はてなキーワード: とんねるずとは
EXITの「ドラゴンボールやプロレスで例えられても若者には響かない」発言は衝撃だった。
EXITはいわゆるお笑い第7世代と言われる令和の若手芸人の中心的存在で、10代20代の認知度も極めて高い。
平成のテレビは、BIG3とお笑い第3世代がその地位を盤石とし続けた時代だった。
ダウンタウンに憧れて芸人を目指した世代はもうアラフィフを迎え、若手としてテレビに出る芸人も実際は30代以上。
普通に考えれば千原兄弟もケンコバも博多華丸大吉も野性爆弾も、もう10年早く東京のテレビに出まくってても全然良かったはずだった。
上への階段が閉ざされ続けた故に、一発屋で全国的な知名度を手に入れてもM1で勝ってもテレビの椅子は空かなかった。
司会者は変わらない顔ぶれのまま、ひな壇の若手~中堅がどんどん入れ替わっていく時代だった。
90年代半ばから約20年間、ずっと大阪で有望な若手たちを育成し続けていたのがバッファロー吾郎だ。
極端に言えば、初期のアメトーークの構成や細かすぎて伝わらないモノマネは完全にバッファロー吾郎が大阪のライブでやり続けた笑いのノリそのものだ。
ダウンタウンやとんねるずがテレビのゴールデンでやり続けるエンタメとは違うアングラな笑い。
2ちゃんねるやニコニコ動画とも親和性の高かったあるあるネタや特異なノリの数々は、今のアラフォーやアラフィフにとにかく受けた。
それを「面白い」と思える世代は、もう今のアラサー世代(いわゆるゆとり世代)がギリギリなのである。
今のアラフォー位で特にネットやSNSを好む人達はまだ自分の笑いの感覚は若いと思ってる(さすがにアラフィフとなるとわきまえている人が多い)。
tiktokやSNSで無名の若者やYouTuberたちが切り開く笑いはそれまでと全然異質のものだ。
2018年のM1の時点で「もう自虐は古い」とギャロップの漫才をバッサリ切り捨てた上沼恵美子の凄さはまさにここなのである。
今ではビジネススクールでも紹介されることが多い島田紳助の伝説のNSC授業(DVD化されている)で、紳助さんは「時代の流れXと自分の力Yを常に把握し近づける努力をしなければいけない」と言った。
問題は時代の流れXに対して自分の力Yは時間をかけて努力しようとすればするほど逆方向に行ってしまう可能性が高いということだ。
子供の頃のあるあるが視聴者との共通体験と大きくかけ離れた時、もうそれはあるあるではなく自己満足の回想録となる。
大げさに言えばもう昭和のあるあるトークはそんなに遠くないうちに戦時中を経験した大師匠クラスの「昔はこんなに貧しかった話」と変わらなくなるのである。
ケンコバも友近もレイザーラモンも、バッファロー吾郎がいなかったら今の活躍はなかったかもしれない。
でももうテレビでもネットでも、ドラゴンボールやキン肉マンやプロレスネタがその活路を見出す場面は先細っていくばかりなのである。
1985年刊、とんねるず著『天狗のホルマリン漬け』の「職業別女のくどき方」というコーナーに、
件のnoteライターが書いたコンビニでビスコ継続購入の記事と類似した記述がある。
相手は1日に何十人もの客と接するわけだから、とにかく目立たなければいけない。
夏なのに、マフラーをいつも巻いているとか、男のくせにスカートをはくというのもいいが、
1か月もタワシを買いつづけていれば、「また、タワシを買ってるわ」と、覚えてくれるだろう。
逆に、1日でもタワシを買いにいかなければ、「あれ、今日はどうしたのかしら?」と、心配もしてくれよう。
彼女とて、1日中、セブンイレブンにいるわけではないからセブンイレブンじゃない所で
「あのうー、タワシの僕ですけど……」と声をかけてみる。「ああ、タワシの!」と、話も弾むわけである。
他の方法として、1年間、毎日、ピザマンを買いつづけるのもいい。そして、1年たったら、次の日、
多くの人はこちらのWikipediaの記事を参照していると思われる。
この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。
まず画期としては1953年のテレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家や喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこい・ダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。
次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組『大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組が放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語・漫談・漫才・コント・コミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオ・ブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフと萩本欽一のコント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。
続いて、1980年に放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京に進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし・明石家さんま・山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまにタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームやひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。
その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成所出身の若手が、小劇場のライブで腕を磨き、夕方番組や深夜番組をきっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴である。とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンがこの世代の代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイやロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。
次に来るのが「ボキャブラ世代」である。1992年から1999年まで続いた『タモリのボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人のネタ見せ番組に移行。この番組を登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイ・ロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題・くりぃむしちゅー・ネプチューンあたりが代表格となる。
2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組がスタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人のレベルは底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年にM-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算の番組が増加した。(2010年までの)M-1でブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。
2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代がバラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠の時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合は2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか。2020年現在、芸人の主戦場はYouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。
その直前くらいからセントルイスやツービートの人気が出てきて、それまでの「青春」「熱気」「根性」みたいなものが否定されて、汗をかいたり、なにかに一生懸命なのが笑われるという「冷笑的な」風潮になってきます。学歴が大事で、田舎者やスポーツやる人間はアホ、というように世の中の評価も変わってきたんです。
そういう風潮の中でとんねるずが出てきて、おれたちゃ「高卒」「体育会系」を売りにして、単純で馬鹿である、というのを売りにしたんです。自分らは「今やバカにされる存在の」体育会系の脳筋ですが何か、というスタイルで出てきたんです。
なので、私もそうだけど、とんねるずのファンは、あれらを「あるある!」とバカにして笑ってたんですよ。そして、それは彼ら自身も分かってたはずです。時代的に「自分らの」体育会系なスタイルが時代に合ってないと。だから、それを逆手にとって。ビートたけしがバカにしてたような「架空の人々」の実在バージョンとしてとんねるずは出てきたんです。
「君がいるだけで」米米CLUB
「もう恋なんてしない」槇原敬之
「愛しさと せつなさと 心強さと」篠原涼子 with t.komuro
「Tomorrow never knows」Mr.Children
「LOVE LOVE LOVE」DREAMS COME TRUE
「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」H Jungle With t
「LA・LA・LA LOVE SONG」久保田利伸 with NAOMI CAMPBELL
「YELLOW YELLOW HAPPY」ポケットビスケッツ
「HOWEVER」GLAY
「長い間」Kiroro
「Time goes by」Every Little Thing
「糸」中島みゆき
「Grateful Days」Dragon Ash
「A・RA・SHI」嵐
先日ホッテントリに入った、タレントのヒロミの記事(https://toyokeizai.net/articles/-/263194)、そんなことがあったのかと興味津々だった。
タレント・ヒロミを必要としたことはないし、これからもしないけれど、広い世の中に彼を必要としている人がいるから、今もテレビに出ているのでしょうね。
おいおい、なんでこんなしみったれていて、あからさまな予防線もくっせー、シケた書き込みがウケてんだよ。
俺も大人気だった頃のヒロミや、芸風的に近いとんねるずが嫌いだったし、今でもとんねるずは嫌いだけどさ。
でもヒロミに関しては、ここまで丸くなってんのに「どこか上から目線」とかこじらせすぎじゃねーの?
それに、今の視点で横柄とか尊大とか切って捨てるのは簡単だけど、ヤンキーがカッコイイという評価を受けていた時代、「強気でやんちゃ」というのは美点も大いに含んでいたわけで。
「日本の美学にはヤンキーとファンシーしかない」なんて言ってた評論家もいたしな。
むしろ「ヤンキーはダサい、オタクは普通」という今の風潮が逆に行きすぎじゃねーかとも感じるし。
まあ「ヤンキーはカッコイイ」とセットだった「オタクはキモい」という時代に戻っても困るけどな。
でも時代は巡るので、いずれ強烈な揺り戻しがありそうだし、そうなっても泣くんじゃねーぞみたいな。
https://anond.hatelabo.jp/20190218155937
たしかに、基数に対するサクセサが表現として、固定されていると考える必要はない。
だから、2!と銘打ったものが1に対する加算的な位置づけにある必要性はない。
おそらく、集合論的な意味での濃さがけものフレンズ2に存在すれば、それは2という数字を含んでいても問題なく、2の濃さ(よさ)を理解できない「論理的でない人間」という判断を下されちゃっているのだと思うが、しかし、2が1の続きでないという判断を、その表現の濃さ(よさ)だけでどう判断すればいいのだろう?(2が現物として全く良くない、というのはおいといて)
「いやなら見るな!」という(死ぬほど頭の悪いと私は思っている)発言に通じるものがある気がする。
いやだと判断するためには、最低一回は見なければならない。
2を判断するためには、1を知らなければならない。
ここらへんは私にとって当たり前だと思うんだが、どうやら、そうでない人間がいる。
それらは、「最初からとんねるずの番組や、”2”が、「自分にとって嫌かどうか」を判断できる基本的かつ前提的な思考が他人には存在する」と考えている。
最近、ツイッターのくそ具合や、ここ、はてなのくそ具合から、「インターネット」というもの、および、万人平等論的な思想がぐらついている。
ぶっちゃけ、2だけど1とは関係ないよ!関係あると思うやつは論理的じゃないやつだよ!とか発言できる人間と、ネットとはいえ、つながっている必要性があるのだろうか?
しかし、つながっているのだ。インターネットとはそういうものなのだ。
…ここまで書いていて思った。インターネットってそういうものだっけ?ちがくね?
だが、現在のインターネット上のメインメディアは、障害の浸食に耐性を持っていない。
この「インターネットの目的」と書いた知的な意味での障害耐性は、人間も持っていない。おそらく、KADOKAWA社内での会話は完全に障害状態だろう。けものフレンズ2の「売上」という数字が出て初めて、この障害に対する自己修復が始まる(か、もしくは単に無視され、角川自体の崩壊まで進むか。ニコニコのように…)。