はてなキーワード: バカ丸出しとは
ミニ情報としてはためになったし、素人があーだこーだ口出すなっていうのもよくわかった。
でももともと、そういう話じゃないよね?
千田という人の社会学者としての評価を知りたいってことだったはず。
twitterであんなにバカ丸出しでも学問としてはこういう功績がある、ていうのがあるなら出してください。
しかも散々叩かれたあとに逃亡して鍵掛ける前の理由が子供が、だよ。
素人には学者の価値なんてわかるはずないっていうのなら内部から批判なり評価なりしたらいいこと。
それをしないから
「私を誰だと思ってる」という恫喝めいたパワハラに屈している内輪組織なのではないかと疑念を持つ人が多いのではないですか?
これだけ社会学全体が、いや文系全体が一フェミニストに引きずられて信用を毀損される自体になってるのだからその内部から、つまりジェンダーの研究者からみた評価を知りたいわけです。
今回の東京医科大だけど、女性の社会進出をどう捉えているかが、ブクマから読み取れる。
これは医師に限らない。
女性の社会進出は自己実現を目的にしたものか。それとも、社会の労働力の確保なのか。
この議論が混在しているように思われる。
輪にかけて質が悪い主張として、「女の方が優秀」という自己の願望を投影した風説を流布しようとするのもいる。この議論は上記の2つの混在と別物の、極めて低俗且つバカ丸出しの主張である。が、突っ込まれにくいのは、混乱に乗じて、批判が分散されるからだ。バカに付き合う余裕がないだけであるが、あまり批判がない中でそうした主張を泳がせているうちに勝手に周囲はそれが事実だと勘違いし始める事を狙っているのだから、これは議論を深めたいからというより、扇動しようとしているのだ。
やたら、論文をあげて正当性を主張するが、読めばツッコミ満載だったりして、更にアホだとわかる辺り、どうにかならないものだろうか。 一般いう 優秀 というのは男女関係なくランダムだろうとお思うけどね。
閑話休題。この問題の元を辿れば、ブラック労働で成立する医療システムが源であろう。
詳しくはわからないが、医療システムも元を辿れば、その場しのぎの制度設計の上に成立したというのが関の山ではないだろうか。結果的に、男性医師がやってきたことができる女性医師以外は退場させられてしまう。
そこで、男性と同じ事を女性ができるかと考え直してもらいたいが、産休や育休を含めて見ると、全然無理な話だ。体力をつけるのはメチャ頑張ったらできるかも知れない、代理出産まで含めればできるかもだが、それは現実的でない。つまり、現行システムではどうしてもデメリットとして残る。
一方でその分男性も苦しむ。忙しすぎて家族に会えない。女の3倍働かされるとか、ブラックすぎるでしょ。とはいえ、この状況で最も大変なのは、やはり入学できなかった女性だし、従来の女性の生き方に見切りをつける意識変革を求められる女性医師である。
育休を男性にも義務付けるのはやりやすいだろう。しかし、社会通念的にも男性が育休を取らないのは見過ごされて来ており、現場としても現実的でないので、結局は男性医師は既得権益の受益者として強者に仕立て上げられ、女性医師は弱者としてしわ寄せが来る。
それじゃ、もう少し、余裕のある働き方を実現する仕組みにすればと思う。定員増だ。でも、しない。人口減少するからというけど、本音は歯医者のように、格差が広がって平均年収は下がる事を恐れてるからだろう。でも、最大の懸念は、破格の年収を得られる場所も出てきて、そこに優秀な人が移るから、年収が良くない大学病院から更に人がいなくなるからではないだろうか。
この定員制限の発想って患者のことを考えてないなと思うし、このやり方が上級国民のやり方と批判されても仕方ないと正直思う。
なぜ、声を上げられないかというと、専門家集団なので、上司に見限られたら出世はできないし、技術も教われないままになるからであろう。
蔑ろにされて来た、プライベートの充実が並立できる仕組みの重要性を真剣に捉え直すと時代に差し掛かっているのではないかと思う。
そのために、男性は下駄は貸されていたのは事実としても、女性の方が優れてるとか、対立を煽る奴にはお前がA級戦犯だぞと言いたい。
(バカ丸出し)はどこにかかっているのだろう
性強要、気持ちよくならないと機嫌が悪くなる、俺の技で満足させてやるなどバカ丸出しキモイセリフを普通に言う、コンプレックスが強くめんどくさい。
共働きで忙しく、すれ違ってしまうから家庭に専念するとかいう理由で仕事を辞めると離婚一直線。
共働きで上手くいかないなら、専業主婦になったって事態が悪化するだけ。
忙しいから話し合いができないと言う人は、時間があっても話し合いの時間をとらない。
専業主婦はモラハラ被害に遭いやすいし、子育てストレスも強い。
③優しい人がこれからずっと優しいとは限らない
転職、部署替え、上司の異動などでストレスがたまると人間はあっという間にクズへと変身する。
その際の発散場として、専業主婦の妻や子どもは圧倒的に弱い立場から泣き寝入りしないといけない状況に陥りやすい。
男性を選べるなら仕事の労働環境や男性育休の可否、仕事への姿勢も考慮すべし
まとめると、仕事は首切られるまで辞めてはいけない、資格習得などの勉強が自分を守ることにつながる。
よい結婚を祈ってるよ
社会問題とかで比喩やたとえ話をすると、その表現に対してクソバカなコメントをするやつが大量に現れる。
「たとえ話は炎上するとママに教わらなかったのか?」なんてコメントがつくまでがワンセットだ。
それも風物詩ではあるが、にしてもアホみたいなクソコメの数々を見ていると情けなくなってくる。
そういうバカなコメントのパターンをいくつか挙げて、それらがいかにバカであるかを説明してやろう。
以下、
「たとえるなら、AはまるでBみたいなものだ」
クソofクソ、最悪だ。こんな風に議論を1ミリも進めず嫌味だけ言うようなバカは本当に救いようがない。マジで消え失せてほしい。
よし理由を言ったな、だがクソだ。
比喩というもの自体をまるで理解していない。AとBが違うのは当たり前なんだよ。
違うものを並べてるんだから相違点なんて考えりゃいくらでも出てくる、それを指摘するお前は何か少しでも有益なことを言っているつもりなのか? バカなのか?
いいか比喩ってのはな、あえて直観的には全然別のものを並べて、その数少ない共通点に目を向けさせることで、議論の本題が何なのかを理解させるやり方なんだよ。
Aについて言葉を尽くしても伝わらない、だがBと比較すると腑に落ちる、そういう場面はいくらでもあるし、だからこそ有効なんだよ。修辞法の基礎だぞどんだけ歴史あると思ってんだ。
ゆえにAとBの違いにこだわるお前は、本題と無関係な話を繰り返すバカ丸出しな状態にあることを自覚しろ。
これも上のやつと同じだ。
バカすぎて、たとえの意味を理解できなかったのか? なら素直にそう言えってんだ。
理解はしたが表現の仕方に文句がある? それが本題に何の関係があるんだバカか?
提案をくっつけてるだけマシだが、これも上のやつの派生形、ゆえにやはり意味が無い。
まず、議論を進展させたいという親切心で、より伝わりやすい表現を提案しているやつ。あっぱれな心掛けだ。
だがここまで読んで分かっただろ? どんなにうまい表現をしたところでバカは上述のようなトンチンカンな反応をするし、逆に理解力のある人間にとっては、たとえが多少下手だろうと大して議論に支障はない。
まあそういう建設的な意図の提案は歓迎したいところだがな。
もう一方は、大喜利したい、うまいこと言いたいだけのタイプ。
本題と無関係な話をしている自覚があるならまあそれもいいだろう。そこまで芸術点に自信があるなら、面白いかもしれんから言ってみろ。高確率でクソだろうがな!
これはクソじゃない、良い方の例だ。上のやつと大して変わらないじゃないかって? もはやお前は相当のバカだな。
元の発言者は最初からAのことしか話してない。Bのたとえを持ち出したのもすべて、Aについて伝えたいことがあったからだ。
お前はそれを受けて、Aの話を続ける。Aに関して認識の相違があるならその話をする。
比喩が役目を終えたなら、その比喩は用済みだ。
比喩による説明が失敗した場合も、その比喩は同じく用済みだ。
次の話をしろ。
それでいいんだよ。
増田の母親です。このたびはうちの馬鹿増田がこのような糞エントリを書いて皆さんに大変な迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。
煽り口調で何かを書く体験をしてみたかったのですが、こんなスタイルは初めてなので、いろいろと拙いところがあるやもしれません。バカだのクソだのはすべて撤回いたします。だらぶちとかファッキンとかも多分言ってないけど撤回します。
あとタイトルを見て「すべからくをことごとくの意味で使うなバカ」と思ったあなたは正しい。
コメントに反応させていただきます。全部じゃないのはごめんなさい。
※ちょっとカテゴリ分けした。
ブコメを見ていると、「比喩は有効な場合もあるがそれ以上に議論を迷走させがちだからそもそも使うべきでない」という意見が多いですね。
まったくもってその通りです。私もリアル会議とかで、たとえ話に終始して結局何の話なのか分からなくなるケースを何度か見ている。
これらをすべて分かってないとだめだ。
ただ、それでも比喩は強力だし、使うなって言っても現にいろんなところで使われている。
例えば差別問題なんかは、立場の違いで感じ方が全く違ってくるから、別の立場の感じ方を想像してもらう意図でたとえ話が飛び出してくるのはやむを得ないのではなかろうか。
辛いというか、憎い。
特定の誰かを憎んでいるわけではない。「特定の知人が憎い」、「有名なあの人が気に食わない」、「会社の〇〇さんとは意見が合わない」・・・そんなハナシであれば、逆にそれこそ万人が抱えているインシデントだと思っている。人間が社会的生物である以上、他人との齟齬や軋轢ははどうしても発生してしまうものだ。それは分かっているし、今までの自分はそういった「自分とはいまひとつソリが合わない人々」ともうまくやってきていた。・・・はずだった。
だが、最近の自分は明らかに何かがおかしい。友人の幸せな話を聞く度に心がすさむ。楽しそうな顔を見ると辛くなる。作り笑いの顔がばれてやしないかと変な汗が出る。
先日、友人の結婚式に行った。高砂に座る幸せそうな新郎新婦の顔を見て、「早く離婚すればいいのに」と思っている自分がいた。
facebookで、出産を報告している友人がいた。お祝いのコメントであふれる中、呪詛のようなコメントを書き込みたくてしょうがない自分がいた。
twitterで、ソシャゲの最高レアカードを無課金で引けたと自慢している友人がいた。10万円ぐらい課金してゴミばかり引けばいいのにと願っている自分がいた。
逆に、友人の不幸な出来事に聞くと、妙に心が躍る。辛そうな顔を見ると嬉しくなる。口の端がつりあがっていないかと、無表情を装う。
先日、友人の子供が難病に罹った。1年以上は入院生活を余儀なくされるらしい。その話を電話で聞きながら、ニヤついている自分がいた。
facebookで、母堂の喪主を務めた旨の報告をしている友人がいた。故人の意向だかで家族葬ののちに報告となった事を詫びていた。お悔やみのコメントが並ぶ中、皮肉たっぷりのコメントを書き込みたい衝動にかられている自分がいた。
twitterで、仮想通貨に手を出してウン百万円のマイナスになったと書き込んでいる友人がいた。「バカ丸出しだな」と思っている自分がいた。
これらの友人・知人達を嫌っているという事はない。むしろ好きと言って差し支えないと思っている。なのに、幸せな顔が、報告が、書き込みが、俺の顔を曇らせる。
友人知人とは関係のない、インターネットの別世界に逃避しようともした。だが無駄だった。炎上しているところを探して、ポリコレ棒持参で徹底的に叩くだけだった。左も右も主義も主張も関係なく、誰かが探し出してきたサンドバッグが設置されれば、ひたすらに叩き続けた。炎上の為の薪もせっせとくべたし、火のないところには煙を立てまくった。そんな事をしても誰も幸せになれないし、自分の胸のモヤモヤも大きくなる一方だったが、空虚な行為が止む事はなかった。
もうどうしたらいいのか分からない。
なんでいつも「戦争か亡国か」の二択になるの?
単純論でこの究極の二択にされたらやはり若者ほど保守に傾くしかないというのも分かるよ。
今は戦争なんかより経済政策の方がよほど差し迫った問題だし、そこが焦点になるべきだろう。
安倍はその点で成果出してないにも関わらず、
生粋のネトウヨなのかクラウドワークスで仕事を受けた工作員なのか知らんけど、
まるでマニュアルがあるみたいに口を揃えて「それでも民主政権よりマシ」などと言って火消し、
この問題に触れられるのを避けたいみたいだ。
改憲なんてどうでもいい。するならするで、さっさとしたらいいと思ってる。
相手方をウヨだサヨだと罵り合うイデオロギーの対立の形に落とし込まれてしまう。
まあ、これはネット上に限った話じゃなくて、