はてなキーワード: ミュージシャンとは
地元に帰ると一回は会う友人がいてご飯食べに行ったりするんだけどどっちも食べるの好きだからそれならってことで行ってみたかったとこ行こうってことでドライブがてら出かけるわけだ。近況話したりしてるとふとしたタイミングで向こうが切り出してくる。
「ちょっと聴いてほしい曲あるんだけどかけてもいい?」
出た。こいつと車に乗ってると必ず「会わなかった間に自分が見つけたお気に入りの曲」聴かせようとする。
しかも前にも言ったけど、そういうベタベタしたちょい鬱入ったようなSSW系は好きじゃないんだ。いや自分だって聴くよ?大森靖子とかエリオットスミスとか好きだけど。でもそういうのとは違うなんなんだろうちょっと受け入れられない。
ていうかなんでおススメしたい曲を流してる間無言なの?「まずは聴いてみて」じゃねーよ。こちとらイントロの時点で「うん、無い」って答え出てるよ。その曲に、その歌手に、もしくはその曲とおまえとの間にストーリーがあるならそれを話してくれよ。なんで俺が汲み取る努力しないとダメなんだよ。
前は普通に音楽の話もしてたし、なんならこっちから「かけたい曲ある?」って尋ねたりもしてた。でも今はこの流れになるのが嫌でこっちから積極的に音楽の話はしない。
こっちがシャッフルで流してても「今のところ特に引っかかるのは無いね」からの「ちょっと聴かせたいのあるんだけど」
これだ。いや、こっちは好きなの流してるだけなんで。
なぜこうなってしまったのか。
次帰ってもその友人には会わなくていいかとすら思い始めてる。
"Sometimes It Snows in April" はアメリカのミュージシャン、プリンスの楽曲。
プリンス自らが主演、監督を勤めた映画『アンダー・ザ・チェリー・ムーン』のサウンドトラックでもある8枚目のアルバム
"Parade" (1986年発売)に収録。プリンスが作詞、作曲、プロデュース。
プリンスのバンド、ザ・レヴォリューションに在籍していたウェンディ・アンド・リサが作詞に加わった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sometimes_It_Snows_in_April
http://strongerthanparadise.blog.fc2.com/blog-entry-475.html
狙っていないのに名曲になった、みたいなエピソードいっぱいあるし、事実として調べてないけど一個くらいは例があると思う
そのとき最初に発生した「凄い」の気持ちの根拠って一体何なんだろう。
自分のこと周りの誰もが知らないみたいな環境でバンドが奏でたリフの一発目でもうやられた奴の根拠って。
実は家が金持ちで音楽が常に身近にある家庭で育った、親がミュージシャンだった、、なんだかんだ
なら一個目の前の、音出す前の一瞬の空白からやばいバンドっているじゃん!ド頭息吸った音でもうゾクゾクのシンガーがいたじゃん!!本当にいるかどうかは知らねーけど多分一回くらい歴史上起きてんじゃん!!クラシックとかもバンドにカウントするじゃん!!あるじゃん!!
なんなんだよ!なんなんだよまじで!意味がわかんねーよ!
結婚したい人たちが集まれば集まるほど、倍率高くなるわけだし。
周りみんなライバル。
相手もそれだけ多いかもしれないけど、結婚できれば誰でもいいってわけじゃなくて当然よい相手ほど倍率が高い。
ふと思ったのだけど、もしかしたら目的を叶えたいなら同じ目的を目指す人を集めた場所よりも、目的が叶う場所に近づいたほうがいいのかも。
結婚したいなら婚活サイトじゃなくてライバルが少なくて年頃の異性が多そうなところ。
ミュージシャンになりたいなら音楽の専門学校じゃなくて音楽を聞いてくれる人が多いところ。
それに、同じ目的を持った人間が集まる場所って絶対に敗者同士の馴れ合いや足の引っ張り合いがあるし、それから逃げるための余計なエネルギーがかかりすぎる。
うわー。なんか世の中の歪が色々見えてきた気がする。
同じ目的同士が自然と集まる場所ならいいけど、意図的に集めてる場所はダメだ。ましてやそれでお金取ってる場所とか。世の中そんなのばっかりで愕然とした。
現在20,779票【回答受付中】同性婚、日本でも合法化すべき? - Y!ニュース意識調査
現在は若干反対派が多いですが、反対する理由を冷静に考えると論理的に正しくないと思ったので書いていこうと思います。
でも、本当にこんなことが起きるとは思えない。
例えば2018年の出生数が100万人だとする。
その結果、2019年の出生数が90万人だった…となれば、「同性婚を制度化したことで少子化が進んだ」と言えるかもしれません。
でも、この結果になるには「同性婚ができることで今まで異性愛者だった人が同性愛者になる(同性婚する)」ということだと思うんだけど、そんなことある?
今これを読んでいる異性愛者の方、同性婚できるようになったら同性愛者になりますか?
なりませんよね。
最近NHKでシニアの婚活の特集をしていて、70歳過ぎで婚活で出会って同棲していて近いうちに結婚しようと思っているとありました。
それなのに何故結婚できるのでしょう。
何故戸籍上男と女というだけで生殖能力に関係無く結婚できるのでしょうか
「結婚は子どもを作ることを前提にしている」というなら、このような場合は結婚できないとしなければいけないでしょう。
結婚が子どもを作ることを前提にしているのなら、婚姻届けを出すときに2人には生殖能力があるという診断書を出さないといけない、結婚してからも定期的に子どもができたかどうか届けないといけない、不妊で子どもができないとなったら結婚を破棄しないといけない…
こういうディストピアのようなことになるはずだけど、現状そんなことにはなっていない。
だから、結婚の要件に子どもを作る・作らないは関係無いと思う。
これも具体的にどういうことか分からない。
例えばニュースで「○○県で男性同性カップルが結婚しました!」「□□県で女性同性カップルが結婚しました!」というのを見て、自分の親や兄弟・配偶者・子どもを見て「同性愛者も結婚できるようになって、自分たちは本当に家族なんだろうか?」と悩みますか?
そうは思えない。
ただでさえ人手不足と言われている昨今、貴重な労働力を国外に流出したらもったいない。
ここまで反対意見を見てきたので、今度は同性婚が制度化することによるプラスの効果を考えてみる。
正式に結婚できるとなったら、まず結婚式の需要が増えることが考えられる。
他にも結婚を記念して新居を建てるとなったら建築産業や家具産業も活性化するなど、色々な経済効果があるでしょう。
例えばAppleのCEOのティム・クック、実写版美女と野獣の監督のビル・コンドン、ガストン役のルーク・エヴァンスはゲイです。
これはアメリカの例だけどLGBTの中にも才能がある人はいる。
そういう人に日本で働いてもらうためにも同性婚の制度化は必要でしょう。
同性婚について色々と心配する人を見るけど、2015年の電通の調査ではLGBTの割合は7.6%だった。
そんな全人口の数%の人に結婚できる選択肢を与えるだけで、社会の何が混乱するんだろう?
年収だけで言うならなら医者以上に稼ぐ人はエンジニアでもコンサルタントでも商社マンでも腐るほどいるぞ。
27歳になった。
この歳になると、テレビにもネットにも同世代で活躍する人間が徐々に増えてくる。プロスポーツ選手とかはもっと若くから活躍する人もいるけど、そうじゃなくて会社を起こして成功したり、ミュージシャンとして頭角を現したりする人たちが同じ世代だったりする。
小さい頃は万能感があって何者にでもなれる気がしていたし、大人になってからも自分なら一角の人物になれると思っていた。
だけどこうして同世代がじわじわと世の中に浸透していくのを見ると、思っている以上に自分は出遅れているということに気づく。というより、もう人生を踏み外してしまっている気がする。
何かの才能があるわけでもなければ、何かを積み重ねてきたわけでもない。行き当たりばったりで逃げてばかり。そうやって出来上がった27歳。
岡崎体育を知らなくて、初めて観たときは「何このデブス」って印象でYoutubeでMV観ても「ふざけた曲ばっか、寒いわ」って馬鹿にしてた。
でも真面目な曲を聴いていい曲過ぎて衝撃を受けた。最終的にこの人は真面目な曲を聴いて貰うために戦略的に入り口をコミックソングにしているという話を聞いて、自分が情けなくなった。
20代はアイデンティティを見つけるためにあると言うけれど、このままだと確実に自分を見つけられないまま30代になる。
生きているのが辛いと思ってしまうほど、一角の人物じゃない自分が嫌いだ。こんなはずじゃなかった。27歳の自分はもっと活躍しているはずだった。でも違った。才能もなければ努力も出来ない。ただのクズ。生きている意味が分からない。
内閣府のホームページを見ると文化勲章は「文化の発達に関し特に顕著な功績のある方」に与えられるらしいけど、いまやサブカルチャー大国として海外に広く知られている日本で、漫画家・ゲームクリエイター・アニメ制作者・ミュージシャンなどに与えられないのはおかしい。
サブカルチャーは文化ではないとでも?アホか!むしろいまの日本文化を形成してるのは大部分がサブカルチャーだっつーの!
完全にあげ損なったよね。あーミスったなあ、って内閣府は思ってるよ絶対。
手塚やら水木やら宮本やら宮崎やら高畑やら、いまからでもいいからあげればいいのに。
イギリスだとポール・マッカートニーやミック・ジャガーなどのミュージシャンにナイトの称号を与えているのに比べたら、文化勲章はなんて後進的なんだろう。
日本語で表現したい事があるなら新しい曲作って歌えばいいし、洋楽を歌いたいだけなら英語で歌えばいいだけなのに、原曲の雰囲気を台無しにする日本語の歌詞つけて借り物の曲歌ってるのが最高にダサいなあと思う。
そこそこ食っていける=無理のない正社員の仕事やアルバイトしながら生活できる
音楽的にタイプは違いますがフリージャズからスタートして変化させていった
音楽好き向けのアーチストということで、渋さ知らズオーケストラをモデルにすると
現在では単独キャパ500くらいの箱でやれますし、海外でのツアーも回っています
このくらいまで行ければ大成功といったところでしょう
同じく音楽好きのためのマニアックな音楽という意味で、プログレパフォーマンス集団の溺れたエビは
さらにネオクラシカルをベースにドローンアンビエントや激しい音楽との融合を図っている
関西のパフォーマンス集団Vampilliaは海外でリリースしたり出来るレベルの人気のあるグループで
婚活サイトの女性のプロフィール文見てて気になった、微妙なキーワードをピックアップしてみた。
・ゴルフ:金かかりそう。
・海外旅行:金かかりそう。
・天然:正直痛い。
・顔写真が1枚しかない。加工してる:奇跡の1枚だと困る。ぼかしは自信ナシと見なす。snowは論外。
・胸のサイズがわかる写真:世の中は巨乳好きだけじゃない、貧乳好きもいる。お互いのためだ。
・ペットの写真:自分が犬飼ってるのに相手が猫飼ってたり、自分が猫飼ってるのにハムスター飼ってたら困るので、選別するのに助かる。
・マンガ・アニメ・ゲーム:正直フレンドリーな感じがしていい。いやでも普通の人には地雷か。
・好きな作家・好きなミュージシャン:趣味が合うといい感じだけど、「うわぁ」と思うのもあるので、諸刃。
書いてて思ったが、『結局セックスできるママが欲しいんだろ?』という批判は甘んじて受ける。正直すまんかった。
婚活サイト使ってる女性は、たとえば実際ゴルフが好きでも、紹介文では書かない方がいいかもしれない。ゴルフに偏見がなかったりゴルフが好きな男性を狙ってるなら、もちろんいんだけど。
よい婚活を。
あ、誰か男性版もはよ。
最近はわたしくしの所にも、色々とテレビや新聞、ラジオのお仕事が舞い込んで参ります。大変にありがたいことです。しかしなかなかに難しい注文をされるところもあって、申し訳ありませんがそれはわたくしの力量を越えておりますとご遠慮させていただくこともございます。難しいというのは風刺です。とくに政治の風刺は大変に難しい。10年前20年前も難しかったが、最近はもっともっと難しくなった。これはもういわば怪物です。わたくしのような年寄りには到底かなうものではございません。そう言うと、テレビ局の方、新聞記者の方は目を丸くされるんですな。
海外、特に欧米では政治の風刺というのは盛んだと言われています。一国の大統領や王様がコケにされる。それを喝采する人々というものがいる。しかし日本ではなかなかそれがうまくいきません。誰を虚仮にしても目を血走らせて食ってかかる人が現れる。てめえの噺はつまらねえんだよ!とお客さんに叱られるのはわたくしども日常茶飯事ではございますが、そういうのとは次元の違う感情をぶつけられる。しかも一人や二人ではございません。何百人なら少ない方、へたすりゃ何万人なんてことにもなりかねません。これをわたくしは怪物と呼んでおります。これにかなう者はこの世にはおらんでしょう。
さて、ではなぜ欧米と我々日本人は違うのでしょう。これもまた生半に語れることでもございません。ここにも怪物が潜んでおります。いやはや恐ろしいことです。おそるおそる怪物の尻尾をまたいでみたいと思います。
誰しも自分が虚仮にされて嬉しいものではございません。虚仮にされてうれしがるのは噺家のような奇人変人選りすぐりのエリート集団くらいなものです。では自分じゃなければ虚仮にされても平気でいられるのか、そんなことはございませんね。我が子、親兄弟、恋人、妻、夫、友人、恩師、ペット、愛人、などなど。…愛人は余計か。これらは場合によっては自分を虚仮にされるよりも腹が立つという人もいることでしょう。いま申し上げたのは自分の身近にいる自分にとって大事な人達です。それだけではございませんな。贔屓にしているアイドル、ミュージシャン、テレビタレント、スポーツ選手、こういう遠い存在も、やっぱり虚仮にされるとむかっ腹が立ってくるのが人情というものです。政治家というものも、この中に入ってくる。これが今の日本人というものなのかなと、噺家風情が考えてみたりするところであります。
虚仮にされて腹が立つのは、名前や顔を知っている人だけとも限りません。何かに一生懸命に打ち込んでいる人を虚仮にするというのも、やはりいい気持ちがしないというのが人情というものです。甲子園に出るために一生懸命練習する高校球児達を、何が面白くて汗まみれ泥まみれになりながら球を投げたり転がしたりしてやがるんだ馬鹿馬鹿しい、などと言おうものなら、明日からわたくし朝日新聞と毎日新聞から出入り禁止でございます。今日のお客様の中に関係者の方がいない事を祈るばかりです。いやあそれにしても、うちの○○と××を出入り禁止にしないNHK様の懐の広いこと広いこと!よっ、日本一!来月から受信料ちょっと多めに払っちゃう!
(注:○○と××…この噺家の一門に属するコメディアン。最近相方をビール瓶で殴る時事ネタを披露した)
まあそれはさておき、政治の風刺が難しい理由もこの辺にあるのでしょうな。誰もが応援している議員さんが一生懸命やっている事を知っている。知っているから虚仮にされるとムカッとくる。これは別に恥じることでも何でもないと思いますな。日本人は政治に関心がない、などといったことを言うお人もいらっしゃいますが、本当に関心がないのなら、政治の風刺も他人事と思って笑って流せるんです。今は政治は笑い事じゃないんですな。それの善し悪しは今は分かりません。昔からよく言いますな。政治・宗教・野球は飲み屋で話しちゃいけないよ、と。真剣になってる人に茶々を入れることほど無粋なものではございません。どうしても茶々を入れたくなったら、是非とも寄席へお越しいただいてわたくしどもに野次の一つでもいただければと思います。本日はどうもありがとうございました。
ってうじゃうじゃいるけれど、そういう輩が仮に100万人いたとして、年会費12000円のファンクラブがあったとして、何人入会するの?って話。たぶん1000人(全体の0.1パーセント)もいないよね。
くるりとcoccoのコラボバンド、SHINGER SONGERの初花凛々という曲がある。
私は、coccoという女性を「怖い人」だと思っていた。拒食症と自傷癖を告白した雑誌の表紙でしか彼女を知らなかったから。偶然「カウントダウン」という曲を聴いたとき、「やっぱり怖い人じゃないか!」と思った。charaの「やさしい気持ち」を暴力的にした感じの曲だからだ。
しかし、「初花凛々」という曲はあまりにも透き通っていた。癖のないメロディに伸びやかな歌声。ドス黒い愛憎歌を歌っていた人と同じ人とは思えなかった。思ったのは、同じ人がこんなに違う歌詞を書けるんだ、ミュージシャンはすごいな、という率直な感想だった。
同じことをシルベスター・スタローンでも思った。
80年代的な筋肉バカ映画の英雄、というイメージは、『ランボー』に粉砕された。ロボットのような殺人マシーンのベトナム帰還兵が、小さな町を破壊し尽くしたあとでメソメソと泣く。彼をマシーンに仕立てた上司に付き添われてパトカーに乗り込む姿は、ちっともシュワちゃん的ではなかったのだ。
そして、『コブラ』でスタローン萌えに目覚めだ。ボブルヘッドの動きにあわせて頭を振るスタローンの可愛いこと。クソ映画だけどスタローンはかわいいというパターンが多いことにもまた気付いた。シュワちゃんも、ヴァン・ダムもよく見ると可愛い。マッチョマンは可愛いのだ。『ランボー』を観る前に、マッチョマンを可愛いと思ったことはなかった。私の未熟な価値観を、泣き虫ジョン・ランボーが変えてくれた。
coccoに対して抱いていた恐怖心のすべてが消えたわけではない。coccoの怖い一面は魅力の一つだということに気付いただけでも成長なのだろう。「初花凛々」を聞いていると心が安らぐ。エンヤに癒やされたことはないけど、coccoには癒やされた。ギャップは素晴らしい。この驚きが味付けの一つになっていることは否めない。
■初花凛々のリンク貼っとくわ。Mステの動画らしい。coccoめちゃくちゃ緊張してんの。でも歌声は伸びやかで透き通ってるのよ…このギャップもいいのよ
田舎から出てきてアイドルになったけどあんま売れずに引退して芸能事務所の下働きしてる18歳の主人公が
僕の甥はとあるロック・バンドでボーカルをやってるんだけど、最近少しだけ売れてきた。
まだ全然それで暮らせるレベルではないけど、売れないミュージシャンと名乗れる程度にはなってきてて、地方でのサーキットイベントだけど一応「フェス」と名の付いたイベントに今度出演するそうだ。
彼のクズっぷりとその悪行三昧は半端なくて、僕はそろそろ半世紀近く生きているけど、彼以上のクズを今のところまだ見たことがない。
彼の周りはもれなく彼を見捨て、二親等内の親族は全員なんらかのメンタルヘルスを患い、特に一番近い親族は人生をかなり足踏みさせられた。それはきっとその人の人生を既にそこそこ台無しにした。
彼の祖父(僕にとっては父)は、関わったストレスでとある病気を発症し、それは完治する類のものではないので身内の労働力は祖父が死ぬまでその介護に全部持ってかれる。
その彼がライブやフェスでファンを前にして、頑張ってる自分らをアピールして、過去の悪行三昧をまるで武勇伝のように語る様を想像したら、腸が煮えくり返るし、彼をどうにかしてしまいたいくらいの気持ちに駆られる。
困るのはその気持ちが聴く側の気持ちに影響することで、僕が敬愛するミュージシャンたちも一皮むけばそんな人物像なのかもしれないと想像してしまう。そうなると、これまでみたいに素直に音楽を聴くことができなくなってきた自分がいる。
彼がこれからもしもっと売れて、国民的に知られるようなレベルになることがもしあったら、きっと過去の彼の行動は全て正当化され、彼を作ってきた要素として肯定して語られるときがきてしまうだろうと思う。
そうなると僕はたぶん自分をおさえられず、彼をボコボコにしてしまうと思う。
音楽で食うってのはそんなに簡単なことではないと思うから大丈夫だとは思うんだけど、そういう日が、クズが認められる日が来ないように、彼が売れないでいてくれるといいな、と切に願ってる。