はてなキーワード: あられとは
夜浴衣でみんなでお酒飲んで、ダラダラしてたらそのまま眠くなって寝ちゃったんだけど、ふと起きたら、みんなあられもない格好で寝てた。
その時、一人の男友達が仰向けで大の字で寝てたんだけど、下着出して寝てて、アレがあるところがすっごく盛り上がってて、少し毛も出てた。
大きくなったアレ見るのは初めてじゃないけど、下着脱がして直に見てみたい誘惑にかられた。
でも、それしちゃったら、絶対触りたくなるし、触ったら友達起きちゃうし、その状態で起きたら変なことになりそうだから我慢した。我慢したというより、初めから触る気ないけど。
別にセックスしたいわけじゃなくて、ただ触りたいだけだから、求められても困るし。
ただ後で思ったんだけど、寝てる時にアレって大きくなるんかな?他の女の子たちも脚出て寝てた子もいたし、私が起きるまで、その男友達起きてて、女子の寝てるとこ見てたんじゃないかな?
PC9821とかWindows98とかテレホーダイとかそんな時代の話
パツキン外人のヌードだの、アイコラだの、エロ小説とかそういうのね
エロ小説つってもアニメやゲームのキャラのヒロインたちを題材にした二次創作のエロ小説ね
藤○詩織とか、サ○ラ大戦、ス○ーオーシャンの二次創作エロ小説だった
それが凄かった。
当時のエロゲ界でスタンダードだった、所謂美少女陵辱モノの流れ、文法で書かれてるんだけど
読むと脳が溶解してシナプスがブチブチ切れてるんじゃねえかってぐらい異常に興奮すんの
文章はもの凄くシンプルで量は多くない。簡単な状況説明と会話と擬音だけ
それでいて官能小説用語辞典に載ってるような技巧を駆使した性表現なんかに全く頼ってないの
その後商業・同人・ネット投稿と幅広くエロ小説を見てきたつもりだけど
未だに及ぶものが見つからないぐらいの強烈な完成度、興奮度の打点の高さ
その後そのサイトは消滅し、その作家さんもネットの海に消えてしまった
たまにInternetArchiveで見返すけど未だに興奮するし、未だに文章の完成度に驚いてる
あれほどの才能が埋もれるはずもないと思うが、消息が全くわからない
InternetArchiveで当時の感想掲示板の残骸を見るに、
執筆当時大学生で、腰痛に苦しみ、それが元で退学し、大病して療養中というところまではわかった
『けもフレ』も『けもフレ2』も5分で切った俺だが、2の9話がまた物議を醸してると聞いて興味が湧き、今回はじめてちゃんと見てみた。あーこりゃダメだなと思った。イエイヌが不憫すぎる、ボロボロになるまで守ってくれた彼女を放っておいてサーバルと談笑に興じるキュルカスまじキュルカスなど既報どおりの印象を持ったが、単純にクオリティが低いとも思った。
イエイヌに対して登場人物みんなが本当に無関心だ。なぜキュルルをさらったのか、その後どうしたかったのか、どうしてボロボロになってまでキュルルを守ろうとしたのか聞きもしない。その無関心っぷりはイエイヌと別れた後、存在そのものを秒で忘れるんじゃねーのと思うほどだ。
その象徴が「おうちへおかえり」という言葉を望んだイエイヌに対し、首を傾げながら表情をまったく変えずにオウム返しするキュルルである。
キュルルは間違いなくイエイヌがそう望んだ理由を理解していない。それどころか「なぜそんなこと言わせようとするんだろう」とすら考えない。本当に、一ミリも、イエイヌに興味を持たずに終わる(その証拠に、イエイヌの目的や事情は彼女が一方的に説明するだけでキュルルから尋ねることはついぞなかった)。
これはキュルルがカスだとかbotだとかの以前の問題で、ここまで感情のやり取りがないと物語が成り立たないレベルで致命傷だ。だから必然的に視聴者として感じ入ることができない。これは例えばたった一言、ボロボロになってもキュルルを守ろうと立ち上がるイエイヌに対し「どうしてそこまで……」と声をかけるだけで話が違ってくる。それがあれば例えば「だってそれがイエイヌですから!」と信念を示すこともできる。いや、画面ではまさにそういう意味合いを持ってイエイヌは戦っているわけだが、それに対するキュルルの興味・理解・共感がないからただただ虚しいシーンに成り下がっている。意味ある物語を作ろうとするなら相手への無関心・無理解は絶対に避けなければならない。
ついでに言うなら「ビーストに襲われる」ことと「イエイヌが別れを選んだ理由」が直接つながってないのも出来が悪い。イエイヌがキュルルとの別れを選んだ理由は「キュルルさんを引き離すような真似をしてすみません。仲間を失う気持ちはよく知っていたはずななのに」にあらわれているが、これはビーストと戦ったことやボコられたことと直接関係ない。ビーストにボコられたところからつなげたいなら、「私ではキュルルさんを守れませんから」を理由にすべきだし、キュルルとサーバル&カラカルの絆を理由にしたいならキュルルと仲違いしたカラカル(&サーバル)が戻ってくる理由をスケッチブックの返却ではなくビーストの唸り声を聞いたからにすべき。ケンカしたのにキュルルに危機が迫ると知るや取って返すふたり、キュルルを守るために傷つきながらも強敵を撃退する、という流れにすればあの3人の絆をイエイヌが理解でき「引き離すような~」というセリフにつなげることができる(その布石としてキュルルを悪く言うカラカルにイエイヌが不満を持つ、外は危険だからと言うイエイヌに「ふたりが危険なのに家でじっとなんてしてられないよ」とキュルルが言うなどあれば尚良い)。
実のところ似たようなことはどれもやってるのだが、必要なセリフや演出をことごとく欠いているためそれっぽいけど全く違う醜悪ななにかに成り果てている。
創作者のはしくれとして俺ならどうするかについても述べておく。
まずイエイヌのやっていることは代償行為である。キュルルはヒトだが本当の主人ではない。彼女には帰りを待つべき主人が別にいる。しかし主人が帰ってこないため、キュルルに偽の安らぎを求めており、そんな「弱さ」を彼女は抱えている。1人&2匹との出会いによってイエイヌは主人の帰還を信じる「強さ」を手に入れ、キュルルたちとの別れを選択する――という点を軸にする。1人&2匹との出会いがイエイヌの心の問題を解決するのがポイントだ。
具体的には以下のような流れ(※筆者はガチでこの9話しか見てないのでキャラに違いとかあるかも)。
『けもフレ』5分切りを豪語する俺がひとつだけちゃんと見た『けもフレ』コンテンツがある。それはJRAとのコラボ動画『けいばじょう』。
内容は他愛のないもので、「おおきなたてもの」のそばを通りすがった一行は、その中でサラブレットのフレンズと出会い、「おおきなたてもの」であるところの「けいばじょう」を案内してもらいつつ最後はかけっこ勝負をする。時間にして3分半ほどと短いが、俺はこの動画が好きである。
その理由の大部分を占めるのが3:10から流れるたった5秒の映像だ。
サーバルのかけっこ相手であるあおかげは、その直前、客席(スタンド)に視線を向け、耳を澄ませる。聞こえてくるのはかつてこの競馬場を埋め尽くした大歓声だ。今は失われてしまった、華やかで賑やかだった頃の残響。感傷に耽るあおかげの後ろ姿に胸が締めつけられる。彼女は何も語らないし表情すら画面に映らないが、この場所が或るいはかけっこが彼女にとっていかに大事か、そのワンシーンで伝わってくる。
政府に向かって日本はまだ受け入れ態勢ができていないと文句を言うのも大事だと思うんだけど、潜在的な「外国人労働者」向けの英文記事を用意して、SNSでシェアできるようにしたらいいんじゃないかな。
しばらく前に国際機関職員の方の講演を聞いた時、ミャンマーではFacebookがよく使われていて影響力があるメディアになってると言ってた。ロヒンギャ問題でもフェイクニュースの拡散に大きな役割を果たしたそうだ。今回は、SNSの影響力を人々を不幸にさせない方向に使ったらいい。
潜在的な「外国人労働者」はたぶん東南アジアあたりの途上国にいるのかな。その人たちに届くように英文で、技能実習生がパスポートを取り上げあられてるとか、東京入管で死にそうになって救急車を呼んでも乗せてもらえないとかの人権侵害状況を、コンパクトにまとめたらどうだろう。英文記事で最近よく目にするタイトルの付け方に合わせて、5 reasons you should not come to work in Japan みたいな感じで。
もう膝下からヒゲみたいな濃い毛がはえることも、夜剃ったばかりなのに朝になればちくちくしてることも我慢できなくなって、高いからとかいいながらずるずる悩んでいたのを吹っ切って、医療脱毛を
若くて可愛い看護師さんとサポートのお姉さんにあられもない体勢にさせられて、VIOもおもったよりぐっと内側までされて、びっくりした
ただ、羞恥心が思ったよりわかず、この人たち仕事だから何度もこんな光景みてるんだろうしなーと平然としてられた
羞恥心が人より薄いのかもしれない
何十万もなくなってしまうけど、想像してたより痛みもなく、早く終わったし、こんな簡単ならもっと若いときにしててもよかったかもしれない
ただ、自分のお金で、且つ何十万も払えることを考えたらいまのタイミングがベストだったのかな
妹にはなるべく早くするようにいっておこう
早く自己処理しなくて済むようになりたい
けど地方に住んでると「本当かよ?」って感じ。
日曜の午前。
まだ人の少ない時間帯。
その数20台以上。
そこから続く人の波。
しかし店内に入ると様子が一変。
人がいない・・・・・
いや。正確には人は多い。
すし詰めの満員御礼。
レジは長蛇の列。
しかしだ!
マジで人がいない。
本当にいない。
だだっ広いエリアに客が3,4人。
今日は日曜ですよ?
ヤマダ電機って日曜が一番混み合うよね?
「平日かよ!」って思うくらい。
いや。仮に平日だとしてもこの閑散ぶりのなさはダメだろw
この世から人が消えたような、そんな設定の世界観をちょっと感じられた。
とは言えヤマダにとっては中国様様だろう。
マジすごい・・・・
そしてえげつねぇ・・・・
アベノミクスの罪は大きい。
瞬を女性キャラ化した作り手のもう男だけで戦う時代じゃないという言葉に対して海外ファンがセーラームーンの画像をあげたって話を見てこの前の男の子プリキュアを思い出した
去年男の子のプリキュアという話題に"子供の価値観に影響するのに子供向け作品は多様性のなさが続いてきた""やっとプリキュアから変わる兆し""女児向けだけじゃなく男児向けもそうなっていけば"的な戦隊やライダーと比較しての内容が散見されてそれは普段偏見や思い込みやステレオタイプでものを判断することの恐さや知ることの大切さでジェンダーを語る勢界隈のみなさまのツイートでもありそこに人間の一種の業を見たようで軽くだけどもそこそこの衝撃を受けた
男の子がプリキュアになれるようになったそのことに対して挙げられていたのが戦隊のレッドがリーダーサポート役にされるピンク弱い女性を守る男性としてのライダーといった特撮ヒーロー像でまた加えて女は魔法で戦う魔法は女が使うもの的な偏った女性像を今に残す(としている)魔法少女作品への苦言のようなものでありさながらおっいつの時代の話してんだ?というような様相でそれらからそのみなさまが少なくともスーパーヒーロータイムにテレビの前にいないであろうことは想像に難くなくそしてその自覚もあられるはずでだけどもそんな自分の持つ子供作品像が像として客観的に語れるほどの経験に即したものではないという前提でもって"今に至るまでの子供作品"をよく知らないはずの世界のことを主観による感想や意見としてでなくその世界の"事実"として嘆き"偏見の影響や知るということへのきっかけの重要さ"で説くその姿の皮肉さに人間どうにもならねえことはどうにもならねえんだなあというある意味人間への絶望のようなものを垣間見たようなそんな気になったし単純に興味深くも思った
興味深かったのはそういえばと自分の一番古い戦隊の記憶でさえ既に"女性はピンク"じゃなかったことに思い至ったからでもあり確認したら最初にピンクじゃない女性戦士が生まれたのは紅一点がシリーズではなく作品毎の個性となったのと同じ1985年女性戦士にピンクがいない戦隊が1988年レッドじゃないはじめてのリーダー鶴姫が1994年シンケンジャーが2009年でそして"女の子っぽさ""かわいらしさ"は弱さではないと示した桃園ミキちゃんは1982年だった
ちなみにタックルちゃんは1975年女性ライダーが生まれた龍騎は2002年で15年以上前で当時映画館行ったけどそんな前でしたかね・・・というきもちに包まれた
彼女たちの存在はか弱い女性をヒーローが守るそれは"男性が強く""女性は弱い"なんて役割だけに駆られたものじゃなく"個"として大きな力を与えられたものの責任や矜持からであると証明し体言し続けるものでありというかむしろ大きな力に対して正しくあろうと考え悩み倒れ打ちのめされたとえその力が手から離れたとしても確かに力強く立ち上がりより強くあろうとするそんな全てのヒーローが尊いと思うんですよ私は(早口)
ただ好きなだけの自分の思い出とくわしくもない浅い記憶を照らしてもその程度は思い当たるところを考えると呆けたように口開けて見ていたブルースワットもシュシュトリアンも多様性という面では多くの歩みの中のひとつとして少しずつでも前に進んでいるその象徴でもあったのかなあだとか魔法少女たちにしても思い返せば今では女の子の定型として語られるそれらもその時代時代にして桃園ミキちゃんのように女の子という概念を強さとしてまたお転婆なんて気にしないわというような奔放な女の子像を投影して肯定的に強くキラキラと描くことで象徴としての姿を獲得して今に至るわけで家庭環境なんかの描き方や当然価値観も時勢において変化していて今回のプリキュアも劇的な快挙というより歩みを重ねての自然な結果だったのかもなあとかそんなことを考えていたのを聖闘士星矢の話で思い出したのだった
また性別においての役割に対する自分の意識の薄さは子供の頃から作品によってどちらの性別が戦う姿も守られる姿も目にしていてそれが影響しているからかもしれないなんてことも思ってもいてそれは恐らく多様性が語られる上でここ最近で名前あがりがちなブラックパンサーやクレイジーリッチやオーシャンズ8が一方の肌の色や性別のバランスだけから見るとむしろひと昔前の"白人""男性のそれと変わらないというようなそれとも関係していてそれは矛盾じゃなくそれこそが多様性におけるまさにカウンターパンチであり同時に今では偏っているとされる過去の作品群をもそのまま個性として肯定し内包し得る可能性を持ってもいて作品内をただ多様化することを是とするだけでは過去のまた例に挙げた作品でさえふるい落としかねないことからそこに加える形で全体の中で既存の価値観ありきで同じ方法論をとることで多様性の雄となった認知と許容のパイを増やすそのやり方はいくらもたくましく見えるように思えるしそこでの聖闘士星矢に対するセーラームーンでセーラームーンとあげだまで同じチャンネルで続いて流れる戦隊でライダーでなぎさとほのかでふたりはプリキュアでニチアサなんじゃないのかと思ったのだった
問題なのは作品の中で一定の立場の人間が偏って役割につくことではなく作品を越えたところでの役割においての共通する偏りで必要なのは一方の価値観を描くことの優劣や是非を問うことではなくどちらもが個性として選択、許容されるということを示すことでだからこそ今回のプリキュアで男の子が、イレギュラー的であっても戦隊レッドが仮面ライダーが女性でも"なれる"と示されたことはそれぞれのシリーズ史において前述したような主人公がその性別であることからの役割だけではなく作品やシリーズとしての"個性"として存在しているというのを改めて示すものでもありそれはきっと大きなことなのかもなあというようなことをぼんやりと雑煮を食べながら考えたので記念に文字にしたのであった
おいしかった
お餅は大好きですけど、お子さんに食べてもらおうというのは、ちょっと怖いですね。
パック餅をあられくらいの小ささに切って、焼いて、お湯かけて安倍川みたいにしたら
まだ喉に、詰まるという危険は減るかも。
ドロドロに溶かすほうが、気管支に入りそうな💦
友人(同い年)にお餅が食べられない人がいます。アレルギーじゃなくて。
小さいころに喉につめて酷い目にあったらしいです。それ以来ほぼほぼトラウマであるとか。
市販のパック餅の焼いたのだったのか、つきたてのほわほわのお餅だったのかは
お餅JKのころ友人のお祖父ちゃんがそれで亡くなったとかで、彼女もフフって言ってたし
なんか漫画みたいな流れですが。それだけに気を付けないとなぁって思います。
雪やこんこ あられやこんこ
増田くらいでしか書けない、拗らせた若い頃の変態性の記録とを吐き出したいので読み流して欲しい。先に書くけど今ハッピーてオチだから自慢と感じる人は読まないほうがいい。
現実の他人にはほぼ関心を持たず、初恋はゲームのキャラだったのを覚えている。
思春期になるとBLにハマった。男女物の少女漫画は苦手だった。
何故なら、私は図書館でエンカウントするタイプの女で、ヒロインのような朗らかで素敵な少女にははれないので、読んでいると辛くなってくるからだ。
BLは男同士の世界なので私には関係がないため傍観者として好きに読むことができる。
BL以外には当時父親が買っていたジャンプをこっそり読んでいた。当時の月刊は過激でエロい漫画が掲載されていて、そこだけドキドキしながら読んでいた。このときも男性側に感情移入していたと思う。
次第に思春期の私は「男になりたい」と思うようになった。
女は与える側にしかなれないが、男なら与えるのも享受するのもどちら側も選べると思ったからだ…と思う(当時はモヤモヤしていて言葉にできなかった)
それを拗らせていき、フェミニンな物が全て苦手になっていった。スカート、フリル、化粧、恋愛など。
これはだいぶ長く続いて、どんな人に告白をされても二度と声をかける気がなくなるくらい、こっぴどく振っていた。そもそも性の拗らせ以前に、趣味の時間を取られるのが惜しかった。恋愛する時間や気力があったらネトゲをしたい。
当時すっかりネトゲにハマっていた。ネトゲでは男女両方のキャラを作って、男のときは女キャラの人にセクハラぽいことを言ったりもしていた。男とはそういうもので男キャラを動かすにはそうしたほうが良いと思っていたからだ。誤認識も甚だしい。
でも実際に男キャラ中身男という設定で動かしてみるとしんどくなってしまった。男なんだからと率先して戦闘をしたりしていたがネトゲ内ですら内向的な作業のほうが向いていた。男をやることに向いていない。そう思ったので結局女キャラばかり動かしていた。
女キャラで自称女でもネカマだろうと周りには言われていた。オフ会に行ったときは本当に女だったのかと驚かれた。
そしてドール趣味が始まってしまった。きっかけはアニメ顔をしたフィギュアのようなドールだった。
とても可愛いと思った。そして、これだ!と思った。
私は同性愛者ではないので現実の女性とお付き合いしたいとは思わない。女のままでは享受する側になれない。でもドール相手なら自分は享受する側になれるのだ。
ドールにセクシーなあられもないポーズをさせて安いデジカメで写真を取りまくった。
でも繊細なドール界隈、特に女性ドーラーの間ではそういうものは忌むべきものとして大変嫌われていた。匿名の場でセクシーなドールのスレッドが立っていた。レスで写真を公開していたが、スレッド自体の存在をドールの人権侵害くらいの勢いで罵倒された。スレッドは削除依頼を出されて、実際に何度も消された。
別の場所で、あのスレッドはドールの世界を壊すクソ男性ドーラーどもという扱いをされていた。でも私は女だった。女ドーラーだと弁明しても余計に荒れそうなので、私は匿名のままそういう表現にふさわしい場所に公開場所を移していった。
その当時はオリエントのダッチワイフが本当に欲しかった。でも大きいし高額だしと結局購入に至らなかった。男だったら即買っていたと思う。でも、ここでまず男じゃなくてよかった。男だったら田舎の100万くらいで買える中古のボロ家を買って中を人形別荘にしていたと思う。大変なホラーである。
そのあと社会人になって仕事に忙殺されているうちに今の夫と付き合うことになった。
夫もオタクだが漫画をたくさん読むというレベルのマイルドオタクだ。
付き合うことになったのは20半ばになって未だに恋愛経験がないのはヤバイのではないかという焦燥感があったからだ。喧嘩も沢山したが、こいつを逃したら自分は一生独身とお互いに思ったために結婚まで漕ぎ着けられた。
私は男性は大体えろいと思っていた。夫もオタクなのでケモナーの話をふったらドン引きされた。ふたなりもNGと言われた。それを見て、もう私のこういう話はリアルでは話せないので墓まで持っていこうと思った。結婚の引っ越しを機会にドールを全て処分した。人形用のエッチな服などが見つかったらドン引きされてしまう。
男性は大体えろいけど、変態濃度がみんな高いわけじゃないという当たり前のことがネットの知識しかないのでわかっていなかった。
子供が生まれたらホルモンのバランスなのか?憑き物が落ちたようにフェミニンなものに抵抗が無くなった。私は胸を張って女である。子供を生む性である。と自分で受け入れたからかもしれない。それを受け入れたので今は割と幸せだ。不思議とBLにも興味がなくなってしまった。ドールは持っていないながらまだ好きだけれども。
男に生まれなくて良かった。男に生まれていたら田舎のドール別荘と都内の家と職場の往復で人生が完結することになっていた。それはそれでめっちゃ幸せだったと思うけれども、子供がいる幸せはまた別ベクトルだ。
自分は漫画作品の原作ファンなのだが、二次創作について思うところがあってこの記事を書いている。
描かれる世界はいわばパラレルワールドで、キャラクターは同姓同名の別人。
妄想では何をしようと自由。この国では思想も表現も自由で、趣味嗜好も性癖も自由だ。
それ自体を批判するつもりは微塵もない。そんな権利も自分にはない。
二次創作が、原作や原作ファンに直接的な影響を与えることは無い。
というか、影響を与えるのは好ましくないことだと思っている。二次創作は法的にグレーゾーンだから。
それなのに、原作関連の情報を探すためにサーチをかけたりすると、
大好きなキャラと同姓同名で同じ出で立ちをした誰かが、あられもない姿になっていたり、
大好きな作品名の「ジャンル界隈」で炎上騒ぎになっていたりということが、往々にしてある。
名目上原作とは無関係のはずの二次創作における問題で、原作の名前が挙がる。
どうでもいいのに、目に入る。原作が好きというだけで。
多様性が尊重され、棲み分けが重視される時代だから、面と向かって批判することもないし、他人の権利は尊重したい。
そう思って自衛を試みても、キャラ名や原作名が入っている以上、検索避けがあまり意味をなさない。
原作ファンがサーチをかけたときに、容易に見えるところにそういうものがあることに、何か引っかかりを覚える。
同じく原作ファンである少年に「(作品名を)検索したらエロいBLが出てきた」と言われてゾッとしたことがある。
最近では、原作側が特定の二次創作主を認識していることが公式的に発表されるという話も度々聞く。
全ての二次創作主にとって、そういった話は他人事ではないはずだ。
だからといって誰がどうするべきだなんてことが言いたいわけではない。
ただただ長い間つもり続けている、なんだかな、という気持ちをどこかに吐き出したかった。
追記:
発信者が棲み分けしていない・受信者がしようと思ってもできない状態には違和感を覚える」
という話
その場合、お金をもらってないので広告記事じゃないですが、念のため、その企業に公開前の事前確認をしてもらうことがあります。
その企業の広報担当者の中に、時々、非常識な修正依頼や要望をしてくる人がいます。
これは最も非常識。
そもそも、企業に確認をお願いすること自体、それが広告記事でない限り、あくまでサービスとして事前に見せています(企業に求められなければそもそも見せないことも多いです)。
事実に反することや誤った表現があれば指摘してほしい、くらいのことです。
企業に確認をお願いしているのは、あくまで企業に関わる箇所だけであり、それ以外に口出しする権利はありません。
これが一度あると、この企業には確認をさせないようにしよう、ひいては面倒だからそもそも取材を控えよう、となります。
業界は狭いので、その一つの媒体だけではなく、他媒体にも噂は広まっていきます。
もちろん、タイトルや見出し、インタビュアーの言葉であったとしても、ちゃんと経験のある広報担当者であれば、「ここは〇〇と変えるのもアリかと思いますが、あくまでご提案です」といった大人のやり取りをしてきます。
その企業に関わる箇所で修正したいところがあれば、どう修正したいかを明確に提示すべきです。
なぜなら、こちらは100%良いと判断した状態のものを見せており、企業によってその一部を変えるのであれば、どう変えるかをこちらが考えるのは本来不要だった仕事だからです。
もちろん、事実関係の誤りだったり、それが公表資料をあたればすぐ分かる情報だったりすれば、代替案を明示せず、「ちゃんと調べろ」でもいいと思います。
これは無料記事だけではなく、広告記事にも当てはまることです。
どこをどう直したか、それが全く分からない形で戻ってくることがあります。
もちろん、例えばWordなら、元ファイルと比較する機能があるのでこちらでやりますが、特に無料記事でこちらの仕事を無駄に増やすのはやめていただきたいです。
Googleドキュメントなら修正履歴は自動で全部残るからいいのですが、Wordを使う場合でもこちらから事前に、「修正履歴を残してください」と案内しています。
それでもやらない人がいる。よほど自分の修正に自信があられるのでしょうか。それとも、履歴残さなくても、こちらが全文を目で見て照らし合わせるとでも思っているのでしょうか。
一度戻ってきて、その修正を反映させてこれで完了、と思っていたら、次から次へと修正事項の連絡が来るやつです。
時には、そちらが修正した部分についてさらに修正すると言い出し、こちらの元原稿に戻ることさえあります。
いえ、その議論の過程はあってしかるべきですが、全ての関係者のチェックを、社内で全て終えてから戻してほしい。