はてなキーワード: キッパリとは
答えになってなくない?
Q.「なんで~」
A.「その通りで、」
て。
にもかかわらず「日本死ねはない」「増田は金持ちだった」だの”いかに増田を引きずり落とすか”に力が注がれていることが気分悪いんだよ。
その言葉に対して気分悪くなった人間が被害を申し立てることには逆に
「本筋と違うだろ黙れよ」「気分悪いんだよ」と?
正直言って
ブコメの「貧乏人は黙れ」「魂まで汚れた貧乏人」みたいな暴言の数々も、見ててとても気分悪かったよ。私も。
あと元増田には余り興味ないけど、子供手当ての額を書き間違えたっていうのはまあ嘘だよなーと思う。
収入が問題じゃないなら(私も問題じゃないと思う)なんでそこで嘘つくの?という疑問や不信感は有る。
これらを申し立てるのは駄目なの?
これYESかNOかで答えられる質問だから是非キッパリ答えて欲しいな。
「その通りで、」って答えじゃないよ。
私に対して「それはお前がウヨクで貧乏人だからだ」とか言い出す?
私はウヨクじゃないし特別貧乏でもないけどあれ見てとても気分が悪い。
(というか私がウヨクだったり貧乏だったりしたら気分悪くされたことについてノーカンなのかな…? それもよくわからない話だ)
三日ほど前に彼女と待ち合わせをした際、三十分ほど遅刻される。
(親と恒例の買い出しに出て色々アクシデントの後にご飯食べてたら遅くなったとの弁明)
俺は一切責めず、笑顔で、逆に彼女を賞賛しておいた。いつものように来てくれてありがとうと。
ただし当初予定していたプログラムには間に合わず、既に受付が終了し入れなかった。(彼女は受付よりもトイレを探すのに執心していた)
この時点で大きく予定は崩れたのだが、その後で食べようと話していたスイーツの店についても俺が調べてあったので、場所を教え、お互いの車で向かった。
その店はたまたま彼女の大学時代のバイト先のそばだったので、スイーツをつつきながら大学時代の話などし、時間が余ったので近くのデパートへ。
ブランドショップやら本屋やら二時間くらいウインドウショッピングして、さて日も暮れてきたので解散、となったところで、
縁談という事で紹介を受けながらも縁談を進めたがらずに普通の男女交際から始めたがった彼女が、その男女交際すらあまり積極的でない様子がずっと続いており、さらに変化の兆しすら見えなかったので、「そろそろ縁談相手として見られるようになってきたかな」と別れ際のジャブを打ってみたところ、「結婚相手としては不安がある」との返答が返ってきた。
不安って何ぞ、と思ったので言うように促すが、どうにも言い渋る。
言い渋る理由を尋ねると、俺が彼女に一切ダメ出しをしないのに、彼女が俺にダメ出ししてばかりいる形になるからだ、との事。
とは言えそこで「うんそうわかったじゃあね~」で帰るのも不実なので、大丈夫!ボクは気にしないよ!言ってごらん!さあさあ!と、受け止めるレシーブ姿勢を見せた。
そしたらまあ。
堰を切ったように。
出てくること出てくること。
1:一番ひいたのは車、なぜあの車に乗り続けているのか、年収の事とか言う割には身の回りに気を使わない人なのかと思った
俺は地元から乗ってきた車にもうかれこれ12年乗り続けている。もともとが事故中古車で30万くらいの値段だったから入手時点で既に数万キロ走ってる中古車な上、自分でも事故も一度やってるし、バンパーもエンジンも一度換えている。
なんでそんな真似をしているのか。このあたりは、まず共感してもらえないだろう俺独自の価値観による行為の結果だという自覚はあるのだが、
ずっとこの車に乗り続けているのは、地元就職が叶わず、やむなく僻地に連れてくる事になってしまった愛車に申し訳ないという思いを抱えているためだ。こんなクソド田舎で廃車を迎えるのは忍びない。異郷の土となる愛車の姿を思うと、いずれ田舎で腐り果てていくだろう自分の姿が重なるので踏み切れない。
ま、地元でずっと安定職に就いて暮らす彼女にとっては知ったこっちゃない感傷だろうな、確かに。
2:あと一番初めに会った時に背広の上を着てこなかった、TPOをわきまえられない人なのかと思った
見合いの時、太りすぎてて背広の上着に袖が通らなくなっていた。んで、どうせ室内で会うしいいだろとスルーした結果。
かつて在職した職場では上着を着ない人も多かったのだが、彼女の職場は上着必須で、しかもなぜかそれを、病的なまでに絶対に堅守すべき常識と思い込んでいるので、目について仕方がなかったとの事。
仕事帰りの人が、ネクタイにワイシャツ、スラックス姿で見合いの場に出てくるのってそんなにおかしくて異常で不自然で非常識きわまる行いなのかねぇ。俺にはとてもそうは思えない。
背広の上着てないくらいで病的に粘着して、これまでにもたびたび何度も言及してきた彼女が正直こわい。上着無いと死んじゃう病か。
3:私を乗せて店に向かうとき、知らない横道にあっさり入っていって迷ったのが怖い
彼女は外食とかしない家の人なので地元の店を全然知らない。俺の生活地から彼女の地元まで数十キロ離れているが、案内役はいつも俺。
数十キロ離れた土地の事なんてインターネットで一生懸命調べてあとは現地で本番時に五感をフルに使って案内するしかない。こっちも仕事してて下見行く時間なんかない。
そりゃ迷うのが当たり前で、そもそも注文つけられるレベルじゃない。が、その苦労は知ったこっちゃないらしい。俺はナビじゃない。
4:毎回毎回会ってくれてありがとうとか言われるのが居心地悪い、私はそんな大した存在じゃない
いや、ワタクシタチは婚活をしているのですが…。相手を罵倒するより感謝をした方が建設的なのは当たり前の事じゃあないのかな?
会ってくれたくらいで感謝すんなや、って話なのかも知れないが、そもそも彼女は一切話を振ってこないので話題がないから、こういう話の切り出し方になるのですよ。
あとこれから結婚しようと考えて接している相手は、(たとえ候補といえども)そいつにとっては大した存在、じゃないかな普通。
5:あといつも決定を委ねられるのがイヤ、将来も大事な決定を全部私任せにされそう
あなたがデートプランを気に入らないと連れて行ったところで意味がないから必ず承認を求めているだけですよ女王陛下。
自己中心的な俺様野郎に振り回されたい願望でもあるのかな。絶対に自分の意見を必ず提示する彼女の性格からして、まずそういう相手には反発するだろうに。
6:私に対して低姿勢過ぎて仕草が女の子みたい、きっと自分に自信がないんだと思った、もっと自信を持って欲しい
プライドの高そうなあなたが高圧的な態度の人間は毛嫌いしそうなタイプだからこういう態度取ってるんですよ閣下。
とても話しかけづらいオーラを放っている婚活相手だから、こちらが随分年上でも下手に出ているんですよ閣下。
閣下もご覧になった事のある『清洲会議』でも言ってたでしょう。“年上の女房は年下に扱い、年下の女房は年上に扱え、それが夫婦円満の秘訣だ”と。役所も「うむ、肝に銘じておく」とか言ってたでしょう。
7:食う時の姿勢が悪い
お母さんか。
8:太っていて油っこいものが好きそうに見えるので食生活が合わないんじゃないかと思った
閣下。閣下の前で俺、一度も大食いとかしてないでしょう。というか俺別に大食いじゃないですからね。
というか閣下は俺の作ってきた弁当とか食べた事ありますよね? 和風野菜炒めだけ「これは美味しい」って言って完食してましたよね?
9:そもそも私はやせている方が好みなので
一度会えばどれくらい太ってるかなんてわかるだろ…。じゃあ最初の見合いの後でキッパリ断れや…。
これだけの事をおおよそ三十分に渡って淡々と訴える閣下は絶対上司に持ちたくないタイプだと思いました。
ここまでの言葉を相手に向かってぶつけている以上は、やはり閣下にも相応のご聖断とかあらせられる上での事だと思ったので、
ああやっぱり破談かな、と思う。
ので、最後に握手くらいしてみようかと思い、理由を言わずに握手の提案をしてみるも、
「いや、握手の理由がわからないのでしたくないです、そもそも人に触られるの好きじゃないです」
男女交際は初めて、装身具も身につけない主義、との謎のフォローが後から入れられるが正直どうでもいい。
で、その後、「来週は職場の送別会の飲みがあるので再来週に」と予定を交わして別れる。
あれ?
ああ、これは後日相談所から「今回のお話は残念ながら・・・」という連絡が来るパターンかな、と思って身構えるも
(実は最初の見合いの時も破談になる雰囲気満載の態度だったので、覚悟するのはすでに二度目)
連絡来ない。
あれ?
「二週間後までに痩せて車買い替えて態度をオレサマ男子風に改めとけや」
かな?
ここまでの要求を平然と相手につきつけるその神経も疑うが、ここまで合わないと思っていて実際に「合わないのかなって思ってるんです」とまで相手に実際に告げておきながら、破談にしない理由も謎のままだ。
ともあれ、突きつけられた要求の大きさとこれまでの常識の通じない相手の怪物ぶりに、仕事の繁忙期ながら二日前からどうも意識がボヤけたままだ。
もちろんこの二日でダイエットなぞしていないし、車を買い替える手配もしていない。そんな気力すら湧いてこない。
閣下からは「発言はあまり気にしないで下さい」みたいな返信メール(いつも会って貰った後には必ず丁寧なお礼メールを送っているのでその返事)が来ていたが、アレを、あの発言群を、なかった事にするのは重すぎる。
ああ…破談にするのも続けるのも、どちらもとんでもなく苦痛だ。
ベッキーのファンというわけでは無い。
彼女がレギュラー出演している番組は一つも見ていないので、彼女がTVに出なくなっても俺の生活には何の変化も起こらないし困る事も無い。
それでも俺はベッキーを応援する。
思い出して欲しい。恋をして、恋い焦がれて、その想いが実って、付き合って3ヶ月位の頃を。
毎日が浮き浮きしていて、ラブラブで、相手の事が愛おしくて仕方なかった頃の事を。
その時期に、「実は嫁(or夫)がいる」と言われて別れられるか?
俺には自信が無い。
相手は畳み掛けるように「でももう結婚生活は破綻していて別れるつもり」と言うだろう。
既婚である事を隠して口説いてくるような人間の言葉なんて信用できないが、自分は既に恋という情念の世界にどっぷりと浸かっている。
頭の片隅では嘘かもしれないと思いつつも、心が本当であって欲しいと強く願い、愛する人の言葉を信じるようになるだろう。
もう周りの状況なんて見えていない。
おそらくベッキーを激しく叩いている人達はここで別れる事が出来る人なのだと思う。
そういう人は確かに存在する。
立川談春『赤めだか』によると、立川談志は『落語とは人間の業の肯定である』と言ったそうだ。
「実は結婚してる」と相手に打ち明けられたとき、キッパリと別れていたら、例え交際が明らかになったとしても今ほどのダメージは受けなかっただろう。
でも、そこで別れる事が出来なかったベッキーを、俺は許したいと思う。俺ごときが何から許すのか知らんが。
ベッキーも、弱くて駄目な一人の人間だったんだなあとむしろ親近感すら覚えてしまう。
一番の被害者は奥さんだ。
そんな事は分かっている。
分かっちゃいるけどやめられない事もあるのだ。
おそらく彼女は多くの物を失うだろう。
俺に正義は無い。
不倫を異常なほど嫌うネット社会では彼女を応援する俺も非難の対象になるだろう。
それでも俺はベッキーを応援する。
社会的制裁を受けた後、彼女の事を許す人が一人でも多い社会になれば良いなあと本気でおもっている。
──────────────────────────────
落語はね、この(赤穂藩の四十七士以外の)逃げちゃった奴等が主人公なんだ。
人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。夏休みの宿題は計画的にやった方があとで楽だとわかっていても、そうはいかない。月末になって家族中が慌てだす。それを認めてやるのが落語だ。
寄席にいる周りの大人をよく見てみろ。昼間からこんなところで油を売ってるなんてロクなもんじゃねェヨ。でもな、努力して皆偉くなるんなら誰も苦労はしない。努力したけど偉くならないから寄席に来てるんだ。
──────────────────────────────
http://anond.hatelabo.jp/20150605022921
これを書いた者だが、この後のことを話す。
元カノと別れる際に僕は「もう連絡も取らないようにしよう。今までありがとね」と言っていた。
しかし数日後元カノから「まだ好きだから諦めない。友達の関係でもいいから戻ってくれない?」と電話で言われた、
もう連絡も取らないようにしようと言ったものの僕はやっぱり元カノのことが忘れられないし〜・・・
それでもやっぱ切るもんはスパッと切らないとなと考え「何言われてももう無理、俺の友達とヤっておいてよくそんなこと言えるな」と言ってやった。
元カノはそれを返すという名目で僕の実家に何度も小分けで届けるようになり結局別れた後、何度も顔を合わした。
「なんや… メンヘラかコイツ…」って思い、もう一回キッパリ言ってやろうと2人で公園に行き話をした。
僕「もう一回言うけどもう無理だからな。友達に戻るのも無理。荷物ももうあまり無いでしょ?次持ってくる時に全部持ってきて。それか俺が取りに行く。」
僕「(ほんまもんのメンヘラやんけ… でもまだ好きだな…)うーん、、友達に戻ってもいいけど友達に戻ったからといって特に何もないで?」
確かこんな話をしたと思う。結局僕は吹っ切れてなくて友達という関係だけどスパッと縁を切れなかった。
縁を完全に切るか?友達という関係に戻るのか?どっちが正しいかわからないけど・・・
とりあえず1回だけまたセックスしてえ
僕本当にクズだな
惜しいけど、ちょっと違う。
勘違いしたまま時間浪費するだけだよお前の漫画ツマンネーから打ち切りだよ!ってキッパリ言ってあげなかったからだね編集者のおためごかしの言い訳が面白い漫画を描く未来を奪ったんだねかなしいかなしい増田君が言ってあげたら?
オレはただの一読者だからね。自分勝手に、ただ面白い漫画が読みたいだけなのね。
だから、「さっさと見切り付けて、もっと面白い次の漫画描けや」「そんで、くだらんことくっちゃべっとる傍観者どもの口を、お前の漫画で黙らせてみれや」「それが漫画家やろうが」って言いたかっただけなんだよ。
分かって貰えたかな。
ちょっとした事情があって、先日マスコミのインタビューを受けた。
普段マスゴミとかって貶されている人々の姿の一部を見たので、書き留めておく。
でも、僕の興味関心事項は、「どこで社の意見としてできあがってくるのだろう」っていう点に帰結する。
何となく記者さんってエリートエリートしているのかなって思っていたのだけど、そんなことなかった。結構世間話だとか、苦労話とかもこっちが尋ねれば教えてくれる。
無意識で「被疑者」という言い方をしていたみたいなんだけど、それに気づいて「法学部の方ですか?」と聞いていた。インタビューされる人の言葉遣いに極めて神経質なんだなと思ったし、成る程彼らが失言問題をよく見つけてくるなと思った。
勿論言葉を操る職業なんだから、言葉に神経質であるべきで、言い方は好ましくないけど、ただただ感心した。
タクシーで来てた人や取材車両で来てた人も一部居たけど、路駐するようなことはなかった(寧ろ警察車両の方が邪魔だった)
警察官は人を疑ってかかる感じがプンプンするんだけど、そういうのはなかった。
カメラクルーは時折ぶしつけだった。記者さんが真面目な感じだっただけに余計に目立った。
たまたま現場に一人しか居なかった僕に対して、記者さん達は私が私がっていう感じではなくて、誰とはなく音頭を取って節度ある態度で取材してた。
顔出しはちょっと…って渋るとどうしてですか?って聞かれるのはちょっと参った(キッパリ断ったら強く押しては来なかったけど)
某社の人は渡したスマホから勝手に画像を引っこ抜こうとしてたので慌てた。こういう例外事例はありました。
社の意見とかっていうのは誰が造るんだろうなって思った。記者の人達はそれぞれに問題に対する関心があって、(少なくとも言葉上は)社の姿勢に対しても批判的だったから、余計に。
関西弁話者は、経験的に言って自分の使う方言を主に使う。それが他の方言話者であろうと関西弁。共通語話者であろうと関西弁。国会などでは抑えられがちだが、イントネーションを隠そうともせず関西出身アピールが著しい。「郷に入りては郷に従え」というが、関西弁話者にそれは通用しない。
他方、それ以外の方言話者は基本的に自分たちの方言を使うときは自分たちの地方だけで使う。東京に来れば基本共通語であり、今となっては地元にいてもだいたいは共通語である。
以上のことから、関西弁話者はそれ以外に対して侵略的であることが、明らかである。
クマゼミといえば西日本でよく鳴くセミだが、最近は勢力を東へと広げている。アルゼンチンアリも東日本へと勢力を拡大させている。これは関西弁もまた、東日本へと勢力を拡大させるだろうことの、十分な証拠である。
これこそが恐ろしいことである。関西弁話者と話すと、まずイントネーションを支配される。共通語を使っているのに、なぜかイントネーションがぎこちなくなる。次に、アクセントが支配される。そして、ボキャブラリも関西弁特有のものとなる。こうやって徐々に関西弁話者は、関西弁を共通語としての地位を確立させようと画策しているのである。関西弁と話した人間は、しばらくそれが抜けないため、判断は容易であるが、回復は時間経過のみでなされる。
それに対して我々が講じうる策は、残念ながらない。我々は侵略される側でありながら抵抗するすべもなく、関西弁を話す傀儡へと遂げるのである。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/06/01/kiji/K20140601008278820.html
関西を舞台に長く放送作家を務めた百田氏は「大阪ではね、強調ために『ド』とか『クソ』を付けるクセがあるんですよ」とし、今回の件を「単なるギャグ」と説明。“問題発言”の後「入った泥棒も、あんまりかわいそうやから、小遣いでも置いていこうか。そういう国や」と言い「(会場は)ドッと笑ったんですけどね。(記事に)書くんだったら、そこまで書けよ、と」
その証拠に、関東には流れない大阪・読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」(日曜後1・30)で1年前にも同じ話をしたが、何のクレームもなかったという。
MCの東野幸治(46)が「バヌアツやナウルの国の人たちが聞いたら、悲しい思いをする、配慮が足りなかったかなとは思わないんですか?」と水を向けると、百田氏は「うーん、でも事実でしょ」とキッパリ。「謝る気はないですか?」には「うーん、これは例え話やからね」と答えた。
“問題発言”も「撤回しませんね、当然です」としたが「『クソ』は撤回してもいいかな」と“譲歩”した。
コメンテーターの「ダウンタウン」松本人志(50)は番組の準レギュラー・百田氏について「言ってることの大枠は間違ってはいない。ただ、伝え方がぞんざいというか…」とフォローした。
上記引用文を読めば明らかであるが、大阪ローカルの番組でクレームが出ないということは、その関西弁話者も差別的思想に染まっている可能性があり、これは百田個人の問題ではなく、関西弁話者共通の性質として考慮されるべき問題なのである。
関西弁が侵略的外来種であり、その話者がキャリアーであることは、これまでで明らかになった。当然だが、悪いのは侵略的な関西弁であり、話者ではない。
地域性豊かな方言を守ることは多様性の上で急務であるから、その一歩として、まずは関西弁を侵略的外来種として登録することで、その話者に関西弁の使用を控えていただくことが望ましい。
我々としても、自分たちの郷土の言葉を大事にし、地元ではたくさん郷土の言葉を使うことで、ふるさとの言葉の保全に貢献しようではないか。
哲学は「うまく言えない」ことをうまく言おうとする過程で生じるものだと個人的には感じる所が多い。
物事を明快に言い切る言論人(評論家、コメンテーター、さらには評論的なブロガーまで含む)の中には
「うまく言えた感」に酔ってるだけで、その先を追究しようという気概を感じないこともあるが、
哲学者というのは概して「うまく言えない≒うまく分からない」感じをどこまでも追究するタイプの人間が多いと思う。
それはある種の不器用さとも関係しているのかもしれない。教科書的ないしは常識的にスパッと説明とされても、「なんか違うんだよなぁ」という引っかかりを感じてしまうような。
そんな不器用さがある。かのエジソンも小学校で「なぜ1+1か」に躓いたというが、創造的な人間にはそんなある種の不器用さを抱えた人間が多いのかもしれない。
多くの人は「うまく言えない」「分からない」と思ったらそこで踵を返して、ウンウン唸って考えずに済む明々白々なこと(と思い込んでること)だけを扱おうとする。そのほうがラクと言えばラクだ。
それが出来ないのが哲学者の苦悩であり芸術家の苦悩なのだと思う。
あるいはあえてしない。あえて理解のインコースギリギリを攻めていくスタイルをとる人もいる。全く分からないことは分からないとキッパリ捨てられるが、
分かりそうで分からないことというのは妙に気になってしまう。だから、別にスルーできるけどあえてそのオンザエッジに留まって苦しみ続ける。そういうタイプの哲学者もいるに違いない。
とにもかくにも、哲学者はうまく言わないといけない。うまく言えないことをうまく言わないといけない。そこに哲学のジレンマがあるように思えてならないのだ。
別に一般人に分かりやすく言う必要はない。一般人は平易な言葉で解説されないと理解できない。専門知識がないのだから当然である。
平易な言葉でしか理解できないから、平易な言葉で話せる人だけが一般人の目には「理解している人」であり、専門用語ばかり並べる人は「よく理解してないことを
訳の分からないまま回りくどく語っている人」に見えてしまう。それは仕方ないのであって、専門家がそんなことに気配りする必然性はない。
むろん、啓蒙活動する哲学者もそれはそれで社会的には意義があるだろうけれども。
話がそれたが、哲学者は一般人に分かりやすく言う必然性はないけど、他の専門家には分かりやすく言う義務がある。
いくら分かりにくいテーマを扱っているからと言って、何を言っているのか分からない言葉で語ったのでは相手にされない。
そこに哲学者という仕事の難しさがあるなと素人目には感じるし、インコースギリギリを攻めずにいられない一部の言論人にしたって
そうした苦悩とは無縁じゃないのだなと勝手ながら同情してしまうことが多い。
芸術にしたって同じだろう。哲学は既存の哲学の延長線上に新たなページを付け加える行為であるが、
芸術に至っては容易には消費されない新鮮さが求められる。そこに独特の難しさがある。ネットで簡単に違法アップされた音楽が聴ける時代である。
1度聴いて満足するのではなく何度も聴きたくなるような新鮮さ、それもCD音質で聴きたくなるような魅力がなくてはならない。
私も音楽制作の現場にいて、コレクターの所有欲に訴えかけるようなプロモーション戦術に手を染めたこともあるが、
そういうのは芸術としては糞くらえだと思う。本当はきちんと価値のあるものを作りたい。私だけでなく芸術業界の人はみなそう思っているはずだ。
新鮮であるには「奇抜すぎず普通すぎない」、「しかも分かりやすい」、そのバランス感覚を常に維持しなくてはならない。
芸術業界には日常生活からそのようなギリギリのスタイルで暮らしている人も少なくない。着ている服のセンスも奇抜すぎず普通すぎず。
そんな絶妙なバランス感覚を日々の暮らしの中で養っているのだ。そんなギリギリのバランスの中で、
「普通じゃないのに分かりやすい」着地点を模索していく。どうすればうまく言える(表現できる)のか。
http://anond.hatelabo.jp/20131021172902
そしてマコの存在。色んな天然キャラは居るがこの天然の感じがどうも不快だ。
理由はこれこそ生理的なものだと思うが、存在そのものがご都合的で記号的で「馬鹿」な「女」を娯楽として楽しむためのものだからだ。
男女問わず、あのアニメにご都合的で記号的じゃないキャラなんか居るか?
居るなら挙げてみなよ。
どうだ、「ご都合的」じゃない「記号的」じゃない「馬鹿みたい」じゃない男が居るか?
こんなこと言い出すならな、
あれだってお前の言い方すれば存在そのものがご都合的で記号的で「馬鹿」な「男」を娯楽として楽しむためのものだろ。
あれについての批判を昔書いたから暇なら読め。
すごく表層的な部分で「熱血」に呼応して見るだけ。
登場人物にしっとり真面目に感情移入しようと思って裏切られたって言うなら
それはその視聴者の方がアホなだけだ。
そういう意味で俺のカミナ批判だって作品自体の価値を毀損出来る物ではなく
タケコプターに「首折れるんじゃねえか?」なんつって遊ぶ程度の、ズらした批判なんだ。
自分はこの笑いのツボを持ち合わせていない。
それは俺やお前の個人の感性であって
公論に付すような話じゃない。
気になるのは「こういう作品」なのに、まるで万人に喜ばれてるように、手放しに評価されている点である。
これこそ余計なお世話だろ!
俺のように敢えてズれながら部分的にツッコんでいくならまだしも
「こんなものを楽しむ奴が多いなんて!」とか言い出して何になる?
これは女性が(製作者も消費者も)もっと頑張りましょう、おわり、ってだけの話じゃね?
で、お前が納得して感情移入できる女性主人公なりエロエロお色気サービス男性主人公なりが実現すりゃいいというまで。
(『ミチコとハッチン』はお話が退屈で観るに耐えなかったね。)
じゃあ珍奇な意欲作をちゃんと買え。
お前みたいな思考のまとまらないもやもやした馬鹿を満足させるためにやってんじゃねえんだよアニメ製作スタッフは。
余裕なんか全然無いんだ。
きっぱりはっきり「こういうの作れば売れるぞ!」ってビジョンにまとめろ。
まとまったら企画にして売り込みにいけ。
話は逸れるが「東のエデン」についても同じような引っ掛かりを感じていたことを男性ファンに話したことがある。
自分が「ヒロインが好きになれない。女性として感情移入出来ない行動をとる。それでいて女性主人公の恋愛をメインに描くとはどういうことだろう。」
あのヒロインて男にも人気ねーじゃん。
王子様のほうも気持ち悪いし。
ガジェット部分とかサブカル的な雰囲気が一部に面白がられただけで
キャラ人気なんかねーだろあれ。
「そこじゃないでしょ、この作品はー!」
と返された。
そりゃそうだ。
もう男女論ですらなくなって、純粋にお前がピンボケなだけその件は。
でもそういう風に引っかかってしまう人間も、いるんだよと、頭の片隅に入れていていただけると、一石ならぬ砂利ですが投じた甲斐があります。
意味がわかりません。
どうして欲しいのかぐらい言え。
「こうすべき」ってはっきり言え。
それぐらいまとめられないのは醜態だと自覚してくれ。
いい大人なら自分の主張をまとめろよ。
結局レスポンシブルな「これ!」って主張なり要求なりにまとめられない、
「なんかわかってよ」「よろしく私のキモチの為に努力してちょ」みたいな雰囲気漂わせて終わり、
ってクズだろそれは。
言いたくないんだけど
フェミっぽい人ってこういう
「結局どうして欲しいの?」って言わざるを得ない、
物をちゃんと言い切れないモジモジちゃんが多くねーか?
(ビシバシと「こうしろや!」ってキッパリ言う田島陽子がもてはやされた理由がわかる。
内輪の外に行っても話になるのはあの人ぐらいだったってことだろう。)
成長期に誰もが通る道、萌えオタ卒業おめでとう!と言ってあげたいけど、ナンにでも難癖付けるタチの悪い批評オタクになっちゃっただけのような気も(^_^;
根拠のない優越感には浸れるけれど、楽しくないよね、自分も友達も。そーゆうオタクは、誰も幸せにしないから。それも一度はオタクが通る道かも知れないが(^_^;
世の中にはもっと面白く、人と繋れる事は沢山あるだろうし、アニメや漫画をキッパリやめて、素敵な友人を作ったり、恋愛でもなんでも、他に生きるのに楽しい術を探せるといいね。
或いは、今のアニメ製作者なんかより自分は晴らしいセンスを持ってる、自分ならこう作る!ってビジョンがあるなら才能かも。ただし、キチンと形に出来るなら。ぜひ面白い作品を作って見せて欲しい!