はてなキーワード: オヤジとは
月に何回ぐらい痴漢に合う? わたし、学生時代だったら、月~金ほぼ毎日だったよ!あと帰りに塾があった後とかだったら帰りも普通に痴漢にあってたよ!
ストーカーみたいに毎日同じ車両で待ち構えてニヤニヤする中年オヤジとかもいたよ!それは同級生男子に付いてきてもらったら次の日から居なくなったけど!
月に何回ぐらい会社でセクハラされる? 前にいた会社は、毎日だったよ!
「女の子がいた方が華やぐからね~」って、上司の接待についてこさせられて客の隣に座らされて、触られまくっても上司も先輩たちもノーリアクションだったよ!
速攻で転職活動したよ!幸いなことにいまいる会社はそんな極悪非道ではないけど、出向先でストーカー被害にあった時に上司はかばってくれなかったよ!
特に猛烈なファンというわけでもなく、何気ない気持ちで観てみたんだけど、アラフォーの自分にはじわじわ刺さる作品だった。
ネタバレに触れるかもしれないが(そもそもドキュメンタリーにネタバレがあるのかわからないが)、簡単に感想を書く。
「90年代に活躍した伝説のバンド」みたいな扱いになっているが、イエローモンキーって当時の日本の音楽シーンでは、どメジャーって感じでもなかった気がする。
カラオケでJAMを歌うやつはたくさんいたけど、GLAYとかラルクに代表されるような90年代に流行ったV系バンドほど人気があるわけでもないし、MICHELLE GUN ELEPHANTとか、エレカシほど硬派で骨太なイメージもない。
当時流行ったUKロックとか、グランジとか洋楽が好きなやつからはダサいと馬鹿にされていた。そんな立ち位置。
でも見た目は日本人離れしてかっこよかったかな。だから女子のファンが多かった。
2001年、人気の絶頂といわれた時代に突然活動を停止して、その約3年後に解散。理由は明らかにされていない。
映画は、2016年5月の代々木競技場での再結成ツアー初日から年明けのカウントダウンライブまでのステージと楽屋裏を淡々と密着していて、それにメンバーそれぞれのインタビューと彼らの原点であるという渋谷のライブハウス「La mama」の無観客ライブを織り交ぜて構成している。
過剰な演出もなく、シンプルに追ってるだけなんだけど、たいしてファンでもなかった自分が引き込まれてしまったのは、きっと映し出されている人の「人間臭さ」なんだと思う。
皆50を過ぎたおっさんだというのに、メンバー同士アホみたいに仲が良さげである。トランポリンを跳ねたり、リーゼントにしてみたり、ライブ前後の楽屋風景はさながら中学校の昼休みだ。
そしてアホみたいに化粧が濃い。深い皺の刻まれた50男の顔にファンデーションを幾重にも重ね、アイラインを引き、口紅を施し、頭皮マッサージをされている姿は、ある種のおぞましささえある。
そしてその年齢ゆえ、過酷なスケジュールのツアー中に起きる、体の不調。
ぎっくり腰や熱、腱鞘炎に加え、ステージ中にボーカルの吉井が声が突然出なくなるという、最悪のアクシデントもある。ライブが中断され、騒然とした客席、ピリピリとしたバックステージもカメラは追っている。
ライブのリハやレコーディングでの音作り風景も興味深かった。「こんな細かいところまで?」「そこまでして客はわかるのか?」というくらい綿密で、本番ギリギリまで試行錯誤している。
それなのに、ステージの上では、煌びやかな艶とオーラをもつ、ロックミュージシャンの魅力をまとうから不思議である。
上手く表現できないが、そんじょそこらの30代、40代のミュージシャンには出せそうにない「凄み」があるのだ。
これまでの日本のロックシーンで、音楽に地道かつ真摯に向き合いながらも「華のあるビジュアル」の中年ミュージシャンは存在しなかったのではないだろうかと思う。
90年代、20代の頃はさほど魅力を感じることができなかったが、自分も不惑を迎えた歳となって、素直に「かっこいい」と思える年上のおっさんが世の中に存在するのは有難いことである。
「オトトキ」ってタイトルは最後まで意味わからないうえ、めちゃめちゃダサいし、キャッチコピーは「4Pしようぜ!」だし、ポスターのビジュアルはクソスベってるけど、この歳に出会えてよかったな、と地味に思った作品だ。
よくぞ900ランクに到達したと思う。
妻と息子だけは知っているが、呆れ顔だ。
私はいわゆる微課金→無課金だ。最近はまったく課金していない。
いつの日か部下から、「課長ってゲームとかやるんすか?」と聞かれる日を待ってきた。
そしてその時が来たら、「パズドラをコツコツやるくらいかな」と答える。
で、その部下が喰いついてくる。「へ~、僕もやってますよ。600ランクくらいです」(どうや、オヤジ!)
で、私は答える。「すごいね、フレンドになってよ」とパズドラを起動。
部下「わわわ、800越え!! 課長!!すごいっすね!」
部下「どんな編成組んでるんですか? えーマニアックですねー」
私「ほとんど無課金でやってるから、ガチャ運がたまーにいいときがあってね。どれどれ・・」
・・・・
という会話ができることを夢見てきた。
ところがいっこうにそんな機会がない。
話を振ってみるが、モンストだとかクラクラだとか、違うゲームの話で盛り上がって、
「課長はなにかやるすか?」なんて返しもない。
で、ついに900を越えてしまった。嬉しいが、虚しい。
たまにtwitterをのぞくと、廃課金1000ランカー達がワイワイとやっている。
そこは無課金には敷居が高すぎる。
大画面に誰かの画面を映し出したり、
ガンホーさん、作ってくれませんか?
よくぞ900ランクに到達したと思う。
妻と息子だけは知っているが、呆れ顔だ。
私はいわゆる微課金→無課金だ。最近はまったく課金していない。
いつの日か部下から、「課長ってゲームとかやるんすか?」と聞かれる日を待ってきた。
そしてその時が来たら、「パズドラをコツコツやるくらいかな」と答える。
で、その部下が喰いついてくる。「へ~、僕もやってますよ。600ランクくらいです」(どうや、オヤジ!)
で、私は答える。「すごいね、フレンドになってよ」とパズドラを起動。
部下「わわわ、800越え!! 課長!!すごいっすね!」
部下「どんな編成組んでるんですか? えーマニアックですねー」
私「ほとんど無課金でやってるから、ガチャ運がたまーにいいときがあってね。どれどれ・・」
・・・・
という会話ができることを夢見てきた。
ところがいっこうにそんな機会がない。
話を振ってみるが、モンストだとかクラクラだとか、違うゲームの話で盛り上がって、
「課長はなにかやるすか?」なんて返しもない。
で、ついに900を越えてしまった。嬉しいが、虚しい。
たまにtwitterをのぞくと、廃課金1000ランカー達がワイワイとやっている。
そこは無課金には敷居が高すぎる。
大画面に誰かの画面を映し出したり、
ガンホーさん、作ってくれませんか?
いや、褒めてんじゃねーかよww
誤字脱字一切なし、祖母の介護で留守がちな母と受験のプレッシャーの中で自己と父の関係を冷静に見つめ、病的な父に毎日の如く数時間正座させられ難詰されつつも――、
ろくに
多大な非
叱責に関してはすごく不当
烈火のごとく
抗議の声を上げれば大きな吼え声で遮られる
過剰な反応
干渉が過剰
頻繁に様子を見に部屋に立ち入る
もどかしさや焦り
情景がおぼろげに
叱責の頻度
感情はねちっこく反芻
この程度のことで手をわずらわせて
等の形容を使いこなし、1541文字25行にも渡って窮状を訴える18歳の女子高生。文章的な破綻は一切ない。
デビュー前の綿谷や金原の文章読んだ事あるか? あれ以上だぞ?
この思考力、そして客観視とアンビバレンツなまでに感情から遊離した語彙。
考えられるのは離人症だが、そうした人間の文章にしては余りに理路整然とし過ぎている。
興味深いのはそうした中に垣間見えるふつうの(少し幼めではあるが)表現だ。
ただいまの声が暗かった
目がヤバくなっていて
父がヤバい
これまではウワーと怒鳴られても
なかったかのようにケロッとしている
怒られすぎてどうにかなっているのだろう
家に帰るのがツラい
ツラいことにはツラいけれど死ぬほどツラいわけではない
上記の形容は父が絡む関連で内的に権威化されていることから生じており、下記は主観寄りである為に年齢相応な可能性もある。
それにしても最終的に、この程度 としながらも拠り所がスクールカウンセラーであり、それにすら及ばないという発想はなんなのか?
よーするに俺としちゃ理解に苦しむワケよ。もう歳なんだろうねw 最近の若い子の自己表現についていけてないんだよ。
部屋によく来るからうっとーしい顔をしちゃっててそれでパパは私に見下されてると思ってる、なんてのは娘の切ない父への慕情すら拾えるが、その父へ叙述が前掲上記ってのがまたスゲェ。
思わねーか……? どういう子なんだ? この子、ってさ。
語尾やかな漢字もおかしいが、一番不思議なのはセクシャルな表記が全くない点なんだよな。
よく読むと愛と理性、としながらも、この子の父は怪我が残らないような暴力は日常的に行っている可能性があるんだよな。数時間の正座込みでさ。
手を上げられる前に泣くけどそれがイラつかせてるかもしれない、ってんだからこれまた泣ける話だが、その辺をヤバイ形相で振り上げた新聞に母が叫んでるってのに重ねるとこう思うんだよ。
「アンタに毎日振り上げられてんのって、本当にただの新聞紙なの?」
ってな。
介護で毎日いない母、そして二人きりの家で自分をゴキブリのように何度も叩く父。
こうやって書くと「男はすぐそういう話にする、そういうのがさぞかしお好きなんでしょう」みたいのが沸いてくるが、率直に言って本当に理解できないんだ。
何がムカつくってこうやって細かく読み込んだだけで「若い子が気になるのね」とかって意見がすぐに出てくる事だが、こうして書くまではババァの創作四苦八苦か暇なSEの文章修練だろうと思ってた。
でも、これだけ破綻のない文章を書いているのに思春期の父親に対する反発が一切拾えないのは逆に不気味ですらねぇか? と。
そういった魅力が全くないタイプであれば、杞憂に過ぎないかもしれない。
一貫校で自室持ちなら両親にそこそこの収入も期待できそうだし、教育方針で激論するんだから所謂底辺家庭ではないんだろう。
世間にゃ殆ど反抗期がなかったって大人も割といるし、イマドキ4,50代で新聞紙説教オヤジってのもナンだが田舎ならWifiすらない地域もざらだ。
しかしどーもなぁ……、って思ってるんだが――、
ゴミみてーな増田のアフィステマアンケート群の一つ一つをこんな風に読んでたら幾らあっても時間が足りゃしねぇし、常連どもは勝ち逃げか派閥作りって風にしか見えねーしな。(読みも浅ぇしw)
そもそも商用のアクセス集め文章と本来の書き捨て名無し日記である内情吐露は全く読み方が違うんだよ。マジメに読むほうが馬鹿を見るだろ? 真偽なんか分からねぇんだから。
っつーワケでこんだけ書いといてナンだが、途中で放り出して俺は自分のやるべき事をする。後はもうこのエントリには書かねぇ。文章書きってのは読み辛くてループを仕込んだスパゲッティソースを他人に叩きつけて時間を奪い、その間に自分は別のコードを書くって最低な人種なんだよ。目的も分からねぇソースコードの解読なんぞにいつまでも付き合ってられるか。(笑)
悪いとは思うが謝りもしねーぜ? じゃーな。
自分がゲイだとカミングアウトするから受け入れてくれっていうのはまぁわからんでもない。
でもそれを気持ち悪がるなっていうのは無理があるでしょ。
普通に考えて、エロオヤジが「ワシはおなごがすきじゃぁ」なんていってたら気持ち悪いし、ドラマやアニメなんかでは成金悪徳野郎っていうイメージを植え付けるためにもよく使われる。
ひな壇番組の芸人が「こいつよくピンサロ通ってる」と言われたら、会場から女性の「きゃー」っていう声と芸人の笑い声が入る。
クレヨンしんちゃんのオカマは笑いもの?それと同じぐらい男女コンビのラブラブカップル「みっちーとよしりん」だって笑いものなんだよ。
仕事のあと馴染みの居酒屋で1人でチビチビやってたら、男女の外国人の観光客がやってきた。珍しい。この店は近隣の企業で働くオヤジ御用達の店なのに。
彼らは翻訳アプリを使い「お寿司かラーメンはありますか?」と店員に聞いた。店員は困ってた。オヤジ居酒屋にはラーメンも寿司もないのだから…。
店員も外国人も困ってた。おれはみるにみかねて、酔いも手伝って話しかけてみた。
「この店には寿司もラーメンもないよ。でも、サシミと天ぷらはあるよ!一緒に食べようぜ!」と。
外国人は大いに喜んでくれた。それを見てたほかの席のお姉さん達は、英語でメニューを翻訳してくれたり、それをみてた他の席のオヤジ達は
「なんだ、外国から来たのか!?じゃあこれ食えよ!美味いぞ!」と分けてくれたり、店員さんも「みんなで写真撮ろうよ!」と呼びかけてくれたり、輪がどんどん広がった。
みんなで身振り手振りや、英語や翻訳アプリでコミュニケーションをとった。
彼らは帰るとき英語で「本当に楽しかった!嬉しかった!いろんな国に行ったけど、こんな楽しかった夜は初めて!本当にありがとう!絶対に俺たちの故郷に来てくれ!ありがとう!」と言ってくれた。
彼らが帰ったあと、残った客や店員さんみんなで「俺らがんばったよな!!めっちゃ喜んでくれてたよな!!!イエーーーー!!」と乾杯した。
彼らは中国から来た観光客だった。俺は拙い中国語で、他の客は英語や翻訳アプリや身振り手振りで、それぞれができることをやって、楽しい時間を過ごした。
4年も前の話だけど、あの時間は本当に素晴らしくて、かけがえのないものだと思う。
半年後、俺は彼らの故郷を訪ねた。そしたらありえないもてなしを受けた。
その飯屋にいた知らない人達が「え!日本人!初めて見た!コンニチワ?」「日本!?遠いところからなんでこんなところに来たの!まあこれ食えよ!」「漢字使えるの!?」「謝謝の日本語はなんて言うんだ?」と、みんな優しくしてくれた。
日本のイメージ変わったと言ってくれた人、日本語勉強始めてくれた人、ドイツ車買わずにトヨタの車買うわと言ってくれた人、旅行先を日本にした人、日本に対してネガティブなイメージがなくなったと言ってくれた人、、沢山の中国人が、俺をきっかけに日本に興味を持ってくれたのはなんだか嬉しい。
こんな世の中だけどさ、こんな時代だけど、こんな日中関係のいまだけど、俺は日本人。俺は日本が好きなんだなぁと考えさせられたよ。
「時代遅れの笑い」という批判もあるけど、たけしに「こんなネタは他の国なら、ただ事じゃないんだぞ」と言わせたことからも企画側がポリティカリコレクトネスに自覚的であることは伺われる。自覚の上で放映したという文脈から企画側はポリティカリコレクトネスに(挑戦しながらも)反する意図がないことを読み取らなければならない。
スポンサー降板もあったから局側は問答無用で、おそらく反射神経で謝罪したんだろう。しかし企画意図の説明を完全に封殺してなんの掘り下げもなく、謝罪して片付けてしまったのはちょっと放っておき難い。
そもそも保毛尾田保毛男というキャラクターの強烈さは、彼がセクシュアルマイノリティーであるからではない。30 年経っても忘れられない強烈さの本体は、彼の「得体の知れなさ」である。
当時ですら時代錯誤の、ポマードで塗り固められた髪。石橋貴明の無駄に良いガタイで派手なスーツをちゃっかり着こなすところから、経済力のある人物であることが仄めかされる(御曹司みたいな設定のようだ)。そして青ヒゲが男性であることを強調しつつ、話し始めるとこれが歯を見せずに上品なお姉様言葉。あらゆる特徴がちぐはぐで、掴みどころがない。
さらに言動から同性愛者であることは明白なのに本人に問いただせば「それはただの噂ですから」と言って否定する、(視聴者は心の中で「そんな訳あるかいな」と毎度ツッコミを入れる、)というのがこのコントのヤマである。
少なくとも視聴者には彼が男色であることが明示されているから、この「ただの噂」という台詞は嘘。つまり素性を明かすつもりのない人物なのだという印象を与えられるため、ますます正体不明の不気味な存在となっていく。
わたしたちはその不気味さと、しかしどうにも悪者には見えないそのチャーミングさとのギャップに可笑しさを覚えていた。この笑いの構造自体はほかのキャラクターにも代替可能なもので、同性愛者の揶揄がこのコントの主旨ではなかった。
主旨ではなかったはずだが、30 年前当時にはポリコレなんて概念はなくて、制作者および視聴者の「同性愛者への無理解」がツカミとして機能していたことも確かである。
偏見や差別はあってならないが、一方で多様なセクシュアリティーの存在を認識し、共存できることを確認する視点も公共電波に課せられた同等に重要な使命ではなかろうか。その視点に座すれば 30 年前には異形扱いだった保毛尾田が、時を経て鬼瓦権蔵(←しかも他ならぬ、こんな昔気質オヤジの権化である…)に扮した業界のドン:たけしとふざけ合いながら銀座を飲み歩くなんて、むしろそれこそ現代が差別のない世界に近づいていることを確認する幸福な画面だった。
ところが今回の説明のない謝罪は、あの銀座の一夜を否定し「今後、セクシュアルマイノリティには特殊な配慮をします。安易に画面に映しません」=転じて、テレビ局が頭を下げて「ホモを映したのはダメだった。これからはちゃんと差別します」と宣言するみたいなおかしなことになってしまっている。チャンチャン、まさにお笑いである。30 年を費やした、巨大なコントのオチが局の謝罪で完成してしまった。これでよいのか。
「部室芸」という表現もあるが、芸もなく、技巧もなく、思想もない。ただ笑わせて、笑った方が強い。それがとんねるずの世界観である。フジテレビが謝罪した日は、ポリコレが部室芸に殴られて「お笑い」になった日として大衆の記憶に留まる。
今度の選挙で、自民党議員に投票するか、比例で自民党に投票する方にお願いがあります。
世界的な潮流、選挙制度、世界情勢、マスコミ報道、そして国民の意識、さらに今週末の天気
いずれを見ても、今度の選挙では、自民党は圧勝するでしょう。(改選前より若干減る程度のことはあるかもしれませんが)
そして、多分、今後、私が死ぬまでに政権交代することは無いでしょう。死ぬまであなた方と呉越同舟するしかないのです。
その間、あなた方を愚かな人だと思いたくありません。あなた方を恨んだまま死にたくありません。何か当然の理由があるんだと思いますが、私にはあなたがたが、なぜ自民党を選ぶのか全く理解できないのです。ああ、そういう考えもあるのかなぁ。と思う話を聞かせてください。
例えば、「オヤジの遺言だった」とか、「おじいさんが、奪われた土地をとりもどしてくれた」なんていう話なら、
敗者に対して哀れみをかけてください。ぜひ、よろしくお願いします。
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ご回答ありがとうございました。