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はてなキーワード: あいうえおとは

2018-02-14

アメンボ赤いなあいうえお

アメンボは赤くないし、いきなり「あいうえお」と言い出すのはおかし

2018-01-18

音は波ではない

高校レベル知識だと、波は同じパターンの繰り返しらしい。

でも、私たちが聞いている音は常に変化している。

あいうえお」と発声するとき、「あ」のタイミングと「お」のタイミング空気の動きは違う。

同じパターンを繰り返すと「あーーー」というつまらない音にしかならない。

から私たち普段聞いている音は波じゃない。

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-14

電車の乗り方ってすぐわかった?

わかりにくいと思わないか

最初めっちゃ困ったんだけど。

まず、先払いなのか後払いなのかわからない。

先払いなのがわかっても、その次の関門が切符の買い方。

行きたい駅を探そうにも、タッチパネルあいうえお順でもアルファベット順でもなく、料金順というのがもうなにを考えているのか。

切符を改札に通して、少し先から出てくる切符

これもちゃんと説明が欲しい。

俺は速攻でゴミ箱に捨てた。

だってそうだろう。

映画館だって松屋だって、半券なんか捨てるだろう。

にわからないのが、グリーン車

切符グリーン車は乗れないって書いてなかったわけで。

最初からゲートとかわけてくんないとわかんないよ。

それに、名前が悪い。

プレミアムとかゴールドならわかるが、なんだよグリーンって。

俺なら、普通切符は「2等客車」、グリーン車は別の切符にして「1等客車」って切符印刷するよ。

外国人とか絶対わからんと思うぞ。

それと、快速とか準急とか、勝手造語作るならちゃんとわかるような注釈が欲しい。

rapidって英語表記から、速いんだろうなとは思ったものの、停車駅が少ないとか、それ説明いるだろ。

わかりにくい極め付けはSuica普通切符を買う先払い方式なのに、Suicaだと後払い方式

後払い方式なのに、先払いでチャージ最初はさっぱり理解出来なかった。

オートチャージだと、引き落としはクレジットカードから後払いなのにチャージとして先払いで運賃は後払い。

ポイントがお得らしいけど、SuicaポイントVIEWポイントが別と聞いてまた理解するのが大変だった。

2018-01-03

続・年賀状はいらない文化なのか?

anond:20180101070125

意外に伸びててびっくりしてるんだけど、ブコメ見てると賛否両論って感じかな

年賀状肯定的人達は俺と考え方が近いのだと思う

まり一応知り合いという程度の人との繋がりを維持するのに年賀状有用って考え方

それに対して年賀状否定的人達の考え方を大きく分けると2つに分けられると思う

①今の時代年賀状の様に紙、つまり物理媒体を使った通信年始あいさつをする必要なんてないという考え方

年賀状を出さない事で失われる程度の繋がりなど人生不要という考え方

考え方は人それぞれだから反論という訳じゃないけど①、②共に思うところはある

まず①の方

俺も将来的には葉書封書での年賀状はなくなっていくと思ってる

ただ、メールLINE、各種SNSなどが年賀状代替を果たせるか? というとちょっと疑問がある

手間がかからなすぎるかなって気がする

お歳暮なんかもそうなんだけど、あなたのためにこの程度は手間をかけましたってのが結構大事だと思うんよ

あくまで俺の経験則に過ぎないんだけど年一回の年賀状と同じ程度の人間関係メールで維持しようとすると、3ヶ月に1回くらいはメールのやり取りが必要になると思う

SNSだったらもっと短期スパンでの定期的なやり取りが必要なんじゃないか

メールにしてもSNSにしても、メッセージのやり取りをするツールとしては年賀状をやり取りする相手より親密度が高い人向けって感じがする

もちろん将来メールを送ることが今、年賀状を送るのと同じくらい手間をかけてると感じる価値観が主流になる時がくるのかもしれない

でも今はまだそうじゃないと思う

個人的には今後、年賀状代替していくサービス電子年賀状的なものになるんじゃないかと思ってる

スマホタブレット年賀状パラパラめくるように見れて、返事を書くのもそのままスマホタブレットでできる

あいうえお順などでソートもできて、職場の同僚や同級生などのタグをつけての管理もできる

一枚一枚手書きでも書けるしテンプレートイラストを引っ張ってきてお手軽にもできる

手作りスタンプを取り込んだり、写真を貼り付けたり、おみくじシールキャラクターイラストを貼り付けることもできる

そういう紙の年賀状をそのまま代替できる様なサービス

作るのにそれなりに手間がかかって、なおかつ更に手間をかけようと思えばいくらでもかけられるサービス

多分、すでに似たようなサービスはあるんだろうけど年賀状代替するほど普及してるとは言えないと思う

年寄りでも簡単に使えるか? っていうとそうでもないところあると思うしね

それに普及したらしたでスパムメールみたいな悪質な広告ウイルス感染源にされたりといった事への対策必要になってくるだろう

から今はまだ紙の年賀状の方が面倒でない面もあると思うんよ

②についてはホント価値観は人それぞれって話になっちゃ

ただし、ただめんどくさいとかい理由年賀状一枚で維持できる人間関係を捨てちゃうのはもったいないかなって思う

言ってしまえばコネとか人脈って呼ばれてるものってそういう緩い繋がりのことだと思うんだよ

人生の中でそういう緩い繋がりに救われる事ってたまーにある

そういう時の為に手間を投資してると考えればそこまで大損してるって訳でもないと思うよ

あんまり打算ばかりで考えるのもアレだと思うけど、緩い繋がりを維持してて損することってあんまりないよ

2017-11-28

anond:20171127215759

1. 革新的UIとそれを可能にしたでかいタッチパネル

それまでの携帯電話っていうのは基本的ガラケー。つまりディスプレイボタン操作パネル)が別々で、画面を大きくし、さら携帯性を高めるために二つ折りが基本形。PHSとか色々あったけど、基本的にはおんなじ。マウススクロールボタン見たいのが携帯のど真ん中に配置されてたのもあったかもしれない。ボタンぽちぽちして、番号の六押したら画面が右スクロールとか、8押したら下に移動とか、とにかく直感的に操作できなかった。あいうえおの”お”も何回も連打するのが普通。(違う入力方法もあったけど直感的ではない)それがiPhoneでは画面を直接触って操作するようになった。デジタル機械携帯電話アナログ方法操作できるように工夫されたので、それ以降猫でさえiPhone操作できるようになった。画面を見ながら操作するって簡単に見えるけど、iPhoneガラケーだと次元が一つ違う。操作した時のフィードバックにしたって、バイ機能使ってちょっと震えるようにするとか、パチパチ音を出すとか、ちゃんと考えられてた。こういう細かい操作性にしても当時からすごくよく考えられてて、画面上のボタン一つで英語入力にもかな入力にも、さらに今でも一般的フリック入力iPhone出た当時から使えてたし、出た当時から既に完成しているスマートフォンだった。

2. 機能アプリ)の爆発的な増加。

当時iPhoneが発売された当時に一番他の人に自慢して「おー」と言われたのがマップ機能。当時はGoogleマップだったと思う。住所入力したらその住所の場所が出てきて、ちょっと操作したらそこまでの案内してくれる。当時僕は営業で、出先に会社から「これこれこの場所のお客さんが話を聞きたいそうだから向かってくれ」って言われて分厚い地図片手にどこ行きゃいいんだって調べてた。携帯でもできたけど、iPhone操作性は当時飛び抜けてた。分厚い地図を持たずに走り回れた。それに携帯電話自分必要機能ゲームアプリケーションなんかを入れられる拡張性もガラケーより全然あった。コンパスセカイカメラ音楽Gmailや他のメールとの同期:会社メール自分個人メールを一つのアプリで受け取れたし、iPhoneあればかなりのことができたと思う。

基本的にこの二つがすごかったんじゃないかな。革新的UIアプリでの拡張性と利便性。当時からiPhone基本的構造って変わってないし、今もほぼ全てのスマートフォンが真似して、機能を追加してる。一発目から今でも通用するスマートフォンの基本形を築いたって意味で本当に凄かったと思う。

2017-10-13

anond:20171013013255

すんごいみづらいかコメントを>で引用してるとこは全部、>>と<<(半角にしてね)で囲ってくれないか

あいうえお

あいうえお

って感じになる

2017-10-12

anond:20171012104425

俺もアジカンナンバガバンプも好きだけどさあ

好きだからあえて言わせてもらうけどJ-POPの弱点ってどこまでいっても日本語なとこだよね

正直メロディだけだと太刀打ちできんと思うのよ

演奏力とかリズムとか音域とか曲調の選択とか圧倒的に洋楽の方が上だもん

でも邦楽がいいと思えるときって

文字と1文字を繋げていくことでどんどん意味が変わっていって

メロディ意味全体像理解が進む、最後理解する

伏線回収型の理解J-POPの良さだと思う

でも外国人からしたら何言ってんのか分かんねえし

メロディはどいつもこいつも似たようなのばっかり

これじゃ売れるわけがない

別に外国人じゃなくてもいい

歌詞に興味がない人間から子ども趣味扱いになる

メロディで感動させないと大人は動かない

「デデンデンデデン! デデンデンデデン!」

強烈なメロディ歌詞必要ない

その点ではJ-POP演歌に負けてる

ぶっちゃけ演歌歌詞なんてあいうえおでいい

単に楽器として声を出すための役割になってる

例外的歌詞よりもメロディ重視のJ-POPもあるから

なんでこの曲が?って曲が海外めっちゃ人気なこともある

当然そんなのは日本では評価されない、日本人向けじゃないか

とにかく歌詞評価してもらおうというJ-POPの弱点は永遠になくならないと思う

メロディだけでも歌詞がなくても評価してもらえるようにならないと

スーパー歌詞抜きのオルゴールバージョン間抜けに聞こえても

それが本来の曲としての評価だと気づいてほしい

2017-08-20

あいうえお

あいうえお

id:udongerge 内容が消えてしまった。やはり独り者の夢日記だったのか。

内容は消したが、独り者ではないし書いてあった内容はおおむね事実

2017-07-18

なんでEdgeってこんな無能ブラウザなの?

とある理由でしばらくedgeを使ってる。

でもほんとに無能すぎてわけわかめ。っていうか開発者はろくに使ってみてないだろ。

使えば欠陥たくさん見つけられるのにね。

・表示中のタブを保存して閉じるという機能

左上についてるけど、間違って押してタブを全部閉じてしまうことがある。

この機能いりますオフにしたい。

・タブを切り替えると別ウィンドウで開きなおす

タブの切り替えの時、クリックしただけなのにドラックしたと勘違いしてそのタブだけ別ウィンドウに切り替える。

これほんとしんどい。なんとかしてほしい。

・タブのサムネイルを表示する機能

便利だけど、時々サムネイルが表示されっぱなしになる。何とかしてくれないかなぁ。

サムネイルの下あたりにしばらくマウスを持っていくと閉じる。

・すぐに半角になる

全角で検索する→よし別の言葉検索しよう→すでに半角になってる。

新しくタブ開いたときとかならまだしも一つのタブで、検索しただけで半角に戻されるのははっきり言って異常。

firefoxで試したけど全角のままだった。当たり前だよなぁ。

・行の頭の文字を消すとカーソルが一つ前の行の最後に戻る

あいうえお

か|

↑の状態バックスペースを押すと↓

あいうえお

となってしまう。

コメント投稿後にブラウザバックができない

検索結果→ブログコメント投稿

状態からブラウザバックすると検索結果まで戻れない。

「このページを表示できません」

開発者はこんなブラウザで使いやすいなぁとでも思ってんのかなぁ。

相当な馬鹿だな。

くそみたいなバグなんとかしろ

2017-07-04

あいうえお

さしすせそなにぬねの

=====

かきくけこ

わをん

かかか

>> カリカット辛かった<<

2017-05-24

デッサンって、デザインにおける「あいうえお」だと思う。

私は、これからデッサンを学ぶ。これから書くのは私がなぜデッサンを学ぶかということだ。

デッサンを学ぶ理由については諸説ある。それが現在においても、最も簡単視覚表現方法であるという人もいる。デッサンアートにおける基礎であるから。という人もいる。忍耐力をつけるためという人もいる。というように、書籍や、インターネットで調べれば様々な答えが出てくる。つまり、これが「答え」というものはない。つまり自分で何のために学ぶのかを考えておく必要があるだろう。実態が完全に掴めていなくても、とっかかりとなる「やる理由」が必要だ。実態が掴めてくれば、また学ぶ意味を見つけることはあるだろう。このブログを見つけた人でデッサンを学ぶ理由を探している人は、あくまでもこれは私見であるので、参考までにとどめておいてもらいたい。

私なりの答えとその理由をここに置いていく。

デッサンとは、デザインにおける「あいうえお」だからである

デッサンとは、「高度な観察(入力)」と「高度な表現(出力)」である

私の知る限りでは、デッサンはまず筆を持つということはなく、描写する対象時間をかけて穴が開くほど観察する。文章で書くとこれだけなのだがこれが実に奥が深い。例えばリンゴデッサン対象にするとしよう。見始めて間もない頃は、部位ごとの色の違いがぼやけて見えるのだが、時間をかけて観察すると、網膜に焼け付くように色の違いがくっきり見える。そうすることで、リンゴを実際に描くことに一歩近づく。だがそれだけで書けるだろうか。デッサンをやったことがない人はデッサンのために適した紙、エンピツ、その使い方を知る必要もあるだろう。ツールを知り、その使い方を知ることも重要なのである。それを知ってもまだ描き通すには程遠い・・・

一方デザイナーとは、私の中では「特定の誰かにとって価値のある視覚表現を生み出す職業である

そして、デザインにおける工程では、まず、顧客が欲しいものを見つけることから始まる。つまり顧客を観察することである。これをおろそかにしてはいい成果は生み出せないであろう。観察して見つけたもの表現する必要がある。それは言葉でも、絵でも写真でもできるかもしれない。何で表現するかを見極め、どのように表現するか考える必要がある。そのためには、表現するためのツールを知り、その使い方を知る必要がある。

というように、デッサン素人デザイン素人である私でも、いくつか共通点が見つけられる。ここから私は、デッサンにはデザインの基礎が秘められているという仮定にたどり着いた。もっとも、これはデッサンを実際にやらなければ気付かなかったことであろう。実際にやっていない人は、何もわからないままデッサンのやり方を調べてやってみる必要もあるだろう。

幼い頃、「あいうえお」を学ぶ意味理解して学んだだろうか。私は知らないことだから学んだのだと思う。

あいうえお」の組み合わせで単語生まれる。なら、「ひこうき」や「あざらし」といった単語を1つ1つ覚えるよりも、「あいうえお」を覚えてしまえば、どんな単語だって扱える。

デッサンもきっと、デザインにおけるその類だと思う。というか、自分なりに意思を持ってそう解釈していく

おわり

http://blog.seesaa.jp/cms/article/edit/input?id=450190249

http://anond.hatelabo.jp/20170524111141

からあいうえお順に一文字ずつ入れるようになってるのか。

あれたとはいえない。いれたとはいえない。うれたとはいえない。えれたとはいえない。。。。

わかりづらっ!

2017-04-17

テレビリモコンが使いにくい・・・

PANASONIC20万くらいの最新のテレビを買ったんだけど、リモコンがとにかく使いづらい。

地上波等のチャンネルを切り替えたりする分には特に困らないんだが、

Youtubeとかのアプリ操作感がクソすぎる。

感覚としては「スマホアプリガラケー操作している」感じ。

スクロール動画選択したりするのも、「カチカチカチ」といちいち横ボタンを押さないといけない。

FireTVのリモコンであれば横を押し続ければスルスルとスクロール出来て、スピードも長押しで早くなる。

Youtube検索も、あいうえお文字が並んでいるのを十字キーで一文字づつ入力しないといけない。

しか予測変換はしてくれず、全文字入力して、適正に変換しないと、検索結果も意図したものが出てこない。

ネットとか良く分からん世代がメインのターゲット製品なので分からないではないけど、

せっかくネット機能がついているのに、操作感がガラケーじゃ使う気にならないよ・・・

オプションでも、スマホアプリでも良いから、ガラケー操作から脱却できるリモコンが欲しい!

もはや日本家電メーカーにそこまで望むのは酷なんだろうか。それともSONYあたりはもう少しまともなのかな?

おとなしくFireTVを使うことにするか・・・

2017-01-04

みんなが知らないこと

数字を数えられない人がいること

足し算、引き算ができない人がいること

九九を知らない人がいること

あいうえおを全て言えない人がいること

左右、東西南北がわからない人がいること

一言を覚えれない人がいること

盗みが普通と思っている人がいること

珍しくないこと。


他人想像するなんて無理だということ。

2016-12-30

酔っ払ったので、膝の上にあいうえおを書き始めた

やばい、"の"が楽しい

ずっと書いていられる

2016-11-23

本屋かわいそう

紙の本が売れないっていってるけどこのまえちょっと横浜駅SFなら読んでやるかと思って予約しに行ったんだよそしたらな、何冊入ってくるかわからいからだめかもしれないってさ

アマゾンとかでは買えるのに本屋かわいそう

あと発売したあとだと取り寄せになるから時間かかるんだって本やかわいそう

あと本屋はどれが売れるかわからいから、マイナーレーベルほど手を出さないのだろうか、ヒーローは眠らないも富士見L文庫だかか、こっちもふだん本買わないか本屋のどこに本置いてるのかわからないし、検索するやつはあいうえおに並んでるからHHKの俺には打てないんだよな 

2016-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20161025042539

あいうえおってやつだよな

晒してる奴は4んでほしい

あいうえおの家行く間にトラックに轢かれて4なないか

障害者ムービーで撮って晒し

何が楽しいんだか

そういう奴はLANケーブルで今すぐ首吊って4ね

健常者ランドの住人の遊びはほんとゲス

ゲスの極みなんてかわいいもんだよ

あと最近では性の喜びおじさんってのが

動画で晒され者になっている

本当にあの人かわいそう

障害者動画で撮って笑い者にする時代がついにきた

いずれアトピーゾンビ動画晒し者にされて

1万8千リツイート 3万いいねを押されるのだろう

もしそんなことが起きたら精神が狂う

もしそんなことが起きたらとりあえず

片っ端から特定するかな

特定した後のことは考え中

電車に乗っている時は気をつけよう

携帯カメラが明らかにこっちを向いていたら移動しよう

2016-10-14

http://b.hatena.ne.jp/entry/gigazine.net/news/20161014-most-driver-phone-navigation/

http://b.hatena.ne.jp/entry/gigazine.net/news/20161014-most-driver-phone-navigation/

古い情報コメしてる人多いなと思ったので、最新情報独り言

機種は市販OEM、DOP全般

OEMナビは、自動車メーカーが開発元を選ぶんだけど、機能性より、値段重視で選ぶから使えない物が多い

500万Overの車だと良いナビが着いてる

OEMナビに不満あるなら、オーディオレスで車買って、DOPか市販品がベストなチョイスかと

一番痛いのは文字入力の遅さだろうな。その上、スマホに比べて高いし、地図更新にも金がかかる

事前にスマホで調べたところを、またカーナビに再入力するの馬鹿馬鹿しいもんね

目的地の設定に多くの労力がかかる」

運転中の操作ロックされる」

スマホカーナビソフトの方が早いし渋滞情報リアルタイムだし、

カーナビはもはやバックモニターの抱き合わせくらいのポジション

問題GPS頼りなとこだけなのでカーナビが使うようなセンサー等をスマホで利用できるようになれば専用カーナビを使う理由はないのでは。そういう製品も数年内には出そうな気もするけど。

リビングTVと同じで単一機能を使うだけにしては高価すぎるデバイス自動運転スマートホームが普及すれば価値が上がるだろうね

わかる! 我が家の車についてるマツコネIKEA鶴浜からの帰り道、名神豊中から乗りたいのに、何が何でも近隣の阪神高速から第二京阪を案内しようとする。嫌になってYahoo!カーナビ使ってる

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