はてなキーワード: アクティとは
今から10年以上前、20代の半ばだったころにワーキングホリデーで某国に行ってあてもない気楽な自由を謳歌してた時期があった。
20代の半ばを海外でふらふらしてるような奴が入りびたるコミュニティなんて多かれ少なかれ似たようなマインド持ちが多かった。
国を問わずみんなふらふらしてて、でも将来のことを考えていないわけじゃなく、つかの間の自由に興味と行動力と若さだけで飛び込んでしまったような人たち。安い日銭を稼ぎ、バックパッカーを細々と続けているその先の冒険を全身で謳歌していた。
夜になると音楽とお酒。自分は英語は拙かったけれど若いというだけの怖いもの知らずで知らない人たちとよくお酒を飲んでいた。
たまに意気投合するとアクティビティを共に過ごすこともあった。デイトリップやダイビングやそんなことを。
少しの時間しか一緒に過ごさない人もいればそこから細々と今までつながっている人もいる。旅は道連れ世は情けというけれどそれを体現していたのかな。
じきに現実に戻らなければいけない時期がきて、自分もそんな日々とお別れを告げ、紆余曲折ありながら今は日本の片隅でひっそりと経済活動の歯車として頑張っている。
自分は日本人で、そういう流れでたどり着いた行先はだいたいご想像通りであまりぱっとしない。なんだけど、当時知り合った海外の人たちはみんな国に戻ってから大学などで学びなおして世に出ている。
最近もそういうニュースが知り合いのコミュニティであって、もう年齢が40過ぎてる人なんだけどようやく学位とったよ!って。
いくつになっても大学で学びなおせる環境ってすごくうらやましいと感じた。日本ってそんな感じで一度社会人を経験してても大学で学位とれたっけ。
あのさー
つまらなくなった途端のタイミングって言うのは運営がマネタイズが上手くいった証拠でもあるから
面白くなくなったSNSは儲かってるんだなぁーってつくづく思うわ。
ツイッターももはやどうでも良いことをどうでも良くつぶやいている方の人が少なくなってきているのかも知れないわね。
五万人ぐらいいると思うわ。
キャンプはあんまり行きたくないけどランプとかナイフとかのキャンプギアは欲しい!焚き火はしてみたい!みたいなことよね。
家庭用コンロじゃなくても、
もう普通にキャンプカレーを家で作ったらキャンプ気分なのかしらって思うし、
事務所のフロアのちょっと広いところでテント張ったっていいんじゃない?ってそこでお昼休み流しそうめんでもしたら
もうキャンプ気分よ!
家に居ながらの巣ごもりで
キャンプしたい欲を満たしてくれるかがってことも重要なのかも知れないわね。
だから
そうは言ってないわよね。
山に登って淹れるコーヒーが頂上で飲むと美味しいように
キャンプ地には行きたいけど寝るのは車の中でいいわ!ってことなのかしら。
結局は一緒なのよ。
キャンプに行ってテントの中では結局はノートパソコン開いてインターネッツを見ているから
あの大容量モバイルバッテリーがめちゃくちゃ売れてるって言うのも一理ありまくりだわ。
なるほどねーって思っちゃった。
それと、
的に手斧投げるアックススローイングが超流行ることを今ゆっとくわ!
リアルに手斧投げて的の丸太にすこーんって気持ちよく刺さって止まったら快感よね!
黄砂でぼんやり青空じゃない霞んだ感じを正に一刀両断したいものね。
うふふ。
パッと見はソーダ水に見えるけど甘くない炭酸水レモンウォーラーです。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
バイタルブレス(https://toy.bandai.co.jp/series/vb-digitalmonster/) というデジモンシリーズの新しいデバイスが先週発売された。
バイタルブレスはスマートウォッチ型ガジェット。所有者のアクティビティに応じてデジモンを育てることができる。
試しにこれを買ってみて毎日遊んでいるのだが、本当に出来が酷い。
スマホアプリからバイタルブレスにデータを転送する機能があるのだが、これがわかりづらい。
連動実行時にはdimカードというセキュリティキー兼データロムのようなものを使いながら、
合計3回バイタルブレスをスマホにNFCタッチする必要があるのだが、
アプリもブレスもガイド情報に乏しいので、ほとんど意味不明な操作を行うことになる。
問い合わせが殺到したのか、リリース数日後に実機動作の動画が投稿されたが、待機とタッチを無言で3回繰り返す謎の動画となっていた。
https://www.youtube.com/watch?v=h3WH2PDg0uo
コメント欄が最初から閉じられているあたり、YouTube担当者もやばい自覚がありそう。
自分の場合はアプリ連動中に通信失敗してデバイスが変な中間状態に陥ってしまったらしく、アプリと全く通信できなくなってしまった。
この問題は電源再起動では治らなかったので、バイタルブレスのリセットが必要となりそうだが、そうすると今育てているデジモンのデータは消える。
そして寝ている間はトレーニングやバトルができない。
たとえばdimカードにも描かれている主役キャラのバルクモンは20時に寝る。
仕事終わりのジョギングとかそういうシーンでの利用を想定していない。
設定で現在時刻を変えればなんとかなることに気づいたが、これをやると1日の歩数がリセットされる。
バイタルブレスは実質2日放置するとデジモンが死ぬ仕様上、日常生活での装着を強要されるのだが、
デバイスの見た目が本当にダサい。質感のしょぼさには目を瞑るとしても、厚みがとにかくすごい。
無駄に存在感があるし、日常生活の動作の中でも若干邪魔だなと思う。
スマートウォッチ型なので隠すことも難しい。
そして進化などのイベントでは勝手にけたたましいビープ音がなる。ほとんどの人はミュートするしかないと思う。
バイタルブレスには振動機能は無いので、ミュートで使用している間に気づいたら進化してた、みたいな感じになる。
公式サイトには使い方は殆どのっておらず、基本的には PDF ( https://toy.bandai.co.jp/manuals/manual.php?id=2559918 ) を参照することになる。
これは文字列検索できないPDFで、印刷される前提のレイアウトで作られているにも関わらず、実際の商品には紙の説明書は添付されていない。謎。
バイタルブレスは独自デバイスで、ファームウェアアップデート機能が無い。なので今後も上記の問題が改善される可能性は低いだろう。
従業員数でいうと20→100→500→700と上がっていて、今はみんなが知ってる大企業のグループ会社にいる。
親会社から出向している人も多く、みんな学歴もあって年収も高いので当たり前に結婚してる。
片親で高卒で自分の子供も公立一択!な私とは住む世界が違うけど、こんな世界に入れてラッキーだと最初は思ってた。
うちは世帯年収でいうと1000万越えなので、誤解を恐れずに言うと中流家庭だと思う。
旦那のほうが給料多いし、まぁこんなもんだなと思って生きてきた。
男なんて所詮仕事してたらいいと思ってる生き物なんでしょーなんて。
まわりもうちみたいな家庭がほとんどで、私は自由なるお金が多いだけ幸せだと!たまにいるイクメンは珍しい!あーうらやまし!みたいな。
今の会社の出向組は恐らく旦那の1.5倍は稼ぐが、育児家事も当たり前にやる。
お弁当は自分で作るとか、子供の家庭教師は自分だとか、在宅だったら晩御飯作るとか、トイレは奥さんが掃除したことないとか、、まじっすか。。
でも考えると友達の旦那さんとかも高収入っぽい人ほど(推定7,800万以上)PTAやってたり、土日はスポ少でコーチしてたりする気がする。
そこそこ稼ぐぐらい(500万ぐらい)の男の人のほうが、家事育児やらない気がする。
あーうらやましー。
世の中にはプログラマー35歳定年説というものがあった。昔からそんなのはないという人と、あるという人がいた。40代も半ばになったときに「あぁ、これが35再定年説の根拠か」というものがなんかちらほら見えるようになってきたので書いてみようと思った。
世の中にはものすごいプログラマーというのはやっぱりいる。なんなら死ぬまでプログラミング書いていられるという人たちもいる(ブラック的な意味ではなく)。そんな彼らからしたらプログラマー35再定年説とか意味がわからない都市伝説にしか映らないだろう。
だが、普通に職業プログラマとして生きている俺のような人からすると、この35歳定年説はかなりの真実味を帯びている。
だが、そんな俺でも40代半ばまで延命できたのはやはり技術革新のおかげかもしれないが、結局平均寿命が伸びただけとも言えるだろう。
まず、技術に対する姿勢が変わる。正直言うとプログラミングとかもうしたくなくなる。というか、そもそも一生プログラミングを仕事にしたいと思う最初の頃は好きだと思っていたが、仕事にしてしばらく経ったら大して好きでもなかったな、と思うようになる。
大して好きでもないことを仕事にし続ける体力はやはり年とともになくなり、体力がなくなった分「自分が本質的にしたいと思うこと」が見えてくる。そしてそれはプログラミングではないため、ギャップがきつくなっていく。
おそらく、この辺が35歳くらいのあたりに来るのではないだろうか。35歳定年説と言ったら35歳ピッタリしか想像できないのが離散数学の世界で生きているプログラマらしいといえばらしいが。
そんな感じでやってても、20年もやればそれなりにスキルも身につく。さすがにGoogleの一線で働くような大天才たちと渡り合うことはできないが、もしかしたらGoogleの片隅で働ける程度のスキルはあるかもしれないが、正直もういいっす、っていう気持ちのほうが大きくなる。
次に、自分がどうにか身につけてきた知見というものがなかなか広まらない。コンセンサスが取れない、という状況にも苦しくなってくる。
自分がやってきたプロジェクトでこういうことをやったらうまく働いた、というような知見は共有するが、なかなか価値観が共有できないことに気がつく。若いうちは「だったら俺が全部やりますわ」くらいの気合を見せられたものだが、年を取ってくると「あ、そうですか・・・」となってしまう。純粋に体力も気力もなくなっていく。
プログラミングをやっているだけありみんな論理的な思考が大変上手だ。「皆さんホント論理的でいはりますなぁ」と言いたくなるわけだが、悲しいことに自分たちの振りかざす論理が、単なる正論、飛躍、極論、屁理屈、と言ったものであることに気づけない人も結構多い。こういうのを各個撃破するのも疲れる。
これからプログラミングを仕事にする人たちに言っておきたいことがある。もしこの世界で長く働きたい、定年までコード書いていたい、と思うなら、常に勉強をしなくてはならない。もしあなたがFラン出ているなら、他の人の倍努力しなくてはならない。できないならそこそこで転職したほうがいい。この世界にいるといかに若いうちの勉強が大事だったかを日々痛感する。
実務の上での俺の感じていることを書く。DDDだとかクリーンアーキテクチャだとかも大事だがもっとそれ以前に俺が根源的に重要だと考えているポイントだ。この辺をないがしろにしたらDDDもクリーンアーキテクチャも絶対に崩壊する。
まず、心得てほしいのはどんなにすごいプログラマでも意図の通じないコードは本当の意味で直せないということだ。
まず、引数チェック、状態チェックは必ずやれ。コードが語る、というようなことを言ってやらないやつが昔は多かったが、今もいるんだろうか。悲惨なバグやメンテナンス性の低下はそういった自分の意図の表明を横着したコードから起こり始める。「俺はこれをやる、だからこの機能を呼び出すならこういう状態にした上でこういう情報を渡せ、じゃないならやらない」とはっきり言え。もしこの辺を冗長だと考える同僚がいるならもう辞めたほうがいい。
引数チェックや状態チェックのコードで画面の半分が埋まったならそのコードは設計がおかしい。一旦手を止めてよく考えろ。一つの機能を動かすのにそんなに引数がいるのか、そんなにチェックする状態が多いのか、そしてそれらは本当に必要か検討しろ。
テストコードは絶対に書け。テストコードが書けない技術は絶対に使うな。意味のあるテストが書けないならやめたほうがいいという輩もいるが、とにかく意味があろうとなかろうと書け。引数にこれを入れたらこうなる、こういう状態でこういう事したらこうなる、というお前の意図はとにかく示せるだけ示せ。
だいたいこの辺を横着したやつは翌年酷く後悔するか、そこのメンテを担当した同僚を攻撃している。
コードが書けなくても大丈夫、という会社は、コードが書けたほうが有利な会社ではなく、本当にコードを書かない会社だというこは肝に銘じておけ。身につくスキルはEXCELの方眼紙を最低限の手数で作れるようになることか、本気でやればビジネスを理解できるかもしれないが、お前の技術者としてのキャリアはそこで止まる。
仮に憧れのスーパーハッカーがいる会社を目指しているとして、彼らがそこでどう働いているか、なにが泥臭いのかを想像できない、聞くことができないならやめておけ。浮かれ過ぎだ。
仮にGithubのURLを教えろという会社を目指しているとして、そこのリポジトリを飾り立てようと考えたならやめておけ、そういう会社はGithubにアウトプットすることを日常的な趣味として苦ではなくやり続けられる人を求めている。
年収をその会社の選択基準にしているならそこはおまえには分不相応な会社だからやめておけ。仮に入れたとしても馴染めることはまず無い。これは年収が低くても同じだ。
嫌いな人がいるならその会社はやめていい
コメントを観てこの「最小且つ単一の論理でなにか否定できた気になる」という輩への対処が一番疲れる
一晩立ってみたらこんなにブクマついててびっくりした。気になったブコメもあったのでちょっと追記しておく。
いきなり視点がミクロに、と言うやつなんだが、結局若いうちにこういうのできてないやつはあとで苦労するが、最初のうちは体力でカバーできている。体力でカバーできなくなったときに本当の意味でつけを払う羽目になるという意味で言ったり、あとオレみたいなおっさんが大変つらい思いをする、という意味でも言っている。
Fラン関係なくねっていうやつだが、昭和世代のステレオタイプかもしれない、ごめん。勉強する習慣もなければ大してやってきてもいないやつはこの業界だと倍苦労する羽目になるというふうに言いたかったと思う。どんな業界でもそうだとは思うが。
返す刀で結論づけしたがる人々がやっぱり現れるな、君たちはそう思わない人なんだろうし議論する気もないが何かしら言いたい人なんだろう。別にそれはそれでいいよ。お仕事頑張ってね。
「俺は大して辛くないけどなー」っていう人もやっぱり現れるな。辛くないんだったらいいことだと思う、お仕事頑張ってね。
4Kモニターでものすごく細かい文字を読んでいる若者を見た、という人、俺も同意する。もう見ていられないんだよね。
関白宣言っぽいな、というのは俺も思った。
結局の所、プログラマ35歳定年説は俺も打ち破りたいと思っていた口なんだが、打ち破れる人とそうでない人がいる、ということで、俺は後者だった、ということだ。当然50過ぎてもプログラマやっている人は見かけるので、数学的な真理というわけではなく、統計的な傾向なんだろうと思っている。
若いうちから、いい環境で働かないと、気持ちのほうがどこかで先にギブアップする。いくら大好きで転職だと思う仕事だとしても、体力や若さで捻じ曲げていることはなかなか気づかない。色んな本を読んで客観的な指標で判断したほうがいい。
遺言とか言って書いておいて追記したら俺はソンビか亡霊なんだろうか?
びっくりした。こんなおっさんの愚痴みたいなエントリーがこんなにブクマされるとは思ってなかった。いくつか気になったブコメがあったのでやはり書いてみたくなったので書く。
まず、この遺言を最後にいなくなるのかという話だが、おそらくいなくなる。ゾンビで居続ける体力ももはやない。
次の準備はすでにしている。それは俺が本質的にやりたかったことに近いことだと思うのをピックアップしている。
本質的にやりたかったことって何かという話なんだが、まず俺が感じるプログラマーという仕事は「良き作り手であり続けること」が根本的なモラルだと思っている。若手で右も左もわからないような状態でも、それこそやっとフィズバズが理解できたような状況でも今持っているレベルで最大限にできうる一番いいものを模索し続ける仕事だと思っている。初心者にはチェックコード書け、意図はできるだけ込めろというのはそういう意味でもある。これを真正面から受け止めてくれる職場を探したほうがいいというのは追加しておきたい。
プログラム論とかそういう話がしたいんじゃないということだけは言っておく。
俺も体力があるうちは良きつくり手を目指していたのだが、本質的にやりたいこと、もうちょっと言うなら、俺のモラルの軸は作ることにではなく使うことにあった。プログラミングというアクティビティを挟んでこっちにつくり手がいてあっちに使い手がいる。仕組みを理解して作るのがプログラマーなら、作ったプログラムを理解してよりよい日常を模索するのが使い手、と言ってもいいかもしれない。いいフィードバックループのあっちとこっち、と言ってもいいかもしれない。俺は「良き作りてが使ったものを使う良き使い手でいたい」ということに気づいたので、遺言を書くことにした。少なくともこれに気づいた時点でプログラマーとしての俺は死んだ。
まだ直感的なものでしか無いので、うまく言語化できていないのは申し訳ないんだが、今後10年位はそれを模索していくのではないだろうか。
あらすじ:Google Play Music終了に伴いYoutube Musicに移行したが ULTRA UNKO だったのでAmazonのPrime Music Unlimitedに加入した
「槇原敬之と渡辺美里くらいしか聞かないから別にいいんだけど、Youtube Musicがアルバム単位で再生できないのが信じられなくて」
「はい」
「アクティビティウィンドウを破棄すると鳴らないのちょっと嫌なんだけど、Google Play Musicみたいに毎回再度起動するよりマシかなと」
「はあ」
「で、このPrime Musicのアルバム表示で曲ごとに白く光ってるバーはなんすかね」
「In love again? が評価8なの気に入らないんだけど。槇原敬之お得意の爽やかに歌うムッツリ恋愛キモムーブ男子(おっさんver)って感じで最高なんだが」
「デフォルトが5で、downvoteがかかると下がるみたいな感じなのかねこれ。評価ボタンどこ? これ再生数とかなのでは?」
「この順番がユーザーに影響するわけでもないようなので、気にしなくてもいいのではないですかね」
「うーん、まあ気にせず眺めるだけにするわ。あ、渡辺美里は30周年リマスターアルバムもあ」
「その流れでどうしてわかったのかは聞かないほうがいいですか?」
うむ、そのアクティビティに沢山カネや時間をかけていてもオタクっぽくならない人もいるし、ずっと「浅い」「ライト」なまま嗜む人もいる。
オタクであるかどうかを分けるのは、それについて深く探求していこうとする意思の有無であって、カネや時間を注ぐほど没頭するのは探求行為の副次的作用にすぎない。
人と知り合ったときとかってだいたい「何が趣味なんですか」「私の趣味は……」みたいな会話が交わされるじゃないですか。あれって意味不明だと思うんです。というのは、だいたいの人って趣味なんか持ってないじゃないですか?(はてなにいる人、何かのオタク趣味ある人が多そうですけど。はてなーとかいう偏りまくりバイアスありまくりの集団の話はしてないです。普通の人の話。)
まあ「趣味」っていう言葉の解釈の仕方にはいろいろあると思うんで、まず「趣味」を定義しましょう。
冷静に考えて、年に一冊しか本読まない人が「読書が趣味」って言ってたら「は?」ってなるじゃないですか。(そういうことも多分にありそうですけど) まずそのふわっとした感覚を言語化したいですよね。というわけで、
この条件は合意がとれるかと思います。でもこれだと労働とか通勤とか睡眠とか入ってきちゃいますね。じゃあこれを加えましょう:
いい感じの定義ができましたね。
で、考えてもらいたいんですけど、する必要がないのに長時間割いているようなアクティビティー持ってる人ってそんなに沢山いますかね?私なんかプログラミングするのが大好きなんで暇さえあればコード書いてますけど、そんな感じでする必要もないことに長時間割いている人ってそんなにいるのかな?というのが疑問で。趣味を聞かれて「音楽鑑賞」だとか「映画鑑賞」だとか答える人、はいて捨てるほどいますけど、その人たちが映画館に足繁く通ったり音楽を聴きまくったりしてるとはとても思えなくて。
まあ別に趣味がないなら「ない」でいいんです。でも実際のところ趣味持ってるなんかむしろマイノリティなのに、あたかもあらゆる人が趣味を持っているかのように皆さん振る舞っているじゃないですか?そのために趣味でないことを趣味としてでっち上げたりする。それが本当に意味不明で。
「趣味は?」「映画鑑賞です(実際映画館に足を運ぶのは半年に一回程度)」「趣味は?」「読書です(最後に本を読んだのは一年前で、自己啓発書)」こういうやりとり、馬鹿馬鹿しいったらありゃしないですよね。誰も得をしないんだからもう「趣味」なんていう概念は捨てれば?っていう私からの提案でした。