はてなキーワード: 人生とは
統合失調症の友人がいる。
双方女。友人歴は約15年。友人になったあと、20代前半に統合失調症を発症し、現在は30代半ば。
20代は頻繁に連絡を取ったり遊んだりしていたが、あまり連絡を取らない期間もあり、
それでも相手が突然連絡をくれたりするので、長く友人でいられているようなところもある。
20代の頃は、安定して仕事が続けられなくて大変そうだな、と思って見ていた。
やりたい職種があるけど、業種的に健康でないときつそうなのも、難しいなと。
普通に病状が悪いと会話のキャッチボールができないし、相手も楽しそうじゃないので、遊ぶの疲れるなと思っていたときもある。
そういうときは、こちらが話しをすると「ふーん」とか「うーん」又は無言、その後相手からの支離滅裂な話が再開されるという感じ。
ただ、メンヘラによくある、こちらを利用してくる感じがなかったので、友達止めようとは思わなかった。
病状が悪めの時の特徴として、恋愛妄想があり、時々恋人ができそうになったりとかしていたけど、正直どこまで本当かわからない。
話を聞いていると、「思わせぶりなことをしてくる」、「絶対自分のこと好き」、「押せばいける」と、妄想っぽいなと思うんだけど、
実際にその場を見たわけでもないし、妄想であったとして逆に否定はいけないかなと思って、感想を述べる程度の受け答えをしていた。
そんな友人も、30代になりマッチングアプリ経由でなんと結婚した。
そのときも、本当にちゃんとした人とちゃんとした関係を築けているのか心配ではあったけど、
話を聞いた感じ趣味や考えが合う相手とのことで、ラブラブで大丈夫そうだったので、これでうまくいくならいいかと思っていた。
だが、やっぱりというのも失礼だが上手くいかなかった。
まず、友人から恋愛妄想が増えてきたあとに性犯罪にあたる事件を起こした。
それで職場ともかなり揉めていた。
そこを、子供作ればおっけー!みたいな思考になって、子供を作った。
大丈夫そうと思った結婚相手もメンヘラをこじらせており、DVモラハラ的なことをされたらしい。
離婚して残ったのは、非常にメンタルが悪化している自分自身と、一人では育てられない子供である。
育休中なので仕事は退職していないが、実家で暮らすしか選択肢がなくなったため、育休が明けても出勤できない。
まだ、人生詰んだとは思わないけど、子供がいることでこの先かなりきつくなったな、という気持ち。
でも、選ぶのも決めるのも友人だから、何を言っても駄目だったな。
恋愛妄想が出ているときに、それって本当に?どういう状況だったの?それは思い込みでは?と言ったとして何の意味もないし、
職場と揉めているときに、完全に「メンヘラ様思考=病気なんだから自分に配慮するのは当然!」になっているのを、
会社の規則の範囲では絶対に無理だよ、この規則はこういう意味だよ、会社の立場からするとこうだよ、というのは実は言っていたけど都合のいい部分しか響かないし、
子供作るのも、親と確執あるんでしょ頼れるの?相手もメンタル弱いのに大丈夫なの?自分のメンタルに関わらず毒親にならないでいられる?とか全く言えないけど言っても意味ないし、
この先も、相談のような愚痴のようなLINEが届いても、こちらの返信は結局独り言なわけで・・・
「自分に対する差別には敏感でも、他人の受けている差別には無頓着」なのは増田自身じゃん。
京都差別とか田舎差別とか東京差別とか大阪差別とか名古屋差別とかにはこの増田でも全く触れてないでしょ。ただの差別被害者の嘆き・愚痴でしかないんだよあんたの記事は。問題提起になってないんだよ。同情してほしいだけに見えるってこと。だから「いやなら見るのやめなよ」とか「受け流せるようになった方が人生楽だよ」って言われるの。
そして、この現状を「耐えていくしかない」と解釈して絶望するのも勝手だけどそれは問題解決能力が低すぎるだろ。増田が憎んでいるのが差別そのものであるならばまずは九州男児差別をはじめとした日本国内に存在するあらゆる地域に基づく差別意識全てと戦おう、とシフトするのがこの場合正解でしょ。まあそこまで頑張るよりは偏見を持たれたまま生きる方が楽だしそれでいっか〜ってことなら「耐える」とは言わない。
差別と戦うって大変なことなんだよ。並大抵の努力でなんとかなるものではない。これは戦いなんだよ。差別問題に関わらず、本気で自分を守り自分の利益や権利を守ろうと動くことができるのは自分だけなんだよ。
自らに起こった悲劇を並べ立てて誰かが救ってくれないかな〜って思ったんだろうけどそんな他力本願では同情すら買えないの。「堪忍袋の尾が切れた」とかネポチポチ打ち込んでメッチャ怒ってますアピールしても、誰も何も反省しないし圧も感じないし、誰かの心にも響かないし変えたりもできないの。
やあ俺だ。アドバイスしたがりおじさんだよ。
いや あるな
とにかく話がつまらない
のにめちゃくちゃ喋ってくるので相槌をずっと打ってる 自分の話しかしない
仲良くしたくない キモすぎてむり
容姿は良いとは言えないが 自分、別に容姿はさほど気にしない、清潔感あれば良い
話のつまらなさですごくやだ
仕事の話をずっとしているんだけどなにも話してないのと一緒みたいな話を延々とされてしんどい どんな話をするのか、書き記そうと思ったのだが無理だった 無なので
喋らないでくれ 頼む と思っている
なるべくグループ内でふたりにならぬようにしてるけど それでもそっなる時はあって しんどい
なんかしんどすぎてこの人に応援されてるアイドル可哀想になってきた 尚現場でどどような振る舞いをしてるかは知らない
書き記したらスッキリするかと思って
仲良くはなりたくないけど
やんわり伝えることはして良いかな…こう…京都人テイストなどで…
それは結局何の話?など突っ込んでいくスタイルとか…
別に聞きたくないけどこちらから話をふる…とか…無理かも…あまりにきょうみなさすぎて
自分、耐性なさすぎるんかな…
特に大人数や久々の人間だと愛想をよくしておしゃべりすることにしている
多分、つまらない奴への対処法を延々と考えてしまうくらいには優しいので、勘違いをされてしまうところあるかもしれない スパッと人間関係ブロックしてみたいな それも無理 しんどい キモい人生
日が登ってきたし寝ます…
普段、このような場所に文章を書き記すことは全くないが、今後の生活について何かアドバイスを頂けたらと思い、非常に長ったらしい文章を認めることにします。こうしたオープンな場所で文章を書くことは承認欲求を満たすためなのではないかと思われる方もいるとは思いますが、自分はそうした欲求を満たすことを目的に、こうした開かれた場所に文章を晒すのではなく、ただ純粋に他人から意見をもらうという行為が今の自分に必要だと思ったから、今こうしてここに文章を書き記すことにしたのです。これまでの人生で自分は自分の考えや気持ちを他人に伝えて、他人からアドバイスをもらうという経験をしたことが全くといってよいほどありません。いつも自分の頭だけで物事を考えて自分一人で決断を下してきたため、自分のとった行動が他人の目にどう映っているのか、また、それは社会的に逸脱しているのかというようなことを知る機会がありませんでした。なんせ非常に自己完結的な生き方をしているわけですからそれも当然です。一般的にいうと他人の意見に惑わされずに自分の頭で物事を考えて自分の意志で行動に踏み切るのはそれほど悪いことではないと思われるかもしれません。しかしながら、あまりに自己完結的、自閉的で、自分の世界の中だけで生活が閉じていると、自分が社会や他人からどのように見えているかを知る術を見失ってしまいます。前まではそのことについてそれほど深く気には留めなかったのですが、今ではそれは良くないことだと思っています。なので、匿名の立場ではあれ、ここで助言やヒントが頂ければと思い、一念発起して今ここに文章を書き留めることにしたのであります。
早速、本題に入ります。自分がアドバイスいただきたいのは今後の生活についてです。今後どういう生き方を選択するのがベストなのか、また、その自分がとった選択は一般的にみて危険な選択なのかというようなことが知りたい。こんなのは一般化できるものではなく、個人の性質や考え方によって解釈に違いがあるのだから参考にならないことは分かっています。しかし、それでも他人の意見が聞きたいのです。
まずはじめに自分はごく一般的な世間の価値観とは大きく外れた人間であることは十分理解しています。自分を客観的に視ると、どうみても自分は社会の価値観からずれていて、その枠組みの中で他人とうまく強調しながら生きていくのが難しいです。自分がそう考えるのは以下の理由によります。
自分は生きようとする意志が非常に希薄な人間です。自身の内部から生きようとするエネルギーが全く湧いてきません。多くの人は外的刺激を受けて自然に「何かをしたい」という意志をもって様々な行動に取り組んでいるのだと思いますが、自分はこの外的刺激を受けて「何かをしたいという欲求」が発生しにくいです。ですから、生命維持のために必要な最低限度(食事、入浴、排せつなど)のことにすら取り組むのが難しいです。生活を続けるのは面倒ですが、積極的に死にたいという欲求があるわけでもないので、自分の体に鞭を打って無理やりこれらの作業を行っていますが、内心非常に面倒な作業であることには変わりありません。今はこうして無理にこれらの作業を行っているため、生命活動を何とか維持できていますが、もし自然に身を任せてしまえば、本当に何もしなくなるだろうと思います。それはまさに廃人状態であり、この状態が長く続けば、いつかは死に至るかもしれません。
こうした性質を抱えているため、一般社会の中で社会参加をして他人と共に生活していくのが難しいです。生活するにはいくらかお金は必要で、そのためにはどうしても仕事をしなければなりません。そこでどこかの会社に応募して面接をする必要があるのですが、そこで聞かれる、働く動機や今後どのようなキャリアプランを築いていきたいか、どういう風に成長していきたいかなどへの応答がとても難しいです。先述したように、生命維持のための最低限度のことをこなすのがやっとであるので、それらは自分にとって意味を為さない質問です。もっと簡単に仕事に取り組めればいいが、社会に出て仕事に従事するにはこんな面倒なやり取りをしなければならないのかと思うと、社会の中で生きるのはとても面倒なことであるのがよくわかります。
自分も他人と同様、社会の中で生存している一人の人間であります。そして社会生活を営むには、身の回りの物を自分の世界に取り込み、それを活用していく必要があります、そうした物を所有するには外へ出て買い物をする必要が当然ながらあります。自分も生活者の一人であるため、スーパーやコンビニへ行って買い物をするのですが、実際に店舗へ足を運んでも何を買ったらよいのか全く分かりません。物を選ぶという行為を遂行することができず、呆然と立ち尽くしていることが多いのです。しかし、何も買わずにいると生活が回っていかないので、無理に「自分はこれが欲しいのだ」と自分に言い聞かせて、それほど欲しくないものを買って買い物を済ませることが多いのですが、これは自分の内側から自然に発生した感情に基づいて行動しているわけではないので、純粋に買い物という行為を実行できているわけではありません。その行為は嘘と欺瞞で満ち溢れています。
どうして物を選ぶことができないのか、その理由を自分で考えてみたところ、次の二つの理由があるからこそ、自分は物を選ぶことができないのではないかと考えました。
①身の回りの物を所有し、それを活用することでこの世界を生き延びたいという欲求そのものが希薄であるから
①に関していうと、実店舗に足を運んで色んなものをみても、心が揺さぶられるようなことはありません。この世界には種々雑多なものが存在し、人の心に絶大な影響を与えているというのに、自分はそのどれを見ても心の内に備わっている感情センサーが反応しません。これは自分が生活に必要な物を所有し、それを活用することで社会の中で生き延びていきたいという欲求に欠けるからなのではないかと思いました。そしてそれをもっと深堀していくと、最終的には「生きる力が弱い」から物を選択できないのではないかと考えました。
②に関しては、身の回りの物が自分の生活にとって不要なものになったからではないかという考えです。身の回りの物は生活と非常に大きな関わりがあります。この世に存在する様々なものは生活と密接に結びついていて、生活と分けてその存在意義を考えることはできません。例えば、衣服は体温調節や外部からの攻撃を守るといったように生命維持と大きく関わりのあるものですし、ペンは自分の考えを伝達して周りと共存していくために必要なものであります。こうしたように身の回りの物は生活があるという前提があるからこそ、社会の中で存在意義を持ちます。この世界に誕生意義をも持ちます。もし生活というものがなければ、これらの物は世界に存在する必要がありません。存在意義すら持たなくなります。自分が物を選択することができないのは、自分に生活というものがなくなったからではないか、自分が生活と切り離されているからではないかと考えました。あくまで仮説として考えているだけで、実際のところはよくわかりません。ただ欲求が乏しいだけかもしれないし、物事全般に関心のない人間だからなのかもしれません。
3.人や社会と繋がりを持ちたいとは思えない
第三に、人や社会と繋がりたいという欲求が皆無です。現時点では、人や社会と繋がりたいという欲求が全くありません。そうした感情が自然に湧いてくることもほとんどないです。ですので、必然的に人と関わりのない生活を送りがちになってしまっていますが、外部とのつながりがないことによるネガティブな感情体験についてはさほど心配していません。それよりも、こうした性質を抱えながら人や社会とどのように付き合っていけばよいのかということに自分は頭を悩ませています。どれだけ社会的欲求が希薄であってたとしても、人間が社会の中で生活していくには最低限社会の中で他人と関わる必要があります。けれども、自分は対社会的欲求や対人欲求がない人間であるため、どうしても他人とのコミュニケーションの負担が大きく、仮面を被って人と接触せざるを得ません。しかしながら、持続的に仮面を被って社会に溶け込む生き方はとても続ける気にはなりません。何より精神的負担が大きいですし、そうやって社会に溶け込んでいる自分を好きになることもできません。もっと自分に人間らしい部分が備わっていれば、人とのコミュニケーションもさほど大きな負担にはならないのでしょうが、人間らしい部分があまりにも少ない人間であるため、人間のふりをしてその場をやり過ごすしかないです。これはとても疲れます。ですので、一般的なルートに乗って生活することは、現時点ではあまり考えていません。
以上のことから考えると、どうみても自分は社会の中でうまく生きていける人間ではないです。一般的なルートを経て人生を歩んでいくのは何か違うのではないかという気もしています。これまでは無理をして大多数の人が歩んでいるようなルートに乗って生活をすることに努めてきましたが、結局、無理が嵩じて精神的に疲弊していくことが多かったです。ですので、何か別の生き方を模索しているのですが、今のところ、どの道が良いのかさっぱり分かりません。暗いトンネルの中で右往左往しながら光の扉を見つけているのが、今の率直な心境です。
現時点で考えている生き方
3.社会や他人との接触を最小限に留め、最小限度のお金でひっそりと生活する
かったるい基礎練とかせず、ゲームそのものを楽しむと同時に自然と上達の喜びも感じている。
ゲームデザインの誘導を受けつつ、何度か死んだりしながら敵の倒し方が見えてくる。
曲に合わせてボタンを叩けば良い感じに気持ち良くなれるし、対応出来るパターンが自然と増えてる。
学校の勉強なんかは内容もさることながら、そうやって受け身でいられないのがしんどい。自分で理解すべき相手を呼び寄せて、自分から確認作業を行わないといけない。終始能動的な姿勢を求められるのがかったるい。
まあ言うたって楽器なんかも最初は誰だってメキメキ上達するから楽しいんだけど。
音の出し方覚えて基礎的な奏法を身に着けつつ楽譜見て曲を演奏する、というレベルの事をやってる内は楽器も音ゲーも本質的にさほど変わらない気がする。
楽器にせよ絵にせよ、そこから先に行って磨いた技術を通じて自分がやりたいと思った頭の中のイメージを取り出せるようになったら違ってくるんだろうけど。
まあプロを目指すでもなくそこまでの域に達する人は果たしてどれほどいるのかって話なんだけど。
その点ゲームは与えられた課題を完璧にこなす以上の目的がない。まあ縛りプレイとかRTAとかもまああるけど。そういう自分なりの楽しみ方的なものの幅が大分狭い。というか曲芸に走るしかなくなる。
ただこれはCPU相手のゲームについての理屈であって、対人ゲームならまた違うのかもしれない。
cpu相手なら、セオリーが確立してしまえば攻略法はほぼワンパターンに収束する。
でも人間相手であれば、勝つためのセオリーが確立すればそれに対するメタが生まれて、更にそれに対するメタが……と無限に攻略が編み出され続ける。
相手に勝つという目的は変わらずとも、勝つための技術とそれを実践するテクニックが追求され続ける。
まさにスポーツのやっている事だ。
あとCPU相手でも、フロムソフトウェア作品やビートマニアよろしく難易度が高すぎれば楽しんでるだけでは進めなくなる。頭打ちになって、その度に研究と練習とフィードバックを重ねる学習サイクルが求められる。
ゲームを受け身で楽しんでる内は浅瀬も浅瀬。スマブラやっててガチャ押しで勝ったって楽しくない。ゲームの醍醐味はそういう努力じゃん。
それって別にゲームじゃなくても得られる喜びだし、だったら別にゲームである必要はないじゃんって思う。ゲーム以外を選ぶ必然性もないんだけど。
そういう修練を積むくらいなら、もっと別な趣味を持ちたいよねって思う。スポーツなり絵なり音楽なり。
そこはまあゲームを下に見てるんだと思う。
下に見てると言うか、人生においてより大きな喜びや感動をもたらしてくれる事について、ゲームにはあまり期待していないんだろうなって思う。息抜き以上のものにはならんよねっていう。まあストーリーがめっちゃ良かったりとかすれば、そこに感動はあるかもしれないけど。
別にゲームにせよスポーツにせよ音楽にせよ、そういう題材なんか些末な問題でしかない。壁にぶち当たった時の克己心こそが人生の喜びなんだってタイプもいるんだろうな。「成長」大好き人間。相容れないな。
題材は何でも良いけれど、学習と克服とはまたちょっと違ってソシャゲやクッキークリッカーよろしく拡大再生産的な事に喜びを感じてるタイプもいるのかもしれない。資本主義の精神。
おれはそういうんじゃなくて、やっぱ遊び(食って寝るための営み以外の全て)の内容そのものに感動を覚えたいよね。「成長」のダシにするんじゃなくて。
亡くなった伯父のカメラが何台もある。
気の短い人だったのですぐ壊れたなど言って買っていたようにも思うがコンデジだけで3、4台ある。
現在空き家になっているが建物の管理をしているのは自分なので、1台拝借して充電してみた。
メモリーカードが入ったままで、亡くなる1ヶ月くらい前の写真と5年以上前のデータも残っていた。
晩年はおそらく認知症にもなっていたが、残された写真データから意図を汲むには難しかった。ただの記録写真だったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。
20代で結婚してセックスレスになった後は彼女作ってとりあえずなんだかんだ常に相手がいる人生送ってるから恋愛について偉そうなこと言ってるけど
実は妻と知り合う前はめっちゃ非モテキモオタだし、なんなら今もキモオタだし
なんかごめんな
幸運を祈る
それだけだ
これはデータとしてでており1.5:1で知的障害は男児に多くでる
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-04-004.html
男の知能指数の平均と女の知能指数平均はあまり変わらず、男の方に天才は多いが、池沼も多い
まああんたが天才じゃないなら、グレーゾーンや池沼を疑ってみるんだな Xや増田ではどう見ても知的入ってるのに自覚できてない男が多い
30過ぎで同じような理由でフラれたことがあるので他人事と思えない。
その人も自分で料理する人なので料理苦手な私は有り難いと思ってた。
付き合ってすぐ向こうの方が、結婚したら職場までどうやって行く?とか言ってたので、結婚するもんだと思ってた。
「やっぱりどうしても安室ちゃんみたいな体型の人がいい」と言われ、そんな理由で!?と思ったけど、仕方ないと別れた。
結婚してたら、2人だけの問題じゃないし、はいそうですかとはならなかったかなとは思うけど、結局別れただろうなとも思う。
増田に皆はほかに女がいるとか言ってるけど、こういう人はいる。食も体型もこだわってる人だったから本当だったと思う。
こだわるというか執着。増田夫はコンプレックスのようだけど、この人は三島由紀夫的な美しい自分でないとという感じだった。
自分も執着があるなら一生減量続けられるかもだけど、そうでもなかったら難しいと思う。特に子どもができると。
お金のことも考えると、一緒に人生を過ごして行くには信用できなさそうだよね。
いつまた捨てられるか…と思いながら一生過ごすのはキツイ。
ちなみに私はその後別の人と結婚した。
いくら食べても何も言わない人。
今の体型を見たら当時の彼は結婚しなくてよかったと思うだろうけど、お菓子のひとつも食べられない人生じゃなくてよかったと私も思う。
愛に始まり愛に終わる。最終的にこれ。
重要。これでだいぶ他は割り引かれる。
もちろん顔だけではないが、顔がいいに越したことはない。あればあるだけいい。
顔というのはいわゆるイケメンというだけではない。清潔感しかり、生活習慣しかり、表情しかり。
外見に稼ぎや社交性やファッションセンスや人生経験や思考や性欲が出る。外見は奥が深い。
ここで愚痴愚痴言う者は早々に除外される。ルッキズムぐらい超えてみせろ。
自分の顔は、相手が相手の人生の中で長期間見ることになる顔だ。
女性には女のプライドがある。「私は顔だけで選ぶ女じゃない」「イケメンというだけで飛びつく女は下品」というプライドだ。
だが裏を返せば、他の妨害条件さえ無ければ喜んでその顔に飛びつきたいのである。余談だが、プライドが無い女は「イケメン好き!」と声高らかに叫ぶ。
顔と関連するが、見た目の若さ、思考の若さ、決断力の若さ、冒険心の高さ、リーダーシップ能力、体調管理。
年齢が低くても中年みたいな考え方の人間が多い。そういう人間は若いとは言わない。
歳を重ねていても若い人間は少数だがいる。そういう人間でありたいものだ。
人生をどう考えているか。人間についてどう考えているか。人と接するときどうしているか。
広範な教養によって、多種多様な人間と交流することができ味方にできるか。
いざというときに逃げず立ち向かえる人間かどうか。精神的に成熟した人間かどうか。
他人の話を静かに聴き、正確に理解することができるか。また、自分の考えていることを相手に合わせて正確に伝達できるか。
結婚など年齢によらずいつでもできるものにしなければならない。結婚したあともだ。
焦り、妥協、ろくな結果にはならない。
結婚は不要だがこの人となら結婚したいと考えられるレベルでなければ、結婚のための結婚になる。恋に恋しているようなものだ。
一人でも生きていける胆力を持って、だがその上で結婚せよ。
女性に快楽を与えようというぐらいの心が無ければ、どうして夫婦生活が成り立つのか。
他に類を見ない、他者に追随を許さないユニークスキルを持つこと。
ユニークスキルが1つあるだけで女性側に「『何者』の妻」というタイトルがつく。
女性の自己肯定感・自己効力感が倍化するわけである。男側もそうであろう。
すべて、あればあるだけいい。言うまでもない。
人によってはこれがモテの源泉だと思っているが、そうではない。生活を豊かにするための原資に過ぎない。
ハイエナに気をつけろ。
無用な時間を過ごし、だらだらと駆け引きをしていると、良い出会いを逃すことになる。
自分の人生の伴侶を探しているのなら、断腸の思いをもって切除するべきだ。
その冷静さ冷酷さが、次の覚悟に繋がる。
色んなゲームをやってきたけど、自分で考えてプレイできた記憶がない。
例えばShadowverseとか遊戯王だと一からデッキを組めない。所謂コピーデッカーだった。
デッキは他人のだからって流石に対戦中は考えるでしょ?って思うだろうが本当に何も考えてない。自ターンは決まったルートで動くだけだし、相手のターンは誘発適当に撃つだけ。なんなら𝕏見てる時すらある。
格ゲーにのめり込んだ時期もあったけど、元々あるコンボ覚えて始動技擦るだけだった。これである程度は勝てたけど、上位勢と戦った時に明確な差を感じて辞めた。
ダラダラやってるソシャゲも攻略サイトやYouTubeで編成探して真似してる。パズドラとかプリコネ、にゃんこ大戦争とかね。
どんなゲームでも、相手の動きを見てこっちのアクションを変えるという「相手に対応する」みたいな事が出来ないし、レシピを練ったりトレモに篭って新しい発見をする、0→1の開拓も出来ない。VALORANTやAPEXのIGLなんてもっての外。
こんな調子でゲームしてきたから、本当の意味でゲームを楽しめてないんじゃないかってずっと苦しんでる。
友人と同じ時期にゲーム始めても、相手だけ知識と実力ついて段々話題と熱量合わなくなってくるし辛い。