はてなキーワード: 捕獲とは
1940 年代後半から 1950 年代前半、土木技術者は、今日の技術者と同様の問題を経験していた。しかし、1950 年代と 1960 年代の一時期、これは変化した。大陸間弾道ミサイル(ICBM)計画の運用計画が始まったことで、ミサイルの地上環境の設計者は、ミサイルの設計者と一体となって仕事をしなければならないことが明らかになりました。
第二次世界大戦後、空軍はドイツの科学者を採用し、ドイツのV-2ロケットの備蓄品を捕獲してミサイル開発に着手した。1953年8月にソ連が熱核爆弾の実験に成功したと発表するまでは、資金不足がその努力を妨げていた。突然、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領は、ソビエトに追い抜かれないようにICBMの開発に向けた大規模な努力を求めた。空軍の Bernard Adolph Schriever 少将は、ミサイルとその地上支援を開発するための努力の先頭に立った。
ICBMs
1.5段のアトラスと多くのサブシステムを交換可能な2段のタイタンの2つのICBMの開発がほぼ同時に開始され、知識ベースを広げ、最短時間で兵器を完成させるための競争を活性化させました。ICBMの開発と開発へのプレッシャーは強烈でした。推定 13 年かかっていた作業が、5 年以内に達成された。このことは、空軍の土木技術者にとって大きな意味を持っていた。時間的な制約よりも重要なのは、兵器システムの開発において、地上環境が後回しにされていないという事実であった。"飛行機は最低限の地上支援があれば飛行できるが、弾道ミサイルは適切な発射設備がなければ意味がない」というのが、このプロジェクトを主導した民間技術者の一人である空軍研究開発司令部弾道ミサイル部(BMD)民間技術部副司令官ウィリアム・レオンハード大将の見解である。
用地選定
ミサイルの特殊な要件と圧縮されたスケジュールは、建設作業のあらゆる面に影響 を与え、まず候補地の選定プロセスに着手しました。空軍のエンジニア、工兵隊の代表者、建築家・エンジニアファームのメンバー、BMDの職員で構成される数十人の調査チームが、アトラス計画だけでも250以上の候補地を調査するために、全国に散らばっていました。チームはネブラスカ州からジョージア州まで、ニューメキシコ州からニューヨーク州までを調査しました。候補地の適合性を判断する際に使用された厳格な基準には目を見張るものがありました。深さ174フィート、直径52フィートのミサイルサイロ、幅40フィート、深さ40フィートの発射管制センターサイロ、2つのサイロをつなぐ人員用トンネルとケーブルウェイを建設するためには、厳しい土壌と地質条件が必要でした。さらに、距離の要件は、サイロがその支援基地から少なくとも18マイル、人口25,000人以上の町から18マイル以上離れていなければならないことを意味していました。また、互いの距離は7マイル、人が住んでいる住居から1,875フィート、公道から1,200フィートでなければなりませんでした。サイトへの公共アクセス道路は、大型のミサイル運搬車を収容しなければならなかった。技術的基準が評価された後、最終的なサイトの選択は、サイトの経済的実現可能性に依存した。サイトが選択され、承認されると、作業を開始することができた。
地上設備の設計・建設を担当した技術者が直面した困難の一つは、ミサイルとその支援構造物の作業が同時進行で急ピッチで進められていたことである。ミサイルの準備ができたときには、発射設備を準備しなければならない。ミサイル自体に必要な設計変更が設備の変更に反映されてしまうため、ほぼ戦時中の緊急性の高い状況下での工事を余儀なくされていた。
ミサイルの保管モード、発射モード、ミサイルの分散度の多様性が技術者の作業に影響を与えました。例えば、アトラスDの一部のモデルは、サービスタワーで露出した垂直方向に保管されていましたが、他のモデルは水平方向に保管され、風雨から守られていました。アトラスEは半硬化構造の中で水平に保管されていました。アトラスF、タイタンI、IIはすべて、硬化サイロに垂直に格納されていました。
サイロの建設は膨大なエンジニアリング作業でした。例えば、カンザス州のシリング空軍基地では、エンジニアがアトラスFミサイルを収容するために12個のサイロを建設しました。作業は深さ40フィートの掘削から始まりました。これが管制センターの基礎となり、トンネルとサイロの上部を接続しました。その後、サイロの下部の残りの部分は、開 発部からさらに1.5m下で採掘されました。サイロ自体を構築するために、作業員はスリップフォームプロセスを使用しました。フレームがサイロの壁から約140フィート上に上がったところで、1時間に約14~16インチの速度でコンクリートが連続的に打たれました。作業員は昼夜を問わず、1つのサイロにつき、わずか6日間で500トンの鋼材と5,000立方ヤードのコンクリートを打設しました。完成時には、アトラスの1つのサイロには、15階建ての構造用鋼製ビル1棟の重量約1,500トンに相当する複合質量が含まれていました。
電力供給
打ち上げ施設に電源を供給するために、エンジニアはディーゼルエンジン、原子力、燃料電池、電池、ガスタービン、商用電源との様々な組み合わせなど、いくつかの代替案を評価しました。電源は、信頼性が高く、無停電で、打上げ施設内で自己完結するものでなければなりませんでした。また、核爆発による地上衝撃によって引き起こされる非常に高い加速度を吸収できるか、ショックマウントに取り付けられていなければなりませんでした。システムのイニシャルコストと運用・保守コストの両方が評価されました。サイトへの動力供給には、信頼性の高い旧型ディーゼルエンジンを選択しました。システムの設計では,水や流入空気の加熱など,装置から発生する熱を可能な限り利用しました.典型的なアトラスのサイトでは,各プラントに1,000kWのユニットが4基ずつ設置され,ミサイルのクラスターを支えていました.
サイロ上部ドア
サイロのオーバーヘッドドア設計は、エンジニアリングのジレンマを生み出しました。300平方フィートの開口部を覆うドアは、極端な天候、核放射線、過圧、構造的な反発からミサイルを保護し、ミサイルの発射と誘導に影響を与えないこと、発射合図後30秒以内に完全に開くこと、ミサイルのカウントダウン手順の中で連続した項目として動作すること、などが求められました。また、クロージャの構築、完全な組み立て、設置、フィールドでのチェックアウトを可能にするように設計されていなければなりませんでした。シングルリーフ設計やロールアウェイ設計のようなそれぞれの潜在的な設計には、それを考慮から排除する独自の特定の欠点のセットがありました。最終的に、ダブルヒンジ、ダブルリーフ、フラットドアのデザインが採用されました。2つの半分の間の中央の亀裂の問題は、ドアの特別なくさびの設計と、さらにシール性を向上させるためにネオプレンガスケットとステップメッシュを使用することによって解決されました。
様々なミサイルサイトの建設とアクティベーションに関与する多様な要素をすべてまとめることが、サイトアクティベーションタスクフォース司令官の仕事であった。彼は、親コマンドに関係なく、与えられた基地の弾道ミサイルサイトアクティベーションプログラムに参加しているすべての空軍の要素に対する作戦上のコントロールを与えられました。主に土木工学と諜報機関のキャリア分野から来た司令官は、現場支援施設と住宅の建設を指示し、建設監視を提供し、サイトの設置、チェックアウト、戦略航空司令部への転換を管理しました。土木、機械、電気技術者、低温工学、熱応力、衝撃実装の専門家、資金管理者、広報担当者、議会調査官への説明役などが求められた。要するに、彼らは空軍のためにそれを実現させた人物だったのです。1961 年までに、彼らはアトラス・ミサイル 120 発のアトラス・ミサイルを 11 基地に、タイタン・ミサイル 54 発のタイタン・ミサイルを 5 基地に配備していた。
おわりに
この記事では、この大規模な取り組みに関わった人々が直面した様々な工学的課題について簡単に触れただけです。その規模の大きさは今でも注目に値するものであり、土砂、岩石、泥の総量は3,755万立方ヤードに及びました。これは、ロサンゼルスからピッツバーグまでの深さ10フィート、幅10フィートの灌漑用水路に相当します。現場で使用された鋼材は、サンフランシスコからワシントンD.C.までの鉄道線路を建設することができました。当時、全国ニュース誌は「ミサイル基地建設計画はピラミッドをティンカー・トイの演習のように見せている」と述べています。アメリカ土木学会は、ICBM施設建設プログラムを1962年の "Outstanding Civil Engineering Achievement of the Year "に選出した。同様に重要なのは、この取り組み全体が、空軍の土木技術者に対する見方の転換点となったことです。空軍の技術者が自分たちのプロフェッショナリズムに対する尊敬と認知度の向上を求めていた時期に、ICBMプロジェクトでの彼らの仕事が道を切り開いたのです。
こういうことを言うときっと「事情通」とやらに叩かれてしまうのだろうが……。
戦車は所詮は100年前に考案された兵器であってマイナーチェンジを繰り返しててはいるが時代遅れ感は否めない。
航空兵器が登場したことによって戦車は主力兵器の座から引退した。
B-29のような高度10000mのからの爆撃に対して、戦車はただただ無力である。
現代ならヘリコプターを利用すれば戦車はほぼほぼ一方的に破壊できる。
ところで、ある映画ではロケットランチャーによってヘリコプターが破壊されるシーンが話題を呼んだ。
戦車を破壊できるヘリコプターをも破壊できるのがロケットランチャーという近代兵器だということだ。
「戦車の装甲は頑丈だ」などとメーカーの広報担当者は調子のいいことを言うだろう。
しかしヘリコプターをも破壊可能なロケットランチャーで攻撃されればどうか?
「戦車はヘリコプターに弱く、ヘリコプターは兵士に弱く、兵士は戦車に弱い。これは三すくみの関係なんだ」
実際の戦場はゲームとは違うのだから、そう都合よく三すくみの関係が成立するとは思えない。
確かに戦車1対兵士1ではたとえ兵士がロケットランチャーを装備していたとしても戦車に軍配が上がるだろう。
なぜなら最新鋭の戦車はチョバムアーマーによって一発だけならロケットランチャーにも耐えられるためだ。
だが実際の戦場では、常にタイマン・バトルが成立するとは限らない。
兵站やロジスティクスを考慮すれば50トンの戦車は100kgのフル装備兵士500人分にも匹敵する。
想像してもらいたい……、RPG7を装備した500人の兵士がRPG7を手にして一斉攻撃を仕掛ける姿を。
映画のように「アール・ピー・ジー!」などと叫ぶ間もなく戦車は一瞬にして破壊されるだろう。
しかも兵士は一箇所に集中せずに分散して配置することができる。
500人の兵士で以って包囲殲滅陣を仕掛ければいかな戦車といえどもひとたまりもない。
さらにRPG7は一度攻撃すればそれでおしまいではなく爆弾を再装填して再び攻撃することさえ可能なのだ。
数千発のロケットランチャーで攻撃されれば戦車が生き残れる可能性は万に一つもない。
以上により戦車よりロケットランチャーを持った兵士のほうが強いことは事情通といえど否定できまい。
また戦車には現代では見逃すことのできない致命的な欠陥がある。
このとき問題となってくるのがパイロット間での情報伝達の遅れだ。
音声による情報伝達にはどうしても伝達の遅れというものが出てくる。
なぜなら音声は音速のスピードである秒速340m以上のスピードでは伝達できないためだ。
ITテクノロジーの普及によって情報伝達のスピードは100年前とは比べ物にならないほど早くなった。
故に100年前の開発当初では無視されていた情報伝達の遅れが現代では致命的な欠陥となりうる。
100年前ののどかで牧歌的な戦場と違って、現代の戦場は一秒一刻を争うのだ。
さらに戦車長と呼ばれるチームの司令塔とも言うべきパイロットは車外に体をむき出しとするような運用が常態化している。
素人考えかもしれないがスナイパーライフルのような装備さえあれば戦車長を無力化することはそう難しいことではないだろう。
スナイパーライフルは秒速340mの音速を超えるスピードで飛行してヒットするよりあとに銃声が聞こえるのだという。
戦車長が銃声に気づいたときには時すでに遅し……、というわけだ。
戦車長を失った戦車など頭脳を失ったバッファローと同じことだ。
日本固有の問題以前に戦車という兵器が現代の戦場では無用の長物であると理解していただけただろう。
「戦車が配備されれば海外の敵対勢力は戦車に対抗するだけの武器を用意しなけばならない。そのため戦車は抑止力となりうる」
なるほど確かに島国である日本に海外から戦車を持ち込むのは困難だろう。
では敵対勢力の特殊部隊が極秘裏に潜入してきたとしたらどうだろう?
基地に潜入した特殊部隊が戦車を捕獲することができれば敵はまんまと戦車を手に入れることができるわけだ。
皮肉にも日本においては戦車が配備されていることで敵が戦車を調達できる可能性があるのだ。
ではテロリストが実際にそのような作戦を実行していないのはなぜだろう?
恐らく戦車が盗まれないのは戦車を入手したところで大して役に立たないからではあるまいか?
まともな判断能力を持った人間であれば現代戦では無用の長物である戦車を盗もうなどとは思わないだろう。
仮に戦車泥棒に成功したところで戦車よりずっと強いヘリコプターに破壊されるのが関の山だ。
ただし薬物などで判断能力の低下した人間が戦車を盗もうと考える可能性は十分あり得る。
そのときは戦車愛好家の主張する強さや恐ろしさがすべて跳ね返って帰ってくるのだ。
もっとも前述の通り数千発のRPG7で攻撃すれば最新鋭の戦車といえどひとたまりもあるまい。
チョバムアーマーによってロケットランチャーの攻撃を防ぐことができるのは一度きりなのだから。
しかも生身の兵士がわざわざRPG7を手で持って突撃する必要も実はないのだ。
どういうことかというと、第二次世界大戦時代のゴリアテのような装備を現代の最新技術で作り直した上で、それにPRG7を装備して突撃させれば兵士が身を危険に晒す必要さえないというわけだ。
引っ越してから全然見なかったので油断してたら3cmくらいのが壁を這い回っててビビった。
住み始めてから虫を見かけなくなってたので虫対策のハエたたきとかスプレーとか一切なかったのでどうしようもなく、掃除機で一時的に捕獲、すぐさまビニール袋を先につけてそこに入れるというイメージトレーニングをして挑むも大きさから掃除機で吸い込むのも失敗して押入れに逃げられてしまった……。
そこで、急ぎ近くのコンビニにホイホイとスプレーを買いに行き押し入れにセットしてひとまずの安息を得たところ、いつの間にか同じ大きさの同個体か別個体か壁を這い回ってるのをまた発見し、冷凍スプレーで弱らせて紙包んでようやく倒せた。
これはかなり恐怖を感じた出来事で、今でも鮮明に覚えています。
ちなみに今現在20代後半なので、今から23〜4年前の話です。
私の通っていた幼稚園は、毎年5月頃になると大きな公園に遠足に行く行事がありました。
この公園は芝生エリアに小さな丘が沢山あり、その丘の上で昼食をとりました。
また、各丘には鉄柱が建てられていて、別の丘の鉄柱とロープで繋がれていました。
そのロープから、鯉のぼりが数匹ずつぶら下がっているという構図でした。
イメージは以下の図のような感じです。
○ーーーーーーーーーーーーー○
| | | | |
| | | | |
| | | | |←鉄柱
| 鯉 鯉 鯉 |
| の の の |
ーーー ぼ ぼ ぼ ーーー
/ 丘 \ り り り / 丘 \
_/ \_______/ \__
丘も沢山あることから、当日公園に飾られていた鯉のぼりの数も沢山ありました。
また、鯉のぼりのサイズも大小あり、一部の特大サイズの鯉のぼりは地面についていました。
昼食は仲の良い友達グループで、食事を楽しみながら親は親同士、子供は子供同士で会話をしていました。
私は食事中からずっと特大サイズの鯉のぼりが気になっていたので、食べ終えるやいなや一目散に丘を駆け下りました。
最初は目の前に座り、この鯉のぼりが浮いては地面に落ち、浮いては地面に落ち、と繰り替えすのをただただ眺めていました。
少し時間が経ったくらいで、この光景にも飽きてきたんだと思います。
私はこの特大サイズの鯉のぼりが地面に落ちてきたタイミングを見計らい、捕獲をすることに成功しました。
ちょうど風のないタイミングだったので、特に苦労せずに捕まえることができました。
その後何を思ったのかは忘れましたが、この鯉のぼりの尻尾を縄状に細め、どちらかの足の足首にキツく縛りつけました。
するとその直後丘一帯に強風が吹き、私の小さな体は鯉のぼりもろとも、空中に吹き上げられました。
私は恐怖で声が出ませんでした。また、体を動かすと足の結んだ鯉のぼりも解けてしまいそうで、体を動かすことも出来ませんでした。
空中にいた時間は数秒だったかもしれませんが、その状態はとてつもなく長く感じました。
幸い、鯉のぼりがパラシュート代わり?のような形になり、フワフワとした様子で着地しました。
が、着地後にどれだけ頑張っても足首の鯉のぼりが全く解けません。
次にいつ強風が来るか分からない中、恐怖で焦り、必死になって解こうとしましたが無理でした。
二回目の強風を予感を察知した私は、鯉のぼりを解くことを諦め、飛ばされまいと体勢を低くし、芝生に必死になってしがみつきました。
ただし、自然の前ではか弱い力での抵抗は無力でした。私は再度空中に吹き上げられてしまいました。
再度空中にいる私は、ジタバタして落下をすることを恐れ、微動だにせずに風に体を預けていました。
その後パラシュート状態で無事着地した私は、恐怖で泣き出していました。
泣きながら必死に鯉のぼりを解こうとしましたが、やはり解けません。
すると、その姿を遠目に発見してくれたカメラマン(遠足に同行して写真を撮ってくれていた方)が走って近づいてきてくれて、
私の足に絡みつく鯉のぼりを解いてくれました。
恐怖から解放された私は、お礼も言えずに泣きじゃくりながら丘を駆け上がり、親の元へと帰っていきました。
あのまま鯉のぼりと絡まり続けていたら、いずれ落下していた可能性もあるので、このカメラマンさんは命の恩人です。
直接お礼は言えませんでしたが、本当にありがとうございました。
丘を上がったあとのことはあまり覚えていません。
ただ、危険なことをしていたことがバレると叱られるので、何か適当な嘘をついていたと思います。
このエピソードは高校生?くらいの時に初めて家族に伝えました。
が、未だにも誰も信じてくれていません。
無事に助かってよかったです。
https://twitter.com/aoi_mokei/status/1299669803079147520
悪夢の民主党政権の頃、潰瘍性大腸炎の自己負担額は月額2500円でしたが、安倍政権では1万円まで上がり、限度額の対象だった範囲も縮小された結果、今はだいたい月2~3万くらい払ってますね
もちろんその間、給料は上がってません
それはおかしい。
あなたが民主党時代と同じく低所得1か低所得2に該当するなら上限は今でも5000円ですよ。
アベノミクスで所得が上がったんなら2万円とか3万円はあるかもですが。 pic.twitter.com/h6DQ0a1bPg— さーばる@捕獲されました。 (@servalsan) August 29, 2020
上位所得者? pic.twitter.com/VPCsWgGvoA— トーマス🚂中国本線五毛列車 (@to_mas22) August 29, 2020
なるほど
レセプトがそんなに急に上がる訳無いから不思議だったが、答えはコレですね。
金額も一致するし。
給与は上がってないとの事なので、ツイ主は被扶養者で、被保険者の所得が上がったのでしょう。
ツイ主は嘘は付いてない。
全て話す必要ないからね。— 津川鉄心 (@tsugawa_san02) August 29, 2020
自己負担額が上昇したのは事実です。これは難病指定の患者増加に伴う制度維持のための自己負担増加もありますが、指定難病の数を大幅増加させるための措置でもありました。紐解けば出てくると思いますが、300近い病気を難病指定にしたのではなかったでしょうか。— pub_offi (@PubOffi) August 29, 2020
皮肉交じりながら嘘はついてないって擁護してる人いるけれど、だます気満々。実際ツイートの反応見たら明らかに誤解してる人がいるのに訂正しないしわざ。
田舎の山に行けばいるぞ。野犬が
2020/07/26 BS日テレ 【NNNドキュメント’20】
檻が設置された牧場は長年、野犬に悩まされてきた。
野犬はいたるところにいる。
一昨年の調査では奥能登で、およそ50匹の野犬が確認されている。
牛が野犬に噛まれたり、猫が野犬に殺されたりしている。
野犬は警戒心が強いため、檻にかかる犬はいない。
「野犬の最大の問題点は、狂犬病の発症の可能性があること」「人獣共通感染症の危険性もある」と指摘する広島大学・谷田創教授。
狂犬病が発症した場合、致死率はほぼ100%(日本では1956年以降、感染した犬は見つかっていない)。
○ご飯
朝:ソーセージエッグ定食。昼:そうめん。納豆。夜:持ち帰りピザ。間食:飴。おかき。チョコ。コーヒーゼリー。
○調子
○スーパーマリオ64(WiiUVC)
○ポケモン青(3DSVC)
手持ちは、ギャラドス(6世代のメガシンカで悪タイプになる)、ラッタ、ペルシアン、ベトベトン(3匹共7世代のリージョンフォームで悪タイプになる)、イーブイ(2世代で悪タイプのブラッキーに進化)、ファイヤー(8世代のリージョンフォームで悪タイプになる)と、未来設定を駆使することで変則的ながら悪統一パーティーが完成した。
○プリコネ
タマキの専用装備が終わった直後にアリーナコイン勢のアヤネが星6告知。
タイミングは良いのだけど、星6解放のオーブが300個ほどしか無い。
シズルをまだ解放していないのと、周年が近いからまた星6三人まとめて解放があることとを考えると、日課のバランスを考えないとだ。