はてなキーワード: 薄っぺらとは
マジレスすると、昔は2chでそういうのを含めて「801」を語るスレがあって興味深く見てた。
ネットが広がる以前も、所謂やおい論なんかでそういう話は出てたと思う。
最近の動向は知らないけど。
そういう中で生まれた、
昔のBL(やおいと呼ばれてた頃)の定番展開である「俺はホモなんかじゃない!お前が好きなんだ!」は差別的だ、とか
(「ホモ」は変態だけどこの攻めと受けは違うの!みたいなやつ、昔は沢山あったのよ)
「BLは好きだけどリアルホモは気持ち悪い」なんて言う奴は問題外である、って認識は割と定着したと思う。
(まあこれも薄っぺらいと言えば薄っぺらいし、若い腐女子だと素で知らなかったりするけど、誰も何も考えないよりはマシだろう)
説教臭いという声があるが、HUGっと!プリキュアを楽しくみている。
敵組織が企業であったり、育児やジェンダーなどの多様性を描いていたり、大人の自分にも響く話が多く毎話興味深い。
それだけに31話のイジメを受け転校したはなの過去の克服と言えるエピソードは残念だった。
イジメを庇った相手ははなに謝りたがっており、はなはその庇った相手がまだ好きだから受け入れる。その心情に至ったのは仲間のおかげなのだが、あまりに単純すぎないか。
結局、はなのイジメははな自身が乗り越えなくてはならない。仲間がいるはなはその通り乗り越えられたが、仲間がいない場合はどうなるのか?社会全体は言い過ぎかもしれないが、家族なり大人たちがこのイジメの対処に関わってもよかったのではないだろうか。仲間をそのような存在に見立てているとは思うのだけど、イジメを受けてからこのように仲間に恵まれるケースってあまり想像がつかない。
あとイジメから庇った相手に会って和解するのは別に有りだとは思うけど、あんまり反対する人がいないんだよね…。ほまれが会いたくなければ〜、みたいな事を言ってたけど、それってできれば会った方がいい、という本音が透けているように聞こえる。イジメっ子が謝りたくて、イジメられっ子も謝罪を受け入れる、これ理想的なの?イジメられっ子なんてイジメっ子がなにしても許さない、と思うもんじゃないだろうか。
はなの心の闇を晴らすエピソードとして薄っぺらいという印象が拭えない。
まぁ児童向けアニメにどれだけ期待してるんだ、だから説教臭いと言われるんだ、と言われそうだけど、これまでのHUGっと!プリキュアはそれを期待させる出来だった。
昔、https://anond.hatelabo.jp/20171018210551というのを書いた。
前記事のタイトルをDTにしてたのは若干盛った感があって反省しているのだが、
当時の経緯とかを書いてみる。
「とりあえず、童貞だけでも卒業したら余裕出来るんじゃないか? 俺も付き合うから」
その友人は風俗常連だったので、はたしてどこまで俺のためだったのかは不明。
ただ、半ば自暴自棄の自己嫌悪に陥っていた自分は、荒療治でも自分を変えられるならと、チャレンジする事を決意した。
嬢にこだわりはなかった上、すごいかわいい!みたいな人もいなかったので、適当に選んだ。(写真詐欺だろどうせ、と斜に構えていたのもあった)
友人に連れられ店へ行き、待合室で名前をよばれた。
部屋に入ってベッドに座ってすぐ
「初風俗、というか、実は彼女居ない歴=年齢の童貞で いい加減自分を変えたいと思っている。
正直sexのやり方もよく分かってないので、変なとこあったら教えてほしい」
と伝えた。
向こうは「え?それあたしでいいの?」みたいな反応だったが、
さすがプロ。
(今思うと、そこで険悪にするメリットないし、そういう場所の時点でキモも引くも今更だった気もするが、当時の俺は安心した)
あとはおっかなびっくり事に及んで、早々に果てた。
最中は想像より気持ち良さはなく、ちゃんと射精できるかのほうが不安だった。
その後は嬢と身の上話をして終わった。
否定するでも肯定するでもなく聞いてくれて、なんか楽になった。
これは後になって気づいたことだが、
というのは、決まった相手がいる場合の美徳であって、独り身の時のアピールポイントにはあまりならない。
相手がいない以上、何も出来ないのか、出来るけどあえてしないのか、区別が付かないのだ。
(ちなみに、付き合ったり結婚したりしたら、ちゃんと評価ポイントになったので、価値がない、というより、独り身のうちは価値がない、という意味)
「俺は真面目なんだ。いつか報われる。」
日常切り貼りしても本人がクソ面白くもないからツイッターもフェイスブックもいいねされやしない。
創作アカ作って活動するものもそこが浅いから薄っぺらくて再生数やいいね数、ブクマカ数、ユニーク訪問数も伸びやしない。自分の訪問カウントが伸びるだけ。
自演しても特に何もおきない。プライベート垢も創作垢もおなじ。料理したり音楽したり絵を描いたり話書いたり。何したって中途半端。承認されたらもっとやれる、そんな気がする。もはや承認欲求が先か、やる気が先か。
リアルな世界で承認されないからネットで承認欲求満たしたいのに、ネットもリアルだね。
まあ、ここまで読んでくれてる人がいたらありがとう。1つ満たされた気がするよ。
文才はやっぱねえな。
ここ十数年で「オタク」という言葉の意味はだいぶ変わってしまった。
オタクとは本来、根暗でクラスに友達はいないけど、コミケに集まって漫画やアニメなどの趣味をとおして仲良くやっているような学生たちに使われる言葉だった。
しかし今でいうオタクとは、特定の事柄に凄まじい偏執を持っていて、ひたすら知識を貯め込むことで優越感を得る人間を指す言葉に成り下がってしまった。
言葉の意味が何かをきっかけで変わってしまうということはよくある。しかしこの場合、たちが悪いのは「今でいうオタク」たちが自分たちのことを「本来の意味のオタク」だと勘違いして選民意識まで感じていることである。彼らはアニメやゲームに嗜んでいる自分たちの好きなことを追及している高尚な存在だと勘違いし、それ以外の人たちは趣味も何もない流行に乗るだけのつまらない人間だと思っている。
それはまったくの間違いであり、流行りに逆張りするだけで自分を持っていないつまらない人間はオタクのほうなのだ。彼らの大半は老害気質であり、見たくもないアニメを倍速で流し見、それを盲目的に批判し、SNSで罵詈雑言を撒き散らしている。しかし、その流行のアニメは老害には理解できない面白さを持ったものがほとんどで、老害にとって馴染みの薄い今風の要素があって、老害以外には面白さが共有されているアニメ(はたらく細胞然り)なのである。彼らは好きなことを追及している高尚な存在では決してなく、ただの孤独な懐古厨で、いつまでも過去にすがっている人間であり、それ以上でもそれ以下でもない。本来の意味を持つオタクという言葉と本質が最もかけ離れている。
それに加え老害は声優にまで批判を加える。最近のヒットしたアニメの声優陣を見ればわかる通り、実力も容姿も兼ね備えたような人ばかり。元増田をみればわかるが完全にアンチ化しており、徒党を組んでTwitterのリプライ欄で罵声を浴びせている。本当にアニメが好きな人たちに謝ってほしい。
"本来"なんて事を言い出したら、二人称に「オタク」を用いてデュフデュフと仲間内にしか通じないキモチワルい会話を繰り広げるマニアに対する蔑称が「オタク」だろ。
そうやって一括りにされる人達の一部に突出した専門知識や哲学性が見いだされた事は確かにあった。
が、そんなもんほんの一瞬の事だろ?
オタクとかいう蔑称なんざその"薄っぺらい人間"に譲ってやって「本来特定の事柄に凄まじい情熱を注いでいて、その事柄に対して並外れた知識を持っているもの」である人々は「[特定の事柄]に傾倒している人間」とでも名乗ればいいじゃないか
ここ十数年で「オタク」という言葉の意味はだいぶ変わってしまった。
オタクとは本来特定の事柄に凄まじい情熱を注いでいて、その事柄に対して並外れた知識を持っているものに使われる言葉だった。
しかし今でいうオタクとは、性的興奮を刺激するようにデザインされたキャラクター(いわゆる萌えキャラ)が出ているアニメやゲームを嗜み、SNSで群れるような低俗で薄っぺらい人間を指す言葉に成り下がってしまった。
言葉の意味が何かをきっかけで変わってしまうということはよくある。しかしこの場合、たちが悪いのは「今でいうオタク」たちが自分たちのことを「本来の意味のオタク」だと勘違いして選民意識まで感じていることである。彼らはアニメやゲームに嗜んでいる自分たちの好きなことを追及している高尚な存在だと勘違いし、それ以外の人たちは趣味も何もない流行に乗るだけのつまらない人間だと思っている。
それはまったくの間違いであり、流行りに乗りやすく自分を持っていないつまらない人間はオタクのほうなのだ。彼らの大半はミーハー気質であり、みんなが見ているからという理由ではやりのアニメを見、それを盲目的に称賛し、SNSで同じ仲間と群れる。しかし、その流行のアニメはストーリーがあってないようなものがほとんどで、オタクにとっては性的興奮を刺激する異性のキャラがいて、周りと共有できるアニメ(はたらく細胞然り)であれば何でもいいのである。彼らは好きなことを追及している高尚な存在では決してなく、ただの女好き(男好き)で、群れる仲間が欲しい人間であり、それ以上でもそれ以下でもない。本来の意味を持つオタクという言葉と本質が最もかけ離れている。
それに加えオタクは声優にまで性的魅力を求める。最近のヒットしたアニメの声優陣を見ればわかる通り、実力よりも容姿で採用されたような人ばかり。声優のtwitterのリプライ欄をみればわかるが完全にアイドル化しており、グループを組んでliveをしたり音楽番組にまで出ている。本当にアニメが好きな人たちに謝ってほしい。
依頼の文面で「〜(して)いただけるでしょうか」を使う同僚がいて、見るたびに違和感を覚えていた。
「書類を頂けるでしょうか」
「教えていただけるでしょうか」
「返却いただけるでしょうか」
などが用例。この人は会話でもこう言う。最後の例は「ご返却」としてほしい。
「いただけるでしょうか」ググってみたらそれなりに使われている。例えば「ご理解いただけるでしょうか」とか。これはなぜか違和感があまりない。しかしよくよく検索結果を見ると、依頼ではなく質問ばかりだ。あるいは、質問の体だけど答えは求めていない投げかけが多い。やはり依頼の「〜(して)いただけるでしょうか」は珍しいのではないか。
動詞の終止形に「でしょうか」が付いているから変なのかと思ったらそうでもない。
「まだ使えるでしょうか」
「雨は降るでしょうか」
自分は「〜(して)いただけますでしょうか」を使う。経験的に、他の人もよくこれを使っていると感じている。念のためこちらもググってみたら、誤用として複数のビジネスマナー指南サイトで紹介されているようだ。「ます」「です」が二重敬語なのだと。なるほど。
とはいえ、検索上位にくるのは薄っぺらなページばかりで、これなんて特に酷い。
https://www.rirekisyodo.com/study/doublehonorific-point.html
日本語も論理も内容もおかしい。こんな記事にとやかく言われたくない。
このページも酷い。
「いただけますでしょうか」は二重敬語だから NG と言いながら、「よろしかったでしょうか」は相手への配慮だから OK とか。実際に NG か OK かは別としても、この論理でよく記事にできたなと思う。
そしてこの「専門家」とは誰なのか。その専門家に「いただけますでしょうか」について聞くことはできなかったのか。まあ、そこだけ何かを読んで適当にぼかして引用したのだろうけど。
ここで感じたのは、「〜(して)いただけるでしょうか」は、こういったゴミみたいなビジネスマナー指南に従って「〜(して)いただけますでしょうか」を避けた結果として使われているんじゃないか、という疑問だ。
以下について知りたいけれども、検索だけでは答えが出そうにない。
1. 依頼の「〜(して)いただけるでしょうか」は昔から使われていて、これがむしろ自然だという人がいるのか。
2. 依頼の「〜(して)いただけるでしょうか」は「〜(して)いただけますでしょうか」を避けた結果という仮説は正しいか。
3. 「〜(して)いただけますでしょうか」は、専門的にはどういう扱いなのか。
(追記)
http://www.kotonoha.gr.jp/shonagon/
まず「ますでしょうか」で調べてみた。「いただけ」は二重敬語の指摘に関係ないので。検索対象からヤフーや国会会議録は除く。かなり例が出てくる。有名な執筆者のソースを幾つかピックアップしよう。
山﨑豊子「沈まぬ太陽」1999※
宮部みゆき「誰か」2003
曽根綾子「この悲しみの世に」1986
ここには、依頼でなく質問の「ますでしょうか」の例も含まれる(※印)。でも二重敬語が駄目なら依頼・質問の区別は関係ないだろう。
さて、「いただけるでしょうか」を検索したかったが、検索文字列は 10 字までということなので「けるでしょうか」で検索した。例はかなり少なく、依頼の用例はさらに少ない。とはいってもゼロではない。こちらも有名どころを挙げておこう。
1. 「いただけますでしょうか」は、文法的な是非はともかく、今後も自信を持って使っていいといえる十分な用例がある。
2. 「いただけるでしょうか」はそれなりに古い用例が存在するので、とやかく言うほどではなさそうだ。
自分はコンパイル、セガ問わずぷよぷよ・魔導物語シリーズが好きな高校生だ。
しかし、どうしても「ぷよぷよ!!クエスト」を楽しむことができない。
なぜなら、このぷよクエが、本家ぷよぷよシリーズのクオリティが下がったきっかけのように思えてしまうからである。
そして今、ぷよぷよ、というシリーズは堕ちるところまで堕ちてしまったのだろうか、と感じている。
自分は元々、小学生頃にぷよ!15thやぷよ7を遊び、中学生頃に昔の事をネットで見て、シリーズのファンになった人間だ。
ファンになった当初はぷよ!!20thとぷよテトの間の時期だった。
当然ながら、その時の最新作は20th。
すでにプレイしてはいたものの、改めてその作品がいかに凄かったか、という実感がわいた。
この「ぷよぷよ!!20th anniversary」というゲームは、冗談抜きでぷよぷよシリーズとしてはトップのボリュームとクオリティだと思っている。
思い出補正じゃないかと言われるかもしれないが、骨頂抜きにしてもそう思う。
セガぷよの絵柄が今のスタイルになった初めての作品であり、イラストも1番整ってて良い(未だにこの作品のアートワークが公式の随所で使われてたりする。それこそぷよクエの☆3、4など)。
特にストーリーやキャラクター描写に関しては、個人的にこの作品から現在に続く"基準"を作り上げたと感じている。
この作品のシナリオライターは、魔導物語含めた過去作を把握した上でストーリーを書いたらしく、今までの描写を総合し、改めてキャラクター達はこの作品で再構築されたのではないか(もちろん不満点などもあるが、それまでどこかフワフワしていたキャラクター性を一気に濃厚なものにしたという功績はとても大きいのでは)。
とあるところで"最高傑作"と言われていたのを見たことがあるが、それにふさわしいと思う。
…と、ベタ褒めをしてしまったが、それぐらいこの作品は自分の中で素晴らしいものなのである。
そしてこの20thの系列にあたるドラマCDも発売されていた。
今までそう言うたぐいのものは買ったことがなかったのだが、自分はこのぷよぷよというシリーズにキャラクターやストーリーの魅力をより感じていたことから、正直財布には厳しかったが購入することにした。
自分は所謂魔導キャラ…アルル達コンパイル時代からのキャラが好きだったので、彼女らがメインのvol.1を買った。
20thと同じライターによって、それもゲームに比べると少し高めの年齢(おそらく中高生以上)を対象に書かれたというその物語は、正直ゲームより聞きやすかった(セリフを読むスピードもゆっくりでなくなっているからだろうか)。
また、当時自分は特定のカップリングに興味を持っていたので、供給にもなり得るシーンもあった(しかしあくまでもフワッと匂わせる程度で、基本的なキャラクターの関係が変わる事は無い)事もあり、さらに満足度が高かった。
そんな事もあって、次回作は記念作ではないだろうからボリューム等は落ちるかもしれないが、とても期待できると思っていたのだ。
ところで、少し時系列が前に戻るが、ぷよぷよシリーズにハマりたての頃、ドラマCDを買う前に「ぷよぷよ!!クエスト」が発表され、リリースされた。
発表された当初、自分は大いに喜んでいた。
特にパズル"RPG"という単語は、魔導物語を知った自分にはとても魅力的だった。
たとえパズルと書いていようとも、RPGとなればキャラクターが戦い、ストーリーがある!パズルというある種平等(実際には性能差はあるが)な性能でなく、各キャラクターに個性のある性能がつけられる!…そう思っていたのだ。
今思えば、それは空回りする期待である事がわかるのだが。
ただ結果として、そのような事は決してなかった事、そしてゲームシステムが運の要素が強い上に"ぷよぷよ"の技術があまり反映されないゲーム性は自分にとって"期待はずれ"だった。
さらに、自分はこのぷよクエという"スマホアプリ"に大いに期待を抱いていた。
ぷよぷよというジャンルは、マイナーではないが、メジャーでもない、という微妙な立ち位置である。
それはセガ…特に15th以降の"子供向け路線"も原因しているだろうか、とも思えるが。
ただパズドラがすでにヒットしていた時代、スマホアプリという"これから時代が来る"であろう舞台にぷよぷよが出てきた事が嬉しかった。
記憶では、スマホに参入したゲームシリーズはまだ少なかったはずだ。
そして、これでぷよぷよシリーズの知名度が上がり、人気作品になるんじゃないか、と。
しかし、この期待も見事にはずれてしまう事はまた後で言及する。
ただ、このように不満な点はあったものの、まだこの頃はパプリスや妖精達はいたもののオリキャラに溢れていた、というほどではなかったし、アルル達はいないものの、他の魔導キャラが復活してきたり…という事もあって、好意的に見る事ができてはいた。
あのテトリスとのコラボなら、さらにプレイしてくれる人が増えるんじゃないか、
あまり評判が良くなかった7の後の20thはクオリティに反して数字を残せなかったらしいが、あの20thの後の作品なら、今度は…とまた期待した。
さらに、シナリオライターは20th、ドラマCDを手がけた人が続投するとも知って、安心感も覚えた。
実際に発売されると、1番気になったのは"ゲームとしての遊びやすさ"が失われていた事である。
このぷよテト、起動してメニュー画面を出したのだが、それが20thまでと大きく変わっている。
具体的に説明するとなると長くなる上、適切に表現できるかわからないので、結論から言うが、無駄な動きが多くて使いづらい。
ひとりで、みんなで、Wi-Fi…など文字の書いてあるアイコンが並んでいて、ポンポン進むのだが、ぷよテトのメニューは無駄な画面効果やスライドがあって、なんとなくモタモタする。
その他にも、
3DSではCOMとの4人対戦ができない。
VSの次にメインであろうルール、スワップが余裕で処理落ちする。
前作は実質30キャラいたのに減っている。
…などなど、20thの時にはなかった不満点がいくつか出てきた。
ただ、メニューの動きのモッサリ感以外はぷよぷよとテトリスという違うパズルゲームを2つ搭載しているせいもあるのかな、と個人的には思っていた。
ストーリーも、全員がストーリーを持っていた20th、つまりお祭り作品と違い、1本道なので出番の偏りはしょうがないのかな、と思っていたし、
自分としてはりんごメインだった事も、おかしいとは思わなかった。
なぜなら一応3人とも出ているとはいえ、本来ならばアルル→アミティ→りんご、と主人公がバトンタッチされているイメージだったからである。
"ぷよぷよの"お祭り作品でもないし、一応最新の主人公であるりんごがメインである事に、違和感は感じなかった。
ただ、確か当時の購入特典がぷよクエにおけるアルルのカードだった事は本編と違うのでは?と疑問に思った。
これで本編もアルルが中心なら納得いくのだが、いくらアルルが人気であろうと、ここはりんごを出すべきじゃないか、と。
ライターさんが設定を考えたというテトリス側のキャラは、これで終わらせるのはもったいないとも思った。
よって安定したキャラクターで、ドラマCDに近いストーリーを楽しめるシリーズになっていった。
また、ゲーム本編でサタンとエコロという厄介者の相手をするアルルやりんごに対し、少しストーリー上で目立ちにくくなってきていたアミティを主人公に捉えたのも、バランスとしていいと思った(また、その2人を見る語り手としても適しているようにも思える)。
第1弾こそフィーバーのキャラばかりだったが、その後いろいろなキャラが登場した。
…しかし、メインがどうしても3A…アルル、アミティ、りんごなので、普段からこの3人は"いつも"一緒にいる事になっている。
個人的には"急に"そうなった感じがしたので、小説版だから、と思っていたかった。
このぷよテトからぷよクロへの間は、小説やドラマCDがボソボソと出ていたものの、公式のメインはもっぱらぷよクエだった。
この頃になると、ぷよクエはもはや「誰だお前」の巣窟と化していた。
イベントキャラだと言われて堂々登場する知らないキャラ達。に対して、どんどん影の薄くなっていくぷよぷよのキャラ達。
自分がやりたいのは"ぷよぷよ"のアプリであって、知らないキャラクターだらけのアプリじゃない、と。
ぷよぷよはパズルが全てではなく、キャラクター達にも魅力があり、その両方があるからこそ面白いゲームなんだ、と考えているからだ。
そして"ぷよぷよ"シリーズの生放送でぷよクエの話ばかり、という状況にも疑問が浮かぶ。
いくら本家のぷよぷよがそんなポンポン出せるものじゃなくて、アプリは常に動いているものだとしても、"ぷよぷよシリーズ"としての本家が蔑ろにされているのではないかと思うぐらいにぷよクエだらけだった。
自分含め、本家の"新作はまだか"という声が度々上がっていた。
さらに極端、いやむしろ的外れな「ライト向け」志向がどんどん進められていった。
25周年のアニバーサリーブックは驚きの薄さ。
版権の問題上、コンパイル時代の情報が少なくなってしまったとしてもそれは仕方ないと思うが、それにしても薄い。
自分は様子見をしていたが、情報によると裏話や裏設定などの記載はなく、ただ当たり前の基本設定の事しか書いていない。
それをわざわざいい値段で買う気にはなれなかった。
144ページで3700円ほどでその程度の内容はあまりにも馬鹿馬鹿しい。
(参考程度に、200ページ超えの復刻版魔導大全が定価3700円である)
その内容の薄さで満足できるのは本当にライト…いや、ライトユーザーですら薄く感じるのではないだろうか。
25周年なのに新作は出ないのか出ないのかと思っていると、そこで「ぷよぷよクロニクル」の情報が出てきた。
3D化されていたのは驚いたが、出来が悪いわけでもなく、今まで停止絵を動かしていたのが、滑らかに動くのだと思うと楽しみだった。
一瞬、ぷよクエの移植なんていう、本家を食い潰す策をやってくるんじゃないかと思いましたが、そんな事はなく、本家のぷよぷよでRPGをするという。
コンパイル最後の「ぷよBOX」にも「ぷよぷよクエスト」という、戦闘がぷよぷよ、というモードを思い出したりもした。
マップを走り回ったりと、かなりRPGっぽく、同時にストーリーにも気合が入れられるんじゃないか、とも思って期待した。
それに、20thと同じ、記念作である。
今度こそ…と。
しかし、それは甘かった。
というか、期待なんてするべきじゃなかったのだ。
蓋を開けてみると、ぷよテトの悪かった部分をほぼ受け継ぎ、仮にもDS用に開発された20thから進化した部分がほとんどない、という完全劣化。
RPGモードは大々的に推しておきながらあまりのボリューム不足。
ゲーム性としてはほぼ死んでいたと言っても過言ではない。
いくらパズルの処理をしながらとはいえ、2人対戦なら動くカットインが、4人対戦では停止絵。
そんな感じでも、自分は新作である、新しいストーリーが来た、というモチベーションでRPGモードをクリアした。
それからすぐは、達成感や満足感はあった。
…のだが、それも一時の話。
時間が経ち、冷静になるにつれて、このゲームがいかに問題か、実感するようになった。
上に挙げたシステム面はもちろん、ストーリーにも大いに問題があったのである。
実は、今作のストーリーについて、プレイ前から不安は感じていた。
一応、発売年の始めの小説(第4弾)も書いていたから、もうある程度固定してくれたのか、と思っていた
その一方、ぷよクエ側にも漫才デモ的な会話が導入され、それは明らかに違う人が書いているだろう事、上記の小説と同時期に発売されたドラマCDvol.6は違う人が書いた話があるらしく、その上全体を通すと以前ほど面白くなかった事から不安も感じていた。
その悪い予感は的中してしまった。
念のため、自分の目で確かめたが、このゲームのスタッフロールで、シナリオに20thからの人の名前は無く、違う人の名前があった。
ここまで言うと、その後続の人に失礼かな、とも思うのだが、明らかにシナリオの質が下がってしまっていた。
わかりやすいものでいえば、新キャラアリィを描ききれておらず、薄っぺらいキャラクターになってしまっていた事。
"勇者"として宣伝されたアルルに20th以降アミティとの差別化からか描写されていた勇ましさが全然ない事。
↑に関連して、「いつも通り」ばかりを意識したのか、キャラクターの行動があまりにも単純化していた事。
特にこの件に対しては、ドラコことドラコケンタウロスに驚いた。
「ラスボス突入直前に美少女コンテスト発言」はあまりにもストーリー無視がひどかった。
彼女は別にこれまでの話を何も聞いていなかった、というわけではないのに、だ。
また、作中で登場する"アイウエ状態"に関しても説明は一切無し。
その後の展開からして、
"本来変態ではないのに言い間違いのせいでヘンタイと呼ばれてしまう"シェゾを本物の変態にするための描写にも思えてしまう。
また、アミティが、率直に言うと"いやらしい"想像をするキャラにもされている。
これは一部の例だが、キャラクターが単純化、時には無駄に"おバカ化"し、酷ければ一種のキャラ崩壊を起こしている。
一応、過去の小ネタを拾っていたり、少なくとも20th以降の安定した"雰囲気は"受け継がれていたのは良かったのだが、こうして全体を見ると良かったとはとてもじゃないが言えない。
サタン絡み程度なら別に"アルルが勇者"だということを強調する必要もない。
また、主役はアルルのはずが、またりんご達の出番が多すぎ、という批判を見た。
そもそもりんご達がぷよぷよシリーズにおいていらない、という意見もいくつか見たが、ここまで来るとそのりんご達が可哀想である。
自分はキャラクター自体が悪いのではなく、あまりにも公式がりんご達7キャラの扱いが下手なのが悪い、と感じるからだ。
ストーリーに関しては、ぷよクロ発売から約半年後のアリィが登場する小説が追い打ちをかけた。
この小説は20thからのライターさんが書いたものだが、いくらゲームと小説という違いがあるとはいえ、
アリィというキャラクターもゲームとは設定が違うものの、描かれている。
それもぷよクロは例の子供向け志向が過剰になって、セリフの読み上げも遅くてたまらないが、一応、一応子供以上の人もプレイすることが考えられているのだろう。
小説は児童文庫…一応本当に子供向けに絞ったストーリーの方が納得できるとはどういう事なのだろうか。
また小説版はあくまでもアミティが主役のシリーズなので、勇者はアミティのオリジナルストーリーとなっているが、つまりは"アルルが勇者"であったゲームぷよクロの補足にもならない。