はてなキーワード: 火葬とは
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1628418345
1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (プチプチW 93bd-imFy):2021/08/08(日) 19:25:45.61 ID:fqdQaa+w00808 ?2BP(1000)
はてな匿名ダイアリーを利用するのは初めてだが、弱者男性論のメッカらしいのでここに書いてみる。
20代後半、童貞、友達なし、恋愛経験なし、子供部屋在住、フリーター、年収100万円以下。
弱者男性という言葉の定義をここでは試みないが、自分もそう分類されるのではないかと考えている。
睾丸摘出手術を受けて約1年が過ぎようとしている今思うことを記す。
ネットによれば「オッサン」というものは臭くて汚くて性欲まみれで世間に迷惑をかける気持ち悪い存在らしい。そんなものになりたくない、という気持ちがきっかけになった。
曰く去勢をすれば性欲が減少するらしい。性欲が減れば私が性犯罪を犯す危険も減るだろうし、そうなれば不幸な思いをする被害者も減らせる。私自身も不必要な性欲のために時間的・金銭的・肉体的コストを浪費せずに済む。唯一不幸になるのは孫の顔を見られないことが確定する私の親であるが(私は一人っ子だ)それはもう諦めてもらうほかない。私は反出生主義者ではないが、我が子や子孫という存在も生まれずに済む以上幸福になれずとも不幸になることもまたない。
また、去勢をすると体臭が減るという情報もあった。私の体臭によって不快な思いをする人が減るのであれば喜ばしい。なるべく引きこもって暮らしているが、どうしても出かけなければならない時がある。そんな時に誰かとすれ違ったり隣に座ったり同じ空間にいたりするだけで人々に嫌な思いをさせる、そんな心配も減るのだ。
人々に迷惑をかけない。私はそういうことに幸せを感じるのだ。そんなに人に迷惑をかけたくなければ自害せよと言う意見もあるかもしれないが、私にはその勇気がなかった。そしてそれに代わる手段として選んだのが去勢だった。
手術とその後
ネットで見つけた病院へ。性自認を問われることもなく(問われたら答えられなかっただろう)電話一本で日帰り手術。費用は15万円ほど。覚えているのは自分の体が電気メスで焼かれる匂い。火葬されるとこんな感じなのだろうかなどと考えていた。術後は抜糸不要で痛み止めを少し飲んだ程度。こんな簡単で良いのだろうか。
その後性欲は無くなりはしないものの確かに減少した。自慰行為に浪費する時間は減り、射精に近しい感覚は残っているものの精子は無くなり精液も透明なものがごく少量出るか出ないか程度になった。恋愛感情はもともと経験がないので変化がわからない。宦官は性欲の代わりに出世欲など他の欲望が強くなるとどこかで読んだがその兆候も今のところ見られない。週に一度ジムに通っているが体力や筋力の減少は特に見られず、体臭についても自覚できる変化はなかった。
現在私は男性と言えない何かであるが、分類上は普通の男性として生活している。といってもいわゆる「男性性」を演じることは元からしていないしするつもりもない。かと言って女性になりたいわけでもないのでこれ以上なにか手術などを受ける予定も現状ない。
最後に
ここまで書いてみたが去勢という不可逆なものを弱者男性にすすめることはできない。
自らの欲望や男性性を否定することを目的に睾丸摘出術を受けることは、自己肯定感を高めることで弱者男性を脱しようと言う考えとは対極にある。本来手術を必要としている方々にも失礼だろう。もちろん多少性欲が減った程度で解脱できるなどということはない。たとえ手術を受け「オッサン」になることから逃れたとしても、私自身あるがままで気持ち悪い存在なのだ、と改めて気が付かされただけであった。
はてな匿名ダイアリーを利用するのは初めてだが、弱者男性論のメッカらしいのでここに書いてみる。
20代後半、童貞、友達なし、恋愛経験なし、子供部屋在住、フリーター、年収100万円以下。
弱者男性という言葉の定義をここでは試みないが、自分もそう分類されるのではないかと考えている。
睾丸摘出手術を受けて約1年が過ぎようとしている今思うことを記す。
ネットによれば「オッサン」というものは臭くて汚くて性欲まみれで世間に迷惑をかける気持ち悪い存在らしい。そんなものになりたくない、という気持ちがきっかけになった。
曰く去勢をすれば性欲が減少するらしい。性欲が減れば私が性犯罪を犯す危険も減るだろうし、そうなれば不幸な思いをする被害者も減らせる。私自身も不必要な性欲のために時間的・金銭的・肉体的コストを浪費せずに済む。唯一不幸になるのは孫の顔を見られないことが確定する私の親であるが(私は一人っ子だ)それはもう諦めてもらうほかない。私は反出生主義者ではないが、我が子や子孫という存在も生まれずに済む以上幸福になれずとも不幸になることもまたない。
また、去勢をすると体臭が減るという情報もあった。私の体臭によって不快な思いをする人が減るのであれば喜ばしい。なるべく引きこもって暮らしているが、どうしても出かけなければならない時がある。そんな時に誰かとすれ違ったり隣に座ったり同じ空間にいたりするだけで人々に嫌な思いをさせる、そんな心配も減るのだ。
人々に迷惑をかけない。私はそういうことに幸せを感じるのだ。そんなに人に迷惑をかけたくなければ自害せよと言う意見もあるかもしれないが、私にはその勇気がなかった。そしてそれに代わる手段として選んだのが去勢だった。
ネットで見つけた病院へ。性自認を問われることもなく(問われたら答えられなかっただろう)電話一本で日帰り手術。費用は15万円ほど。覚えているのは自分の体が電気メスで焼かれる匂い。火葬されるとこんな感じなのだろうかなどと考えていた。術後は抜糸不要で痛み止めを少し飲んだ程度。こんな簡単で良いのだろうか。
その後性欲は無くなりはしないものの確かに減少した。自慰行為に浪費する時間は減り、射精に近しい感覚は残っているものの精子は無くなり精液も透明なものがごく少量出るか出ないか程度になった。恋愛感情はもともと経験がないので変化がわからない。宦官は性欲の代わりに出世欲など他の欲望が強くなるとどこかで読んだがその兆候も今のところ見られない。週に一度ジムに通っているが体力や筋力の減少は特に見られず、体臭についても自覚できる変化はなかった。
現在私は男性と言えない何かであるが、分類上は普通の男性として生活している。といってもいわゆる「男性性」を演じることは元からしていないしするつもりもない。かと言って女性になりたいわけでもないのでこれ以上なにか手術などを受ける予定も現状ない。
ここまで書いてみたが去勢という不可逆なものを弱者男性にすすめることはできない。
自らの欲望や男性性を否定することを目的に睾丸摘出術を受けることは、自己肯定感を高めることで弱者男性を脱しようと言う考えとは対極にある。本来手術を必要としている方々にも失礼だろう。もちろん多少性欲が減った程度で解脱できるなどということはない。たとえ手術を受け「オッサン」になることから逃れたとしても、私自身あるがままで気持ち悪い存在なのだ、と改めて気が付かされただけであった。
A22
宗教的・社会的慣習等により埋葬及び供養が行われるものについては、社会通念上廃棄物処理法に規定する「汚物又は不要物」に該当しませんので、愛玩動物(ペット)の死体は廃棄物には当たりません。ただし、埋葬・供養するとして飼い主から預かったペットの死体を火葬及び返骨等の処理を適正に行わずに処分する場合は、廃棄物(一般廃棄物)に該当します。また、埋葬及び供養を行うことが、宗教的・社会的慣習となっていないものについて、供養を行うという理由だけで社会通念上廃棄物処理法に規定する「汚物又は不要物」に該当しないとすることはできません。
簡単に言うと
1.ペットの死体は廃棄物として扱われないので埋葬、火葬(焼却処理)を行ってもよい。
2.ただし葬儀業者が火葬、返骨などの適正処理を行わずに焼却処理を行う場合は、
廃棄物として扱われるため、焼却炉としての条件を満たす施設でなければ焼却処理してはならない。
3.これは埋葬するから!葬儀だから!と言い張って通常廃棄物として扱われるものを
埋めたり、火葬と称して条件を満たさない施設で焼却処理してはならない。
自分の葬式の心配をしてしまう。死んだ時に葬式の面倒見てくれる人がいて欲しい。
別に葬式に誰も来なくていいし、火葬式でいいけど、葬式の面倒見てくれる人はいて欲しい。
そのまま棺に放り込まれるのだけは絶対に嫌だ。望むなら好きな服でも着せてもらいたいところだが、着替えさせるの大変だし白装束でいいか…
綺麗な顔で死にたいが、綺麗な顔で死ぬのが一番ハードル高い。程々に健康に長生きして病院で死ぬのが一番綺麗に死ねるとは思うが、それができる人生なら葬式の心配なんかしないんだよな〜〜〜〜
戦国時代とか今は絶滅したような謎の生物もおおかったでしょうね いま清潔だから
天正13年(1585年)4月16日、長秀は積寸白(寄生虫病)のために死去した[11]。享年51。跡目は嫡男の長重が継いだ。
『秀吉譜』によれば、長秀は平静「積聚」に苦しんでおり、苦痛に勝てず自刃した。火葬の後、灰の中に未だ焦げ尽くさない積聚が出てきた。拳ぐらいの大きさで、形は石亀のよう、くちばしは尖って曲がっていて鳥のようで、刀の痕が背にあった。秀吉が見て言うには、「これは奇な物だ。医家にあるべき物だろう」と、竹田法印に賜ったという。後年、これを読んだ平戸藩主・松浦静山は、この物を見たいと思っていると、寛政6年(1793年)初春、当代の竹田法印の門人で松浦邸に出入りしていた者を通じて、借りることができた。すると、内箱の銘は『秀吉譜』と相違があり、それによれば久しく腹中の病「積虫」を患っていた長秀は、「なんで積虫のために殺されようか」と、短刀を腹に指し、虫を得て死去した。しかし、その虫は死んでおらず、形はすっぽんに似て歩いた。秀吉が侍医に命じて薬を投じたが、日を経てもなお死ななかった。竹田法印定加に命じて方法を考えさせ、法印がひと匙の薬を与えると、ようやく死んだ。秀吉が功を賞してその虫を賜り、代々伝える家宝となったとあった。外箱の銘には、後の世にそれが失われることを恐れ、高祖父竹田法印定堅がその形を模した物を拵えて共に今あると書かれていた(内箱・外箱の銘は、天明7年(1787年)に竹田公豊が書いたものであった)。しかし、静山が借りたときには、本物は別の箱に収められて密封されていたため持って来なかったというので、年月を経て朽ちて壊れてしまい、人に見せることができなくなってしまったのだろうと静山は推測し、模型の模写を遺している[12]。これらによると、石亀に似て鳥のような嘴をもった怪物というのは、寸白の虫(ただし真田虫ではなく蛔虫)と見るのが妥当である[13]。証拠の品を家蔵する竹田譜の記事に信憑性が認められるからである。割腹して二日後に死亡したことから判断して、いわゆる切腹ではなかった[13]。
関東は遺骨は全部大きな骨壷に入れて持って帰るんだけど、
関西だとほんの一部を小さい骨壷に入れて、大半の骨は置いてくるんだって。
死んだ友達は関西の人だったけど、火葬は関東でやったから骨は全部引き取れたよ!
友達の妹さんと二人で箸で、大きな大腿骨を持ち上げて骨壷に入れたなあ。
それで。遺骨を入れた骨壷って温かくなるんだよ。
東京駅までのバスの中、親御さんが骨壷を僕に持たせてくれたけど、ずっと温かかったなあ。
隣に妹さんが座ってて、駅に着いても鼻水垂れてて顔を上げられなかったよ。
そのとき少し遺骨が分けてあって、お墓に行った時に僕に入れさせてくれたよ。
その時、人目を盗んで骨のかけらをパクって食べたんだ。
健康診断で病気が見つかり、発見から半年もせず酸素装置が必要な体になった。医師の見立てではあと2年ほどで死ぬらしい。「若いと進行が早いので...」と言われたとき、「32歳でも若いって言ってもらえるんだ」と見当違いなところに驚いた。
今日は比較的元気だったので夫と一緒に葬儀会社へ行って自分の葬儀の話を聞いてきた。小規模な式でもあんなにお金かかるんだね。10万程度でなんとかなると漠然と考えていたのでびっくり。
我々夫婦は高校から大学(夫は大学院)まで奨学金で通ってしまったためにお金がない。やっとまとまった貯金ができ始めた矢先に私の治療で吹っ飛んでしまった。
夫は結婚指輪も、結婚式も、新婚旅行もなかったことを後悔しているらしく、せめて葬式だけでも豪華にしてやりたいと思っているみたい。葬式にためにローンも視野に入れている。「夫には今後の人生があるのだから、葬式で負債を背負ってほしくない」という旨の意見をしたけれど、私が遠慮していると思ってより豪華な式にする意思を固めてしまった。
私がお金がかかることを拒否すると遠慮していると思われてしまう。結婚のあれこれもそうだった。アクセサリーをつける習慣がなかったから指輪はいらなかったし、人前に出るのが恥ずかしかったから結婚式もいらなかった。出不精だから新婚旅行もいらない。これが全部貧乏だから遠慮していると思われている。葬式だって正直私は直接火葬場で焼いてもらえればいいと思っている。夫の人生に影響が出る方がずっと嫌だ。
間違い電話の折り返しで母と話したとき,祖母が数か月前に亡くなっていたと教えられた.
祖父はかなり前に他界している.祖母は一人暮らしで痴呆症も進行し,介護施設に預けてから大分経っていた.
最期は呼吸が困難になり苦痛でのたうち回った.母は何度も病院に呼び出され最終的に看取りはしたが,火葬などの手続きは叔母に任せたそうだ.
年齢的には大往生と言ってよいのだろう.祖母には末っ子の一人っ子として幼少の頃は大分可愛がられた.
母から伝え聞いた話によると医者を志していた才女だったようだが,時代や親族がそれを許さなかったそうだ.
おぼろげながら思い出せる会話からも教養の片鱗は覗かせていた.
2DKの狭い実家にほぼ毎年帰省してはいたが,親子間の関係はかなり冷え切っていたように思える.
理由ははっきりしていて,母は幼いころ大叔父にレイプされたそうだ.
母は我慢強い性質ではあるものの,全てを隠しとおせるほど強靭ではない.
当時も周囲に告発したものの,祖母,つまり実の母には「お前が股を開いたんだろ」と言い捨てられたらしい.
そのときの母の絶望は想像に難くないが,当然ながらそのやり取りは姉弟にも知られ,親子関係は破滅した.
私はその経緯を学生の頃,母から涙ながらに電話で教わる.まさに青天の霹靂だった.
因果関係は不明だが,母は障碍者手帳を持つ程度には重度の双極性障害で,私は虐待を受けていた.
短気で仕事に没頭しがちだった父と母は相性が悪く,離婚していないことが不思議なくらい夫婦仲はよろしくない.
小学生の頃,母に連れられ不倫相手の家に泊まったこともある.当時はポケモンカードを買ってもらい口封じされる程度には単純だった.
いつしかその行為も終わったが当時専業主婦だった母は精神を病み,私を風呂場に閉じ込め,叩き,包丁でお気に入りの自転車のサドルをめった刺しにした.
私は逃げるように県外に進学した.小中高大院と全て国公立だったが塾に行かせ,学費も負担してくれる程度には父は稼いでいた.
勉強や研究は楽しかった.指導教員にも恵まれ,JASSOの奨学金も返済免除となる程度には業績も評価された.そこに件の電話が来た.
私は病んだ.祖母を憎悪し,母を憎み,父を恨んだ.祖母に無邪気に懐いていた自身も悍ましく思った.
ほどなくして不登校となり,カフェインのLD50を調べエスタロンモカをがぶ飲みした.ブルーシートを敷きドアノブを使って首を括ったが死ねなかった.
なんか寝れないから吐き出し。
本当は良くないの知ってたんだけど、元野良猫なのもあり好き勝手外に出れるようにしてた(避妊済み)
私のことを子供と思ってるのか、夜に学校から帰ってくると必ず家の前で待ってた。
何時だろうが必ず迎えにきた。
近づくと玄関まで誘導してくれるんだけど、止まったり隠れたりすると「ちゃんとついてこい」と言わんばかりに戻ってきて、私が動き出すまでじっとこちらを見てた。
名前を呼ぶと絶対返事をするし、離れていても様子を見にきてくれた。会話のできる猫だった。
尻尾が短くて不器用で、なぜか人のコップで水を飲むのが大好き。でも飲むの下手くそなのでまわりびしょびしょにした。ご飯食べるの遅くて、弟分の猫にとられてた。喧嘩弱いのに私が外にいると偉そうに野良猫の前を歩いた。なんなら自分から煽りに行くイキリ野郎だった。年をとってもなお紐で遊ぶのが好きだった。腹がいつも禿げてて、病院に行ったけど治らず原因不明だった。お腹が弱い子だったのかもしれない。
去年の今頃、すでに私は家を出ていたが、家の大掃除をするとのことで久しぶりに家に帰った。といっても隣の県でよく帰ってるので1ヶ月ぶりという感じ。
実家に着くと猫が風呂場の水を飲ませろとずっと大きな鳴くようになったと家族に言われた。本当にすごい大きな声だった。
もともと流水が好きで、お風呂場の蛇口の味を覚えたか…と思った。大きな声なのは祖父母が耳が遠くなっていて、普通にないても気づかれないからだろうと思った。それで、なき癖について調べたら要求に応えるとさらに悪化すると書いてあったので、大声で泣き出したらお風呂場に入れて水あげてたけどやめようと家族と話をした。いつもの飲み水あるし。その日は大型家具を一掃して家に帰った。
その次の日にご飯を食べなくなったらしく、その翌日に実家から電話が来た。様子を見てたが全然ご飯を食べないしずっと寝てて反応が薄いと。明日の朝病院に行くと。すでに16歳なので、無理に病院には行かないと言われた。天命に任せると言われた。
色々思うところはあったが確かに最近はよろよろで老衰と言われても不思議はなかった。明日の朝1番に連れて行ってくれると言われたので判断は任せた。そのまま明け方に亡くなった。「一瞬おかしくなっちゃって、その後動かなくなった」と言っていた。死ぬ前の痙攣のことだと思った。それでも朝病院に連れて行ってくれて、老衰だと診断された。
その日、私は朝から入院してる家族の病院で先生の話を聞かないといけなくて。始発で行くべきかなとおもったけど、朝病院連れて行ってくれるなら昼過ぎでも大丈夫かなと思ってて。病院の最寄りに着いた時に電話がきて、病院に着いた時はまだ暖かかったけどダメだったと言われた。
あの時、お風呂場の水を飲みたいと言ってたのは、ワガママじゃなくて本当に喉が乾いてたんだと思った。好きなだけ飲ませてあげればよかった。しかも大掃除で大きな環境の変化もあったから寿命を早めてしまったんだと思った。
次の日に火葬にすることになり、一晩一緒に過ごした。最後だからとお供え用のいい刺身を買ったらおばあちゃんがほぼ食べたのを見てマジで殴ろうかと思った。全部猫のやつに決まってんだろ。でも、おばあちゃんはその頃には愛猫を失った可哀想な私モードで、会話にならんかったので諦めた。ていうか、家に着いて猫を抱いて泣いてる私の横で「病院で火葬手配をしてくれた。この病院はいい病院で、私はこんな世話をした。私もピンピンコロリで死にたい、死に際を教えられた」という話を15回くらいはしてたし、最終的に火葬の手配なんて1ミリもされてないしで発狂しそうだった。猫の刺身も「いい刺身が食える」程度にしか思ってなさそうだった。家を出て猫の世話を一任してた身としてはあまり文句をつけないつもりだが、刺身の件だけは一生許さないと思ってる。
火葬用の段ボールに大好きな麻紐と手紙とご飯を入れて送り出した。入院中の家族が退院したときに何もないのは辛いかと思い、共同墓地に入れずに骨を返してもらった。ちなみに、入院中の家族を不安にさせないために猫の死は言うなと言ってたが速攻でおばあちゃんがバラした。速攻で私に言い訳電話してきたのでボケてんのかボケてないのかわからなかった。正直言っちゃうだろうと思ってたが1週間も持たなくて草だった。
今週で猫の一周忌を迎えるので、これを機に骨壷の片付けをしようと思う。ペット用共同墓地は行きづらいので、骨を少しだけもらって、亡くなったペットの骨を入れる用のペンダントとかに入れたいと思う。
犬がリビングに安置されていたので、母とふたりリビングで寝た。
泣きながら寝た。
今日の午前は母と花を買いに行った。
犬に供える花は、私と母で選んだので、赤とかピンクとかの華やかな色は少なく、
ガーベラやカスミソウ、白いカーネーション、小さなひまわりみたいな花になった。
午後には斎場に持って行くので保冷剤とタオルで包んで冷やすのは昼にはやめていた。
斎場は火葬にするだけで遺骨は手元に残らないので、毛を残すことにした。
胸元の白くてふわふわな毛がかわいいね気持ちがいいねと父が言った。
白いだけだとこの犬じゃ無いみたいだから、と弟が言って背中の茶色と黒の毛も切った。
尻尾の先の黒っぽい毛を母が切った。
私は額の短くてやわらかな毛が好きだった。
叔母と従兄弟たちが来た。
犬に頑張ったねと声をかけて、まだ寝ているだけみたいなかわいい犬の写真を撮った。
みんなで犬と写真を撮った。犬は穏やかに寝ているだけみたいだった。
名残惜しく身体を撫で、声をかけて思い出話をした。
小さくなったねとか本当に長生きしたねとか、こんな写真があったとか、本当にかわいいねとか。
犬は生まれた時から死んだ後までずっと、本当にかわいい犬だった。
箱に犬を入れて、また撫でた。
おやつと花を箱に入れた。
焼き芋を買ってきて、入れてやればよかったと思う。
牛乳は入れることができないので、残念だった。
弟は、タオルに牛乳を少し染み込ませて箱に入れることを提案したが、それは流石に犬も嫌だと思う。
花に囲まれた犬はかわいかった。寝てるみたいだった。きれいだった。
みんなでまた犬を撫でて、家を出た。
祖父母と叔母と従兄弟と別れて、家族5人と犬で車に乗って斎場へ向かった。
ずっと涙が止まらなかった。
しばらく待って中の部屋で箱ごと重さを測り、お金を払って、
もうお別れをするだけだった。
部屋の中に入る前に一回箱を閉じたけどまた開けた。
父がもう一回犬の顔見たくなっちゃったと言っていた。
みんなでまた、犬の身体を撫でて、別れを告げた。
それまでは犬に頑張ったねととか、ありがとうねとか、みんなそういう言葉を言っていたけど、
名残惜しく、何度も犬の顔を撫でた。
そうして箱を閉じて部屋を出た。犬とおわかれをした。
部屋を出て、建物を出て、車に乗った。
もう家に帰っても犬はいない。
私は犬のふわふわの毛の生え揃った額に触れることができない。二度と。
かなしい。さみしい。さみしい。
犬は、セレモニーみたいにしなかったけど、多くの人に見送ってもらえて本当に良かったと思う。
多分、いつか私が死ぬ時よりも多くの人に見送ってもらえただろう。
みんなが大好きなかわいい犬。
気まぐれで飽き性で、元気でかわいい犬。
もう家の中のどこを探してもいない犬。さみしいよ。
一緒にいたい、より、そこにいて欲しい、という感情が近い。
私も犬もベタベタくっつくタイプでは無かったから、こういう気持ちなのかなと思う。
私は普段一人暮らしだし、犬がずっと家にいてくれたら幸せだった。
もう家に犬がいない。さみしい。
今は一人暮らしの部屋に戻ってきてしまった。明日は仕事に行かなければいけない。
いつもはひとりでいることは全然苦にならないのにずっとさみしい。
ずっとかわいい犬。私はさみしいけど、どこかで満足のいくまで牛乳を飲んで、芋を食べて、
楽しく走り回って、気持ちよく寝ていて。
たまには私たちのこと思い出してくれたらうれしい。
私のかわいい大好きな犬。さみしい。
(している人が頷く)
祖父は孫との関わり方があまり上手ではなくて、優しいけど不器用な人だった。
しかし小さいころの私はまだガキだったので、そんな祖父の心境を慮ることができず、「私とおばあちゃんが話してるのに割って入ってきて嫌だな」とすら思っていた。
祖父との距離感がよく分からないまま私は高2になり、修学旅行で北海道に行くことになった。
「お土産何がいい?」と祖父に聞いたら「1000円ぐらいの安いやつでいいから、ウニの瓶詰めを買ってきてくれ」と言われたので、私は素直にお土産代をもらってウニの瓶詰めを買って帰ると約束した。
修学旅行当日、小樽の海産市場にてウニの瓶詰めを探していた私は値札を見ずに「あっ、これだこれ」と思い、かごに入れた。
しかしレジに通してから、その瓶詰めが4000円以上することが判明した。
高校生にとって4000円は大金だ。当然の如くビビり散らかしたが、自分の勝手で班のメンバーを待たせるわけにもいかず、結果としてその高い瓶詰めを祖父母の家までクール便で送ることになった。
そのことを修学旅行から帰って祖父母に伝えると、「やけにうまいと思ったわ」「おじいちゃん美味しい美味しいって言って食べてたよ」とのことだったので、私の勘違いは親戚の間でほっこりする笑い話として昇華された。
ここまでなら、単なるほっこりエピソードで終わっていたと思う。
けれども私が修学旅行旅行から帰ってきてから一ヶ月も経たずに、祖父は他界した。
危篤になってから他界するまで、3日もかからなかった。突然の死だった。
葬儀のときに初めて、祖父は長いこと腎臓を患っていたことを聞かされた。
病気の件に関しては、周りの親戚の人々も子供に教えることではないと気を遣ってくれていたのだと思う。
でもそのせいで、高校生の私は何の心の準備もできないまま祖父の死に直面することになってしまったのだ。
葬儀屋さんや親から「最後に棺にお手紙を入れてあげたら?」と声をかけられたが、返事ができなかった。
ドライアイスで冷えた祖父の手に触れるたびに涙が出てきて、火葬場に行くまでずっと白い棺の側で泣いていた。
空っぽになったソファを見つめて、祖父のことを思い返すと、涙が溢れて止まらなくなった。
祖父が私を見る目はずっと優しかった。私がつっけんどんな態度をとっていても、いつも目尻を垂らしてニコニコしていた。
それなのに私は、祖父に何も返せなかった。
返せたものがあるとしたら、それは修学旅行のお土産で買ってきたウニの瓶詰めひとつきりだ。
祖母も母も「私ちゃんのおかげで、おじいちゃんは最後に美味しいものを食べられたんだよ」と言ってくれたが、「もっと何かできたのではないか」という思いは、私の胸にずっと残っている。
社会人になって地元を離れても、祖父の亡くなった夏がくるたびに、祖父孝行をしきれなかった後悔が襲ってくる。
この後悔は、きっとどれだけしてもしきれるものではないのだろう。
なので今は、祖母孝行に精を出している。
祖母は耳が遠いので、正直やりとりがスムーズにいかずにイライラするときもある。けれども真剣にやり切らないと、絶対に後悔するだろうと思えて仕方がないのだ。
先日のこと
家によく遊びに来る子でうちの猫さんたちも気にかけている感じだったから保護したいなと思って捕獲機借りる手配してて
そろそろ決行するか、なんて思っていた矢先のことだったのでショックだったけれど見つけられたのも縁かと思いとりあえず段ボール入れて役所に電話したら火葬していいとのことなので利用歴のあるペット葬儀社さんに朝イチ電話して諸々手配、お花もちょっと用意してもらって飛び出てた目玉を隠すように装飾させてもらってお顔まわりちょっと拭いたりして山の中にある火葬場までドライブ
暑くなる前だから遺体が汚くならなくて良かったねーとかよく見つけやすいところまで来てくれてたねーとか色々お話したけれどもちろん返事もなくちょっとむなしい気持ちと寂しい気持ちはあったけれどスタッフさんも野良ちゃんのロードキルなら、と料金オマケしてくれたからちょっと嬉しかった現金な人間
こればっかりはタイミングだからもっと早く保護してれば~とか色々思うところはあるけれど、顔半分はちょっとぐちゃっとしていたけれどいつも見ていた右半分はかわいい寝顔みたいに見えて
私が遺体を見つけたときは近所のじいさんが地域指定のゴミ袋を軍手装着で近づいてきていたところだったから本当にギリギリセーフのタイミングで見つけられて良かったな
火葬後はここの骨がかわいいのよ、なんて教えてもらいながらスタッフさんおすすめの部位のお骨をいくつか瓶に納めさせていただいて残りは供養塔に納めてお線香あげていったんおしまい
見つけたときのショックは大きかったけれどちゃんと見送れて良かったなとも思っている
ただうちの猫さんたちはあいつ来ねえなと窓の外を眺めてアオアオ鳴いているので寂しい思いをさせたことはちょっと怒っている、早く転生してうちに来るように
2023年3月、埼玉県の高校生が東日本大震災をネタにした動画をインスタグラムに投稿して問題となった。
東日本大震災のこれを見てる方、生きていてとても嬉しいです。
また死んでしまった人は、お墓で聞こえないと思うが(笑い声)ほんとに悔しいです。
ここでは、その投稿の何がいけなかったのか考えてみたい。
この動画のセリフには被災者を侮辱するようなフレーズは含まれていない。
東日本大震災の被災者を侮辱、というと私ならこのくらいのものを考える。
・行方不明者捜索という中身のない仕事。また警察がパフォーマンスだけしてる
(当時の2ちゃんねるのスレタイは不謹慎ネタが好きな私ですらドン引きした。さすがにあれは規制してもいいと思う)
六代目三遊亭圓楽氏(あ、こっちも死んでた)はよく人の死をネタにしていた。例えば
これだけでも特定個人を侮辱する内容だ。それ以外にも、IKKOのマネで
・火葬場。「半焼け~」
なぜこいつらだけ笑って許されるのか。
被災者を侮辱するフレーズはなかったとしても、笑っていたことが自称正義マンの癇に障ったのかもしれない。
だとすると、終始神妙な顔持ちで上記を言えばいいのか。
最後のフレーズ「ザーメン」、要するに「アーメン」をもじったものがいけなかったのだろうか。
だとしたら、せめて「ラーメン」か、その部分をカットすればよかったのだろうか。
色々原因を考えてみたが、なにがいけないのかがわからなかった。
つーか、非難している人に何人東日本大震災の被災者がいるんだよ。
被災者の気持ちとかいうけど、どれだけ正確に気持ちを読み取っているんでしょうかね。読み取ったふりをしていい気になっているだけではないのか?
日頃のストレスがあるから正義の味方になったふりをして叩きやすい対象を叩いてるだけでしょ?
もしそれが侮辱だと思うなら、裁判所に開示請求及び損害賠償請求すべきです。裁判を受ける権利は誰にでも保障されています。
法律で規制すべきと考える場合も同様、早くアクションを起こすべきです。
ちなみに、いくら正義のつもりでも個人を叩きすぎると、逆にあなたが侮辱罪や名誉毀損罪にあたり、刑事罰や民事上の責任が発生します。
ある日の深夜、親族のグループラインに「亡くなりました」と連絡が来た。
最初は受け入れられなかったし、実際にその場に行って火葬前に顔を見ても実感がわかなかった。
けど、それからもうすぐ四十九日が終わりそうな今日この頃、もっと会いに行けば良かった、もっとたくさん元気なうちに手料理を食べていれば良かった、写真を撮っていれば良かった、と後悔ばかりが押し寄せてくる。
悲しい。苦しい。私にできることはもっとたくさんあったかもしれないのに。
生きている人は縁が切れようとどこかで会う可能性はあるけれど、死んでしまった人はまかり間違っても会うことはできない。
何も伝えられない。
悲しい。ただただ、今は悲しい。