はてなキーワード: 騒音とは
昔々、横浜は関内に住んでいた時のことだ。この関内、は文字通りであってJR(さすがにもう国鉄ではなかった)の駅から海側のエリアである。諸氏はそんなところに住居があるのかと驚くかもしれないが、当時は雑居ビルの上の方に思ったよりは多く転々と貸間があった。ただし、下の方からは常に酔客の声やカラオケのだみ声(後学のために申し上げると、カラオケ騒音で一番外に響くのはよりにも寄って音痴なおっさんの胴間声であって、BGMは全く聞こえぬ)が常に聞こえ、よく言って華やか悪くいうとそりゃ真っ当な借り手はなかなかつかねぇよね、ということになる。
その時は-このシノギだけは真っ赤な嘘の話だが-、石化パイプライン屋の営業部隊に属して、港町には良くある怪しい中東系商社から注文を取って糊口をしのいでいた。中東系商社は母国の都合で動く。つまり、朝は遅く夜は次の日が来るぐらいまでが仕事のピークである。こっちもそれに合わせて変則的な労働時間で暮らす。それはいい。だが困るのは飯だ。飲み屋以外で食い物屋なぞない。コンビニと牛丼屋ぐらいはあるが、毎日ではつらい。トドメに、下戸である(中東屋さんとしては問題ないのだが)。飲み屋の線はこの段階で選択肢としてはさすがに消える。
ある雨の日、所要があって珍しく海側から我が雑居ビルへと帰途を辿っていた。いつものように腹が減っていた。あの辺り一帯は、細長い区画が一応碁盤の目状に並んでいる。一回右に曲がって一回左に曲がれば、どの通りを選んでも貸間に帰りつけるのは、小学校でやった懐かし「場合の数」だ。ただし、客引きのおねぇちゃんがうるさい通りというのがあり、こいつは敬遠せざるを得ない。
考えもせずひょいっと辻を曲がった先にあったのが、未明なのになぜか営業していたイタ飯屋だった。外のケースに入れられていたメニューは、いつもの夕食よりはちょっと高めだが、出せないほどではない。いい加減雨にも追われている、パスタとグリルを頼めばまあ恰好はつくだろう、たまには人がましいものが食いたい、そう思って扉を開ける。慇懃で痩せぎすのウエイターが案内したのは入り口近くの窓際の席だ。他に客はいないが、フリの怪しい安スーツに着られたような小僧っ子には、そんなもんだろう。
出されたメニューから慎重に安めのパスタとグリルを頼む。グリルは肉、シンプルに塩だ。呑むのはお冷。酒は頼まないし、ソフトドリンクに金を払うのは当時としては、ばかばかしく感じられていた。人心地ついて、水をすすりながらぼうっと薄暗い店内を見渡すに、どうもややちゃんとしたリストランテなようだ。しかし客は他にない。いればどんな店かも推量が利くというのに。そもそも、ちゃんとしたリストランテが酔狂にもかくも深夜まで空けているのか、さすがにいぶかしんだが尋ねるほどの気安さもない。ウエイターはほぼ厨房の入り口あたりの定位置に戻って、こちらには目もくれない。
ほどなくして出てきたパスタ、そしてグリルは確かに旨かった。これこそ久々のちゃんとした食事という奴だ。しかしただの大喰らいの悲しさ、昔の料理を思い出して論評するなどということは出来ない。しかしいくらなんでもちゃんと仕事をしてある2皿だ、ということ位は判る。悪くない。遅い晩餐の唯一の欠点は、こちらがやたらと水を飲むことだ。端から置いてあったグラスにサーブされたお冷は数回おかわりした。そしてさすがにリストランテ、見ていないようでウエイターは、こちらの水が切れると音もなくお代わりをちゃんと入れていく。それはちゃんと冷えていて、薄手のグラスに汗をかかせる。全く悪くない。
少なくとも追い出されはしなかった、塩を撒かれるほどの醜態でもなかったはずだ。そう思って、月に一回ぐらいは帰りがけに足を延ばした。向こうからすれば余程奇矯な客なんだろう、二回目からは、パスタと一緒に銀の水差しがサーブされてきた。嫌味かもしれないし、サービスかもしれない。お互いそっちの方が楽だもんな、それも悪くない(というとさすがに上から目線過ぎるか)。ウエイターは今度こそこっちの方を見ないで済んだはずだ。
佳き日は往々、突然に終わりを迎える。ある日、また人がましいものを食おうと思って店の前にたどり着くと、レストランは深夜営業をやめていた。そりゃそうだ、通った間、一度として他の客なぞ見たことはなかった。店としては、同伴とかお仕事帰りのお姐ぇ様方が使う心づもりだったんだろうが、どうしたって来たのは貧乏神めいた小僧だけだったのだから。さすがに空気よりはましだった、とは思いたいが、そんな細っちい客は切って捨てるのが当然の経営判断だ。
今にして思えば、どう考えたって利幅の薄い立派な不良顧客である。あのウエイターだってその奥にいるシェフだって、態々残業してきたのがあんなのだった、というのは落胆した事だろう。しかし、出てきた料理は真っ当だったし、ウエイターもあからさまに追い立てるそぶりはかけらも見せなかった。あの当時なら少なくとも匿名で世間様に晒されるようなことはなかった。もっとも晒されたとしたところで、こっちの低いアンテナに引っかかるものかは疑問が残るが。
ほどなくしてこちらも横浜を引き払った。まだあの店があったとして、出世払いに赴けるほどの立身は遂にしなかった。或いはケチって水ばかり飲んでいたツケかもしれない。そして時々人がましいものを食いたい時、まだ入る店には迷うのである。
確かに臭くて結核菌をばらまくかもしれない人と隣接するのは怖い、しかし私達世代は将来年金も貰えずホームレス化する危険も高い、我が身になって考えると命の危険がある豪雨の中結核で外に追い出されるのは嫌だ、死ねと言われているようなものだ。
ペット同伴避難も問題になっていた、世の中にはペットの毛で呼吸困難に陥り死ぬ思いをする人がいる。
ペット不可の避難所にペットを連れた方が強行突破で入ってきて、仕方なく教室の一つをペットの避難所にしたらどんどんペット連れが避難してきて、泥や糞尿や毛で汚れた教室を掃除するはめになった教師のツイートも話題になっていた。
しかし、ペットを我が子同然に愛してペットを見殺しにするくらいなら避難しない人は結構いる。ペット避難所も必要だ。
どうしても騒いだり泣いたりしてしまう赤ちゃんや子供も問題だ、流石に避難所から子供を排除しろとまで言う人は居ないだろうが、騒音は加齢などで聴覚がおかしくなっている人には耐え難いだろう。
変な行動をとったり大声を出したり、周囲の人へ大変な迷惑をかけるだろう。
迷惑をかけると言うのは日本では特に許されない、非常時は少しの事でも周囲に迷惑をかける。
ではどうすれば丸く収まるのだろう。
確かあれは、合格して来春から通うことになった高校へ何らかの書類を提出しに行った帰りの電車の中だったように思う。
隣には友達のお母さんがいて、私はそのお母さんと一緒に電車に乗り込んで、3人がけの座席の前に立った。
目の前の席にホームレスの男性が座って寝ているのに異臭で気づいた。
友達のお母さんも私も何も言わず、男性のことには何も触れず、車両を移ろうかというそぶりも見せず、全く関係ない話をして目的の駅で降りた。
全く関係ない話をしながら(臭うなあ、ここに立つ前に気づいていたらこんな席来なかったのに。今更どこか別の場所に移ろうとお母さんに伝えたら、目の前の人は嫌な気持ちになったり怒ったりするだろうか。お母さんや全く気にしないそぶりで座っている周りの人は、この子はホームレスを差別するような子だと思うだろうか)とずっと考えていた。
もう25年も昔の話だ。
就職して何年か経ち、もらったはいいが持て余した夏休みを、一泊二日の箱根ひとり旅に使おうと出かけた時のことだ。
よくある観光コースの例にそのまま倣って、旅館へは直行せず、ケーブルカーやロープウェイに乗って向かうことにした。
観光シーズンだからかロープウェイに向かう行列は非常に混んでいた。だいたい30分〜1時間は並んでいたように思う。今のようにスマホで気軽に暇が潰せる時代ではなかったので、みな愚直に待っていた。
すると私の何人か後の行列で奇声が上がった。知的障害を抱えた成人男性特有の甲高い声だ。
声はそれからも断続的に上がった。静かにするよう諭す保護者の声はなく、誰も何も言わなかった。しかしその場にいる多くの人が無言のストレスを抱えていたこともわかった。
(静かにしてくれ)と思いながら私は待っていた。(あの後ろの人と同じロープウェイに乗る羽目になったら景色が台無しだ)というような事をおそらく考えていたのだと思うが覚えていない。
愚かにも、後ろの障害者男性から少しでも距離を離そうと歩を進め、無理に前に詰めようとしたから。
「ああ、後ろの人と一緒になりたくないのを見透かされた」という感情に頬を張られた衝撃しか覚えていない。
この箱根の旅行で唯一楽しかったと思えたのは、翌日の早朝にたった1人で散策した広場のウッドチップの柔らかさと澄んだ空気だけだ。
もう20年も昔の話だ。
「お前は偽善者だ」という恥を突きつけられた、あの恐ろしい2つの思い出を忘れた事はない。
あんな思いをするくらいなら差別主義者だと非難される方がずっとましだった。
彼らとは関わりたくはない。彼らを助けるために税金が使われるのは全く構わない。けれど自分の目の届かない場所でやってほしい。彼らを助ける労力を担う人に十分な報酬を与えてあげてほしい。
私は彼らと同じ場所で過ごしたくはない。同じ避難所に入れというなら心底嫌だが甘んじて受け入れる。けれど不潔な人間に免疫力のない子供や妊婦、病人、老人を近づける事を決して許したくないし、幼子でもないのにあたりの迷惑を顧みず騒音を垂れ流す人間に心近しく接する事は決してないだろう。
差別主義者の私にできることはそこまでだ。
かわいそうだから助けてあげるべきだ、それが人権だ、それをしない職員は人でなしの無能だなどと口が裂けても言いたくない。
私は差別主義者だ。
実在する人間を使って、男女・男男・女女でカップリングを組む、あるいは自分自身(二次創作者)との架空の恋愛模様を妄想するものである。
それと同様のジャンルとして2.5次元二次創作(以下半ナマ)がある。こちらは実在する人間が演じた作品の登場人物を使ってカップリングを組んで妄想するものである。これも、登場人物同士だけじゃなく二次創作者とのもの(いわゆる夢)も含まれる。
これらは代々、「隠れるべき存在」であるという認識のもと密やかに続いてきた。
しかし近年、腐女子(男性もいるかと思うので、以下BL愛好者)が市民権を得てしまい、そこにLGBTの待遇是正問題が浮上してきたことと相まって、「ナマモノ・半ナマは何故隠れるべきなのか?」「隠れる必要はない」と豪語する輩が増えてきた。非常に良くない。
何故良くないか?
よくナマモノ・半ナマの秘匿性をLGBTへの差別だと言う者もいるが、同性愛が気持ち悪いから隠れるべきじゃないのだ。
これは人によって分かれると思うが、少なくとも増田は異性愛でも同性愛でも夢でもそれが実在の人物が関与する「架空の恋愛」なのだったら隠れるべきだと思っている。
ナマモノを嫌いな人が自衛すればいいんじゃないか?これも違う。
Twitter・Pixiv、BL特化型サイトのピクブラであっても、そこは私的な空間ではなく公共の場だ。姿が見えなくても同じページを共有する人間が確かにスクリーンの向こう側にいる。
そのような場で不快なパフォーマンスが突然行われたとする。近所迷惑レベルの騒音での演奏だとか、過度にグロテスク・エロチックな仮装とかと思ってくれていい。
それを公園の利用者が苦情を言ったり注意してもやめてくれないとしたら当然パフォーマーが非難されるだろう。公園の管理人が呼ばれたり、警察沙汰になってしまう可能性もあるし、Twitterで拡散されてアーティスト人生が終わるかも。
少し飛躍した例かもしれないが、「嫌いな人が自衛すればいい」はそれと同じことだ。
どんなに自由に開け放たれた空間であっても、そこには思いやるべき他者がいる。
アカウントに鍵をかけたり、パスワード制サイトにこもらない限り、私的空間というものはインターネットには存在しないのだ。
近年BL需要の高まりを見てBL的な絡みを積極的に行う「BL売り」が横行している。
そしてBL愛好者だけじゃなく「男性同士の友情」を好きな層も確実に存在している。つまり、男性と男性が絡むことに需要がある。
それが心根から行われていれば何も言えないのだが、残念ながら世の中には商魂たくましく自身の利益のためにBL売りをする芸能人がいる。
彼らは自らBL的な振る舞いをする。でも、だからと言ってナマモノ愛好者が隠れなくて良いわけではない。
そんな彼らにも当たり前に彼ら個人をちゃんと好きなファンがいて、そしてそのファンは彼の性的指向を同性愛者じゃないと思っているはずだ。
あるいは同性愛者だと公表しているにしても、共演者や相方、同グループのメンバーと恋愛関係にあるなんて思っていないはずだ。
もしそんなファンがナマモノ・半ナマを見てしまったらショックを受けるだろう。そしてその対象とされているキャラや芸能人に対して「あらぬ誤解を与えかねない表現をする人」というレッテルを貼ってしまうだろう。
「●っさんず●ブ」がおおっぴらに出られるのは、彼らの恋愛関係が作品内で認められた「公式」だからだ。
それ以外の作品や実在の人物については、作品内で結婚・パートナー等が明言されていない限り非公式のものである。
BLとばかり言っているが、これはもちろんGLでも男女CPでも同じである。そして、夢でも。
夢女子がよく言う「うちの彼氏」的な発言、普通に虚偽情報の流布だし誰もが見える場で自己満足行為に興じるようなものだ。
そういえば最近、「舞台俳優の発言をもとにした2次元キャラクターのBL妄想だからOK」「伏せ字を使っているから公の場で書いてOK」というものを見かけたが、もちろんこれもいけない。
ナマモノって何?半ナマの線引きわかんなぁいと言っている人に言いたいのだが、そこに一瞬でも「実在の人物」が介在した場合、それは「ナマ」である。
続いて後者についてだが、増田はつくづく不思議である。「なぜ伏せ字を使うのがBL愛好者だけだと思うのか?」と。
あまり大声で言えないが、いわゆる愚痴垢や壁打ち垢というものが存在する。内容は名前から推して知るべしなのだが、そのようなアカウントの界隈の人々は普通の検索ではヒットしないように伏せ字を使う。そう、ナマモノ・半ナマをオープンでやっている人々と同じように伏せ字を使うのである。
もちろんその方々が全てナマモノ・半ナマ愛好者なわけではない。むしろ、そうじゃない人の方が多い。
本来は愚痴垢なども隠れるべきだと増田は思うのだが、それを盾にナマモノ・半ナマ愛好者が隠れなくて良いと主張できることはない。どちらも須らく隠れるべきなのだ。
ここまで様々な隠れない派の定説を否定してきたが、増田個人で考える隠れるべき理由も一つ上げておこう。
非常にありきたりな理由ではあるが、それは「気持ち悪い」の一言に尽きる。
スレタイにもしているが、ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩は、痴漢とほぼ同値である。
痴漢は電車や道端などの公共空間で相手の快不快を考えず自らの性的欲求に従って行動する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「性欲があるから仕方ないのだ」「誘うような服を着ている方が悪い」と。
ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩はTwitterやPixivといった公共空間で、その他のオタクの快不快を考えず自らの欲求に従って実在の人物を性的に消費する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「萌えたから仕方ない」「嫌なら自衛しろ」と。
正直増田には、どちらも誰かを性的に消費することを正当化している同類に見える。
これが例えばセクシー女優・セクシー俳優であればある程度許されることもある。もちろん彼・彼女にも過度なセクハラを行うべきではないが、少なくとも「そうされても良い」としてくれている人々である。
「そうされても良い」としていない人に対して性的に消費するというのは、言ってしまえば侮辱行為である。
…とまぁ、ここまでナマモノ・半ナマにかなり厳しいことを述べてきたが、かく言う増田も実はナマモノに沈んで数年、BL愛好者としては10年選手である。気持ちは痛いほどわかるのだ。
痛いほどわかるから、土下座してでもお願いしたい。隠れてくれ、と。
BL売りに萌えてしまう気持ちも、それをされなくても飛躍した妄想で恋愛関係を勝手に考えてしまう気持ちもわかる。
でも、そういう我々の性癖を「気持ち悪い」と思う人がいる。確実にいる。
そういう人々を、我々の身勝手で傷つけて良いことはない。
そしてもし、「嫌なら自衛しろ」というスタンスを貫き通しておいて、最終的に傷つくのは我々なのである。
自衛を強要させられたナマモノ・半ナマを嫌う人々に、誰にも迷惑をかけないように、この気持ち悪い性的嗜好を共有できる仲間と人の目を盗むようにして逃げてきたサイトやアカウントを晒される。
もちろん、晒しのモチベーションは一概に怨恨目的だけではないと思うが、でもそういう人が多いのは事実である。
これは、避けられるはずである。
自分の幸せを追求するのは人間のあるべき姿だが、そのために他者の幸福をないがしろにすべきではないというのも人間のあるべき考え方だと思う。
こういう注意をすればなぜか「じゃあ〇〇はどうなんだ」などと言い出す輩もいるが、それはあなたが注意してくれれば良い。
私は、私とその仲間がひっそりと生きているテリトリーを侵されるのが許せないだけである。
ルールが多い・旧態然としている・息苦しい、肩が凝る界隈かもしれない。でも、マナーとルールを守れない人間に不寛容なのはどんな社会でも当たり前だ。
どうかどうか、我々と全てのオタクの幸せのために、オープンでナマモノ・半ナマをするのはやめてくれ。
あっちなみに、よく「公式は伏せ字なんかしらねぇよw」とか「伏せ字で検索するほど暇じゃねぇよw」とか言ってる人いますが、
公式は存外我々のことを「よく見ている」し、「知っていても利益になるなら黙認(あるいは単にスルー)してくれている」だけで、知らない公式の方が少ないと思います。
/を入れて伏せたつもりでいる人もいる(検索で引っかかります)し、伏せ字だって半角英字にすればいいみたいに考えている人もいますが、鍵垢じゃない限り、そのツイート・投稿は誰でも見れます。
そして「良い公式」ほど我々のことをじっくり観察している。「何がほしいか」「何が需要があるか」、考えている。考えてくれている。
そういう人たちに対して、不快感を与えるような言動をさらけ出しても良いと思えるなんて、正直コンテンツを享受する人間の態度としては最悪だと思っています。
たとえ露骨にそういう売り方(BL売り・夢媚び)をされたとしても、明言されない限りは「そう見える」の範疇です。
長々書いてきましたけど、言葉を選ばず端的に言うなら、マジキモいことやってる自覚持って、クソみてぇな公開オナニーしてんじゃねぇよって話です。はやく自分がキモいって気づいて!
読みやすいように少しだけ文章直させてもらったよ、あと、ブクマコメとかみて思ったこと以下に書いたよ。
まず、痴漢被害に苦しんでいる人の気持ちを考えずに〜っていう方、ごめんな。
そうして苦しむ人がいる痴漢と同じくらい不快でやってはいけないことだよって言いたかったんだけど、それで痴漢被害に苦しんでいる人らに不快な思いさせちゃダメだよな。本当にごめん。
それから、新幹線で匂うもの食うな的なルールの押し付けを感じるっていう例えを見て笑った。それも私の嫌いなやつだ。
「押し付けられている」と感じるかもしれないけれど、なぜそれが作られ、存在しているのかよく考えてみよう。「人様に迷惑をかけないため」ということもあるけど、「自分が平和に暮らすため」でもあるんだよ。
美味しいものを食べたいなら電車じゃなくテーブルに向かって食べた方が美味しくないか?それと同じで、迷惑をかけるリスクの低いところでやる方が安心して創作できないか?
そういうゾーニングの内側にわざわざ入ってきて晒したり「こういうものがあります!」と取り沙汰するナマモノ嫌いは、もうそれはお前が悪いとしか言えません。
ナマモノ自体が気持ち悪いのもわかっています。それをどう発散するか・発表するかという話です。
ナマモノも「性的に消費する」なの?という方もいると思うが、たとえ性的消費じゃなくても架空の人間関係をあたかもそうであるかのように流布することに正義はないよ。
性的な絡みがなければ良い・未成年だからダメ(成人ならOK)ではない。BL売りやGL売りをする人だとしても、彼らの私生活や演じた役に本来とは違う性質を付与していいわけじゃない。
それでも「そうだ」と主張したい気持ち悪い我々のような人間は隠れねばならないんですよ、という話。これは2次元にも言えることだけれど、今はより火急的な問題としてナマモノに限定しています。2次元のオタクも気をつけような。
最後に、女性芸能人界隈の痴漢行為を働いている人、須らく逮捕されるべきだわ。
でも今回話したいのは、本人への対応(=痴漢行為)うんぬんというよりは、本人の本来とは異なる性質を付与する行為(=ナマモノ創作)についてなんだ。
ナマモノ創作者でも本人に凸る輩がいるので本人への対応の話に及ばないわけじゃないが、より原理的な話をしているつもりである。
俺の部屋は2Fで階段上がったところすぐにある。
階段がトンネル状になっていて、1Fの生活音が反響して俺の部屋に届く。
1Fでは気にならない音も、2F自室に居るとうるさく聞こえるので増幅されているように思う。
じゃあ親はいままでどう感じていたのかというと、基本親は職場に入り浸っているので
今の俺の部屋で生活音がどう聞こえるかをキにしていなかったのだろう。
次に親の老化も音の原因にあると思う。
例えば今までは、物を置く作業でも そっ と置いていたのが非常に雑になっていると感じている。
ドアを閉めるときも最期までノブに手を添えるということをしない。
静かに行動することは持久的な筋力を使う。老化で筋力が衰えて何をするにしても瞬間的な力で行動しているのではないか。
あとは耳が遠くなっているので、自分の出す音や他人の音に鈍感になっているのも大きい。
俺はこんなにうるさいと感じている と主張して、音を再現しても 私達は気にならない と納得してくれない。
音を出すことについて改善を求めて、あとは我慢するしかないのだが
なかなかつらい状況が続いてる。
安くない分譲マンションの7階に住んでるんだけど、息子の足音に苦情を出されて死にそう。
4際の男児って基本移動は走るし、踏み込んでダン!って音を出すから確かにうるさいかもしれない。
でも、こっちは防音マット敷いてるし、夜はちゃんと寝かせてる。昼も公園につれてってる。
なのに何度も何度も苦情出されて、私をそんなに追い詰めるなよ。
息子は4歳だから走るなって注意しても聞かないし、注意ばっかしててこっちが頭おかしくなりそ
もう出来る対策は全部やったっつーの。
それでも子供の足音がうるさいって言うのなら、さっさと引っ越して欲しい。
ただ、二個したの住人からも苦情が来てるらしいので、2個したも合わせて引っ越して欲しい。
うちは引っ越す気はない。お金ないし、耐えるつもり。息子が大きくなったら走らなくなるんだから、あと4年くらい我慢してほしい。
・お風呂に入ると疲れる
つかれない
・慢性的な不眠
これはある、眠剤とかは飲まないけど、太陽光が入ると5時頃に目が覚めるから遮光カーテンは必須
これはない
・金属の反射がまぶしすぎて疲れる
これもない
・知らない料理が疲れる
つかれないしたのしい
アスペ診断済みです
感覚過敏がひどくてずっと生きるのがつらいんだけど他の人はどれくらいひどいのか気になってるので聞きたい
(検索かけて調べてみたけどあんまり重く書かれてない気がする)
というか自分がひどいほうなのかそうでもないのか普通なのかもわからないので
・お風呂に入ると疲れる
浴びてる時や入ってる時は気持ちいいし面倒とは思わないんだけど風呂場を出るとどっと疲れてしまう
学生の時は毎日お風呂に入って朝起きるという生活をしないといけないので
帰ってすぐにお風呂に入ってそのまま倒れるように寝てから体力を回復して
朝3〜4時に起きてビショビショの寝汗を流しまた数時間休んで出かけている きつい
・慢性的な不眠
昼間疲れて変な時間に眠ってしまうともちろん夜は眠剤飲んでも寝られない
昼間に外に出る(車の中でも)と帰ったら夜まで基本的に動けない
朝外に出ることはできるけど昼間に帰ってくるとダメ
・金属の反射がまぶしすぎて疲れる
特に細長くてたくさんあるもの(泡立て器みたいなもの)は視界に入れることすらつらい
・知らない料理が疲れる
知らない食べ物を食べる 作る 行ったことのない店にいくのがつらい
もし頼んだもの(自分で作ったもの)があんまりおいしくなかったらとか お腹いっぱいにならなかったら
お腹いっぱいすぎて帰れなくなったらって不安になってしまうので
一人で行くならチェーンで行ったことのある店でいつも食べるもの(量や味が予想できて、あまり変わらないもの)
二人以上でいくならその後の面倒を見てくれるとても親しい人とか、夫としか行けない
パトカーにはねられ重体の男児死亡 東京 千代田区
東京 千代田区麹町で、4歳の男の子が青信号で横断歩道を歩いていたところ、緊急走行をしていたパトカーにはねられました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20190913/k10012080981000.html
救急車とかパトカーが近づくと信号が赤になる仕組みが機能してなさそう
FAST
緊急車両を優先的に走行させる信号制御を行うことで、現場に到着する時間短縮と、緊急走行起因の交通事故防止を目的としたシステム
https://www.npa.go.jp/bureau/traffic/seibi2/annzen-shisetu/utms/utms.html
パトカーが手動でビーコン切ってたのか
就職氷河期に就職したであろう年代に向けたセミナーに通っているけど、あきらかに受講態度のオカシイ奴が居る。
グループワークのあるセミナーなので、5~6人の座席未指定のグループで座りグループワーク前に「名前+簡単な自己紹介」をするのだけど、自分の名前すらモゴモゴ言って聞き取れず、簡単な自己紹介も「~です、よろしくお願いします」等の話の切れ目が無い。
講師の話を聴いてグループワークに移っても、与えられた課題をこなさずグループ内での協議にも入ってこないし、話を振っても話の切れ目が無いモゴモゴ呟きで聞き取れず。
世間には話が苦手な人も居るからそういった人も居るよね、と思って対応したいけど、一番許せないのは「スマホをマナーモードにしたまま卓上に出している」事。病気の身内の緊急連絡等で仕方なくマナーモードにしているかもしれないけど、それなら自分のズボンのポケット等の自分だけが解る場所に入れて置けよ、と。メッセージ着信かメール着信などの通知?が来る度にブーブー五月蝿く、気を使う講師だと話を一時中断してしまう。
講師も「触れず騒がず」な「特別枠対応」していて、扱いあぐねている感を隠そうとしていない。
正直言って、グループワークに参加せずスマホのバイブ音による騒音で他の受講者に迷惑をかけているから、誰かに言われてイヤイヤ参加しているのなら来ないでくれ!!と言いたい。
ただでさえ体調を崩しやすいのに、
昼間に寝ようとしたら近隣小学校の運動会の練習や近隣保育園の騒音に悩まされ、
台風が来れば、日勤の正社員に「電車が止まれば私が帰られなくなるから」と早出を強要され、
シフトアップの時間かと思えば、「電車が来ないから出勤出来ない。帰るなよ」と長時間の残業を強要され
はてブを覗くと「こんな日に出社する奴は馬鹿」「JRは一日止めろ」と心無い事を言う人ばかりで、
本当に夜勤労働者は奴隷としか思われていないんだろうなと感じる。
本当、「私が昼まで眠る為に奴隷は家に帰らず働け」とよくネットの海に言えるものだ。
夜勤労働者は奴隷、いやもはや犯罪者のように扱われている。だけれど、あなたが深夜に病院に行けるのは、電気やガスが使えるのは、全部誰かの夜勤のおかげ。
はてなは視野が狭い人が多いから、夜勤するくらいならコンビニを閉店しろとアホな事を言っているが、
24時間営業じゃないスーパーに朝から品物が並ぶのも、道路や線路が朝から使えるのも、全部夜勤の人が夜のうちに働いてるからでしょう?