はてなキーワード: 三十路とは
二十代後半で乳がんが見つかった。
乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。
二十代半ばをすぎたころから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、
よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。
巨乳にあこがれて、理想はEカップだったけれど、長い間Cカップだった。
がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。
Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、
しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。
自然と乳がんの話になり、乳がんは肉まんの中に梅干しのタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。
肉まんの中に梅干しのタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。
実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。
胸のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しのタネに触り心地がそっくりだった。
彼女たちは触らず、微笑みながら言った。
帰国して約一か月、土曜日にトイレでぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。
何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。
電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。
「しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」
あまりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。
予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院へ電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。
仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。
マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。
それにしても痛すぎるのではないか。
それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。
しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。
検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときにパニックになりそうだった。
こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、
痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。
しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。
自分の名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。
大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。
そういう知識は持っていた。普通の会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。
エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。
お医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。
良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍はデコボコしている。
そういうことも学校で習った。
これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。
だから大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。
医師の友人に連絡をとった。
友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、
エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。
当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種にコンバートされていた。
それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく
新しい職場は単身赴任のおっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。
登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。
電話で細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。
結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。
人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社の非常階段で受け取った。
診察室で細胞診の結果を見た。
あまり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。
バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもので組織を吸い上げる。
局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。
検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。
色々な説明を受けた。
詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ、予後、タイプによる治療方法の違いや色々。
がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。
「先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。
「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。
大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。
簡単にいうと、乳がんの治療薬に対して感受性が良いから治療しやすいタイプだ。予後も非常に良い。
その時は、結果に対して良いことだと感じた。
しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。
術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療とホルモン療法をする。
卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち
手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので
術中にすべてが終わる、同時再建となる。
私の乳がんは治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。
予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。
若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。
元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやすく新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。
2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。
それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。
味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。
病気のストレスでどんどん食べる。抗がん剤の副作用の吐き気がおさまれば、
副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。
乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。
実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。
咳が止まらない風邪のおっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。
病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて
懇願しないと手伝ってもらえない。
確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。
そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど
最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。
突然健康と容姿を奪われてしまって、なおかつ職場と家族の理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。
手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。
少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。
それでも医療機関で新しいスタッフに出会うたびにきれいだと褒められる。
術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。
時期的にはそろそろ寛解といっていい。
手術痕はきれいなものの、剥がれた背中の筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。
この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても
薬指や小指のあたりに力が入らない。
抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。
足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。
私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。
しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。
ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものだからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。
こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないから彼氏はいない。
太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。
だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。
人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。
がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。
幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。
粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。
ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。
それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。
でも、終わりもないし先が見えない。
次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。
できれば死にたい。
何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。
でもそうでもない人もたくさんいることだろう。
そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分で病院にかかったから
がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない
でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。
現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんたはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。
元気がない人にも声を上げさせてほしい。
下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。
だからそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。
やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ちで毎日を送る羽目になるぞ。
末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。
病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。
長い長い、そろそろ自分を乳がん患者と呼ぶのにためらってしまう三十路女の独り言。
たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません。
Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます。
お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具!
…物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯やおやつをごちそうしてあげて下さい。
回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。
◆母のこと◆
クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。
恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います。
今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています。
私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。
だからと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。
母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。
内弁慶で臆病なおばさんなんです。
ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。
◆職場について◆
国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。
ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。
とは言え、どう考えても非情な対応をされたことは間違いありません。
もっと貶してください。
叩いて下さい。
あの頃耐えて笑っていた私が報われます。
今は優しい人達の多い職場に転勤しています。仕事にも人にも恵まれています。
泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ!水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。
分子標的薬で心不全症状がガンガン(乳がんだけに)出ていた最中に引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライで職場環境は確実に改善されています。
それでも体が辛いものは辛い。
そうなんです、八つ当たりなんです。
わかっているんです。
気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単な処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。
ファッション感覚でピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。
ウェーイしている女子がいるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来の目的なんでしょう。
ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。
元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。
妬ましく思っても許して下さい。
エネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴がしんどいんです。
残っている後遺症のようなものも障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。
不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です
ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。
優しい言葉をありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう。
嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。
初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。
大好きなアーティストに懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。
とにかく、(縦に)身体が大きい女性を好む性的指向を持っている。
既婚だが、妻は身長160cmくらい、体型はやや痩せ型。
同い年の三十路で、いわゆる「夫婦生活」は充実しているが、上記の性的指向は妻には打ち明けられていない。
おそらく説明しても、理解してもらうのはほぼ不可能だろう。そんなことは分かっている。
「身長は絶対180cm以上、できれば体型もぽっちゃりめで体重三桁でも興奮するなぁ」なんて言ったところで相手もリアクションに困るだろう。
そんな自分の性的指向が叶える場所が、幸いにして、存在するのである。
そう、風俗だ。
考えてもみてほしい、貴方の周りに身長が180cm以上の女性がどれくらいの割合で存在するだろうか。
全くいないわけではないだろうが、少なくとも、私の周囲では、170cm台後半の女性すら皆無である。
好みの女性が「物理的に存在しない」となると、アタックもしようがないのだ。
だが、そんな希少価値のある女性でも、風俗を利用すればご対面できるのである。
流石に180cm以上の長身の女の子となると、都内にも数えるほどしかいないが、「いる」のである。
風俗を利用することについて嫌悪感を覚える人もいると思うが、とにかく身長が高く、身体が大きい子に相手してもらう…いや、リアルで確実に出会えるのは、風俗以外にない。
そして、私が一番お世話になっている女の子こそ「身長185cm、体重90kg」の大きな身体の持ち主である。
理解できない人には全く理解できないと思うが、その希少価値ゆえ、むしろ予約指名が難しかったりする。
顔だとか、肌質だとか、この際どうでもいい。少なくとも嫌悪感を覚えるほどでもないし、何よりもう慣れた。
家庭のこともあり、頻繁に通うわけではないが、かれこれ数年もお世話になっており、すっかり顔見知りだ。
大きくて肉付きのよい身体に抱き寄せられ、見下ろされることを想像するだけで勃起する。
正直、ノーマルな性的指向だったらどれほど楽だっから…とも思う。
おそらく風俗なんて一生利用することは無かっただろう。
でも、この特殊な性的指向を抱えている以上、捨てることはできない。大げさかもしれないが、自分のアイデンティティを構成する重要な要素だ。
なんか最近富士葵さんの曲をyoutubeで流しっぱなしにしていると仕事が超はかどることがわかってずっと聞いている。
声が透き通っていて、夏色とか言の葉の庭のRainとか(最近雨ばっかりだからね)すごく曲の選択がいいなぁと思っていたら、
つい最近追加された鳥の詩(Air)=>you(ひぐらしのなく頃に)のコンボで、気づいてしまった。
リスナーも同世代のおっさんなのだ。。。そりゃそうだ。覚えのある曲ばかり流れてくるわけだ。アニソンもそれ以外も。
自分はジャスト三十路なのだが、カラオケで先輩がイエモンの曲を歌ったときの乗っかれない感じがない。
リアタイで知っているかそのあとで追う形で刷り込まれたかで違ってくるわけで、その違いは思ったより厳密なのだ。
それを外さない彼女が自分たちとは同世代ではないだろう...ということは。
あーーと何となく落ち込んで、これだけは親父に刷り込まれた中島みゆきさんの「ファイト」に戻ってる。
葵さんのyoutubeだと途中から=彼女には合わないだろうけど、あの曲をフルで歌った時の歌詞の最初の不条理感と暗い笑いが大好きです。
私はあと少しで三十路を迎える、女の体を隠して生きているおじさんだ。
これまで浮いた話も何一つなく、友達すら碌におらず、ネイティブ男性なら魔法使いになれると言われる年齢になろうとしている。
物心つく前から自慰に精を出し(出ないけど)、あまり恵まれたとは言えない生育環境から来る心の油切れを愛液で補い生きてきた。
詳しい話は割愛するが、高校に入ればいじめを受けて中退し、大学に入ればDQN隣人を引き当てて心を壊し中退した。
大人になるにつれ、中々愛液だけでは間に合わない事も増えてきた。そして下される発達障害の診断。
ひきこもってはブラック企業に就職、を繰り返し二十代を溶かした。
ほんの数か月前、就労移行支援施設を出て、今は奇跡的に私に優しい職場で働けている。
生きていく中で、小さい頃から足りなかったものがこの数か月で少しずつ、確かに充足していく。
生活は楽とは言えないけれど、私は運が良い。
就職難に喘ぐ人、自分の障害と折り合いが付けられない人、人とのかかわりによって傷ついている人。
世の中には困っている人が本当に沢山いるのに、私は幸せでいいのか。
そして、そんな恵まれた私が、女の人に手マンされたいという欲望から来る詳細な夢から先程飛び起きた。
夢の内容は三人称視点だったので、正夢になるとしたら別の人が別の女の人に手マンされる事になってしまうが、
ここで自分が増田に投稿すれば、夢の最後の場面は正夢になってなんかご利益があるかもしれないから投稿します。
うるセーーーーーーーーーーーーーーックス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
オナベが全員イケメンで「女の気持ちがわかるからモテモテ☆」だと思ってんじゃねーぞクソダボが~~~~~~~~~
ネットのオナベはどこもかしこも彼女持ち手術済みキラキラライフ送りやがってよ~~~~~~~
こんな事どこにも言えねーし書けねーからここに書いとんじゃネタ扱いはもっと薔薇咲くまで視野拡げてからやれゴミめら~~~~~~~~~~~~~
ついでに元の文改行した
漁師の子として育った俺は、少年時代そりゃもう毎日のように海へ行っていた
何なら実家の土地の範囲は実家から真っ直ぐ海岸線までだ、古い漁師の家だとありがちである
親父がよく「我が家にはプライベートビーチがある」と言っていたがそんなオシャレなもんじゃない、そもそも砂浜ではない
三十路男にありがちな、ちょっと偉くなって部下を数人持つようになった
2歳になる息子を抱え、よーしお父さん張り切っちゃうぞと炎天下の海で騒いだ
次の日、それは急に襲ってきた
三十数年の人生の中、ここまで肌が痛みを持つなんてことなかった
嫁が言う、日焼けの痛みでしょ?と
えっ?は?いやだって俺今までそんな経験ないよ、ガキの頃だって年中日焼けしてたようなもんだし
嫁は少し考え、たぶんだけど一気に日焼けしたことないんじゃない?と言う
うん、確かにない
ここのところ、会社や家にこもる日々が続いて直射日光に当たることも無かった
年中、陸上海上で日焼けしてたガキの頃は少しずつ日焼けしていたと言って良い
いやでもアレだよ、激痛なんですけどwwwww
えっ?マジ?日焼けの痛みってさ、こんな痛いの?wwwww
あまりに痛すぎてさ、寝れないんですけどwwwww
あ〜なるほど、子供の頃は野生児過ぎて日焼けの痛みに耐性できてないんだと嫁が冷静に分析する
なんかアレだね、大人になってかかる麻疹はヤバイみたいな話だねwwwww
くっそwwwマジ痛いんですけど、えっ?いやホント勘弁してほしいwwwwww
増田は俺か。
話すと必ず相手(自分の場合は母)が、自身の言葉に刺激されて昂りスパイラルに入る。
そうなった時、指摘すると激昴する。そして母の近くにいる父は、俺が刺激したと勘違いし電話口の向こうで激昴する。
指摘しなくても、勝手に昂るので、ピークに達するまでの時間が長いか短いかの違いでしかない。
話すだけ損だし、自分らの行動・言動はすべて正しいもしくはやむを得ないものと認識しているから自浄・内省機能がない。
もうどうしようもねぇなと思いながら三十路を迎えたわ。
これ何様やねんって理解はしてるけどこの時期になると思っちゃう。実際実家には帰らないから会わないんだけど、話がある度に会いにくいなぁと思っちゃうんだよね。
地元は地方の片田舎。今住んでるのは所謂都会の方。もう三十路になると、田舎の人間関係の狭さと経済的な弱さを実感して辛くなる。大体人間関係は高校の時まででみんな止まってるんだよね。プラスで仕事の人間って感じ。趣味の友達とかいないのって言うとそんな友達ができるような趣味がない、ネット関係で知り合うとみんな都会だからで止まるって話だった。逆にお前はいいよな都会にいるからチャンスがあって趣味も広げられてって言われる。興味を持って手を出してみてるだけ、だけど向こうからするとそのハードル超えられるの自体が都会にいることのチャンスなんだろう。
1年前に集まったとき年も年だから、給料の話とか仕事の話とかした時に地方との差を実感して下手に会いにくくなったんだよね。向こうは、高校時代と同じカラオケ→ファミレス(良くて安い居酒屋)の感覚で別に悪くはないし変わる必要もないんだけど、変わり映えしないよな。昔と同じことを繰り返してると新しい刺激がないなって思ってしまう。
自分は幸いな事に大手企業(メーカー)なので土日休みなんだけど、田舎残留組は土曜出勤有りの職場だ。そして正規雇用とか言うても給料が同じ国内か?ってくらい安い。大体240~350万が一番多かったかな。だから給料の話になって「うちはこんなもん」「うちはちょっといいな、こんなもんだ」「うちはそれよりちょっと低い…」みたいに盛り上がる時に何も言い出せなくなった自分がいて溝を感じた。
うち一人が転職で地元の大手に入れて自慢げに言った時があった。こいつのおかげで数字言わなくて済んで助かったが。
「転職成功して給料が滅茶苦茶上がった!この中で一番高い自信がある!」
「そりゃ良かったおめでとう」
「460万くらいになったぞ年収、君は都会出てるから高そうだけどどうよ?」
「うちでそれよりちょっと(120万くらい)高いくらいだよ(苦笑)」
「そっかぁー」
都会にいると周りもそれなりの人達が多くなるから、自分の給料に対してそんな高いとか思わなくなる。でも、田舎に残ってたらその給料だったんだろう。この貰えている給料は、能力とかではなくその地域のベースと後はただの運だ。その給料での生活がもう想像すらできなくて、つい怖くなる。
え、田舎だから生活コストが安いって?車が必須だからその維持費で家賃と変わんなくなるよ。家賃まで払ってたら田舎のほうがコスト高いんじゃないかな。
運良く都会に出られたことは自分にとってはプラスだったし、良かったなと思えるけど、田舎の友人とお話してそれを感じることは本当に嫌気が差してしまう。そして、会いにくくなる。IT化によってどこでも仕事できたり地方でもできる仕事が増えるみたいな幻想は何だったんだろうねぇ…自分にはIT化によりもっと格差が広がった社会が見えるよ。