はてなキーワード: 痴呆とは
なんだか認知症も神経内科が診る時代になって、色々相談されることも多いので一言。
特に、昔は当たり前に街にいた(であろう)痴呆老人が何時の間にか消えてしまった。
どこに行ったかと思うと、身近な家族がいきなり(田舎でほっておいたらいきなりに見える)認知症になったりしてさんざん後始末に苦労して、何とか形にして、ふと明日は我が身なんて思ったりする。
で、実際に施設なんかに行ってみると街から隔離された痴呆老人の山を目にしたりする。
そうじゃなくてもテレビ、雑誌、新聞など高齢者向けのメディアには不安をかきたてる記事が山のように載っている現状、ふとしたきっかけで認知症に対する恐怖を覚えて、どうにかそうならないようにしたいと思うのはしょうがないことだと思う。
でも、ここに落とし穴があるように思えてならない。
一番こういった人にすんなりと受け入れてもらえるのは「これさえ飲んでたら大丈夫ですよ」「これさえ食べてたらならないですよ」という単純な論法。だって楽だし、安心するし信じさえすれば認知症になるまで平穏な日々が続いていく。
ただし厳密にいうとそんな夢の薬なんて存在しない。認知症(特に一番患者の多いアルツハイマー病)に対しては全世界のそれこそびっくりするぐらい賢い人々がしのぎを削ってその治療法を探しているが、効果が認められているのは対症療法に過ぎないいくつかの薬だけである。これでも認知症に対してここ数十年でいろんなことがわかってきたしこれからも少しづつは発展していくとは思うが、実用化なんて今心配している人が100歳すぎてからやっとできるかもしれないといったようなレベルでしかない。
この不安を利用してキノコだの漢方だの売りつける輩が後を絶たないのが現状一番の問題だと思う。もちろん、それを食べることで認知症になってしまうまで安心して生活できるのはとてもいいことなので全く否定してしまうつもりはないが、それが生活の質を下げてしまうまで高価だったりするとまったく本末転倒な状態になってしまう。(そして、往々にしてそういうキノコたちはとっても高い)
もちろんそういったキノコたちがとんでもない効果を発揮することなんて人によってはあるかもしれない。でも、認知症を心配するあまりに少ない可能性にかけて高いお金を払って、夕食の質が落ちるなんてばからしいと思うし、運動とか気軽に安価でできる対策を好きなだけやって貰って、いつかなるかもしれない認知症に対してあんまり肩ひじ張らずに生活していくのがいいんじゃないかなーと思うのである。
なんで逃げるように東京で一人暮らしを始めたのか、なんで結婚に対して幸せなイメージが抱けないのか、強烈に思い出した。
実家はそれはもう見るも無惨なゴミ屋敷に変わり果てていて、父がまともな生活をしていないんだなというのがよくわかった。家中カビだらけ、カビ臭い、埃まみれ、ダニも多い。数日の帰省で足は数ヶ所ダニに噛まれた。ハウスダストアレルギー持ちなのでマスクをしていないと顔面が吹き出物だらけになる。この家で20年も暮らしていたことが信じられない。そりゃあハウスダストアレルギーにもなるだろう。
ゴミ屋敷、本当にこの言葉がよく似合う。不要品にまみれている。汚い。
少し離れた親戚に「あなたの家は普通じゃない、はやく”普通の家庭”の”幸せ”を知ってね」と言われた時は失礼だな…と思ったけど、同情される意味がわかった。
悲しいけどこんなんじゃ幸せな家庭を築ける気がしない。結婚なんてできない。
こんな身内を抱えてるなんて知ったら相手が逃げていく気がする。私だったら逃げる。受け入れてくれたとしても相手がかわいそうだ。そして実際に身内は結婚間際で相手に逃げられている。
ある意味、母は早死して幸せだったと思う。こんな血縁、苦痛でしかない。姉だけは幸せになってほしい。だから全力で守る。信頼できる親族は姉だけだ。父はもう変わらないのだと思う。何度も母が泣いていたにも関わらず何一つ変わっていない。
深夜3時に大声を出し騒ぎ始めたので驚いて部屋のドアを開けると、部屋中が酒臭く、障子はボロボロ、木の枠もバキバキに折られていた。そして父は畳の上で小便を漏らしていた。まだ60歳にもなっていないのに、痴呆は早すぎるだろう。
そんな父を叱り、泣きながら身の回りを世話していた母は数年前に他界している。小中高と夜の喧嘩は絶えず、朝にも泣いてた母を覚えている。身内の金銭トラブルにも巻き込まれ、生活は大きく変わった。
「あなたたちがいるから離婚したいけどできない」「あいつら早く死ねばいいのに」と吐露していた記憶は今でも鮮明に思い出すことができる。生真面目だった母はストレスも溜まりに溜まったんだろうな、もう死んでしまった。
私も願う。身内には早く死んで欲しい。
父との距離感をどう保ったらいいのかわからない。一緒には暮らしたくない。この存在を恋人が知ったら終わってしまう気がする。更生させることに労力を使いたくない。
どうしたらいいんだろ。
親は子供に見返りなど求めない、なんて話が嘘であることは親不孝者という言葉が存在する時点でどんな馬鹿でもわかりそうなものだが、
親が子供によって得る見返りには、例えば子持ちという社会的ステータスがある。このステータスの価値は子供の社会的成功によって変動するので、
子供にはいい成績をとっていい学校に入ることが求められる。もちろんそこには子供の将来のためという非常に説得力のあるエクスキューズがつくわけだけど。
あとは子供と過ごす時間の喜びだの、老後の不安の軽減だの、人生を豊かにするだの、xevra先生曰く、一人の人間として完成するだの、といったことがあるらしい。
どれも子供にとっちゃクソどうでもいいことで、こんなことのために拒否権もなく産み落とされるなんざ迷惑千万な話であるが、ここでは措いておく。
こういった種々の見返りは多くの人に価値のあるものとみなされるが、問題は二人目以降その価値が下がることである。子持ちステータスの価値は子供の数には比例しない。
複数の子供を産めば一応ステータスの価値も上がるが、その上昇は一人目に比べるとわずかであり、二人目以降相対的に子供の価値が下がることになる。
また、複数の子を儲けることによるステータスの上昇よりも子供の成功によるステータスの上昇の方が大きいので、もう一人子供を産んで莫大なコストをかけるより、
その分をすでにいる子供の教育にまわした方が効率がいい、という打算も働く。
子育ての喜びも二人目以降やはり下がっていく。人間はどうしても飽きる生き物で一人目のときほどの刺激は得られないし、せいぜい二、三回で満足してしまう。
老後の話についてもリスクを分散するぐらいの得しかないし、xevra先生の金言にいたってはすでに人間として完成しているので二人目以降価値ゼロである。
では損の方はどうかというと、別に下がったりはせず二人目以降も一人目同様のコストやリスクがかかる。
一人目の経験によって少しは楽になるし、子供が子育てを手伝ってくれるといったことがあるとしても、単純に複数の面倒を見るということ自体大変だし、
加齢で体力が落ちれば負担も大きくなることを考えると、少なくとも一人目と同等の労力が必要だろう。
二人目以降、得られる見返りは小さくなり、損失やリスクは変わらない。つまりコスパが悪くなる、あるいは投資効率が悪くなる。別に言い方はなんでもいいが。
こうして世の親たちは子供を産むのをやめる。損得勘定によって産むのをやめる。
これは世のどの親もやっているはずの損得勘定なわけだけども、例の増田についたブコメを見る限り、なぜか一人目でそれをやると怒られるらしい。なぜかね。
自分の子持ちステータスの価値を否定された気分になるからなのか、それとも自分もやっていて都合よく忘れている損得勘定を思い出させたからなのか。
笑えたのは私たちは子供に見返りなど求めない!、なんて言ってるのがいたことだ。まあ当然嘘である。
親は子供に大小さまざまな見返りを期待するし、子供はそのことを理解している。期待に応えられなければ親不孝者の謗りを受けることも理解している。
両親はもう80近いし痴呆の兆候があるので頻繁に「親御さんと同居はしないの?」って言われるけど、親の面倒をみる気は全くない。よく「これまで育ててもらった恩返しだよ」「孝行したいときにもう親はいないよ」と言われるけど、そうは思えない。俺は自分の時間とお金を大切にしたい。
まず、親の面倒をみている友人たちはその時間のほとんどを介護に取られている。40代って、人生でいろいろなことを考え実行できる最後の年代だと思うのに、その貴重な時間を年単位で介護に取られるってもったいない気がしている。バリバリ事業で成功している人で、介護にもガッツリ時間を取れている人ってどれ位いるのだろう。著名人の親が痴呆になったり寝たきりになって付きっきりで介護することを考えると、両立できる人はそれほど多くないんじゃないだろうか。普通に考えたら、自分の考える時間を介護に取られるわけだから、事業で成功しにくくなるのは目に見えている。
そして何より、介護にかかる費用が半端ない。そしてお金をかけたからといってそれが返ってくるわけではない。
親に資産でもあればリターンも大きいのだろうが、大抵は買い手もつかない不動産(相続税や固定資産税を考えると赤字になる可能性も高い)があるだけで、リターンはほとんどないだろう。挙句、痴呆老人は子がコントロールできるものではないから、いつ犯罪を犯すか、いつ事故を起こすか、いつ死ぬか、ずっと心配する必要がある。高いくせにリスクが大きすぎると思う。
時間を年単位で取られ、莫大な費用もかかる親の介護は、人生で一番大きな負債だと思う。
それに価値を見いだす人がいるのももちろん理解できるけど、買い物しない人を「人じゃない」みたいな扱いするのはやめてほしい。俺はコストパフォーマンスを考え、親の面倒をみないという選択をしているだけだ。
コスパの大切さを教えてくれたのは,お前らだろう?
現時点では、痴呆に対する対処方法があまりに悲惨すぎるから不幸だと思うんですよ。
痴呆者には全員寝たきりになってもらって、死ぬまでずっと夢見心地の世界に生きられるような看護方法が確立されれば だいぶマシになると思う。
HMDをかぶらせて、本人の望むバーチャルリアリティーの世界に逝かせるとかね。
母親が要介護になり、独身の私は実家に帰ってきて仲のあまり良くなかった70代の父親と会話をするようになった。
他にかなり年の離れた兄が2人いるが、結婚した上で実家を出ている。
父親には20年程前から痴呆なのか認知症なのか分からない記憶の傾向があった(しかし数年前まで仕事は現役で立場もあった)。
幼少期、父は私に対し酒に酔って恒常的に虐待行為を行っていたが、翌日は知らぬ存ぜぬだった。
10代の中頃、父親の祖母にそれを申告する機会があり、そのときも同席していたが(途中バツが悪いのか一部席を外した)、
その場も知らぬ存ぜぬを通したものの、自分が場所・時期・内容を詳細に覚えている&記録していたこともあり、
祖母が私に謝罪したことで、その場はそれで収めた。私は祖母の謝罪など必要なかったし逆に申し訳なく感じたのだが、
当時は単純に酒に酔って記憶が無いor知らないふりだと思っていて、これで反省すると思ったからだ。
しかし現在、その虐待も、咎められたことも、自分の母親が子に謝罪したことも記憶にないという。
これについて、この話を私がその後一切出さなかったので、いつからか記憶に無いかは分からない。
それ以外にも、幼少期に兄弟の一人(サイコな上で恐らく何かしらの精神的な障害有)が私に恒常的に暴力(性的なものも含む)を振るい、
とりわけ、はんだゴテで皮膚を焼かれたり、洗剤をジュースを偽って飲まされたりした事件に関しても覚えていないらしい。
当時は、幼児の私を脅した上ではんだ焼き、ジュースだと勧めてきたにも関わらず、兄は故意を否定して勝手に私がやったと言ったので、
大変な口論になったし、事態が事態なので大騒ぎになったが、父親はどうやらそれも覚えていなかった。
ちなみに父親はそのときもそれを問題視しなかったので、善悪の判断が元々怪しい。
大人になった現在はその兄は遠くに住んでおり、自分が大人になったことで暴力を受ける可能性もほとんどないのだが、
当然一生顔も見たくないと思っているし、私は名前を聞くだけでも不快なので自分から接触することはない。
しかし被害妄想や異常行動が多く、職場で迫害されたり家庭も安泰ではないようで、実家は重要な安全地帯と見なされているようだ。
そのため、自分が数年置きに帰省した際は、電話口であからさまな詮索や牽制をする様子みられていた。
具体的には、急に夜中5時間かかる実家に来ると言い出すなどだ。
一時兄の異常行動が著しかったとき、父親には「日常的な性的暴力の過去を理由に兄とは一生関わりたくない」と伝えたが、
「家族は仲良くするのがいいことだ」などと言い出す始末だった。それで父が私の情報を兄に伝えた場合の異常行動の関連性を何度も説明して、
最終的に「私の名前を兄の前で一生出さないこと」を数回に渡って伝えたのだが、実際にはそれが全く守られなかったため、
電話の奥の壁に「名前を出さない」と書いてくれと伝えたところ、兄にその情報をすべて漏らし、異常行動が爆発する結果となった。
もちろん壁には何も書いてない。これに関しては父親のプライドが許さないのだろうし、どうにもならないのでここで諦めた。
しかし母親に注意して貰うことである程度収まっている(母は要介護になって動けなくなったことで認知症傾向が出てきたので今後は期待できない)。
また、こういった状況につき私は住んでいるマンションを家族に教えていなかったのだが(頻繁に情報を漏らされるので)、
それを不満に思ったのか嫌がらせを行うようになり、それで数回引っ越しを行い住所変更をかけずに分からぬようにしていたが、
どういう手段か突き止めてきて、管理会社に嫌がらせに近い電話攻撃を行ったことで、私に管理会社から解決して欲しいと電話が来るようになった。
また、自分の仕事先などを詮索する発言が多く出たことから、私は第三者への迷惑を回避するのが難しいと思い仕方なく退去し仕事も変え、
かなりの間友人宅に居候したり、知人の仕事場に泊まったり色々の半ホームレス状態で過ごす羽目になった。
これについても記憶に無いらしい。と言うかそもそも悪気もないのだろう。
その後、老化で行動力がなくなり、兄が家庭を持ってそれに協力する余裕がなくなった頃を見計らって、私は最低限普通の暮らしを回復した。
さて元の話に戻る。最近は他愛もない話も忘れていることが多いと感じていたが、年のせいだろうからと何度も同じ話に付き合っていた。
覚えておいて欲しいことについてはさりげなくメモをするように勧めていたが、メモをしたのを見たことはなかった。
改まって将来的な話をしたいというので話をしていたのだが(実質的には今後介護をさせたがっている)
数日前に何時間も話して結論の出た内容をまた1から話してきたので、「その話は数日前にしたのでは?」と言ったが、
「そうは言うけれども」と言いながら話を続けてきた。ただ返答に不満があるのかと思ったのだが、
ほとんど前回の話の内容が反映されていない議論をし始めたので、「覚えているのか」と聞いたら誤魔化された。
覚えていないならせめて「メモを取ってくれないか」と言ったら、「メモは取らない」という。
数時間に渡る議論を毎日させられても耐えられないので、「結論を導く話で覚えない、記録も取らないなら話のしようがない」と伝えると
「私は仕事をしているときは他の多くの人間はメモを取らないが私は良く取る人間だった」
「なぜわざわざ記録する必要があるのか、人間は話をしていれば分かり合えるものだ」
挙句には「将来残る記録など、聖書や遺跡の石版くらいのもので、こんな一般人の話を記録しても意味がないから書く必要はない」などと言い出した。
これについてあっさりと論破(そもそも噛み合ってないので論破なのか…)したら今度は、
「メモがない」(そこかしこにある)、「ペンがない」(目の前にある)、さらに「メモする場所がない(机テーブルが目の前にいくつもある)」
など馬鹿するような発言を繰り返してきた。私もいい加減に怒って、場所がないというならとそこら中に散らばった雑誌や楽譜(趣味で教室に通いだした)や
タブレットを捨てようとしたら「タブレットは捨てないで」とわめきだした(タブレットでもメモが取れることは父は当然知っている)。
そういう態度の発言を繰り返すようなら返却出来ない旨を伝えたところ、そして明らかに買い物メモにしか使う気のないノートの切れ端を持ってきて
「私はメモを取ります」とだけ書き始めた。「必要なことをメモしないなら話ができない」という目的から大きく外れて、
「メモ帳に何か書けばタブレットを返して貰える」に目的がシフトしてしまっているのに全く悪びれる様子もない。
この行動がおかしいとすら全く思っていないこと、「お前の話は私の知っている常識と違い理解に苦しむ」と言われることに非常に疲れる。
この穴を掘ってその穴を埋めるナチスの拷問みたいなやりとりに、自分が死にたくなってきて2時間位鬱々とした気持ちになっていたが、
何とか「どうして自分が悪いことがあろうか」という気持ちに持ち直してやり過ごした。
生まれて三十余年たって今やっと「このジイサン金だけ残してさっさと死んでくれないかな?」という気持ちに至ることが出来た気がするが、
病気で急激に衰えてもう長くは生きられない母親のことを考えると、とても複雑な気持ちになる。
他人から見れば、さっさとそんな無意味な繋がりを捨てて自由に生きれば?と思われるだろう。
結婚して自分の家庭を作ればわりとそういう判断がつきやすくなる気がするのだが、
父親は仕事で忙しく、幼少時の僕の面倒は専ら祖母が見てくれていた。
天真爛漫に自由な軌跡を描く身勝手な性格はどうやら星の運命の下に決められていたようで、結局僕のどこをトンカチでぶん殴ってもその軌道修正はかなわなかったが、おかげ様で見てくれだけは立派な青年に育つことができた。
しかし成人してから数年が経ち、父は死に、祖母は痴呆で虚ろになった。
父は持病持ちで長生きできないことは分かっていたし、母代りをしてくれた祖母の事は幼少期の頃よりなおさら覚悟していたことだった。
一人立ちはしているので実生活はさほど変わっていない。
しかし、いざ仕事を辞めようとか、新しいことに挑戦しようだとか大きな決断を考えた時、理解して後ろ楯となってくれる人間を失ってしまったなあと強く感じる。
だから、だろうか。
「失業保険ニート最高だわwwwもう働けない身体になっちゃったww」
実家に戻り、旅行や惰眠を楽しみながら思い出したかのように転職活動をしている友人から社畜乙メールがくると僕は正義の怒りにうち震える。
時々正義を執行するため、朝早くから鬼のような着信をいれてやる。
採用通知の電話がいつかかってきても良いように音量をあげて枕元に携帯をおいているのは知っているのだ。
僕にはもうない。
母親は元からいないものだと思って生きてきたので、いままで一度として会いたいと願ったことはなかったが、天涯孤独となって初めて会ってみたいと思うようになった。
祖母には「家事もろくにできない、いい加減なダメ女」と聞かされていた。
僕はパチンコ店の駐車場で子供を蒸し焼きにするような人だと想像を膨らませていたが、祖母が昔ながらの頭の固い人間であることから嫁姑の関係を拗らせていただろうということや、敵と認識した人間をいつまでも誇張して悪く言う性格を踏まえても、別にダメな人間ではなくてただ父や祖母と合わなかっただけなのだろう。そう察することができるくらいには僕も大人になった。
結婚して一年で僕が産まれ、三年で離婚したことが記されていた。
親権をめぐって裁判をしていることもあって、失いたくないとは考えてくれていたようだ。
普通は母親が親権問題で負けることはあまりないが、共働きで面倒を祖父母がみていたようなので、父というよりは祖母が僕をうまいこと囲って親権を勝ち取ったというのが正しいのだろう。
再婚はしているのだろうか。
すると、僕に弟か妹がいるかもしれない。妹が良い。妹だろう。
いや、きっと妹に違いない。
兄弟がいたらとあれこれ仮定してシミュレーションを重ねていくことは、一人っ子に宿命付けられた悲しき人生の命題である。
僕も例に漏れず、これまで様々なシミュレーションを構築し、妹とは何かという研究を進めてきた。
弟である場合も仮定してみたが、僕の性格から割り出した弟のシミュレーションは、ほぼ全てのパターンで僕にリバーブローを打ち込まれて肝臓を破壊されている。理由はこざかしいうえに、生意気たからだ。
その点、妹は生意気でも阿呆でも根暗でも、僕には癒しとなり人生を一段上へとシフトさせる大きな力になるであろうことが多くのシミュレーションパターンからわかっている。
世の兄と呼ばれる人たちに「妹とは良いものか?」と訊ねると、多くが「そんな良いもんじゃねーよ、うざいし、面倒くさいし」という返答をする。そこで彼らは兄妹の折り合いが悪い様を例にあげ、さも不仲であるように印象を捜査する。
それは逆に、兄妹の仲睦まじい様を例にあげられたとき、我々が覚える激しい嫉妬の怒りからも見えてくる。
世の兄達は理解しているのだ。そして、我々に気を使ってくれているのだ。
それほどまでに妹がいる兄とは人間としての器が大きい。ひとつ上の男だ。
実際に僕の小学校から大学までの経験では、実家に遊びに行って妹が出てきた際、どの娘も兄とは不仲そうに見えてなんだかんだ仲睦まじく見える場合が多かった。僕はしきりに羨ましいと友人を憎んだ。
ただし例外もあって、おおよそファンタジー世界に出てくるオークのような妹が出てくるときもある。
妹がいるかもしれないという疑惑を抱いたのは母から何の連絡もないことからだった。
小学校入学の際、中学校卒業の際、僕が成人の際、手紙の一つや二つ出そうと思う節目はいくらでもあったはずだ。
新しい家庭を持ち、その家族のためにも僕のことは忘れて生きようと誓っていたに違いない。
母もようやく子供の手が離れ人生に一息ついた頃、ふと四半世紀ほど前に産み落とした子供の事を思い出す。
「あなたもいい歳になったし、そろそろ……」
兄の存在を妹に打ち明ける母。
兄弟がいたらとあれこれ仮定してシミュレーションを重ねていくことは、一人っ子に宿命付けられた悲しき人生の命題である。
妹も例にもれずこれまで様々なシミュレーションを構築し、兄とは何かという研究を進めてきているはずだ。
ああああなんかそんな感じで、気だるい日曜の朝とか急に妹ですって娘が訪ねてきたりしないかなあああ。
しかし、実際に僕が母を訪ねて行っても小汚い田舎のボロボロアパートに羅生門の婆みたいなのがひっそりと暮らしているだけかもしれない。会ってみて妙に縋られたりして僕はとてもみじめな思いをするのだろう。
そうして、僕の思い描いた可愛い妹は儚くも露と消えるのだろう。
だから、迷っている。
先日歩道を歩いていると、横からいきなりシニアカー(高齢者用電動カート)が結構なスピードでバックしてきて轢かれそうになった。
載っていたおばあちゃんは「アラアラ」と一言発した後、そのまま走り去っていった。
調べてみるとこのシニアカー、免許は不要らしい。免許が不要ということはつまり、運転者が何歳になろうと乗り続けられるということである。なんなら、視力が極端に悪化したり痴呆になったりしたとしても乗り続けられるわけだ。これは怖い。
これから高齢化がますます進むにつれ街中を走るシニアカーの台数も増えてくると思うが、悲しい事故が起こらない前に、もう少し規制をしっかりすべきじゃなかろうか。シニアカーは自動ブレーキ機能を必須にするとか。
現在は「シニアカーに乗った老人が轢かれる」事故の方が多いようだが、これからは「シニアカーに乗った老人に轢かれる」という事案が増えてきそうな気がする。
皆さんもシニアカーでヒヤッっとしたことがあるんじゃないだろうか。
何をやっても「ありがとう」の一言もないというのは、なかなかにストレスが溜まる。
たまに来る親戚が
「おじいちゃん長生きしてね」
なんて言うけど、だったら代わりに介護してくれよと思っちゃう。
祖父は廊下におしっこを撒き散らす。ぼうこうが悪いのでトイレまで間に合わないから。
どんなに、「オムツをはいてくれ」と頼んでも「自分はボケてないから必要ない」ととりあってもらえない。
祖母はオムツははいてくれるけれど、腰がすっかり丸まってしまったのと痴呆とで、おしりが拭けなくなった。
たまに忘れるけど、臭いからすぐ気がつく。そんときは、おむつを脱がせておしりを突き出させて拭く。
食事のたびに、
「これは堅い、あれはやわらかい」
粉薬は喉に詰まるから、とゼリーで飲ませたいけれど、そんなものは必要ないと水で飲む。
案の定むせる。
来客があると、それまでしていなかった空咳をおおげさにして病人アピール。
定期的に「公務員になりなさい」とすすめてくる。広報で公務員採用試験のお知らせを見つけると、赤ペンで囲んでだまってすっと渡してくる。
私の勤めている会社名を聞いては「そんな会社聞いたことないなぁ」と言うのを何度も何度も繰り返している。
雪の日は危ないから外に出ないでね、と言っているのに、新聞をコピーするためにコンビニに行きたかった、とかそういう理由で外に出て転んで骨折したり。
祖母はいいとして。祖父がいなくなれば楽になるだろうなぁ。
明治元年三月二十九日東京地方裁判所判決刑集1巻23頁キラキラネーム事件
主 文
理 由
本件ハ近年俄カニ子供ニ名付ケラルルヤウニナッタ所謂「キラキラネーム」ト呼称サルル諸種ノ名前ニ就テ行政官庁ヨリ之カ命名権ノ濫用トシテ違法ナル故ニ改名ヲ命セラレシ事ニ対シテ之ヲ命セラレシ両親数百名カ当該行政処分ノ取消ヲ訴求スル事案ニシテ原告等ノ弁護人及ヒ処分庁ノ主張ハ左ノ如シ
弁護人ハ親ニハ命名権アリテ本件諸種ノ命名ハ一部ノ物ヲ除外シテ別段公共ノ安寧ヲ害スル所モナク何等違法性ナシト云ヒ
処分行政庁ハ本件諸種ノ命名ヲ具体的ニ列挙スルニ水子(みずこ) 野風平蔵重親(のかぜへ) 四駄霊(よだれ) 幻の銀侍(まぼろしのぎ) 精子(せいこ) 新一(こなん) 羽姫芽(わきが) 光宙(ぴかちゅう) 愛歩(あほ) 愛歩(らぶほ) 希空(のあ) 宝冠(てぃあら) 黄熊(ぷう) 孟沙孜(むさし) 三二一(みにー) ハム太郎(はむたろう) 麗音菜愛梨亜(れおなあ) 永久恋愛(えくれあ) 亘利翔(ぎりしゃ) 誠希千(せいきち) 甲子園(こうしえん) 在波(あるふぁ) ゆとり沙利菜愛利江留(さりな) ララ桜桃(ららさくらん) 愛保(らぶほ) 泡姫(ありえる) 美勇人(みゅうと) 六花(りっか) 雪愛(ゆあ) 正義(じゃすてぃす) 本気(まじ) 最愛(もあ) 大熊猫(ぱんだ) 紅多(べーた) 心結(みゆ) 心愛(ここあ) サラン(さらん) 菜七(ななな) 空詩(らら) 聖星夜(あだむ) 水子(みこ) 真剣祐(まっけんゆう) ぷもり連夏江(れげえ) 麗姫愛(まひめ) 波波波(さんば) 彩華(いろは) 陽葵(ひまり) 愛梨(まりん) しきみ花実(かさね) 俐亜武(りあむ) 澄海(すかい) 出誕(でるた) アロエ(あろえ) 頼音(らいおん) 珠丸(じゅまる) 希和(まな) 楽愛(らあ) 鈴愛(りあ) 琥珀(こはく) 天子(てんし) 桜花(さくら) 宇佐美(うさみ) 匠音(しょーん) 陽愛(ひなあ) 憧れ(あこがれ) 月(らいと) 愛桜(あいさ) 亜紅弥(あくび) ソフィア百花(そふぃあ) 水野(みずの) 姫涙(きるい) 櫻司(おうじ) 希苺(きいちご) 心夏(ここか) 伽羅(きゃら) 結弦(ゆづる)其他数千ニ上ル命名例カアルモ概シテ我国通例ノ命名例セハ男子ニ就テハ「章」「雄二郎」「治」「照義」「正太郎」女子ニ就テハ「由美子」「理恵子」「良子」「沙織」「愛子」「桜」等ノ命名カ為サレ来ル所ナルモ本件ノ如キ命名ハ明ラカニ堕落淫靡ナル土着的聴覚視覚心象ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ名ツケタル上其実質即チ音形ニヨル聴覚視覚心象トシテモ善美ニアラスシテ醜悪ナル物多ク我国ノ之迄ノ経緯ニ照ラセハ明白ナル異常現象逸脱事態ニシテ斯クノ如キ命名ノ流行ハ断シテ法カ臣民ニ付与セシ子ニ対スル命名権ノ機能ニアラス其ヲ超脱スルモノニシテ宜シク裁判所ハ当庁ノ処分ヲ追認スヘキト云ヒ
依テ案スルニ処分庁カ列挙セシ所謂キラキラネームナル物ハ或ヒハ水子(みずこ)精子(せいこ)心結(みゆ)心愛(ここあ)水子(みこ)桜花(さくら)宇佐美(うさみ)櫻司(おうじ)心夏(ここか)結弦(ゆづる)等ニ就テハ命名トシテ有得ルト思惟サルルモ処分庁カ列挙セシ圧倒的多数ノ命名例ニ就テハ処分庁ノイフ如ク外観ノ如何ニ関ハラス其実質ニ於テハ我国土着ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ表現シタル物ナル上ニ其大半ニ就テ殆ト善美ナルモノナク堕落淫靡ノ極致ヲ為シ例セハ野風平蔵重親(のかぜへ)ナルハ意味不明ノ発狂的ナルモノニシテ四駄霊(よだれ)ハ妄語ノ極ナリ新一(こなん)ハ単ニアニメノ主人公ノ名ヲ結合セシメタルニ過キス羽姫芽(わきが)ハ自分ノ子ニ腋臭(ワキガ)ナル名ヲ付ケントスル物ニシテ醜悪ノ極ナリ光宙(ぴかちゅう)ハ之モアニメノ登場人物名ニ之ヲ類推セシメル漢字ヲ強引ニ当テタル物愛歩(あほ)ハ之モ妄語ノ極ニシテ愛歩(らぶほ)ハ所謂「ラブホテル」ノ短縮ラブホヲ漢字テ音読ミシタル堕落淫靡ノ極致ナリ希空(のあ)ハ「ノア」タル音形ノ聴覚心象トシテハ醜悪ナリトハ云ヒ得サルモ痴呆的ニシテ採ルニ足ラス其他圧倒的多数例モ要スルニ我国土着ノ何等カノ堕落淫靡ノ極致ヲ為シタル聴覚視覚心象ヲ基礎トシテ之ニ適当ノ音形ヲ形成セントシ其形成物ヲ漢字ノ印象ト読ヲ借リテ表現シタル迄ノ物ニシテ此種ノ命名法即チ言葉ニ土着ノ自我ノ感情ヲ付与セシメントシタル物ハ必スシモ我社会ニ絶対ニ許容サレサル訳テハナク其内容ニヨリテハ漢字ノ印象及ヒ読ヲ借リテ特定ノ土着ノ心象ニヨリ自己ノ子ニ命名シ得ルト云フベケンモ命名例中我国ノ公共ノ安寧及ヒ臣民ノ慶福ニ適合シ採ルニ足ルト思惟サルルハ例セハ「柏市柏の葉」ニ優シキ感情ヲ込ムルトカ「まなめはうす」「こなつみかん」ノ様ニ情愛溢レル心象ヲ平仮名テ表現スルトイッタ様ナ極限定的ノ例ニ限ラレ凡ソ高度発展ヲ遂ケタル我国社会ニ於ヒテ容ルルヘキヨウナキラキラネームノ例ハ十中八九モナク大半ハ堕落淫靡ニシテ公共ノ安寧ヲ紊シ且ツ歴史的ニ形成サレ来タル臣民ノ慶福ヲ害スル所大ニシテ斯様ナル命名権ノ行使ハ其外観ノ如何ニ関ハラス命名権トシテ許容サルル機能ヲ超脱スルモノニシテ権利ノ濫用ニ他ナラス拠テ処分庁ノ為シタ原告等ニ対スル改名命令処分ハ適当ニシテ何等違法性アルコトナシ
主 文
理 由
本件ハ近年俄カニ子供ニ名付ケラルルヤウニナッタ所謂「キラキラネーム」ト呼称サルル諸種ノ名前ニ就テ行政官庁ヨリ之カ命名権ノ濫用トシテ違法ナル故ニ改名ヲ命セラレシ事ニ対シテ之ヲ命セラレシ両親数百名カ当該行政処分ノ取消ヲ訴求スル事案ニシテ原告等ノ弁護人及ヒ処分庁ノ主張ハ左ノ如シ
弁護人ハ親ニハ命名権アリテ本件諸種ノ命名ハ一部ノ物ヲ除外シテ別段公共ノ安寧ヲ害スル所モナク何等違法性ナシト云ヒ
処分行政庁ハ本件諸種ノ命名ヲ具体的ニ列挙スルニ水子(みずこ) 野風平蔵重親(のかぜへ) 四駄霊(よだれ) 幻の銀侍(まぼろしのぎ) 精子(せいこ) 新一(こなん) 羽姫芽(わきが) 光宙(ぴかちゅう) 愛歩(あほ) 愛歩(らぶほ) 希空(のあ) 宝冠(てぃあら) 黄熊(ぷう) 孟沙孜(むさし) 三二一(みにー) ハム太郎(はむたろう) 麗音菜愛梨亜(れおなあ) 永久恋愛(えくれあ) 亘利翔(ぎりしゃ) 誠希千(せいきち) 甲子園(こうしえん) 在波(あるふぁ) ゆとり沙利菜愛利江留(さりな) ララ桜桃(ららさくらん) 愛保(らぶほ) 泡姫(ありえる) 美勇人(みゅうと) 六花(りっか) 雪愛(ゆあ) 正義(じゃすてぃす) 本気(まじ) 最愛(もあ) 大熊猫(ぱんだ) 紅多(べーた) 心結(みゆ) 心愛(ここあ) サラン(さらん) 菜七(ななな) 空詩(らら) 聖星夜(あだむ) 水子(みこ) 真剣祐(まっけんゆう) ぷもり連夏江(れげえ) 麗姫愛(まひめ) 波波波(さんば) 彩華(いろは) 陽葵(ひまり) 愛梨(まりん) しきみ花実(かさね) 俐亜武(りあむ) 澄海(すかい) 出誕(でるた) アロエ(あろえ) 頼音(らいおん) 珠丸(じゅまる) 希和(まな) 楽愛(らあ) 鈴愛(りあ) 琥珀(こはく) 天子(てんし) 桜花(さくら) 宇佐美(うさみ) 匠音(しょーん) 陽愛(ひなあ) 憧れ(あこがれ) 月(らいと) 愛桜(あいさ) 亜紅弥(あくび) ソフィア百花(そふぃあ) 水野(みずの) 姫涙(きるい) 櫻司(おうじ) 希苺(きいちご) 心夏(ここか) 伽羅(きゃら) 結弦(ゆづる)其他数千ニ上ル命名例カアルモ概シテ我国通例ノ命名例セハ男子ニ就テハ「章」「雄二郎」「治」「照義」「正太郎」女子ニ就テハ「由美子」「理恵子」「良子」「沙織」「愛子」「桜」等ノ命名カ為サレ来ル所ナルモ本件ノ如キ命名ハ明ラカニ堕落淫靡ナル土着的聴覚視覚心象ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ名ツケタル上其実質即チ音形ニヨル聴覚視覚心象トシテモ善美ニアラスシテ醜悪ナル物多ク我国ノ之迄ノ経緯ニ照ラセハ明白ナル異常現象逸脱事態ニシテ斯クノ如キ命名ノ流行ハ断シテ法カ臣民ニ付与セシ子ニ対スル命名権ノ機能ニアラス其ヲ超脱スルモノニシテ宜シク裁判所ハ当庁ノ処分ヲ追認スヘキト云ヒ
依テ案スルニ処分庁カ列挙セシ所謂キラキラネームナル物ハ或ヒハ水子(みずこ)精子(せいこ)心結(みゆ)心愛(ここあ)水子(みこ)桜花(さくら)宇佐美(うさみ)櫻司(おうじ)心夏(ここか)結弦(ゆづる)等ニ就テハ命名トシテ有得ルト思惟サルルモ処分庁カ列挙セシ圧倒的多数ノ命名例ニ就テハ処分庁ノイフ如ク外観ノ如何ニ関ハラス其実質ニ於テハ我国土着ノ音形ヲ漢字ノ読ミヲ借リテ表現シタル物ナル上ニ其大半ニ就テ殆ト善美ナルモノナク堕落淫靡ノ極致ヲ為シ例セハ野風平蔵重親(のかぜへ)ナルハ意味不明ノ発狂的ナルモノニシテ四駄霊(よだれ)ハ妄語ノ極ナリ新一(こなん)ハ単ニアニメノ主人公ノ名ヲ結合セシメタルニ過キス羽姫芽(わきが)ハ自分ノ子ニ腋臭(ワキガ)ナル名ヲ付ケントスル物ニシテ醜悪ノ極ナリ光宙(ぴかちゅう)ハ之モアニメノ登場人物名ニ之ヲ類推セシメル漢字ヲ強引ニ当テタル物愛歩(あほ)ハ之モ妄語ノ極ニシテ愛歩(らぶほ)ハ所謂「ラブホテル」ノ短縮ラブホヲ漢字テ音読ミシタル堕落淫靡ノ極致ナリ希空(のあ)ハ「ノア」タル音形ノ聴覚心象トシテハ醜悪ナリトハ云ヒ得サルモ痴呆的ニシテ採ルニ足ラス其他圧倒的多数例モ要スルニ我国土着ノ何等カノ堕落淫靡ノ極致ヲ為シタル聴覚視覚心象ヲ基礎トシテ之ニ適当ノ音形ヲ形成セントシ其形成物ヲ漢字ノ印象ト読ヲ借リテ表現シタル迄ノ物ニシテ此種ノ命名法即チ言葉ニ土着ノ自我ノ感情ヲ付与セシメントシタル物ハ必スシモ我社会ニ絶対ニ許容サレサル訳テハナク其内容ニヨリテハ漢字ノ印象及ヒ読ヲ借リテ特定ノ土着ノ心象ニヨリ自己ノ子ニ命名シ得ルト云フベケンモ命名例中我国ノ公共ノ安寧及ヒ臣民ノ慶福ニ適合シ採ルニ足ルト思惟サルルハ例セハ「柏市柏の葉」ニ優シキ感情ヲ込ムルトカ「まなめはうす」「こなつみかん」ノ様ニ情愛溢レル心象ヲ平仮名テ表現スルトイッタ様ナ極限定的ノ例ニ限ラレ凡ソ高度発展ヲ遂ケタル我国社会ニ於ヒテ容ルルヘキヨウナキラキラネームノ例ハ十中八九モナク大半ハ堕落淫靡ニシテ公共ノ安寧ヲ紊シ且ツ歴史的ニ形成サレ来タル臣民ノ慶福ヲ害スル所大ニシテ斯様ナル命名権ノ行使ハ其外観ノ如何ニ関ハラス命名権トシテ許容サルル機能ヲ超脱スルモノニシテ権利ノ濫用ニ他ナラス拠テ処分庁ノ為シタ原告等ニ対スル改名命令処分ハ適当ニシテ何等違法性アルコトナシ