はてなキーワード: 排泄物とは
平成28年3月14日、特別養護老人ホームに入所していた認知症の叔母さん(父方)が亡くなりました。齢90歳。
叔母さんからみて、兄の子である私がひとりでこの叔母に関する全てを執り行ない、総額42,360円の支出のみで完璧に満足のできる葬儀が出来ました。
本日様々な手続きを含めて全てが終わったので記録として書いておきます。
もしかすると家族葬の費用をかけずに行いたい方には参考となるかも(?)しれません。
隣接した岐阜県に私は現在居住しています(実家には車で高速道を使って約2時間30分の距離)。
老人ホームに居たのは私の父の妹で、結婚はしていましたが旦那は既に他界、子供は居ませんでした。
旦那の両親も兄弟も他界して、その旦那の兄弟には子供が居る模様(不明)。
叔母の兄弟は3人。上から順に姉(他界)、私の父(他界)、叔母。他界した姉さんには女1人と男4人の子供がいます。叔母さんから見て、その5人は私と同じく姪とか甥にあたるわけですが、今も健在。 姪とか甥は全部で6人居てそのうち1人が私というわけです(私が最年少)。
叔母は旦那の他界後に体調を崩して富山県内の老人ホームに入所しましたが、その時に保証人となっていたのが私の父でした。
父の他界後は母が時々面会に行っていましたが、母は高齢で運転免許もないので、私が父の後を引き継ぐ形で叔母の保証人になっていました。
入所後は月に1回くらい母と私で施設に面会に行く程度。従兄弟や友人が面会に来たという話は施設の職員の方に聞いてもほぼ皆無。
そんな叔母さんが「食事を充分に摂れなくなった」と施設から連絡を受けたのが今月の初め。
施設に行くと、「食事が自分で摂れなくなったので"胃ろう"にしますか?それとも"点滴処置"を希望されますか?またはこのまま看取り介護に移行しますか?」と選択を迫られることに。
"胃ろう"なんて造っちゃったらまた数年生存してしまうかもしれません。それで元気になるのであればいいのですけど、既に認知症が悪化していて先はありません。点滴したとしても数週間生存が延びるだけです。施設の順番待ちの方も沢山いますし、これ以上税金が叔母さんに使われるのはかなり躊躇われます。
「看取り介護にしてください」と、迷わず伝えました。この時点で全て自分の責任と判断で進めることにします。
さて、ここで叔母さんの余命はあと2週間程度であろうと推測。そうなると近いうちに葬儀の準備が必要となります。
以前私の父が亡くなったときには普通に葬儀を行いましたので150万円ほどかかりましたが、叔母さんは長く施設に入っていましたし、面会者も私と母以外に全くいませんでしたから家族葬で充分です。なお、叔母さんは認知症でありながらも面会毎に「私が死んでも葬式は要らないからね」といつも言っていたのですけども。
まずはネットで検索してみます。業者を使うと直葬(火葬のみ)で10.8万円とかのプランもありましたが、叔母さんが以前から檀家であるお寺が存在していることを聞いていましたし、せめてそちらのお坊さんにお経だけは読んでもらおうと考えました。
(激安のプランって結局「霊安室別レンタル時間料金」とか、「搬送は10km以内でそれ以上は激割り増し料金」だとか、「エンゼルケアは完全別料金」とかどんどん高額にならざるを得ないシステムなので要注意です)
次にネット検索で棺を購入します。直葬セット6点セット(棺(折りたたみ式)、白布団、仏衣、骨壷6寸、骨箱、顔あて布)というものが送料込み27,600円。早速注文して実家に送ってもらいました。amazonでも18,000円とかで棺が売っていましたが(笑)、実家に大きな棺をそのまま何日も置いておくのも嫌でしたのでそちらの折りたたみ式のものを選択。
その後は私も普通に職場で仕事をしていましたが、「叔母さんが亡くなったら自分が喪主となる予定ですのでその時はすぐに休暇ください!」と職場ではアピールをしておきました。
そして、3月14日17時すぎ、施設から「亡くなられました」と電話がかかってきました。私のスイッチが入ります。
すぐに実家近くのレンタカー屋さんに電話し、ハイエースバンを予約。死亡から24時間は火葬することが出来ないため、その翌日17時ではすでに火葬場は時間外となります。ですので、火葬はさらに次の日になるはずだと判断して48時間借りることにしました。
車で帰宅途中にレンタカー屋さんに直行、実家に帰ったときはすでに21時を廻っていました。
借りたハイエースバンに届いていた棺一式を載せ、母と一緒に老人ホームに向かいます。
ところで、以前父が亡くなったときに家族の前で葬儀屋さんが身体を拭いたり仏衣を着せたりするのを私は見ていたのですが、当時その行為にものすごく違和感を感じていましたので、次に自分が執り行う葬儀の場合は全部自分ひとりでエンゼルケア(死後の処置・湯灌)や納棺を行おうと心に決めていました。
22時頃に施設に到着。職員の方に「私がエンゼルケアをしますので部屋は私一人にしてください!」と宣言し、「葬儀屋さんは呼ばれないのですかっ?!」と職員さんに驚かれつつ、エンゼルケア中は母にも外で待機してもらいます。
叔母さんはずっと食べていなかったので排泄物はほとんどないはず。身体を拭き、準備しておいた紙おむつを履かせました。あとは購入した白装束を着せて手を組み、数珠を持たせます。
お化粧もしてあげました。アイラインを引き、チークを入れてリップも塗ります。
叔母さん、とても可愛くなりました。お化粧なんて施設入所してからしていないもんね。
亡くなってはいますが、ちゃんとお話をしながらお世話出来たことが私にはとても満足でした。
痩せて小さな方なのでなんとかお姫様抱っこで棺に収めます。「終わりました!」施設職員の方々に手伝ってもらい、棺をハイエースバンに載せます。法的には死亡診断書があれば車に載せたままどこに移動してもOK。
荷物は後日取りに行くことを伝えて実家に帰宅。ホントは棺を一時家に入れてあげたいところですが、私一人の力で棺を移動させることは到底無理なので、そのまま毛布を棺に被せてハイエースバンを霊安室の代わりとさせてもらいます(汗)。
寒い時期だからよかったのですが、夏だったらドライアイスの購入が必要ですね。
翌日、朝一で市役所に行って死亡届を提出し、火葬許可証を発行してもらいます。次の日の午前10時に火葬予約が取れました。
早速、叔母さん本人が檀家だというお寺に行って、お坊さんにお経を読んで頂くためのお願いをします。
「叔母さんが昨日亡くなられました。明日10時から火葬します。お骨になったら都合のいい日にこちらのお寺に持ってきますので、その時にお経を読んでいただくことは出来ますか?大変失礼かもしれませんが、お布施の予算は3万円です!」
あらかじめお布施の予算をお坊さんに宣言してしまう私も私だと思いますけども、どこまでやってもらえるのかが全く解りませんし、あとで揉めないためにも仕方がありません。
住職のお坊さん、その唐突なお願いと内容に大変驚き、しばらく唸って考えていましたが、「わかりました。それでは、明日直接火葬場に出向きますので、お葬式としてのお経をそこで読ませて頂きます。お骨になったら、骨壺を持ってもう一度お寺に来てください。」と提案していただきました。
これでお坊さんの手配ができました。本来、枕お経(?)と言って火葬前にお経を読むこともあるようですが、お葬式としてそこで読むのは初めてとのこと。
ここまでで、この日に行う調整は全て終了です。老人ホームに挨拶に行くと、施設長さん(高齢の女性です)が応接室に通してくれました。
昨日からのお話をしたところこれまた大変驚かれ、「私もそうやって家族にやってもらいたいわ!」と感動されました。何でも、今の人達は全部業者(要は他人ってことです)にお金を払ってやってもらうのが普通で、「昔はそういうことは全部家族でやったのよ・・」と全てお金で解決して他人事のように進めてしまう現状を嘆いていらっしゃったのが凄く印象的でした。
帰宅して翌日の葬儀のための喪服を母と準備。ここで叔母さんは亡くなってから2日目ですけども、ハイエースバン霊安室にはあと1晩活躍してもらうことにします(汗)。
翌日、母と一緒に棺を載せたハイエースバンで火葬場に行きます。寒い時期なので、ドライアイスがなくとも車内に全く臭いはしませんでした。
火葬場の玄関に車を横付けし、火葬場の職員さんを見つけて「棺を降ろすのを手伝って頂けますか?」とお願いします。職員さん、承諾はしていただいたものの、何か怪訝な表情。
「葬儀業者の方?」と聞かれて「いいえ。家族です。自分で持ち込みました」と言ったところまた大層驚かれて「経験があるのですか?」「いえ、全くありません。何事も初めてですから教えてください」と答えるとさらに周囲の職員皆驚いている様子(←なぜそこまで毎回毎回皆さん驚くのか未だに全く解っていない私)。
そういうやりとりをしているうちに、お坊さんが15分前に到着。棺の前でお葬式(告別式)としてのお経を読んで頂きました。お経がめちゃ早口です(笑)。内容はわかりませんけど、それなりのお経だったのだと思います。10時ピッタリに読経終了。さすがプロですね。
火葬が終了するのは11時50分とのことだったので、それまでの時間を利用して、棺を降ろして空になったハイエースバンで老人ホームに向かい、残っていた荷物を引き取りに行きました。
お礼やら挨拶をして11時30分に火葬場に戻ると、職員さんが既に玄関先で待っていて「もう終わりましたので収骨に来てください」とのこと。
収骨は別室で行なわれます。通販で購入した6寸の骨壺は全骨収骨にはピッタリの大きさでした。骨箱に壺を収めてお寺に向かいます。
お寺に着くと、そのまま壇上に上げてお経を読んで頂きました。15分くらいでしょうか。檀家ってことで、壺に戒名?を書いて頂き、そのままお骨は預かってもらうことになりました。もしも拒否されたら散骨でもしようかと考えていましたけども。
「これで全部終わりました」とお茶を出されて母と一緒に一安心。(お坊さんが関わったのは車での移動を含めて約1時間程度)
住職に「今までこのような葬式をされたことはありますか?」と聞いてみると、「以前1回だけ、身よりの無い人に対してお経だけというのはしたことがありますが、こういうのは初めてです」とのこと。うん、そうなのですね。よほど珍しいのですね・・、まあいっか。
お約束どおり3万円の入ったお布施の袋を渡し、お礼を言って今度は近くのリサイクルショップに先ほど施設から回収した大量の衣服やキャビネット家具等の荷物を持ち込みます。「全部置いて行きますが、お金要りませんので処分もいいでしょうか?」との条件で交渉成立。
そのまま帰りにレンタカー屋さんに寄ってハイエースバンを返却。母と歩いて実家に帰ります。途中でお昼ご飯。
さて、火葬の手続きで前日に市役所に行ったとき、年金手帳や国民健康保険証等の返却等は除籍謄本が出来る1週間後でないと事務処理は無理だと聞いていましたので、私はここで一旦仕事のために岐阜の自宅に戻ります。
葬儀を執り行った連絡を先の5人の従兄弟に通知します。以下の内容でハガキを送付しました。
……………………………………………………………………………………………
叔母 ○○ ○○儀 かねてから特別養護老人ホームにて療養中でございましたが
ここに謹んでご通知申し上げます
葬儀におきましては 故人の生前の意志により 誠に勝手ながら家族のみにて執り行いました
本来ならば早速申し上げるべき処でございましたが ご通知が遅れましたことを お赦しください
生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げ 失礼ながら 書中をもってお知らせ申しあげます
〒○○ ○○-○○
○○ ○○
喪主 ○○ ○○
……………………………………………………………………………………………
一週間後、休暇をとって実家に戻り、市役所と年金事務所に行きます。この年金の手続きを行うため、あらかじめ私の居住地で自分の住民票(家族全員)、戸籍抄本を取得しておきます(これがないと叔母との関係を証明できない)。
また、生計同一関係に関する申立書(遺族年金・未支給・一時金)※配偶者・子以外が請求するとき っていう書式が必要となります。直系家族ではないので、関係があったということを第3者が証明するためです。理由は「毎月面会して日用品などを援助していました」とかでいいみたい。証明には老人ホームの施設長さんの名前と印が必要だったので、FAXしてあらかじめ返送をお願いしておきました。
市役所で取得するのが叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、私の父の除籍謄本。返還するのが叔母の後期高齢者医療被保険者証(国民健康保険証)。これを返すと葬儀費用として3万円が支給されますので、棺とレンタカーの領収証を提出します。あとは介護保険の保険証や障害者手帳、印鑑登録証なども返却。自分の預金口座を通知します。
次いで年金事務所に行き、叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、父の除籍謄本、私の住民票(全員)、私の戸籍抄本と準備しておいた生計同一関係に関する申立書を提出。これだけ揃わないと、叔母との関係を証明できないとのこと(謄本等に祖父母の名前が書いてあることで関係を確認)。ここでも自分の預金口座を通知します。
叔母が亡くなるまでの1ヶ月程度の年金が支給されるのですが、凍結されてしまった叔母の口座では入金できないため、私の預金口座にしないといけないのです。
ちなみに、こんなこともあるだろうと以前叔母の口座はネットから操作できるようにしておいたので、残っていたわずかな預金は凍結前に私の口座に振り替え済みなのでした(笑)。
これで叔母さんの葬儀と様々な手続き全てが終了しました。実際に私が動いたのは亡くなった日の夕方から葬儀終了までの2.5日間の間と、1週間後に市役所等の手続きに使った1日間の計3.5日間のみ。
直葬セット6点セット 27,600円
合計 72,360円、市から葬儀費用30.000円が支給されるので、
葬儀支出総費用は 42,360円 ←後日支払われる日割りの年金支給分で完全に相殺される予定
そして最後に 叔母さんのご冥福を心からお祈りして終了させていただきます。
合掌
http://www.asahi.com/articles/ASJ3865J6J38PTIL02M.html
職場でのひげ禁止が違憲だとかそうじゃないとか、もめてるらしいけど、こういうのってどこで線引くの?
ひげを伸ばすことが個人の自由で、それを禁止することが違憲なら、じゃあたとえばニオイの強い香水をつける行為はどうなんだろう?
時代にあわせて変わるのだろうか?
でもそれは誰がどうやって判断するの?
そもそも時代で変わるというのなら、場所によっても変わるんじゃないの?
ここんところずっと体調が悪い……。
原因は分かっていて、新規デスマーチ案件のプロジェクトマネージャーに抜擢されたからだ。
まだ入社して1年にもかかわらず、9月にそのマネージャーに「若手の大抜擢」
という名の押しつけをされ、その日のうちから毎日終電、土日返上で働いている。
体調はひにひに減退していった。
おなかもゆるくなりここんところ下痢気味が続いている。
そんな日々の中、今朝、いつものように出社してトイレに行くと、
びっくりするように、もりもりと快便が出てきた。
まだ、わたしにもこんな力があったんだ!と喜ぶと同時に、
「あれ、あれれ、いつまでキミたち出続けるの!!」と焦りだした。
うちの事務所の入っているビルは築30年を超える年季のはいった昭和時代の遺産で、
その便器に一の字を書くように、わたしの身体から排泄物が伸びていく。
わたしはかなり焦り、肛門に力をいれた。
「ぐっ、ぐぬぬぬぅ……」
思ったよりも硬いそれは、容易には切れ無い。
「はっ、はっ……」
しばらく身体をよじりながら下腹部に力をいれると、ちょっとだけはみ出した程度で被害はおさまった。
こんだけ見事な一本糞ってでるんだなぁ。
と関心すると同時に、事故にならずに本当によかった。
そもそも『農作物』は何から出来ているかを原子レベルで見たら、上位3つは炭素・水素・酸素であり(順番は不明)これらは水と光合成で取れる。
4番目が窒素、5と6番目がリンとカリウムであり、これら(&7番目以下も含む)が『土に含まれる養分』であり、単に植物を育てるだけでは奪われる一方のこれらを補うものが『肥料』の正体だ。
なかでも19世紀までは大問題であったのが窒素だ。もちろん窒素は空気中に多く存在するが、窒素分子の三重結合を解くことは容易ではない。豆やクローバーといった植物や、シロアリのような動物は空気中の窒素を栄養源に出来るらしいが。
(これを大々的に可能にしたのがハーバー・ボッシュ法であり、だからこそ『水と石炭からパンを作る技術』であったわけだ)
三重結合していない窒素は様々な形で土の中に含まれる。その中にはアンモニアを筆頭に、水溶性の物も多い。水溶性の窒素は、植物の栄養となる前に川などを経由して海に行くものも多いわけであり、
だから海で魚を獲ってきて肥料にするというのは窒素循環システムとしては理に適っているわけだ。
もちろん、海の魚をそのまま肥料にすると塩害で酷いことになるから注意しないといけない。
三重結合していない窒素はアンモニアや尿素といった形で人や動物の排泄物にも多く含まれるから、有機野菜というのも窒素の供給法としては合理的ではある。
ちなみに日本の場合、戦前までのは人糞というのも貴重な肥料(上で書いてきた窒素供給源)だったわけだが、
ウ●コの中の窒素の割合というのも人によって結構違うらしく、結局は『良いものを&たくさん食べている人のウ●コの方が肥料としては適している』なんて話もある。
誰かに大きな影響を与えるでもなく誰か他の人に貢献するでもなく、ましてや自分に対してすらなにもできない
できることなんて誰かが作ったものを消費すること。排泄物を生産すること。
才能のある人間は小学生中学生の頃からすでに違っていて、彼らは「持っている」。そんな人達に追い付くことも追いつく努力もできない。
何も出来ないから自分が少し得意な物をひけらかして悦に浸って現実逃避する。
そんなことは世界の半分以上の人がやろうと思えばできることなのに。自分にしかできないことだといつのまにか錯覚しているようだ。
現実逃避を続けて生きているという事と対峙しようとしない。そしてそのまま何もせず何も出来ないまま死んでいく。
お前らは、なにも、できない
そんなんでいいのか?
結局こんなもんだよなぁ
説法ありがとね。
ブコメの方見ると「穢れは神道だろ」ってコメだらけで。
常識なんだね。知らなかったよ。はずかし。
禊がフィルタリングってのもなるほどねって思った。
あなたの説法を読んでて思ったんだけど、
古代仏教の「不浄」「浄化」って概念も現代日本と同じものだったのかな?
釈迦が弟子に言った「お掃除して、心も綺麗にしなさい」の「お掃除」も「許可する行為のこと」だったんすか?
お寺さんと関わりがない生活なんで、「坊主は不浄をオーソライズするのが仕事」って言われてもピンとこないし、
「不浄」って概念が「認可されてないもの」って感覚もあんまり分かんない
(分かる部分もあるけど。ヘイトとか関係してると思う。その辺、昔と違ってお寺さんが機能してないから起こることもあるんだろうねえ)
あなたの説法の中にあった「浄財」って感覚も、明治期以降の新興宗教あたりのもんだと思ってたわ
じゃあ、托鉢とかは?あれもお米やお金を渡して、お願いして許可して貰う感じなの?
ならばお坊さんは「ありがと」ってお辞儀する必要ないよね。仕事でやってんだから。
それはまた別なの?
「いきものはうまれたときからけがれをまきちらしながらいきてるけがれたものだっておしえこむの?」
ってのは、
「そうなんじゃね?」って思うんだけど。
それも折込済みの「生」だと思ってるんだけど。
それもまた偏った見方だと思うから、(私が考える)仏教的には合致しないんだけども。
不垢不浄!
まあ、ルール在り来の「宗教」なんだから、勝手に考えちゃダメだよね。
ごめんなさい。
で、本来の話に戻るけど。
あなたが言うナマグサ坊主とやらは「お前等にとって分かり易い例を挙げてやんよ」ってことで「おしっこ」持ちだしたんじゃあないの?
仏教のルールから外れちゃうけど、「わかり易さ」を優先した結果じゃない?
仏教者からすると「排泄物は汚い」って感覚持ってないとしても、説法聞く側にしてみりゃ卑近な例なわけでさ。
とか言ってるけど、多分その坊さん自身が「排泄物なんて汚い」って思ってるから出てくる言葉なんだろうけど。
そんな段階で人に説法しちゃあいけないなとは思うね。
冗長で散漫な文章になってごめんね。
残念ながら人間という喩えのそれは現象でありモーターのそれは機構だ。
人間という機構で喩えれば食べ物を取得する代わりに排泄物を廃棄する。排泄物を取得しようとすれば食べ物を廃棄するという機能構造になる。
モーターという現象を逆転させれば運動エネルギーを電気に変えるのを逆転させれば電気で運動をするが
運動させて電気エネルギーを発生させその電気エネルギーを使って運動させる、という事もその現象に含まれる。
モーターという現象での可逆性でいうならば、人間の場合排泄物に含まれる摂食可能な要素を抽出して人間に与えその人間によって食物を作成させる労働をさせることができるということになる。
モーターが生み出した電力を、モーターに供給するのはモーターの機構ではなくモーターを動作させるために構築された現象という事例になるからだ。
モーターを動かす電力はモーターのために供給された電力でありそれがあればモーターは動くが、モーターが動いた動力はモーターが動いたという事実だけのためであり捻出したモーター自体に再利用が可能な結果物ではない。
またモーターに与えられた動力は電気を生むがその電力はそのモーターを動かすための電力ではない。
お金といえばお金でありどこでもだれでも使えるように思えるが、あなたのお金はわたしのものではない。わたしのお金もあなたのものではない。表現が同じだからそれ自体が可逆性を含んでいるように錯覚するだけ。
それ自体を自身への動力に変えても永久機関は製造できない。成果物のなかから自身の摂取可能・利用可能なものを抽出すると消費量より下回るからだ。
転じて、他人に親切にすると親切が帰ってくる、他人にとっては排泄廃棄したい事象を変わって担当する(親切)と、自分にとって摂取したい事象(親切)を得る事が可能ということを知れれば良いが
他人がゴミと思っている物を共通意識としてゴミだと共感している人が、そのゴミを利用して自分たちへの有益なものへ変化させよう、またはゴミ要素から再生可能な抽出分を探そうというのであれば、あまりに不毛であろう。
まず第一に、自分の気持ちをわかってくれている人なんてのはいない。
共感とかいっているものは、同じ状況で似た感性の持ち主どうしが経験値を似た排泄物として消化したものを結果として近い位置で見せ合うことができただけの状況。連れションと一緒。
同じ位置を共有しなくなったり感性を違えたり仕方を変えるとそれはもちろん共有できなくなる。忘れてしまったとか変わってしまったということではない。そういう状況になったというだけ。
変化は変化だろうが、それを言い出せば毎日毎秒変化はしてる。
なので同じ位置にずっといることでチャンスのめぐりを待つこともできるが、可能性としてはチャンスに対して適応したほうが確率は高まる。
一人でいたいのなら新しい接触の少なかった時と同じでよいし今までどおりのものが変化したので新しくもとめるものがあれば自分の状況を異なる位置にもっていく。
ずっと同じことをしていたからといってかなわないこともない、それは変化によってもたらされることもある。
10年つづけても本物になれないことも、それは成功法則が変化したものかもしれない。
あと、文中どこを読んでも彼女があなたの寂しいということをわかっているとは読めない。とりあえずそれはおいておこう。
「気持ちをわかってくれる彼氏」がほしいという場合なら、連れションできる男と巡りあう状況に自分が変化する必要がある。
以前つかっていたものは壊れた、状況が転じたので異なるものを新調するか以前つかっていたものを必要としない状況にするか、もしくは以前の状況に戻すため以前のものを取り戻すかしか選択肢はない。
取り戻し方を考えるのはあまりに非効率だろう。詳細を述べるまでもなく様々に予測できるものと思う。
そこでだが歳を取ると都合のよい変化が起こる。おっさんおばさんくさくなるということだ。ガサツになりだらしなくなり恥ずかしげがなくなる。
これにより共感すべき視野が外部にわかりやすくなり消化方法と排泄物の明確さがでてくる。アニメが好きでどういう詳細を選択してどんな活動や反応をしているのか。
その状態を維持して他人と接触するとチャンスは広がりやすい。年下のウブな子で自分を発揮できず共感をまだ手に入れられない時期に対して手ほどきができる。
アニメを好きと公言してもいいのか戸惑う若者にアニメ好きなんだわ私とあけすけに言う、どんなジャンルが好きなのか恥ずかしげもなく。そしてどんな感想をもってるのかとか活動をしているのかとか。
先日、実家に帰った。
すでに父は話すのもたどたどしくなって、排泄も何回かに1回は失敗するほどには老いていた。
ただ、下半身と内蔵の弱りからくる、弱々しさは見ていて辛かった。
母は、これを毎日やっているのか凄いな。そしてごめん。
俺には兄弟がいる。
父親には、バブルの頃に買わされた北関東の土地がある。固定資産税がわずかに毎年引かれている。
持ち家だが、名義がじいちゃんのままらしい。そんな話をはじめて母親から聞かされた。
相続税とかいくらかかって、どうやって兄弟でやりくりするんだろう。
母親が毎食後、父に薬を飲むよう励ます。たしかに多くて辛そうだ。
朝は10種類近くの薬を飲む。たどたどしくプルプルと震える手で、封をきり小皿に錠剤をまとめ飲む。
常人の俺が見ていてもつらそうだ。うっすらと目に涙を浮かべているように見える。
朝が一番多いのだが、少ない夜でも5~6種類の錠剤と顆粒剤が2袋。
排泄物の調整や体のもろもろの調整だそうだ。病院に行くたび、症状を伝え、都度調節して配合しているらしい。
そうして、俺らの保険料が使われているのも、親孝行だと言い聞かせるために、俺は帰っているのかもしれない。
薬が無料になったことを嬉しそうに話す母がいた。
幸いボケてはいないものの、意識のあるうちに、少しづつ移してほしいとも思う。
また、元気であっても、もろもろの資産を処理する時、もう父は判断や出向くことは難しいだろう。
何かしらそういう制度はあるらしいが、ネットや書籍で、介護や相続、排泄処理などの
アクショナブルな具体的な情報が意外と少ないことを知った。知恵袋でも意外となかった。
だから元気になってほしいそうだ。
そして、俺はぽっくり行くにしても病院で逝ってほしいと思った。
自宅で看取るのが合理的って意見もあるらしいけど、父の兄弟からしたら、何されたかわからない、そう言われそうで俺は怖い。
お金の心配とか解決してくれて、その後に病院でぽっくり逝ってくれれば、一番ありがたいと思った。
それでも、父は尊敬しているし大好きだ。
どう老いるかってほんと難しいな。
そして、そんな父にも選挙権がある。
俺には明日も業務がある。
生んでくれて本当にありがとう。