はてなキーワード: sDGSとは
世の中のほとんどの女は、男がフェミニズム的な基準を満たすことを男選びの条件にしないし、本音のところでそんなに興味がない。これが現実だ。
以前、マクドナルドで一時サラダとかヘルシーなメニューが出たが、あまりに売れないので、元のジャンクなラインナップに戻したら、売り上げがV字回復した、という事があった。実態として、欲しいものは綺麗事じゃない、ということだ。実際、ゴリゴリの体育会系の男を捕まえて、DVに悩まされる女が後を立たない訳だが、そういうパターンを取る女はなかなか居なくならない。
マクロ的に女が変わらないのだから、男視点で見ると、フェミニズムに従う利点は特に無い。だから、対女性の戦略として、「旧来の価値観」のオプションを捨てるのは単なるバカだ。専業主婦希望とか、マッチョ好き、旧来の男らしい男を求める女を落とすためのオプションはキープした方が良い。
男性視点では、フェミニズムに従う事で、戦略やパートナーの選択肢が大幅に失われる。だから、処世術として口先では男女平等を尊重するふりをしながら、心の中では無視するのがベストなのだ。
基本的に男性に求められるリソースを多く持つ、男らしい個体ほどモテる(社会的地位、力強さ、会話力、経済力、学歴など)。これがマクロ的に見た現実だ。会話力に関する比重は上がっているが、価値観としては昭和以前と変わらない。そのマクロ的な傍証が上方婚に関するデータだ。女は自分より優れた男を求め、劣った男を求めない、という事だ。これは、すももの調査データが出る前から変わらない(「結婚の社会学」にも似たデータがある)。
それどころか、そもそもフェミニストが「男らしさに縛られない男選び」を徹底できていない。フェミニズムを主張しながら、旦那は優秀なオス、という欺瞞に満ちたフェミニストはゴロゴロいる(興味深い事に、そういう人は口汚いオタク批判も行ったりする)。少なくないフェミニストがパートナーに関するデータを語りたがらない事もそう。つまりは、フェミニストですら、自分の異性選びにフェミニズムを使うつもりなど毛頭ない、という現実を強く示唆している。
ジェンダーフリーの世の中を実現する、最強の方法は、女性がその価値観に共感する人間だけをパートナーにする事だ。フェミニズムはこのことをもっと本気で女性に広め続ければ、間違いなく世の中変わるよ。男はフェミニズムを理解しないとモテなくなるし、フェミニストの男からしか子供は生まれなくなるから、効果は抜群だ。ま、フェミニストは何故か女性に対しては何も言えないヘタレだから、こんな当たり前のメッセージを主張することすら、ほぼ絶望的だけどな🤣🤣🤣
せめてフェミニズムでご飯食ってる奴ぐらいは、フェミニズムに同意しない奴とは絶対にセックスしないし付き合わないと、みんなで宣言したらどうかな。それがお仕事でしょ?ま、無理だと思うけど🤣🤣🤣
フェミニズムは、女性起点の運動であるが、その正当性は一般に、宗教的な価値観(キリスト教における平等の概念)や憲法(14条など)をベースとしている。性別によって人を差別してはならない、という考え方だ。
そして、フェミニズムは20世紀末に思想として広がり、部分的ではあるが定着してきた。性別によって差別される、という事が不合理である、という考え方は相応に合理的であるため、広まったこと自体は理解できる。
ところで、人に倫理や道徳を守れと言う人間は、往々にして倫理や道徳を守ることを嫌う。道徳を守れと主張しつつ、スキャンダルから醜く逃げ回る保守政治家が少なくないように、性別による差別をなくせと叫ぶフェミニストの多くは、言い訳をしつつもトランスジェンダーに対して頑なに差別を行う。往々にして非フェミニストよりも言い訳をつけて苛烈な差別を行う。性別の平等を主張する本人は、性別による差別(本人の中では区別)をやめたくないのである。
さて、弱者男性論に戻ろうか。
不幸にもフェミニズムに共感してしまった男は、ふと、何も果実がない事に気付く訳だ。おめでとう。コロナ自粛に従って外出を我慢している人と同じで、報われないけどな🤣🤣🤣ま、コロナは今後変異種が出るからガチで身を潜めた方が良いけど。
たまたま、共感した男が強者側の男性であれば、強者として女にモテる。しかし、そうでなければ、モテない事になる。残念でした。ちょっと格下の(自分より劣位の)女にどんどんアタックして、たくさん経験積んだ方が、結果として女性と上手く話せるようになって、幸せに暮らせるんだけどね。フェミニズムのような縛りプレイだと、そもそも成功にたどり着けるのか疑問🥺他のところで頑張れば、弱者男性入りを回避できるかもだけど。。
「男らしさ」と相関性の高い競争で負けた男、それが弱者男性だ。そして、女は、もちろんフェミニストも、負け犬には非常に厳しい。フェミニズムに従う負け犬より、フェミニズムに従わない勝ち組が大好きなのだ。
フェミニズムへの幻想を捨て、リアルの果実を得ていくべきであろう。
ikanosuke 女の多くは別にガチガチのフェミニストでは無いし、現適齢期世代において価値観の合わない相手と結婚するのは少数派だと思うが…?ノイジーマイノリティだけを見て全体を想像してない?
おっしゃる通り。
女の多くは別にガチガチのどころかフェミニストと相容れない価値観を持っている。だから、女の価値観と合わせようとすると、フェミニズムは忘れた方がうまくいく局面が多い、という事。「レディーファースト」とか、過去のベタな価値観を引用した方がうまくいくことが多い。フェミニストを自称する女子と付き合っている時であっても。
daisya 社会的地位、力強さ、会話力、経済力、学歴…自分は男じゃないけどこれ全部欲しいわ。そういやはてブで見掛ける女性って既婚者ばっかかも。そんなもの目指せる世の中じゃないと割り切ったのか。
はてブに若い世代はあんまり来ない傾向はあると思う。本質的にSNS以前の思想に基づくサービスだから仕方がない。
yodogawa-kahan 交際のエサに結婚や扶養を入れなければ、フェミニズムも両方の性的欲望の解消も両立可能なのを、わざと外しているのか。思いつかないのか。
そもそも男からすると、フェミニズムと何かを両立する必要がないんだよ。フェミニズムに共感するメリットすら皆無だから。本文読んでからコメントしようぜ。
warulaw 結婚や恋愛などのパートナー選びは、効用(一緒にいて楽しい=会話力や容姿)とリスク軽減(トラブっても助けてくれる=経済力や精神的安定)の足し算ってだけの話。フェミニズムは関係ない。
「効用(一緒にいて楽しい=会話力や容姿)とリスク軽減(トラブっても助けてくれる=経済力や精神的安定)」の中に、ジェンダーに基づく要求がたっぷり含まれているもんな。ジェンダー込みで相手を選ぶのは当たり前だから、フェミニズムでガタガタいうのはおかしい、というのはよくわかる。
HanPanna 男尊女卑を維持したいという結論に、弱者男性を利用するのはやめろ。/弱者男性論とはかくの如く「女」か「フェミ」が主題。弱者男性の苦しみはどうでもよく、フェミに対抗する為に逆に"男らしくあれ"と迫るのだ。
「男尊女卑を維持したい」じゃなくて、「男尊女卑が(女によっても)維持されているから、フェミニズムに共感するのは無駄」と言っているだけだ。フェミニズムは無能だし、カチカチに硬直した構成員しかいないから、もう期待するな、という風に解釈してもらっても結構。男も女も、フェミニズムで女は変わっていない、という現実をちゃんと見ろ。男尊女卑の維持には、男だけでなく女も加担している。女が変わらないと、男も変わらない。女にアプローチしたら「男らしさ」を求められる現実が常にあるんだ。選ばれる側の男がそれに合わせて、男尊女卑を維持しているのは、自然なことだ。
それどころか、そもそも、フェミニスト女ですら本当にフェミニズムが大事と思っているかどうか、疑問に思うことが多い。「ダイエットしたい!」と言いながら高カロリーのものを食いまくる奴と同じように見える。(フェミニストですら、競争の勝者ばかりをパートナーに選ぶあたりで爆笑してしまう)。やっぱり本音では「優れたオス」が好きなんでしょ?
弱者男性という切り口は、そこの欺瞞を暴いているんだよ。「劣った男は嫌いなんだろ?」って。「優れたオス」の定義は人それぞれだから言い逃れの余地が大きいが、「劣ったオス」は、モテていないという結果ベースで判断できるから、「優れたオス」ほど定義にブレが生じにくい。
そして、多くのフェミは、この問題にまともに答えることができなかった。切断処理(フェミニズムは関係ない)で逃げた。それどころか、激しく罵倒するコメントが相次ぎ、増田が憎しみに満ちたエントリで溢れた。これは予想を超えていたが、それだけ「劣ったオス」が嫌いな女、それもフェミニスト女が多いということだったのだ。
フェミニスト女ですら、「優れたオス」が大好きで「劣ったオス」が大嫌い、ということであれば、そりゃ世の中変わらない。男としては激しい競争を生き抜かなきゃならなくなる。女が言っているフェミニズムなんて、マクドナルドのヘルシーメニューよろしく、話半分に聞いた方が良い、となる。弱者男性は憎まれるだけだから、あらゆる手段を使って強くなれ、としかいうことができない。
そして、今回の流れで、フェミニストが人のことを指摘することしかできない奴ら、ということがよくわかった。ま、当のフェミニスト女が、男に求めるのと同じ規律で自分を律していないのである。SDGsに従うと宣言しておきながら、言い逃れの効かない男性差別を開始したABCクッキングには爆笑したが、つまり自分を律する覚悟がない奴らというのは、そういうものだ。
君も、フェミニズムに問題だらけなのはきっと気付いているんだろうけど、それでも「フェミニズムには関係ない」と切断処理をするための言い訳を作り出して、見て見ぬふりをするんでしょ?知ってる。だってフェミニズムは無責任な体系だから。
「子供を産む」人たちにとっては、自分が死んだあとの世界を子供に残したいわけだから、所謂SDGsが重要になるんだろうけど。
「子供を産まない」人たちにとっては、そういう実感ってあまりないのよな。別に、俺が死んだ後に世界が滅亡しようがどうなろうが、ぶっちゃけあまり関係ないのよな。
「子供を産む」人達がどれだけ「このままじゃ社会を維持できないぞ!どうすんだ!?」と言ったところで、「子供を産まない」人たちにとっては「ふーん、それで?」で終わりなのよ。
「同調圧力をかけ続ければ子供を産ませられる」と未だに勘違いしてる人が多いけど、もはや「子供を産まない」という選択肢自体が脅迫的な政治カードとして機能する時代だと気付いた方がいい。
俺もアセクシュアルだけど、それでも俺個人の趣味としては俺が死んだ後も人類には繁栄して欲しいと思うよ。そういう人は割と多いと思うよ。
でもね、「子供を産む」人達があんまりにも傲慢だと、「じゃあ人類なんて滅亡していいよ」ってあっさり言える程度には薄情だとも自覚してるよ。
はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館で作品6点が行方不明になる、という事件があった。
館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽の疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803
一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である。
たとえばこういう企画展。
https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991
堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカル、ジェンダー、福祉、ケア、老い、共同体、移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。
ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである。
個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。
しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽の美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。
その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である。
前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界からは擁護の声も出ている。
アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から、美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態を放置し問題に適切に対処してこなかった所管部署の文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である。
スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境に作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である。
これは大局的に見れば正しいかもしれない。
ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。
それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか。
まともな環境に作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである。
他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理に問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書の問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言の趣旨ではありません。
とはいえ、前橋市の報告書が住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員と行政職の党派性の問題なのではないかという感も否めない。
一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館の学芸員と行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである。
なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。
つまり、理想を求める学芸員とコスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから、対立するのは当然なのかもしれない。
両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である。
現状で言えば、おそらく行政職出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。
現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有な存在なのである。
行政職出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセントは現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。
今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。
後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家が署名活動
https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c
ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。
まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。
現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟が必要である。
だから、美術館の作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。
加えて、美術品のほとんどは温度・湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。
38度の真夏であっても、氷点下の真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。
当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。
つまり、美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。
地方の美術館に美術作品を寄付する人々というのは、たとえば地域の小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。
1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。
「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。
売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。
名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。
でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。
〇〇県出身。上京し美術学校で西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校で美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。
こういうプロフィールの作家が面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。
しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。
日本の都道府県のほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸な地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。
そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである。
というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題が関係しているように思われる。
気が重い話である。
その他参照
https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf
https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view
(異性愛)女性の性欲・ポルノは一般に「コミュニケーション欲求」だから良く、(異性愛)男性の性欲・ポルノは一般に「コミュニケーションがなく支配的欲求」だから悪い。という単純な異性愛規範の教育書を読んでいるのだけど、そもそも「コミュニケーション」が良いことである前提なのはなぜなんだ?コミュニケーション is 良いことみたいな前提、意味がわからんですよ。だいたい、何が「コミュニケーション」で何が「コミュニケーションではない」のかの定義もわからん。戦争や紛争だって一種のコミュニケーションと言えるしな。
コミュニケーション至上主義みたいな価値観を見ると、ローゼン・メイデンで引きこもりだったジュン君がクラスのみんなからの「頑張って」な寄せ書きを家に届けられて吐くシーンを思いだす。あれ、「過干渉と他者を肯定し受け入れることは違う」ということがよくわかる良いシーンですよね。
不幸な(異性愛)男女を再生産しないためのパターナリズムは当然に善でしょ!みたいな価値観が怖い。「育児書」なんて再生産権力の最前線ですよね。
SDGsの基本的な考え方や構造は上段からビジネス→生活者→環境というウエディングケーキ・モデルであり、上段を維持するための安定した土台としての下段(生活者・自然)という認識なんですよね。勝手に下段にすんな、人間や環境を勝手に資本が生き延びるための資源にすんな、とは思います。
ジェンダーもフェミニズムも、人を貶めるための武器のひとつになりましたね。おめでとう!立派な権力の仲間入りです。あなたたちが批判してきた権力の、立派な一員です。それを隠蔽するために、今日も被害者ぶっているのかな?
前にガチガチのマルクス主義者らしき人が最近流行りのSDGsに対して「あんなのは所詮企業が『やった気になる』ためのもの」と腐していた
それで気付いたんだけどさ
要するに左翼の皆様っていうのは、環境問題のイニシアティブを自分じゃなくて企業に取られるのが、もう本当に憎らしくてしょうがないんだな
だから地球環境だのジェンダー平等だのに配慮する活動であっても、ああやって文句言わずにいられないんだ
ファミマが参入しようとしてきた時にやたらバッシングがあったが、あれも本音は「俺らのショバを荒らしやがって」ということなんだろう
そこらの小さな食堂がそっとやるくらいなら自分の軍門に降ったということで持ち上げるけど、大企業がやってきて自分らを飲み込もうとするのは想定外だし迷惑だからだ
BIに反対するのも今の生活保護がどうとか言ってるけど、政府から無条件でカネ配られたら自分がしゃしゃり出てきて恩着せる機会がなくなって困っちゃうからでしょ?