はてなキーワード: 騒音とは
10年〜15年前ぐらいから、うちの斜め後ろにある家の息子が毎晩、いや昼も夜もほぼ毎日毎日毎日毎日クソバカでかい声で大熱唱。
これで歌手のように歌がうまいならまだいいがお世辞でもうまいとは言えず、なんならジャイアンのほうがよっぽどうまいレベルの騒音にして雑音…歌というかほんと声を出してるだけって感じ。
今の時期はいいが、春〜夏は家の窓を空けてるようで、ボリュームが6割増しだ。
しかしその家はこのあたりでいくつかの土地を持つ地主らしく、そのせいか誰かが注意しているのは見たことも聞いたことも殆どない。俺もない。 (一度だけ散歩中のおじいさんがうるせえ!!!とそいつに負けないぐらいの声で怒鳴り散らしてるのを聞いたが、その数時間後にはまた歌っていた。)
また、その家は家族全員声がでかく、母親も娘も外での話し声や家の中から笑い声がよく聞こえる。
斜め後ろの家とはいえぴったりくっついてるわけじゃないし若干の距離はあるにも関わらず、普通に近所迷惑だなこれと感じる程度には煩い。
そして、家族の誰かが息子を注意している様子もない。ずっと毎日歌ってるぐらいだし。
本当に迷惑なんで警察に相談しようと思って色々調べたけど、今の状況だけだとろくに取り合ってくれなさそうなのでそっちは割と諦め気味。
友人Aは多分そいつマジモンの頭おかしい人だろうから諦めるかダメ元で通報しなと言い、友人Bは迷惑してる旨の手紙を匿名でポストにぶち込めと言う。
どっちにしたもんかなあ。
zu-ra 子供が殺されるニュースに「かわいそう」と思うのは他人事。親になると動悸が起こる。子供を犯罪で傷つけられたり殺されたりする恐怖は小梨にはわからない。想像には限界がある。そこが相互理解の断絶よ。
子供は親御さんのみならず社会の宝だから社会で育てたいと思っていたのに、こう言われちゃうと、じゃあ放っておくから後は好きにやってよ、子育て支援の税負担の話をされても知らないよって言いたくなっちゃうな。
親御さんがこう言うなら、虐待の可能性がある子を見かけても、きっと本当の親にしか分からないこともあるんだろうと思って通報はしない。
公園で騒ぐお子さんを見て、しょせん関係ない人間だからこっちが不審者扱いされそうだし、通報される前に子供からの騒音被害を通報しちゃえって考えて行動に移そうとしているおじさんを見かけても、止める気が失せちゃうなあ。
まず2019年8月から12月までに導入されたパチンコ・パチスロの新台でアニメ・映画・実在の人物や団体が題材になっているものソース1 ソース2
貞子vs伽椰子
たった4ヶ月でこれだけ出てる。パチの定番みたいな作品を除いても、結構なヒット作がパチンコ化している。
萌えスロ産まれ10年以上経ちアニメ等とのタイアップも珍しくなくなった昨今。原作側は旬の過ぎたIPを売りパチンコ側はそれで台を作る(あるいは最初から製作委員会に入っている)。この関係が当たり前になりすぎて、パチンコ化に拒否反応を起こし「魂を売った」と言ってる人が今でも居てビビった。
そもそも売ってるのは魂じゃなくて版権料な。決めるのは原作者で外野がどうこう言うものじゃない。喜んでパチマネーを受け取るのもいいし和月伸宏、うすた京介、雷句誠みたいにはっきり拒否するのも自由。個人的には某サッカー漫画作者の「被災地のため」みたいな100%言い訳じみた発言より「パチンコ化で大金入った」と自慢していた原哲夫の方が潔いと思う。
それにアニメ製作サイドにもパチマネーが入って少しでも制作費を回収できるなら別にいいんじゃないか。なんなら台のための新規アニメーションだったり音声や歌の仕事が発生すればハッピーじゃん?パチンコ嫌いだと見る機会が無いから恩恵はないかもだけど。
「大好きな作品がパチンコ化され賭け事の道具になってる所なんて見たくない」っていうのなら情報をシャットダウンすればいい。自分も好きな作品がパチンコ化した時は「えぇ……」と思ったけど、パチンコ情報なんて自分から見に行かないとなかなか入ってこないしどうでもよくなった。自分と全く関わりがない世界の人達が遊んでお金落としてくれるならそれでいい。
向こうからぐんぐん押してくる実写化や舞台化、半年でサ終了しそうなしょぼいアプリゲーム化、全く知らないアプリゲームとのコラボよりマシだと思う(好きなキャラがガチャのハズレ枠にされガチャ動画で貶されてる時のやるせなさ)
しかしながら、拒否反応を起こす人の気持ちも分かる。とあるアニメの生放送で重大発表があるっていうから何かと期待して見ていたら「なんとパチンコ化決定!」だった時のがっかり感。しかもその後スタジオに実機が持ち込まれ、それで声優が遊び始めたんだ。
「ここの声は新しく録ったんですけど、店内の騒音に負けないよう声を張りました!皆さんぜひお店に行って遊んでくださいね~」
うーん、多分行かないかなぁ…。
・あくまで風俗店の求人情報を集めたサイトであって、ここが直接風俗店を経営しているわけでもなければ人材斡旋をしている訳でもない
・「女性向け高収入求人」としか書かれておらず、絵も歌の歌詞も全く卑猥ではなく、風俗のふの字も出てこない
(因みに男性向けのメンズバニラもあるよ!ホストとかかと思ったら「男性向け風俗店の男性店員」が主らしい)
からなんだが(なので「騒音」って所からしか規制できない。これも基準があるから基準以下の音量なら勿論OK)
宇崎ちゃんを規制するならこっちもー!というオタクってその辺分からないんだろうか。
「風俗店の求人情報を載せてる媒体はいかなる広告も出しちゃいかん」ってのは範囲広すぎるし。
キャバクラとかならタウンワークにも載ってるわけで、キャバはOKだけど風俗だけは駄目、ってのも職業差別と言われかねないし。
修学旅行で行ったところをテーマに3人組でスライドを作り発表をすることになった
なんとなしに基地ってかっこいい〜と思った私は米軍基地(どれかは忘れた)をテーマとして選んだ。
「何年に建てられて〜〜基地がこれぐらいで〜なんとかの飛行機があって〜〜近くに何があって〜」というレベルの中学生なりの無難なスライドを作ったと思う。
すると担任のおっさんが割り込んできて「嘘まみれのネットに毒されやがって!!!」と怒り、スライドをやり直せ!!!と自ら指揮を取り出した。
毎日授業終了後4時間残らさせられて必死こいて発表の準備をすることになった。
周りの子が国際通りや水族館をテーマに楽しくかわいく取り掛かっているのに自分はなんでこんなに辛いんだと涙が零れたこともある。
こうして出来た発表は「オスプレイは事故を起こす!!」「オスプレイの騒音問題!」「基地の存在が沖縄県民を不安にさせている!!」「沖縄県民の半数以上が基地反対!!」「戦争で命を散らした英雄が守った平和を乱すオスプレイを基地を無くせ!!!」という最初と全くの別物になった。
当時は「先生のおかげで中身はよくわからんけど濃い発表ができた!」と喜んでいたけど…
今思えば、完全に担任の政治思想の発表に利用されただけですね。
昔々、横浜は関内に住んでいた時のことだ。この関内、は文字通りであってJR(さすがにもう国鉄ではなかった)の駅から海側のエリアである。諸氏はそんなところに住居があるのかと驚くかもしれないが、当時は雑居ビルの上の方に思ったよりは多く転々と貸間があった。ただし、下の方からは常に酔客の声やカラオケのだみ声(後学のために申し上げると、カラオケ騒音で一番外に響くのはよりにも寄って音痴なおっさんの胴間声であって、BGMは全く聞こえぬ)が常に聞こえ、よく言って華やか悪くいうとそりゃ真っ当な借り手はなかなかつかねぇよね、ということになる。
その時は-このシノギだけは真っ赤な嘘の話だが-、石化パイプライン屋の営業部隊に属して、港町には良くある怪しい中東系商社から注文を取って糊口をしのいでいた。中東系商社は母国の都合で動く。つまり、朝は遅く夜は次の日が来るぐらいまでが仕事のピークである。こっちもそれに合わせて変則的な労働時間で暮らす。それはいい。だが困るのは飯だ。飲み屋以外で食い物屋なぞない。コンビニと牛丼屋ぐらいはあるが、毎日ではつらい。トドメに、下戸である(中東屋さんとしては問題ないのだが)。飲み屋の線はこの段階で選択肢としてはさすがに消える。
ある雨の日、所要があって珍しく海側から我が雑居ビルへと帰途を辿っていた。いつものように腹が減っていた。あの辺り一帯は、細長い区画が一応碁盤の目状に並んでいる。一回右に曲がって一回左に曲がれば、どの通りを選んでも貸間に帰りつけるのは、小学校でやった懐かし「場合の数」だ。ただし、客引きのおねぇちゃんがうるさい通りというのがあり、こいつは敬遠せざるを得ない。
考えもせずひょいっと辻を曲がった先にあったのが、未明なのになぜか営業していたイタ飯屋だった。外のケースに入れられていたメニューは、いつもの夕食よりはちょっと高めだが、出せないほどではない。いい加減雨にも追われている、パスタとグリルを頼めばまあ恰好はつくだろう、たまには人がましいものが食いたい、そう思って扉を開ける。慇懃で痩せぎすのウエイターが案内したのは入り口近くの窓際の席だ。他に客はいないが、フリの怪しい安スーツに着られたような小僧っ子には、そんなもんだろう。
出されたメニューから慎重に安めのパスタとグリルを頼む。グリルは肉、シンプルに塩だ。呑むのはお冷。酒は頼まないし、ソフトドリンクに金を払うのは当時としては、ばかばかしく感じられていた。人心地ついて、水をすすりながらぼうっと薄暗い店内を見渡すに、どうもややちゃんとしたリストランテなようだ。しかし客は他にない。いればどんな店かも推量が利くというのに。そもそも、ちゃんとしたリストランテが酔狂にもかくも深夜まで空けているのか、さすがにいぶかしんだが尋ねるほどの気安さもない。ウエイターはほぼ厨房の入り口あたりの定位置に戻って、こちらには目もくれない。
ほどなくして出てきたパスタ、そしてグリルは確かに旨かった。これこそ久々のちゃんとした食事という奴だ。しかしただの大喰らいの悲しさ、昔の料理を思い出して論評するなどということは出来ない。しかしいくらなんでもちゃんと仕事をしてある2皿だ、ということ位は判る。悪くない。遅い晩餐の唯一の欠点は、こちらがやたらと水を飲むことだ。端から置いてあったグラスにサーブされたお冷は数回おかわりした。そしてさすがにリストランテ、見ていないようでウエイターは、こちらの水が切れると音もなくお代わりをちゃんと入れていく。それはちゃんと冷えていて、薄手のグラスに汗をかかせる。全く悪くない。
少なくとも追い出されはしなかった、塩を撒かれるほどの醜態でもなかったはずだ。そう思って、月に一回ぐらいは帰りがけに足を延ばした。向こうからすれば余程奇矯な客なんだろう、二回目からは、パスタと一緒に銀の水差しがサーブされてきた。嫌味かもしれないし、サービスかもしれない。お互いそっちの方が楽だもんな、それも悪くない(というとさすがに上から目線過ぎるか)。ウエイターは今度こそこっちの方を見ないで済んだはずだ。
佳き日は往々、突然に終わりを迎える。ある日、また人がましいものを食おうと思って店の前にたどり着くと、レストランは深夜営業をやめていた。そりゃそうだ、通った間、一度として他の客なぞ見たことはなかった。店としては、同伴とかお仕事帰りのお姐ぇ様方が使う心づもりだったんだろうが、どうしたって来たのは貧乏神めいた小僧だけだったのだから。さすがに空気よりはましだった、とは思いたいが、そんな細っちい客は切って捨てるのが当然の経営判断だ。
今にして思えば、どう考えたって利幅の薄い立派な不良顧客である。あのウエイターだってその奥にいるシェフだって、態々残業してきたのがあんなのだった、というのは落胆した事だろう。しかし、出てきた料理は真っ当だったし、ウエイターもあからさまに追い立てるそぶりはかけらも見せなかった。あの当時なら少なくとも匿名で世間様に晒されるようなことはなかった。もっとも晒されたとしたところで、こっちの低いアンテナに引っかかるものかは疑問が残るが。
ほどなくしてこちらも横浜を引き払った。まだあの店があったとして、出世払いに赴けるほどの立身は遂にしなかった。或いはケチって水ばかり飲んでいたツケかもしれない。そして時々人がましいものを食いたい時、まだ入る店には迷うのである。