はてなキーワード: ミュージシャンとは
便宜上「推し」と書いているが、応援しているミュージシャンの住所を知ってしまった。
私の推しはたまに自宅からの写真を載せていて、そこにかなり特徴的な建物が写っていた。
暇潰しにグーグルマップで10分くらい調べたら、その建物と一緒に写ってる駐車場や公営住宅を同じアングルで見られる場所を発券してしまった。
で、これまた興味本位で割り出した建物の名前から不動産屋のサイトを片っ端から調べたところ、全室3LDK以上の間取りのファミリータイプマンションだと判明。独りでそんなところに住めるほど売れてる人じゃないし、家庭持ちだと確信した。
何に困ってるかというと、その人来週うちに遊びに来る約束になってるんだよね。
お金のない大学生のデートみたいで、それはそれで楽しいと思う。サイゼリヤ、ちゃんと選んで注文したら美味しいし楽しい満足感高いし。
大切なことは、デートの食事にサイゼリヤを選ぶ以上はサイゼリヤにふさわしい恋愛でないとダメだということだと思う。甘酸っぱい青春まっただなかの大学生っぽいデートに、サイゼリヤは似つかわしい。だから、例えばサイゼリヤのあとにラブホに誘うなんてのは究極のナンセンスなんですよ。言語道断。そんなことするからデートでサイゼ(笑)とか言われる。デートでラブホに行くような恋愛にはそれ相応の雰囲気がある。サイゼで男女が食事をするというのはそういう、糠臭い恋愛には似合わない。好きなミュージシャンの話なんかをしながら、今年の夏はみんなを誘ってフェスに行こうよなどと駅まで少し遠回りしながら歩いて話しながら、また話そうな!楽しかった!おつかれ〜!、といってホームで別れなければならない。
でも「さかもとまあや」「さかもとみう」という音だけだとどちらがどちらかわからなくなる。
真綾さんも美雨さんもラジオパーソナリティを担うことがあるが、どちらもしっとりとした穏やかな語り口調ということもあって、度々双方どちらかと勘違いしてきた。
さらに同い1980年生まれで音楽活動も互いに精力的、歌手デビューはたった1年違いということでトーク内容に違和感が出にくいことも、勘違いを助長させている。
そしてどちらもあまりメディアに顔出ししていないので、サイトなどで顔写真を見てもやはりなかなか気がつかないのだ。
最近も「坂本美雨のディアフレンズ」を「坂本真綾のディアフレンズ」だと間違えていたことに気がついた。
はっきり「さかもとみうのでぃあふれんず」と言っているのに。
声優の坂本真綾さんが俳優やミュージシャンにインタビューしていると思いながら、約1年近く僕は車を運転していたことになる。これはかなり異常なことじゃないか?
調べてみたら2011年に放送された「ディアフレンズ」に坂本真綾さんがゲスト出演したらしい。リアルタイムで僕が聞いていたらパニックを起こしていたに違いない。
増田さん、まだ違うよ。
コンサートやライブに行くファンの女性はオタクでモテないか?NOだよ。
彼氏がいなくても、現実にミュージシャンやアイドルと交際したいとかいうのって
ファンは芸能人を恋愛対象にはしてない。憧れの対象ではあるけど。
一部の追っかけさんたちは、恋愛対象にしているとおもう。
愛されればなんでもいいわけじゃなく、「誰に」愛されるかと、「どのように」愛されるかがすべてなので。
年齢や容姿などがストライクゾーンから大幅にずれた異性に熱烈に愛されたり、
プライバシー侵害や干渉など受け手が恐怖や嫌悪をおぼえるような方法で愛されるのは、
された側が弱ったり病んだりするものなんだよ。
これは男性が駄目という話をしているんじゃない。
女性ファンにストーカーされた男性ミュージシャンとかアイドルとかもかなり病んでるよ。
だからアイドル男女に向けられたファンの愛が、もし一般男女に向けられていたら幸せなカップルが生まれていたかっていうと、
必ずしもそうではなく、嫌いな異性に追い掛け回されて苦しみぬく一般男女が増えただけかもしれない。
秋元康は、魅力がない男性や、受け手が嬉しく感じるような愛する方法がわかっておらず意図せず相手を苦しめるような男性の愛を、
オタ気質のイジメられっこ根暗が、「チクショー!こんな俺だって!」と奮起したいけど
腕っぷしも根性も無い場合、革ジャンを着て、ロックを聴き、ギターを掻き鳴らす事でしか打破できなかった。
野間と同じ世代で成功してるロックミュージシャンはこういう出自は多い。大槻ケンヂ然り甲本ヒロト然り。
それが昭和50年代という時代だった。そちらに流れなかった奴らは開き直ってオタク第一世代になった。
10代の鬱屈とした感情をバネに自力で這い上がれなかった奴らは、心が思春期のままのめちゃキモいオッサンになる。
いつまでも付き纏う、暗澹としていた思春期のコンプレックスを克服しようと徒党を組み鋲ジャンを着て釘バットを掲げる。
このコンプレックスの克服方法はどう見ても間違っている。ただ周囲の誰よりも年齢だけは上の為、指摘してもらえない。
追記:
永遠の思春期をいまだに引きずる夢想家タイプ。twitter見ればわかる。
彼らより10年後になると小賢しいが妙に現実主義な奴が増える。
世界中を旅する、というミュージシャンとしては最高レベルの経験をしてるくせに出てくる音楽が純度100%のじぇいぽっぷなインティライミのナオトさん。
様々な国を旅して、その国々のメロディ、リズムに全く影響されずにひねり出す音楽がクソじぇいぽっぷなインポチンポのナオトさん。
それなら旅した意味ねえんじゃねえの、て言ってくれる友人はいないのかな?
歌詞の世界も、ワールドワイドな問題に切り込むこともせずに君じゃなきゃダメなんだくらいの歌詞しか書けないエグザイルファミリーのナオトさん。
私の住む新潟で一番デカいハコの朱鷺メッセでライブしたのにも関わらず、まったくチケット売れずに県民会館レベルでもヒーコラ言ってさばいているインディージョーンズ最後の性癖はスカトロでスカトロ議長の前で歌った歌がスキヤキという食いもんの歌のナオトくん。
すごいよな、宗教の力って。
介護疲れという状況を初めて認識したのは私が高校生の時、親が近くに一人で住む認知症の祖母の面倒を見ていた時。
鈍感で何言われても気にしない省みないような父親が夜うなされていた。
徘徊等による症状の対応で職を失い介護につかれた中年男性が心中しようとするエピソードがある。
救いようの無い様子が垣間見えて、どこにぶつけていいかわからない飲み込めないモヤモヤとした気持ちで胸がいっぱいになった。
元気な時は元気、崩したときは解離を起こしてしまい意識はあるが行動を制御できないというもの。
そんなアラサー。
とここまでが自己紹介。
今は家族、職場など周囲の理解もあってマイナス側ではあるが安定している状況。
元々病気については知っていたため一緒に治しながら生きやすい生き方をしていければと思っている。
こんなケースは精神疾患にかかる人が相当数いるこの世の中ではあまり珍しくもないものだと思う。
だけども、だけども周りがうらやましいとも思う。
子供が出来て子育てに大変そうながらも幸せな忙しさに満ち溢れている家庭。
家庭を顧みずやりたい仕事に没頭している人。
ミュージシャンの小室さんの騒動があったとき、女性問題に注目されて奥さんに対する
不義理が話題になった。夫婦間の問題ではあるが私もそれは不義理ではあるなーと思う。
ただ、それほど本人は日々の生活に疲弊していたんだろうなと共感する部分がある。
言いたい、吐き出したいことが色々あったはずだがまとまらない。
一つだけ聞きたい。
介護、看病に疲れてる私を見て、別れを進めてくれる人がそれなりにいる。
共倒れになったらそれこそキーチVSの話のように誰も救われないが、介護や看病に疲れ、自分の人生を生きるために別れるという人はいるのだろうか。
いるならどのように自分の心に折り合いをつけたのか聞きたい。