「タイポグラフィ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: タイポグラフィとは

2015-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20150901185718

>>他の五輪では?って返されたら

おれは、文字だけにクレームをつけているわけではない、よく俺の主張は2行だけど自分の頭で考えるんだ↓

>一体誰が、あのロゴから"近未来2020"の"日本東京"の"オリンピック"を想起できるのか?

>2年前の昔のタイポグラフィと類似で、素材も"ローマ"字。"2013 fashion Show in Tokyo"のロゴでも作りたかったのかな?

まり、あのロゴは「東京オリンピック」即ち、「日本東京で行う陸上競技」の構成要素を素材にしてない時点で

ロゴ失格だと言いたいんだよ。

 

ロゴ英語logoだけど、その意味英英辞典で調べると

"a small design that is the official sign of a company or organization"

そして、signは禁煙マークとか駐車禁止とかの標識という意味があるんだよ。

 

"標識"なんだから、そのロゴを見たら、その意味するところが大多数の人々に理解できる

というわかりやすさが重要なんだよ。

そういう図案でなければロゴとして意味が無いんだよ。

 

その上でこのブログに載せられた歴代ロゴを見て欲しい。

http://utsunomiyasoh.blog.fc2.com/blog-entry-259.html

 

1964年東京オリンピック以降のロゴでは、

27個中少なくとも21個は、オリンピックやその競技、ご当地観光名所、季節の象徴(雪)などを素材にしてる

のであって、まさにsignの役目を果たす図案が採用されているんだ。

しかし、一方で、アルファベットたった1文字を素材にした何を象徴してるのかわからない、説明出来ない

ロゴが歴代ロゴの中にいくつあっただろうか?

1個もないだろう。(かろうじて国のスペル自体ロゴにしたメキシコの例が1例有るだけ)

 

以上から、今までののオリンピックロゴデザインの素材選びは、やっぱり

多数の人が理解できるというロゴ理屈に基いて行われてたんだよ。

それが、今回はどうだい、日本オリンピックなのに、使用した素材がラテン文字の"T"だよ。

いったい、日本東京文化歴史どこに、ラテン要素があるのか逆に説明して欲しいぐらいだよ。

それともTsukubaとかTottoriの"T"なのか?

 

佐野さんのデザイン審査員もがダメな点はまさにココなんだ。

素材の選び方がそもそも間違ってるから、今回のデザインロゴですら無い

よって上記理屈理解してない審査員デザイナー教養のなさが

これが、佐野デザイン問題の一番の本質だよ。

(6)ロゴモチーフ2020年 日本東京オリンピック無関係

一体誰が、あのロゴから"近未来2020"の"日本東京"の"オリンピック"を想起できるのか?2年前の昔のタイポグラフィと類似で、素材も"ローマ"字。"2013 fashion Show in Tokyo"のロゴでも作りたかったのかな?

http://anond.hatelabo.jp/20150901082556

http://anond.hatelabo.jp/20150831231737

科学者とかは実績がものとして出来上がるからわかりやすじゃん。

デザイナーとか言い方次第みたいなところがある気がする。

そういうのは違うところは違うかもって思う。

小保方さんとこは実績が物を言うのに加えて期待されてたから期待の分だけ持ち上げと落差が激しかったみたいだし。

なにかの菌でガンが治るとかだれも期待してないし科学的根拠を示せとか面倒だから放置してる。

芸術系は似てるとかパクリかいうのは感性からイメージが実績になるものかなって。

東京タワーエッフェル塔のとかキャラクタ名がバンド名の漫画ストーリーそのまま自分の絵にした作品著作権侵害してるのかとか。

オマージュかいう類のものとか経緯が説明不要理解される率が高い物とかデザインが似ている場合でも受け入れられてるものはいろいろあるとおもう。

状況の説明方法収益の回収方法デザインに含まれているような気がする。

どうしたら引っ込まずに済んだかを考えると小保方さんは実績が物を言う世界なので実績として方法はすべて無視してもSTAP細胞さえあれば生き残ったかもしれない。

言い換えるとSTAP細胞に賭けていたんだから共に滅したと言えるかもしれない。

佐野氏のデザインは形はどうあれ支持される状況をデザインできていれば擁護されたかもしれない。

オマージュのつもりがパクリといわれたりパクってみたのを黙っていたらリスペクトしてるといわれたりすることはあるんじゃない?

それがどうしてそういう結果になるのか素人にはわからないけど心理的にとか状況的にとか研究して学習してきた人がすることにはそれなりに意味があると思う。

出来ていなかったら結果はそれなりに出てくる物ではないかなと。出てきた結果がこれではないかと。

すでにそれぞれの分野で失敗している今でも、指にSTAP細胞ついてましたすみませんといえば復帰も支持もされるのではないかと思う。

パクリデザインも今だからぶっちゃけるけどベルギーデザイナーとも旧知の仲だしタイポグラフィーは先生師事してたんすよ、っていえばそうでしたかごめんなさいって言われると思う。

その短文だけで形勢逆転の「パクリオマージュでした」って認識に変わるんじゃないかな。

そう考えると細胞が出てこない限り小保方さんは出てこれないと思うしデザインの説明を自分たちの説明抜きに理解しろ受け入れろの繰り返しでは出てきようがないんじゃない?

狂ってるとか一度ついた「穢れ」とかそういう曖昧ものではなく、はっきりした戦略ミスじゃないかな。

巨大チェーンが不正を行っていたとして文句を言われるのは真面目に働いている店員だったりするみたいな所について、業界全体がと言ってあげるのはちょっとかわいそうとは思う。

悪があるとするならそれらの当人に「やれ」と言った人GOを出した人、または勝手GOする管理不足だった人かもしれないね

そういう意味では「才能の芽を摘むな」と批判に対して噛みつきたく気持ちもあるだろうなってことは理解できる。

彼や彼女がどういう状況にあったか、状況そのもの生産価値があるという聖域があるというのは一理有ると思う。

聖域を一般開放するとか人々に歩み寄り理解を求めるというギャップの埋め方という解決方法もあるかもしれない。

他に権威を守りつつ、聖域として残して置きつつ、切り捨てず生かす方法もあるかもしれない。

経歴や背景の捏造といった酷い物になる可能性もあるけど成果を守るのか人を守るのか組織を守るのかで方法は変わるんじゃないかな。

そう考えるといまの状態は素人目にあまりいい状況とは思えないね

2015-08-31

デザインのことは全然知識ないけど、五輪ロゴ

修正前のデザインは誰でも知ってるタイポグラフィで、

教科書に載ってるレベルから問題ない?

ヒエログラフの文字を持ってきてロゴ作ったらセーフ?

モリサワフォントのTの横に丸置いてたらセーフ?

いや、わかるよ。

フォント画像デザインの素材だもんね。

それを組み合わせて何らかの効果を生むのもデザイナーだろうし。

素材集を使って何が悪いの?って感じなんだろう。

商用の世界ならそれで何も問題でないだろうし。

でも、オリンピックって俺からしたら一種の神事なんだよね。

存在をもって取り組むべき祭。

神に捧げるもの信仰の見えないテキトー仕事するやつは許しがたい。

という気分に支配されている。

たぶん、万博岡本太郎仕事基準にしてるからだと思う。

岡本太郎アートだけど、万博仕事デザインじゃないの?

何が違って何が線引きできるとこなの?

東京オリンピックエンブレム

食傷気味ではあると思いますが、佐野問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。

もうこの話題うんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。

■前書き

デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています

私の立場としては、

オリンピックエンブレムはそんなに好きではないけど

オリンピックエンブレムは(ほぼ)問題なし

トートバッグはアウト

・このような炎上懸念しています

というものです。

以下、目次です。

デザインとは

- 編集レイアウト、選択というデザイン

- デザイントレンド

佐野エンブレム

- このエンブレムは一体何なのか

- 似ているのか

- 著作権見地から

- 商標権見地から

- 原案は似てる

トートバッグコネ問題

- お粗末なマネージメント

- そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

- コネ悪用なのか

個人的には

デザインとは

編集レイアウト、選択というデザイン

デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています

受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味理解されないようなものはよくありません。

しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますからデザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠課題であると言えます

多くのデザイナーにとって、ロゴオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います

ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります

あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。

これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます

では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。

デザイントレンド

その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います

参考に、近年のロゴトレンドと言われているものをご覧ください。

http://photoshopvip.net/archives/78102

http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend

ちなみに以下は、2008年トレンドと言われたものです。

http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html

すでに2008年トレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思いますトレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。

新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります

佐野エンブレム

・このエンブレムは一体何なのか

それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います

図像的には非常にシンプルものになっています。また、恐らくは1964年東京オリンピック亀倉雄策イメージオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います

なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。

トレンドに乗らず、非常にシンプルものにしたのは、普遍的エンブレムになることを狙ったものだと思います

亀倉雄策1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます

佐野氏のデザイナー仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界アピールできている日本デザインシンプルものや余白を活かしたもの自然融合的なものが多く見られます

このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルデザインであり、また一時的トレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います

もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます

・似ているのか

さて、よく問題として挙げられているベルギーロゴ比較してみます

前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思いますしかプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムアピールは以下のようなものです。

東京の頭文字T

地球や繋がりといったもの連想させる円

トラディショナルカラー

日の丸

正方形タイルデザイン

パラリンピックエンブレムとの対称性

このうち、ベルギー劇場ロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。

以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレム図像的にはベルギー劇場ロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います

著作権見地から

著作権は、思想感情創作的表現した著作物保護するものです。

佐野氏のエンブレムベルギー劇場ロゴ思想感情的表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます

著作権侵害しているという指摘は間違いでしょう。

商標権見地から

Wikipediaによると、リエージュ劇場公共性が高いためロゴ商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります

商標権侵害ということはなさそうです。

原案は似てる

エンブレム原案が公開されました。

色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィ結構似てると思います

しか原案として過去デザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。

これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。

トートバッグコネ問題

・お粗末なマネージメント

佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます

トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います

・そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。

本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています

コネ悪用なのか

そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。

日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。

コネ悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネ悪用したものかどうかについては判断できないと思います

個人的には

個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っていますしかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。

個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています

ところで、オリンピックエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。

私はもう北京オリンピックロゴを思い出せません。

東京オリンピック世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。

インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。

無限選択肢のある世界で、どれだけ冷静に選択できるかがこれからインターネット課題だと個人的には思っています

なんだか自己陶酔的な文章になってしまいました。気持ち悪くてすみませんありがとうございました。

金文フォント使われすぎじゃね

デザイン仕事してて、クライアントが金を使いたがらないことの一つだと思うのがタイポグラフィへのこだわりだ。

企業ごととかお店ごとのロゴにすらデザイン料金を渋るクライアントが多いことに驚く。

直接の顧客ではないけど、町中を歩いてて個人商店なんかが出してる看板がもろに商用可のフォントまんまってこともよくある。

ていうか金文体使われすぎ。

金文体はそれでも金払って使うフォントからまだましだけど、ひどいとこになるとゴシック体とかがそのまま看板だったりしてげんなりする。

最近よく見るのが、自治体建築する公共施設看板ダサいフォントまんまっていう件。

大切な市民様の税金フォントとき読めればいいだけの機能のものにはつかえませんてことか。

世界に誇る日本語ってんなら、もうちょい文字そのもの大事しろよ。

2014-07-14

働きながら、エロエロによるエロのためのWebサービスをつくりました

テクノブレイク.jpという、エロ専用RSSサービス公開しました

これは、自分お気に入りエロサイト更新動画を、サイトすべてに訪問して確認しなくてもチェックすることができる、というエロのための時間効率化させるWebサービスです。

http://technobreak.jp

僕は誰か

僕は、大手IT企業で働くゆとり社会人です。

今年文系大学卒業し、まったくの未経験大手IT企業入社し、研修を経て初めてプログラミングを触ることになりました。

それでも少しはできるようになったため、「ゆとり」でも「未経験」でも「文系」でも自分webサービスが作れるんじゃないか?と思い至り、ちょっと力試しということでやってみるか!!!とこのサービス作りました

僕は以下のような人間ですが、「仕事」を通じてプログラミングを学びました。もちろん今も勉強中です。

まだまだ働き始めたばかりなので、僕はプログラミング初心者が数ヶ月勉強したという方と同じような人間です。

なので現在上記にあてはまる人でも作ろうと思えば「自分サービスを作れる」ということがわかっていただけたらと思います

テクノブレイク.jpで解決したいことってなに?

僕はオナニーをする時は、スマホアプリで必ずエロ動画を探すのですが、だいたい以下のようなステップを踏むんですよね。

(1)動画ダウンロードアプリを開く
(2)ブックマークしたエロサイトを開く
(3)エロサイト更新記事を見る
(4)気になった更新記事を新規タブで開く
(5)あとでそのタブを見るため消さずに、元のタブ(更新記事一覧が表示されたタブ)に戻る
(6)また気になった更新記事を新規タブで開く
(7)(4)〜(6)を繰り返す
(8)溜めておいた気になる記事のタブを一つずつ開き、動画ダウンロード
(9)ダウンロードした動画を見る

このように1つの動画を見るために、9つのステップを踏むんです。

もう何がいやだって、(7)ですよ。これが面倒くさい。

それから(2)のブックマークからエロサイトを開くことも面倒じゃないですか。

だって(1)〜(9)をサイトごとにやらないといけないわけですから

これらを簡単にすることができないもんかなと。

で、テクノブレイク.jpを使うと、、、、

(1)動画ダウンロードアプリを開く
(2)RSSサービスを開く
(3)登録したエロサイト更新記事を見る
(4)気になった更新記事を「あとで見る」に登録する
(5)(3)と(4)を繰り返す
(6)「あとで見る」溜めておいた記事を一つずつ開き、動画ダウンロード
(7)ダウンロードした動画を見る

どうですか。2ステップも楽になる!!!!!!!!!

テクノブレイク.jpの特長

採用技術

これでわかる通り、必要最低限の技術で済みます

採用ツール

制作プロセス

すべてそこそこで、80%でリリースしろ

社会人には、自分時間を取ることが難しい方が多いはずです。

から、毎回だらだら開発を進めると時間がかかり、最終的にモチベーションが下がり、何もしなくなってしまうんです。

でもやることはすごくたくさんあります(笑)

プログラムだけじゃありません。デザインを考えたり、仕組みを考えたりしないといけません。

あとで、このプログラムじゃ、仕組みじゃダメだったな、ってわかり手直しをすることだってあります

から、毎回100%を目指すと時間が足りないんです(笑)

すべてをそこそこ、80%におさめてください。

それでさっさとリリースしましょう。

それからサービス改善していくんです。

テクノブレイク.jpもそうです。

最初はすべて80%です。

ここで言う100%とは、あなたの考える理想を100%叶える、という意味です。

Webサービス完璧はありません。日々、改善必要です。

そういった意味では100%はありませんが、あなたにとっての理想の100%はありますよね。

それを最初から目指すのはやめましょう。

走りながら、目指してください。

そうすると、本当に求められるものが早くわかる

早くリリースすればするほど、ユーザーからの声を早く拾うことができます

ユーザーの声こそ、そのサービスの目指すべき姿のことが多いです。

80%完成してリリースすればいいのに、残りの20%を埋めようとあなたが頑張ったとします。

しかしたらその自分勝手な20%は、ユーザーに取っては不必要な20%かもしれませんよね。

だと、20%のために使った時間と労力が無駄になります

から、80%の法則で頑張りましょう。

ドメインは先、サーバーはあと

ドメインを先に取ると、開発をせざるをえないと考えます

なぜならドメイン代を支払ってるんですから。その金を無駄にしたくないですよね。

で、サーバーは後、というのは開発が無駄に3ヶ月かかったとすると、その3ヶ月分のサーバー代金が無駄ですよね。

サーバーテストは、テスト環境テストを終えてからやればいいかなと思ってます

目標、計画を立てる

まずどんなコンセプトか、どんな機能必要か、どんなUIにすべきかという目標をたてましょう。

それから、その目標を達成するための方法を考えましょう。

そして、その方法を実行するスケジュールをたてましょう。

なぜこうするかというと、常に自分が何をすべきかが明確になるからです。

なにも決めずにやろうとすると、

なんてことになります

今日は何をするのかを明確にしましょう。

そして、今日はそのことだけに集中しましょう。

から、頑張りすぎなくていいんです。

スクレイピングについて

Webスクレイピングとは、サイトコンテンツから欲しいデータを取得する方法です。

僕がどうやってRSSサービスを作ったかというと、このwebスクレイピングのおかげなんです。

まずサイトの主要コンテンツ部分を検知します。

主要コンテンツとは、更新記事一覧部分です。

広告、注目動画アーカイブなどのそのサイトコンテンツははじきます

で、その主要コンテンツから、記事の画像タイトルURLをゲットしてきます

やり方としては、主要コンテンツからそのサイト内部のリンクが貼られたimgタグを探し出します。

そして、そのリンクタイトルまたは記事のタイトルを取得します。

こうすることで、そのサイト更新一覧から更新記事のURLタイトル画像がわかります

bootstrapについて

BootstrapウェブサイトWebアプリケーション作成するフリーソフトウェアツールであるタイポグラフィフォームボタン、ナビゲーション、その他構成要素やJavaScript拡張などがHTML及びCSSベースデザインテンプレートとして用意されている。

Wikipediaによると上記の説明となります

これを利用すると、基本的Webサイトデザインhtmlcss)が手に入れることができ、そのまま利用できたりします。

デザインを作る上で、非常に助かります。なぜなら最初からすべて自分コーディングする必要がないからです。

いつ僕はサービスを開発していたのか

僕は以下の時間に開発をしてました

上記の時間で、「え?」って思う時間は恐らく

だと思います

僕は外出中はノートパソコンを使わないで開発をしています

どうしているかというと、Readdleの「Downloads」というスマホアプリを利用しています

これは写真ファイルクラウド上に保存したり、Dropboxや外部サーバーファイル共有をすることができるアプリです。

filezillaスマホで利用できる、みたいな感じです。

画面は小さくてストレスがかなーーーりありますが、僕は外出中はこれでプログラミングをしています

通勤中にこれでプログラミングをし、降車した後の徒歩で続きのプログラミングをキリが良いところまでする、という感じです。

また、歩きながらでもテストはできると思うので、歩きながらプログラミングは難しいという方はテストだけでもやってみはどうでしょうか。

最後

だまされたと思って、テクノブレイク.jpを使ってみてください(笑)

本当にオナニー時間が快適になりますよ。

Webサービス俺もやってみようかなーと少しでも思ってくださった方へ、

僕は開発をしながら、本当にやりたいことがあったら、時間はいくらでもつくりだせるなって感じました。

歩いてるときだってトイレにいるときだって電車にいるときだって、いつだって今の時代はできるんですよ。

それだけ現代って便利で、生きやすくて、なんでも挑戦しやす環境のある時代なんです。

恐らく、少し前の時代スマホが出る前の時代では歩きながらプログラミングなんて考えられないと思います

そう考えると数年前と今って格段に何かを始めることができやす時代なんですよ。

それでも挑戦しないって、もったいないねーなーって思ったんですよね。

から、なにか本当にやってやりたい!!!ってことがあれば、まず一歩を踏み出してみてください。

意外と手段っていっぱいありますから

ググれば、一発ですよ。

こんなことGoogle日本に来るまでは考えられないことですよ。

だって、昔の検索エンジンって十分に欲しい情報が手に入らなかったですもんね。

僕も高校時代とかCROOZ?とかヤフーカテゴリー?とかで携帯ぽちぽち検索してた記憶があります

まぁとにかく、Googleもあるしスマホもあるし、なんでもできる時代ですから安心してやってみてください。

2014-04-02

やばいね。

ラノベ文学のことを書いたまとめがあったけれど、その言わんすることは、

1.ライトノベル純文学の系譜にある。

2.純文学は淘汰されつつある。

ということらしい。

それの根拠としてラノベを含んだ小説文化史が並べられている。反応は、その文化史が正しいかのか正しくないのかに始終している。根拠なんだからそれが正しいのか、正しくないのかは大事なことだろう。ただ感情的人間としては、結論が間違っているようにも思えない。

漢文や擬古文といったものが消え、口語体が主流になった。国語教科書にでてくる森鴎外舞姫を何の脚注もなしに読むのが難しいのだから、そこは間違っていないと思っている。

ただ、小説にでてくる口語体というのもまた時代の流れとともに陳腐化した。つまり口語ではなくなった。昔の口語が、古いレコードのように書き言葉として残っているに過ぎない。いまぼくらが日常会話で使う話し言葉は、正式な文章ではお目にかかれないし、まともな小説と呼ばれるものには出てこない。

言葉を整理すると、ライトノベルが「純文学」の系譜にあるという文脈での「純文学」とは小説という文化での権威のことだ。純文学は淘汰されつつあるという文脈での純文学は、いまのジャンルとしての純文学のことを言っている。

また、補足すると小説という文化には権威とそれに従うものそれから外れたものという階層構造存在している。

そういうことを踏まえると、いまのジャンル純文学権威を失いつつあり、次の権威ライトノベルが担う可能性があるということだ。

小説文化が変化をしつづける限り、永遠に権威で在り続けることはできないということだ。いまの権威純文学であるが、やがてそれは何かに取って代わられる。その可能性として高いのはライトノベルだということだ。それは単純にライトノベルがいま一番活況だからである

人の少ない文化は衰退する。人の少ない純文学やそれに従うものは魅力を失っていく一方だ。

さて。

ライトノベルは次の小説という文化権威となる可能性を秘めている。

ここから感情論が強くなるのだけれど、昔からある何かが否定されるとき、否定する人間はその昔からある何かをよく知らないのではないとかと思っている。むしろ、知らないからこそ否定できるのだと思う。ライトノベル純文学を否定する未来があるならば、そのときライトノベルを書いている人間はおそらく純文学をよく知らない。

どんなものでもよいところはあるものだ。

そして、先例というのはいつもあるのだ。

ライトノベルタイポグラフィ的なところも西尾維新的な言葉遊びも調べれば調べるほどに先例がある。タイポグラフィ自体がかなり古いものだし、言葉遊びという意味では無駄に爛熟していた江戸文化で見られると思う。イタズラを悪戯と書くのだ。

知れば知るほどに否定できなくなる。だから、知らないほうがいい。「純文学なんて高尚すぎて退屈だ。俺がもっと面白ものを書いてやる」という気概こそ必要だと思う。

そして、この気概を持つためには、ライトノベルが否定されているという認識必要だと思う。ライトノベルクズだ、と言われているからこそ、見返してやろうという気が起こるものだ。もし、ライトノベルも立派な芸術であるだとか、そういうふうに賞賛されてしまうのであれば、挑戦する必要がない。それでは、権威となった純文学と同じだ。

ということで、ラノベが好きでラノベを書きたい人には歴史かいままでの積み重ねを知らないでいて欲しいという思いがある。

車輪の再発明効率の悪さの象徴ではあるが、車輪程度のことを再発明できない人間革新を起こせるはずもない。

2013-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20130604191150

どうでもいい細かいとこまで指定してきて、ソフト貸すから自分でやれば?状態が思い浮かんだ。

発注側がクリエイティブしたくて指定が多く、そもそも頼む気ないとか、清書だけ頼みたいって場面をよく見る。

指定が多く修正不可能、基本がわかってないので説明も不可能。今回はデザインじゃなくて、言われた通りに清書して、ちょろっと整えるだけのお仕事。と、デザイナーもきっと分かってたよ。

シンプルにと言われたんで………」(言われたとおりにやりました)。

って言ってるだろ?

したら、タイポグラフィとか余白の取り方とか、配色とか、なんて言われてかわいそう。そういうなら自分でやればいいのに。

デザイナーじゃなくてアシスタントに頼めば?

2011-10-06

Steve Jobsスタンフォード大でのスピーチ

もうたくさんの人に訳されてるけど,じぶんにはあまりしっくりこないのでまた訳してみた。

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ありがとう

今日世界最高の大学ひとつでみなさんの卒業式に同席できることを名誉に思う。本当のことをいえば,私は大学卒業したことがない。これが大学卒業式にもっとも近づいた瞬間だ。今日,私の人生からつの話をしたい。それだけだ。大したことはない。たったの三つだ。

最初の話は点を結ぶことだ。

私はリードカレッジ最初の6ヶ月で退学した。でも本当に辞めるまでさらに18ヶ月かそこらモグリとして出入りしていた。じゃあなぜ退学したんだ?

話は私が生まれる前に遡る。私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で,彼女は私を養子に出すことに決めた。彼女はどうしても大学卒に養子に出したいと考えていたので,誕生と同時に弁護士夫妻に受け入れられるようすべて準備済みだった。でも私が生まれて,土壇場になって彼らは本当は女の子が欲しいと決めた。それで順番待ちリストの次にいた私の両親に夜中に電話がかかってきた。「予想外の男の子だったんです。欲しいですか?」「もちろんです生物学的な母はあとで,母が大学も出てなくて父が高校も出てないことを知った。彼女は最終合意書に署名するのを拒んだ。数カ月後に私の両親がいつか私を大学にやると約束して彼女はやっと態度を変えた。これが私の人生の始まりだ。

17年後私はたしか大学に行った。だが私は世間知らずにもスタンフォード並に高価な大学を選択し,労働階級の両親の蓄えは全て学費に費やされていた。6ヶ月経って,私はその価値が感じられなかった。これから人生で何をしたいのかわからなかったし,大学がすべきことを発見する助けになるとは思えなかった。なのに私はここで両親がこれまで貯めた金をすべて使おうとしている。だから私は退学して,みんなきっとうまくいくって信じることにした。あの時はとても怖かったけど,振り返ってみればあれが私のこれまでで最良の決断だった。退学した瞬間,もう興味の持てない必須科目を取らなくてよくなったし,ずっと面白そうなクラスに入り込むことができるようになった。

ちっともロマンティックじゃなかった。寮に部屋もなかったか友達の部屋の床で寝た。コーラの瓶を返却してもらった5セントで食料を買った。日曜の夜には街の向こうまで7マイル歩いてハレークリシュナ教の寺院で週に一度のまともなご飯を食べた。最高に楽しかった。そして興味と本能に従って迷い込んだいろんなものが後に大きな意味を持つことになった。一つ例をあげよう。

リードカレッジは当時国内最高のカリグラフィー講座を持っていた。キャンパスのあらゆるポスター,引き出しのラベル,みんな美しい手書きカリグラフィーだった。退学して普通クラスを取らなくてよくなったので,カリグラフィー講座に参加してやり方を学ぶことにした。セリフ書体サンセリフ書体,文字の組み合わせで変化する文字間のスペースの量,すばらしいタイポグラフィがどうしてすばらしいのかを学んだ。カリグラフィーは美しく,歴史的で,科学では捉えられない繊細な芸術だ。そしてそれを私は面白いと思った。

これらの何一つ人生現実的に役立つ見込みなんてなかった。でも10年後,みんなで最初Macintosh設計してる時に全部思い出したんだ。そして私たちはそれをみんなMacに詰め込んだ。Macは美しいタイポグラフィを備えた最初コンピュータだった。私が大学のあのコースに潜りこまなければ,Macが複数の書体プロポーショナルフォントを備えることは絶対になかった。そしてWindowsはただMacコピーしたので,おそらくパーソナルコンピュータ今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えることがなかっただろう。もし退学していなければ,絶対にカリグラフィー講座に参加しなかったし,パーソナルコンピュータ今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えていなかったかもしれない。もちろん大学にいた時に点がつながるのを見通すことはできなかった。でも10年後振り返ってみればとてもとても明らかだ。

もう一度言う。将来点がつながるのを見通すことはできない。振り返ってつなげることしかできない。だからあなたは将来なんらかの形で点がつながると信じなければならない。ガッツ運命人生カルマ,なんでもいい,なにかを信じなければならない。いつかこの道を進めば点がつながると信じれば,たとえ人と違う道に向かうことになってもハートに従う自信を持つことができる。それが違いを生むのだ。

二つ目の話は愛と喪失についてだ。

私は幸運だった。人生の早いうちに好きなものを見つけられた。ウォズと私は20歳の時に両親のガレージAppleを始めた。一所懸命働いて,ガレージにたった二人だったのが,10年で従業員4000人の20ドル企業にまで成長した。30歳になる一年前に最高の作品,Macintoshを発売した。そして首になった。いや,自分の始めた会社からどうやって首になるっていうんだ? 私たちはAppleが大きくなったので一緒に経営するのにとても才能あると思えた人物を雇った。最初一年かそこらはうまくいった。でも将来のビジョンが食い違い始めて,最終的に喧嘩になった。そしてその時,取締役会は彼の側についた。それで30歳の時,首になった。世間の誰もがそれを知っていた。大人になってから人生すべての中心が失われて,本当に最悪だった。

数ヶ月は何をしていいのか本当にわからなかった。前の世代の起業家たちから渡されたバトンを落としてしまって,彼らを失望させたと思った。デビッド・パッカードボブ・ノイスに会って,このひどい失敗を謝罪しようとした。本当に誰もが私の失敗を知っていた。シリコンバレーから逃げ出そうとさえ考えた。でもなにかがゆっくりとわかり始めた。私はそれまでの仕事をまだ愛していた。Appleでの出来事は私の気持ちをすこしも変えなかった。ふられたけどまだ愛していた。だからやり直すことに決めた。

当時はわからなかったけど,Appleから解雇されたことは私にとってこれまでで最良の出来事になった。成功者の重圧は,またなにもあまりからない初心者の軽やかさに入れ替わった。おかげで私は人生で最も創造的な時期の一つへと解き放たれた。

次の5年間に,NeXTという会社と,Pixarという会社を興し,後に妻になるすばらしい女性と恋に落ちた。Pixarは後に世界初コンピュータグラフィック劇場映画トイ・ストーリー制作し,今では世界で最も成功したアニメーションスタジオだ。びっくりするような出来事があってAppleNeXTを買収して私はAppleに戻り,NeXTで私たちが開発した技術は今のApple復活の基盤になった。そしてローレンスと私は共にすばらしい家族を築いた。

Appleから解雇されなかったらこれらは全部起こらなかったとはっきり確信している。ひどく苦い薬だったけど,患者にはそれが必要だったのだ。時として人生はレンガで頭を殴ってくる。信念を失うな。私が進み続けられたのは自分のしていることを愛していたからだと確信している。あなたは愛するものを見つけなければならない。恋人を見つけるのと同じくらい仕事でもそれは真実だ。仕事人生の大きな割合を占める。本当に満たされる唯一の方法は,すばらしいと信じる仕事をすることだ。すばらしい仕事をする唯一の方法は,それを愛することだ。まだ見つけていないなら,探し続けなさい。腰を落ち着けるな。見つけたら,あなたハートが教えてくれる。恋人との関係のように,それは歳を重ねるにつれてもっとすばらしいものになる。だから見つけるまで探し続けなさい。腰を落ち着けるな。

三つ目の話は死についてだ。

17歳の時,こんな感じの引用文を読んだ。「毎日人生最後の日のように生きれば,いつか間違いなくうまくいく」印象づけられた。それからこれまで33年間,毎朝鏡を見ながら自分に問い続けてる。「もし今日人生最後の日だったら,今日これからしようとしていることを本当にしたいかい?」そして答えが何日も続けて「ノー」だった時,何かを変えなければと気づくんだ。

もうすぐ死ぬと思い出すのは,人生の大きな選択を助けてくれる私の遭遇した最もいい方法だ。外野の期待,プライド,恥や失敗への怖れ,そんなものは死に直面すればほとんどみんな本当に大事ものを残してどこかへ行ってしまからだ。いつか死ぬと思うことは,何かを失うという考えに陥るのを避ける私の知る最良の方法だ。あなたはもう裸なのだ。ハートに従わない理由なんてない。

1年くらい前に癌と診断された。朝7時半に検査を受けたら明らかにすい臓に腫瘍があった。私はすい臓がなにかすら知らなかった。医者はほぼ間違いなく治療不可能なタイプの癌で,3ヶ月から6ヶ月以上生きることは期待すべきでないと言った。先生は帰ってやりたいことを順にやりなさいと言った。死を迎える人への医者のお決まり対応だ。つまりそれは伝える時間があと10年あると思っていたことをたった数カ月で子供たちに伝えるということだ。つまりそれは全部手はずを整えて家族が出来るだけ苦労せずにすむようにするということだ。それはつまりさよならを言うということだ。

一日腫瘍と過ごした。その日の夜生検を受けた。内視鏡を喉から胃を通して腸に入れて,すい臓に針を刺し,少し腫瘍細胞を採取した。私は鎮静剤を投与されていたのだけど,顕微鏡細胞を調べた結果,手術で治療できるめずらしい種類のすい臓がんだとわかって先生たちが大騒ぎしていると付き添っていた妻が教えてくれた。手術を受けて,ありがたいことにいまはなんともない。

これが私が死に最も近づいた瞬間で,あと数十年はそうであってほしい。この経験があったから,死が有用だけどただの知的概念だったころよりもう少しだけはっきりと言える。

誰一人として,死にたくはない。天国に行きたい人ですら死にたくはない。だが死は我々全員が共有する終着点だ。これまで死を逃れた人はいない。そしてそうあるべきだ。なぜなら死は生命の最良の発明に思えるからだ。死は生命の変革担当係だ。古いものを追い出し,新しいもののための道をつくる。たった今,新しいものとはあなた方だ。でも遠くない将来みなさんもだんだんと古いものになって追い出される。ドラマティックになって申し訳ない。でもこれは真実だ。

あなた時間は限られている。だから誰か他人の人生を生きて時間無駄にするな。誰か他人の結論を生きるというドグマに捕らわれるな。他人の意見自分の内なる声をかき消されないようにしろ。そして最も大事なこと。自分の心と本能に従う勇気を持て。あなたの心と本能はもうあなたが本当になりたいものを知っているのだ。他のことはみんな後回しだ。

私が若いころ,全地球カタログというすばらしい出版物があった。私たちの世代のバイブルの一つだ。ここからそう遠くないメンローパークスチュアート・ブランドという人物によってつくられ,詩的な感覚人生にもたらした。まだ1960年代パーソナルコンピュータデスクトップパブリッシングもなかったから,全部タイプライターと鋏とポラロイドカメラ制作された。まるで35年早くやってきたペーパーバックGoogleみたいだった。理想主義で,整然としたアイデアとすばらしい思想で満ち溢れていた。

スチュアートと彼のチームは数号のあと,すべての活動を終えて最後の号を出した。1970年代中頃で,私はみなさんくらいの歳だった。最終号の裏表紙には,あなた冒険好きだったらヒッチハイクをしようかと思ってしまうような早朝の田舎道の写真があった。その下に「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」の言葉があった。それは終刊にあたっての別れのメッセージだった。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。私はいつも自分にそう願い続けてきた。今,みなさんが新たに卒業するにあたって,あなたにもそう願う。

ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。

本当にありがとう

2008-10-18

はてなブックマークを使ってるみなさんなら一度はあるでしょう。

なんだこのくだんねえコメント群は!

なんだこのバカの群れは!

と、思ったことが。

ぼくも思ったことがあります。実際そう書くこともあります。(だいぶ抑えてますが)

けど、いざ書くときにふと考えると、この種のコメントに付ける適当タグがないんですよ。

[このブクマページがひどい]って書こうとしたら途中で切れちゃうし。(どうやらタグは全角十文字までらしい)

[このブクマがひどい]とは違うし。

たまに、

[これはひどい]←このブクマページに対して

っていうの見るけど、これはタイポグラフィカルに美しくないし。

なんかいい案ありません?

2008-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20080826125725

HTML 5 における HTML 4 からの変更点

  • b 要素は文章において重要性を与えるわけではないものの、スタイル上表現が異なった部分を表すようになりました。たとえば概要におけるキーワードや、レビューにおける製品名など、タイポグラフィの慣習上よく太字にされるものが当てはまります。
  • strong 要素は文章の一部を部分的に強調するものではなく、文章の重要度を示すものとなりました。

mixiが最強な理由

・コンセプトを完璧に反映したサイト

タイポグラフィの美しさ

・語感の美しさ

オレンジのにぎやか感は異常

・曲線の多用

個人的には、先行者利益とかネットワーク外部性がそんなに支配的とは思わない。

単純にmixiSNSとして優れているだけかと。

で、それはデザイン的なものがかなりを占める。

特にオレンジをとられたのは痛い。

オレンジ以外であのにぎやか感を出せる色が見当たらない。

そういえば、mixiの唇ほくろ社長が「居心地のよさ」っていうのを事あるごとに言ってるけど、

それがmixi本質じゃないっすかね。

オレンジに居心地のよさを感じるのは、日本が木の文化だからじゃないかな。

欧米だとfacebookみたいな色のほうがホッとできるのかなと。

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