はてなキーワード: ロールモデルとは
今回の事件とは別に彼のお笑いの立場について「権威になってしまったからダメだったのではないか?」という感想をたくさん見かけた。
私はすごく小さな業界の中の、ある一部の仕事だけ人よりも飛び抜けてできる。その仕事をする人達の中でのみ有名人だ。そのすごく小さな業界で私は権威になり始めてると思う。今年40歳になる。
ずっと挑戦者のつもり、カウンター側のつもりだったのに気づいたらトップの座にいて後輩からはチヤホヤされている。でも松ちゃんの事件を見ているともう後輩たちの本心はともかく自分はチヤホヤしなきゃいけない存在になってるんだろうなと思う。
この先のロールモデルがうまく思いつかないしどうすれば松ちゃんのように裸の王様にならずにすむんだろう。この先どうすればいいんだろう。
同じ人の人生の進め方を知って、参考にしたりしなかったりしたいと思って調べ始めた。きっかけは書くまでもないだろうけど就活です。
同じ研究室の先輩を遡っても最後に女性がいたのは何年前?って感じだし、
同期は教員になる子や博士に進む子、自分とは専攻が違う子…といった感じ
通りで「リケジョ座談会!」みたいなイベントがあちこちで開催されているんだ。あれも横の繋がりって感じではないけれど。
自分の人生は自分のものだし、境遇が違っていてもいくらでも助け合えるし、そもそも全く同じ人なんていないし、他の人だってみんなそうなはず、私が贅沢言ってるだけ
だけどこんな風に考えてしまうのは、上に書いたような特徴を持った人はたくさんいるって知ってるからなんだろう。毎年100人くらいは増えてるだろうに…。
それに加えて「どうせ理系女子なんて就活楽勝でしょ」と就活すらろくにしたことないような人に言われたりするのも、その原因なんだろう。
「冬インターンとか行ってる〜?」って聞いてくるあなたは公務員試験がんばったんだろうけど、それってこの時期の一般受験生にちょっかいかける指定校と同じじゃないですか???
芸能人(芸人)としてどうやって女遊びをすればヤバくならないかのロールモデル、平たく言うと失敗例、がたけしの時代には嫌でもたくさんあった
「自分たちでお笑い切り開いてきたような人」たちにはそういった過去事例へのアクセスや蓄積がなかなかないのだと思う
彼(ら)をみてきた次の世代くらいはまた違うんじゃなかろうかね
ネットで売れたネットに親和性が高いアーティストだからネットで『うるさい』って言われてないだけで
リアルでは割と『うるさい』って言われてるで
その証明というか地上波ドラマで主題歌やっただけで何もしていないのに炎上したぞ
なおAdoちゃんはとってもお行儀良いしロールモデルという概念がある模様
『良い意味でも悪い意味でも大人は子供達10代に影響を与えます。この先自分がどんな人間になっていくのかはわかりませんが、カッコいいと思える大人になりたいと思っています。10代にカッコいいと思われる20代に、世界にカッコいいと思われる日本人に、自分でカッコいいと思える人間になれるよう、“大人”の皆様、一緒に生きていきましょう』
ただうるさいって言ってる人にもAdoちゃんの『飾りじゃないのよ涙は』はウケよかったよ
それは怒りだったのかな。
結婚して子供が生まれて、という、そういう家族や親族がもつであろう期待に応えられない、という「親不孝」感というか、葛藤が
人知れずずっとあったはずで、その苦しみを自分が理解されてこなかったことのストレスとしては、とらえては来なかったと思う。
そう思うと、家族や親族に顔を出しにくくなる、というのは自然なことじゃないかな。
一方的に宣言する形になったもっとも大きな動機は、知らず知らずのうちに期待されるロールモデルによるストレスだっただろうし、
そこから決別する、だからもう期待しないでくれ、そしてお母さんに迷惑がかかるだろうからもう親族の集まりにも顔をださないよ、ということなんだろうと思える。
息子が近いうちに同棲するかもと言うので大人だしあんたの人生だから好きにすれば良いよ、ということを伝えたら、息子に親族の集まりにも二度と顔を出すつもりはないし実家に帰る頻度も減ると一方的に言われた。声を荒げてはいないけど今までの人生で溜め込んだ怒りをぶちまけたような感じだった。
親が望んでなさそうな道を子供が歩もうとするとき、その決別の思いが、
親や親族、あるいはふるさとに対して一時的に強い感情に形を変えてぶつけられたのではないかな。
親が子の幸せをずっと願っている、ということをひしひしと受け止めながら。
中原中也もそうだったし。
今日は、英会話スクールに行ってきました。しかしリモートで英会話を学べばいいのに、なぜわざわざ足を運ぶ必要があるでしょうか。
私は仕事もリモートなので、こうでもしないと運動をしないのです。つまり街を歩くという運動としての目的が、英会話スクールに行く理由なのです。
しかし、そうはいってもスクール代が1万円かかるので、節約のために辞めたいと思うことはあります。以前、一度そうやってやめたのですが、やはり家に籠って何もやらなくなってしまったのです。
なにより、人と会話する練習になるというのが最大の利点です。普段はあまり人と会話しないので、会話する機会があると人間不信感が和らぎます。
ただ、体力があまりにもないので、英会話スクールから帰ってくると12時から6時まで寝てしまいます。英語以外に何か有意義な趣味はないものか...と悩みますが、私は社交ダンスというタイプではないので英語ぐらいでちょうどいい気がします。
東京に行けば大人の数学スクールというのがあるらしいですけど、興味はないですね。数学そのものに興味がある場合、スクールというのは独学に比べて非効率なのです。
英語はコミュニケーションが要点ですが、数学はそうではないので、スクールの利点がありません。本当は競技プログラミングとかオンラインチェスとかでバリバリとレートを残したいですけど、32歳にもなると若者の瞬発力に負けてしまいます。
「何者かになろうとする」という自分の行動傾向が存在するのかもしれません。集中できることに取り組んでその分野で名を知られたいとか、そういったことです。
しかしそういう虚栄心は捨てたいという気持ちのほうが強いです。ミニマリストというと語弊があるかもしれませんが、人生を楽しむうえで大切なことを残し、他人と競い合うようなことは無駄なので捨て去りたいのです。
あるユダヤ人Youtuberは、聖書を読み上げ「足るを知る者は富む」という真理について説明していました。私はすでに足りているのに、まだ何かを欲しいと願っているのかもしれませんし、そういう悪い癖は治したいです。
結局、私は「寂しい」のかもしれません。友達がいても寂しく感じてしまうのは、私が何かを言ったときに常に反応が欲しいと思ってしまうからです。
友達も暇ではないので、私に対して常に反応することはないでしょう。だから私は、「フォロワー数を稼ごう」などと、これまた虚栄心に満ちた発想を持ち、反応される確率を気にしてしまうのです。
私には「新規探求性が高い」という自覚があります。つまり、常に「新しい何か」を探しています。
しかし「新しい何か」が見つからないときは非常に鬱憤が溜まります。「2023年の新しいソーシャルメディア」と検索して、確かに新しいかもしれませんが、求めていたものではないのです。
私が迷い、混乱するのはロールモデルの不在のせいかもしれません。様々な人を見てきましたが、有名人や成功者ほど私が失望するような言動・行動をしているのです。
「何かが物足りない、でもそれが何なのかがわからない」これが私の悩みなのです。
新卒一年目の時にASD(あと多少ADHD)グレーゾーンであることが判明した。
特性もあって一社目はそれなりに苦労したが、そのおかげで得意不得意が明確化され、それを参照して選んだ二社目はなんとかハイパフォーマーとしてサバイブし、順調に給料も上がっている。
そして、プライベートではグレーゾーンであることをそこまで隠していないので、たまに同じく発達障害で悩む人間からキャリアに関する相談がくる。
・自分が男性かつ既婚者で、働いて稼がないといけないという強迫観念がモチベーションになったこと
・ASDの中でも所謂受動型と積極奇異型のミックスで、コミュニケーションの矯正が比較的容易だったこと
・発達障害とはいえベースのIQは高めで、過集中などのブースト恩恵を受けやすい知能であること
・そもそもグレーゾーンであってそこまで重い症状ではなく、日々のTipsである程度カバーできる範囲であること
このあたりの、自分の努力以前の生まれ持っての気質や外部要因がかなり影響していると考えている。
一方で、相談してくる人間たちは自分に「一発逆転の魔法の発想の転換」を求めてくることが多い。
これを言ってしまえばおしまいだが、自分は発達障害の中ではかなり恵まれている方なので、正直ロールモデルにはなり得ない。
一口に発達障害と言っても症状が多様すぎて、正直全員に当てはめられる納得の解なんてない。
支援機関から講演だかなんだかの依頼が来たこともあるが、同じ理由で断った。
東京一工早慶くらいならともかく、そうじゃない「一般的な能力−デバフとしての発達障害」とか、ますます自分の体験でカバーできる話ではない。
最近ブームもあってから、発達障害をまとめて語ろうとし過ぎている気がする。
弱者男性議論と同じで、このままだと救えるものも救えないので、もっと細分化した概念として世の中に浸透させた方がいいと思う。
この手のヤツはどんなモバイルゲーでもガチャがあればソシャゲと呼んでくだらないと決めつけてくるんよな
まだゲームは何でもファミコンと呼ぶ親の方が悪意がない分マシやぞ
買い切り至上主義者は今のゲーム市場の5割がモバイル、8割がライブサービス型なのを直視してないんよな
そんだけホットな領域だから一口にガチャ有りと言っても全体の課金形態やゲーム性との結びつき方も急速に良くなってるの想像できんのかな?
ガチャと言っても拝金主義みたいなえげつないしょーもないガチャ仕様のやつはもう売れないんだよ
上位のやつなんかトータル700億円以上かけて作ってるのもあるし、据え置きの大作超えるくらいスゲー作り込みで
欧米企業が主催する主要なアワードでもガチャ有りゲーが評価されノミネートされてる例がいくつもある
つまりガチャ機能があるからと言って、ガチャが楽しさの大半を占めてる「ガチャゲー」みたいに捉える印象はもうズレてきてるし
昔のソシャゲばりの射幸性は薄まって、ガチャもどきのワクワク感だけ残して健全化されつつあんの
むしろ買い切りやDLC販売方式よりも、ユーザーのモチベを維持しつつ中身で勝負する世界になってるから進歩的
ユーザーが今でも自嘲的にガチャゲーとか言うかもしれないが、それを真に受けてたら老害まっしぐらよ
中身は昔と比べ物にならんほどゲームになってんだよ
バトルパスが流行しだした初期はまだゲーム設計とミスマッチなモバイルゲーが多かったが
今はバトルパスや月額課金という任意サブスクのリソース課金をベースにした育成レベルデザインになってる
そうしたサブスク課金の副産物で回すガチャでキャラプールは「着実に」充実する作りになってんのよ
こうした課金スキームの微妙な変化によって、昔のようにガチャ課金が主体で一部の廃課金者によって買い支えられる
胡散臭いエセゲームビジネスを脱却できる道筋が立ち、ロールモデルとなるタイトルも出てきたのが最近のモバイルゲームの質が向上した要因
まあそれに引っ張られて開発費もやべーくらい高騰してるわけだがそれは置いといて
これによってモバグリレベルのソシャゲどころか、パズドラ白猫時代みたいなインフレ前提のゲーム設計も新作においては珍しくなった
まあ日本市場は特殊で古臭い設計のやつも上位にしぶとく残ってるんだけど、それは日本人がソシャゲ的常識に過剰適応してるせい
特殊市場の日本では未だにガチャの確率を緩くする事を好み、つまりランダム性・射幸性を高めてバラマキする(必要があるほどインフレと課金煽りがキツい)作品をユーザーが歓迎してしまう部分があるけど
グローバルで成功してるガチャありゲームは真逆で、確率は極めて低くして、ほぼ確定の排出ポイントでしか出ないようにするかわりに
ガチャ機能に費やした石が無駄にならないような、実質的な配布システムが好まれるから、バトルパスと合わせたコツコツプレイが報われるゲーマー好みの設計になる
古臭いガチャゲーだと無課金や微課金じゃ数ヶ月かけて溜め込まないと天井にはまるで届かないくらい高い天井だったせいで
運による格差が致命的になるし、引くタイミングが「人権キャラ」みたいなインフレ加速の環境チェンジャーを皆が狙うから、手持ちや戦略がみんな同じになるしでゲー無感が強かった
そういうゲーム面でみたときのしょーもなさに対しても進歩してて改善が働いてるし、そういう作りに反発するプレイヤーからの圧力も高くなった
このへんの微妙な変化は長年モバイルを含むマルチプラットフォームF2Pタイトルを追ってる人じゃないと凄さが分からんだろうが
「周回してガチャ引くだけのゲーム」という揶揄はものすごく局所的に見ればそう解釈できる部分があるとはいえ
全体としてはコンシューマよりコンシューマらしいゲーム体験の上にそれが乗っかってる場合すらあり、馬鹿にできん
だいたいそういう穿った目で見れば買い切りやコンシューマだってやってることは反復作業と言い張れる
だいたい、まあ一部のプラットフォームなら試用や返金が充実してるとはいえ、中身が分からんもんに先に金を払うというシステムが
通用する時代じゃなくなってることは誰でも分かるだろうし10年前の増田ですら未来のあらゆるコンテンツは基本無料が主体ってことは予見してた
モダンにアップデートされたガチャ機能を含むF2Pモデルこそが万人にとって柔軟に付き合える優れたゲームを生む土壌になるんだよ
ガチャありゲーを作ってる中にも、いや中にこそ、本物の素晴らしいクリエイター魂が宿ってるってことをいつか理解らせてやるぜ
カニだと思ってたものがカニカマになってて、カニカマだと思ってたのがカニになってた事にあとから気づいても発狂するなよ頼むから
しらんけどな
「母の仮面がしんどい」とか、「母になる前の自分に戻りたい」とか、母親として押し付けられるアイデンティティに対する辛い心情の吐露が、度々話題になる。
私もそのような言説を見聞きして、自分も子供を持つとそのような息苦しさを感じるようになるのかとぼんやり思っていたが、実際に子供を持ってみても全然そんなことはなかった。
育児休業を取得し、1日のほとんどを育児時間に費やしても、私はずっと私のままだった。日常的に二人称として「お母さん」と呼ばれるようになったが、それは想像以上に私の自己感覚に影響を及ぼさなかった。
なぜだろう、と考えてみると、複数の要素に思い当たる。思考の整理の意味で、要素を書き出してみる。
ちなみに「母の仮面」がないことと子育ての大変さは無関係である。夫婦双方の実家が頼れない状況で、それなりにハードな毎日を送っている(抱っこのし過ぎで膝が曲がらなくなってきた)。
自分の母親(絶縁状態)の育児が思い返せば思い返すほどひどいものだった。なので「自分の親は偉大だった」と気づいて自分の育児のハードルが上がるようなイベントが起きない。この点に限っては、自分の親は偉大なのかもしれない。復縁するつもりはないが。
母親になって以前のようにファッションが楽しめなくなったと嘆く人は少なくないかもしれないが、普段からノーメイク&カジュアルファッションだった私は子供を持つ前と装いがほとんど変わらなかった。せいぜい立ったまま脱ぎ履きできる機構がついたスニーカーや、立ち回りに便利なボディバッグを導入した程度(これらのアイテムも元々物ぐさな性分によく合っていた)。
むしろ子育てしながらメイクやネイルもキマっている人ってどうやっているんだろうと恐ろしくなる。
自分の家庭環境が劣悪だったので、子供を持つ前に子育てについてしっかり一度勉強しておこうと思い、社会人になってから保育士の資格を取った。
そのおかげか、子育てに対する姿勢に「保育者」としての目線が入り、一歩引けているのかもしれない。
「この子には私しかいない」ではなく、「この子に対して、この社会では第一義的に責任がある」という感覚。
保育士の資格勉強を通じて、歴史上たくさんの大人たちが子どもの権利を守るために力を注いできた、ということを知られたのは本当に良かった。自分もまたそのような大人でありたい。
家庭環境が最も悪化していたときに禅の思想に出会い、そのときの感覚を今でも大事にしている。
言葉にすると浅学さが滲むが、「本当の自分」という考えに執着しない姿勢でいる。「子どもを持つ前の自分が本当の自分」という考え方そのものが、私にとっては自然でない感じがする。
もちろん、「子どもを持った自分が本当の自分」という考え方も同様である。
これが一番大きい気がする。
自由時間が大きく減る中で、SNSを見る時間が圧倒的に減った。代わりに子どものために外に出かけて、自然に触れることが増えた。もともと植物が好きな自分にとって、大きくプラスとなる変化だった。
絵本を借りるために図書館に行く日も増え、子どもと楽しむという名目で様々なジャンルの図鑑を借りたが、予想以上に知識欲が刺激されて面白い。
SNSから離れたことで、趣味の絵もマイペースに自分が描きたいように、ができるようになってきた。増田に長文投稿するようになったのも子どもが生まれてからだ。
趣味嗜好に関しては、むしろ子どもが今まで被ってきた仮面を捨ててくれた、という感覚がある。これは子育て固有の変化というより、広い意味での「自分に気づきを与えてくれる人物との出会い」だと思う。
これを書いている隣で子どもが寝ている。保育園に入って「〇〇ちゃんママ」と呼ばれるようになったら、また心持ちも変わるんだろうか?
その役職につきたくないというのがどういう背景で起こっているのかが問題なんだと思う
出産、育児、家族のケア、介護が今ある、または将来あるかもしれなくて、それをどうにかできる見通しがないときに
役職を得る機会があっても、それで詰むリスクが高いとなると、役職や高収入や起業など、更に負担が増える選択を避けがちになる
挑戦してみてダメだったらその時はその時、の勢いで飛び込んでみるのも女性には必要だとは思うけど
そうするには女性が担いがちな役割が女性にのしかかりすぎだとか、役職を持っている女性ロールモデルの大変さが見えすぎとか、そういうとこだぞ・・・はある
となると、男性はもうちょっと今できることから男女平等のために動き始めてから女性に色々言えばいいんじゃないかな
例えば男性育休を女性並みに取るとか、アファーマティブ・アクションをやるとか。
短期的に見たら稼ぎ手が休むから家計は苦しくなるし、女性が優遇されると男性が割を食うから、それは嫌だというのもわかるけどね。
治療によって
・人生を取り戻そう!
とかそんなのがズラズラと並んで俺みたいな元々どうしようもないカスがギャンブル依存症になって治療することを想定してないんだなと実感してる
強いて言えば親との関係だけどギャンブル依存症になる前から冷え込んでるから治す関係がない。
経済問題の整理たって借金代わりに返済してくれるわけでもないし、俺みたいな年収適当に申請して金借りてたり金借りる友達や前借りする仕事がないようなカスに仕事や金くれるわけじゃないんだろ?
人生を取り戻そう!!ってこっちには取り戻す人生がないんだよ。だからギャンブルやってんの!
結局この手の治療は
「まともな人生送ってるやつが依存症で気違いのカスになって谷から転げ落ちたのでがんばってまともな人生に戻りましょう!」
というのがロールモデルで
「どうしようもないカスが依存症になってもっとどうしようもないカスになったから多少マシなカスにしましょう」
というのはあまり想定してないのか求めてないんだなぁ。。
心理学者マセド氏は、女性キャラクターの性的描写が一般的になった理由として、これらの作品が子供向けだけと考えられていないためだと説明。大人もアニメとマンガの重要な消費者であることを強調、女性キャラによる性的要素を取り除けば売上が減少する可能性があると指摘している。
13歳のナタリア・リマさんは女性キャラの性的描写に不快感を受けている。彼女はアニメ「Berserk」を初めて見た時、黒人キャラの「キャスカ」が性的に描かれていることを発見し不快に感じた。このような性的描写は、黒人女性がどのように捉えられているかを知るきっかけになったとも述べた。
マセド氏は「私たちは若者をロールモデルとして考えなければならない。エンターテインメントにとどまらず、大人の男性の喜びを満たすだけでなく、子供たちや若者が尊敬する良きロールモデルとなるような物語を構築することが不可欠だ」と警告した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b784fdeb3da39d493694e2795b5d3d4a310d0f9