はてなキーワード: 対外的とは
サポーターによるゴミ拾いというのはJリーグでも普通に行われている。なぜゴミを拾うのかといえば、ひとつにはホームスタジアム、つまり自分たちの「家」だから綺麗に保ちたいという発想があり(アウェーの場合においても自分たちの振る舞いが贔屓クラブの対外的な評価に繋がる)、またスタジアムを清掃するスタッフらになるべく負担をかけないためである。
なぜスタッフに負担をかけさせないほうがいいのかといえば、スタジアムを清掃するスタッフというのは専門の雇われではなく、試合運営ボランティア( https://s.cyclestyle.net/article/2020/08/11/71730.html )の活動の一部であって、つまりサポーターからすれば、形は違えど同じクラブ、同じスポーツをサポートする同志といえる存在であるためだ。
また今回のワールドカップの清掃スタッフについても仕事でやっているわけではなく、現地のボランティアが担当しているという( https://twitter.com/photofoot23/status/1595444496837545986 )。
自分の主張が対外的に肯定されにくいという自覚があるから匿名で考えを書いてるんだけども、名出し顔出しで自己主張する人達は匿名の相手から全否定されたり炎上するのなんともないものなのか。
Twitterサ終のお知らせ(仮)でザワザワしてるけど、「リアルよりもTwitterのほうが仲の良い相手が多い」とか書いてる人がいたけど、私はリアルでもTwitterでも仲の良い相手は居ない。買い物や遊びに行く友達も一人も居ない。
折角楽しい投稿を見せてもらってんのにこっちが変に絡んでウザがられたり気持ち悪がられてブロックされるのも辛いから当たり障りない短文のネタツイかクソリプを投げる。
他人を全員嫌いだとかいうことではないのだが、今はフェードアウトしたが前にリアルで表層的にはまともに見える異常者に個人攻撃クソキモ粘着長文をSNSで送りつけられた事があるので「こいつと多少気安くなると面倒臭いことになるのでは無いか」という警戒心が強くなり他人と深く関わり合うのが面倒臭くなってかなり表層的になったのは人生として非常に楽ではある(他人の機嫌を取りながら生きなくていい、鬱る原因が無いので)が。
前述の「仲のいい人が多い」とか対外的にアピールできるような楽しいキラキラSNSをしている人はそういう嫌な目に遭ったりしてないのかなー良い人生を送ってきたんだなーすごいなーと思ったり、もしくは自分が相手にものすんごい疎ましがられてるけど諸々の関係性の上で無下にするわけにもいかないので(大勢のフォロワーの前で批判の的になるような言動はし辛いだろう)相手が仲良く見せてくれてるだけかもしれんよなあと思ったりする。
親しい相手が多いと自分で思える人間を、素直に「いいなあ羨ましい」とは思うが、「羨ましい」とは思っても、実際は見えているより羨ましい状態では無いのかもしれないなあと思ったりもする。
そもそもの生き方として私が「他人に気兼ねし過ぎて疲れることを自覚しているのでただただ疲れたくない、くだらないことでせっかくの1日を嫌な気持ちで過ごすなど、人生を擦り減らしたくない」というのが大きい。
そのあたり問題無く両立させて友達をたくさん持てている人は本当に凄いと思う。或いは他者に対して見せている「ええ顔」とのギャップに耐えきれず人生からドロップアウトしてしまう事もあるのかもしれない。
うまくいくわけがない、というのは君個人の特殊な考えにすぎん。ネットにかぶれて捻くれた結果の尖りすぎた悲観論だ。
世の中を広く見てみれば分かる。日本の対外的な諸制度や実社会を。どうせダメだという思想で設計されているか? 逆だろう。うまく混ざり会えるように配慮されている。
日本のみならず世界中の国が、中国をはじめとした思想の異なる他国を受け容れて、共存し、繋がり合うことで草の根から平和を紡いでいることが分かるだろう。
そういうものが制度面から破棄されていく時流になったときにやっと警戒を強めるくらいのほうがいい。
異なるものを理解しようとし、共存をはかっていくことでしか、平和というのは維持できないんだよ。さもなくば同質化を図るために際限なく過激化していくしかないわけで、歴史を見ればその過ちの例が数多とあるだろう。
なので、ロシアとウクライナとか、中国と台湾香港とか、今まさに現実的な対立が存在している国や地域で対立勢力へのネガティブキャンペーンを張るのは理解できるにしろ、そうでないところへ過剰な敵意を向けるのは独りよがりな態度でしかない。
とある地方の市役所は,自治体DXの進んだ自治体らしい。国だかなんかからも表彰とかもされているらしい。
けど,実態はクソ。
まずなにより,職員が業務で使うPCが令和対応できないまま令和になって2年以上放置されてたの。下手したらまだ対応してないPCが少なからずあるんじゃないか。役所なんて一番和暦を使うとこなのに,エクセルとかセルの書式設定で無理やり令和にしてたの。日付の書式を和暦にするんじゃなくて,日付を年と月日に分けて年の方に「"令和"」って入るようにするってことね。それが2年以上だよ。
それでも,RPAやらなにやら新しいものには手を出すから,DXの推進してる市ですとか対外的にはなってるの。うける。
市役所内でブーイングが出ないかと言われたら,出るんだけど評価する側の部署はさっさと新しくするけど,その他の部署は放置。外局や支所に至っては存在しない扱い。だから数年放置。評価する部署も,聞いたところで疎いから(頭が悪いから)へーそうなんだくらいにしか思わないわけ。だって自分たちは実務してないしさっさとアップデートしたから困った経験ないし。
当然Windowsのアップデートなんて「え?なにそれおいしいの?」って状態。サポート切れてますけど。でも,表彰されるの。
DXとかも,人力で機械様に都合のいいように相当数時間をかけて調整して,機械様がやってるとこだけを取り出して「これだけ効率化されました」とか発表したり取材させたり。そんな切り取られた部分しか表には出てこない。
RPAだってRPAを使うのが目的になってるから,継続利用できているのがほぼゼロ。複数のアプリケーションにまたがって使うならわからなくもないけど,集計につかってるの。説明会に参加した超大手企業の担当者も,RPAを使って各支店がCSVでダウンロードした売上データを分析の集計してんだって。「まじか,日本は大丈夫なわけ?」って聞いてて思ったよね。管理画面作るかCSVをダウンロードする際にその機能を提供してあげたほうがよっぽど効率化じゃないですかね…。行政にはわからんだろうという舐めた営業トークと思いたいけども,実際それで行政が導入してるわけだし営業トークとしては間違ってないんだろう。
そんなこんなで,業務改革のために各部局でRPAを導入しろって方針が出て,もう頭痛いの通り越したよね…。さすがにICTに詳しい非主流派から相当な突き上げ(というか単にどこも継続利用できてないと現実を開示しただけ)があったけど,もう対外的に先進地です〜ってなってるからどうにもできない状態。
なんでそうなるかって,まぁ(本当は知識のない)担当が上の人のお気に入りっていうのが一番で,かつ,担当も実態とは合わないけど財政部局の都合のいいことを言うから,財政部局も便利なんだよね。で,虚栄心の塊だから対外的に見栄えのするデジタル事業だけ金つっこみデジタルインフラ?なにそれ?状態でアップデートもできてないPCが溜まっていきネットワークも貧弱。修理や機器更新もせず壊れるの待ち。システム導入にするにしても同じ機能なんだから統一すればいいのに各部署でバラバラに導入。さらに,うんこみたいなシステムを導入する。これ行政相手じゃなかったら売り物になってないよね?っていうのが多数。
話がそれるけど,今だにIEのみ対応,画面遷移するたびに数秒またされるみたいなのを最近導入してんの。昔からあるならまだ許されるけど,最近ですよ。ほぼ全職員が使うシステムで画面遷移ごとに数秒待たされる損失ってどんなもんじゃい。業務改革とは?って思うけどまぁわからないよね。上の人たちには。で,先に書いたとおり,詳しい人達は邪魔だから非主流派になっていくの。
すげーな組織ってこう壊れていいくんだなと思って抜けさせてもらいました。
まぁ,組織が壊れたところで市役所がなくなることはないけども,行政サービスは落ちるだろうし中にいる人も一部以外は疲弊して優秀な人は抜けていくっていう負のスパイラルに陥るんだろうな。DX推進によって地方創生と逆の道をたどっていくのが皮肉というかなんというか。
でも,DXに限らず地方はそうやってずっと衰退いったのかもなって今は思ったりする。
今の子どもたちが未来の我らをいくばくか養ってくださるのだと思うからこそ子持ち同僚のフォローやなんかも全くやぶさかではないんだが、逆にこの増田氏みたいなのは子無しが何の負担もしてないと思ってるんだろうか。
独身時代から既婚子持ちをフォローして残業や休日出勤を負担し恋人を作る暇を捻出しがたく、それでも幸い僅かな隙をついて相手を見つけて晩婚となったが結局子どもには恵まれず、対外的には「気楽なDINKS気楽でーすwwwww」ていう顔をつくって(一番角が立たない)、子持ちの突発的な遅刻早退や休みのフォローに回ってるんだが、増田氏みたいなこと思われてるんだったら戦争しかねえよ、と思う
元々、私自身が弱者男性気味であり「ここでこの人と一緒になったらきっと幸せになれる」と当時は信じていた。外見は割りと可愛い、普通なら俺とは釣り合わないレベルだったのもあって「多少のワガママは許容するべきだろう」とか考えてた。なので生活では割りと我慢してた
例を挙げると
・×1子持ちを関係を持った後に自白されたがなら尚更生活面で支えなくてはと決心
・連れ子は当時保育園通いくらいの年齢なので「共働きはムリ!」と言われた為主婦をお願いしたが、兎に角家事をやりたがらない
1. 朝は私が自分の弁当をこさえ、朝ご飯を用意。それが済んだら元嫁を起こして食事を済ませて家を出る
2. 仕事帰りには食事の買い物をして帰る。残業3時間とかでも代わりに行ってくれない。なまじ0時まで開いてるスーパーが最寄り駅に有るため断れない
3. 炊事掃除洗濯も基本やってくれない。しかし残業がある日は夕飯の時間には間に合わない為、普段から冷食を切らさないようにするか、店屋物を取るよう勧める(尚丁寧に薦めないとキレる)
4. うっかり洗濯を忘れると「着る物が無い!」とキレる。朝、洗濯機を回すから干すだけでも頼めない?と言うと「洗濯機回すなら干すまでやってよ」と本当に一ミリも妥協してくれない
→ここまで「甘やかし過ぎじゃね?」って思われるかもだが、遠回しでも「私が出来ない時はお願いできないかな?」と言うと超キレる
「私は育児があるから子供から目が離せない!」をベースに兎に角やらない理由を並べ立てつつキレ散らかす。
若い頃は対応してこっちもキレた(怒鳴る程度)ものの、本当に引かない・媚びない・省みない。おまえはラオウかな?
尚、子供が小学校に上がろうが基本姿勢は変わらず。仕事で疲れて帰って来た後に当たり散らされるのと天秤にかけ、私が家事もやる事で生活を維持してた
その後子供が小学校高学年になり、常に目を配らなくても良くなった代わりに私の安月給では生活が良くならない為、一緒に働きに出てくれないか頼む
・元嫁は学生結婚で大学中退し社会人生活未経験だった為、せめて何か資格を取らなくては割の良い仕事に就けない為、本人からのヒアリングの結果当時勢いの有ったWeb関連の資格等をとる事に
・私はIT土方でWebは畑違いだった為、講習会等を薦め技能取得のサポートに努めた。講習会が有る日は子供と留守番、平日に勉強会があれば頼み込んで定時で上がり…等
※フェイク入れようが無い日常生活は割愛してますが、大体似たような態度だった事は付け加えておきます
…今思うと元嫁もPMSだったんだろうな。ヒステリー(若年性更年期障害)だとは思っていたが、薦めても元嫁も病院も薬も拒否られた。「私は正常」で大体突っぱねられたな
>どうやって説得して行かせればよいのか。何か良い案があればご教授いただきたい。
>精神病んだ家族を精神科・心療内科に通院させるのに似てる気がする。手法があるかね?
嫁さん、対外的には取り繕うタイプかな?もしそうなら本人より本人の周り(影響力がある人が居れば一番なんだが)に相談すると良いと思う
私の元嫁、私が何言っても聞かない癖に自分の友人や敬意に値する人の話しは割りと聞いてた印象。(つまり、夫とかってなんか下に見られる)
子供への影響を心配してるみたいだけど、家庭内でヒスる母が居る場合悪影響は避けられない
子供(の年齢にもよるけど)とも一対一で話し合って(別居・離婚の)理解を求めるのが良いと思う。子供にも当たる母なら児童相談所に相談。親権取るとき有利になるよ
まあそうなんだけどそれだと「対外的に嫁さんの悪口を俺は一切言ったことがない」って自慢するにはしょぼすぎて惚気とかかっこいいとか思うには足りないと思ったんだ
いつかロバートの秋山が成人した日にキャバクラに連れられた話を思い出す。
池袋の夜は華やかはあれど、昭和の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、余市のような。ピートの強さが強調された力強い雰囲気がある。父が過ごした30年前と大して変わらない空気。
バーボンが持つ甘さは、そこに一切存在しない。スコッチの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。池袋西口に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
新宿の歌舞伎町が、かつて持っていた日本一のネオンが薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは池袋西口なのだろうか。
父とその友人は行きつけの居酒屋に向かう最中に変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
この街は変わらないと。
目印的存在であった池袋西口マルイ百貨店が潰れてしまっても、彼らは池袋が変わらないと口にする。
東京芸術劇場を抜けて、すぐの池袋西口公園の外側は永遠と広がる住宅街である。
今では5階建ての立派なマンションに生まれ変わっていたアパート。されど、近所の小学校は当時のままだという。
あぁ、大学一回生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す父は立派な犯罪者だった。
それでも懐古する父の顔はとても粋だ。俺は新歓の日に池袋で飲んで、仲良くなった奴が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す父は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の父も、今日ばかりはトップガンのトムクルーズよりもカッコよく見える。
父に連れられた居酒屋は、メニューもないような、よくわからない場所だった。
池袋駅西口から歩いて8分程度。雑居ビルの半地下一階にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
父と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が成人した時にどうしてしたかった話なんだ。
お前が成人してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、父は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親になんてバカらしいと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、嫁さんは俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ対外的に嫁さんの悪口を俺は一切言ったことがない」
その言葉には、普段とは違った熱がこもっていて、20年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない父親の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないのに。カッコつけられて、かっこいいと思わされた。
そんな私がなぜだか悔しかった。
だって実際に感染するかどうかより「濃厚接触者になるかどうか」「対外的に検査せざるを得ない状況になるかどうか」って方がずっと重要だからね
どうせ大多数は無症状か風邪レベル、わざわざ検査しない限りコロナ感染したって分からない
ママ友精々数人程度しか当事者がいない状況なら、仮にその中の一人が体調崩したとしてもわざわざ検査しない可能性が高いし
仮に一人が検査して陽性になったとしても「お前も検査しろよ」と言われる可能性は低いが
披露宴という多数の参列者がいて自分がそこにいた事も大勢の人が知っている状況だと話が違う
少ない友人と遊びに行くのは平気だけど大規模会食には行かない、ってのはそういうこと
人数増えるほどリスク高いんだよ
「トランス女性が「私は女性として生きたいのに…」と嘆くので、「失礼な質問かもしれないけど、女性として生きるって具体的に何をするの?」と聞いたら、「好きな人と結婚して、子供を持って、幸せな家庭を築きたい。女性として当然の人生を歩めないのが辛い」と言われてしまって困ったことがある」
というツイートを目にした。
https://twitter.com/yumenokiiro/status/1554040728237420544?s=20&t=-52y3y_lfm8x9v9jkTHUKQ
答えた側もずいぶん古いステレオタイプだなとは思うものの、別にこういうシス女性もいなくはないだろ。
それが「トランス女性」という、少数派ゆえに個を無視して属性で見られる存在になると途端に「トランス女性って結局…」みたいに一括りにされるんだよな。
もしこれが「職場で隣のアラフォー女性」なら、そういう風に個別性を表現するんじゃないか?
「知り合いの」とさえもつけずに「トランス女性が」と書いたことに余計な意味を見出してしまいそうになる。
そしてそもそも、「女性として生きるって何をするの」という質問自体が、トランスを特別で異質なものと思ってないと出てこない質問だ。
まぁそりゃそうだ、ほとんどの人は自分が生まれたときの体とそれに付随する外見的特徴で生きていて気持ち悪さを感じることなんてないんだからな
「わざわざ性別変えようとするぐらいだから、性別変えてしたいこと、性別変えないとできないことがあるに違いない」と思うのかもしれない。
はっきり言うと「特にない」です。
「シスジェンダーが期待するような何か特別なこと」はないです。
男性にしかできないことの一つに立ち小便があるけど、莫大な手術費用を捻出しないと実現しないし
女性にしかできないことには妊娠出産があるけど、これはもはや手術で叶う話ではない。
そういう意味では後天的にジェンダーを移行したり手術を受けて何が変わるかというと、QOLだけです。異論は認めるけど。
「性自認」という言葉を、男が女装して女子トイレに入るための詭弁ぐらいにしか思ってない人には多分一生わからないだろうけど、
世の中には、生まれたときの性別で扱われることに、言葉では説明できない気持ち悪さや居心地の悪さを感じる人間がいる。
これは、「女に生まれたばっかりにセクハラされる、こんなことなら男に生まれたかった」とか、「男は仕事で成功しないと評価されない、女は楽でいいな」という話とは違う。
セクハラや生理が嫌で男に生まれたかったと思う女性、だからって外で道を尋ねてきたおばあちゃんに「ちょっとお嬢さん」と声をかけられただけで一日ガチ凹みしますか?(シス男性が女性と間違われたときの凹み方とも多分違う。自分が男性であるという確固とした信念と(法的・身体的・実生活上の)根拠があるのとないのとでは受け取り方は違う。 )
「女/男として認識される自分」「女/男として扱ってくる世界」が無理なんである。
ちょっと違うとは思うが、「都度怒りを表明するほどではないが絶えず少しずつ気分を落ち込ませるもの」としてはずっとこれを受け続けているようなものだ。
しかも相手はこちらがマイノリティだなんて思っていないので、「ごく普通の女性にごく普通の声掛けをしただけ」だから怒りを向ける先がない。
とはいえ道端で知らないおばあちゃんに声をかけられるぐらいなら、髪の長い男性だって女性と間違われるかもしれないと自分に言い聞かせられるからいい。
髪を切りに行っても「自分が女性と思われてるか男性と思われてるか」様子を伺うし、
「〇〇子」や「〇男」みたいな名前で性別を知られないようにすることに全神経を使うし(病院とかは本当に困る)、
女子トイレには入りたくないけど男子トイレに入って指摘されない自信がない時期はかなりきつい。
だから、外見を「女/男として扱われないように」変えるし、
正直、性別を完全に移行してしまうと(※戸籍の性別は変更していないが日常生活で体の性別の方で認識されることが全くなくなった状態も指させてもらう)、「性別」という概念は生活の中でほぼ透明になる。
シスジェンダーで「性自認」という概念に懐疑的な人たちは生まれてからずっとこういう感じだったんだろう。
個人的にもこの言葉に思うところがないではないが、対外的にそう説明するのが一番ギリギリ理解されそうだからそう言ってるぐらいのアレだ。
大分話が脱線したが、「男/女になってやりたいこと」なんて別にないんです。
(胸取ってタンクトップ一枚で外に出られるというのは確かに「女ではやりにくいこと」ではある。)
「普通に生活してるだけで感じる気持ち悪さを減らしたい」だけだし、多分それはシスジェンダーと言われる人たちには理解しにくいと思うけど、
理解できないものを「おかしい」と切り捨てるんじゃなくて「そういうのもあるんだな」と思ってほっといてほしい。
逆に「”ちょっと”生きにくいぐらいで性別を変えようなんてわがままだ」とかよくわからないことを思う人がいたら、「私の人生なんで」と返します。
あと、どんなにトランス女性のことを理解できなくても怖いと思っても、
と言うのだけはやめてあげてほしい。
他国籍、他民族に対する暴力がもしも正当化されるのであれば、どうして他宗派に対する暴力が正当化できないだろうか?
ここらへんの基本的前提が全部すっ飛んでるよね
戦争がOKってことはムカつく奴をボコってもOKってことだし、結局そうなって困るのは当局だと思ってたんだけどなあ
戦争という名の暴力は交渉だというなら、テロリズムも交渉術の一つと言えてしまう
ここらへんの論理の整理が甘い連中が新興宗教にハマりやすいのは事実だろうな
既存宗教の神学者たちが整理してきた哲学を勉強してこなかったわけだから
結局愛国保守論壇の仮定は、「自分達は一方的に都合が悪い人間をボコれる」というイジメ容認の姿勢なんだよね