親は子供に見返りなど求めない、なんて話が嘘であることは親不孝者という言葉が存在する時点でどんな馬鹿でもわかりそうなものだが、
親が子供によって得る見返りには、例えば子持ちという社会的ステータスがある。このステータスの価値は子供の社会的成功によって変動するので、
子供にはいい成績をとっていい学校に入ることが求められる。もちろんそこには子供の将来のためという非常に説得力のあるエクスキューズがつくわけだけど。
あとは子供と過ごす時間の喜びだの、老後の不安の軽減だの、人生を豊かにするだの、xevra先生曰く、一人の人間として完成するだの、といったことがあるらしい。
どれも子供にとっちゃクソどうでもいいことで、こんなことのために拒否権もなく産み落とされるなんざ迷惑千万な話であるが、ここでは措いておく。
こういった種々の見返りは多くの人に価値のあるものとみなされるが、問題は二人目以降その価値が下がることである。子持ちステータスの価値は子供の数には比例しない。
複数の子供を産めば一応ステータスの価値も上がるが、その上昇は一人目に比べるとわずかであり、二人目以降相対的に子供の価値が下がることになる。
また、複数の子を儲けることによるステータスの上昇よりも子供の成功によるステータスの上昇の方が大きいので、もう一人子供を産んで莫大なコストをかけるより、
その分をすでにいる子供の教育にまわした方が効率がいい、という打算も働く。
子育ての喜びも二人目以降やはり下がっていく。人間はどうしても飽きる生き物で一人目のときほどの刺激は得られないし、せいぜい二、三回で満足してしまう。
老後の話についてもリスクを分散するぐらいの得しかないし、xevra先生の金言にいたってはすでに人間として完成しているので二人目以降価値ゼロである。
では損の方はどうかというと、別に下がったりはせず二人目以降も一人目同様のコストやリスクがかかる。
一人目の経験によって少しは楽になるし、子供が子育てを手伝ってくれるといったことがあるとしても、単純に複数の面倒を見るということ自体大変だし、
加齢で体力が落ちれば負担も大きくなることを考えると、少なくとも一人目と同等の労力が必要だろう。
二人目以降、得られる見返りは小さくなり、損失やリスクは変わらない。つまりコスパが悪くなる、あるいは投資効率が悪くなる。別に言い方はなんでもいいが。
こうして世の親たちは子供を産むのをやめる。損得勘定によって産むのをやめる。
これは世のどの親もやっているはずの損得勘定なわけだけども、例の増田についたブコメを見る限り、なぜか一人目でそれをやると怒られるらしい。なぜかね。
自分の子持ちステータスの価値を否定された気分になるからなのか、それとも自分もやっていて都合よく忘れている損得勘定を思い出させたからなのか。
笑えたのは私たちは子供に見返りなど求めない!、なんて言ってるのがいたことだ。まあ当然嘘である。
親は子供に大小さまざまな見返りを期待するし、子供はそのことを理解している。期待に応えられなければ親不孝者の謗りを受けることも理解している。