はてなキーワード: 浪人とは
ただ、阪大の近所に住んでたので、
ちなみに中学校は同級生が隣の中学の奴にナイフで刺されたりする底辺公立校でしたが、
(義務教育なので退学処分がない代わりに、自主的強制転校がまかり通ってた学校でした)
(貧乏なので塾なんかは行かせてもらえない)
ちなみに、高校も大学も滑り止めの私立すら家族に受けさせてもらえず、
インドに逃げると言ってたら、高校の同級生がインドカンパをしてくれました)
なんとかなるので頑張ってみて下さい。
マグロ漁船に乗らなきゃ返せないレベルの奨学金を手にしましたが、
(5年ごとに在職証明を提出しなきゃならんけど)
大学辞めて休養したい。毒親ってわけじゃないけど実家だと親がストレスになるから祖父の家がいいな。一言も相談してないの親は気づいてて、大学辞めるならスーパーでもコンビニでも働いて自分で生計立てるか、やりたい事があるなら専門学校に行けと言ってる。それはごもっともな意見だけど、今はもう何もしたくない。今してるバイトも2月末で退職するから続けていられるのであって、終わりが見えなかったらバックれてると思う。
大学受験現役では何となく受けたら全落ちで、その時も今と同じふうにを親に「どうするの?」って聞かれてよく考えずに浪人するってなった。浪人時代は偏差値やテストの点数みたいに目に見える目の前の目標があったから盲進してた。結果はあんまり良くなくて滑り止めの大学に今居るわけだけど、なんかもう疲れちゃって何もしたくない。全部後先考えずに決めた結果なんだけど、進路って「どうするの?」ってなってからどうするか決めるまでの時間が短いんだよね。だから後から考えると失敗したなと思う。でもその時は疲れてるし時間もないから正しい判断が出来ない。多分今の自分もそういう状況になってる。だから今どうするか進路を決めても絶対に後から後悔するに決まってる。休養も正しい判断ではないのかもしれないけど今は休みたい。
今私が非常に面白がっている人物で宇野常寛さんという人がいます。
この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在はSFマガジンという雑誌で評論「ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人・東浩紀と敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています。
要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。
その主張は苛烈で痛快です。「評論の世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業が自分の仕事だと宣言しています。上の世代の評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄』状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます。
この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。
北海道にて全寮制の男子校に入る。ここでの経験がその後の宇野さんの方向性を決定付けます。元々オタク率が高い田舎の進学校、加えて異性がまったくいない寮生活という住環境……。それは寮生の九割がキモオタという地獄絵図。ここで宇野さんは大嫌いなファンタジー小説を新刊が出るたびにむりやり読ませられて感想を聞かれる、などの地獄のような責め苦を受け続けます。富野信者でサブカル系の宇野さんには美少女がビキニアーマーを着て大冒険をするような話は耐えられなかったのです。
なぜ宇野常寛があれほどまでに萌えオタを敵視するのか? それはこの寮生活でのトラウマがすべての原因なんです。宇野さんが萌えオタを攻撃するのはこの頃の復讐なのです。
寮生の半分は卒業後に「引きこもりのギャルゲーマー」になったそうですから相当屈折した人たちが集まっていたことが覗えしれます。そして、「恋愛したくてもできないからギャルゲーに逃げるオタク」をいっぱい見た宇野さんは「性愛コンプレックス」にこだわるようになります。
同じ嗜好性を持つ人間がまったくおらず、一人で古本屋に行き「アニメック」のバックナンバーを買い集めていた宇野さん……。この時に趣味を共有できる仲間に出会えていればその後の人生は大きく変わったでしょう……。
この辺の話は旧惑星開発委員会のコンテンツ「善良な市民のオタク黒歴史」というエッセイに詳しいです。
高校を卒業し、宇野さんは寮生活から解放されて浪人生活に入ります。ここでどんな風に過ごしてたのかはあまり語られませんがPLANETS第四号によると「楽しすぎてさらに浪人した」と書いてありますので、キモオタ軍団から解き放たれたのがよっぽど嬉しかったのか勉強せずに遊んでいたようです。
しかし、そこはやはり浪人生。二年間もの浪人生活でキャンパスライフへの憧れはどんどん膨れ上がっていきます。未だに「大学生活」や「サークル」に拘るのはここに起因があるとみて間違いないでしょう。
ところで思春期を男子校で過ごし、その後二年間浪人……ってことは宇野さん、ヤラハタですか?
そして、立命館大学に入学し関西に移住。大学に入った宇野さんはサークルの自己紹介名簿を見るのが趣味となり、サークル内での「立ち位置」や「キャラ設定」について考察するようになります。おそらくは自慢のコミュニケーションスキルを生かしてサークル貴族となり、カーストの下位にいる人間(宇野さんによると「毎日辛いけどサークル抜けると友達がいなくなるから抜けられない人間」)を苛め抜いていたんじゃないでしょうか。
そして在学中、おそらく三年生か四年生の頃に「善良な市民」というハンドルネームで2002年1月に「惑星開発委員会」というウェブサイトを開設します。それまでのテキストサイト(単なる日常を痛々しいほどの過剰な修飾で必死に面白話に仕立て上げようとするサイト)に違和感を持っていた宇野さんは一人ではなく友人を誘って複数人で運営。
主なコンテンツはアニメ・漫画作品を複数人でレビューする「クロスレビュー」、90年代のサブカル文化人や事件を考察を加えて紹介する「惑星開発大辞典」、宇野さんが出会った痛いオタクを面白おかしく描くエッセイ「善良な市民のオタク黒歴史」などです。
複数人で運営していること、宇野さんの広範なサブカルチャーへの知識、ひたすら萌えオタを攻撃する芸風、まったく洗練されてないごちゃごちゃしたサイトデザインなどで話題になります。
特に萌えオタへの強烈な煽りは当時のオタクたちを刺激し、某掲示板でスレッドが立ち「萌えオタは現実逃避してるのか?」と論争が巻き起こるほどでした(当の宇野さんは萌えオタ批判は「過剰な方が面白いからエンターテイメントでやってる」と掲示板でネタバラシしていました)。
しかし、おそらくは就職でメンバーのプライベートが忙しくなり、クロスレビューを更新することが難しくなります。また、萌えオタ批判がマンネリ化し、一本調子になってしまい、読者にも飽きられ始めてしまいました。そうして宇野さんは更新への意欲を失っていき、更新を止めてしまいます。活動停止、実質の閉鎖です。最終更新は2003年4月になっています。
続き
性関連の話題は議論になりやすいが、これは他人の性欲は理解しがたいからなのだと思う。
30代半ばに差し掛かろうという自分も小学校高学年からずっと自分の性欲の強さに困っている。
よく無理やりなパンチラを狙いにいったり、「うっかり」身体に触れてしまったりということがあった。
恐らく気付かれていたであろう。
オナニーを覚えた。リビングに当時あった家族共用のパソコンでエロサイトを見るために、
毎晩家族の誰よりも遅く起きていた。寝るのは平均で3時頃だろう。
エロ関連の問題行動もたくさんした、同年代の女子に迷惑をかける方向性ではないが、
何らかのお店の人や親、先生には迷惑のかけることが多々あった。
逆に今思えばあれだけ理性の働かなかった自分が、なぜレイプとかをしなかったかは分からない。
何回しても足りなかったが、自分の部屋で早い時間から出来る分、1時2時くらいには寝れるようになった。
彼女も出来た。毎日2回ずつした。3回目は絶対にしてくれなかったが、ようやく満足出来た気がした。
今思うと毎日2回もして3回目となると痛かったのかもしれない。
この時期には彼女とも別れていた。いつの間にかオナニーしかしない生活になり、予備校には行かなくなった。
もちろん勉強もしなくなった。
とりあえず入れたところへ行った。やはりオナニーしかしなかった。
1人暮らしのため、朝起きて一発抜いて、というのがしやすくなった。
当然大学へは行かない。
3回留年したが、ネトゲで知り合った子とテレフォンセックスをすることを覚え、
さらに自信もつき、またネトゲで知り合った別の子と実際に会って何回かセックスした。
ブスではあったがさらに自信がつき、大学院進学を決意。もはや学業に不安はなかった。
セフレもめんどくさくなって放流した。
さすがにこの時期には性欲のコントロールが自身の課題であることには気付いていたので、
なんとかオナニーを夜だけにするよう1か月ほど自制していたら、その時期の間に彼女が出来た。
そこからは毎日セックスをし、朝フェラをしてもらってから研究室へ行き、何とか卒業研究を完成させた。
毎日3回はセックスをしていたため、自信に満ち溢れた研究をすることが出来、遅れは十分に取り戻せた。
そのまま地元で教員になった。5年研も終えたが、その期間彼女が途切れた時期は無い。
中学校で教員をしているためか、生徒に猛烈に欲情するような場面は無い。
しかし、自分の性欲を信頼しきれないので、彼女が途切れたらヤバイんじゃないかという思いは常にある。
同期に手を出したことはある。
教訓
俺22歳大学生2年生(浪人留年察してくれ!)、16歳の女の子にめちゃくちゃ好かれる!
正直下心あった俺びっくり仰天!
俺童貞非モテの謳歌、可愛さに惹きつけられあがりまくるテンション!
それでも俺は大人!彼女は子供!真剣交際といえども運悪けりゃ御用!
有耶無耶に使用とする俺!それでも彼女、必死にアタック!健気にアタック!俺完全に撃沈!
付き合うにつれ見えてくる彼女の闇!
男に捨てられリスカアムカODいっぱいや!まともな恋愛俺が初めてだってよ良かったな!
それでも俺はお前を愛してるぜ、初めて俺を好きになってくれた女性!無碍にできるわけなし!普通の恋人として付き合うぜ!
お前とあえて良かったぜ!サイコー!
セックスしたいが彼女が18になるまで我慢!(できるかはわからん!)
LINEも反応しなくなって
どうしたんだろってずっと頭が彼女のことでいっぱいだった
次の日彼女の親御さんが現れてこう言った「ありがとうございました。申し訳ありません」
何を謝るんだよ、何もしてねえのに。これからだろうがよ
なんで自殺なんてしたんだよ
ふざけんなよ。あんなに楽しそうだったじゃねえかよ、結婚しようって言ったじゃねえかよ
ふざけんなよ。毎晩お前のこと考えてるよ。なんでなんだよ
割と簡単に死にたくなる。
最初に死にたくなったのは親が死ぬのを想像したときで、その次が部活をやめたくなったとき。友達から仲間外れにされるようになったとき、受験が不安だったとき、両親が喧嘩してるのを見たとき、母が死んだとき、受験に失敗したとき、浪人してるとき、卒論が上手くいかないとき。死にたくなった。
みんなで遊んだ帰り道、すごく楽しかった日の夜布団に入ったとき、燃える夕焼けを見たとき、夜中一人でキッチンに立つとき、死にたいな、とふと思い出したように考える。
悲しいとき、死ぬなら劇的に死にたいな、と思う。たとえば交通事故に遭う、通り魔に刺される。小さい頃はよく、家出中にそのまま死んでしまって後から発見されるっていうのを想像していた。
そうでないときは、今この場で消えてしまいたいな、というくらいの気持ちで死にたい。もしくは、寝ている間に死んでしまって、いつまでも起きてこない私を心配した家族が私が死んでいるのを見つける。
私の死をみんなが悲しむ。私がいなくなって初めて、どんなに私が大切な存在だったか、どんなに良い子だったか、気がつく。死んだ私の前で私に生き返ってくれるように望む。目覚めない私を前に泣く。
「死にたい」とGoogleの検索窓に書いてみる。いのちの相談窓口を紹介される。それを無視してYahoo!知恵袋や教えて!gooの書き込みを見る。眺める。読みはしない。
うつ病診断や不安障害診断のチェックリストやテストを受けてみる。重度の結果が出る。病院への診断を勧められるけれど、病院へは行かない。
私はうつ病や不安障害なのかもしれないけれど、病院へ行けばそうではないと言われるかもしれないし、これはただの性格の問題や一時的な気持ちの落ち込みなのかもしれない。あなたは正常ですよと言われるのが怖い。うつ病や不安障害の人は自分を健康だと思っていて、うつ病や不安障害の診断が下されることが怖いらしい。だから私はきっと健康なんだろう。だから病院へは行かない。Googleでもう一度「死にたい」と検索する。
別に死んでしまいたいわけではないし、やりたいこともたくさんあるような気がするから長生きしたい。けれど先のことを考えると不安になってしまうし、失っていく若さのことを考えると未来が怖い。
楽しそうな友達が分からない。理解できない。なぜ彼らは不安なんて何もなさそうに毎日を過ごしていられるのだろう。でもきっと言わないだけで何か抱えているものは誰にでもあるんだろう。それでも私とは見えている世界が違うように感じる。他人のことが分からなくて怖い。
Twitterは見られない。
きっとただ考えることが面倒くさいだけで、ただ明日学校から帰ってきたら何をするかってことしか考えていない小学生時代に戻りたいと思っているだけなんだと思う。それが死にたい気持ちの正体なんだと思う。
本当は明日何がしたいかってことだけ考えていれば毎日は楽しくて十分なのに、考えることに慣れすぎてしまって、多くを望みすぎるようになってしまった。
センター試験終わりました。
浪人ということもあり緊張と手の震えが止まらなくて、さらに後ろの席の人の紙をめくる音がうるさくて試験中の記憶がほとんど無いです。泣きながらマークしました。
終わったって思ったけど8割は死守できました。目標の9割にいけなかったしきっとギリギリだけど、自分が勉強してきたことが無駄になっていなくて安心した。ちゃんと勉強してたらパニック状態でも解けるんだ、ちゃんと身についてるんだなって思えました。二次も頑張りたいと思います。受験生の皆さんあと少し頑張りましょう!
もっと早くから勉強始めてりゃ良かったって思うが半年前は卒業後の何にも追われない安寧に縋ってたからさ、もうそんなに強い後悔すら湧かなくて
このループから助けて出してくれないか なあ 死んだらいいのかな
あと1ヶ月、短いようで何もしないをするには長い1ヶ月
こうしてる今もやることやる範囲やる教材は揃っているのに何も手に付かないんだ
机に向かっても何も手に付かない 集中できない
ずっとずっとそうだった
薬でも飲めば手が動かせたんだろうか 病院に行ってカウンセリングを受けたらなにか変わったんだろうか
真面目系クズもここまで来ると完治できないだろうな
どこかであと1ヶ月ありゃなんとかなるっていまだに思ってるんだ
何度も留年してやっとのことで卒業してそしたらまた落ちて次につながらなくて浪人してる
来年は自分が新しいステージに立っていることを親戚も同僚も誰しもが当たり前のように思っているんだ
頭の片隅の余裕とは裏腹に落ちたあとのことしか考えられなくなってる
今までなんとなく生きてきた。
なんとなくでもそれなりにこなすのは得意だった。
ただ、それなりにこなすことができれば満足して、それ以上の努力はしてこなかった。
漫画だと一夜漬けのシーンは数コマで終わるのに、学生時代に真似したところで一夜漬けを始めて1時間で眠りこけてた。
昔から将来の夢を見つけることもできなかった。
ただ、なんとなく生きていた。
この頃から目立ちたがりだった気がする。
テストの点数は右肩下がりだったが、問題のあるレベルじゃなかった。別に焦りもしなかった。
そこには確かな夢を持った同級生がたくさんいた。
きっと自分も高校の3年間でやりたいことを見つけられるんだと信じていた。
3年間で彼女がいた時期もあった。自覚は無かったけど、所謂青春がそこにあったんだと思う。
ただ、将来の話題になると、具体的には何も思い浮かばなかった。
卒業前に題材自由のミニ卒論を完成させなければいけないんだけれども、題材を考える時間が一番長かった。
大して時間もかけずに、陳腐な内容で適当にお茶を濁して終わらせた記憶が残ってる。
学科柄、就職を進路に決めている人が多い中、なんとなく進学を決めた。
成績も優秀では無く中の下に成り下がっていたので、推薦入試も使えなかった。
やりたい事がみつからないからこそ、少しでも有名な大学に進学しなければと考えていた。
そんな後ろ向きな目標で必死に勉強することも出来ず、受験勉強もなんとなくだった。
一般受験をする生徒は珍しいので、同級生や先生は応援してくれた。
現役時代ですらまともに勉強できないのに、浪人が出来るとは思えなかった。そのまま第二希望で1ランク下の大学に入学した。
就職した同級生は皆輝いていた。何とかして自分も輝きたくて焦った。
でも、何となくで入った心理学科の授業はまったく面白くなかった。興味も持てなかった。
時間だけは沢山ある中、ネットゲームに実装されたばかりの対人コンテンツでランキングに入ることが出来た。
ゲームのフレンドからは賞賛された、知らないプレイヤーに声をなんどもかけられた。
そしてなにより、自分の名前がランキングボードに載っている事が最高だった。
ただ、それも長くは続かなかった。
コンテンツの人口が増え、コミュニティや戦い方が成熟し、要求されるスキルが上昇していくのについていく事が出来なかった。
声をかけられることもパタンとなくなり、かといって追いつこうと練習することもなかった。
ランキング上位への熱意も冷め切って気づいた頃には、単位の全く取れてない留年確定の大学生がそこにいるだけだった。
留年して通学する貯金もなく、そもそも心理学への興味が一切なかったので大学は中退した。
兎に角働かなければ食っていけない状況に追い込まれて、SIerに就職した。
面接で「君と是非働きたい」なんて言われて浮かれたけど、今思えば誰にでも同じことを言ってるに決まってる。
最初に配属された現場はプログラミングのプの時も無い倉庫整理だった。
中高と体育会系の部活に所属していたので、上下関係には慣れてたし、挨拶や体力に問題はなかった。
「直接雇いたいから連絡をくれ」と言われたが、22歳の自分にはこれからずっと倉庫整理で食っていくなんて考えられなかった。
何と言えばいいのか、変なプライドがあったんだと思う。
小中高と目立ちたがりだった自分がそんな誰にでも出来る仕事をこなして爺ちゃんになるなんて考えたくもなかった。
プログラミングのプくらいはあるかもしれないが、
メインはExcelに書いてあるように操作して、PASSかFALSEをつけていくだけだ。
これもそれなりにこなすだけだったけど、最初の倉庫整理よりかは給料がよかった。
今まで買えなかった漫画、ゲームを買える経済的余裕もでてきて、
毎月の給料で今まで金銭的理由で楽しめなかったコンテンツを味わって2年が経った。
ゲームも漫画も楽しいけど、仕事は相変わらずそれなりにこなすだけだった。
といっても特段業務内容に変化は無かった。
このまま何となく勤続年数に応じて給料が上がっていき、何となく生きていくんだろうかと不安になったし、まあそれでもいいかと思うようになっていた。
けど、変わった。
年末、山手線の高輪ゲートウェイ駅開通のテレビCMを見たときに急に何かに気づいたような感覚に襲われた。
「あ、これがやりたいことだ」と感じた。
これ、というのが簡潔にいうと「自分が関わったのがわかる形で"何か"を作り、残したい」だった。
言い換えれば、自分の存在を認めてもらいたい、つまりは承認欲求が溜まりに溜まったものなんだろうか。
昔から目立ちたがり屋だった事、ネトゲでランキングに名前を残すことに躍起になっていたことからも、人より承認欲求が特に高いのかもしれない。
"何か"は別に高輪ゲートウェイ駅みたいに実体である必要もない。
なるべく多くの人にこれは自分が作ったんだといって見てもらいたい。
具体的ではないけど、夢に近いものをテレビCMを見て気づいた。
義務教育にプログラミングのカリキュラムが導入されているこの時代、スタートは遅いけど、まだ諦めるには早いのかもしれない。そう思った。
どうすれば「"何か"を作る事」に近づくことができるかを考えて、開発側の業務に移れるようPythonの勉強を始めた。
Progateでチュートリアルやった後に何に手を付ければわからなくて、既に壁にぶつかってる。
特にスキルも身につけずアラサーを迎えたITエンジニアだけど、この気持ちを言語化してみたくて書いた。
やりたい事が見つかったからなのか、敬遠していたFaceBookを見ることができた。
文化祭で映像を作ってた友人はYoutuberになってたし、高校卒業前に惚れてた笑顔が素敵な女の子は舞台俳優になってた。