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はてなキーワード: アフリカとは

2012-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20120216114953

古くは縫製工場炭鉱から始まって、今では自動車工場海外に作られている。

日本で消費されてるタコのほとんどはアフリカで水揚げされたもの

経理や給与計算のような仕事まで、大手企業ではどんどん海外委託が進んでいるんだよ。

日本国内の最低賃金の1/10で請け負ってくれる海外仕事が流れるのは仕方ない。

日本国内の仕事が減るってのはそういうこと。

2012-02-07

データを見ても人口減少の深刻さは不明。 なぜ人口を増やす政策を総動員したいのか

http://diamond.jp/articles/-/16007

何十年か前は人口爆発による資源食糧不足のほうが心配されてたわけで

後知恵で「なんで増やさなかったんだ」というのは滑稽なように思う

たぶんそういう過去の経緯もろくに知らずに書いてるんだろうけど

それと一人当たりGDPスルーして国全体の数字で豊かさを見るのもおかし

GDPの大きさで豊かさ決まるなら精度やら産業構造今のままで形式的に47都道府県ごと別の国にしたら生活苦しくなるなるとか思ってんだろか

中国インド貧乏だし出生率の高い中東アフリカ貧乏な国ばかりなのになぜ人口増加=豊かと思えるのやら

日本国内で見たって高出生率低所得沖縄、低出生率所得東京ってな状況なわけだし

そもそも失われた20年ですら労働者一人当たり成長率は平均2%ぐらいあるわけで50年で総人口が半減しても国全体のGDPは減らないし

あと「人類の5000年の歴史の中で、1人が1人を支える社会が存立し得た事例は寡聞にして知らない」とかかいてるけど

養われる人口が老人だけだと思い込んでるからこういう勘違いをしてしま

子供妊婦も養われる側なので少子化高齢化が同時に進むと総人口に占める労働者の比率は大して変わらない

実際日本を含め就労率が50%前後の国は普通にあるわけですでに一人の労働者が一人の非労働者を養ってるのが現実

2012-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20120127122556

今こうして書いてみても、現実とは思えん・・・

そりゃぁ、ほとんどがお前の妄想勘違いからな…。

アメリカ特殊部隊ビンラディン暗殺

今まで、何回失敗したと思ってるんだよ…

30m以上の巨大津波日本を襲う!

30mの津波って…最大遡上高30mなら、特段珍しくもないだろ。

北海道南西沖地震でもそれぐらいは行ってる。

普通に、波高10mって言っとけよ。そっちの方が恐ろしいだろ。

地震原発が爆発!4基メルトダウン

震災で被害に逢ってテレビ見れなかったのかもしれないけど、地震で爆発してないから。

地震の翌日に水素爆発が起きたんよ。

それと、メルトダウン(溶けた燃料棒原子炉下部に落ちること)が起きたのは3基なんだ。

日本中が放射能に汚染される!

避難地域以外は別段、感嘆符つくぐらいの汚染ではないと思うがね?

むしろ、中東アフリカ革命ラッシュの方が世界史には残るだろうな。

2012-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20120103165308

小児科関係の本を読むと12歳で妊娠した例とかたまに出てきます

13歳同士でセックスして出産した例がイギリスなんかでもあります

妊娠自体不可能というならこの手のケース自体ありえないと思います

もっとアフリカなど栄養状態が悪い国では13歳で出産して膣が裂けてしまったケースがありますし、

10代前半は微妙リスクが高いですが

医療が発展している地域であれば対応可能ですが)

2011-11-24

世界を変えるのは、一人一人

今の日本の政治システムは、限界が近づいている。うんたらかんたらていうタイトルを書こうとしたけど、

やめておいた。

21世紀になるまで民主主義は、最高のものだった。

国王独裁者がやる政治家にろくなものはなく、

そういう国は、余程人徳がある国王の国、ブータンのようなものでなければ

戦争で滅ぼされたり、

フランス革命のように、強制的に民主主義になっていた。

現代の日本は、既に民主主義

誰かにコントロールされる事は本来ない。

本来誰もが自由なはずだ。

どう生きてもいい権利が一人一人に与えられている。【日本には、貧富の格差はあってもカースト制はない。】

少なくとも、ニートをやっていようが罰される事はない。後ろ目たさがあるなら、そりゃあお前が何か過去に何かした事に対してだろう。

海外仕事を求めることだって自由だし、

起業するのも自由、

アーティストになるのも自由、

表現するのも自由、【ただし、パクると叩かれる可能性は否定できない。】

オカルト紛いの宗教をやるのも自由【宗教法人税金がめちゃくちゃ安くなったり、不思議しょうがない。】

自己啓発セミナーは、ある意味では宗教団体のようなものだ。だが、宗教存在してはいけないわけではない。

それも本人の自由だ。友人、知人がそういう類に入っていったら、きっと止める事はできない。

できる事は、気づかせてあげたり、いつか真っ当な道を生きるだろうぐらいに信じてあげる事ぐらいだとおもう。

話がそれ過ぎた。

自由過ぎて何をしたらいいのかわからないのだろうか?

そもそも何をしたらいいか?というのがなんなんだろう?

何がしたい?

という問いがあったとしても、

何かをしなきゃいけない。

ていうのは、生命体にあるんだろうか?

働かなきゃ生きていけない。

というのは、昔は紛れもない事実だったが、

この現在不思議なことに、

それが事実ではない。

これは、人類史

初の出来事で、

本来、もの凄いイノベーション

生活保護というシステムは、革命的なものだとおもう。豊かな国が生み出した堕落する事も許容したシステム


と言ってもいいぐらいの成果物

成果物 て字のごとく、 果物 が成る

から芽がでて、木になって、果物がなった。

という事。

人類歴史は、

どうやったら飢えないで生きるか?

課題だったように想える。

漁をするか、農業を営むか、

色々あるし、貨幣制度を導入して、効率良く生きやすくしたり、

他の集団から守るために

村や街ができたりして、少しずつ少しずつ大きくなった。

最近流行りのブラウザゲームイメージしてもらえればよくわかるとおもう。

そして、だんだんと大きくなった。

国家の垣根を越えて、グローバル経済となった今。

地球全体で、そのやりとりが行われている。

日本地球の中でも最先端を行っているので、

アフリカの各地で起きている革命なんて、一週ぐらい先をいっている話。

江戸時代の、天草四郎 ぐらい古い事やっているようなもんでしょ。

そんなんゲームの話でしょ?サムライスピリッツにでてくるキャラクターだよね?

ていうぐらい古い話。

何かもう、革命とか古すぎて意味わかんない。

軍事国家で武力による革命をする意味はあるかもしれないが

今の日本革命しようがない。

別に日本総理大臣 めっちゃ権限もってて偉いとかじゃないし、

天皇陛下も人ですから

ただ在るのは、

その人が考える思念があるぐらいでしょう。

ここでいう思念ていうのは、

その人が持っている、

思考や想い

それがなんだっていう話じゃない、

一人一人の世界観

狭い世界だと想う人もいれば、

問題だらけだと想う人もいる、

拡大している世界観を持つ人もいる

多様性を望む世界観があったり、

あれ?

世界て人それぞれ違うの?

ていうのが俺が生きてきて、

最大の気づきかもしれない。

自分の生きる世界は、自分がつくっている。


やりたい事が見つからない。

ていうやつは今の世界がどんなもので、

どうなったらいいのか?

それがそうじゃない原因は何かて考えたら結構上手くいく。

日本の政治は変わらないかもしれない。

でも、一人一人が世界を変えていく事で、

この地球はより良い星になる気がしている。

一人一人の中に、

世界を変える力ていうのがあるんだぜ。

それを使わないのは、余りにももったいない

不幸でいるのも自由だが、

幸福未来を生きるのも自由。

途中で、書き直しては、消したりしていたが、

途中、書いててこの文章が宗教臭い感じがして飽きてきたのでやめておいた。

でも、せっかく書いたので流してみる。

とりあえず、今想うのは、

せっかく与えられた命、

常識だの、恐怖なんかに負けて

生きる事をやめたらアホらしいよね!

ていう事。

世界を変えるのは、一人一人

今の日本の政治システムは、限界が近づいている。うんたらかんたらていうタイトルを書こうとしたけど、

やめておいた。

21世紀になるまで民主主義は、最高のものだった。

国王独裁者がやる政治家にろくなものはなく、

そういう国は、余程人徳がある国王の国、ブータンのようなものでなければ

戦争で滅ぼされたり、

フランス革命のように、強制的に民主主義になっていた。

現代の日本は、既に民主主義

誰かにコントロールされる事は本来ない。

本来誰もが自由なはずだ。

どう生きようと一人一人与えられている。

少なくとも、ニートをやっていようが罰される事はない。

海外仕事を求めることだって自由だし、

起業するのも自由、

アーティストになるのも自由、

表現するのも自由、【ただし、パクると叩かれる可能性は否定できない。】

オカルト紛いの宗教をやるのも自由【宗教法人税金がめちゃくちゃ安くなったり、不思議しょうがない。】

自由過ぎて何をしたらいいのかわからないのだろうか?

そもそも何をしたらいいか?というのがなんなんだろう?

何がしたい?

という問いがあったとしても、

何かをしなきゃいけない。

ていうのは、生命体にあるんだろうか?

働かなきゃ生きていけない。

というのは、昔は紛れもない事実だったが、

この現在不思議なことに、

それが事実ではない。

これは、人類史

初の出来事で、

本来、もの凄いイノベーション

と言ってもいいぐらいの成果物

成果物 て字のごとく、 果物 が成る

から芽がでて、木になって、果物がなった。

という事。

人類歴史は、

どうやったら飢えないで生きるか?

課題だったように想える。

漁をするか、農業を営むか、

色々あるし、貨幣制度を導入して、効率良く生きやすくしたり、

他の集団から守るために

村や街ができたりして、少しずつ少しずつ大きくなった。

最近流行りのブラウザゲームイメージしてもらえればよくわかるとおもう。

そして、だんだんと大きくなった。

国家の垣根を越えて、グローバル経済となった今。

地球全体で、そのやりとりが行われている。

日本地球の中でも最先端を行っているので、

アフリカの各地で起きている革命なんて、一週ぐらい先をいっている話。

江戸時代の、天草四郎 ぐらい古い事やっているようなもんでしょ。

そんなんゲームの話でしょ?サムライスピリッツにでてくるキャラクターだよね?

ていうぐらい古い話。

何かもう、革命とか古すぎて意味わかんない。

軍事国家で武力による革命をする意味はあるかもしれないが

今の日本革命しようがない。

別に日本総理大臣 めっちゃ権限もってて偉いとかじゃないし、

天皇陛下も人ですから

ただ在るのは、

その人が考える思念があるぐらいでしょう。

ここでいう思念ていうのは、

その人が持っている、

思考や想い

それがなんだっていう話じゃない、

一人一人の世界観

狭い世界だと想う人もいれば、

問題だらけだと想う人もいる、

拡大している世界観を持つ人もいる

多様性を望む世界観があったり、

あれ?

世界て人それぞれ違うの?

ていうのが俺が生きてきて、

最大の気づきかもしれない。

自分の生きる世界は、自分がつくっている。


やりたい事が見つからない。

ていうやつは今の世界がどんなもので、

どうなったらいいのか?

それがそうじゃない原因は何かて考えたら結構上手くいく。

日本の政治は変わらないかもしれない。

でも、一人一人が世界を変えていく事で、

この地球はより良い星になる気がしている。

一人一人の中に、

世界を変える力ていうのがあるんだぜ。

それを使わないのは、余りにももったいない

不幸でいるのも自由だが、

幸福未来を生きるのも自由。

2011-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20111116163213

http://anond.hatelabo.jp/20111116163641

アフリカに生まれたらそれなりに強く生きていると思う。

http://anond.hatelabo.jp/20111116163955

世界の意思とか言葉がどーこーとか、言ってるが、心配すんなお前もだから

http://anond.hatelabo.jp/20111116164206

歴史には残りそうだねww

リンク間違えた3度目の修正

http://anond.hatelabo.jp/20111116163213

お前なんかがアフリカに生まれてみろよ。

もうとっくに土人の糞になってるよ。

2011-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20111030043312

何を今更

新興国との購買力の差が解消されればどうにかなるはず。

アジアとは10~20年の話だと思うが

アフリカとは半世紀単位だと俺は思ってる。

根拠は一切ない。

ちなみにだいたい購買力が同じ先進各国と比べて

日本失業率が低い原因のひとつ産業構造があげられてる。

日本卸売とかこういう中間のやつらがたくさんいて

小売の値段が諸外国より高めに出る。

(話題の話だとジョブズの本とか。馴染みのところでは米でコーラ360mlは50円くらいで買えたりする。)

治安の良さも考えると、中間搾取も悪くはないのかなと思う。

これも根拠は一切ないがな。

2011-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20111027100257

これはほんとにな

アフリカで食うや食わず人類が増えると儲かる桶屋があるのかね?やっぱ

なんでアフリカの出生を抑制しないの?

人権」とか「子供たちの命を救え」とか言いながら最低限の食べ物医療を与えて全員ギリギリで生かして、

そうして生かされたギリギリな奴等はまた危機感と「それしかやることがない」って理由で繁殖しまくる。

国外からの援助のせいで、本人たちの身の丈を超えた食料だけは供給されるからギリギリ子供がどんどん増える。


どうすんだよこんなことしてて。

熊さんかわいそう」って言いながら森にドングリ撒いてるのと変わらないぞ。


いずれドングリが追いつかないぐらい熊さんは増える。

そうすると森全体の飢餓&飽和ストレス熊さん同士の酸鼻な殺し合いが始まるか、

熊さんが人里に下りてきて襲撃&略奪を始めるか、

どっちかだぞ。


アフリカにいるのは畜生じゃなくて人間から

「無計画にエサあげて増やしすぎちゃいました、めんごめんご」

「しばらく干上がって10分の1ぐらいになってくれや」

っていうわけにはいかないんだぞ。


先進国でもそうだが、

援助で食う癖がついた奴と言うのは

自分の身の分限というものが頭からすっぽり抜ける。

どんどん繁殖するし浪費する。

未来扶養責任も貯蓄の義務もなければそうなる。


そういう奴等に計画的な繁殖をもう一度教えるのは

援助漬けにした奴等の仕事だぞ。

いつまでドングリ撒く気なんだ。

2011-10-16

冒険心」を失い「内向き」になってしまった若者たち」スレより

81 名無しさん涙目です。(セイブルック砦) :2011/10/13(木) 09:10:31.57 ID:BTHYp2QdO

俺は冒険するよ。

来年世界一周してくる

  

111 名無しさん涙目です。(江戸城) :2011/10/13(木) 09:14:34.55 ID:+0dY7/Vu0

>>81

既に世界一周なんてありふれているし

ブログでも見れば、リアルタイムで体験できて

あんまり意味が無いなー。

日本人初・前人未到くらいのものがあれば

行ってみたいけど

もう1970年代くらいで、行き着くしていて

ここなら誰もいないだろうと、アフリカの奥地の山に行ったら

どこかの大学ワンダーフォーゲル部の旗が立ってたってさw

それから40年・・・この科学の発達した時代

一体何を求めるんだ。

この111君の「テレビの前の視聴者感覚」に違和感を覚える。

ブログで見ればリアルタイム経験できる」って一体何を体験できるというのか。

そういうやつが「日本人初・前人未到くらいのものがあれば行ってみたいけど」って

お前は口だけ番長か。準備すらまともに出来そうにないわ。

  

まとめブログで見ただけだから釣りレスかどうかは分からないけど。

2011-10-13

どうもありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20111013154558

そうですよね。>自分がしっかりしてれば。

でもさ、やっぱり本一冊書くくらいショックな事なんだ。

今、検索して調べてみて思った。

けど、こういうのとも、ちょっと違うかもなあ・・・

もっと構造的なものに気付いたというか

江戸時代遊郭と言うのは、地域年代によって差はあったと思うけど、おおよそでも、今のお金に換算して100万から150万くらいは遣わせてからじゃないと、2人きりになれない仕組みらしい ( 杉浦日向子情報など )

2人きりになってからでも、関係が持てるとは限らないらしい

なんていうか無茶苦茶っていうか

江戸時代物流情報や人の流れや、経済の状態を考えると、日本の中でも、中央と端っことだと、今でなら先進国アフリカくらいの距離感みたいで、東北餓死してる人がいる時期が(いつもではないと思うけど)あっても、お金が余りまくっている所もあったりするような状態だったようで・・・

でも、江戸時代は、明治以降のマルクス主義史観みたいなもので、庶民が虐げられて飢えてたイメージが植えつけられてるけど、米の流通から考えても、みんな米を食べてたのではないかとも言われてて、比較的みんな豊かだったようだけど。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=169882 江戸時代の貧農史観への疑問

http://www2.ttcn.ne.jp/kazumatsu/sub226.htm#1 江戸時代の百姓は本当に貧しかたか


あぁ、何書いてんだろ

どうでもいい事なのにスマソ

2011-10-10

ギリシャ破綻する。

誰もが自分の国の経済のみを気にして後ろに向かって走り出す。

結局の所、ドイツが逃げ出した所でイタリアスペインも同時に潰れ、

EU全体に波及、アメリカも押しつぶされる。

勢いが乗るのは中国ロシア

アフリカ新興国イスラム圏を味方にアメリカEU相手に第3次世界大戦の始まりだ。

日本は助ける声を出す暇無く木っ端微塵と粉砕される。

決着は付かない。

誰もが苦しみながら各国で内戦が始まり、国同士の戦いは収縮する。

そして、平和なんて幻になるのさ。

2011-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20111004195517

栄養失調と運動不足特に腹筋が極端に足りないから内臓を引っ込める事ができないのだと思う。

アフリカの子供みたいなものだと思う。

肉と魚と野菜を食べずに太るとああいう体型になりそう。偏見だけど。

2011-09-24

旅行に行きたい。

この連休、ひとりで5日間のカンボジア旅行に行ってきた。アンコールワットはとてもすばらしくて、郊外にあるベンメリアは廃墟遺跡として冒険心がくすぐられた。次はモロッコに行きたいけど、アフリカなので10日は欲しい。しかしどう考えてもそんな長期休暇は取れそうに無い。

1年に一回、10日間くらいの休みが欲しい。

仕事リタイヤしてからスポーツ海外旅行山登りを始めるような、そんな人生はいやだと思う。第2の人生じゃなくて、今の人生で何とかしたい。たぶん、今しかできないことのほうがたくさんあるはず。

元気があるうちに、自分の足でどこへでも行きたいのにもどかしい。

2011-09-21

相変わらずGIGAZINE翻訳がバカみたいに酷い件

マイアミに巨大カタツムリが大量発生、さらにカタツムリ教団まで登場

http://gigazine.net/news/20110920_miami_invaded_by_snails/

もはやガジェット通信ロケットニュースに押されて、

すっかり垢抜けない中堅オタニュースサイトになった感のあるGIGAZINEだけど、

久々に見てみたら相変わらずひどい。上の記事のなかに

また、直近の大発生を受けて、新興宗教カタツムリ教団」が小規模ながら登場しており、アフリカマイマイ治癒力を高める存在としてあがめていると言います


とある。が、英語の本文を見てみると

A more recent introduction several years ago was traced to small religious sects in Miami, where the snails are believed to harbor healing properties.



単にどこかの新興宗教カタツムリ治療薬として利用したらしい例もある、程度の意味だろ。

これをどう訳せば ”新興宗教カタツムリ教団」が小規模ながら登場” になるの?

わざとやってるなら東スポ以下のセンスだし、誤訳だとすればアホすぎる。。。

(記事タイトルにまで入れてるんだから誤訳なんだろうな。。。)

こんなくだらないブログ報道責任なんて求めないけど、

このサイト、一応企業がやってんだよね。

んで、自称日本一ブログサイト(笑)なんだよね。

ロケットニュースガジェット通信がオタ層を拾いつつ、適度に一般受けするネタを広く扱ってるのに対して、

GIGAZINEはいまだにあの強固な自社サーバー(笑)でこんな個人ブログ以下みたいなことやってるのかと思うとなんとも胸熱

何がいやって、すべての面においてセンスがなさすぎるんだよ。。。。

GIGAZINE」が抱えている10個の問題点まとめ

http://anond.hatelabo.jp/20090530021727

2011-09-09

HIVが変異して感染から6ヶ月で発症するようになったらしい

アフリカじゃなくて日本の話。


これ社会全体で言えばHIV危険性はむしろ減じた気がするね。

2011-08-25

私は種の進化のために結婚しないです

私はどうも自分容姿が気に入りません

なので恋愛とか結婚とかする気になりません

と言うよりできません

学生時代告白されたときは2回とも「自分の都合で無理なのです」と断りました


私のような人間結婚せず、子孫を残さないことで

日本人遺伝子プール容姿レベルが少し向上するのです

容姿の良くない人がみんなで遠慮をすれば、2世代ほど後には随分効果があるでしょう

100年続けば美男美女だらけの国になります


私は自分結婚忌避感について

種の一種の淘汰装置なのではないかと思っています

現代は社会が高度すぎて、劣等でも生き延びたり子孫を残したりしやすくなっています

この状況が続くと、種に劣等が増えてきてしまます

そうすると相対的劣等が自主的に生存や繁殖自粛するような仕組みが

あらかじめジーンに組み込まれていると考えられないでしょうか


私は幸い容姿以外は悪くないので士業についています

収入は十分にあるのでとりあえず生存しています

余剰はそのうち将来有望な優秀な子供の援助にしたいと計画中です


一方自分自分子供を養えないような知能的劣等についてです

これもやはり生存を自粛して欲しいと思っています

福祉で生存や繁殖をさせていけばどこまでも問題が拡大するだけなのは

アフリカロンドンを見れば判ります


ここでは紙幅の関係で

容姿的劣等と知能的劣等についてのみ述べましたが

当然それ以外にもさまざまな面での劣等と

それぞれのしかるべき自粛と言うものが考えられます


前世紀には劣等を実力で拘禁したり断種したり殺害したりする国があったそうです

21世紀はそのような野蛮を乗り越えて、理性的自粛の世紀になると思っています

2011-08-17

軍備の好みを探る簡単な方法

これは私の長年の統計学経験論なのだが(つまり林磐男未満てことですね)

軍備の好みや採用する戦術を簡単に推測する方法がある。

それは、

「どんなAFVが好き?」

って聞いてみることだ。

補足1

「AFV」と「国家」というのは重要な共通点がある。それは、いずれも「武力によって政治目的遂行する場合に命運を共にする同志である」ということだ。こういう同志に対して情がわくか否か、薄情になれるか否か、が共通するというのは、ある意味ハートマン軍曹的にも真理なのかもしれないと思う。

好きなAFVは?と聞いて「国産戦車」(但し装輪装甲車戦車回収車を除く)を挙げる国家は、かなり保守派だ。

地決戦派、海兵隊出身者を統合参謀本部議長にしない国家、安定した陸上戦力を好む傾向がある。

また平均的な国民軍を好む。必ずしも専門集団(職業軍人)である必要はない。逆に派手な外人部隊は苦手。

 

レオパルト2A6EX」あるいは「M1A1エイブラムス」「ルクレールAZUR」「メルカバ Mk 4」「Т-90」等を通称に型番を加えて挙げる国家は、

基本的にスペック志向なので、他国から見て自国の軍隊先進であることをとても気にする。

主力戦車なら装甲厚、主砲・副砲の口径などのスペックが優先事項。価格が安いに越したことはないがそれよりも火力と機動性(不整地速度とか)

軍備なら非対称戦闘対応で、無人化流行り。

 

「空挺戦車」「水陸両用車」を挙げる国家は、

戦略なら短期の機略戦を好む。長期の外交交渉は基本NG先制攻撃OK

戦闘機ならステルス性をとても気にする。基本的に奇襲好きというか正攻法は許せないタイプである

 

チハ改」とか「ルノーFT-17」みたいな歴史資料にしか出てこないレトロなAFV名を挙げる国家。こういう国家はあまり特定の傾向がなく、好きな戦術ピンポイントである。たとえば第四次中東戦争ラタキア海戦電子ジャミングは大好きだが(同じく電子戦が戦果を決定づけた)湾岸戦争イラク戦争は戦力差が圧倒的すぎてにダメ、とか言うことがよくあるのでその微妙な違いが他国にはよくわからない場合もある。ただし好きなものはとことん好き、という国家である

 

 

また、特に国家場合、AFVの扱い方とドクトリンの扱い方はとても良く似ている。

 

国産内製化にこだわる国家、これは機密にこだわる。外国産中古ばかり購入する国家はその点はおおらかである

ひとつのAFVを長く長く機甲師団に編入する国家。これはドクトリンをとても大事にする。基本転向はしない。君主制国家場合民主化暴動を誘発することも。

頻繁にあれこれとAFVを開発する国家。こういう国家二大政党で数年おきに大統領が交互に入れ替わるし世界中の紛争に首を突っ込むので要注意である。ただ、豊富予算はもはや続きそうにない。

中東アフリカにAFVや兵器の販売や仲介をしてる国家や、内装に建国の偉人写真を飾る国家は、どうみても独裁国家です本当にありがとうございました恐喝傾向があるのでこれも要注意。領土問題をとても大事に(定期的に38度線に向けて演習で誤射、排他的経済水域は自国有利に設定)するので、沿岸警備で不審船を逮捕すると深刻な外交問題になりたいへんな思いをする。

補足2

AFVに興味がない、そもそも軍隊なんてなくてもいい(それどころじゃない)。という国家は、戦争においても受け身。基本的に自国から軍事的緊張を高めない(高められない)。もっとODAをと言い出すタイプである軍事にこだわりがない代わりに、信託統治、が好き。でも最近は分離独立派との内戦が深刻だ。

補足3

変に中型じゃなくて、装甲厚はそれなりで、座席が座りやすくて、水冷がそれなりにちゃんと効いて、シャーマン戦車みたいな天敵がいないのがいい。

という国家は、基本的に経済重視でドクトリンを考えている。ちゃんとミサイル防衛できてシーレーンを確保できたらそれでいい、それよりも外交力を強化しましょうというタイプである。こういう国家国防予算ありきで軍備を見るので、決して覇権は望まないが堅実でしっかりした東南アジア中東諸国、それもできれば民主化の進んでいる国家と結んで平和配当を享受したい、というタイプ提唱者は苦学のエリート官僚と、超お坊ちゃまで漢字が読めない元首相の両方である

2011-08-15

誰も死なせないために、ネガコメ論争について考えることをやめない。

ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終止符を打ちたい

http://anond.hatelabo.jp/20110813021554を書いたものです


たくさんのコメントブックマークありがとうございます

もうちょっと書きたいことがあるので書きます


コメントトラックバックの様子を見ていた。

ぼくらはけっこう慎重なもんで、

「○○についてどう思う?」という問いかけを目にすると

「ああい場合もあるし、こういう場合もあるんじゃないか

という考え方に持っていこうとする。


じっさいそれは素晴らしいことだとおもう。

なにか大きな疑問があって、それに対して必ず正解があると考えることのほうが危険なのかもしれない。

もっと優しく、賢く、謙虚になろうと思ったら、自分勝手に結論をゴリ押ししないで

あまねく人と可能な限りとことん話し合うほうがいいのかもしれない。

そういうのをなんて言う?構造主義的?

現在属している共同体文化価値観に従って決定することを避けられないから、

ぼくたちはとんでもない誤りを犯している可能性が常にある。

慎重に慎重を重ねても、結論を出すのに「慎重になりすぎる」ということはないのかもしれない。


しかし、ぼくはもう待てない。

そうこうしてるあいだに誰かが死んでいるかもしれないから。


間違った部分を一つ一つ改善することなしに(長期的な)幸せなどあるものか。

というコメントを頂いた。

ぼくは長期的な幸せを望む。

間違った部分とは何か、という疑問についてはもっと考える余地があるかもしれないが、

ぼくたちはおそらくみんながみんな、

なるべく誤魔化しや、

その場しのぎでない、

恒久的、

永続的な幸せを望んでいると思う。


しかしたら、前回の増田で例に挙げた、世界の多様性を示す例(ニューギニアアフリカの話)は

「間違った部分」なのかもしれない。根絶すべき人間の悪性なのかもしれない。


よく考えてみてほしい。


ナチスユダヤ人大量虐殺は「世界の多様性」と言ってしまっていいのだろうか?

9.11の同時多発テロは他人が介入すべきでない文化なのだろうか?


こういう例は枚挙にいとまがない。

うーん。そういうことにYESと言える人はあまりいないような気がする。

基本的人権というシールが、いつからか(先進国の人が考える)全ての人にへばりつくようになった。

このシール大事にする人は、生きていい人と死んでいい人という区別があるのは認められないと言って、

テロジェノサイドを非難するような気がする。


慎重に慎重を重ねてものを言うなら、

「人を殺してはいけない」という価値観ですら狭い考え方でしかいかもしれないし、

それにもし、第二次世界大戦連合国側が負けていたなら、

「人を殺してもいいじゃん」という価値観が(先進国で)普通になっていたかもしれない。

そうじゃなくなったのは、人間の理性が悪を打ち破ったからではなくて、たまたまだという気がする。


奇しくも今日終戦記念日であるらしい。

ぼくは戦争のことなんてなにも知らないけど(体験してないのに知っていると言ってしまうのはウソである気がしてる)

戦争はいけない」という価値観を受容して(強制されて)生きている。

そんなぼくが「戦争してもいい」という価値観を持つ人のことを理解できるわけがない。

理解できると言ってしまうのはウソな気がする。


からぼくはいまの環境価値観に則って問題を考えてみよう。

戦争のことを知らないぼくが、戦争はいいとか悪いとか言っても説得力がないが、

少なくともぼくらは、大量虐殺はいけないと言ってもいい。テロはいけないと言ってもいい。

そう考えることしかできないと思う。


さて、間違った部分とはなにか?

ネガティブな発言を減らしていくということは、

間違った部分を正していく行為なのかもしれない。

それが長期的な幸せを作っていくのかもしれない。


ぼくが言いたいのは、

ネガティブな発言をしてはいけない」という社会的合意が先鋭化されて、

ネガティブな発言をやめられない人は生きていてはいけない」という主張に変わり、

実際に人が死んでいるかもしれないということだ。


もう一度言うが、ぼくは長期的な幸せを望む。

ネガティブな発言をみんながやめられるということが

少なくともぼくらの共同体では正しいことならば、そうする方が望ましい。

ハッタリの幸せはいらない。

しかし、短期的にはその考え方のせいで人が死んでいるかもしれないということならば

話は別だ。


ぼくらは結局わかりにくいやり方で人を殺しているとおもう。

いちばん救われるべきだった弱いあの人を、ぼくらみんなが団結して殺した。

死因は自殺で、直接手を下したのはその人自身だったとしてもだ。


それはちょっと考え方が突飛すぎるだろうか?

考え過ぎだろうか?自意識過剰だろうか?

そうであるならばそれが一番いい。

ぼくひとりが間違っているのなら、それでいい。

殺されている人はいないのだから


自己責任が重視される社会

がんばらなければいけない社会

他人を傷つけるくらいなら自分を責める人がいて

自分が傷つくくらいなら他人を責める人もいる。

かなりの人が閉塞感を覚えているのだけど、その社会を選んだ(選ばされた)のはぼくらである

民主主義によって、多数決でこの社会が選ばれた。少数派を殺そうという選択だ。


最近はもう少数派と呼べるほど無視できる数ではなくなっている。

弱い人が、

虐げられた人が、

ネガティブな発言をやめられない人がどんどんどんどん増えている。

その問題を優しくて、賢くて、謙虚な人たちがどうすればいいかとうんうん考え込んでいる。

はてな民」たちはそういう人たちだと思っている。ありがたい。


しかし、あーでもないこーでもないと選択を先延ばしにしている間にも

世界は止まることがない。

つねに何かが選択されて、何かが切り捨てられていく。

切り捨てられていく中に弱い人達が含まれている。

もう待てない。

ぼくは、こんなふうに話し合っていくことが、

いつか世の中全体を変えるだろうと思っていた。

弱者を救済するための装置として、ベーシック・インカムに期待していた。

もう待てない。


長期的な幸せもいいが、まずは人を殺さないでほしい。

がんばって死ぬくらいなら、がんばらないで生きてほしい。

地面をはいつくばって生きるしかない人にとどめを刺さないでほしい。

ぼくらは死ぬために生まれたとでもいうのか?


蛇足かもしれないけど、

資本主義社会というのは、言ってみれば個人の自由を最大限尊重する社会だ。(その代わり平等ではない)

逆に人の自由を最大限奪ってしまものは「死」だ。

なにしろ死体になってしまうと、自分ではなにもできなくなるからね。

まあ、だから個人の自由を認める気があるなら、

資本主義を持続させようとするなら、一番避けるべきは誰かを殺すことじゃないかと思う。


それで、ぼくは「ネガティブな発言をやめろ」という言い方は誰かを殺すかもしれないと思うし、

解決するためには慎重に考えて、こうやって話し合っていくことが長期的な幸せにつながるのかもしれないけど、

考えれば考えるほどその間に人が死んでいってるかもしれないと思っているのだ。


まず「殺さない」ということだけでも、先になんとか決定できないだろうか。

ぼくは非道い人間である

ネガティブ発言を許せない誰かが狂ってでも、殺すことはやめようと言っているのだから

その人はもしかしたら有能で、社会をより良くしてくれる救世主かもしれないが、

それでも誰かが死ぬことよりはマシだと思っているのだ。

理由は単純で、ネガティブ発言を許せない人よりも、

ネガティブ発言をやめられない人のほうがすぐ死んでしまいそうな「気がする」から

(どちらの側であっても心に余裕がないのかもしれないけど)。

ぼくは常に一番「死」に近そうな人の味方でありたい。

強い人は強い人で楽しんでくれたらいい。


ていうか、ぼくが殺されたくないからこんなこと書くんやけどね。

クズ人間であっても、最低限生きていることくらいは許してほしい。

すいません。言い方を変えます

ぼくを殺さないでください。


上から目線で「あーしろこーしろ」と言いたくない。

ほんとは殺さないことが人のあるべき姿かどうかなんて、ぼくにもよくわからない。

このままのペースで世界の人が増え続ければ、間違いなくエネルギーや食糧が枯渇するから

あんまり人は増えないほうがいいという説を読んだことがある。

死んでいく人が増えることはいいことなのかもしれない?

でもぼくは死にたくない。これ以上誰かが死ぬのも見たくない。


一番死に近い人にとって、生きながらえるための最後命綱が、

ネガティブ発言」に込められているかもしれないと思ったのだ。それを奪わないでほしい。

もっと前向きな解決法があったらいいなーと思うけど、

「こんなふうにしてみようよ☆(ゝω・)v」

と言われて、

自然に従えるほどぼくは素直じゃない。リア充怖い。

ぼくに必要なのは、一緒に泣いてくれる誰かだ。

後ろ向きなままでは前向きな方法は毒にさえなる。

まずは、死にそうな人を心穏やかにすることが先じゃないのかな。それも死ぬ前に。


ダメだ…支離滅裂ですいません。

これはちょっとさすがに自分でも意味がわからない。書けば書くほど冗長なだけになる。

http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/20110811/1313037111

ぼくのブログですが、よかったら補足程度に読んでください。

2011-08-13

ほぼ全レス返し「ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終

まず、人は特性として自分の好きなものに向かっていく。

好きなものをその時々に応じて「価値がある」とか「美しい」とか「建設的だ」とか自分勝手に賞賛する

…いやごめん、それは憶測かもしれん。


でも高確率で人は好きなもの自分の周りに置こうとしたり、追い求めたりする。

わざわざ自分の嫌いな曲を集めて聴く人なんてまずいないし、

苦手な人と付き合うという人も…いるかもしれないけど苦痛だと感じているかもしれない。

自分が何かを嫌うという「対象への嫌悪」それ自体を好む人はいると思うし、実際にいる)。


ネガティブな発言は人を不幸の方向に導く。

幸せになりたい人なんてのはほとんどいなくて、みんな自分幸せになりたくて必死だというのが現状だ。

だって幸せになりたい。


金がほしいし、

恋人がほしいし、

仕事したくないし、

気ぃ遣うの疲れたし、

時間がほしいし、

休みたいし、

あのボケナス脊髄ひっこぬいてフニャフニャにしたろかっておもうし、

あー遠いなー 幸せって。


からまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。

ストレスばっかりたまっていく。


もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、

要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。

建設的でないからそんなことを言うのはやめろ、

(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。


ネクラではない「明日が楽しみな人たち」は、自分幸せだと周りも幸せになるということを知っている。

その逆の発想で自分の不幸を拡散すれば周りも不幸になってしまうじゃないかとかなり注意勧告される。


更に明日が楽しみじゃない人たちにとってもこの説はけっこう支持される。

糾弾されるのはネクラネガティブ発言をやめられない人たちだけになってしまった。

しか悲惨なことにその説はだいたいあってる。

ベテランネクラになると自分ネガティブな気持ちに落としこむことです快感になったりする。

人はだいたいどんな環境でもある程度慣れてしまうのだ)。


それでもネガティブな発言をする人はあとからあとからどんどん増えていく。

なんていうか、ネガティブになるしかないって状況だ。

仕事場や学校たまるストレス愚痴として発散するのと似ている。


みんな人生という仕事場でたまったうっぷんをちょっとでもごまかしたくてネガティブ発言をする。

世の中の理不尽ネガティブさを無視することができないのだ。

「イヤなら見るな」と言われてもムリだ。

ネガティブ発言禁止令が施行されたらきっと狂うだろう。


あーじゃあ、そういうネクラな人の心理状態を鑑みて、慎重になってネガティブ発言は見逃してあげるべきなんだろうか?


まったくストレスなく人生を送れる人なんていない。

友だちのグチを聞いてあげることは許して、ほかの人のグチは聞かないし許さないだなんて不公平なのかも?


そんな誰かが割を食うような解決方法はイヤだなあ。

ネクラな人だって「我慢してやってんねんぞ」みたいな態度を感じると気ぃ悪いわ。

できればwin-winの関係がいい。


もうちょい考えを深めてみよう。

論争が起こることのそもそもの疑問が二つある。


  • ネクラな人たちはなんでネガティブな発言がやめられないのかということ。
  • そうでない人たちはなんでネガティブな発言を許せないのかということ。



ネクラな人たちにとってこの世界は、悲しみとか怒りとか醜さとか無意味とか悪に溢れているように見える。

しかし、もっと冷静になって考えるとそれは世界の一側面でしかないことに気付く。

ネクラな人たちが見る世界と同じくらい、そこには楽しみとか喜びとか美くしさとか価値とか善がある。

世界は人が思っている以上に多様なのである


実際、自分を劣悪な環境に置いていれば、どんどんネガティブになっていくけれど、


ちょっと笑える話を聞いたり、

お酒を飲んだり、

気の置けない友だちと話したり、

引越ししたり、

仕事をやめたりするだけで、なんかちょっと楽しくなる。


環境改善する度合いが高ければ高いほど(つまり劣悪な環境から離れれば離れるほど)、

世界だんだん美しくなっていくように見える。


しかし、それは世界が変わったのではない。

自分しか変わってない

世界が変わるのを期待して待っていても、その前に狂うか死んでしまうかもしれない、

もっと悲惨なのは、より悪い方に世界が変わっていくかもしれないということだ)。


ぼくの書いたことがもし正しいとすれば、ネガティブな発言を我慢するだけでない、もう一つの道が見えてくる。


世界のことをよく知っている人がいるならば、この世界はどうしようもないと思っている人に向かって

「そんなことないよー、意外とこんな楽しいとあるよー」

と教えてあげることである

これがやはり根本的な解決となる。


できれば言葉で教えるだけでなく、一緒に楽しいことをするといい。

言葉による理論ではなく体験による感動で理解してもらうといいんじゃないかな。


しかしもう一つの疑問が残っている。


なんで、人はネガティブな発言を忌み嫌ってしまうのか?

人にはその避けがたい特性があるから、誰か忍耐強い人が世界の素晴らしさを説く前にケンカが起こってしまうのだ、

たぶんね。


しかし、だからといって個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくはない。

人はなるべく朗らかに、全てを愛する博愛主義者のように生きたほうがいいんだろうか?

そんなせまっ苦しい考え方のために人が生きているとは思えないし思いたくない。

人はもっともっと多様な価値観や考え方を持っていいと思う。


ニューギニアの島では弔いの儀式として食人文化があった気がする。

今はない?

かならずしも弔いのために用いられた儀式ではない?

まあなんでもいいけど、食人の習慣があったのは確実である


それを野蛮で邪悪な悪習だと言えるのは現地人でない人だけである

アフリカの牧畜民ヌアのコミュニティでは、不妊の妻にかわって姉妹が夫の子を生んだり、

またその逆や、あるいは夫が子を持つ前に死ぬと兄弟が亡兄の妻との間に子を作ることがある。

前者の場合は夫の子であり、後者場合は弟の精子で宿った命でも、亡き兄の子どもということになる。

この社会でいう夫とは、彼らの生業手段である蓄牛を婚資として支払ったものだ。


日本では親子関係は血のつながりなんだけど、彼らは牛のつながりであって、

ぼくらは彼らをバカにする時、彼らはぼくらをバカにするのだ。


「血のつながりってwwwwwつながってるわけないやろwwwwww」


ある事象価値があるとかないとかって判断してしまうのは多くの場合

特定のコミュニティ内でしか成立しない狭い考え方による独断と偏見しかないのかも。


あれ?ちょっとまてよ…。

ぼくさっき”個人的には「対象が嫌いだ」という感情封殺してしまいたくない”と書いたよねえ?


んで、

今その理由を書いたよねえ。世界はいろんな価値観を持った人がいて、

それを認め合っていいんじゃねーの?みたいな。

「みんなちがってみんないい」論法


でもちょっとまって。

ネガティブな発言をする人は、世界を(あるいは自分を)嫌悪している。

そして、そうでない人はネガティブな発言を嫌悪している。


バーロー「あれれー?どっちの人たちも{きらい}って感情は同じだねー。」


そうなのだ。

ネガティブな発言というのはポジティブ感情ではない。絶望とか嫌悪感の表出なのである

ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。


これはなんともバカバカしい話だ。

自分の嫌いは認められても、他人の嫌いは認められないと言っているのだから


ぼくは個人的にはみんなちがってみんないいと思ってるんやけど、

その前提が成り立つことを許してもらえるなら、

自分の嫌いを認めるなら、他人の嫌いも認めていいんじゃないか?」

ってことになる。

そうじゃないと「ネガティブ発言やめろ!」と言うたびに自分のクビを絞めてることになる。

ブーメランが飛んですぐに返ってきてる。「あんたがやめろよ…」と。


このバカバカしさは「ネガティブ発言をするな」という注意喚起のけっこうな抑止力になるかもしれない。

しか嫌悪する感情は否定されないことになる。

わーい!ぼくらは誰のことを嫌いと言ってもいいんだぞー!

○○のバカヤロー!!必死に走って間に合わずに目の前で電車のドアが閉まってしまえー!!!


というわけで




これでみんなハッピー?かな?

間違ってるかなあこれ?

2つ目は若干強引な感じもするから、もっといい方法あったら教えてほしいな~◎


ここまで読んでくれてありがとうございました。


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追記







現段階で寄せられたコメントにできる限り返答していきたいと思います

正直、賛同してくれる意見も多くて助かりますが、

どうしても批判のほうに目がいってしまって精神的にキツいです

考え方としてまだ稚拙で詰めの甘い部分もあるかと思いますが、

慎重に言葉を紡いでいきたいと思います




お前が一番ネガティブなんじゃね?って誰か突っ込んであげるべきだと思うの


ぼくはたぶんネガティブなんだと思いますポジティブそうに見える書き方になっていますが、

ネガティブさを排斥しようとする状況が見るに耐えられないのです

せめて「死にたい」ぐらいは言わせてほしいのです。ほんとに死なないために。




何か発言しよう、と思うとネガティブなことしか思いつけない病


そういう人がたくさんいると思うんです。たぶん。

殺したくないんです




増田みたいな奴は正直生きてる価値無いし死ねばいいと思うよクソが。安全地帯にいる奴は気楽でいいですね。


ごめんなさい。生きててすいません。

生きてるんじゃなくてまだ死んでないだけのような気がしています

ぼくはあなたのような人と共に生きたい。許しあいたい。強い人が怖い。

よかったらぼくのブログを読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/




新人の頃、意識的なマイナス思考仕事には重要だと教わった。物事のいい面よりも隠れた危険性を常に考えろという「かもしれない運転」的なやり方


建設的なマイナス思考ですか。たしかにそれはいいのかもしれないですね。

未来という不確定性を検証するための思考はプラスマイナス関わりなく可能性の一つとして考える余地があるのかもしれない。

ぼくはなんの役にも立たない(かもしれない)マイナス思考封殺したくない。

ぼくは人の発するマイナス思考にすごく救われています




あとでよむ


お願いします。




そうだね~、「いけない」ていう義務的じゃなくって、「いいたくないなぁ」ってね、うん。


ネガティブなことを言いたい人って実はあんまりいないのかも。

誰も傷つけたくないのですが、それよりも自分が傷つくことのほうが怖かったりします。




これに関して自分は結論がまだない


ぼくもたくさんの意見をいただいて、

これで終わりにすべきではないと思いました。




ネガティブであれポジティブであれその発言を自分感情だけで否定するよりまず相手の気持ちを考えれば少しは寄り添えるだろう


そうなんです。相手の気持ちを考えることができれば、ぼくらは少しは寄り添えると思います

問題は、双方にその余裕があるのかということです

個人的にはぼくたちはもうちょっと相手を褒めたり、甘やかしてもいいんじゃないかと思います

もうこれ以上人が病んでいくのは、堕ちていくのは耐えられない。




結論は俺も同じ考え。


ありがとう

現状が少しでもラクになればいいんです

死ねばラクになれる、みんながもっと優しくなってもきっとラクになれる。

ぼくはどうせなら後者のほうがいい。





わーい。ネガティブ発言してもいいんだー(違)


ぼくはそれを咎めません。咎められません。

あなたはもっとあなたらしく生きてほしいのです




とりあえず、うっかり口にしたネガティブ発言に対してネガ感情をぶつけてくるポジティビストは怖いなあと思う


怖いです。ほんとに怖いです

でも彼らを嫌いになれないのです

ぼくがもうちょっと社会的に弱い立場だったら、

その立場を利用して言い返すこともできたのに、だなんて

ゲスなことを考えてしまます。なんでこんなことに…。




【一番いけないのは、お腹が空いていることと、一人でいること】という話。


どこかで泣いている人がいたら、笑わせるんじゃなくて

まずは一緒に泣きたいんです孤独はとてもつらい。




バーローww


ちょっと悪ノリが過ぎたかも知れません。

でもあなたが喜んでくれるなら、それはよかった。




ここでコメントしてる人達同士は仲良くなれなさそう


クズ人間を集めて、ユートピアを作りたい。

クズでもYESと言いたい。




注意喚起くらいなら別にいいよ。強制力もないし、カウンターできるし。ポジであれネガであれ、みんなで同じ方向向いてるのが一番キモい


カウンターできません。

ぼくが正しいとか間違ってないなどとは思えないのです

ちきりんさんが最近おすすめしていた「若者殺しの時代」という本の中では

バブル経済のことを「国中上げて間違ったことはやってないだろうと思っていたのだ。」と表現していました。

ぼくが合ってるとも思えませんが、じゃあ世の中の望むべく方向が合っているのかと考えると、

それもぼくにはわからないのです




ポジティブ思考のイケイケで日本は負けただろwww / 「文句言う前に努力しろ」の一言で様々なデモが潰れちゃってるんだよね、それ一番言われてるから


ぼくはネガティブで、基本的にネクラだと思います(たまにはポジティブにもなりますが)。

 「文句言う前に努力しろ」の一言でいったい何人が死んでいるのだろうと思うと、ほんとうに恐ろしい。




暗い人は四六時中年中無休で暗いわけではなく、暗いことを言う確率が高いのでは。明るい人も同様。10回会って7回暗かったら70%の暗い人確率キャラってやつなのかしら


そうだと思います

ネガティブな発言が少しでもその人の気を紛らわせることができているのなら、

それでまだ死なないでいてくれるなら、死んでしまうよりははるかにマシだと思います




ネガティブな発言をしている人間ネガティブ志向解釈してしまう時点で説得力が無い。ネガティブな事をいう奴は人生面白がっている奴も多い。ポジティブバカのように人生を楽しもうとはしてないかもしれないが。


これはたしかにそうだと思いますネガティブ発言を風刺漫画のようにコメディ昇華する人はいると思います

(その喩えが適切かどうかはわかりません)。




読みにくいけど、今抱えてる問題意識に近かったので読んだ/かくして、「そんなネガティブ発言してると、世間からうざいやつだと思われちゃうよ」という太宰メソッドで注意勧告する羽目になって自己嫌悪するわけよ。


人間失格にある

(それは世間が、ゆるさない)

(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)

(世間じゃない。あなたでしょう?)


という言葉が印象に残っています

自己嫌悪するしかないほど逃げ場がありません。もう首を絞めつくしました。

ぼくはそれをどうにかしたい。




何かを貶める発言をするなら逆の考えの人達から反感を買うくらいは覚悟してないとそれは甘え。反感を買ってでもする意義があると思う発言だけすればいい。


甘えたいです。ごめんなさい。

ほんとは人をイヤな気持ちにさせたくないです。ごめんなさい。

自分ウソをついて「大丈夫です」と言う度に、自分が嫌いになっていく。




皆でネガティブ言い合って皆でそれを嫌い合う。それが公平なのかも。どちらかが我慢するのはどうかな?/寛容さは大切だと思うけど。。


例えば、学校デブな同級生に向かって「やーいデブ」と悪態をついて、

ひるんだり、へこんだりせずに「デブで悪かったな!」と言い返せることが対等で良い関係を作るのかもしれません。

乙武さんはそういうことをやっているので、みんなが彼のように強くなれればいいなと思いますが、現実はそうはいかないですね。

メンタルの弱い人に救済を。




嫌いな曲集めて聴く行為はたまにする。訓練と寛容のために。普段聴かないジャンルにもかじっておくぐらいの気持ちで


あなたは素晴らしい人だと思いますあなたのような人が救いになるんじゃないかと思います




出家するべき


徒然草を読んでから、山に草庵を建てて暮らしたいと考えて

今も思っています




ネガティブ発言を許せないという人は「○○が嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている。これはなんともバカバカしい話だ。」…「フジテレビが嫌いだと、人が言うことは嫌いだ」と言っている人は多いね


誰のこともあまり嫌いになれない(苦手な人はいます)ので、嫌いだと言ってる人に遭遇すると混乱してしまます

その気持ちがわからないけど、否定したくないです




間違った部分を一つ一つ改善することなしに(長期的な)幸せなどあるものか。


長期的な幸せを望みます。それと同時に短期的な不幸・死の連鎖を止めたい。

それらが同時にこなせたらどんなにいいだろうか。

何が間違っているのかぜひ教えていただきたい。




前にポジティブシンキングだかの企業倒産したような。見えてる世界で綺麗醜いを言うことはプラスマイナスはないのかな。それをどう思って聞くか言うかでかわるのかな。


解釈の違いで人の反応は変わるかもしれません。

ぼくは今よりもう少し寛容な社会を望みます

そしてぼくはポジティブではないと思います。たぶん。




何を言っても気に入らなければネガチブだの暗い明るいに結びつけたがる人のそばにはいたくないなあとは思った。


そういう人たちは怖いですが、ぼくには彼らを叱りつける権利がない。

しかし、気に入らないという思いが誰かを殺しているのかもしれないならば、

ぼくはこのケンカをやめさせたい。




言ってもいいんじゃないかと思う。だってにんげんだもn…(ry


ぼくもそう思います

もし、将来ネガティブにならざるを得ない状況がひっくり返ったとしたら(つまり誰もが「明日が楽しみな人」になったら)、

根本的な解決になるかもしれませんが、その分ネガティブ発言への風当たりの厳しさは増すだろうと憶測します。

から、やっぱり「それでいい」ということにしたい。




ぼくはもっともっと慎重になりたい。

間違ったことをしたくない。だから

賛同する意見も非難する意見も助かります


ありがとうございます

2011-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20110806005728

自分で稼いだ金を自分に使うからこそお金のありがたみってものがあるのに、あげる方もあげる方だね。

アフリカの人と比べるのは極端じゃないかな。途上国先進国では勝手が違う。

野垂れ死んで、とは言わないけど自分資産管理が行き届いていないがゆえの因果応報ではあるので、そのけじめはしっかりつけていただきたい。

ほんとみっともない。できないことととしないこととは違う。

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