はてなキーワード: ミーハーとは
自分は女だけど、同じくミーハーでバカな女が嫌いだから仲良くなれると思ってた。というか付き合えると思ってた。
化粧とかブランド物とか興味ないし、甘い物も好きじゃないし、学歴だって悪くないし、収入だって同世代男性の平均より上だし、件の男友達ともバカみたいな話じゃなくて文学や映画について語ったりしていた。社会問題について真面目に議論したこともある。
職場の愚痴を言われても「ウンウンわかるぅ〜大変だったねぇ〜」とヘラヘラ媚びるんじゃなくて、職場の問題点と彼自身の改善すべき点を客観的に伝えるようにしていた。その方が相手のためにもなるし。
なのに男友達は結局、頭も股もゆるそうなバカ女を恋人に選んだ。お前、言っていた事と違うじゃないか。これで若くて美人なら仕方ないと思ったけど、そういう訳でもない。
愛の反対は無関心。
従って、批判=関心は、愛と同じ。「日本死ね」を書いた人は、日本で生きていくという前提で日本に少しでも良くなって欲しいという願いで書いていることは明らか。相手のいいところも悪いところも踏まえ、相手と共に生きていく覚悟の上で、相手をよく見て、相手がより良くなるように言葉をかける。我が子をよく見て、ときに厳しく声を掛けるのと同じで、それは愛。
一方、愛と似て非なるものが「甘やかし」。これは、甘やかすワタシダイスキなだけで、本当の意味で相手を見ていない。相手の本質がどうあれ、自分が気持ちよくなることだけを考えてキャーキャー騒いでいるミーハーファンと同じ。日本の実情や世界との比較を正確に行わない「日本アゲコンテンツ」が心の底から駄目なのは、まさにそれ。自分がキモチヨクなるためだけの虚構の歴史、虚構の文化を基に語って、相手の本当の姿には目をつぶる、無責任に孫をかわいがるジジババと同じで、それは単なる自己満足の無関心。それは愛の対極にある。
つまり「日本死ね」は愛国と言えるが、「日本アゲコンテンツ」はただの自慰……それが、前者が受け入れられて後者が受け入れられない理由だよ。世間はおおむね正常と言える。
「ラブライブ自体は好きだけどラブライバーが嫌いなのでラブライブも好きじゃない」というような事だ
当時の自分がまだ若く
いわゆる「厄介」の流れを少し汲んだ恐ろしいほど周りの人間がいるから自分の行いは正しいと信じて止まない
そういう人間だった
「オタクは虐げられている」
むしろ自分がラブライブを好きにならない奴らに迷惑なほどに布教し虐げていたような
今振り返ると「あ、俺が嫌われてもしゃーなしやな」ってわかる
けいおんで知り合った仲間を罵った
人が去ってラブライブからも人がさって4000のフォロワーの誰からもいいねされなくなってようやく気がついた
だが遅すぎた
家族に謝った
けいおんで知り合った仲間に泣きながら謝った
晴れて俺はラブライブというコンテンツに張り付きながらも生きる事を許された
2年ぐらい前ならFGOか 一年前ぐらいならVtuberだろう 今なら皆さん言わなくてもわかるだろう キメハラなんて言葉もつくられてしまって
もちろんそのコンテンツのファン全員がそんな厄介なわけではない
事実そのFGOやVtuberに自分みたいな人間はいなくなり もしかしたらキメハラしてるのかもしれない
自分はラブライブ一筋ってずっといってるのにアニメがやっちまったもんだからまぁマウントとられるわとられるわ 売上とかどうでもいいじゃん(なお昔の自分は他のものに売上でめっちゃマウントとってたもよう)
キメなんとかのヤイバなんて見たこともないけど一瞬で嫌いになった
でもわかるよ
もし本当にそれに呪縛されるぐらいハマって周りの人間が他のコンテンツに行った時
自分みたいにならんことを祈る
でもならんやろうね
7~10年もあればやっぱ変わる
映画も記録を更新し続けたり、よくわからん商品とコラボしたり、最終巻もこの出版不況の中で本屋に行列が出来たりと未だ冷めやらぬ状況だ
テレビを付ければ鬼滅
ソシャゲにも炭次郎が顔をのぞかせる
私個人としては週刊少年ジャンプを購読しているので連載時から本作を読んでいた
面白いと思い単行本も買っていたが一番好きな作品という物でも無く
正直ここまでのブームになるとは思わなかったので面を食らったりはした
ファン以外の大半の人は「よくわからないけどブームなんだなぁ」という感想だと思う
しかし当然これだけ乱発されていると「鬼滅うざい」と嫌いになる人も出てくる
私のTwitterのTLでも少しずつ「うんざり」という感想は出てきた
「キメハラ」なんて言葉も生まれたりしてブームに辟易としてしまう人が出るのはやはり当然でもある
そして「うんざり」を通り越して「鬼滅憎し」になってアンチと化した一人を見た
普段はお絵かき・趣味アカウントだったその人はトレンドに鬼滅が上がれば豹変して愚痴を呟き
同じように「うんざり」している人のツイートを片っ端からリツイート・いいねを繰り返していた
バズっているお気持ち表明がTLに流れてきた時に同意見のリツイートするのは良くあることをだと思うが
この人はわざわざ検索をかけたのか相互でもバズってもいない個人の呟きや過去の呟きを全部リツイートしていたのである
された側も突然シュバってきて困惑したであろう
何が彼をそんなに駆り立てたのだろうかと気になって何が嫌いなのか話を聞いてみた
「つまらないと思っていた作品につまらないと言えない風潮になって気持ちが爆発したのだろう」
とか
とか思っていた
だが返ってきた答えは違っていた
という例はよくある
うんざりする位ならわかるが一度も読んだことも無い物にこうもアンチなど出来るのか?と思い
「人と違う俺カッコイイ」をアピールしたいんじゃないか?という事
中学生くらいの時にこういう人はよくいたと思う
流行りのJ-POPを笑ってよくわからない洋楽を聞いてるイタイやつだ
周りに人がいる状況では「染まらない俺」をアピールしがちである
もちろん私にも経験がある 思い出したくもない
しかし社会に出ればそんな「周りと違う俺カッコイイ」はできなくなる
させてもらえなくなる
そんな「世間や他人とは違う俺カッコイイ」を周りの人にアピール出来る場所としてTwitterは最適だったのである
という図式が出来上がった
そこからさらに深く調べていくと実際「ゴリ押ししてくる過激なファン」という物は少なく
大半はTwitterで流れてくる本当か嘘かもわからない話を見て空想でゴリ押しファンを作り上げて嫌いになっているんじゃないか?とも思えた
一言で言えばPS4pro Ver.2って感じがする。まあ発売前のスペックで分かってたけど
一番の違いは公式も推してたカスタムSSDによる高速ロードとフレームレートの安定具合
試しにダウンロード版Blood BorneもPS5で動かしてみたが、フレームレートの安定はしなかったがロード時間は短くなった
総じて最新の物が欲しいミーハーか、初期型PS4から乗り換えを検討してる人間にはオススメ
性能に魅力を感じて欲しがってる人間はもっと本体性能を活かすゲームが出てから買おう
文章にするのがめんどくさい部分は箇条書きで書きだした
・本体が静か
・本体でかすぎ
・本体が熱くならない(分解動画見るとかなりの割合を冷却に割いてる)
・コントローラーの使い心地は普通。新機能はあってもなくても大差ない
・レイトレは要らない。理由はレイトレ非対応のゲームですら画質優先モードにするとfpsが安定しないから
・60fpsで安定するのすごい。いやすごいかすごくないかで言えば凄くないけどCSで60fps安定してるのはすごい
・ホーム画面が地味に重い。そして使いづらい
韓流は試してみた?
試しに「愛の不時着」見せてみ?連ドラだから少なくとも数日はネット忘れてのめり込むよ。
脈あるようなら息つく間もなく過去の名作韓流ドラマや韓流映画オススメしてくるから自動でのめり込むよ。
タバコや麻薬の離脱と同じでとにかくyoutubeから引き剥がす時間を作って注意を他にそらすことが大事だよ。
なので韓流見れるサブスクならどこでもいいけどYouTuberと隣り合わせなyoutubeの有料プランだけは避けた方がいい。同じ理由でニコ動も×。
修正不可能なくらい亀裂入ってるわけじゃないなら夫婦で趣味共有できた方が話が早い。
父親が無理そうなら増田が一緒に韓流にはまってあげるといいよ。
増田母も元増田の祖父と同じでこのコロナ禍で孤独を熟成してしまってるんだと思う。
コロナでなければ増田が旅行/観劇/ディナーショーなどに連れ回しネットから引き剥がして忘れさせる方法もあるけど今はそれは無理なのでとりま「愛の不時着」。
脈薄そうでも増田自身がはまってるとか理由つけてはまり込むまでリピするといいよ。
増田母の場合もリア充させて興味の矛先逸らした方がいい気がする。
女性はおしゃべりと共感してくれる相手に弱いから身近な人と同じ話題で盛り上がれるのが実は一番嬉しいし楽しい。
よくアイドル歌手や俳優にのめり込む人いるけどあれ実は歌手や俳優本人というよりそれらを好きな人たちと交流するのが楽しいってのがあるから。
多分そこに増田母はつけこまれてる可能性もあるから逆に増田が母専属の韓流ソムリエYouTuberになればいいと思う。
元増田の祖父が抜け出せたのはただNetflix与えてお終いじゃなく、元増田自身がTwitterでも繋がって寄り添い、つかず離れず連絡取りつつ見守ってたとこも大きいと思うんだ。
孤独にさせないこと。
リア充させること。
この二つが大事なのかも。
コロナでこの二つがかなりむずかしくなってるけどね。
それか増田の嗅覚で母親のはまりそうな趣味見つけて波状攻撃してみては?
ちなみに韓流/旅行/観劇/ディナーショー以外で高齢女子にオススメは宝塚、歌舞伎、落語、綾小路きみまろ、手芸、食べ歩き、ペットなど。
この中では韓流が一番安価でコロナ禍の今も気軽に始められてオススメ。
韓流沼もはまったら被害はせいぜい韓国旅行に行きまくるくらいだけど今は幸いコロナでそれも不可能だし。
好きな芸能人ができると、ミーハー心が暴走して「この人と結婚したい」と一瞬思うんだけど、でもこの人に家事育児させて芸を磨く時間を奪いたくないな…って冷静に考えるようになった。
同業者と飲みに行ったりご飯食べたりしててほしいし(ご時世はさておき)、夜寝る前には好きな本や漫画を読んでもらいたいし、休みの日には好きなだけ寝たり仕事のための勉強やインプットに没頭してほしい。
本人がやりたくてやるなら受け止めざるを得ないけど、できれば一生子育てとかしないでほしい。
子育ては、ほんとに、感性とそれを深める時間を奪う。あ、実体験の話です。すでに結婚もしてるんですけど。
ひきかえ配偶者には道連れを望んでいる。外で遊ぶな、起きてるなら家事育児しろ、休みの日も早く起きて掃除洗濯どんどんやれ。
一番尊敬しているはずの人なのに、育児から解放してあげられる心と体とお金の余裕がなくて申し訳ない。
一緒に、感性が死んでいく日々を送ってくれ。
このように書くだけでおそらく既に一つの漫画タイトルが思いつく方もいるだろう。
現在、日本を代表するといってしまってもいいほど大流行し、老若男女に親しまれるあの漫画、もといアニメである。
私はこの漫画を1巻から発売日に購入し、映画ではタイトルで涙ぐむほど大好きな漫画なのである。
この大流行を機に、なぜ古参オタクが老害になっていくのか、私の心の変化を書き留めておきたい。
実際、3巻が出るころまでではインターネットの評価は芳しくなく、揶揄するようなコメントも多かったことを覚えている。
私も久しぶりにアンケートはがきを出し、延命に微力ながら期待しつつも、どこか危機感がぬぐえぬままであった。
しかし、あれよあれよと長期連載化、アニメ化、大バズである。この世は恐ろしい。
さて、私の心境であるが、もちろんとても嬉しかった。世間がこれほどまでに推しで一色に染め上げられるとは。夢でも見ているのではないか。
その一方で、どうしてもいわゆる老害的なオタクの面も顔を出し始める。
そのような友人がいないため古参顔ができないことが不幸中の幸いか。
前書きが長くなったが、同じようなオタクたちに、そしてこれからの同志たちに伝えたいことをつらつらと書き連ねていく。
なぜ、一般的に嫌われるとわかっていながら古参オタクの一面が覗くのか。
もちろん、単純にムカつくことはある。例えば、先日〇〇みたいな漫画描け、というような文脈で引用されているのを見た。
先述したように序盤は評判もあまり高くなく、新連載の順位としては…だった時期を知らないでそんなことを言ってんじゃないよというムカつきだ。
しかし、古参アピの本質を語るにはあまりふさわしくない。古参アピはもっと醜いものなのである。
まず第一に、流行っているものに飛びついているのがダサいという気持ちは確実にあるだろう。
社会的な流行に限らず、メジャーデビューやテレビ出演など、注目を浴びているものに無条件で飛びつくことはダサい。
これは「ミーハー」という言葉があることからも共通認識として認知され得ると思うが、まさに「ミーハー」と思われたくないのである。
そして、自分が「ミーハー」でないことの証明として挙げられるのがファンの期間の長さなのである。
私は偶然1巻の購入時、買ってきた旨のツイートをしていたのだが、それがあって本当に助かったと思っている。
ツイートを披露する機会は現実にないが、これがなければ信憑性の高い古参アピールをするのはなかなか難しい。
オタク諸君はもし、今推しているものがあったらすぐツイートするのをお勧めしたい。(ひけらかすのはよくない)
私はこのツイートがなければ他の「ミーハー」と何が違うのか。メンタルが崩壊していただろう。
次に、勝てる要素が歴史だけという点がある。
例えば、私は1巻から買っている古参オタクだが、〇〇の誕生日は?とか、〇〇の好きなものは?と聞かれてもわかるものは少ない。
人生で最も好きなもの、作品だとしてもそのオタク1000人を集めて知識で上位に行けるか、といわれたら自信を持てる人は少ないだろう。
私は声優もあまり知らないから、今街に出て、「〇〇の声優をやっている人は誰ですか?」と聞かれても答えられない。
私はグッズを収集していない。本誌に載っている応募者全員サービスなどは所有しているが、ぬいぐるみやカードなどは所有していないのだ。
単純に収入、金銭面の問題もあるし、集め始めると途方もないということもある。
しかし、いわゆる「ミーハー」として蔑んでいたはずの人達が、自分より圧倒的な熱量をもって自分を超えていく。知識を、金を積んでいく。
もちろん、推しの作品が盛り上がり、ファンが増えることはとても嬉しいことである。お爺ちゃんみたいな気持ちになってファンを見て感傷に浸ることもある。
しかし、それと同時に私より後に、流行りに乗っかっていた「ミーハー」が、黎明期を支えた我々よりも上に行く事実に嫉妬してしまうのだ。
「ミーハー」たちがどうやっても覆せない「歴史」を盾に、マウントを取りたがる。
だが、冷静に見てとても悲しく、醜い姿であることは間違いない。
今古参アピしようとしている人たちは今一度自分を見直してほしい。
そして、今古参アピされる人、この記事で「ミーハー」と呼んでしまった人達、あなたたちは本当に何も悪くない。作品を支えてくれて、好きになってくれてありがとう。
古参が幅を利かせてムカつくときもあると思うが、悲しいマウントだと思って流しながら聞いてほしい。
書き連ねてきたが、私自身初めての体験だったため、こんな気持ちが芽生えるとは、と自身の心境にはかなり驚いた。
これを読んでいる人の中にもきっと自分はそうならない、と思っている人がいるだろうがそういう人にこそ、自戒をしてほしいと思う。
広告のコピーライティング(いわゆるキャッチコピー)がすごいと思えない。
私は新卒から現在に至るまで広告業界(大手代理店→事業会社)に身を置いているが、
広告業界特有の「賞」によってクライアントではない人々(主に代理店)がもてはやされていることに対する違和感がいつになっても払拭されない。
学生の頃、音楽制作や映像制作をやっていた私は、華やかなCMを作ってみたい!というミーハーな気持ちを抱き、運良く大手広告代理店に就職した。
研修後のOJTで莫大な予算の企画会議に参加した時のことを今でも覚えている。
その時はコピーの案出しだったが、ベテランといわれるコピーライターの方々がコピーひとつひとつに対しA4用紙一枚を使い、
衝撃的だった。
詳細なことはここでは述べないが、こんな仕事でクライアントからお金をもらって罪悪感を覚えないのだろうかという感覚だった。
たしかにクライアントの持つ課題や、当該商品の特徴など最低限のことは理解してるとはいえ、
クリエイティブと呼ばれている人々の「単純にやりたい」、「前例を作りたい」、「賞を狙いたい」等の動機が圧倒的に優先しており、
純粋だった私は、そのようなことをOJTの感想として述べたところ、ほぼ内定していた希望部署から外されてしまった。
その後、個人的に制作活動は続けながら、仕事としては制作とは直接的に関わらない部署で数年を過ごした。
その後事業会社(いわゆるクライアント側)に移り代理店に発注する側になった。
たしかに、代理店の持ってくるコピーは、きれいなフォントできれいな体裁に整えられたスライド上ではなんだかすごそうに見える。
でも、いつみてもほんとに誰でも書けるとしか思えないようなものばかりだ。(クリエイティブの皆様は死ぬほどキレるかも…)
学生の頃になんとなく通った宣伝会議のコピーライター養成講座でなんとなくテキトーに出したコピーで
その回の最も良い賞(なんかいいえんぴつだった気がする)をもらってしまったり、
新人の頃にみんなでテキトーに出したブレーンのC1グランプリに一発目で掲載されてしまったという体験もあるのかもしれない。
正直、コピーライティングといわれているスキルは他の技術職と比べるとスキルが不明確すぎるし、
「言葉」という普遍的なものの中で勝手に特権意識を感じているだけではないだろうか。
コピーライティングというのも自体は、社会的意義を持つものだと思う。
現に社会に強いメッセージを残しているコピーはいくつもあるし、私自身も好きなコピーはいくつもある。
しかし、広告業界では、コピー(言葉)が属人的になりすぎている。
どうせ賞をとっても業界内の評価しかもらえないのであるから(広告業界的にはそれが名誉とされているのだが)、
人のふんどしで取った手柄で「すごいでしょ?」的な発信することはやめるべきではないだろうか。
そうすれば、業界以外の人々はいちいち広告業界の人々(特に制作の人々)の「すごいでしょ?」アピールに反応しなくてもよくなるし、
キャッチコピー等の広告物もいちいち「作品」とか言われずに、ひとびとの生活の一部となれるかもしれない。
そこそこ有名なコピーライターとなった友人がtwitterで一般人が書いたキャッチコピーに対して
「広告業界のお作法も知らず書いたコピーだからダメ」と苦言を呈していて、いてもたってもいられずに書いてしまった。
ちなみに私は、一般人が書いたキャッチコピーと代理店の持ってくるコピーは大差なく感じることが多い。
たしかに一般人が書くコピーは大半がアレなことが多いが、一日訓練すれば最低限のお作法は身につくと思う。
たしかに思考訓練にはなると思うが、主観的な成長を感じたとしても、客観的な成長を当事者周辺しか感じられない点で意味ないと思う。
と思う。
もっと書かなければならないけどzoom会議の時間が来てしまいました。
乱文ごめんなさい。
そこそこミーハーなファンだけど、当時どん底だったときにマイペースを聞いて生きる活力がわいてきた記憶があるなぁ。
今も苦戦しているみたいだけど、頑張ってほしい。
個人的には音楽って聞いてもらってなんぼだし、YouTubeライブとかTwitchとかで生放送をガンガンやってほしいなぁ。
作曲配信とか、SYNCROOM を使ったオンラインライブとか、普段の打ち合わせとか、仕事中にリアルタイムの作業用BGMになってくれたら最高。
本人たちにとって需要がないと思っていることに間違いなく需要があるから、そこをオープンにしてほしい。
著作権フリーな曲をガンガン公開していくのとかもめちゃくちゃ需要ありそうだけどなー。
もう頭にきた。
文化祭で漫才やってるし、一時期本気でNSC入ろうか考えてた。
女に生まれたせいで好きな芸人について語れないよ。どうしてくれんだよ。
地雷ファンでもミーハー顔ファンでもないってどうやったら理解してもらえるの?
ほんとはアインシュタイン好きなんだよ。
パンサー向井さんのラジオ毎週欠かさず聞いてるけど、パンサー好きって言えないよ。絶対誤解されるもん。
お笑いの話をするとき、誰の名前を言えば「そっち側じゃない」ことを理解してもらえるんだろう。
確かに、劇場に通い詰める女子の中には、痛いファンもいると思う。それは認める。
ちなみにフェミでもなんでもないよ。
一緒にライブ行く仲間でこの話題が出て、もやっとしたから書き込んだだけ。
こういうこと書くだけで「めんどくさいお笑いファンだな」と思われるんだろうな。
あーあ。