はてなキーワード: ノアの方舟とは
帰ってお母ちゃんのおっぱいでもしゃぶりながらコーランでも暗唱してろ
違うか?天皇の写真焼きながらムハンマドの爆弾ターバンで爆死しろ?
岩戸の前でキリストを火炙りにして、出てきたアマテラスをノアの方舟に入れるんだっけ?
あけぼのが生き返って最後の審判を下してアポカリプスになるんだっけ?
とにかく、お前が神の存在を信じるのは勝手だが、神は実在しない。
神が実在する前提で話をすすめるな!
あと教祖は神じゃねぇ。そこからか、そこから説明しないとだめなのか。
その程度の雑い知識で宗教活動なんかするんじゃねぇよバカ。先祖崇拝も同じだ墓石なんかぶち壊せ!
な~にが守護霊だクソか。子孫のアナルオナニーやら尿道オナニーを見守る霊体とか悲しすぎるわ。
深夜に変なスピリチュアルの広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。
乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。
これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレートで大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。
私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。
そこで思うことがあった。宗教・信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分の気持ちに整理をつけることができた。
この記事はそんな私の20年ちょっとの人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。
私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園が教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。
家からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。
朝幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関のマリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。
ああそう、あとメダイもちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会の神父だ。園長って呼んでいたけど)から、新年度になるたびに名札につけてもらっていた。
そんな幼稚園でキリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスはクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラスだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。
卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書の物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。
既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。
当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵のインパクトは強烈だった。
洪水に翻弄されるノアの方舟、モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。
それから数年経って、小学校を卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。
西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。
そこでもう一度聖書のストーリーを絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味は理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。
この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃんと勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。
こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西で仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。
父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるときは仏壇の前に座ることがある。
お盆やお彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派の本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。
だから私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的な日本人の宗教観なのだけど、困ったことに、私はとある宗教の3世にあたる血筋でもある。
名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗。
ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。
この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。
だから、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏の著作が置いてあった。
母自身は学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。
だから3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。
実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。
祖父が亡くなった後、葬儀や四十九日の法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。
違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族と祖母が参加した七回忌の法要だ。
いわゆる法事だから、自分の認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族で食事をする」というものだった。事実父方の祖父の法事はお坊さんを呼んでいる。
まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。
いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。
「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。
どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員が法要の読経をするということを知ったのは、さらにそれから2年ほど経った頃だ。
ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。
母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。
昔はよく祖母の家にお盆や正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事の関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父の葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。
同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由、祖母の家にあった新聞や書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。
祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。
別にこの記事で批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。
「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。
いま色々な宗教の事を学び、宗教が社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉に同意したい。
信仰は自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんなジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。
そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。
母方の祖母と我が家の仲はいい。祖母はいま一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。
けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。
少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。
大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルやエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。
大学の最寄駅前には某証人の人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘がそもそも来たりした。迷惑だから帰れ、と総スルーをかましたが。
去年なんか、右翼のおっさんが一般人に絡んで暴行しかけた事件の証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。
彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。
スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートがTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。
思ってしまうだけで、それを思いっきりネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。
何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。
ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章だから、大した感想も求めていないのだ。
ふとした事で子供の名前を沢山見るきっかけがあったんだけど、その中で驚いたのは
「ノア(字は色々)」
という名前が、女の子の名前に使われている件が、非常に多かった事。
人命ランキングで上位に来ている凜とか陽菜とかよりも多いんじゃない?っていうくらいに多かった。
ノアっていったらノアの方舟のあのノアじゃないですか。旧約聖書の創世記の!
なんでキリスト教の預言者の名前が日本の女の子の名前にこんなに多く使われているんだろう?意外とキリスト教徒が多い?
えーと、これって娘に人類を滅亡から救う救世主に匹敵するほどの偉大な人物になって欲しいという想いを籠めて付けた名前なのかな?
壮大な願いだな…。
先日なんとなく読み始めたら思ったより面白かったので少しだけ紹介する。
聖書には2つあって旧約聖書と新約聖書である。旧約聖書にユダヤ人であるイエス・キリストが新しい解釈をつけたもの、それが新約聖書である。なので、ユダヤ教の原典は旧約聖書、キリスト教の原典は新約聖書という関係になっている。
旧約聖書も新約聖書も拝めている神様は1人である。日本語の聖書では「主」と表現される。ちなみに西洋圏の聖書では「YHW」と表現され、読み方は様々である。有名なのでいうと「ヤハウェ」とかがある。よく日本で宣教活動をしているエホバの証人という宗派があるが、このエホバは「YHW」を「エホバ」と発音しているのである。
一般的に旧約聖書の神様は厳しく、新約聖書の神様は優しいと言われている。これには背景があって、ユダヤ教の戒律を守ることは当時非常に大変で、心身が非常に疲弊した人々に対して神様の息子であるイエス・キリストが救いの手を差し伸べたのである。この時の教えをまとめ、旧約聖書にくっつけたものが新約聖書である。旧約聖書の神様がどう厳しいかというと、例えば、信者の信仰心を試すために彼の息子を生贄に捧げるよう要求したり、ルールを守らなかった祭司の息子を焼き殺したりなどがある。ちなみに息子の生贄に関しては、その信者は非常に敬虔で、実際に殺す直前まで行ったため、神様が「お前の敬虔さは分かった。殺さなくていい。」と言って生贄を止めたという話がある。
余談だが、キリストを神様と思っている人がいるが、実はキリストは神様ではなく神様の息子である。
1. まず神様が世界と人間を作り、人間は反映するも大洪水でノアの方舟に乗った人間が生き残り、その末裔にはイスラエルの民がいる。彼らはエジプトに移住した。
2. エジプトで奴隷になりかけたイスラエルの民はモーセに率いられエジプトを脱出し、約束の地カナン(現イスラエル)へ向かう。
3. モーセが神様から色んなルールを授かったり、異民族と戦争したりしてカナンへ移り住むことに成功。
4. イスラエルを建国し色んな王様のお話が展開される。(有名なのはダビデ像のダビデ)
5. その後色々
この中でモーセがエジプトを脱出するときの話が良かったので紹介。
モーセはエジプトで奴隷になりそうになったイスラエルの民を救い出すためにエジプトのファラオと対立することになった。モーセは神様の啓示を受け、イスラエルの民をエジプトから連れ出さないと行けなくなったとファラオに告げるのだが、ファラオは貴重な労働力がなくなるのでこれを拒否した。ファラオが神の力を軽視してることに怒ったモーセはファラオに対して神の力を見せつけることにした。ここからモーセvsファラオのマジック対決が開幕するのである。
ラウンド1
モーセはまず杖を蛇に変えることで、神の力を見せつけた。しかし、ファラオお抱えの魔術師たちも同じように変えてみせた。
→ 引き分け
ラウンド2
モーセは杖を振り上げ、ナイル川を血で真っ赤に染め上げることで、神の力を見せつけた。しかし、ファラオお抱えの魔術師たちも同じように染め上げた。
→ 引き分け
ラウンド3
モーセは杖を振り上げ、エジプトにカエルを大量発生させることで神の力を見せつけた。しかし、ファラオお抱えの魔術師たちも同じようにカエルを大量発生させた。
→ 少し勝ち
ラウンド4
モーセは杖を振り上げ、エジプトにブヨ(アレルギー性のハエ)を大量発生させることで神の力を見せつけた。ファラオお抱えの魔術師たちには真似できなかった。
→ 少し勝ち
ラウンド5
モーセは杖を振り上げ、エジプトにアブを大量発生させることで神の力を見せつけた。ここではファラオお抱えの魔術師たちは登場しない。
→ 少し勝ち
ラウンド6
モーセは杖を振り上げ、エジプトの家畜に疫病を蔓延させ死滅させることで神の力を見せつけた。ここではファラオお抱えの魔術師たちは登場しない。
→ 勝ち
ラウンド7
モーセは杖を振り上げ、エジプトの全ての人に腫れ物を発生させた。ファラオお抱えの魔術師たちは腫れ物のせいで外に出られない。
→ 勝ち
ラウンド8
モーセは杖を振り上げ、エジプトに巨大な雹を降らせることで神の力を見せつけた。しかし、ファラオの臣下たちはみな避難した。そしてエジプトの様々な人や動物が死に、収穫間近の麦もだめになった。これにはファラオは相当のダメージを受けた。
→ 大勝利
ラウンド9
モーセは杖を振り上げ、エジプトにイナゴを大量発生させた。ファラオの臣下たちは負けを認めるもファラオは頑なに認めない。エジプトのあらゆる植物は食べつくされた。
→ 大勝利
ラウンド10
モーセは杖を振り上げ、エジプトから太陽を奪うことで神の力を見せつけた。みんなパニック。
→ 大勝利
ファイナルラウンド11
モーセは杖を振り上げ、エジプトの全ての動物、人間の嫡男を殺すことで神の力を見せつけた。
これにはファラオは負けをついに認めた。
→ 完封
こうして晴れてモーセはイスラエルの民と共にエジプトをでることを許されたのである。
NTT。
まあ、研究所やドコモ以外だと、特に西と東ね、早稲田慶応あたりから言わせればまあいけるわな、というくらい、東大京大だとちょっとランク下がったかな、というかんじ。のいち。
けど我々一般平民からしたら「うおー!ええやん!!すごいやん!!!!」という位置。
タクシー乗ってる途中にうっかり社用携帯でちゃったら「あんちゃんNTTなん?へー!ネットのこと聞いてエエか??」とか言われる。
めちゃくちゃたのしい。
みんな会社名隠して「あっ…僕建設系で……」「わたし病院で……」とか言うところに「NTT!NTT!」と入っていくアホ一人。
・高専
昔僕は高専に通っていた。わりと偏差値いいとこだったから、「○○高専!○○高専!」というだけで「まぁ~~~~~~親孝行ね~~~~~~頭いいわね~~~~!!!!!!」となる。実際の成績に関わらず。
ポイントはここだ。
"実際の成績に関わらず"手放しで誉められる。
ここが大きなポイント。
僕は成績がひどく赤点だらけで留年ギリギリだったが、その話をしても「入れるだけですごいよ~」とか言われる始末。
そんな言われて調子乗らないと思うか?僕は乗る。ガンガン調子に乗っていくしガンガンイキっていくし、いずれだんだん「あ、いればいいんだなここに」としか思わなくなった。
高専はエスカレーター式ではなく、赤点60を切るやつは容赦なく留年させる。
質の悪い学生を5年生まであげて就職させると、就職先から「なんや、○○高専生クソやんけ!今度から採らんどこ」となりかねない。
ブランドを守るために、イキるだけのクソガキは一刀両断、悪即斬。
事実、僕の学科は一年生のとき45人ほどだったが、5年になるときは30人になっていたらしい。
のこりは?全員ほぼ退学である。
それにひっかかるのだ。
僕も二年連続で留年してそれにひっかかって高卒資格だけもらって退学させられた。
断言しよう。うちは絶対に辞めさせない。
まあ最近はまだ不祥事マンを切る傾向が強いらしいが、社内の色んな話を聞いていると「どうだかねぇ」というかんじ。
いくつか隠してるもんあるけどアレはどうなってんだー?××県の◇◇の○○支店の騒動とかどうなんだー?とかね、まあどれも噂程度レベルで、はっきりと「これは隠している!」とわかった時点で内部告発しようかと思ってたが。
そこまでするには根拠が薄すぎる話が多い。
だが「ほんとに不祥事マンきってんのか?」という会社への、他の社員の不信感は、はっきりと感じる。
まあ不祥事マンでこの始末なので、無能は当然総務部で飼い殺しである。
外に出さないことで無能がいてもブランドネームがさがらない!すごい!
仕事もさせない!すごい!
そんなやつがおるなかで仕事してたらアホみたいじゃないですか???????
そんなん俺も1日中ネットして給料もらいたいわっつー話でしょ、逆に何でこの状況で働きたいと思うのか????
そんなんそっちのほうがええやろ、「ああなりたくないやろ?」とかいわれても「いやなりたいやろ」としかおもわんわ。
・おわりに
と、いうわけで、この会社でイキっててもどうせもっと上がいるし、イキッててもむなしくなってくるレベルでクソやる気そがれる会社なので、いま転職活動中です。
ぶっちゃけNTTは沈み行く大船である。だがそれはノアの方舟級の、である。
だもんで沈むのにめちゃくちゃ時間がかかる。30年ぐらいかかる。ていうかNTT西日本とか20年前からずっと減収しかしてないのにまだ沈んでないんですよ、ウケますね。
ともかく沈むのアホみたいに時間かかるので、それをみて大半の人間は「イエーイ!!!!うちの会社は沈まない!安定!!!!」とかいってるわけです。
で、元々国営の企業なんで、マジで沈まないんですよね。たぶん舟が全部沈みきろうとしても海底に船底がくっついてもまだ一部浮いてるみたいな、そんなかんじ。
それをもって「安定」というアホがおる。
そんな会社に長く居続ける気は正直ない。
たぶんうちの会社の20~30代は同じ考えで、だから「なんとか立て直そう」となるか「ぬくぬく生きよう」となるか「辞めよう」の三択である。
なんとか立て直そうという人には悪いが、一足お先に失礼させていただく。
俺は航海記かな
というか何回も読んだのがそれだってだけだけど
アフリカ行も悪くはないけど一番かっていわれるともう少し欲しい
緑のカナリアは長すぎ
秘密の湖もノアの方舟よく知らん子供時代に読んだからふーんって程度
月から帰るは印象薄い
楽しい家は短編集だったけどベッポが引退して幸せになってるってのをみた気がする
アヒルのダブダブがまた無駄遣いして!みたいにいってた気がする
ポリネシアはおばあさん
ガブガブはなんかがすげー好きだった気がする
ジップは犬
あ、チーチーだ
スタビンズ君がうらやましくて仕方なかったあの頃
体育館みたいなとこで先生が椅子にすわってまわりを園児で囲んで
ちょっとずつよみきかせてもらった
アフリカ行
今でも覚えてるのはアフリカ行でなんかケバいおばさんにすげー感謝されて、犬のジップにキスしまくるんだけど、ジップがすげーいやがってぐちぐちいってたところでみんながクスクス笑ったこと
全然新自由主義じゃないな。もちろんネオリベを標榜する成金がベーシックインカムを貧乏人に対するノアの方舟みたいな感じで布教してるのは知ってる。
けど、実際はベーシックインカムって新自由主義的な国で検討されてる制度じゃないだろ。むしろどこが検討してるか言ってみ?
そしてお前の所得税を下げる為の消費税云々は財政を語る時の1番の詭弁。理由はシンプルで金に紐はついてないから。
再配分の為の財布にどっからお金を入れるのかかなんて関係ない。財布がでかくなりゃいい訳で受け取る側はそれがどっからの金かなんて関係ないから。
経済なんて結局のところギャンブルで消費税を上げた結果どうなるか、所得税を上げた結果どうなるかなんて誰にも分からん。
もし、俺には分かるって言うならブックメーカーで今の時代なんでもギャンブルになるから、立ち上げて全財産かけてみてくれ。
出来ないんだったら、お前は分かったふりをしてるだけだ。
2016年9月現在、クソ雑魚ナメクジの異常増殖が確認されており、当局においては厳重警戒態勢を取っている。
調査では、2015年12月時点では「クソ雑魚ナメクジ」を含む増田エントリーは128件しか確認されなかった。それがこの1年で1262件にまで増えている。
はっきり言って、ここまでの異常事態は私が増田を観察して幾十年のなかまったく初めてのことであり、隊員たちは皆困惑の限りを尽くして脱糞した。
かつてはてな匿名ダイアリーでは「増田ネコ」「増田ヘビ」といった生物が存在しており、「にゃ~」「にょろ~」と鳴いては殺伐としたダイアリーの空気を和ませてきた。
ところが2009年のノアの方舟事件以降、増田からネコとヘビは姿を消し、「むきゅー」と鳴く謎の生物だけが取り残された。
クソ雑魚ナメクジの誕生は2015年11月20日の http://anond.hatelabo.jp/20151120230646 『人力検索はてなでやれよクソ雑魚ナメクジ』が初出である。
まさかここまでクソ雑魚ナメクジが繁殖するとは当時のブクマ調査員も予想しておらず、今日に至っては『クソ雑魚エスカルゴ』『増田二段お嬢ナメクジ』『雑魚ナメクジウオ』などさまざまな亜種まで出てきている。
このままではナメクジで世界があふれかえってしまう。事態は既に増田圏内では収集がつかない状態だ。クックパッドにまでクソ雑魚ナメクジが侵食を始めており、クソ雑魚ナメクジのキャラ弁が大絶賛されているというではないか。
我々の手でなんとかナメクジを食い止めなければならない。
ここ数ヶ月、密林奥地にて怪奇生物「クソ雑魚ナメクジ」の大量発生が確認されている。我々、増田探検隊の調査したところでは「クソ雑魚ナメクジ」を含むエントリーは128件。このまま放置すると、やがて増田はクソ雑魚ナメクジで埋め尽くされてしまう恐れがあり、早期の駆除を急ぐべきである。
このように、さまざまな種が生息するが、最も数が多いのがヤフー属のクソ雑魚ナメクジで、圧倒的である。次点で小町属が多い。
http://anond.hatelabo.jp/20160115195137
上記の目撃情報によると、クソ雑魚ナメクジは普段は温厚な性格であり、人間社会の平和と安全のために活動しているようである。
また、言及元への罵倒に聞こえる「クソ雑魚ナメクジ」のフレーズは、ソレ自身の鳴き声であると論じる生物学者もいる。
http://anond.hatelabo.jp/20160115223832
上のエントリーによると、ピカチュウが「ピカチュウ♪」と鳴くように、クソ雑魚ナメクジも「クソ雑魚ナメクジ♪」と鳴くらしい。
ちなみにニコニコ大百科では「クソザコナメクジ」と検索すると「淫夢くん」のページに飛ばされる。淫夢くんはリスザルのような生物でナメクジとはかけ離れているのだが、どういうわけかそのひとつに「クソザコナメクジ」の別称がある。
トラックバックが荒れるのならば、同じ生き物でも「増田ネコ」や「増田ヘビ」がいた時代は良かった。今の増田はナメクジで埋め尽くされており、ネコは帰ってこない。ヘビはノアの方舟に乗って、彼の地へと逃げてしまったと聞く。(増田ネコの鳴き声は「にゃあ!」 増田ヘビの鳴き声は「にょろ~」だった)
あとドンペリロレックス高級車にやけに反応してる勘違い多いけど
先ずドンペリなんてジュースだから普通に酒としてはヘネシーとかのコニャックだし、
ロレックスは見下すつもりで言ったんだが?ロレ最高みたいに聞こえちゃったの?wうけるw普通パテックかヴァシュロンだろ
あと高級車は成金で馬鹿?はいそれ世界中の金持ちに向けて言ってね底辺w
あと、低収入でも人生楽しいだぁ?それが政治経済の風向きひとつで吹き飛ぶ脆弱な生活基盤だというのには必死に目を背けて、明日食える焼肉とか、今夜のアニメとかを配給されてれば毎日幸せだと思えるわけですねwうけるw
空を貫くがごとく吃立した巨大な肉棒が、日の光を受けてビル群の一角に広大な影を投げ込んでいた。
人々は我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、悲鳴と怒号がこだまするその様子に冷静の二文字はなく、街は混乱の極みに陥りつつあった。
肩をぶつけ逃げ走る人々の流れに逆らい、肉棒と相対するように空を見上げていた少女が、こぼすようにつぶやく。
その言葉に感応するがごとく、巨大な肉棒がびくりと脈動した。
地が揺れ、空気が揺れ、悲鳴は増幅され、人々はさらに深く混乱へと誘われる。
どこかでビルが倒壊したのだろうか、少女が爆砕音のした方へ視線を向けると、積乱雲のような土煙の塊が膨らみ立ち昇っていた。
視線を肉棒へ戻すと、今にも張り裂けんばかりに怒張した肉棒、その丸く膨らんだ先に、玉のような我慢汁が浮かんでいた。
――まるで、宝石のよう。
少女は、この世の地獄ともいうべき忌まわしき状況において、こんな場違いな想像をした。
天を衝く巨大な肉棒の先にある、宝石のような玉。この非日常的な状況におけるからこそ、少女は混乱の渦中にある美しいものに気がついたのかもしれない。
今この場所この状況において、少女と肉棒は確かに美しかった。
肉棒がひときわ大きく反り立った。
瞬間、肉棒の先から練乳を思い出させる白濁液がほとばしり、太陽を覆い隠した。
まるで津波が襲来したかのようだった。あるいは神話で語られるノアの方舟の洪水か。
ごぷりごぷりと音を立てて街と人々を飲み込んでいく白濁液は、世界の終焉を思わせるほど、絶望的で創造的であった。
その光景を見つめ続けていた少女が最期に見た光景は、追い寄せる白濁液の波の後ろで、先ほどとは打って変わってしなびれた肉棒の姿だった。
視界に真っ白なとばりが落ちて、やがては思考も痛いほどの白さに飲み込まれていく。
日本をミクスチャーにしたい人たちがいるんだとはわかった。分けることを差別としか考えられない人たちが一定数以上いるのもわかった。
で、日本人保存会みたいなものはそういった圧力にどう対処すべきか?
一つは「ミクスチャーの理想は日本列島以外でかなえていただけないでしょうか?」と平身低頭お願いすること。
でもこれは「ここでやりたいんだ!やるんだ!なんで俺らがわざわざ出て行かなきゃならないんだ!」とお怒りになるであろう。
そうなるとあとは、「ノアの方舟」としての日本人居留区(アメリカのインディアン居留区みたいなの)を作ってそこで保存するってのが現実的なんだろうな。
そこで価値観が同じな連中が集まって暮らす。日本各地のどっか人がいない田舎にでもそういう場所をいくつかどかんどかんと作ってそこで保存するしかないんだろうな。
しかもその居留地が私有地であればもうミクスチャー教の人たちも手出しはできんだろうと思う。
ノアの方舟には誰も乗ろうとはしないんだよ