関東北部〜東北の内陸部、近畿・中国・四国の内陸部、九州北東部など
直下型地震が頻発している地域でなく、かつ沿岸部でなければ被災確率は低そう
沿岸部はチリ地震みたいな例があるのでどうしようもない、逃げ場はない
南海トラフは有名だけど個人的にはやっぱり伊勢と愛知が大人しいのが気になる
でも地震ってむしろ連鎖するから、無いなら無いで数百年行きそうでもあるよね
昭和三陸地震(1933)、明治三陸地震(1896)があったし、三陸沖は地震頻発地域なのに
何で東日本大震災であれだけ被害が出てしまったんだろうというのは結構解せない
80年も経つと忘れるというのがよくわかる
優しいあなたが無実の罪を着せられて、九州出身というだけで偏見の目を向けられたらごめんなさい。
でも、あなた以外の男性に男尊女卑的思考を、悪気無く、無意識に持つ男性の割合が多くて、優しいあなたを見つけることさえできません。
あなたはそうではないですが、あなた以外の男性にはまだまだ男尊女卑が根強く残っているのが現状です。
九州出身の男性に占める男尊女卑的思考を持つ人の割合は、100%でもないし、0%でもありません。
どうかあなたの目にしたことない男尊女卑を、あなたが目にしたことがないからと言って、存在自体なかったことにするのはやめてください。
自身の身の回りで観測していない事象を「存在しない」と言い切るのは科学的態度ではありません。
必死に声を上げた九州の女性たちの訴えを、嘘だ自演だとまくし立ててなかったことにするのはやめてください。
出来れば、その怒りは「女性を虐げて『九州の男性は暴力的だ、料理を手伝わない、女性の教育機会を奪う』などといったイメージを植え付けたその男性」を断じて許さないという方向に向けていただけるとありがたいです。
九州のみならず、男尊女卑やその他さまざまな弱者への偏見が根強い場所はきっと日本中にあるでしょうし、あらゆる差別は世界中からなくなっていません。
どうかそういった悲しいことがすべての世界からなくなり、その人自体の本質からその人を判断できる世の中が訪れますように。
余談
これを書いている本人は九州出身、20代前半の大学生です。九州在住の男性である父親、親戚、高校教師、同級生などからここに書きにくいようなひどい仕打ちを受けた経験もありますが、もうそのようなエピソードはSNSに溢れすぎているので、自分が書くまでもないと思っています。(書けといわれたら書きますが)
「♪テレビの周りにみんなあつまれ」と言われたら「パラッパラッパー!」って答えられるくらいは地元に暮らしてました、あんまり地元帰りたくないけど
1つ目は、人口と物量が勝っている中国と、どのような戦争を想定しているのか。
短期で勝つ場合は良い。年単位の長期戦になった場合と、負ける場合が問題だ。
ウクライナの参考にすると、相手が核を使うかどうかわからないとなり、空軍やミサイルなどで前線を飛び越えて攻撃を加えない限り、膠着状態に陥るということだ。
更に悪いことに、太平洋戦争は物量で勝負していた米国が兵器の製造ラインが古すぎて既に無いとか、物量で押す力がないのに対して、中国は大量に工場を持っている。
兵器量産だけでなく、食料・日用品も滞ることになるかも不透明だ。
戦争しつつ兵器以外の日用品は輸出入するというのはあり得るのだが、身近に影響が出てくるまでは禁止しろという声の方が大きくなるだろう。
勝つ場合でも、どうすれば停戦取り決めに持ち込めるかというのがある。
台湾から始まったとして、第一撃第二撃くらい米国で勝利しても残存兵力はあるだろう。
草。
臭いのは調味オイルだな、粉末スープはそんなに臭くないのでは?違ったかな?
そうだよ、臭いんだよ。
当初九州限定で発売されてて、後から全国に拡大されたらしいんだけど不人気で、
ま、スープは捨てて、茹でた麺を麺つゆで食べたり、ブルドッグソースで和えてみたり、
味付け変えて遊んでみれば。
なかなか手に入らなくて、どーしても食べたいと思った。
暫くは食べるチャンスが無くてほったらかしになってたんだけど、
或る時機会を作って食べる事となった。
期待して鍋を火にかけ沸騰したところで麺を投入、ここまでは良かった。
だからこの辺じゃ売ってなかったのか。
いざ、実食、「ダメだ匂いが全てを台無しにしてる、なんでこんなに臭いを付けたんだ。」
まだ4袋残ってる。
しょうがないから俺が全部喰うよ、何カ月かかるか分からないけど。
うまかっちゃんて人気が有ったと思ったんだけど、どういう人に人気が有ったんだろ?
不思議。
今朝トラバが増えてて驚いた。土日は見てなかったので。
豚骨ラーメンの事を書いてる人がいるけど、
どちらも臭いと思った事は無い。と思う。
ただ、乾麺のとんこつ味は殆ど記憶に無い、大体が生麺だったから。
みんなの言うように、調味オイルって言うのが臭い事が分かったので、
日曜日に調味オイル無しで食べた。普通のインスタントラーメンだった。
だったら他の豚骨ラーメンを食べた方がいいと思ったよ。
あまり知られてないようで驚くんだけど、そういうテクニックがあるんだよ。
特定のスタッフが鈍臭かったときに、「こいつダメだな!」って叱責すると角が立つ。
だから、
と対象を拡大して罵るんだ。
同じように
のような個人攻撃は集団リンチにしかならないし、それはイジメだ。
加えて、女性差別者が次から次へと就任しかねない状況では個人攻撃は役に立たない。
だから、
『高齢者はアップデートできない!』『九州のおじさんによくいる』
とする。
『またもや、はてなブックマーカー達が差別してる』
とした方がいい。
配達業者がピンポン押した後に、住人の女性の連絡先を聞いてきた事件がありましたね。
ではなく
『背の低い男には人権がない』
とするのは有り得る攻撃だし、この場合、人権がないとは “女の私の好みではない” という意味なのは明らかなのだが、世間は理解しなかった(フリをした)のは、発言者が女性だからだろうか。