はてなキーワード: 排泄物とは
俺のことをアナリストではなくただのスカトロだと思ってる増田もいるかもしれない。
断じてそれはない。アナルの原点はうんこにあると思っているだけだ。
排泄物とは尿のように一度体内に取り込まれた毒素などを体外に排出したもののことだ。
では、うんこは?消化管の中を、すなわち医学的には体外と定義されている部分を通ってくる。
必要なものを吸収されるだけ。いわば食べ物のカス。まあ、正確にはそれだけでもないんだが基本はカスだ。
だから俺はうんこを排泄物とはみなしていない。体外で精製された何か汚いものだ。
つまり、アナルは体の一部であるが、うんこは部外者。勝手に体の外で汚くなってアナルから排出されるもの。
ただのうんこだ。
しかし、世間一般にはうんこは体内から産み落とされると考えられているだろう。
生まれてからこれまでに植えつけられた恥ずかしいもの、恥ずかしい行為、これらを出す穴、する穴がアナルなのだ。
アナルからそのような羞恥の権化が出てくるところを見るのはたまらない。まさにアナルの究極形、いわゆる機能美だな。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事などをしていました。
彼女の部屋にはゲームやおもちゃも多く、私から見て彼女の家は裕福でした。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
そのほかにも、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、私はそれらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、ちょっと世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶交宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べていました。
体育の時間、ペアを組むとき、彼女はお願い、私を選んで!と泣きそうな目で私に訴えていました。
しかし他の子に誘われた私はその子とペアを組みました。彼女はそう言う時、たいてい私の前では何でもないという顔をしました。
彼女から一緒にやろうよと誘われる事はありませんでした。私はそれらの事がひそかに嫌でした。
私たちはこのとき、多くの時間をともにし、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、ほんとうに理解し、さらけ出し心から共感し合う事はなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「今は風景が綺麗なんだから、黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、Kを支配しているのは私、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
同時に、色んな人と話す事で病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
しかしKと話すと、いつもどこかでこの人は綺麗な言葉だけを並べているのだと思っていました。
ほんとうは、がんばっていない自分には価値がないと感じているのだと。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
彼女は今思えば寂しかったのでしょうか。彼女は自分がこんなにもがんばった、こんなにもうれしかった、
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
もしかしたら強迫症の一種なのかもしれない
デパートや自宅のような綺麗なトイレ以外だと吐き気が込み上げて止まらなくなる
だからトイレから出てくるといつも涙目だし、オエオエ言いながらトイレしてる
それでも排泄はしたいので耐えながらいると、ついに吐き気がMAXになる
最近じゃ自分の排泄物が流されて服を着るまでの残り香すらだめになった
ハンカチで何重にも鼻を抑えて口呼吸しても、口から汚い空気が入ると思うとまた吐き気が込み上げてくる
それで本能的に思いっきり(トイレの)空気を吸ってしまい、また吐き気がしてくる
職場の大学がエコ活動とかで下水を処理した中水をトイレに使っているのも原因だと思う
もうトイレが怖い
人類の歴史はアートの歴史である。われわれは、身体性を表現するためにさまざまな器材を使用するが、その一分野としてピス・ペインティングなどの排泄物を使う手法が注目されている[1]。しかし、排泄物の色彩的バリエーションが非常に限定的であるために表現の幅が限られるという問題が指摘されている[2]。一方、うんこは、通常、胆汁の色である黄土色であるが、赤ワインを飲むと緑色、牛乳をを飲むと白っぽいうんこが出ることが過去の経験から明らかにされている。そこで本研究では、適切な摂食活動によってこれら三色が層状に重なったうんこ三色旗の排泄を試みた。
【実験】午後六時にに農協牛乳(賞味期限14.11.12)をコップ一杯とり、30分経過後カップ焼きそばとポテトサラダの夕食をとった。午後七時より1時間かけて赤ワイン(ランブルスコ・ドルチェ)1本720mlをつまみなしで摂取した。翌日午前中に排泄された便を視認により確認した。
【結果】排泄された便は均一な暗緑色で、液体状であり、白色部分および黄土色部分は見当たらなかった。
【考察】消化器管内部の便の流れを押し出し流れと仮定すると、摂食した順番に白→黄土色→緑色の便が排出されるはずであるがそうならなかった。このことは、もっとも直径が大きい部分である胃臓において各色成分の混合が起こったためと考えられる。また、固形便を排泄することができなかったのも問題である。これは、牛乳の賞味期限が切れていたこと、および、ワインの量が多すぎたため下痢を起こしてしまったのが理由と考えられる。第二報では、各色成分の摂食間隔を十分開け、また牛乳および赤ワインの摂取量を調節することで、これらの問題点を抑制することを検討する。
俺の爺さんは酷い人だった。毎日酒ばっか飲んでいた。
そんなに酒に強いわけでもないが、日本酒を1日に1升飲むこともあったし、多い時で2升飲んでいた。
まあ、2升飲んだときは、排泄物垂れ流しで家の中が修羅場になるんだが。
仕事をサボって朝から飲むこともあったので、あまりシラフの時は見たことがない。
近所の道路でひっくり返って寝てる時もあった。死んでるのかと思った。
酒癖も悪い。家のガラスを素手で割る。もちろん手は血だらけ。
婆さんに殴られる。柱で頭を打つ。血だらけで倒れている。
家に帰ってきて倒れている爺さんを見ると、ああまた喧嘩したのか…と思っていた。
若い頃は博打に狂っていたそうだ。遠くまで行商に行って売り上げを競艇でスル。
突然バイク(カブ)を買った。競艇か何かで勝ったらしい。しかしそれも近所の人に博打のカタに取られ、3日ほどしか乗れなかったという。
酒場でヤクザに喧嘩を売ることもあったそうだ。言いがかりがすごい。
「お前ヤクザやと思ってえらっそうにしやがって!」いきなり関係ないヤクザにキレる。もちろんボコボコにされる。
挙げればきりがない。
本当に酷い爺さんだ。でも最近意外なことが分かってきた。
「俺はあんたところの爺さんに酒を教えてもらったんだ。俺の酒の師匠だ。」
意外と周囲の人たちからは慕われていたようだ。
あと、婆さんとは毎日のように文字通り血を見るような喧嘩をしていた。てっきり仲が悪いものだと思っていた。
爺さんは酒の飲み過ぎのせいかは分からんが、現在は寝たきりで動くことも飯食うことも話すこともできない。
老人ホームに入っている。
意外だったのは婆さんの行動だ。毎日見舞いに行っている。何があっても行く。
俺がいつ見舞いに行っても熱心に世話をしている。こんな献身的な人だったのかと婆さんを見直しつつも、そこまで愛されていた爺さんを羨ましくも思う。
酷い爺さんだったが、そういや小さいときから俺にだけはやさしかった気がする。
一緒に酒を飲みたかったが子供なのでそれほど飲めず、一口もらう程度だった。
大人になったら一緒にガブガブ飲もうと思っていた。
一度だけ、大人になってから爺さんの酒飲み友達が家にやってきた。
体が限界にきていた爺さんはほとんど飲まなくなっていたが、その日は飲みまくった。
俺も散々飲まされ、潰されてしまった。
でもそれが爺さんと飲んだ最初で最後だった。間もなく爺さんは医者に酒を禁止され、飲んだら明らかにヤバい状態になった。
まず、たんに家畜であるだけなら極めて苦痛に満ちた状態とまでは言えないと思う。加えて、下のような場合には問題の条件に当てはまると思う。
たとえば、自傷他害を防ぐためにそのように使われうる肉体の部分は取り除かれるか拘束され、狭い場所に詰め込まれ、排泄物は取り除かれない。
生まれてから死ぬまでの間そのような状態に置かれる生き物には自殺の如何を問うより先に自殺する能力がないのでは…衛生的にも病死の可能性がめっちゃ高そうだし…
何を主張したくて出した例なのかますますわからないんですけど。
「自殺」を上のように用いることは明示するなら何の問題もないと思う。
言ってることがよくわからない。具体的な例まで落とし込んでもらえないだろうか。
まず、たんに家畜であるだけなら極めて苦痛に満ちた状態とまでは言えないと思う。
加えて、下のような場合には、少なくとも人間の苦痛にかんしては問題の条件に当てはまると思う。
たとえば、自傷他害を防ぐためにそのように使われうる肉体の部分は取り除かれるか拘束され、狭い場所に詰め込まれ、排泄物は取り除かれない。
そして、すべての人間が生まれてから死ぬまでそのような状態で過ごす。
全体としてわからないのなら、「どう転んだって正当化なんかされない」という表現を修辞的に用いているか、
俺は、「どう転んだって」という表現を現実がどのような状態かにかかわらず、くらいに理解した。
「正当化」は、仮にある価値観や行動方針を受け入れるとしたら、
ある状況ではある行為がその価値観や行動方針に沿ったものになる、くらいの意味で理解している。
なぜ「仮に……としたら」とか面倒なことをするかと言うと、
ひととおり家事も終わって、少し遅い昼食をとった。
ランチを食べながらテレビで情報収集でもしようと思ったけど地方なので番組が少なく、ニュースもなかった。
仕方なくエセ情報番組であるミヤネ屋を見ていたが、ひどかった。
あれか?馬鹿な主婦はこんなくだらないものでも面白がって見るだろうという計算か?
こんなどうでも良いものを流して誰が得するの?
確かにSTAP細胞問題の会見の中継などは社会的な優先度が高いと思うので、テレビで流してくれたのは助かった。
でも、こんな地方のどうでも良い議員の会見とかなんで延々と流してるの?
高卒で二十歳で結婚出産して主婦やってる世間知らずの私ですらバカバカしいと思うぐらいだから、
はてなの自称インテリの人たちなら、もっとあほらしく感じるのではないか?
ガザ地区の状況やウクライナ情勢やアルゼンチンデフォルトの追加情報、企業の決算情報、などなど、知りたいことは山ほどあるのに、
なんで優先順位が今朝の排泄物以下の情報を延々と流しているの?
結局ランチを食べ終わったらそっこうでテレビを消してホッテントリ巡回の作業に戻った。
追記:
吐き出したらスッキリしてしばらく見てませんでした。
レスがついててびっくりです。
でも、はてなでもあまり同意してもらえなかったのは意外でした。
みなさん、こういうこと感じたことってないのですか?
ちなみに夫の収入が少ないのでCSやBSなどは契約してません。
子供の手が離れたら私も働く予定です。
つい最近、どこだったか忘れたけど、次のようなエントリを見た。
・だいたいみんな金、もしくは顔。金重視が多い
と言うような感じ。
では自分はどうか?と言えば、金は持ってるほうだと思う。
20代だけど貯金も1000万以上はあるし、フローもそれに見合った程度はある。
学生の頃から倹約好きだったので、生活費もそこまでかからない。
顔はどうかと言えば、そんなにイケメンではないのだと思うけど、もうこれは本当に普通程度。特筆すべきことも特にない。
上の基準でいったら女の子と普通に恋愛しててもおかしくない、はずだが生まれてこのかたまともに恋愛したことない。
大学時代に向こうから告白されて付き合った彼女は全く反りが合わずすぐ別れたし、その後は社会人で付き合った女性に一年弱で振られる。
なぜなのか。
考えてみた結果、やはり大人しくて真面目に見えすぎるのが原因。
こんなところに書いている時点で腹黒いだろ、って言われるの承知で書いてるけどさ。
自分から告白することはおろか、相手に好意を示すと言うことすら苦手で、何をしていてもいつも楽しめない。
自分はこの人を本当に好きなのか、付き合った結果、もし妊娠でもしたら責任はとれるのか、いずれ老いたとき、病気になったとき、この子の排泄物の世話まで含めてきちんとやっていけるのか?
色々なことが頭をよぎる。
真面目すぎるんだろうな、とは思う。
大人しいのも、考えが真面目すぎるのかもしれない。
自分から好きと言えないどころか、あえて嬉しかったよ、今日は楽しかったよ、が言えない。
不安ばかりで嬉しくないから。自分が楽しんでいても相手が楽しんでないかもしれないのが怖すぎるから。
これがまだ女性だったら、少しは声もかかったのかもしれないが、男性でこれは致命的。
そもそも付き合っても本当に色々考えてしまって、付き合った経験はあるけど、童貞。
相手に迫るみたいなことが本当にできないから困る。
もし金とそこそこの顔が条件なら、自分でもそこそこ良案件だと思うし、そりゃ他人の愛に触れてみたくもある。
「君のヴァギナはいつ見ても美しいね。どれ陰核を舐めてみようか」
「あんッ♥」
「こら、はしたない声は出すのではない。僕らは今とても清らかな行為をしようとしているんだ」
「小陰唇のあたりも広げてみよう。うむ尿道か。君はここから尿を排泄するのだね」
「はい…」
「それはよろしい。ではここで出してくれたまえ。ただの採尿だよ。厭らしいことではない」
「君の尿は一般的な女性より少し黄色いようだ。水分は十分に摂っているかね」
「まあよい。どれ少し飲んでみようか」
「そんな、汚いです」
「尿は雑菌なんていない。汚くはないんだよ」ゴクゴク…
「うむ。なかなかの味だ。タンパクもおりてないようだし君は健康だね。」
「どれ次は…、ほう、素晴らしい。もうバルトリン腺液が分泌しているではないか」
「それがアヌスのあたりまでたれてきている」
「どれアヌスも少し見てみようか」
「そこは…ほんとに恥ずかしいです」
「まあよいではないか。ところでここからは何がでるのだい?」
「そんなこと言えません…」
「よかった。苺が出るなどと言ったら僕は帰るところだったよ」
「で、何がでるんだい?」
「う、うんちです」
「うむ、大正解だ」
「ちなみにうんちは排泄物ではない。口から肛門までの消化管の中というのは体の外部だと考えられている」
「だから外部を通って排出されるもの、つまり君の体から出たものではないんだ。恥ずかしがることはないのだよ」
「でも恥ずかしいです…」
「聞き分けのない子だ」そう言いながらイチジク浣腸を取り出す。
「どうだい気分は」
「気持ちいいです」
「そうか、しばらくそうしていなさい。僕がいいと言うまで」
1時間後
「お願いです!おトイレに行かせて下さい!」
「ダメだ。まだ我慢するんだ」
「仕方のない奴だ。ではここでしなさい」
「ここでですか?」
「他にどこがあるというのだね。ここしかないだろう」
「さあ、食べようか」
「え…、た、食べるんですか!?」
「当たり前じゃないか。君が口から摂取したものだよ。それがアヌスからでてきただけのことじゃないか」ムシャムシャ
終わり
真意が相手にまったく伝わらないからです。
もう、この光景よくあるじゃないですか。
死んでもお前とセックスしたいと思うわけねーだろ、あほかてめぇ、みたいな奴がこういうこと聞いてきて、でもきっぱりやめてと言うと角が立つ上、冗談の分からない馬鹿扱いのレッテル貼られるから、きっぱり馬鹿か、と言いにくい状況。
かといって、質問の段階で「セックスしない」という選択肢は消されているという、無茶振り。
で、だから「お前とセックスすると言う前代未聞の苦行に耐える代償に釣り合う被拷問費用」として、「絶対に一生かかっても払えないくらいの金額」を提示するわけじゃないですか。
「お前とセックスするのは、私にとってとても金では解決できないほどの苦痛である」と示すわけですよ。
でもね、伝わらないんだ。
「こいつ、大した価値もない存在の癖に、自分の価値を高く見積もりすぎた、自惚れやめ!!」って、思いやがるんですよ、あいつらは。
自分がふっかけられているのは、自分とセックスするのが相手にとってそれだけ生理的に無理だから、とは絶対に考えない。
あいつが自惚れやの勘違いメンヘラなんだと、脳内ですりかえるんです。
だから、セクハラと同じで、角が立ってもはっきり言わないと駄目なんですよ。
「お前とのセックスは、犬の排泄物食べさせられるのと同類の大変苦痛なだけでしかない拷問で、その拷問を無理矢理させられるのではなく、積極的に引き受けなければならないとなると、これはもう大変な金額でないと精神的苦痛に見合いません。百億ぐらいでギリギリでしょうか」と、これくらいはせめてきっぱり言わないと駄目。
お前とのセックスは拷問だから、という事実から逃げ場を作らせない言い回しが必須なんです。
本当に面倒くさい質問だよ。
正確には、何かのきっかけですぐ思い出す事件。
2010年に起きた大阪の3歳と1歳の子供が、母親に自宅に閉じ込められ餓死した事件。
あまりにも衝撃的で、詳細を知る度どんどん気持ちが沈んでいった。
私は今10ヶ月の息子を育てている。
妊娠中に散々インターネットで検索し、ある程度覚悟をしたつもりで臨んだが
何もかも初めての出来事、目を離したらすぐに命が散ってしまいそうな存在を四六時中見ているというのは
「でも愛する息子の為に頑張れるよね」みたいな綺麗事で済まされないような精神状態に陥ることもある。
慢性的な睡眠不足や行動範囲もかなり拘束されるので息子というより自分との戦いでもあった。
なので、この母親の「育児を投げ出したくなる気持ち」はわからないでもない。
しかしあくまで「投げ出したくなる」であり、完全放棄したこの母親は許せない。
許せないというより憎んでいる。実際に見たことも話したこともないけど憎い。ただひたすら憎悪がわく。
お母さんが全てと言っても過言ではない年頃の子供を、餓死という拷問のような殺し方をしたこの母親が憎い。
私という存在は「母が私を産み、育児してくれた」という結果だ。
特に仲の良い家族というわけではなかった。それなりに荒れてた時期もあるが両親には感謝している。
子供が大嫌いな人がいたとして、それは共感はできないが理解はできる。
そういった人はそもそも子供を持つ選択をしないだろうし対策はするだろう。
彼女は2度も産んでいる。計画的なのか、できちゃったのか知らないが。
子供ができたときも、かわいいペットにかわいい洋服を着せて写真をとるような感覚で産んだのかもしれない(全てのできちゃった婚がそうだと言いたいわけではない)
たしかに憎くて殺したくて、ドアに目張りをして閉じ込めたんじゃないと思う。
巨大なゴミ箱を作り、そこに捨てて見えなくして「なくなった」つもりでいた。
1日、いや1食でも食事を抜いたらつらいなんてわかるはずだ。
夏に差し掛かった季節に換気もせず閉じこめたらどんなに苦しいかなんてわかるはずだ。
どんなにひどい事をされても、まだ小さな世界にすむ子供は親の愛情を信じたいんだよ。
一度は来てくれたお母さんの迎えを、小さな姉弟はまた期待しながら、ゆっくりと死に向かっていった。
自身が虐待されて育った、だから彼女も被害者だなんていうがそれは違う。
ゴミの中で排泄物にまみれ、暑さから逃れるために裸になる経験なんかしなかったはずだ。
ひたすら悲しい。この子たちは守ってくれる存在が誰一人いなかったという事実が。
こんなのは氷山の一角で、この事件と似たようなケースもゴロゴロしてるんだと思う。
どうやら書籍化や映画化もされてるみたいだが、別に見たいとも思わない。
この事件をはじめに聞いた時は、妊娠も、結婚すらしてなかったが、本当に強く強く心に残った。
旦那にこの事件を簡単に説明したが、普段は非常に気が強くてタフな旦那が涙ぐむのを初めて見てしまったので何も詳しい事は話せず。
むごい事件の感想を楽しげな出来事がタイムラインに踊っていたTwitterに書くのも気が引けたので、増田を利用させてもらった。
あまりに入れすぎたために漏れでてしまう排泄物、分泌物が読みたいんです。
絞りだしてるもの読んでも辛いだけです。絞りだしてるから、残量を気にしてしまう。残量が気になるから、効率とか求めてしまう。
アフィブロガーだろうが、nonアフィブロガーだろうが、目的のためにブログを書いてる連中には反吐が出る。
d.hatenaの狼勢の溢れるだけで誰も受け止めない娘。愛が好きだった。
各メンバー用の顔文字がキーワード登録されている事に気づいた日の衝撃ったら無かった。
キーワード論争が好きだった。
一般人が見ることを一切期待していない、はてなキーワードの裏側で静かな殴り合いが行われているのを眺めるのは、まるで北欧神話の闘争を見るようだった。
小説家が、文化人類学者が、ちまちまダイアリを更新し、基本的に素晴らしいのに時に素っ頓狂なことを言ってるのが好きだった。
筒井康隆万能説が好きだった。
お題目すら唱えられなくなって、いまはどうだ。