はてなキーワード: 毎日動画とは
YouTubeで売上あげようとすると、毎日見る人が限られていても毎日動画アップロードしないといけない。
ブログのときはまだ1時間でアウトプットできていたが、動画になると編集により時間がかかるようになるし、
クリエイター枠ということになっているが、既存のものと全く異なった物が出せるわけじゃない。
シェアリングエコノミーも自由な仕事ともてはやされていて、経済産業省なども新しい働き方として検討しているが、
企業が責任を負わなくていいというのが新しいだけであって、IPOした時点で売り抜けるか勝負になっている。
書籍の「アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した」というのはよくわかる。
nanapiが今月末でサービスを終了することが発表された。【重要】暮らしの情報サイトnanapi 更新停止のお知らせ | nanapi [ナナピ]
nanapiは何かと検索するとヒットすることも多く、日常生活におけるためになる情報を発信してきたが、ついに更新を
終了し、ページ自体はアーカイブとして残すという決断をしたのだそうだ。
ここ数年、無料で提供されてきたニュースサイトやウェブサービスの有料化や終了が相次いでいる。記憶に新しいのは
ジオシティーズだろうか。過去にはInfoseek Iswebや、フリーティケットシアター、そしてプロバイダ系では@niftyが
接続会員向けに提供してきた@homepageなどが存在していたが、いずれも閉鎖してしまい、現在1990年代~2000年代の
貴重な個人サイトを再び見ることはほとんどできなくなってしまった。
閉鎖の理由は昨今では必須とされるhttps通信にどうしても対応できないとか、既に利用者も減っておりこのまま継続
する必要が無いと判断されたなどいろいろな理由が考えられるが、ここ数年で一気に普及してしまい終了につながる
ことにもなりかねない問題が出てきた。コンテンツブロック(いわゆる広告ブロック)機能の定着である。
コンテンツブロック機能は、過去から一部のユーザーにとっては当たり前のように利用されてきたが、hostsを書き換
える方法や、その機能を搭載したブラウザを導入し設定をしてようやく使えるようなものが多かったため、2013年あたり
までは大きな問題にはならなかったのだろうと思う。しかし2014年、続けて2015年に転機が訪れた。
2014年の「uBlock(現在はuBlock Origin)」と、2015年のiOS9で搭載された「コンテンツブロッカー」の登場である。
それ以前は、NoScriptやAdblock PlusがPCでは主流のコンテンツブロックソフトとして使用されてきたが、上記ソフト
と比べてしまうと洗練されておらず、使いこなすにはそれなりの知識が必要とされた。uBlockはメニューから1クリック
するだけで特定のコンテンツを許可または無効化したり、フィルターの強度を調節したり設定をすることが非常に容易に
できるようになった。元々、増田はFirefoxのビルトイン画像無効化機能とNoScriptを使うユーザーであったが、2014年に
はいわゆる口コミでuBlockの存在を知り、インストールをした。NoScriptとは違う、インストールするだけであらゆるコ
ンテンツが表示されなくなることに衝撃を受け、当時はまだ使用回線がADSLで遅かったのもあり、それ以来使用するよう
になる。光回線になってからしばらく使用を辞めたが、あまりの広告の多さにあっけらかんとなってしまい、もはや中毒
だなと思いつつもコンテンツブロックは使い続けることになってしまった。
iOS9は既にご存知と思うが、解説すると、コンテンツブロック機能が入ったアプリを導入して有効化することにより、
ページを読み込む際にコンテンツをブロックする機能だ。無料または有料で提供されているアプリをインストールしなけ
れば使うことができない。しかし、これもまた、今までの同じような機能よりも格段に洗練され使いやすい。日本人にお
けるiPhoneの普及率がそれなりに高いことも相まって、また2015年にはすでにスクロールに追従して表示される広告や、
ページの閲覧を妨げるような広告が非難されていたこともあり、一気に普及した。
しかし、コンテンツブロックが普及したことによって無料で提供されていたサービスが終了したり、有料化をすることに
増田もウェブサイトを作って運営していたことがあり、現在でもその一部は続いているが、無料サービスが終了すること
によって提供し続けるにはそれなりの資金を必要とするため、広告を掲載している。しかし、毎週欠かさず更新をしてい
ても、閲覧数が増えるのと広告収入が増えるのは比例しなくなっており、全盛期には1日2,000円ほどあった運営収入は、
現在では多くて1日に500円程度、酷いと100円を下回っている状態となってしまっている。サイトへの訪問者数は増えて
いるのに、広告による収入が増えない、これではサーバーの増強をしようとすると自費で賄わなければならず、何度かは
増強したが、これ以上増強をすると赤字となってしまう。そんな状況になってしまったのだ。このままではサイトを閉鎖
するか、身を削ってでも維持するかを選択させられそうな状態になってしまった。nanapiでは、個人が運営するサイトと
は違い、多くのライターを雇って記事を増やし続けたため、ライターに払える分の収入がほとんど広告から得られなく
なったとして今回の更新終了という結論に至ったと考えても不思議ではないだろう。実際に理由は書かれていないため憶
測にすぎないが、実際ライター単価は上昇傾向にあり、今後そのようなビジネススタイルで運営されているサービスは同
じような末路を迎えるようになるのではないだろうか。
ご存知の方も多いと思うが、アットウィキが今年になってから、コンテンツブロック機能を利用してサイトを閲覧した際
に「広告ブロック禁止」と表示するようになった。アットウィキには元々アットページズという無料ウェブホスティング
サービスがあったが、2018年02月末で閉鎖してしまっている。減り続ける広告収入の中苦渋の決断でブロックしている
ユーザーに対してメッセージを発信するようになったが、すぐに回避方法が発見されてほとんど意味を成さなくなって
しまった。どれだけ難読化しようとしてもページの内部を見られるJavaScriptで実装している機能のため、すぐに回避手
段ができてしまう。元々無料で見ることができていたニュースサイトのほとんどの記事も、現在では月額制サービスに
移行してしまい読むことができないものも増えてしまった。月額制サービスというのは継続的に利用するのであれば払う
価値があるとは思うのだが、たまたま検索して見つけた記事を読むために払うというのに月額制サービスしか存在しない
のはどうかと思う。ログインせずに一定期間はその記事だけ1記事分の料金を支払えば見られるみたいなサービスのほうが
使用されるのではないかと思うが、まだそういったシステムを実装するのは難しいようだ。Google Contributorというも
のが海外では展開されているが、日本ではまだ展開されていない Google Contributorが利用できる国 そのため、現在では
コンテンツブロックをした人からも収入を得る方法が、サイト自体への寄付か、有料化という選択肢しなくなってきて
しまっており、今後もコンテンツブロック利用者が増えれば、もはや無料で提供してきたものは終了せざるを得なくなる
だろう。アフィリエイト収入という手もあるが、しつこいくらいにAmazon等への商品リンクを載せるサイトにはすでに
嫌悪感を抱く人も多いように思う。noteという日記の続きを有料化するサイトもあるが、そういったプラットフォームに
は頼りたくない人も多いだろう。既にウェブサイトを収益化して維持するという手法は通用しなくなっているのではない
だろうか。
YouTubeは動画を共有するサイトだったが、現在ではYouTuberと呼ばれる人が低品質なテレビ番組のようなものを投稿する
ことによってかなりの収益を得る方も出てきたようだ。残念ながら、増田はYouTuberを嫌いというよりは、あの手の安っ
ぽいテキストの後ろで人間が踊るような動画はあまり好きではない。vTuberは新しい文化に思えたが、既に引退者もかな
り出てきているようだ。ほとんど毎日動画を撮影してテロップ等を付けてアップロードするといったような作業は普通の
人間が続けるのは大変だと思う。検索するとYouTuberブームも相まって大量の必要ない動画が出てくるため、ほとんどYou
Tubeの検索機能は使用しなくなってしまった。Google検索にもいえることだが、あまりにも公式ではないウェブサイトが
ヒットしすぎではないだろうか。YouTubeはこれからも批判を受けつつも動画共有サイトとしては最大手なので続くと思わ
ウェブサイト運営での収入には大した期待をしない、もう続ける必要が無いと感じれば見てくれている方がサイト運営者
なら閉鎖をしてしまってもいいと思う。個人サイトでも有名なサイトであれば閉鎖理由を諸事情とかじゃなくて収入が
得られなくなったとでも書いて閉鎖すれば多少の影響力はあるだろうか?などと考えてしまう。Google Chromeはこれから
コンテンツブロックの制限を厳しくし、サイト改竄的なコンテンツブロック機能を使用できなくする予定のようだ。
これからどうなるかはわからないことだらけだが、ウェブコンテンツは完全無料ではない。そのことを日記を見て感じて
いただければと思う。
いつも人から情報を与えてもらってばかりで、自分では何かを調べたりしようとはしない
私は数年前からとあるK-POPアイドルグループAを推している。
もともとは2次元界隈のオタクで、K-POPアイドルどころか3次元界隈には何の興味もなかったのだが
たまたまTLに流れてきたMVを見て、それから気付くと毎日動画サイトでMVを再生したりするようになっていた。
もともと持っていたTwitterのアカウントでマメに動画へのURLを貼り
Aにまつわる覚えたてのエピソードを紹介し続けたりしていたら、
とある相互フォロワーBが興味を持ってくれるようになり、いつのまにか日本でのイベントやコンサートなんかに一緒に行く関係になった。
特定のメンバー単推しというより、箱推しに近いスタンスだったところ
年齢、そして何より推し活動をする上での金銭感覚が近かったのが
急速に仲良くなっていった上でのポイントだったと思う。
そのうち、せっかくなら韓国でのコンサートにも行ってみたいと思うようになり
お互い初めての韓国、二人とも韓国語はおろか英語もおぼつかない中、
ホテルを予約し、会場までの行き方を調べるなど大変なことは多かった。
しかしそれにもまして何とか韓国まで推しを見にこれた、やればできるものだという達成感はすさまじく
それでも遠征で同じホテルに泊まる、コンサート以外の時間に観光やショッピングなども一緒にする
となると、ある程度金銭感覚だったり、時間の使い方、推し活動以外の部分での
価値観も合うと分かっていないと、なかなかずっと一緒にはいられない。
そういった部分は本当にBとは合ったのだ。
ただ気になったのはBが全然自分では調べず、分からないことや難しいことは
私が調べるのを待っていることが多いということだ。
外国人には入りづらいイベントにはどうやって参加するのかになってくると
ある程度、言語の壁が立ちはだかってくる。
推しグループについてだって、韓国語ができる先輩ファンたちが日本語で情報を流してくれるとはいえ
それでも情報の鮮度だったり、ちょっとマニアックな情報を求めようとすると
日本語に訳された二次情報ではなく韓国語で書かれた一次情報を参照するということが必要になってくる。
私も韓国語が分からないなり、少しづづ勉強しならが辞書アプリや翻訳アプリを利用しつつ
そういった韓国語での情報収集というのがだんだんとできるようになっていった。
どのホテルにしようか、どんなお店でご飯食べようか、遠征計画で悩んだときに私も調べてみるね、とは言ってくれるのだが
結局調べないで私が調べてきた情報を見て、そこに泊まろう、そのお店に行こう、ということになる。
twitterでも私や先輩ファンが日本語に訳した情報をRTして感想を書くだけだ。
韓国語しか通じないホテルやお店でチェックインや食事を注文するのもいつも私だ。
Bも同じタイミングで韓国語を勉強し始めたはずで、まったく韓国語ができないというわけではなく
注文くらいだったらできるはずなのに。
それに私だって毎回聞き取れなかったり伝わらなかったらどうしようって
つっかえつっかえしながらお店の人とコミュニケーションをとっているのを目の前で見ているはずなのに。
しかしやろうとしない、いつも私にやってもらっちゃってごめんね、と言いつつ
推しグループは好きだし韓国旅行も好きだが、自分で他言語を熱心に学んでまで、時間を割いて色々調べてまで
私とBのオタクとしてのスタンスの違いと言ったらそれまでなのかもしれない。
Bと推しグループについて語り合ったり、一緒に可愛くておいしいものを食べてはしゃぐ時間は本当に楽しい。
しかしその一方で、情報を与える側と与えられる側、その役割があまりに固定化しすぎてしまい
そしてBはオタクとしての向上心にかけるのでは…とつい下に見てしまう自分もいる。
あまりに一緒に長くいすぎてしまっただけなのか。少し離れてみれば関係も変わるのだろうか。
中身もなにもタイトル通りなのだが、最近再生回数を気にするのがつかれた。再生回数だけではない、アクティブユーザー数、イベント参加人数、累計イベントポイント、イベントランキング、ファンクラブ登録者数、等々。ありとあらゆる数字と向き合うとこに疲れた。私は疲弊している。何故こんなに数字に追い立てられなければならないのか。それは私がなかなか数字の出ないコンテンツを応援しているからである。女性向けアイドル育成ソシャゲの比較的人気のないキャラクター、なかなか表に出してもらえないジャニーズアイドル、なかなか数字のでないジャニーズJr.。私の好きなもの全て、「もっと数字が出れば」と言われている。私はそれがすごく辛い。
そもそも私は性格上ルーチンワークがとことん苦手である。毎日カバンを変えるし、毎日異なる系統の服を来て、毎日違う業務になるように調整して生活し、毎日違う道で帰り、毎日違うアニメを見て寝る。そういう性格の私が毎日同じゲームにログインして、毎日同じ動画を再生して毎日同じようにアイドルを好きと言い続けるのは到底無理な話である。だけど数字を求める人たちはそれをよしとしてくれない。毎日ログインしないと所属チームからは外され、ゲーム内アイテムや経験値がたまらず永遠に弱いまま。毎日動画を再生しないと怠慢と言われ毎日同じアイドルの話をしないとリムられる。そういうところでオタクをしている。あまりの性のあわなさにそろそろ疲弊してきた。
数字が全てという社会の仕組みは単純でよくできているとは思う。しかしまぁまぁ生きてきた人生の中で数字の多いものに惹かれたことがない私には数字が全てと言われる社会はどうにも納得できずにはいる。もう何もかもめんどくさいので固有名詞を出すけど、私にはあんスタとキンプリとSixTONESは1ミリも心の琴線に触れないのでコレが数字を獲得してそのジャンルの代表のように捉えられると????????となってしますのだ。まったくわからないので。しかし数字によってある種市民権のようなものを得たコンテンツはでかい顔してでかい顔してる。数字がとれているので。そして数字がとれていないコンテンツのファンは「数字を詰めば同じ扱いをしてもらえる」と思う。だから数字に固執する。数字のとれるコンテンツこそ優で数字のとれないモノは劣なのか。私は自分の好きなもののみが優でそれ以外は無なので何も思わないけど。その世間の事実と自分の価値観がグワングワンにズレて、あまつさえ数字を取ろうとしない私を遠回しに批判されるようなことになれば私は疲れてしまう。私のエリアに入ってこないで、と。
自分の価値観と世間の目がズレている。要はそういう話だ。でも、数字のとれないコンテンツそのものを劣あるいは弱と決めつけてほしくないなと私は思う。数字に関わろうとしないオタクも許容してほしいと思う。ファンならこうであるべき、ファンだからガンバロウは、多分違う。100人のファンがいれば100人の思念があるのだ。それでも、母数が大きくなれば大きくなるほど思念は大きくなり、多数派が相違のように収束する。でもさ、でもね?個が個である限りどれだけ大きくなろうと個の思念の集合体であることには変わらないと思うんだ。だから強要は良くないしそれが原因で仲違いするようなことがあっては良くないなとも思う。最近はそればっかりが心配になってしまう。
いろいろ書いたけど、数字を出すには数字が出るだけの理由があると思うし数字がとれるコンテンツを大々的に取り上げたいのもわかる。わたしも食べログ3.5以上の店しか行かないし。だから自分の好きな子たちも数字が取れるようなアイドルになってほしいとも思う。でもそのためにオタク同士でギスギスしないでとも思う。
なんだろうね、世の中みんなジャスティン・ビーバーに見つかれば良いんじゃないかな。
そんな予感がずっとしていた。
告知からずっとずっと楽しみにしていた。私は彼女が大好きだった。大阪公演も凄く楽しかった。泣いて笑って、今までで1番楽しくて、キラキラしてた。
でもひとつ、胸にひっかかる。
「歌い手」としての名前と、もうひとつ、「役者」としての名前を掲げた。
嬉しいより先に困惑した事を覚えている。当時の私はまだ高校生で、今よりももっともっと子供だったから、「どこへ向かうの?」と、単純に、残酷に、思った。
それから時間をかけて、彼女は「1度諦めた夢を追いかけようと決意した」と説明してくれた。彼女の演技に触れて、何より「演技が好き、楽しい」と苦悩しながらも笑う姿を見て、私も彼女の夢を応援しようと自然に思えた。
その姿には見覚えがあったからだ。
彼女は歌が好き、大好きと、本当に楽しそうに歌う。
なんだ、一緒じゃん。
そう思って、肩の力が抜けた。
そんな、大きいようで小さいようで、やっぱり大きな変化が起きた日からもう2年半も経っていた。
そして明日。
明日はその、もうひとつの、彼女が長年連れ添ってきた名前からの卒業かもしれない。
そう、思ってしまう。
伏線は幾つもあった。
大阪公演で披露したセットリスト、1度だけ顔を出したもうひとつの声、「夢」の話。
これから彼女の夢を叶える為には演技の名前へ移行した方が良いのではないか。実際そう思ってたし、その時はいずれ来ると覚悟していた。
していたはずなのに、いざ直面するとこんなにも寂しい。
頭ではわかっているのに、心はこんなにも弱くて、嫌になってしまいます。
ずっとずっと、笑っちゃうぐらいずっと、初めて会った日から毎日、毎日、毎日、好きだった。
歌う彼女に会って、毎日動画サイトへ行って、毎日何時間も生放送で彼女の声を聞いて、
動画があがると言われれば1時間も前からパソコンを立ち上げて、待って、イヤホンを耳に当てて、ドキドキしながら時計の針が進むのを待って、
好きだった。
好きだった。
なんか、ほんとに、好きだったんだなって、馬鹿みたいな言葉しか出てきません。
別の名前も彼女は歌う。だけど、出会った貴方としてのステージは最後かもしれない。
きっと、大事なことは何も変わらない。そう思うし、彼女を信じているけれど、今日だけはセンチメンタルに浸らせてください。
人間の感情は刹那的なもので、喉元を過ぎれば熱さは忘れるし、一年前の自分の感情なんて覚えていません。
あんなに彼女の事を好きだった人が、友人が、沢山の人が去っていく所を見てきました。
感情というのは本当に流動的で、掴めなくて、変化していきます。
ずっとずっと好きでいたいし、好きでいようと思っているけれど、未来のことなんて誰にもわかりません。
だから、書きました。
今、思ってることを、剥き出しの感情を、記憶できないなら記録しておきたい。
そんな中で、変わっていくけれど、大切なものは変わらないでいてくれる、彼女がいます。
「歌い手」という枷は私達が思っているよりずっと、大きいのかも知れません。
名前を変えること、それを聞いた彼女のファンは様々なことを言うでしょう。
数年前の私ですら、思ったから。
私には怖くて到底できない。
私の推しは本当に凄いことをしているのだなと思う。
いつまでも夢を追ってくれるのが、その姿を見せてくれるのが本当に本当に嬉しい。
そんな彼女にできる最大の恩返しは、彼女が帰って来れる場を作ることだと、思います。
満面の青のサイリウムの海の景色を、いつまでも、いつまでも見ていてほしい。
胸を張って夢を追ってほしい。
だから、どうか私は、
明日、何を言われても、笑っていてね。
運がいいことに、きっと明日の私は一番前で彼女を見ているから、彼女が私を見た時に、些細な「頑張れ」と「ありがとう」が伝わるように。
ちゃんと「終わり」をくれるのは、彼女がその名前を私達と同じぐらい、愛していてくれてた証拠なのかもしれません。
今まで本当にありがとう。本当に、本当に、沢山の思い出をありがとう。
一緒に、これからを見たい。
広がった道の続きを描けば鮮やかに、新しい夢の姿を照らした。
遠ざかった街の景色の眺めは晴れやかに、背中を押されて今走り出した。
渋谷の真ん中で、たくさんの人の、色々な想いが交錯するステージで、
ある日、映画を観るために目を開けることすらダルくて、でも何か面白い話を聞きたくて、手を出したのがホラゲ実況、
いろんな人を聞いてみて唯一長時間聞き続けられたのが、某アイドル実況者の動画だった。
毎日動画が楽しみになって、声を聞くだけで元気が出て、うわ私この人のこと好きだなって思った。
私は年齢的にニコニコ動画世代なので、「アイドル実況者」が褒め言葉でないことはよく知っているし、
この世代が、YouTuberや、YouTuber感の出てきた彼を冷ややかな目で見ていることもよくわかる。
動画のコメント欄もたまにちょっと荒れて、古参が「彼も人間です、ほんとの彼を知ってほしい」とか言って、古い生放送の録音のURLを貼ったりする。
私も、その生放送の録音は聞いたことがある。「某アイドル実況者に恋をした」とニコ動プレミアム会員歴10年の友人に伝えた際、彼を推すつもりなら聞いておけと教えられた。
たしかにその生放送からは、自分が過大評価されることというか、崇拝されることは嫌だ、自分はあくまで一般人で普通のゲーム実況者なんだ!みたいな気持ちが感じられる。
今も彼がそのスタンスであるなら、私は、大好きだからこそ、今すぐ恋なんてやめて純粋に応援するけれど、どうでしょうか、
「某アイドル実況者」だけでたぶん誰かわかると思うけれど、今の彼はそんな気持ちとは決別したように思えませんか。
動画やイベントの様子だけ見て勝手に妄想膨らませて理想の男像に当てはめてガチ恋する面倒な女も、うるさくて馬鹿でおもしれえやつという認識でチャンネル登録しているキッズも、みんなもはや金ヅルだと思われてるんじゃないですかね。
いや、もしかしたら本当にいい人で、金ヅルとまでは思ってないかもしれないけど、
何もかも引っくるめて全部「仕事」にしたんだなっていうのはすごく感じる。
アイドル実況者アイドル実況者って半ば馬鹿にされてきたけど、もう割り切ってそれを仕事にした、れっきとした「アイドル実況者」になったんだよなたぶん。
じゃなきゃ誰が武道館で歌歌えるんだよ。
あの放送のときと別人になったわけではないから、イケメンじゃなくてもいい普通の実況者でいたかった気持ちがもしかしたら本人にもあったかもしれない、だけど、もういい歳だし、割り切ったお仕事だから、全身全霊でノリノリでやってるんだと思う。
だから今は、画面の向こうの彼に恋することも、ひとつの応援の仕方として、許されてるんじゃないかな、だってアイドルだもん。
私たちはもうゲーム実況者の正しいリスナーの姿を必ずしも期待されてないんだなって少し悲しくなるけど、
私は馬鹿な女ファンとしてガチ恋して、誰より早く動画を視聴して高評価して、リプ送って、イベントに参加して、グッズを買って……応援するんですよ全力で。
※※この増田はただの自分語りです。この先生きのこるにはとかそういうのを真剣に話してるわけではないです※※
昨日のニコニコ動画(く)の発表会はまさに「良くなかった」。
仕事を持ち帰って家で発表会を楽しみにしていたが、発表終了後は結局なにも手につかなくなってしまった。虚無になって飯食って風呂に入って寝た。
一晩寝て若干落ち着いてきたので、いろいろ書いておく。
実は俺はまだニコニコ動画が好きだ。静画も好きだしニコ生も好きだし大百科も好きだ。
"おもしろFlash"を漁っていた時からアマチュアの作曲家みたいなのにハマりつつあって、muzieのランキングを眺めてたりしていた。
たくさんのユーザーが毎日動画を上げていた。有名Pが曲を上げるとmuzieの再生カウンターとは別次元のスピードで再生数が増えていくのを目の当たりにした。
MADもたくさん見た。ドナルドと兄貴は特に好んで見ていた♂。
そのうち自分も見る側でなく作る側になりたいと思うようになった。
初音ミク、MAD、.*ってみた、様々な動画を上げた。その過程で様々な技能を得た。
動画エンコードのコツやDAW/シーケンサの使い方はもちろん、カメラのライティングからフォトレタッチとかも独学で学んだ。相対音感も得たし若干の絶対フォント感も得た。秋葉原でパーツを買い漁って自作PCを作ったし、ヘッドホンアンプを設計してハンダ付けして、PCから出る音が良くなった。思えばCUIを使えるようになったのもこの時で、いつの間にか自宅サーバが建った。でもせっかく買った電子ピアノは結局弾けるようにはならなかったw
多くの動画が鳴かず飛ばずの3桁再生止まりだったが、1回だけ1万再生を越えた。ランキングに載った。数百のコメントが流れた。「うp主すごいなwwww」と流れた。ついに私も、「うp主」になったのだ!
当時ほど暇ではなくなってしまったが、それでも今もVOCALOID曲を漁るし、MADも見る。自分のうpした最新のミク曲はまた3桁で止まってしまったw
今もニコニコ動画がyoutubeと比較して優れているのは、もちろん動画の上にコメントが流れるとかもあるが、タグ検索(「前衛的けものフレンズ」をyoutubeで検索できるか?)、そして投稿者と視聴者の隔たりの少なさだ。気になるジャンルの動画を探して「自分もこれを作る側になりたい!」と思えるのは未だにニコニコ動画の方ではないか? 逆に劣っているのは…言うまでもないが通信インフラだ(とはいえHTML5導入前辺りと比べればエコノミーモードの画質に関してはかなり改善したといっていいと思う)。
俺はRC2がSP1になった直後辺りに会員登録したようなネット新参なので、ニコニコがyoutubeの動画をそのまま流してたような時とか、もっというとmixiが日本一のSNSだった時とか個人サイトでMIDIがアップロードされてた時とか、そういう時代を伝聞でしか知らないので古参の方々はまた別の意見があるかもしれない。
でも俺はまだニコニコ動画が好きだ。
全ての人間は創作欲を持って生まれてきた(クリプトン伊藤社長の言葉ですが)。その創作欲を刺激してくれたニコニコ動画には本当に感謝している。ニコニコ動画には、まだまだこれからも俺が好きでいられるようなニコニコ動画であってほしい。頼む~~~