はてなキーワード: 生態系とは
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この辺読むといいかも。
『GODZILLA 決戦機動増殖都市』について。
生態系の暴走[王蟲/ゴジラ]をロストテクノロジーの最終兵器[巨神兵/メカゴジラ]で止めようとする、が失敗するという話。
他にも、ハルオはモスラの鱗粉(?)を身体に塗られたことでナノメタルに取り込まれずに助かる――ナウシカは王蟲の血を浴びたことで伝説通りの存在となる、という点も似てる。
(さらに宮崎アニメからの影響らしき部分として、無人のまま自己修復をつづけていた都市は「ラピュタ」、フツアのフェイスペイントなどは「もののけ姫」と思える)
だからアニメ「ナウシカ」に沿って、この先の展開を考えるなら、奇跡を象徴するモスラの出現によってゴジラの暴走は鎮まり、人類は自然との調和を取り戻す、といった感じになるという予測ができる。
しかし、第三部ではキングギドラの登場が予告されており、この通りにはならないだろう。
ハルオはメトフィエスからゴジラ以上の脅威として「ギドラ」の名を聞かされる。
原作「ナウシカ」で、王蟲以上の脅威として出現したのは粘菌である。「ナウシカ」における粘菌に対応するものとして「アニゴジ」にはギドラが登場するのではないか。
第三部のタイトル「星を喰う者」も、原作「ナウシカ」の粘菌のすべてを食い尽くそうとするイメージと重なる。
「アニゴジ」の登場人物の布置は、原作「ナウシカ」を参考にしているのかもしれない。
賢者的なエクシフは森の人を思わせるが、宗教家ということでは土鬼の僧正らにも近い。ビルサルドの武闘派のイメージは土鬼兵のようだが、進んでナノメタルと融合しようとする不気味さはヒドラのようでもある。フツアのナノメタルの使用は風の谷の民のようだが、モスラと心を通わせているとすれば森の人のようでもある。
このように単純な重ね合わせではなく、要素を組み替えて使っている。
宮崎駿は尊敬する作家としてよく『モスラ』の原作者の一人、堀田善衛を挙げており、ともに巨大イモ虫によって自然の聖性をあらわした作品として『風の谷のナウシカ』は、『モスラ』の後継に位置づけられる。
この『モスラ』『ナウシカ』を結ぶ線の延長上に「アニゴジ」はある。
巨神兵の作画を担当した庵野秀明は、『新世紀エヴァンゲリオン』にもそのイメージを反映させ、短編「巨神兵東京にあらわる」を経て、54年と84年二つの『ゴジラ』を引き継ぐものとして『シン・ゴジラ』を完成させた。
というか、簡単に産むな。
簡単に産むな。育てないのに産むな。
なんでこんな人間が生きているんだというのを考えた時に、
結論として出てきたのが、生きている人間を簡単には殺せないから生きてるだけ。
そんなこと言ったら誰だって生きる理由がないから詭弁だと言われそうだけど、
生きる意味がないならもう少しお互いを尊重しろというか、必要以上に増やすな。ということを言いたい。
労働力は機械化で十分補えることを期待し、だんだん人口が減ることで、人口対生産の比が逆転することを期待したい。
人口の増減について、減らすことと比べれば、増やすことはごく簡単だ。
要は産むのは簡単だが、殺すのは難しいということだ。
生きる意味もない人間が無駄に増えすぎるというのは、人間も生態系の一部でしかないということを思い知らされる。
どっちが幸せとか結局私の判断だし、エゴだけど一旦これから書くことを読んでほしい
今日、マヌルネコの特集がダーウィンがきた!っていうNHKの番組でされた
もともと知名度がある番組+鉄腕DASHがやってない+ネコっていうのもあって、ツイッターを見る限りかなりの人が見てたみたいだった
「可愛い」「見たい」「飼いたい」「近くの動物園に来ないかな」といった呟きがかなりあった
実際にマヌルネコは可愛い、上野動物園に行ったら必ず見に行くぐらい可愛い
でも可愛いマヌルネコを見たいって気持ちの前に一旦落ち着いてほしい
じゃあマヌルネコはどこから来るか?って考えると、モンゴルの野生のやつ捕まえてきたりするんだ
誰かが「見たい!」って思うほどマヌルネコは捕獲されてしまうんだ
どこかの動物園がサーバル人気のときにすぐ仕入れたよね。そのぐらい動物園は人気がありそうな動物をすぐ仕入れようとする。
野生で生きるのと動物園で生きるのどっちが幸せか?という問いがあるけど、過去に絶滅危惧種を動物園と研究所が欲しがった為に絶滅してしまった動物がいるから、私は保護には賛成だけど世界中の動物園にバラまくことには賛成できない。
そもそもマヌルネコだけの問題じゃないし、世界中の動物園に当てはまる問題だけど、今回マヌルネコに限って書くのは「飼いたい」と思ってしまえる猫だということだからだ
猫だし可愛いし「飼いたい」と思ってしまう人が増えると、合法的には飼えないから密猟者が増えてしまうんだ
密猟者っていうのは、需要があれば生態系関係なしに密猟する。撲滅するには需要そのものを無くすしかない。
なんか全然まとまってない文章だけど、マヌルネコを見たいなら、遠出しても見に行く価値があるくらい可愛いから!これ以上日本に来させないでほしい!
これは私の完全なエゴです
http://www.higashiyama.city.nagoya.jp
そりゃゲームだからな。世界観の設定としては好きな時に狩りに行けるわけではない。
それをゲームシステムに落とし込もうとしていた時期もあったけど、最終的にやっぱ
ゲームとしてはそんな面倒な仕組みは不要で、好きな時に好きなボスを倒しに行けるほうが
良いという方向に舵を切った。
結局のところモンハンはアクションゲームなのであって、自分の行動が生態系に与える影響を楽しむゲームではないということだ。
発売直後に言われていたような動物虐待がどうとか言う話より、そういう部分に目を向けないほうが気になる。
昔は定番ネタとして、イャンクックは狩られすぎて絶滅するだろというのがよく言われてたので
目を向けるべき場所として気づかれていないわけではなく、狩られすぎて絶滅しちゃう問題があることを認識した上で
あえてそれは切り捨てているというのが正しい。
>地球に財産があるとしたら、私は生物と資源と発明品と文明だと思う。
生物はともかく、他は有り得ない。
宇宙人が地球にやってくるには時間と空間を操作できる技術が不可欠。
それだけの技術力があれば近くの木星に似た惑星からいくらでも資源が取れるだろうし、
この広い宇宙でピンポイントで地球を見つけてやってこれる観測技術があるなら
時間移動してある時空までいって取ってきてもいい。
惑星に寿命がきたら火星に移り住もうとしている人間みたいに住めるところ増やせばいい。
ブラックホールからエネルギーを取り出すことだって可能と考える方が自然。
資源も発明品も文明も渡来してきた宇宙人からしたらチンカスレベル。
もし宇宙人が地球人を滅ぼすつもりなら正面対決なんてせんだろ。
裏で人類が滅亡するように気候操作したりウィルスばらまいたり人間同士の戦争を劇化すればいいだけ。
もしそれで環境が破壊されても人類のいなくなった生態系が回復するまで時間移動すればいいだけ。
人間の科学レベルでしか発想しないとそういう考えに至りがちだけど
近年、スタートアップの敷居はどんどん下がっている。
そして、Web界隈では、スタートアップはWeb界隈の生態系の1つに属し、
複数のスタートアップに股をかけ、ナレッジシェアをする者もいれば、
それでいいと思うし、
会社単位でも、複数のスタートアップが協力することもあるし(株式会社heyなんてすごくいい例じゃないか)、
力をあわせて未来を作ろうとする。
そんな中で、
『スタートアップに行くんなら、自己資金出して3徹でもする覚悟が無いやつはダメだ』
という人に出くわした。
元々、世の中の風潮的に、そちらの方が強いし、仕方ないとも思うが、
それが真であるか?に対しては、
金を稼ぐ、会社を生かすために個人が不幸になるなんて知ったこっちゃない、
仲間で、スタートアップをやって楽しく過ごす、失敗も許容した上で、のびのび挑戦する、
それでいいと思うんだが。。
世の中、そう甘くない!と言いたい人は多いんだね、と。
意見も聞いてみたい
https://anond.hatelabo.jp/20180214155553
https://anond.hatelabo.jp/20180214160914
の続きです。最後まで
チェックを受けることのない4大企業のパワーは何よりも競争を抑制するものとして現れる。考えてみればいい。アマゾンはあまりにも独占的な力を持ってしまったので、潜在的な将来の競争相手がマーケットに入場してくる前にジェダイ的なマインドトリックで相手に痛みを感じさせることも出来てしまう。株はもともと二つのキー・シグナルに沿って取引される。会社の潜在的なパフォーマンス(ポッタリーバーンの1平方フィートあたりの売上が10%上昇する)とマクロな経済の状況(住宅の供給が増える)だ。しかし今では公共・民間問わず投資家は三つ目のキー・シグナルを加えている。それぞれのセクターにおいてアマゾンがなにをするかしないかということだ。直近の例をいくつか挙げてみよう。
アマゾンが歯科関係用品のビジネスに参入することをアナウンスした日、歯科用品企業の株は4から5%下落した。アマゾンが処方薬を売ることを発表したとき、薬局関係の株は3から5%価格が下がった。
アマゾンのホールフーズ買収発表から24時間以内に大型生鮮食料品店の株の価格は5から9%も落ちた。
独占的慣行の問題が取り上げられると、アマゾンのPRチームはすぐに都合のよい数字を持ち出す。4%――アマゾンがコントロールするアメリカの小売シェア(オンライン・オフライン合わせて)、ウォルマートの市場シェアの半分に過ぎない、というわけだ。これは怪物を分割するべきだという主張に対して強力な反論だ。しかし他の数字だってある。アマゾンのプレスリリースにはなかなかあらわれない数字だ。
・34%: 世界中のクラウドビジネスに占めるアマゾンのシェア
・44%: アメリカのオンラインコマースに占めるアマゾンのシェア
・14億ドル: 2008年以降アマゾンが支払った法人税。対してウォルマートは64億ドルだ。(アマゾンは過去24ヶ月でウォルマート丸々一つ分の価値を時価総額に加えている。)
フェイスブックはどうだろうか?私たちがスマートフォンで使う時間の85%はアプリを操作するのに使われている。世界5大アプリのうち4つ――フェイスブック、インスタグラム、ワッツアップ、メッセンジャー――はフェイスブックが所有している。そしてこの4つはザックの指示のもと、5つめ――スナップ社――の息の根をとめるべく同盟を組んでいる。これが意味するのは私たちが持っているスマートフォンはすでにコミュニケーションの手段ではないということだ。フェイスブック社へのデリバリーサービスなのだ。
フェイスブックは競合アプリがユーザーの関心を集めているときにそれを知らせてくれる内部データベースまで持っている。それによってフェイスブックはその企業を買収(インスタグラムやワッツアップにしたように)したり、あるいはその強みを真似ることで競合相手を倒してしまうこともできるわけだ(ストーリーズとボンファイアでやろうとしていることがそれで、標的はスナップチャットとハウスパーティーだ)。
グーグルはグーグルで現在インターネット検索の市場の92%を握り、その価値は世界中合わせると924億ドルに上る。これはアメリカ以外のどの国の広告市場全体よりも大きい。インターネット検索業界は今や次に挙げるような数々のグローバル産業より大きなマーケットになっている。
・ 製紙・森林資源: 810億ドル
・ 建設業: 790億ドル
・ 不動産管理・開発: 760億ドル
・ 都市ガス: 580億ドル
もしたった一つの企業が世界中の建設業の92%をコントロールしているとしたら我々はどう思うだろう。あるいは製紙や森林資源の92%だったら?その会社のパワーや影響力が常識的な範囲を逸脱してしまったと思うだろうか、それとも今グーグルに対してそうしているように、素晴らしいイノベーターだと思うだけだろうか?そしてアップル、低コストの製品をプレミア価格で売ることに大成功した企業が存在している。iPhone8の材料費は288ドル、価格ラベルにかかれている799ドルに比べるとごく一部だ。
別の言い方をすると、アップルはトヨタの量を生産し、フェラーリの利益率をとっているのだ。アップルユーザーはもっともブランドに忠実な消費者でもある。92%の顧客がアップルの製品を買いつづけるのに対し、サムスンユーザーでは77%にしかならない。2017年2月には全アクティブiOSユーザーのうち79%が最新のソフトウェアにアップデートしたが、これがアンドロイドになると1.2%にしかならない。
アップルは消費者の生活の中に占めるその特権的な地位を利用して、スポティファイのような競合相手に対するアプローチにおいて独占的なパワーを振るっている。2016年にアップルはiOSのスポティファイアプリのアップデートを拒否し、iPhoneユーザーがこの音楽ストリーミングサービスの最新バージョンにアクセスするのを阻んだ。スポティファイの利用者がアップルミュージックの利用者の2倍に達したのを受けて、アップルはその遅れを30%の税金を競合相手に課することで埋めたわけだ。
アップルは消費者の間での人気を利用することにためらいがない。最近アップルが意図的に過去のiPhoneのパフォーマンスを遅くしていることが暴露されたが、これはユーザーに必要以上に早くアップグレードさせるための戦略である。これは独占に対する自信がなければできないことだ。
19世紀の終わりに、特定のマーケットの大半を支配する巨大ビジネスを指して「トラスト」という言葉が使われ始めた。テディ・ルーズベルトは牛肉と鉄道のトラストを分割し、大統領在任中に40を超える反トラスト訴訟を起こしたことで元祖「トラストバスター」としての名声を得た。100年後の2016年に話を戻すと、我々は「極めて少数の手に極めて大きな力が集中してしまうから」AT&Tによるタイムワーナーの買収は許さないと話すトランプ候補に出会う。一年後、彼のもとで司法省は実際に合併を阻止するための訴訟を起こした。
つまり我々の大統領は今も正しい戦いを続けているわけだね?よし、もうすこし掘り下げてみよう。AT&Tは1億3900万人の無線契約、1600万人のインターネット契約、2500万人のビデオ契約(そのうち約2000万はDirecTV経由)を保有している。タイムワーナーはHBO、ワーナーブラザーズ、TNT、TBS、CNNのようなコンテンツ製作のブランドを所有している。この2者の垂直合併は理屈から言うと、何百万という単位の携帯電話・インターネット・ビデオ契約者のネットワーク全体にコンテンツを製作・供給する巨大企業を作り出しうるかもしれない。
少数の手に大きな権力?そうかもしれない。しかしコンテンツと供給網の重要性が心配事であるなら、テディであれば10年も前にジェフ、ティム、ラリー、マークたちの会社のドアをノックしていたことだろう。四大企業の全てが、AT&Tとタイムワーナーを合わせたものをはるかに凌駕するコンテンツも供給網も持っているのだから。
アマゾンは2017年にオリジナルビデオに45億ドルを投じたが、これはネットフリックスの60億ドルに次ぐ第二位の金額だ。プライムビデオは200以上の国でローンチし、最近は10回サーズデイ・ナイトゲームを放送するためにNFLと5000万ドルの契約をした。アマゾンは音声テクノロジーの71%を支配し、プライムを通じてアメリカ家庭の64%に供給の拠点を築いている。64%のマーケットシェアを持つケーブルネットワークが存在するか考えてみたまえ。これに加えて、アマゾンは2位から6位までの競争相手を合わせたよりも大きなマーケットシェアをクラウドコンピューティングのマーケットに持っている。アレクサ、この状況がイノベーションを産んでくれるのかい?
アップルは今年10億ドルをオリジナルコンテンツに投資する予定だ。アップルは220万のアプリをコントロールし、2013年にはiTunes上で販売した曲数が250億曲に達するという記録を打ち立てた。アップルのライブラリーには今や4000万曲が登録されており、10億台のアクティブなiOSデバイスに供給することができる。テレビとビデオについても言うまでもないだろう。でもやっぱりAT&Tはカートゥーンネットワークを売る必要があるんだろうね?
フェイスブックは21億の月間アクティブユーザーによって作り出されたコンテンツの激流を所有している。サイトとアプリを通じて、この会社はアメリカの全成人の66%へアクセスすることが可能だ。フェイスブックはオリジナルのコンテンツに10億ドルを投資することを計画している。フェイスブックは世界で最も多産なコンテンツマシーンで、世界中のスマートフォンの大半を支配している。さあ、「今なに考えてる?」。
ユーチューブには毎分400時間分ものビデオがアップロードされているが、これはグーグルが世界の誰よりも多くのビデオコンテンツを所有しているということだ。グーグルは20億台のアンドロイドデバイス上のOSもコントロールできる。これでもAT&Tがアダルトスイムを売却することが大事なんだね?
多分AT&Tとタイムワーナーの合併が理屈に合わないというトランプは正しいんだろう。だがもしそうだとしたら、我々は10年前にまず四大企業を分割しているべきだったのだ。四大企業のどれをとっても、結局彼らがしているのは、マーケットの独占を利用して取引を阻害するという有害な独占的パワーの乱用だ。だが司法省は一体何をしているんだろう?怒り狂ったトランプのツイートはどこにいったんだ?ドアの向こう側にいる彼らはテクノロジーで人類を救いに来た救世主めいたイノベーターだという神話に騙されて、政府の居眠り運転を許してきたのは我々なのだ。
睾丸を落としてしまったような西洋諸国の中で、EUの競争担当欧州委員であるマルグレーテ・ベステアーは 巨大テクノロジーを恐れず、または彼らに騙されないただ一人の政府高官だ。昨年の5月、彼女は、フェイスブックとワッツアップの間でのデータ共有能力についてEUに虚偽を言っていたという罪状でフェイスブックから1億2200万ドルを徴収し、その一ヶ月後にはグーグルに対して非競争的慣行を理由に27億ドルの罰金を課した。
これは出発点としては良いが、この程度の罰金では象の背中を蚊がさすようなものだということも言っておかなければならない。フェイスブックの罰金はワッツアップ買収価格の0.6%にしかならず、グーグルに関しても手元資金のたかだか3%にしかならない。15分毎に100ドル取られるメーターに金を入れなかったことに対して、25セントの違法駐車チケットを切っているようなものなのだ。我々はこの手の企業に対して、利口で株主が喜ぶやり方を教えてやっていようなものだ。法律を破れ、嘘をつけ、必要なことはなんでもやって、万一捕まったらはした金を払えば良い、と。
巨大企業の独占的なパワーは資本主義者にとってのマッチョ・テストになってしまっている。イノベーションクラスの抱擁は我々を心強く感じさせてくれる。私たちは成功、特に巨大な成功が好きだし、億万長者や彼らの設立した素晴らしい企業に勇気づけられる。規制と聞けば吐きそうになる。確かに規制には醜いラベルがつきものだ。アマゾンを分割すべきだと私が提案しはじめて以来、フォックスニュースのスチュアート・バーニーは放送の時に私を社会主義者だと紹介するようになった。今にヨーロッパ人とでも呼ばれるのではないかと思っている。
2017年のマーケットが、我々の経済が規制にうんざりしているという強いシグナルを送ったことは間違いない。しかし規制とトラスト分割の間には違いがある。我々が経済について知っている話から抜け落ちているのは、トラスト分割はマーケットの健全性を保つためのものだ、ということだ。それは、がさつで不細工な規制に対する解毒剤なのだ。マーケットが失敗する時、そして確かにマーケットの失敗というのは起きるものなのだが、我々に必要なのは黄色の旗を挙げて秩序を取り戻してくれるレフェリーだ。試合ではそうしているのだから。
四大企業のすさまじい成功――10月には四大企業だけでS&P500の利益の40%を占めた――は、彼らが活動しているマーケットそのものが不健康であるという事実を覆い隠してしまう。昨年末、リファイナリー29とバズフィードという二つのデジタルマーケティング企業の将来有望な新星がレイオフを発表し、アドテク企業のクリテオは時価総額を50%下落させた。なぜ?フェイスブックがいて、グーグルがいて、その他諸々がいるからだ。そしてスナップ社を含むこうした他の会社全てがもう死んでしまっている。ただ自分たち自身が死んだことに気づいていないだけなのだ。
こういった企業が死ぬのは自己責任だと私たちは自信を持って言えるだろうか?むしろ我々のマーケットの方が失敗していて、無数のデジタルマーケティング会社が成長し、雇用を生み出し、イノベーションを起こす健全な生態系の発展を阻害してしまっているのではないだろうか?
二種類のマーケットを想像してみよう。最初のマーケットには以下の会社が含まれる。
そしてもう一つでは次のような会社がそれぞれ独立して活動している。
アマゾン・AWS・?・アップル・アップルミュージック・フェイスブック・インスタグラム・ワッツアップ・グーグル・ユーチューブ
(訳注: 原文では各サービスがアイコンで示されているが3つめのアマゾン関係のアイコンが不明)
そしてダース・ベイダーが息子に言ったように、「自分の心を探って」みて、どちらのマーケットが
ことができるか考えてほしい。トラスト分割が短期的には株価に対して悪影響をもたらすのは確かだが、マ・ベルの分割はテレコミュニケーションの分野での株主価値の急速な成長に繋がった。同様に、マイクロソフトは1990年の司法省とのいざこざにも関わらず、最高の時価総額に達したばかりだ。アマゾンとアマゾンウェブサービスが、一つになっているよりも別々の会社になった方が価値を高める可能性が高いことを信じる理由もある。
22年前に比べてアメリカの上場企業は1.5倍に増えたが、イノベーション分野の会社のほとんどが、自分たちが生き延びるための可能性が最も高くなる選択肢――あるいは唯一の選択肢――は、巨大テクノロジー企業に買収されることだと知っている。バイヤーがいなければ、大きくなる(グーグルになる、ということ)かすごすご家に帰る(ビジネスを止める)かの選択肢しかない経済が出来上がってしまう。ホームラン級の買収は格好の見世物になるけれど、中サイズの企業による買収が2・3倍に増えた方が経済成長のエンジンとしては強力に違いない。
パワーの集中はあまりにも巨大な政治力と資源を持つ企業を生み出すことで、彼らが自分たちに課される税率を中サイズの企業を大きく下回る水準に設定し、逆進的な税制を作り出すことを可能にしてしまった。
どうして我々は巨大テクノロジー企業を分割する必要があるのだろうか。四大企業が悪で、我々が善だからではない。鉄道会社やマ・ベルにしたように、競争を保証する唯一の道として、時には木の天辺を切り落とす以外の手段がないことを我々は知っているからだ。これは四大企業に対する告発でも復讐でもない。そうではなくて、健全な経済サイクルのキーになるのが、侵略的で、生まれたての企業の死を招き、他の企業の登場を許さないような企業を刈り取ってしまうことだ、という認識なのだ。巨大テクノロジー企業は分割されるべきだし、分割されるだろう。なぜなら私たちは資本主義者だからだ。今がその時だ。
カプとかジャンルとかPixivタグとか地雷とか、どうしてそんなに他人の嗜好にとらわれて、気に食わないと潰し合うの?
10年以上昔、俺が中学生の頃から腐女子の生態系って変わってなくて、自分と同じ好物の人間とは気持ち悪いぐらい仲良く馴れ合って、反対に自分とは相容れない人間を無茶苦茶に遠ざけて貶して喧嘩して、男のオタクから見ると同じ"オタク"で括られてるのが恥ずかしいぐらいにどうでもいいことに時間と情熱費やしてるよね?
それはオタクの中ではもう世間一般として扱われていて、漫画『げんしけん』でも腐女子の陰湿な性格が的確に現れていて、この作品が大好きなだけに、現実でもこういう光景を見ると心底うんざりする。
漫画やアニメを見て、ゲームをして、ソーシャルメディアに考察書き殴って、年に2回、有明で薄い本を買う、広義では"同種"のはずなのに、その実態はインターネットで縄張り争いをする暴走族と同じ。
同じ"オタク"でしょ?
男同士で初対面の相手がオタクとわかった瞬間にこいつも同類か、となる気持ちわからないんだろうな。
「今期何見てる?」「シュタゲとあの花と日常と電波女」「シュタゲは今期覇権だよな~助手可愛すぎる」「いや覇権はあの花だろしかもシュタゲはまゆしぃ一択」みたいな気持ち悪い会話したことないんだろう。
本当に男は平和で良かったと思う。
相手と趣味が噛み合わなくても、それがアイデンティティになって、少なくとも作品自体を一緒に応援していこう、っていう構図が確立されている。
アイマスがいい例で、当初は765だけだったのが、デレ、ミリとどんどん増えていき、それにつれて担当アイドルが膨大な数になっても、それぞれの担当を尊重して、プロデューサーやってる。
アイマスは制作者側とプロデューサー側で少しいざこざもあるけど、少なくともプロデューサー同士で衝突することは少ない。
なぜ排除し合うのか?
推しがあるならそれを認めて、自分は勝手に別の推しを見つければいいんじゃないの?
そんなに簡単なことじゃないの?