はてなキーワード: 体罰とは
体罰っていっても限度がある。昔からお尻ペンペンは定番だが、怪我の可能性がとても低く、痛いだけで済むからからそうなんであって、殴る蹴るは暴力だ。じゃあお尻ペンペンを法律で許可するとこんどは限度知らずでめちゃくちゃやるやつが出てくる。お尻ペンペンで大怪我させるレベルのことをやらかす(バールでお尻殴るとか)
結局のところ、体罰というのは、極めて自制心が高く、かつ体罰の目的を明確化でき、法的にどうこうではなく現実として問題にならないレベルが自分で判断でき、その上で体罰が与えられる側の将来まで考えて実行できる、高度な指導方法であって、さらにそれでも失敗して回復不可能なダメージを残す恐れがあり失敗はできない。そんな事ができる人間がそんなにいないということがわかってきたから駄目なんだ。
逆に言えば、それができる高度な人間は増田のように周囲や世間の承認がないと出来ない人間ではないので、そんなことを求めない。
自己紹介をすると、私は発達障害だ。アスペルガー障害(知的障害のない自閉症)とADHD(注意欠陥多動性障害)。
女の発達障害としてはかなり重度だと思う。
ここでは、私の子どもの頃のエピソードと、どうしたら少しマシになったかもしれないのかを書いてみる。
私は障害者であるために、周りの健常な子どもたちと同じような言動ができず、物心付く前から毎日、母に頭を叩かれていた。
お絵かき教室は火曜日にあるのだが、私は火曜日が来るのが怖かった。
お絵かき教室が終わると、必ず迎えに来た母の顔が般若の面の顔になっていて、帰宅後2~3時間は折檻されるためだ。
結局のところ母の怒りの理由は、他の子どもたちは母親が迎えに来ると喜んですぐにクレヨンや絵具を片付けて帰ろうとするのに、
私は母が迎えに来ても無視していて、お絵かき教室にある子ども向けの本を読みふけっており、ちっとも帰り支度をしないためであった。
しかし、私は母に何度頭を叩かれる度に、恐怖と悔しさとパニックで頭がいっぱいになってしまい、全く母の言っていることが理解できなかったのだ。
その上、叩かれすぎて慣れてしまい、叩かれても泣かなくなってしまった。
母はますます腹を立て、私の頭を私が涙を流すまで激しく叩くのだった。
だが私の行動は全く改まらなかった。
音としては聞こえているのだが、何て言っているのか分からないことがあり、ひどい聞き間違いをすることがある。
もしかしたら、落ち着いて視覚で分かりやすく指示をしてくれれば、早く帰り支度をすることができていたかもしれない。
例えば、「ママは早く帰りたい」「本を読むのを止めてください」「クレヨンと絵具を片付けてください」
という言葉をカードに書いてみせてくれたりしていたら、もう少しマシになったかもしれないと考えるのだ。
現在進行形で障害児を育てている親御さんには、そんなの甘い、障害児は腹の立つ、苦痛を与えないといけない存在だと言われてしまうかもしれないけれど。
まず早い段階で倫理や道徳面を言葉で理解できる子とできない子の差はある
客観的な想像力を働かせる事ができない子にも感情面に訴えかける事でそれを自分に関わる問題として自ら行動を制御させる事はできる
野菜食べなきゃおっきくなれないよ、そんなじゃサンタさん来ないよとかはそれ
それでも感情に支配され自分でもよく分からなくなってる子とか分かってるけど構ってもらうためだとか別の要因でわざと困らせるようやる子もいる
別に特にやりたくもないし困らせる気もないけど友達と同じ行動を取りたいだけの子もいる
何も考えずテレビで見たのをマネする事に力を傾けたいだけの子もいる
言葉で分からせるためには分からせるための言語理解、共感性の下地を作る事が必要だし
下地があってもかまって欲しい子に行動の倫理性を説いてそれを理解させたとしても問題は解決しないし場合によっては悪化する
子供のその言動がどこから来るものかの理解が親にも必要でそれでアプローチも変える必要があって
またなぜそれがいけないかの客観的正当性の言語化と更にそれを言葉で分からせるための子供の立場での主観的発想と表現も必要で
それが子供の社会経験の土壌として外からの影響に対しての取捨選択の筋道になっていくんだけど
言葉で分からせる、をただ単に口で伝えるそれだけだと定義するから子供は言ってもわからないでしょ、となる
叱る時手を出すのはそれらの親側の言語化や親自身の共感性や社会への倫理観、道徳観の客観的理解の有無も含め、全部すっ飛ばして言葉で共感を誘う技術もそれを考える事もしなくても、もしくは出来なくても手っ取り早く動物的なすり込みとしてネズミの電流と同じように誰でも容易にできるものだから安易に使われて来た部分はあるのかなと思う
少なくとも仮に百歩譲って体罰を正当化するなら最低限事前にルールと罰を提示する事と罰として判決理由のような改めてのそこに至った客観的正当性を伴う理由の提示は必要だろうけどそれさえないただ単に大人側が物事を簡単に治めるための手を抜くためのツールとしている場合それは文字通りパブロフの犬のような反射に任せた思考停止でしかないし現状の運用としてはそちらに寄っているように見えるからその理不尽さに反発の声があがるようになっているのは当然の事のように思う
感情的にどうにもできない子供へ手をあげて言う事を聞くよう仕向けるのも躾ではなく多くがその実単なる言動の抑止の手段止まりになっていてネズミと同じく反復する事での反射的な学習方法とするならそこに論理への理解はないので結局は少し状況が変わるだけでまた新たな学習が必要になり効率や学習させる側の負担の面でも本人の負担の面でもいいやり方とは言えないと思う
ただでも思春期には感情面が肥大化して世界も広がって当人でさえ自分で舵取りが難しくなるのに下地も土壌もなく判断基準が作れない、作られないまま外の色んなものに触れて影響を受ける事になってそれが反社会的なものだとしたらそれが親にとってもぐら叩きでいたちごっこのようになってしまうのは目に見えているわけだし
そうなったらもう最悪祈るしかないわけで
でも現実親の余裕や知識や技術が平等であるわけもなく、その差をある程度是正するための幼児、学校教育であり、だからこそ教育の場での安易な体罰は本末転倒で許容されるべきではないんだと思う
あと躾がなってない、は言う人間が自覚してるかどうかは知らないけどおおよそその幼児期からの土壌の有無、またはそこを怠りその後も相対的に結果が出せていないその事を言われていて躾が出来ない状況をそもそも何で作ったのかという過程への親の怠慢を責める意のもので、その上での体罰による躾と口で伝わらず放置するしかない状況との選択は理解と価値観の下地作りを出来なかったという前提による同グループの中の異なった結果でしかないんだけど、それは言ってしまえば過去に遡らなければ現状どうにもならない事なのでそれを責めるのは人としてどうかと思うから無視すればいいだけだと思う
理解を深めさせる過程の年齢の子に躾がなってないとか面と向かって言ってくるやつはただの何も分かってないクソだからクソの意見なんて無視すればいいだけだと思う
そういう親を無理に責めて暗に子供を制させるよう向ける状況が子供のための教育や躾という意識の枠をこえた不必要な公益意識からの焦りによる体罰を生んでいるんだと思う
子供、特に幼児期の子の倫理、道徳面での理解に必要とされるのは愛情だけでも言葉にする事自体でもなく大人側の徹底的な感情をも含めた論理的思考と計画性を伴ったアプローチ技術とその体系化でしかないし、それが圧倒的に足りてないと思う
そしてその事はセーフティーネットである教育の現場への負担としても影響してると思う
この前夕方のニュースかで学童保育の話をやってて子供が泣いてて、それはじゃんけんで勝った方が何かの遊びを出来るって双方ルールを理解した上でやった結果で負けた子は悔しかったか思い通りに行かなくて腹が立ったか感情的に抑えられなかったみたいなんだけどそれを忙しそうにしてた大人が勝った子に相手の子が泣いてる事を理由に謝らせてて
一定の体系化と周知は親のためにも子供のためにも現状色んな過程に触れる機会がない、なかった子供に対してのケアとしてもやっぱり必要な事だと思う
親も子供と一緒に親になっていく、親として学びながら、なんていうけどそれは親の情緒面だけの話にすべきだと思う
個人的には幼児期の子に手をあげるのは知識以前の大人側の甘さや過信も一因としてあるんじゃないかと思う
何で自分の望みや言葉をただ自分の価値観で口に出すだけで自分の経験の何十分の一も生きてない存在に通じるなんて甘い考えを持ってるのかと思う
言語の壁に対してどうして分からないのって叫ぶようなものだし、そういうものだと分かってれば少なくとも通じない事に苛立つ意味の無さは理解できるはずだし、それを手出して事を済ませようとする傲慢さや安易さも分かるはずで
分かってても皆が英会話習う時間もお金も余裕もあるわけじゃないように完全な対策を求めるのは酷だってのも分かるけど端から舐めてかかってるようにも見える事も多いし
それは先の親以外の周りの大人もだけど子供という一人の存在に相対するための認識が甘すぎると思う
本当に違う世界の生き物相手にするくらいの心意気でやってもまだ足りないくらいのとこあるのに
だから最低限でも知識や情報、有用な指標の共有が求められるんだけど
長いな
それは適切な処方が難しすぎること。
体罰を加えられるたびに、
とか
人間とは恐ろしい生き物だ。誰とも関わりを持たないように生きることにしよう
と子供が思っていたら、本当にそれでいいんですか?
ということ。
家庭での体罰にはさほど反対ではないのだが
殴られるほど繰り返している、元増田が言っているような「聞く耳持ってない」失敗は殴られても能力的に直せないか、確信犯的にやっている。
ハラスメントって言われない程度にネチネチネチネチ言おう。独り言のていでさりげなくネチネチ。たまに、親身になって助けてやるのもいいね。「味方だからね。信じてね」って言いつつネチネチ口撃しようっと。ネチネチネチネチ。「あの人が貴方のこと嫌ってるよ」って親切に教えてあげよう。体罰ダメならそうしよう。分かりにくく隠れて口撃しようっと。
まず君が許容範囲と思う「手を出す」の程度を具体的に示しなさいな。「手を出す=アザができるくらいの力加減で殴る」だったら賛同はできんな。
あと個人的に言って聞かせる時の態度も大事だと思うよ。優しい表情と声色で言って聞かせるのと、険しい表情と声色言って聞かせるのとでは、相手に与える印象が違うし。言葉だけであっても言葉遣いや身振りなんか暴力的だと、効果としては体罰とあんまり変わらないし。
言葉で言えばわかるという人がいるけどさ、散々言葉で言って分からんのに言葉で続ける意味ある?
過度すぎるのはいけないにしても、子供を叱る時に手を出すのは必要だと思うんだけどね。
で、手を出したら子供が警察に通報とかなるわけなんだけど、それはそれで結構な暴力だったのかもしれないとして、
躾としては、やっぱり必要だと思うんだよな。
じゃあ、言葉で続けるとして続けて効果なかったら、どうすればいい?何を言っても聞く耳をもちません。どうする?
放っておいたら、育児放棄と同じように結局親が悪いって考えに持っていく人いるよね。そうなりたくないけどって人にどうアドバイスできる?
何いっても聞く耳持ってないんだよ?なのに言葉で続けろっていう人の思考は停止してんじゃないの。
手を出さないにしても、放置すれば放置するで親の躾がなってないって言われるのって、おかしくない?
やるべきことを狭まれてさ、それで親の躾がー躾がーって言われてる世間の親も可哀想だと思うよ。
なんか、ああいうの見てると一方的に親のせいにされてるけどさ、子供が余計な知識をどこからか仕入れてくるのは
今も昔も変わらんし、その余計な知識に対して教育しても楽なことばかり考える子供に染め上げられてたら、
そうならないようにする為に必要なのは、時には手を出すことだと思うんだけど。
よくTVとかでコメントしてる尾木ママみたいなクッソ甘い考えのやりかたは、愛情じゃなく甘えさせてるだけ。
それでも、言葉で注意すればわかってもらえるなんて幻想抱いちゃうの?
追記:言及であれこれ言ってる輩も結局同じなのね。あれこれ言ってくる割に具体的な解決も何ひとつ提示できないとか。
後に残ることはしてはならないし、それを後に引きずる気持ちを残さないようにするのは痛みを教えた上で「なぜこのような痛みを感じなければならなかったのか」を教える必要がある。
言及している輩の大半は、暴力という言葉で括りすぎているし、自分たちがその場面に立ち会ったことがないから想像で話しているだけのゴシップ記事以下のアホな妄想で語っている。
本来の躾は暴力で抑圧することではない。抑圧で教えることは何もない。
躾に必要な罰というのは、あくまでどうしてこうなっているのか前提になったことがどういう事でどうしてそれが悪いのかを知ってもらうためにある。
当然だけど、その躾を行うのはそれが必要になった時だけだっていうの分かってる?
他人の物を盗んだら殴る?違うね、なぜ盗んではいけないかを自分の身になって考えるよう説くね。
他人を罵ったら殴る?違うね、なぜ罵ってはいけないかを自分の身になって考えるよう説くね。
なら、この躾はどこで使うかって話だ。
こんなの簡単だ、他人へ暴力など痛みを与えた場合に使うだけだ。とはいっても同じ痛みを与えるのはいけない。
げんこつ一発だけで充分だ。それだけでも痛みは伝わる。その上でなぜこの痛みを知る羽目になったのかを説くね。
他人の痛みを知らんで育つ奴は、皆似たようなことを言う。
それを知らん甘ちゃんどもが必死に「体罰禁止」を連呼してるのは滑稽だよ。
痛みを知らんから、言及で烏合の衆が俺に向かって言いたい放題やってるわけだ。
ご丁寧に「批判」なんて言い方しそうだが。
他人へ与える痛みわからんでしょ?増田がやっている事がそれだよ。
そんな事も気づかない輩たちが言及であれこれ高説垂れ流されても困るって話。
「児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitterで実名発信すら行っている。
彼らの主張と、裁判所の認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。
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判 決
(第1,第2 省略)
第3 争点に対する判断
前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校に入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。
原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。
(甲4,75,原告Q1本人)
イ(ア)Q9の所属するクラスの担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったことから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。
Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分で学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。
原告らは,同月31日,本件小学校の担任教諭と保護者との間での連絡帳に,Q9から,先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言の真意の確認を求める旨の記載をした。
(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭の上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪を要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭の上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。
Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。
(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。
また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭が原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたことから原告Q2が殴った,私も人間だから感情的になると述べた。
原告Q1は,同月3日,本件小学校に架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。
(エ)Q12教諭は,同月4日,原告らから,本件小学校の教育方針等についての意見が記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭が居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。
その後,本件小学校のQ14校長,教務主任及び生徒指導主任が原告ら宅を訪れ,原告Q1から,学校で行う教育と家庭で行う教育の区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長がガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。
(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)
(2)本件一時保護に関する経緯
ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会(児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。
イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所に架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。
静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所等作成の家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事(ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告らからは,Q9が時間を守らないという理由で毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からはおもちゃのバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護が必要となる「AA」と判定された。
静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告らから殴られていることを認めたこと,本件小学校から,家庭訪問をした後も原告らからの虐待が継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護をしたことを告げた。
Q9は,同日,静岡市立静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成の診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。
静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護を委託した。
(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)
(3)本件一時保護開始後の経緯
ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰は虐待ではなく,親である原告らの意思を無視して本件一時保護を継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。
原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行が肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的な感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰は体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分の憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。
静岡市児童相談所のQ19主任主事(心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置の承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。
静岡市児童相談所のQ20所長は,上記の原告らの発言,心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力が継続される可能性が高く,Q9も帰宅を拒否していることから,児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置の承認を求める申立て(本件申立て)をした。
(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)
イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事(平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたものと判断していると説明したが,原告らは,「体罰と虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。
(甲9,10,乙ろ7の10)
ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所で面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から,虐待に及ばない体罰については容認されたものと解釈している,体罰を主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体を否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子どもに心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所からの原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。
静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記の提案として,Q9と原告らの家族再統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接を実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ちを確認し,写真やビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ちを確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望を確認し,児童相談所所員による家庭訪問を実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。
Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所で面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士が支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告を無視したものである,原告らは体罰をしているのであって虐待や暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。
Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所で面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所は原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである,静岡市児童相談所が原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。
(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)
エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。
静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。
(乙ろ1)
オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告を申し立てた旨伝えるとともに,親権を行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル,体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑
・そもそも生徒の「生きる力」を育むことが目的であって、舐められないことが目的ではない
・学習者とよりよい関係を築くために、カウンセリング・マインドが重要であることは学ぶ
・カウンセリング・マインドを身に着けるためには豊かな人間性が必要であることも学ぶ
・そのためには教育や専門分野に関する深い知識、教育的愛情、コミュニケーション能力などが必要である、ということも学ぶ
・もちろん実習先では「怒鳴る練習」をする機会はないよ
https://anond.hatelabo.jp/20190130134626
この元増田だけど、実は自治体によっては「生徒に怒鳴ってはいけない」と上から徹底されているところもあるらしい。
ひたすら諭すだけ。
体罰等が許されないことに異論は無いが、他の学習者にとって邪魔な生徒に対しては
何が面白いかって、まず寅さんみたいなやつがだいたい親戚に一人はいるじゃん。
俺はまだガキで、おもしろいオッチャンだから正月や盆にはよく遊んでもらって好きだったりしてね。
でもまあまあ面倒なことや無茶はしてたみたいなのよ。
酒飲んで説教も言うわ。
家族は扱いがわかってるからハイハイって誰も聞きやしないけど。
時代が変わって、何が元増田に判んなくなったかというとこの、扱いというやつじゃあないのか。
なんで寅さんのいうことでガチ迷惑を感じるのか。当人たちはハイハイってなもんよ。
ジャイアンにガチイジメを感じるとか、クレしんにガチ体罰を感じるとかに近い。
今回はそうじゃなくて、侮辱された大人が切れて子供を暴行したって事件で教育とか指導とか一切関係ない
暴力そのものは良くないが、まず第一に町田総合高校の件は殴らせるつもりで煽ったというのがあるわけで。更に、証拠も残ってるわけで。
訓告が聞かないということで、減給もないということで、次に来るのは停学、そして退学。
あの教師がするべきだったのは、応援の教師を呼んで、事実を確認した上で、第三者の証拠を残した上で、停学、退学命令をその場で下すこと。
そこを、学生は悪くなかったと学校が結論づけちゃってるから話がおかしくなってる。学生は悪いんだよ。
炎上したのは自分たちではあるが、社会的制裁を受けたということで減免するというのはある可能性はあるが。
つーか、アイツラの退学署名サイト上がらないの?
https://togetter.com/li/1312686
https://www.facebook.com/so.takei/posts/10218584964403991
一部の体罰容認してる人は、体罰を受けた生徒が皆すっかり反省しておとなしくなると思ってるように見受けられるが、
これはあくまで例え話だが――例えばゆきずりの相手と喧嘩して勝ったとしましょう。
まあ相手をボコっている最中は妙な高揚感があり、勝てば勿論スッキリします。
しかし勝っても仕返しが怖い。翌日から髪型や服装、乗り物を変えなければならない。
さらに誰かに撮影され、どこぞに通報・投稿されて一方的に悪者にされていたら・・・と考えると、その喧嘩した場所には近づけない。
家にxxxxxxxられたり、xxxxxxxxxxxxxxれたりする恐れと闘わねばならない。(伏せ字にしています)
家がバレなくても乗ってる乗り物はバレる。xxxxxxxxxxxxxれたら・・・。
武井氏の言う「いい先生を守るためにも暴力を廃止しないとですね」には深く首肯する。
また氏は具体的な対案も既に出している。
「ひとりででなく職員室で対応するだけでも違うし、生徒指導時は動画で記録したっていい」「言葉で返すべき」等。